長沢千和子
長沢千和子 女流五段 | |
---|---|
名前 | 長沢千和子 |
生年月日 | 1964年6月18日(60歳) |
プロ入り年月日 | 1979年8月1日(15歳) |
女流棋士番号 | 5 |
出身地 | 長野県松本市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 松田茂役九段 |
段位 | 女流五段 |
女流棋士DB | 長沢千和子 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
最年長現役 女流棋士(現在 60歳6か月 )現役期間最長 女流棋士(現在 45年4か月 ) | |
2024年11月12日現在 |
長沢 千和子(ながさわ ちかこ、1964年6月18日[1] - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。松田茂役九段門下[1]。女流棋士番号は5[1](2011年3月31日までの旧番号は14[2])。長野県松本市出身[1]。最年長の現役女流棋士(現在 であり、現役期間歴代最長の女流棋士 60歳6か月 )(現在 45年4か月 )。
棋歴
将棋の駒の動かし方を覚えたのは、小学4年生の頃[3]。将棋道場を経営していた父は、歌を覚えるのが早いという千和子の記憶力に着目し、将棋が強くなるのではないかと思ったという[4]。
千和子が中学1年生のとき(1977年度)、父が「中部六県名人戦」で優勝し、その大会で審判を務めたプロ棋士の松田茂役(後に千和子の師匠)が父を訪ねて来た。その際、松田が千和子と将棋を指し「才能があるのではないか」と言った[4]。これが将棋を本格的に始めたきっかけである[4]。
1979年8月、松田茂役門下として、女流2級でプロ入り。
1983年度、第6期女流王将戦で林葉直子女流王将への挑戦権を得、タイトル戦初登場。三番勝負は0勝2敗で敗退。
1984年度、第11期女流名人位戦でも林葉に挑戦。五番勝負は1勝の後の3連敗で敗退。
20代前半の頃、女流王将戦で挑戦権争いをしていたとき、山下カズ子との対局の勝勢の局面で、4段目で歩を成るという反則負けをし、以降、スランプに陥る[4]。将棋の道から退くことさえ考えたが数か月後に立ち直り、以降、従来の「才能で指す」というスタイルを改め、棋譜並べ(過去の実戦の研究)や詰将棋などに打ち込むようになる[4]。その努力が1995年度、レディースオープントーナメントで実り、決勝で当時三冠の清水市代を破り、一般棋戦初優勝を果たした。
2008年7月2日、女流名人位戦B級の対伊奈川愛菓戦で勝ち、通算300勝達成。
2018年2月16日に蛸島彰子が引退したことにより、現役女流棋士で最年長となる。2022年12月には現役期間が43年5ヶ月となり、女流棋士としては蛸島彰子の43年4ヶ月を超えて史上最長期間の現役在籍となっている。
人物
- 得意戦法は四間飛車。のちに大流行する角交換四間飛車を2000年以前から採用していたことでも知られる[5]。
- 既婚で息子が2人いる。婿取り婚をしているので、本名も長沢姓のままである。
- 抜群の歌唱力を持ち、女流棋界きっての歌姫と称されている。かつて「山あじさいの唄」(作詞・土井弘千香、作曲・戸村純)という曲を出した。2016年には、日本将棋連盟推奨で「千駄ヶ谷エレジー」(作詞・袋小路宇治夫、作曲・カツ丼将棋)をリリースしている[6][7]。
昇段履歴
- 1979年 8月 - 女流2級 = プロ入り
(女流1級、飛び級) - 1980年 2月26日 - 女流初段(女流名人位戦B級リーグ戦入り)
- 1984年 4月 7日 - 女流二段(女流王将戦タイトル挑戦)
- 1989年 5月22日 - 女流三段
- 2000年 4月 1日 - 女流四段(勝数規定/女流三段昇段後120勝〈昇段規定改定による昇段〉、女流通算228勝211敗)[8][9]
- 2024年11月11日 - 女流五段(勝数規定/女流四段昇段後160勝、女流通算388勝430敗)[10][11]
主な成績
一般棋戦優勝
- レディースオープントーナメント 1回(第9回 = 1995年度)[1]
- 優勝合計1回
タイトル挑戦
- 登場回数2、獲得0
表彰
年度別成績
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
---|---|---|---|---|---|
1979-1989 (塁計) |
197 | 114 | 83 | ||
1990年度 | 28 | 13 | 15 | 0.4643 | [13] |
1979-1990 (塁計) |
225 | 127 | 98 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
1991年度 | 24 | 11 | 13 | 0.4583 | [14] |
1992年度 | 24 | 9 | 15 | 0.3750 | [15] |
1993年度 | 19 | 12 | 7 | 0.6316 | [16] |
1994年度 | 28 | 15 | 13 | 0.5357 | [17] |
1995年度 | 25 | 13 | 12 | 0.5200 | [18] |
1996年度 | 20 | 6 | 14 | 0.3000 | [19] |
1997年度 | 27 | 17 | 10 | 0.6926 | [20] |
1998年度 | 22 | 11 | 11 | 0.5000 | [21] |
1999年度 | 25 | 7 | 18 | 0.2800 | [22] |
2000年度 | 19 | 12 | 7 | 0.6315 | [23] |
1991-2000 (小計) |
233 | 113 | 120 | ||
1979-2000 (塁計) |
458 | 240 | 218 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2001年度 | 20 | 11 | 9 | 0.5500 | [24] |
2002年度 | 18 | 5 | 13 | 0.2777 | [25] |
2003年度 | 18 | 9 | 9 | 0.5000 | [26] |
2004年度 | 22 | 12 | 10 | 0.5454 | [27] |
2005年度 | 22 | 10 | 12 | 0.4545 | [28] |
2006年度 | 19 | 7 | 12 | 0.3684 | [29] |
2007年度 | 8 | 5 | 3 | 0.6250 | [30] |
2008年度 | 18 | 6 | 12 | 0.3333 | [31] |
2009年度 | 11 | 8 | 3 | 0.7272 | [32] |
2010年度 | 14 | 5 | 9 | 0.3571 | [33] |
2001-2010 (小計) |
170 | 78 | 92 | ||
1979-2010 (塁計) |
628 | 318 | 310 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2011年度 | 10 | 4 | 6 | 0.4000 | [34] |
2012年度 | 12 | 6 | 6 | 0.5000 | [35] |
2013年度 | 14 | 5 | 9 | 0.3571 | [36] |
2014年度 | 12 | 6 | 6 | 0.5000 | [37] |
2015年度 | 10 | 4 | 6 | 0.4000 | [38] |
2016年度 | 10 | 2 | 8 | 0.2000 | [39] |
2017年度 | 9 | 3 | 6 | 0.3333 | [40] |
2018年度 | 17 | 8 | 9 | 0.4705 | [41] |
2019年度 | 11 | 3 | 8 | 0.2727 | [42] |
2020年度 | 14 | 3 | 11 | 0.2142 | [43] |
2011-2020 (小計) |
119 | 44 | 75 | ||
