若狭高浜駅
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若狭高浜駅 | |
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駅舎(2009年8月) | |
わかさたかはま Wakasa-Takahama | |
◄若狭和田 (3.2 km) (2.5 km) 三松► | |
所在地 | 福井県大飯郡高浜町宮崎77-2 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■小浜線 |
キロ程 | 68.9 km(敦賀起点) |
電報略号 | タハ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
320人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1921年(大正10年)4月3日[1][2][3] |
備考 |
簡易委託駅 みどりの窓口有 (e5489サービス対象外・カード支払不可) |
若狭高浜駅(わかさたかはまえき)は、福井県大飯郡高浜町宮崎にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)小浜線の駅である。高浜町の代表駅である。
歴史
[編集]- 1921年(大正10年)4月3日:小浜線が小浜駅から延伸した際の終着駅として開業[1][2][3]。旅客および貨物の取扱を開始[4]。
- 1922年(大正11年)12月20日:小浜線が東舞鶴駅まで延伸[1]。途中駅となる。
- 1968年(昭和43年)10月5日:昭和天皇、香淳皇后が第23回国民体育大会に合わせて県内を行幸啓。若狭高浜駅発、豊岡駅行きのお召し列車が運転[5]。
- 1973年(昭和48年)3月15日:貨物の取扱を廃止[4]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる[6][4]。
- 2007年(平成19年)4月1日:複合施設「まちの駅ぷらっとHome高浜」との共同駅舎に改築[3][7]。
- 時期未定:みどりの窓口が営業終了〈予定〉[8]。簡易委託を解除し、無人化〈予定〉[8]。
駅構造
[編集]単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線[3]のホームを有する地上駅。北側の駅舎側に小浜方面のホームがあり[9]、互いのホームは跨線橋で連絡している。なお、駅舎は2007年(平成19年)4月に2階建ての複合施設として改築され、「ぷらっとHome高浜」の愛称を持つ[2][10]。
金沢支社が管理し、自治体が窓口業務を受託する簡易委託駅であるが、みどりの窓口が設置されている。窓口営業時間中、当駅に到着するワンマン列車はすべてのドアが開く。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■小浜線 | 下り | 小浜・敦賀方面[3] |
2・3 | 上り | 東舞鶴方面 |
- 付記事項
- 3番のりばのみ上下両方向からの入線・出発に対応するが、2018年3月改正時点では当駅での待避列車や始発列車の設定はなく、線路保守を兼ねて一部の上り定期列車が入線するのみとなっている。なお、毎年8月に実施される「若狭おおいのスーパー大火勢」の開催日は当駅始発の列車が設定される[11]。
- かつて運行された「わかさ」などの急行列車は当駅に停車し、多客期は「エメラルド」(名古屋発着)・「マリンわかさ」[注釈 1]・「マリンたかはま」・「味めぐりわかさ」などの臨時急行[注釈 2]が設定され、一部は当駅を始終着としていた[注釈 3]。急行「わかさ」の廃止後は、小浜まで延長運転を行った特急「まいづる」が当駅に停車していた。
利用状況
[編集]「福井県統計年鑑」によると、2019年(令和元年)度の1日平均乗車人員は320人である[12]。平日の主な利用者は学生であるが、海水浴シーズンには海水浴客が利用する。
各年度の1日平均乗車人員は以下の通り。
年度 | 定期外 | 定期 | 総数 |
---|---|---|---|
1921年(大正10年) | 304 | ||
1922年(大正11年) | 256 | ||
1923年(大正12年) | 398 | ||
1924年(大正13年) | 333 | ||
1925年(大正14年) | 391 | ||
1926年(昭和元年) | 382 | ||
1927年(昭和 | 2年)375 | ||
1928年(昭和 | 3年)388 | ||
1929年(昭和 | 4年)406 | ||
1930年(昭和 | 5年)365 | ||
1931年(昭和 | 6年)342 | ||
1932年(昭和 | 7年)342 | ||
1933年(昭和 | 8年)347 | ||
1934年(昭和 | 9年)332 | ||
