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小右記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野府記から転送)

小右記』(しょうゆうき / おうき)は、平安時代公卿藤原実資の日記。「小右記」とは小野宮右大臣(実資のことを指す)の日記という意味。全61巻。全文が漢文で書かれている。『野府記』(やふき)ともいう。

概要

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後世に残されたもののうち、三条西家所蔵本には『小右記』、伏見宮家所蔵本には『野府記』という書名が付けられており、近世以後の写本・刊本はそのいずれかの系統に依拠するところが大きかったために、両方の書名が並存した。更に祖父・実頼の『水心記』[1]を継ぐという意味で『続水心記』という呼称も用いられるなど、異名が多い[注釈 1]。もっとも、これらは全て実資の没後の命名であり、実資自身は『暦記』と呼称していた。これは原本が具注暦の余白に書かれたことに由来すると考えられ、当時の貴族の日記に広く見られる呼び名である。原本は伝わっておらず、著名な写本には伏見宮本、前田本、九条本の古写本のほか、江戸時代の新写本として東山御文庫本、内閣文庫本がある[2]天元元年(978年)頃から書かれたとされるが、現存するのは天元5年(982年)~長元5年(1032年)の部分であり、途中の欠巻も多い。1033年以降には索引となる「小記目録」が作成されており、これは20巻中18巻が現存する[2]

内容

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60年間上級公卿として朝廷に参画した実資による政治、宮廷の儀式、故実の詳細な記録が書かれたもので、平安時代、特に藤原道長頼通の全盛時代の社会を知るうえで大変重要な史料である[2]。一日の記録が長く、内容も具体的で実資の感想も含めて書かれているのが特色である[2]。人物評は全体的に辛口であり、実力者であった道長を始めとする貴族たち、また天皇に対しても痛烈な批判が記されている。道長の日記『御堂関白記』、藤原行成の『権記』、源経頼の『左経記』とともにこの時代を知るうえでの一級資料とされている[3]

記録の一例

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  • 長和三年(1014年)には三条天皇が実資の養子資平蔵人頭に任じると約束したが、それを反故にして藤原兼綱を任じた。実資は三条天皇の態度に憤慨し、「後々、私のことは頼みにしないでもらいたい」と不信感を記している[4]
  • 長和三年四月十三日、藤原隆家は三条天皇から、「今日参上した道長は大変不機嫌であった。私の調子がよいのを見て不機嫌になったのであろう。」と告げられている。隆家からこのことを聞いた実資は、道長を「大不忠の人」と非難している[4]
  • 寛仁二年十月十六日条は、土御門殿で開かれた中宮藤原威子の立后の式典と、その後の祝宴について書かれている。この日、道長は「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」という和歌を読んでいるが[5]、実資が和歌を書き残すことも、二次会である穏座に出席することも大変珍しいことであった[6]。実資は道長から返歌を求められていたが、「御歌優美なり」と答えて、列席した公卿たちとともに唱和することを提案している。この歌は後に道長が権勢を誇った歌であるとして考えられ、実資の行動も批判的なニュアンスがあったものであるとするという解釈が一般的に取られている[4]。一方で倉本一宏は「たんなる座興の歌」であり、道長にも実資にも深い意図があっての行為ではないとしている[4]
  • 殿上において、暑さに堪えきれずに氷水[注釈 2]を飲んだ話[7]
  • 自邸に蜂が巣を作ったので蜂蜜[注釈 4]を採集した話
  • 藤原忠国という大食いで評判の男を召して、飯6升を食べさせた話

公刊本

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参考文献

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  • 桃裕行 「小右記諸本の研究」(初出:『東京大学史料編纂所報』第5号、東京大学史料編纂所、1971年) - 『桃裕行著作集 4』に再録(思文閣出版、1988年)
  • 黒板伸夫監修・三橋正編『小右記註釈 長元四年』上・下、小右記講読会発行、八木書店(販売)、2008年
電子公開版
  • 読み下し文は国際日本文化研究センター「摂関期古記録データベース」で公開されている。
  • 東京大学史料編纂所のデータベースから原文を読むことができる。
    • 東京大学史料編纂所→データベース検索→データベース選択画面→古記録フルテキストデータベース画面」で検索語句を入力すると、検索語句のある頁が表示される。

脚注

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注釈

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  1. ^ 上記以外の知られている異名として、『小野宮右大臣記』・『小野右府記』・『小右相記』・『小野宮殿御記』・『小野宮記』・『小記』・『後小野宮右大臣記』・『後小野宮右府記』・『後小野宮記』・『後小野記』・『後小記』・『実資大臣記』・『実資記』・『続水真記』・『野略抄』・『野記』などがある。
  2. ^ 氷室に蓄えてあったもの。当時氷は非常に貴重なものであった。
  3. ^ この年は降水量が少なく、仁海が祈雨法を修して雨を降らせたことで知られる。
  4. ^ なめてみたら極めて甘かったと記されている。当時はまだ砂糖がなく、甘味といえば水飴)か甘葛の煮汁ぐらいしかなかった。

出典

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  1. ^ 清慎公記
  2. ^ a b c d 吉田早苗「小右記」『日本大百科全書(ニッポニカ)』https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E5%8F%B3%E8%A8%98コトバンクより2024年11月24日閲覧 
  3. ^ 吉岡真之「小右記」『日本大百科全書(ニッポニカ)』https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E5%8F%B3%E8%A8%98コトバンクより2024年11月24日閲覧 
  4. ^ a b c d 倉本一宏 (2024年11月17日). “「この世をば…」栄華を極めた道長が詠んだ歌の背景を時代考証が解説!”. 現代新書. 2024年11月24日閲覧。
  5. ^ 宇野俊一ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 講談社、1991年、185頁。ISBN 4-06-203994-X
  6. ^ をしへて! 倉本一宏さん ~この世をば! 一家三后と藤原道長の「望月の歌」 - 大河ドラマ「光る君へ」”. 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK (2024年11月17日). 2024年11月17日閲覧。
  7. ^ 寛仁二年五月二十一日条1018年7月6日[注釈 3]

関連項目

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