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相田翔子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木敬子から転送)
相田 翔子
生誕 (1970-02-23) 1970年2月23日(54歳)
出身地 日本の旗 日本東京都東村山市[1]
学歴 文華女子高等学校
ジャンル アイドル歌謡曲J-POP
職業 女優歌手タレント
担当楽器 ボーカル
活動期間 1988年 -
レーベル ポリスター
(1988年-1998年[注 1]
地中海
(2003年-2004年)
UP-FRONT WORKS
(2011年)
zetima
(2013年 - )
事務所 アップライトミュージック
(1988年 - 1994年)
P-Artists
(1994年 - 1996年)
BIG J
(1997年 - 1999年)
アップフロントプロモーション[注 2]
(2000年 - 2013年)
アップフロントクリエイト
(2013年 - )
共同作業者 門倉聡
村上"ポンタ"秀一
公式サイト 相田翔子オフィシャルサイト:Blue Star
相田翔子 オフィシャルブログ

相田 翔子(あいだ しょうこ、1970年2月23日[2] - )は、日本の女優歌手タレント。本名非公開[注 3]。別名、鈴木敬子[3][注 4]1988年から1996年まで活動したアイドルデュオWink(活動停止済み)のメンバー。

東京都[4]東村山市出身。血液型はB型。所属事務所アップフロントクリエイト

夫は相澤宏光。義父(夫の父)は相澤英之、義母(夫の母)は司葉子。義兄(夫の兄)は相澤英孝。義姉(夫の兄の妻)は塩川美佳

略歴

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幼少期から芸能界デビュー(1970年 - 1988年)

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芸能界にデビューして一人暮らしを始めるまで、家族と共に東京都東村山市で育つ[5]

子供の頃は、やんちゃでイタズラ好きだったという。3歳の時、肥溜に落ちて偶然通りかかった姉と友達に助けられたことは、トーク番組でよく話題にされる[6]。歌が好きで、よく姉とピンク・レディー等の歌を歌っていた[7]。ピンク・レディーではケイのファンであった[8]。小学校低学年の頃、近所の友達を集めて草芝居を行うなど活発な少女だった[8]。しかし、幼少期は知らない人の前で何かをすることができず、芸能界への憧れはまるでなかったという[8]

中学時代クラッシュギャルズに憧れ、入団テストを受けるためトレーニングをしていた[5]全日本女子プロレスのオーディションに数回応募するが、いつも不合格で断念する。

中学2年生(当時14歳)の時に、友人の応募でオーディションを受けたことがきっかけで、渋谷で芸能プロダクションのマネージャーにスカウトされたのち、芸能プロダクションに所属、歌手としてのレッスンを受け始める[8]。母はかつて歌手に憧れていたためその夢を応援したが、父は芸能界への不安から反対した[8]。そのため当面はモデルとして活動し、歌手デビューは高校進学後にと事務所と話し合っていた[8]

高校時代は複数のアルバイトを経験。紙袋をつくる内職 → 工場で冷凍ラビオリなどの箱詰め(姉と共に) → 惣菜屋(秋津商店会) → ハンバーガーショップ(高校2年から) → 居酒屋(新秋津駅前) → パン屋「サントアン」(新秋津駅前)の順で働いた[9][10][11]

高校2年生(当時16歳)の時にソロ歌手としてのデビューが予定されていたが、校則で禁止されていることを理由に辞退[7]堀越高等学校への転校も考えたが、多くの芸能人が並ぶ中でのプレッシャーに耐えられないと考え、断念[8]。すでにデビュー曲はレコーディングも済んでおり、現在の感覚で言えば訴訟沙汰にもなりかねない事態であったが、当時の事務所の社長の配慮もあって大事には至らなかった[8]。本人はこの選択を後悔しておらず、後年の談話では、その時デビューしていたら自己主張できず、消えただけだろうと語っている[8]。なお、「幻のデビュー曲」となったこの楽曲は、歌手桑田靖子が歌っていそうな硬派な路線で、翔子は大変気に入っていたという[12]

