都市対抗を讃える野球の歌
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「都市対抗を讃える野球の歌」 | ||||
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三鷹淳の楽曲 | ||||
収録アルバム | 『古関裕而秘曲集 〜プレミアム編』 | |||
リリース | 1969年 (原曲発表:1949年) | |||
規格 | シングル盤 | |||
ジャンル | 体育歌 | |||
時間 | 3分09秒 | |||
レーベル | 日本コロムビア | |||
作詞者 | 青木薫 サトウハチロー(補作) | |||
作曲者 | 古関裕而 | |||
『古関裕而秘曲集 〜プレミアム編』収録順 | ||||
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毎日新聞社・日本野球連盟選定
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「都市対抗を讃える野球の歌」(としたいこうをたたえるやきゅうのうた)は、日本の都市対抗野球大会における2代目の大会歌として1949年(昭和24年)に制定された楽曲である。作詞・青木薫(渋田喜久雄)、補作・サトウハチロー、作曲・古関裕而。
解説
[編集]1927年(昭和2年)に創始された都市対抗野球大会では1934年(昭和9年)の第8回大会より「都市対抗野球行進歌」(作詞・小島茂蔵、作曲・古関裕而)を初代の大会歌として制定していたが、1949年(昭和24年)の第20回大会より毎日新聞社と日本社会人野球協会(のち日本野球連盟)の共同開催となったことを記念して2代目の大会歌を制定することになった[1]。以降、この「讃える歌」は2018年(平成30年)の第89回大会まで70年にわたり開会式の入場行進や試合の合間のインターバルの間に演奏(場内放送)され続けて来たが、2019年(令和元年)の第90回大会以降は社会人野球日本選手権大会と共通の新テーマ曲「我街(われら)の誇り」へ代替わりしている。ただし、同年以降も地方予選では引き続き「讃える歌」の方が演奏される場合がある。
歌詞は『都市対抗野球優勝物語』の巻頭に収められている[2]。
作詞者
[編集]作詞者の青木 薫(あおき かおる)は発表当時に福岡県糟屋郡古賀町(現在の古賀市)在住で、昭和初期に「渋田黎明花」の筆名で時代小説作家として活動した渋田喜久雄(1902年 - 1978年)が生前に用いた様々なペンネームの一つである。古賀町役場の広報紙に渋田本人が「梅田健」のペンネームで連載していたコラムの最終回においては、過去に「ざっと1200篇」を作詞した中の1曲として「都市対抗野球大会歌」を挙げている[3]。
音源
[編集]制定時の創唱者は伊藤久男で、歌唱を吹き込んだテスト盤(PR448A)の製造が確認されているが市販・PRの別を問わずSP盤のプレス頒布は確認されていない。その後、1969年(昭和44年)の第40回大会開催に合わせて日本コロムビアが三鷹淳の歌唱(事実上のカバー)を吹き込んだシングル盤を製造した。
しかし、同じく古関裕而が作曲した初代の「行進歌」は初期作品として『国民的作曲家 古関裕而全集』(規格品番:COZP-375〜381)を始め2000年代以降に何度もCDへ収録されたのに対し、実際に大会歌として演奏されて来た期間では2代目の「讃える歌」の方が「行進歌」を大きく上回るにもかかわらずCDへの収録は長らく行われず、2021年(令和3年)発売の『古関裕而秘曲集 〜プレミアム編』(COCP-41539〜40)ディスク1のトラック21で初めて収録が実現している[4]。
出典
[編集]- ^ 毎日新聞(大阪本社版)、1949年7月4日付2面「都市対抗を讃える野球の歌入選決る」。
- ^ 小川正太郎、鈴木美嶺、松尾俊治『都市対抗野球優勝物語』(ベースボール・マガジン社〈スポーツ新書〉、1956年)。NCID BA58555398
鈴木美嶺『都市対抗野球優勝物語』第2版(恒文社、1977年)。ISBN 978-4-7704-0242-4 - ^ 梅田健「酔筆講談 ペン一本無茶修業」第19回、古賀町役場『広報こがまち』1967年12月1日号, p8。
- ^ 古関裕而秘曲集 〜プレミアム編(日本コロムビア)。アルバム収録時の表題は「都市対抗野球を讃える歌」とされている。
関連項目
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