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若天龍祐三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若天龍裕三から転送)
若天龍 祐三
基礎情報
四股名 若天龍 辰夫 → 若天龍 祐三
本名 中川 辰夫 → 粥川 辰夫
生年月日 (1940-01-01) 1940年1月1日
出身 京都府京都市中京区
身長 175cm
体重 106kg
BMI 34.61
所属部屋 花籠部屋
得意技 左四つ、上手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位前頭筆頭
生涯戦歴 533勝493敗2休(82場所)
幕内戦歴 195勝238敗2休(29場所)
優勝 十両優勝2回
データ
初土俵 1955年3月場所
入幕 1961年9月場所
引退 1969年7月場所
備考
金星栃ノ海1個)
2019年8月2日現在

若天龍 祐三(わかてんりゅう ゆうぞう、1940年1月1日 - 没年不明)は、京都府京都市中京区出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は中川 辰夫(なかがわ たつお)→粥川 辰夫(かゆかわ -)。最高位は東前頭筆頭(1965年11月場所)。現役時代の体格は175cm、106kg。得意手は左四つ、上手投げ

来歴

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京都市立西ノ京中学校時代は野球に熱中していた。中学卒業後、天竜三郎の紹介で花籠部屋に入門し、1955年3月場所で初土俵。翌5月場所、天竜に因んだ「若天龍」の四股名序二段に付いた。

同部屋で同時入門し、同時に序二段からスタートした3歳年上の若三杉(杉山)と出世を競い合い、体は小さいものの稽古熱心さと正攻法の攻めで着実に番付を上げていった。

その後、1960年9月場所で新十両に昇進し、1961年9月場所で新入幕を果たした。入幕してしばらくは幕内と十両を往復する日々が続いたが、3度目の入幕を果たした1964年3月場所以降は幕内へ定着。自己最高位の東前頭筆頭で迎えた1965年11月場所では、栃ノ海を破る金星を挙げている。

立合いが乱れていた時代に、両手をきちんと着いての綺麗な立合いを見せ、相撲ファンから賞賛された。幕内を計29場所勤めながら三役昇進は叶わなかったが、若乃花や若三杉らと共に花籠部屋の全盛期を支えた「花籠七若」の1人としても知られている。

西十両11枚目で6勝9敗と負け越し、幕下への転落が避けられなくなった1969年7月場所を最後に、29歳で廃業。

以降は実業団相撲のコーチや相撲料理店経営、民間企業勤務を経て、独立して企業を興し話題になった。

1990年頃は兵庫県西宮市で、「粥川工業」という企業を経営していたが、2015年現在の動向は不明である。

主な戦績

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  • 通算成績:533勝493敗2休 勝率.519
  • 幕内成績:195勝238敗2休 勝率.450
  • 現役在位:82場所
  • 幕内在位:29場所
  • 金星:1個(栃ノ海1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:2回(1962年9月場所、1964年1月場所)