1987年9月、ワニブックス社の雑誌『UP TO BOY』の第9代ミスアップ・グランプリを受賞(第7代グランプリが後にWinkとしてデュオを組むことになる鈴木早智子)。

Wink時代(1988年 - 1996年)

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1988年4月、高校卒業後に鈴木早智子とWinkを結成し、CX系ドラマ『熱っぽいの![注 5] 主題歌「Sugar Baby Love」で歌手デビューする。デビュー当時は、頼りなさげな素人っぽい雰囲気を残し、ブレイク前の1988年夏のキャンペーンでは観客が入らず、楽屋で泣くこともあったという[8]。1歳年上の鈴木早智子を「明るくて凄い優しい人だなって思って。お姉ちゃんと同じ歳で相談とかできていいんじゃないかなと」と慕う一方、「どんどん勉強して実力をつけて。あと、自分の書いたもの(註・詞だそうです)を人に見てもらえる位になりたい」と作詞に対する意欲を語っている[13]

1988年11月、シングル3作目となるCX系ドラマ『追いかけたいの![注 5] の主題歌「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」でブレイクを果たす。以降、1990年3月にリリースされた「Sexy Music」まで5曲連続オリコンチャート1位を獲得した。この間人気は頂点に達し、トップアイドルの仲間入りを果たす[8]。さらに、ブレイク後の1989年12月には同年7月にリリースされたシングル5作目となる「淋しい熱帯魚」で第31回日本レコード大賞を受賞している。

Wink時代、特に全盛期には無表情でほとんど笑わないアイドルとして知られ、当時の所属事務所からは、笑うよう叱責されていた[5]。本人は「当時は突然の人気に戸惑い、ずっと緊張が解けなくて笑うことができなかった」と回想している[8]。その一方で、オルゴール人形のように無表情で独特な振り付けは、Winkのキャラクターとして定着していく。気負いのない素直な振舞いは、時にやる気がないとバッシングを受けることもあったが、本人はWink時代を通して音楽に打ち込み、挑戦を重ねてきた。また、周囲に媚びを売らず大人の対応をするように教えられたことはありがたかったと後に感謝の意を述べている[8]。アルバムのソロ楽曲では、ノーランズジョン・レノンベット・ミドラーチャカ・カーン等、海外アーティストのカヴァーを積極的に取り上げ、歌手としての表現の幅を広げる(「#Wink時代のソロ楽曲」を参照)。さらに中期以降は、アルバムごとに自作曲を発表するようになる。1993年のアルバム『Αφροδιτη(アプロデーテ)』に収録された「おしえて」は、しっとりとしたバラードの曲想にのせて、切ない恋心を歌い上げた佳曲である。また、1994年のアルバム『voce』に収録された「裸足のマリオネット」は、ボサノヴァ志向を明らかにし、後のソロ活動を予見させるものとなった(「#Wink時代の自作曲」を参照)。

1995年3月、ソロ・プロジェクトに着手する[要出典]そして、ソロ活動とのけじめをつけるため[要出典]、1996年3月をもってWinkとしての活動を停止する。アイドルユニットとしては異例の長期にわたるWink時代の約8年間は、あらゆる意味で鈴木早智子との厚い友情と周囲の熱意に支えられたものであり、自らの芸能活動の原点となったWinkについて、本人は「夢のようで刺激的で濃厚で鮮烈」なものだったとし、今でもWinkやその楽曲を大事に思うファン、当時のスタッフ、そして「早智子とじゃなければ私には出来なかったこと」と語っている[14]。また、鈴木との仲についても、「Wink時代から不仲であり、それが原因で活動を停止した」という説が囁かれたこともあったが、実際には活動停止後も会ったり電話で話したりする機会も多く、自身の結婚式にも招待するなど、現在も交流は続いている。

