第4高射群
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第4高射群 4th Air Defence Missile Group | |
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創設 | 1973年(昭和48年)10月16日 |
廃止 | 2023年(令和 5年)3月16日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
部隊編制単位 | 群 |
兵科 | 高射運用 |
所在地 | 岐阜県 各務原市 |
編成地 | 岐阜 |
上級単位 | 中部航空方面隊 |
担当地域 | 北陸3県、東海3県、近畿地方 |
第4高射群(だい4こうしゃぐん、英称:4th Air Defence Missile Group)とは、中部航空方面隊に属していた高射群である。本部は岐阜基地(岐阜県各務原市)に所在しており、4つの高射隊を傘下に抱えている。主な任務は、飛来する敵の航空戦力を長射程の地対空ミサイル(SAM)により遠距離で迎撃することであった。2023年3月に、6個高射群から4個高射群への再編に伴い、第1高射群とともに廃止・統合され、中部高射群となる。
沿革
[編集]- 1972年(昭和47年)3月31日:臨時第4高射群が新編。
- 1973年(昭和48年)10月16日:臨時第4高射群が廃止、「第4高射群」が新編。
- 1993年(平成 5年)3月31日:第12高射隊が装備をナイキ-Jミサイルからペトリオットに更新。
- 2009年(平成21年)
- 2月26日:第13高射隊にPAC-3配備。
- 4月28日:第12高射隊にPAC-3が配備。
- 6月23日:第14高射隊にPAC-3が配備。
- 8月21日:第15高射隊にPAC-3が配備。
- 2023年(令和 5年)3月16日:第1高射群と第4高射群が廃止・統合となり、中部高射群に改編[1]。
廃止時の部隊編成
[編集]特記ないものは岐阜基地に所在していた。
歴代の第4高射群司令
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 | |
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臨時第4高射群司令 | |||||
1 | 高田弘 | 1972年 | 3月31日 - 1973年 3月15日中部航空方面隊司令部勤務 | 航空幕僚監部人事教育部厚生課長 | |
2 | 水谷恒雄 (2等空佐) |
1973年 | 3月16日 - 1973年10月15日臨時第4高射群副司令 | 第4高射群司令 | |
第4高射群司令 | |||||
1 | 水谷恒雄 (2等空佐) |
1973年10月16日 - 1975年 ※1974年1月1日 1等空佐 |
2月16日臨時第4高射群司令 | 航空自衛隊幹部学校勤務 | |
2 | 秋山昌之 | 1975年 | 2月17日 - 1976年11月30日第3航空団副司令 | 航空自衛隊第2補給処付 →1977年3月27日 停年退官 | |
3 | 藤澤好文 | 1976年12月 | 1日 - 1978年 7月31日航空自衛隊第2術科学校第2教育部長 | 航空自衛隊幹部学校研究員 | |
4 | 細島博元 | 1978年 | 8月 1日 - 1981年 7月31日第1高射群副司令 | 中部航空方面隊司令部監理部長 | |
5 | 久保良澄 | 1981年 | 8月 1日 - 1982年 8月 1日航空自衛隊第2術科学校第1教育部長 | 航空幕僚監部防衛部運用課勤務 | |
6 | 小倉達行 | 1982年 | 8月 2日 - 1985年 3月15日統合幕僚学校学校教官 | 航空自衛隊幹部学校勤務 | |
7 | 仙田岑夫 | 1985年 | 3月16日 - 1987年 3月15日航空自衛隊幹部学校主任研究開発官 | 航空自衛隊第1術科学校研究部勤務 | |
8 | 野中之雄 | 1987年 | 3月16日 - 1988年 7月31日統合幕僚会議事務局第3幕僚室年度班長 | 航空幕僚監部総括副監察官 | |
9 | 金子晴一 | 1988年 | 8月 1日 - 1990年 3月15日航空自衛隊補給本部企画室長 | 航空教育集団司令部総務部長 | |
10 | 山田稔 | 1990年 | 3月16日 - 1993年 3月31日第1高射群副司令 | 航空中央業務隊司令 兼 檜町基地司令 | |
11 | 鹿毛健稔 | 1993年 | 4月 1日 - 1994年11月30日航空幕僚監部監理部法務課長 | 統合幕僚学校研究室長 | |
12 | 望月靖夫 | 1994年12月 | 1日 - 1997年11月30日航空幕僚監部総括副監察官 | 統合幕僚学校主任教官 | |
13 | 上村博道 | 1997年12月 | 1日 - 2000年 3月31日航空自衛隊第2術科学校第2教育部長 | 航空自衛隊第2術科学校副校長 | |
14 | 島田徹 | 2000年 | 4月 1日 - 2001年11月30日航空自衛隊幹部候補生学校教務課長 | 教材整備隊司令 | |
15 | 雪吉新治 | 2001年12月 | 1日 - 2003年11月30日北部航空警戒管制団第45警戒群司令 兼 当別分屯基地司令 |
第11飛行教育団副司令 | |
16 | 松本敏郎 | 2003年12月 | 1日 - 2005年 3月31日自衛隊体育学校第1教育課長 | 航空自衛隊幹部学校主任研究開発官 | |
17 | 豊田肇 | 2005年 | 4月 1日 - 2007年 3月27日航空幕僚監部総務部法務課長 | 航空自衛隊第1補給処長 兼 木更津基地司令 (空将補昇任) | |
18 | 三嶋哲 | 2007年 | 3月28日 - 2008年 3月31日情報本部画像・地理部長 | 航空自衛隊情報保全隊司令 | |
19 | 竹下英治 | 2008年 | 4月 1日 - 2009年11月30日情報本部勤務 | 防衛研究所研究部第4研究室長 | |
20 | 深瀬尚久 | 2009年12月 | 1日 - 2012年 7月25日自衛隊静岡地方協力本部長 | 航空教育集団司令部総務部長 | |
21 | 林英治 | 2012年 | 7月26日 - 2015年 7月31日自衛隊宮崎地方協力本部長 | 航空自衛隊補給本部情報処理部長 | |
22 | 吉居宏 | 2015年 | 8月 1日 - 2018年 2月17日航空幕僚監部首席法務官 | 退職(空将補昇任)[2] | |
23 | 小石弘文 | 2018年 | 2月18日 - 2020年10月 8日航空幕僚監部総務部会計課長 | 航空中央業務隊司令 兼 市ヶ谷基地司令 | |
24 | 柴田利明 | 2020年10月 | 9日 - 2022年 2月 5日航空幕僚監部首席法務官 | 退職[3] | |
末 | 阿部智康 | 2022年 | 2月 6日 - 2023年 3月15日航空支援集団司令部装備部長 | 航空自衛隊補給本部総務部長 |