1979-2020 (塁計) |
747 | 362 | 385 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2021年度 | 21 | 8 | 13 | 0.3809 | [44] |
2022年度 | 16 | 2 | 14 | 0.1250 | [45] |
2023年度 | 23 | 11 | 12 | 0.4782 | [46] |
2021-2023 (小計) |
60 | 21 | 39 | ||
通算 | 807 | 383 | 424 | 0.4745 | [47] |
2023年度まで |
出演
ウェブテレビ
- 叡王戦記念特番 東西対抗 詰将棋カラオケ(2019年3月30日、ニコニコ生放送)[48] - 東チーム
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h “長沢千和子”. 日本将棋連盟. 2019年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月20日閲覧。
- ^ 「長沢千和子 女流四段(棋士紹介:日本将棋連盟)」『日本将棋連盟』。2010年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
- ^ a b c d e 別冊宝島380「将棋王手飛車読本」
- ^ 2014年8月26日 第8期マイナビ女子オープン本戦 長沢千和子女流四段 対 和田あき女流2級(17手目の棋譜コメント) - マイナビ女子オープン棋譜中継、2014年8月26日
- ^ 「(広告)千駄ヶ谷エレジー c/w信濃慕情 歌唱:長沢千和子女流四段 日本将棋連盟推奨 桜井昇八段推薦」、『将棋世界』(2016年8月号)、日本将棋連盟 pp. 24
- ^ “長沢千和子女流四段CD「千駄ヶ谷エレジー」”. 日本将棋連盟デジタルショップ. 2016年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月17日閲覧。
- ^ 記録室より(日本将棋連盟)
- ^ 女流棋士昇段規定.(平成12年4月1日改定・補足)
- ^ 「長沢千和子女流四段が女流五段に昇段」『日本将棋連盟』2024年11月12日。
- ^ 「女流棋士通算成績(2024年11月11日対局分まで)」『日本将棋連盟』2024年11月12日。2024年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ “第45回「将棋の日」表彰・感謝の式典の模様”. 日本将棋連盟 (2019年11月29日). 2019年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月1日閲覧。
- ^ 1990年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 1991年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 1992年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 1993年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 1994年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 1995年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 1996年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 1997年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 1998年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 1999年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 2000年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 2002年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2016年8月7日時点のアーカイブ)
- ^ 2002年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2012年9月25日時点のアーカイブ)
- ^ 2003年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2016年4月7日時点のアーカイブ)
- ^ 2004年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2016年4月7日時点のアーカイブ)
- ^ 2005年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2016年4月7日時点のアーカイブ)
- ^ 2006年度女流棋士成績一覧 - 日本将棋連盟(2016年4月7日時点のアーカイブ)
- ^ 2007年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2008年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2009年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2010年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2011年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2012年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2013年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2014年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2015年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2016年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2017年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2018年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2019年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2020年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2021年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2022年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2023年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 女流棋士通算成績(2024年3月31日対局分まで) - 日本将棋連盟(2024年4月1日時点のアーカイブ)
- ^ “【叡王戦記念特番】東西対抗 詰将棋カラオケ”. ニコニコ生放送 (2019年3月30日). 2020年3月21日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 日本将棋連盟 プロフィール
- 女流棋士会 プロフィール (2003年10月6日時点のアーカイブ)