本格的なソロ活動開始とマイペースな音楽活動没頭(1996年 - 1998年)

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Wink活動停止直後の2年間は、マイペースな音楽活動に没頭した時期である。解散の際に1人では何もできないと感じて引退も決意していたが、事務所にそれを伝えたら、相田には作詞と作曲があるではないかと言われて思いとどまった[8][注 6]。この時期の音楽活動の成果は、全曲自作曲による2枚のソロ・アルバム『JÓIA』(1996年5月25日)と『Luz』(1997年5月25日)に結実される。

この時期、自分自身と向き合い、安らげる音楽を求めて模索を続けながら、辿りついたのはボサノヴァであった。ボサノヴァ界の大御所として知られるセルジオ・メンデスやベン・ウィットマンのプロデュースを得た『JÓIA』は、ボサノヴァ風のサウンドを基調とする本格的なアコースティック・サウンドを目指したかなりの意欲作である。しかし、これらのアルバムは必ずしも一般受けするものとはいえず、商業的な成功を収めることはできなかった。この時期の活動について、本人はアーティストであることにこだわり過ぎていたという。そして「表現者である限り、恥をかいてもいいから、もっとありのままの自分を表に出していこう」と決心する。この強い決意がバラエティ番組等への進出への大きなターニングポイントとなる[7]

1996年1月21日世界ウルルン滞在記毎日放送)にレポーターとして初めて出演したことで、たまたまその様子をTVで観たFM AICHIのディレクターが4月からのワイド番組のパーソナリティ候補を探していたタイミングと重なり、ポリスター・レーベルの当時の名古屋担当者に、「翔子さんのしゃべりいけると思うので、毎週名古屋に来て貰えないっすか?」と相談し、トントンと話が進み同年の4月からP-POP STATION FESTANOONのパーソナリティを務めることに。

バラエティ進出から現在(1998年 - )

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1998年11月、MBS製作・TBS系列のテレビ番組『世界ウルルン滞在記』に出演、旅先での思い切りのよいレポートは好感をもって迎えられ、1999年4月からは同番組の司会に起用される。また、2000年7月に日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』にゲスト出演し、天然ボケといわれる独特のキャラクターで注目されるようになる。

以降、『笑っていいとも!』、『メレンゲの気持ち』、『いいはなシーサー』等、数々のバラエティ番組で司会、レギュラーを務めるとともに、『花とアリス』、『七色のおばんざい』等の映画やドラマにも出演し、女優・TVタレントとしても幅広く活躍している。また、音楽活動も精力的に展開しており、地中海地域の音楽および往年のフレンチ・ポップスをカヴァーしたアルバムを発表したり、2004年以降『晩餐ライブ』と題してライブを開催している。現在は芸能事務所「アップフロントクリエイト[注 7]に所属し、アップフロントワークス(zetimaレーベル)からCD、およびデジタル・ダウンロードシングルをリリースしている。

2006年10月28日公開の映画『虹の女神 Rainbow Song』には、年下の主人公を翻弄する恋人役で出演した。もう若くはないことを自覚し、年齢を偽ってでも可愛いらしく振舞い、主人公の気を惹こうとする女の悲しい性を丹念に表現、『キネマ旬報』2006年11月下旬号では、「年齢不詳の女の持つ迫力をまざまざと見せつけてくれたのは衝撃ですらあった」と評された。

また、舞台出演に関しては、2007年9月に大阪松竹座で公演された『蝉しぐれ』(藤沢周平原作)で、幼馴染である主人公への一途な想いを抱きつつ、藩主の側室となったお福役を演じるとともに、2008年1月には、日本モンゴル親善特別公演『ジンギスカン〜わが剣、熱砂を染めよ〜』に、主人公のライバルの許婚でありながら、互いに惹かれあう主人公とそのライバルとの対決に心を痛める女性として出演していた。

