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播磨町

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿閇村から転送)

はりまちょう ウィキデータを編集
播磨町
播磨町旗 播磨町章
播磨町旗 播磨町章
1962年4月1日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
加古郡
市町村コード 28382-7
法人番号 4000020283827 ウィキデータを編集
面積 9.13km2
総人口 33,689[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 3,690人/km2
隣接自治体 加古川市明石市
町の木
町の花
播磨町役場
町長 佐伯謙作
所在地 675-0182
兵庫県加古郡播磨町東本荘1丁目5番30号
北緯34度42分55秒 東経134度52分05秒 / 北緯34.71525度 東経134.86806度 / 34.71525; 134.86806座標: 北緯34度42分55秒 東経134度52分05秒 / 北緯34.71525度 東経134.86806度 / 34.71525; 134.86806
地図
役場庁舎位置

播磨町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

播磨町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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播磨町(はりまちょう)は、兵庫県南部にある加古郡に属す。

東播磨県民局の管轄区域。兵庫県下では最小の面積の自治体であるが、人口密度は全国でも有数の高さである。

概要

兵庫県の播磨地区南東部に位置し、印南野台地から流れる喜瀬川流域に街が広がる。弥生時代後期から古墳時代までには大中に当時としては兵庫県下最大の集落が形成され、奈良時代からは阿閇荘と呼ばれており加古郡に属していた。

町村制施行後は阿閇村(あえむら)として自治体を成しており、「兵庫県最後の村」として残っていたが、明石・加古川両市との合併交渉で町内が対立。結果として単独町制の道を選び、1962年4月1日に旧国名である播磨国から取り、播磨町として町制施行した。これにより、兵庫県は日本で初めて自治体としてがない都道府県になった。平成の大合併においても単独町制の継続を選択し、現存する県内の自治体で芦屋市と共に、周辺自治体と合併を経験していない[1][2][3][4][5][6][7][8]

町内にはJR山陽本線土山駅山陽電気鉄道本線播磨町駅各駅があり、双方の駅前にはビジネスホテルや中層マンション、業務ビルがある。

町面積の30%を占める人工島(新島・東新島)には重化学工業の工場が操業し、播磨臨海工業地帯の一翼を構成する。都市化は他の郡部と比較するとかなり進んでおり、隣接する明石、加古川両市と遜色ない。平成の大合併により県内で瀬戸内海に面する町が次々と消滅し、残るは播磨町のみとなった。

マンションの新築着工は停滞傾向にあるが、宅地化の著しい進展により、耕地面積は年々減少の一途をたどっている。

自動車に交付されるナンバープレートでは「姫路」エリアに相当するが、町の東部では市外局番が神戸市明石市と同じ078であり、本町は神戸都市圏であることから、県の二大都市である神戸市と姫路市の経済的・行政的な中間地点が本町付近であるといえる。

マスコットにいせきくんとやよいちゃんがおり、播磨町が「共に生きようふれあいのまち」宣言を行ったとき、イメージ・キャラクターとして生まれた。[9]

地理

東を明石市、北から西を加古川市と隣接している。同じ加古郡の稲美町とは、隣接していた加古郡平岡村などが市制を施行して加古川市になった為、1kmほど離れている。南は瀬戸内海に接しており、新島・東新島の2つの人工島がある。うち東新島の東側半分以上は明石市になっている。兵庫県で一番狭い町である。水の便が悪いために干害に悩まされてきたが、今里伝兵衛によって、用水溝を建設した為に干害がなくなり、農業地帯となった。そのため、ため池が12箇所ある。[1][2][10][5]

河川

平野

池沼 [10]

  • 向ヶ池・狐狸ケ池・ソウブチ池

海岸

  • 古宮海岸[2]

