コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

白龍山慶祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
白竜山慶祐から転送)
白龍山 慶祐
基礎情報
四股名 両邦山 慶祐 → 白龍山 慶祐
本名 金子 寅男
生年月日 1926年3月10日
没年月日 (1968-08-25) 1968年8月25日(42歳没)
出身 秋田県雄勝郡雄勝町(現在の湯沢市
身長 176cm
体重 109kg
BMI 35.19
所属部屋 荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋
得意技 右四つ、寄り、内無双
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭12枚目
生涯戦歴 361勝394敗11休(58場所)
幕内戦歴 57勝89敗4休(10場所)
優勝 十両優勝1回
データ
初土俵 1941年1月場所
入幕 1951年5月場所
引退 1960年1月場所
備考
2019年7月26日現在

白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日 - 1968年8月25日)は、秋田県雄勝郡雄勝町(※現役当時、現・同県湯沢市)出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は金子 寅男(かねこ とらお)。最高位は西前頭12枚目(1956年3月場所)。現役時代の体格は176cm、109kg。得意手は右四つ、寄り、内無双

来歴・人物

[編集]

14歳の時に上京し、同郷の元関脇清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。

「両邦山」の名で番付に載るまでに2年かかるなど当初は苦戦したが、その後は順調に番付を上げ、1947年11月場所で新十両に昇進。

だが、怪我もあって1年も経たない内に幕下へ逆戻りし、暫くはこの地位に居座ってしまった。

そこで験直しも兼ねて、1949年10月場所より「白龍山」と改名。これが奏功したのか、翌年9月場所で十両復帰を果たし、更に1951年5月場所では新入幕の宿願も果たした。 

右四つからの寄りや内無双を得意としたが、取り口は地味で、勝ち味も遅かったため幕内上位には進めなかった。美男力士として知られた。

1958年1月場所を最後に幕内から遠ざかり、以後は長く十両に在ったが、東十両尻(18枚目)まで陥落して途中休場した1960年1月場所を以って廃業

廃業後は愛知県豊田市に移住し、同地で相撲料理の店を営んだという。

1968年8月25日、逝去。42歳没。

主な戦績

[編集]
  • 通算成績:361勝394敗11休 勝率.478
  • 幕内成績:57勝89敗4休 勝率.390
  • 現役在位:58場所
  • 幕内在位:10場所
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1954年9月場所)

場所別成績

[編集]
白龍山 慶祐
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1941年
(昭和16年)
(前相撲) x (前相撲) x x x
1942年
(昭和17年)
(前相撲) x (前相撲) x x x
1943年
(昭和18年)
東序ノ口29枚目
5–3 
x 東序二段60枚目
4–4 
x x x
1944年
(昭和19年)
東序二段42枚目
5–3 
x 西序二段10枚目
2–3 
x x 東序二段23枚目
2–3 
1945年
(昭和20年)
x x 西三段目27枚目

兵役
 
x x 三段目
5–0 
1946年
(昭和21年)
x x x x x 西幕下17枚目
4–3 
1947年
(昭和22年)
x x 西幕下12枚目
4–1 
x x 西十両12枚目
4–7 
1948年
(昭和23年)
x x 西十両14枚目
3–8 
x 西幕下4枚目
2–4 
x
1949年
(昭和24年)
西幕下7枚目
7–5 
x 東幕下筆頭
6–9 
x 東幕下4枚目
7–8 
x
1950年
(昭和25年)
東幕下5枚目
8–7 
x 西幕下2枚目
9–6 
x 東十両12枚目
9–6 
x
1951年
(昭和26年)
東十両5枚目
10–5 
x 西前頭21枚目
5–10 
x 東十両3枚目
7–8 
x
1952年
(昭和27年)
東十両4枚目
6–9 
x 東十両8枚目
8–7 
x 西十両6枚目
8–7 
x
1953年
(昭和28年)
東十両6枚目
5–10 
東十両13枚目
7–8 
東十両15枚目
8–7 
x 西十両12枚目
8–7 
x
1954年
(昭和29年)
東十両11枚目
8–7 
西十両5枚目
8–7 
東十両3枚目
6–9 
x 西十両6枚目
優勝
12–3
x
1955年
(昭和30年)
西前頭15枚目
4–8–3[1] 
東十両筆頭
8–7 
東前頭20枚目
8–7 
x 西前頭16枚目
6–9 
x
1956年
(昭和31年)
西前頭20枚目
9–6 
西前頭12枚目
5–9–1[2] 
東前頭19枚目
4–11 
x 東十両3枚目
6–5–4 
x
1957年
(昭和32年)
東十両4枚目
8–7 
西十両3枚目
8–7 
東十両2枚目
10–5 
x 西前頭19枚目
7–8 
西前頭19枚目
6–9 
1958年
(昭和33年)
東前頭21枚目
3–12 
西十両4枚目
3–12 
西十両13枚目
8–7 
西十両12枚目
5–10 
東十両17枚目
8–7 
西十両15枚目
6–9 
1959年
(昭和34年)
西十両18枚目
8–7 
東十両18枚目
9–6 
東十両9枚目
7–8 
西十両9枚目
6–9 
東十両11枚目
7–8 
東十両12枚目
6–9 
1960年
(昭和35年)
東十両18枚目
引退
3–9–3
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

[編集]
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛宕山 0 1 安念山 0 1 泉洋 2 5 岩風 0 2
大起 1 2 大田山 2 0 大ノ海 1 0 大昇 1 2
大晃 0 5 小城ノ花 0 2 小野錦 1 2 大蛇潟 1 0
海山 2 1 甲斐ノ山 1 0 神生山 1 0 神錦 1 2
清恵波 3 1 鬼竜川 1 1 国登 1 1 鯉ノ勢 0 1
琴ヶ濱 1 0 琴錦 0 1 潮錦 0 1 信夫山 0 1
嶋錦 2 0 清水川 1 2 高錦 1 1 楯甲 1 0
玉ノ海 0 1 常ノ山 0 3 鶴ヶ嶺 0 1 出羽錦 0 2
出羽ノ花 0 5 出羽湊 3 1 時錦 1 2 栃光 1 0
鳴門海 0 4 成山 1 0 羽嶋山 0 1 緋縅 1 1
秀湊 2 1 平鹿川 1 2 平ノ戸 1 2 福ノ海 0 1
二瀬山 1 1 双ツ龍 1 1 星甲 3 2(1) 前ノ山(佐田岬) 0 3
増巳山 0 1 三根山 1 0 宮城海 0 1 宮錦 2 2
八染 1 3 吉井山 3 1 神若 1 0 芳野嶺 1 2
米川 0 1 若羽黒 1 1 若前田 0 3(1)
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。

改名歴

[編集]
  • 両邦山 慶祐(りょうほうざん よしひろ、1943年1月場所-1949年5月場所)
  • 白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1949年10月場所-1960年1月場所)

脚注

[編集]
  1. ^ 頭部打撲により10日目から途中休場、14日目から再出場
  2. ^ 左腕関節捻挫により11日目から途中休場、13日目から再出場

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]