2008年7月31日、医師の相澤宏光と婚姻届を提出した。同年10月30日に東京・芝公園のザ・プリンス パークタワー東京で披露宴を開いた。2012年1月13日、第1子となる女児を出産した。予定日より約2か月早く1866gの体重だった。

2013年9月4日、デビュー25周年記念企画の一環として制作され、『Luz』以来およそ16年4か月ぶりとなる3枚目のオリジナル・アルバム『This Is My Love』をリリースした[15][16]

人物

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文華女子高等学校卒業。身長は160cm[4][注 8]、足のサイズは21.5 cm。

家族は、父・母・1歳上の姉で、相田自身は「ユーモアがあって冗談をよく言う父、いつも明るく太陽のように笑っている母、親友のような姉」と紹介している。実家は自営業(タイル)。母方の郷里は福島県福島市[17]。家族思いで、2005年に母を亡くした直後に出演した『徹子の部屋』では、「還暦を迎えた母のために開いたパーティーで泣いて喜んでくれた」と涙ながらに語った[18]。夫の宏光は、元衆院議員・相澤英之と女優・司葉子の三男。

子供の頃は『吉田照美のてるてるワイド』(文化放送)のリスナーだったこともあり、同番組のイベント『ルミちゃん田んぼ』の参加者に当選して参加したことがある[19]

おっとりとした外見とは裏腹に、「表現者として歌を歌うことやお芝居を演じることは、多くの人に夢を与えるものでないといけないと思う。そのためには、大袈裟かもしれないけど、命がけなんです」と仕事に対してひたむきな姿勢を示している[20]。音楽に対するこだわりも強く、女優、司会業など幅広く手がけるようになっても、自分のベースにあるのは音楽であり、「不器用な性格だからこそ、音楽という表現方法は欠かせないものなんです」と語っている[21]

その一方、子供の頃から引っ込み思案で人見知りが強く、人前に出るのが苦手だったため、自分は芸能界には向いていないと思っていたという[7][22]。Wink時代末期には、疲労とストレスの連続から突発性難聴になり、自信を失って引退を考えたことや、ソロ活動を始めてからも、周囲に迷惑をかけているのではないかと心配で、落ち込むことが多かったことなども告白している[23][24]

女優、歌手、タレントに及ぶ自らの芸能活動について、テレビ番組への出演は、素の自分を表現できる場として大切にしたいという。また、自分で曲を作って歌うことは、うまく口に出せない感情も表現できるので、ライフワークとしてずっと続けていきたいと考えている[25]。一方、ここ数年はバラエティ番組への出演が減っており、女優としての活動が目立ってきている。「今は本当に恵まれた環境で仕事ができることを実感しているんです。でも、もっと追いこまれる場所で仕事をしてみたい。大きな壁にぶつかってそれを乗り越えることで、自分自身も見えてくるし、周囲からも理解されると思うから」という[26]

趣味
多趣味かつ個性的な趣味の持ち主であり、夢中になると自分の世界に入り込んでしまう性格である。
  • 料理:食べるのも作るのも大好きで、仕事柄外食が多いときは、自宅では野菜をたっぷり煮込んで体に優しい食事を心掛けているという。酒も好きで、果実酒作り、ブランデーウォッカを使って自家製の梅酒を漬けており、作家の島田雅彦と料理本について対談したこともある[27]
  • 陶芸:料理好きが高じて2007年の春に友人に誘われて陶芸をはじめる。ずっと憧れていた世界に足を踏み入れ、熱中している。和食器が好きで、自作のお皿に創作料理を盛り付けることが一番の夢だという[28][29]
  • ペットを愛する著名人として、ネスレ・ピュリナ・ペットケアの第1回『ペットケア・アワード』を受賞している(2002年9月2日)。
  • 現在、「スキー技術検定2級」の資格を取得している。
恩師
高校2年の夏休みに、サイクリング部の先生の引率で、3人の友人とともに、苫小牧から東京まで16日間の自転車旅行をしたことは、高校時代の忘れ得ない思い出だという[30]。その時の恩師が、高校を定年退職後に中国北京外国語大学へ留学し、中国版『ロミオとジュリエット』と言われる『梁山伯祝英台伝説』(梁山伯と祝英台)について調査・研究を行い『梁山伯祝英台伝説の真実性を追う』という本を出版した渡辺明次で、翔子はその本に推薦の言葉を寄せている。