1935年(昭和10年) | 301 | ||
1936年(昭和11年) | 330 | ||
1937年(昭和12年) | 414 | ||
1938年(昭和13年) | |||
1939年(昭和14年) | |||
1940年(昭和15年) | |||
1941年(昭和16年) | |||
1942年(昭和17年) | |||
1943年(昭和18年) | |||
1944年(昭和19年) | |||
1945年(昭和20年) | |||
1946年(昭和21年) | |||
1947年(昭和22年) | |||
1948年(昭和23年) | 1,016 | ||
1949年(昭和24年) | |||
1950年(昭和25年) | |||
1951年(昭和26年) | |||
1952年(昭和27年) | 1,100 | ||
1953年(昭和28年) | 1,003 | ||
1954年(昭和29年) | 1,084 | ||
1955年(昭和30年) | 1,162 | ||
1956年(昭和31年) | 1,262 | ||
1957年(昭和32年) | 1,272 | ||
1958年(昭和33年) | 1,398 | ||
1959年(昭和34年) | 1,376 | ||
1960年(昭和35年) | 1,502 | ||
1961年(昭和36年) | 1,557 | ||
1962年(昭和37年) | 1,613 | ||
1963年(昭和38年) | 1,622 | ||
1964年(昭和39年) | 1,633 | ||
1965年(昭和40年) | 1,677 | ||
1966年(昭和41年) | 1,762 | ||
1967年(昭和42年) | 563 | 1,086 | 1,649 |
1968年(昭和43年) | 547 | 1,032 | 1,579 |
1969年(昭和44年) | 534 | 939 | 1,473 |
1970年(昭和45年) | 536 | 924 | 1,460 |
1971年(昭和46年) | 547 | 821 | 1,368 |
1972年(昭和47年) | 531 | 835 | 1,366 |
1973年(昭和48年) | 837 | 805 | 1,642 |
1974年(昭和49年) | 836 | 788 | 1,624 |
1975年(昭和50年) | 777 | 751 | 1,528 |
1976年(昭和51年) | 750 | 696 | 1,446 |
1977年(昭和52年) | 502 | 725 | 1,227 |
1978年(昭和53年) | 457 | 501 | 958 |
1979年(昭和54年) | 439 | 459 | 898 |
1980年(昭和55年) | 637 | 577 | 1,214 |
1981年(昭和56年) | 424 | 553 | 977 |
1982年(昭和57年) | 660 | 884 | 1,544 |
1983年(昭和58年) | 631 | 868 | 1,499 |
1984年(昭和59年) | 599 | 657 | 1,256 |
1985年(昭和60年) | 402 | 357 | 759 |
1986年(昭和61年) | 449 | 481 | 930 |
1987年(昭和62年) | 307 | 418 | 725 |
1988年(昭和63年) | 298 | 440 | 738 |
1989年(平成元年) | 296 | 448 | 744 |
1990年(平成 | 2年)312 | 452 | 764 |
1991年(平成 | 3年)269 | 456 | 725 |
1992年(平成 | 4年)252 | 421 | 673 |
1993年(平成 | 5年)244 | 399 | 643 |
1994年(平成 | 6年)250 | 369 | 619 |
1995年(平成 | 7年)235 | 357 | 592 |
1996年(平成 | 8年)212 | 355 | 567 |
1997年(平成 | 9年)200 | 358 | 558 |
1998年(平成10年) | 188 | 342 | 529 |
1999年(平成11年) | 174 | 325 | 499 |
2000年(平成12年) | 160 | 254 | 414 |
2001年(平成13年) | 156 | 245 | 401 |
2002年(平成14年) | 162 | 243 | 405 |
2003年(平成15年) | 146 | 290 | 436 |
2004年(平成16年) | 128 | 290 | 418 |
2005年(平成17年) | 116 | 276 | 392 |
2006年(平成18年) | 114 | 275 | 389 |
2007年(平成19年) | 115 | 266 | 381 |
2008年(平成20年) | 112 | 267 | 379 |
2009年(平成21年) | 110 | 248 | 358 |