人口

町制施行前の1960年10月1日国勢調査による調査時の人口は8814人であり、町制施行時は9363人であった。町制施行当時は人口が1万人に満たなかったが、鉄道で神戸(三宮駅)まで40分、姫路(姫路駅)まで30分という利便性から、交通至便の町として、宅地や工業地などの開発で著しい人口増加を続けてきた結果、1964年8月には1万人を1975年9月には2万人を1985年3月には3万人を超え、学校や施設の基盤整備がすすめられた。しかし、近年は少子高齢化の影響を受け、2000年以降の人口は停滞あるいは微減傾向にあったが、2010年度・2011年度の住民基本台帳によると増加している。また、大半が市街化されており、市街化調整区域は町土の1割程である。東西南北とも3キロほどしかない小さな町で隣接市へ出るのが容易であり、神戸への通勤圏でもある為、町外に通学・通勤する人が就業者・通学者の8割近くを占める[1][2][11][12][13][14]

人口・人口密度は、兵庫県下の町において最も高かったが、近年は揖保郡太子町が当町の人口を抜き、2位になることもある。しかし、僅差であるために入れ替わりが激しい状態になっている。

播磨町と全国の年齢別人口分布(2005年) 播磨町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 播磨町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
播磨町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 13,116人
1975年(昭和50年) 20,011人
1980年(昭和55年) 26,527人
1985年(昭和60年) 29,757人
1990年(平成2年) 30,813人
1995年(平成7年) 33,583人
2000年(平成12年) 33,766人
2005年(平成17年) 33,545人
2010年(平成22年) 33,183人
2015年(平成27年) 33,739人
2020年(令和2年) 33,604人
総務省統計局 国勢調査より


年齢区分

[14]

統計名 年齢 人数
2010年国勢調査 15歳未満 4,764人
15歳から64歳まで 21,434人
65歳以上 6,956人

人口の変遷

[11][13]

面積

町制施行以来、兵庫県下で一番狭い町であり、埋め立て前の面積は約6 km2であり、その後は町土の沿岸部を埋め立てて結果新島と東新島が誕生し、町土の3割が埋め立て地である。[1][2]

面積の変遷[14]

産業

産業人口

産業種別 比率(%)[14]
2005年国勢調査 第一次産業 0.5
第二次産業 33.9
第三次産業 64.0

漁業

阿閇漁港

はえ縄漁を主にしており、海苔マアナゴスズキタコなど[14]

  • 古宮漁港
  • 阿閇漁港

工業

一般機械器具製造、化学工業など。

町内に拠点を置く工場

約60社の企業が立地している。[1]

商業

町域が狭いこと等から、大規模商業施設の立地はない。加古川市のアリオ加古川、明石市のイトーヨーカドー明石店は播磨町から至近距離にあり、イオン明石ショッピングセンターイオン明石店明石ビブレ)等の大型商業施設が近隣に多数立地することから、町内の商業施設は苦戦を強いられている。町内唯一の全国チェーンスーパーマーケットのマックスバリュ古宮店が2023年で閉店しており、商業が衰退している。

行政

役場

歴代町長

氏名 就任期間
1 庄中佐太郎 1962年7月13日 - 1966年7月12日
2 - 8 田中松太郎 1966年7月13日 - 1994年7月12日
9 - 11 佐伯忠良 1994年7月13日 - 2006年7月12日
12 - 15 清水ひろ子 2006年7月13日 - 2022年7月12日(4期目無投票)
16 佐伯謙作 2022年7月13日 - 現職

播磨町議会

衆議院

選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
兵庫県第10区(播磨町、加古川市高砂市稲美町 渡海紀三朗 自由民主党 10 選挙区

友好都市・姉妹都市

合併構想

  • 1951年7月10日 - 加古川市・旧別府町から各市町の議員などが来訪し、口頭での合併申し入れ。
  • 1956年9月16日 -明石市から口頭での合併申し入れ。
  • 1958年9月1日 - 明石市から文書により合併仮調印の申し入れ。明石市により、各戸に合併呼びかけの文書配布。
  • 1958年9月8日 -加古川市から口頭での合併申し入れ。
  • 1958年12月5日 -明石市から文書により早急な意思決定の申し入れ。市長・市議議長の来訪。
  • 1959年1月6日 -加古川市から文書により合併条件を挙げての合併申し入れ。市長・市議議長・合併委員長の来訪。
  • 1959年5月23日 - 加古川市から文書により短期間の合併実現申し入れ。市長・市議議長・合併委員長の来訪。