出演

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※ すべて単独での出演。Winkとしての出演番組、CMなどはWinkを参照。

音楽・バラエティ・トーク・教養・情報・ミニ番組など

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※ 太字の番組タイトル名はレギュラー出演の経緯がある番組。
※ 細字の番組タイトル名は不定期およびゲスト出演などの経緯がある番組。
※ ◎印の付いた番組タイトル名は不定期特別番組。☆印の付いた番組タイトル名はミニ番組。

テレビドラマ

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※ ドラマ全リスト中、太字メインタイトルは主演作品

テレビアニメ

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ラジオ

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映画

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劇場用アニメ

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舞台

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コンサート

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CM・広告

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ディスコグラフィ

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アルバム

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  1. Delphinium1992年5月25日 ポリスター PSCR-1052)- Wink在籍時代のミニ・アルバム
  2. JÓIA1996年5月25日 ポリスター PSCR-5455)- 全曲自作曲によるオリジナル・ファースト・アルバム
    • Do-Sol(作詞:芹沢類・相田翔子 作曲:相田翔子)
    • Jóia(作詞:芹沢類・相田翔子 作曲:相田翔子)
    • サヨナラしかあげない(作詞:種ともこ 作曲:相田翔子)
    • i Julia(作詞・作曲:相田翔子)
    • AFRICA(作詞・作曲:相田翔子)
    • Vellrina 〜真珠〜(作詞・作曲:相田翔子)
    • CORAÇÃO 〜コラソン〜(作詞:芹沢類 作曲:相田翔子)
    • 魚になりたい(作詞・作曲:相田翔子)
    • i Julia -instrumental version-(作曲:相田翔子)
    • Blue Lagoon(作詞・作曲:相田翔子)
  3. Luz1997年5月25日 ポリスター PSCR-5603)- 全曲自作曲によるオリジナル・セカンド・アルバム。
    • Intro 〜新しい水(ギター:ホメロ・ルバンボ)
    • 愛された薔薇(作詞・作曲:相田翔子 編曲:門倉聡
    • 3,2,1 and 0(作詞:かの香織 作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
    • 目覚めましょう(作詞:相田翔子 作曲:相田翔子・渡邉浩世 編曲:門倉聡・ホメロ・ルバンボ)
    • Andy(作詞・作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
    • 始まりは東の空(作詞・作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
    • 朝の光(作詞・作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
    • 裸で眠りましょう(作詞・作曲:相田翔子 編曲:河越重義)
    • 熱砂(作詞:かの香織 作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
    • 0:00 a.m. 〜午前0時(作詞・作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
    • 太陽の国(作詞:相田翔子 作曲:相田翔子・渡邉浩世 編曲:門倉聡)
  4. C'est・mon・・na 〜Best of Shoko Aida2002年1月30日 ポリスター PSCR-6006)- ベスト・アルバム。1996年の未発表作品「冷たい月の夜」など、全15曲を収録。
    • 冷たい月の夜(作詞・作曲:相田翔子 編曲:戸田誠司
  5. PARIS, JE T'AIME D'AMOUR2003年1月29日 地中海/ゼティマ EPCE-2020)- 1960年代から1970年代のフレンチ・ポップスを中心に選曲されたファースト・カヴァー・アルバム。ユーロ・テイストにリメイクされた自作曲「Blue Lagoon」を収録。
  6. To pathos2003年11月27日 地中海/ゼティマ EPCE-2013)- セカンド・カヴァー・アルバム。ギリシャの曲が多く含まれている。
    • デン・イメ・エドー 〜わたしはもうここにいない〜 Δεν είμαι εδώ(原曲:コンスタンティーナ)
    • ト・パトス 〜情熱〜 O Pastor(原曲:マドレデウス)- ギリシャ語版を収録
    • はかない愛だとしても Il me dit que je suis belle(原曲:パトリシア・カース)
    • 哀しみの影 Yesterday Yes a day(原曲:ジェーン・バーキン
    • わたしたち20才 Questi vent'anni miei(原曲:カトリーヌ・スパーク
    • グリスビーのブルース Le Grisbi(原曲:ヴィクター・ラズロ)
    • 悲しみの兵士 Les hommes(原曲:シルヴィ・ヴァルタン
    • 太陽のとびら Alle porte del sole(原曲:ジリオラ・チンクェッティ
    • ジー・オー・ユーダス Ζει ο Ιούδας(原曲:コンスタンティーナ)
    • ホリース・フテラー 〜翼もないのに〜 Χωρίς φτερά(原曲:コンスタンティーナ)
  7. Song Selection 〜25th Celebration〜2013年6月5日 ポリスター PSCR-6245/6)- デビュー25周年記念企画の一環として制作されたベスト・アルバム。SHM-CD仕様。
    ソロ・シングル「JÓIA」「ゆりかごを揺すられて」など、CD2枚組+DVD、全30曲を収録。
  8. This Is My Love2013年9月4日 ゼティマ/アップフロントワークス EPCE-5985)- 先述の『Luz』以来、およそ16年4か月ぶりとなるオリジナル・サード・アルバム。デビュー25周年記念企画の一環として制作された。