場所別成績

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若天龍 祐三
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1955年
(昭和30年)
x 新序
2–1 
東序二段77枚目
4–4 
x 東序二段67枚目
4–4 
x
1956年
(昭和31年)
東序二段57枚目
4–4 
西序二段55枚目
5–3 
西序二段30枚目
7–1 
x 西三段目86枚目
5–3 
x
1957年
(昭和32年)
東三段目65枚目
3–5 
東三段目69枚目
6–2 
西三段目33枚目
6–2 
x 西三段目9枚目
5–3 
西幕下75枚目
5–3 
1958年
(昭和33年)
東幕下70枚目
5–3 
西幕下61枚目
6–2 
西幕下48枚目
6–2 
西幕下30枚目
3–5 
西幕下37枚目
5–3 
西幕下25枚目
5–3 
1959年
(昭和34年)
東幕下18枚目
5–3 
東幕下13枚目
5–3 
東幕下9枚目
5–3 
西幕下5枚目
7–1 
東幕下筆頭
3–5 
東幕下5枚目
3–5 
1960年
(昭和35年)
西幕下10枚目
4–4 
東幕下8枚目
6–2 
東幕下3枚目
4–4 
東幕下2枚目
6–1 
西十両19枚目
10–5 
西十両12枚目
6–9 
1961年
(昭和36年)
東十両16枚目
8–7 
東十両13枚目
9–6 
東十両7枚目
9–6 
西十両3枚目
11–4 
西前頭11枚目
8–7 
東前頭9枚目
7–8 
1962年
(昭和37年)
西前頭10枚目
2–13 
東十両2枚目
5–10 
東十両8枚目
9–6 
西十両2枚目
5–10 
東十両7枚目
優勝
12–3
西十両筆頭
7–8 
1963年
(昭和38年)
東十両2枚目
10–5 
東前頭15枚目
4–11 
東十両6枚目
6–9 
東十両12枚目
9–6 
西十両6枚目
9–6 
西十両3枚目
6–9 
1964年
(昭和39年)
西十両5枚目
優勝
13–2
東前頭14枚目
8–7 
東前頭11枚目
7–8 
西前頭12枚目
8–7 
西前頭9枚目
8–7 
東前頭8枚目
6–9 
1965年
(昭和40年)
東前頭11枚目
7–8 
東前頭12枚目
8–7 
西前頭7枚目
9–6 
西前頭4枚目
8–7 
東前頭4枚目
9–6 
東前頭筆頭
5–10
1966年
(昭和41年)
西前頭6枚目
9–6 
西前頭4枚目
5–10 
西前頭7枚目
8–7 
西前頭5枚目
5–10 
西前頭7枚目
9–6 
東前頭3枚目
0–13–2[1] 
1967年
(昭和42年)
東前頭15枚目
8–7 
西前頭13枚目
6–9 
東十両5枚目
8–7 
西十両3枚目
6–9 
西十両7枚目
9–6 
東十両4枚目
11–4 
1968年
(昭和43年)
西前頭10枚目
8–7 
東前頭9枚目
8–7 
東前頭8枚目
6–9 
西前頭10枚目
6–9 
東十両2枚目
9–6 
西前頭12枚目
8–7 
1969年
(昭和44年)
西前頭10枚目
5–10 
西十両筆頭
5–10 
東十両8枚目
6–9 
西十両11枚目
引退
6–9–0
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 10 10 朝岡 2 0  浅瀬川 6 5 天津風 2 1
荒波 2 2 一乃矢 1 2 岩風 3 2 宇多川 2 4
追風山 4 1 扇山 2 3 大位山 1 0 大晃 1 1
岡ノ山 1 0 小城ノ花 4 6 魁罡 0 1 海乃山 2 13
開隆山 3 3 柏戸 1(1) 1 金乃花 5 6 北ノ國 4 1
北の洋 3 0 北の花 2 1 北の冨士 2 4 北葉山 1 1
君錦 4 2 清國 1 1 清勢川 2 1  麒麟児 1 5
高鉄山 5 6  琴櫻 1 2(1) 佐田の山 0 5 沢光 0 2
大心 3 0 大鵬 0 2 大文字 2 0 大雄 4 6
大竜川 1 1 高見山 1 2 玉嵐 1 0 玉乃島 2 2
常錦 2 3 鶴ヶ嶺 5 4 出羽錦 2 3 天水山 2 0
時葉山 1 5 戸田 2 4 栃東 1 1 栃王山 5(1) 3
栃ノ海 1 1 栃光 0 1 栃富士 0 1 豊國 3 12
成山 1 0 羽黒川 2 1 羽黒山 3 2 長谷川 1 7
花田 1 1 廣川 2 5 福田山 0 1 福の花 2 3
房錦 3 5 富士錦 8 5 藤ノ川 0 2 二子岳 1 3
星甲 1 0 前田川 1 5 松登 2 0 松前山 0 2
禊鳳 3 2 明武谷 3 5 陸奥嵐 1 1 豊山 1 3
義ノ花 6 5 若杉山 1 0 若浪 7 8 若鳴門 7 4
若羽黒 4 3 若二瀬 2 2 若前田 0 3 若見山 6 6
若吉葉 1 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

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  • 若天龍 辰夫(わかてんりゅう たつお)1955年5月場所 - 1960年7月場所
  • 若天龍 祐三(わかてんりゅう ゆうぞう)1960年9月場所 - 1969年7月場所

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 脊椎分離症により13日目から途中休場

関連項目

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