2010年(平成22年) | 109 | 265 | 373 |
2011年(平成23年) | 100 | 263 | 363 |
2012年(平成24年) | 94 | 259 | 353 |
2013年(平成25年) | 89 | 247 | 336 |
2014年(平成26年) | 92 | 231 | 324 |
2015年(平成27年) | 99 | 240 | 339 |
2016年(平成28年) | 94 | 231 | 325 |
2017年(平成29年) | 94 | 232 | 325 |
2018年(平成30年) | 97 | 229 | 326 |
2019年(令和元年) | 84 | 236 | 320 |
駅周辺
[編集]駅から少し離れた北側を国道27号が通り、駅前から福井県道236号高浜港高浜停車場線が延びる。町役場・交番・消防署分署・総合病院はこちら側に集約されており、商店や民宿などの宿泊施設が点在する。海水浴場は駅北側・駅西側・駅東側に1ヵ所ずつ設けられている。
駅南側の山に沿って小規模な住宅街がある。この住宅街の西側には体育館・野球場・郷土資料館・文化会館・図書館がある。
- 高浜町役場
- 地域医療機能推進機構若狭高浜病院
- 若狭消防組合若狭消防署高浜分署
- 小浜警察署高浜交番
- 高浜町文化会館
- 高浜町中央図書館
- 高浜町漁村文化伝承館
- 高浜町郷土資料館
- 高浜町中央体育館
- 高浜中央球場野球場
- 城山公園
- 若宮海水浴場
- 鳥居浜海水浴場
- 若狭高浜海釣り公園
- 望郷の石とあかり[13] - 石川県羽咋郡志賀町[注釈 4]から移設した、石と木造灯台のレプリカ。
- 高浜漁港
- 高浜城址
- 高浜市場きなーれ[14] - 駅に隣接する直売所
- 高浜交通 - タクシー営業所
- 高浜町立高浜小学校
- 高浜町立高浜中学校
- 国道27号
- 福井県道236号高浜港高浜停車場線
- 福井県道237号畑若狭和田停車場線
- ホテルルートイン大飯高浜
バス路線
[編集]駅前ロータリー内に「高浜駅前」停留所があり、京都交通の高浜線(高浜駅前 - 東舞鶴駅前)が発着する。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 朝日 2010, p. 10.
- ^ a b c 川島 2011, p. 57.
- ^ a b c d e 朝日 2012, p. 27.
- ^ a b c d 石野 1998, p. 148.
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、133頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 朝日 2010, p. 11.
- ^ 「地元”食”満載 1500人誕生祝う フグ汁販売や品評会 新「若狭高浜駅」プレオープン」『福井新聞』福井新聞社、2007年4月2日、朝刊、24面。
- ^ a b 「福井県内JR駅、新たに16駅無人化 北陸線の5駅はイコカ対応、2030年度までに」『福井新聞ONLINE』福井新聞社、2020年8月26日。オリジナルの2021年5月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ 川島 2011, p. 35.
- ^ “高浜町まちの駅の設置及び管理に関する条例”. 高浜町. 2023年4月21日閲覧。
- ^ 『JR時刻表』2015年8月号[要ページ番号]
- ^ “8.駅別JR貨客輸送状況(1日平均)” (XIS). 福井県. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “ご存知ですか?石川県志賀町と福井県高浜町の関係” (PDF). 高浜町. 2020年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月3日閲覧。
- ^ “高浜市場きなーれ”. 高浜市場きなーれ. 若狭高浜観光情報サイト 若狭高浜たびなび. 若狭高浜観光協会. 2023年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR48 小浜線 舞鶴線・七尾線 氷見線・城端線 越美北線』朝日新聞出版、2010年6月27日。
- 川島令三『【図説】日本の鉄道山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線 第2巻 北神戸・福知山エリア』講談社、2011年12月15日。ISBN 978-4-06-295152-4。
- 『週刊JR全駅・全車両基地06』朝日新聞出版、2012年9月16日。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 若狭高浜駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道