シングル

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※ タイトルが太字の楽曲はデュエット曲

  1. i Julia(作詞・作曲:相田翔子 編曲:ベン・ウィットマン)- 1996年1月20日 バウンス・レコード bounce-0020
    • c/w Shake Your Heart(作詞:相田翔子 作曲:河越重義 編曲:ベン・ウィットマン)
  2. Jóia(作詞:芹沢類、相田翔子 作曲:相田翔子 編曲:ロビー・ブキャナン)- 1996年4月25日 ポリスター PSDR-5255
    • c/w 魚になりたい(作詞・作曲:相田翔子 編曲:ロビー・ブキャナン)
  3. 裸で眠りましょう(作詞・作曲:相田翔子 編曲:河越重義)- 1996年8月25日 ポリスター PSDR-5265
    • c/w 愛された薔薇(作詞・作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
  4. ゆりかごを揺すられて(作詞:戸沢暢美 作曲・編曲:門倉聡)- 1998年5月2日 ポリスター PSDR-5296
    • 映画『プライド・運命の瞬間(とき)』イメージソング
    • c/w SOCHINA 〜愛の想い出(作詞:甲谷ジロウ 作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
  5. ナチュラル〜抱きしめてこのままで〜(作詞:まことつんく 作曲:根本要 編曲:光田健一)- 2000年5月17日 ゼティマ EPCE-5057
  6. クレタの白い砂(作詞:三浦徳子 作曲:馬飼野康二 編曲:佐藤準)- 2004年4月28日 地中海/アップフロントワークス EPCE-2024
    • 因幡晃とのデュエット
    • c/w 純愛・アフロディーテ(作詞:三浦徳子 作曲:馬飼野康二 編曲:佐藤準)
  7. 夜明けの雨はピアニッシモ(作詞:岩里祐穂 作曲:羽場仁志 編曲:佐藤準)- 2004年11月17日 地中海/アップフロントワークス EPCE-2029
    • c/w もっとありのまま(作詞:相田翔子 作曲:羽場仁志 編曲:佐藤準)
  8. 一輪(作詞:相田翔子 作曲・編曲:吉田次郎)- 2011年12月7日 アップフロントワークス

Wink時代の自作曲

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※ アルバム『Delphinium』収録曲については上記を参照

  1. さよなら 小さなCrybaby(作詞:KEIKO 作曲:羽場仁志 編曲:船山基紀
  2. Tears(作詞:及川眠子 作曲:KEIKO 編曲:門倉聡
    • 7枚目のアルバム『Sapphire』(1991年11月25日 ポリスター PSCR-1036)に収録
    • ペンネーム「KEIKO」名義
  3. おしえて(作詞・作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
  4. 愛を込めて(作詞・作曲:相田翔子 編曲:小林信吾)
  5. 兵士の休日(作詞・作曲:相田翔子 編曲:門倉有希)
  6. 裸足のマリオネット(作詞・作曲:相田翔子 編曲:門倉聡)
  7. 海に輝いて(作詞・作曲:相田翔子 編曲:岩崎琢

Wink時代のソロ楽曲

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  1. ジャスミンは哀しい香り
  2. 冬のフォトグラフ
  3. Baby Me(原曲:ホーリー・ナイト "Baby Me")
  4. ひきとめないで(原曲:デビー・ハリー "You got me in trouble")
  5. 夏服のジュリエット 〜Dos Hombres〜
  6. 銀星倶楽部 〜I'm In Mood For Dancing〜(原曲:ノーランズ "I'm in the mood for dancing")
  7. 真冬の薔薇
  8. Mysterious 〜真夏の夜の夢〜
  9. 夜の月、昼の月(原曲:ベット・ミドラー "Night and day")
  10. Get My Love
  11. Like A Bird
  12. Celebration(原曲:ヴァネッサ・ウィリアムス "Save the best for last")
  13. 夏に会えなくて
  14. 三日月の夜の小鳥たち(原曲:フォリナー "I want to know what love is")
  15. AIN'T NOBODY 永遠の恋人(原曲:チャカ・カーン "Ain't Nobody")

その他の楽曲

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  1. ほたる列車(作詞・作曲:つんく 編曲:渡部チェル)- 2004年3月
    • 映画『ほたるの星』挿入歌
    • 映画の中で1コーラスのみ使用されただけで、正式な音源は未発売となっている。
  2. あなたとの別れ詩(作詞:つんく 作曲:三木たかし 編曲:川村栄二)- 2006年9月
    • 劇団シニアグラフィティ 昭和歌謡シアター『時の流れに身をまかせ』劇中歌
    • 『時の流れに身をまかせ』劇場パンフレット付属のCDにのみ収録。
  3. 情熱の花(作詩:B. Botkin・G. Garfield・P. Murtagh 訳詩:音羽たかし水島哲 作曲:L. V. Beethoven 編曲:宮崎誠)- 2016年9月7日 キングレコード KICS-3419[49]
  4. Twinkle Twinkle 2017(作詞:秋元康 ラップ作詞:深田充宏 作曲:ジェイムス下地 編曲:JUVENILE) - 2017年6月28日 よしもとアール・アンド・シー
    • 相田翔子 feat. オリエンタルラジオ名義。Wink時代の楽曲のセルフ・カヴァー。配信限定シングル(現在は配信終了)
  5. 永遠に愛する人(作詞・作曲:相田翔子)- 2019年6月
    • 1999年頃に録音していたデモ・テープ(カセット)[51]に入っていた楽曲で、2019年のライヴ[52]で初披露した。
    • 定期的にライヴで演奏される曲だが、現在、正式録音がなされていない。
  6. 星座の道標(作詞:相田翔子 作曲:大西亜里)- 2020年4月
  7. 希望(ひかり)(作詞:金坂テッセイ 作曲:相田翔子 編曲:中村修司)- 2022年6月
    • 金坂テッセイとデュエット。FMくらしき「テッセイのそうじゃ総社!」に出演したことがきっかけとなり、制作した楽曲。未商品化。

参加曲

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  1. 愛は勝つ(作詞・作曲:KAN)- 2011年6月 ゼティマ/アップフロントワークス EPCE-5796
    • がんばろうニッポン 愛は勝つ シンガーズ名義として参加

楽曲提供

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  1. 花の予感(作詞:及川眠子 作曲:相田翔子 編曲:坂本昌之)- 1997年3月20日 日本コロムビア COR-14079

出版

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DVD

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写真集

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エッセイ

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書籍

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脚注

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注釈

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  1. ^ Wink在籍時代を含む。
  2. ^ 2012年9月30日まではアップフロントエージェンシー名義。
  3. ^ 東京ニュース通信社の『TVスター名鑑』を例にすると、1993年版(1993年10月20日発行)から1996年版(1995年10月25日発行)の「Wink」の項では「相田翔子」が本名とされ、また、この名鑑に「相田翔子」が立項された2002年版(2001年12月1日発行)以降の版では一貫して本名記載箇所に本名が記されていない。1988年4月27日発売のWinkのデビュー・シングルCDSugar Baby Love」裏ジャケットにも「相田翔子」が「本名」と記されているなど、公式には、Winkの活動期間中は本名が「相田翔子」、少なくとも2001年以降には本名が非公開となっている。
  4. ^ 「鈴木敬子」が本名か否かを公表している媒体は未確認。ただし、Winkの写真集『Double Tone』(ワニブックス、1989年8月10日)にWinkの「2人の本名はどちらも鈴木」と記されている。
  5. ^ a b 主演は南野陽子
  6. ^ 相田は、2017年8月27日(日)放送の『マルコポロリ』(関西放送)で、Wink活動停止後の「2年間、本当に、休ませていただいた、あの、テレビ一切出ないで」と語ったが、Wink活動停止後の1990年代において相田がテレビに出演しなかった年は存在せず、事実ではない。下記「出演」「音楽・バラエティ・トーク・教養・情報・ミニ番組など」参照。なお相田は、2006年3月5日(日)放送の『いつみても波瀾万丈』では、「2年間ほど、ほとんど、あの、テレビに出てない時期があって」と、『マルコポロリ』で発言したことよりは実態に近いことを述べている。
  7. ^ 2013年10月1日以降より。同年9月30日以前はアップフロントプロモーションに所属していた。
  8. ^ 相田のWink結成直前期からの公称身長は、1987年から1988年前半頃まで161cm(『UP TO BOY』1987年11月号p.13、1988年5月号p.43・7月号p.12など)、1988年後半頃から1990年頃まで159cm(『GORO』1988年11月10日号p.205、『UP TO BOY』1989年3月号p.91、『Twinkle Angels』<ワニブックス、1990年4月10日>p.130など)、1991年頃から160cm(『明星』1991年3月号p.85に「身長も最近伸びて160cmぐらいになったの!」)と変遷している。
  9. ^ ただし、2007年当時の番組タイトル名は『世界ウルルン滞在記"ルネサンス"』。
  10. ^ ただし2012年1月以降より相田本人が産休を理由に一時的に活動を休止したため同年2月以降の放送分は彼女の代理として吉澤ひとみ(元モーニング娘。OG)が2012年9月まで一時的にパーソナリティを担当していた。2012年10月より再開。

出典

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  39. ^ 『NHKクロニクル』「「新・真夜中の王国」番組表検索結果」(2017年11月30日閲覧)。
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  43. ^ 『読売新聞縮刷版』1998年12月12日(土)朝・夕刊番組表に「元超アイドルA初登場」というかたちで放送・出演予定記載あり。
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  51. ^ 相田翔子公式ブログ 「吉田次郎さんと」(2019年5月25日投稿) - アメーバブログ
  52. ^ 相田翔子公式ブログ 「無事にLiveが終わりました」(2019年6月30日投稿) - アメーバブログ

外部リンク

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