加古川市・明石市の播磨町への合併の働きかけは過熱し、両市有志発行の文書合戦など異様な空気に包まれた。一時は上記のように、活発な合併協議が実施されたが、町の東部住民は明石市への合併を希望、西部住民は加古川市への合併を希望する等の難題が多く、住民投票の行われぬまま結局終止符が打たれることとなった。[13]

財政

  • 財政状況は厳しい状況であったが、大和紡績などの企業立地が進んだ。それにより、この後の財政状況は県下の中では安定し、平成の大合併においても他市町と合併すること無く現在に至っている。[2]

町章

播磨町章
  • 町制施行前に公募で募集し、選定した結果、「ハ」「リ」「マ」の字を図案化した町章を1962年4月1日に町制施行と合わせて制定した[17][18][1][13][19]

町域

節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力 - KML

国土地理院地理情報によると播磨町の東西南北それぞれの端は以下の位置である[14]

  • 東端:東経134度53分30秒・北緯34度43分12秒
  • 西端:東経134度50分24秒・北緯34度41分47秒
  • 南端:東経134度51分46秒・北緯34度41分25秒
  • 北端:東経134度52分47秒・北緯34度43分50秒

隣接する自治体

通勤率は、加古川市へ20.0%、明石市へ17.0%、神戸市へ15.7%である(いずれも平成22年国勢調査)。

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、加古郡大中村・古宮村・野添村・二子村・古田村・本庄村・宮西村の区域をもって阿閇村が発足[11]
  • 1899年(明治32年)5月 - 加古郡全町村組合立第三加古高等小学校を阿閇村の内古田村に設置する[20]
  • 1903年(明治36年)6月 - 第三加古高等小学校の廃校に伴い、平岡村阿閇村別府村組合立阿閇高等小学校を設置する[20]
  • 1910年(明治43年)3月 - 阿閇高等小学校が廃校となる[20]
  • 1911年(明治44年) - 村内に初めて電灯がつく[11]
  • 1923年(大正12年)8月19日 - 神戸姫路電気鉄道(現・山陽電気鉄道本線)が開通し、村内に本荘駅(現:播磨町駅)が開業する。
大中遺跡
1974年度現在の播磨町中心部
2011年現在の播磨町中心部
本荘で撮影

地方

大字

  • 新島・東新島は人工島であり、町制施行後に埋め立てられた。[2][3][4]
播磨町の街並み
宮北1丁目で撮影
播磨町の埋立地「新島」「東新島(左)」を空撮
郵便番号 大字名
675-0142 大中
675-0157 上野添
675-0158 北野添
675-0148 北古田
675-0144 北本荘
675-0163 古宮
675-0155 新島
675-0160 西野添
675-0151 野添
675-0141 野添城
675-0164 東新島
675-0159 東野添
675-0156 東本荘
675-0162 二子
675-0146 古田
675-0154 本荘
675-0147 南大中
675-0150 南野添
675-0143 宮北
675-0145 宮西

警察・消防

稲美町とともに、警察は加古川市加古川警察署が管轄し、消防は加古川市消防本部に委託している。[16]

福祉

[16]

播磨町福祉会館

病院

図書館

公園

大中遺跡公園

[11][13]

郵便局

[16]

※町内の郵便配達は加古川東郵便局(加古川市)が行う。

金融

その他の施設

兵庫県立考古博物館

教育

中学校給食化未自治体であったが、2011年(平成23年)1月から町内の全中学校で給食が始まる[11][13]。播磨町立蓮池小学校の児童数が町内の小学校では最も多い[14]

兵庫県立播磨南高等学校

幼稚園・小学校・中学校

幼稚園 小学校 中学校
播磨町立蓮池幼稚園 播磨町立蓮池小学校 播磨町立播磨中学校
播磨町立播磨西幼稚園 播磨町立播磨西小学校 [注 1]
播磨町立播磨幼稚園 播磨町立播磨小学校
播磨町立播磨南小学校 播磨町立播磨南中学校

高等学校

特別支援学校

交通

鉄道

かつては別府鉄道土山線が営業していたが、1984年2月1日に廃線。[11]

バス

道路

国道250号
西野添3丁目で撮影

1958年に都市計画決定された町道浜幹線が2015年03月21日開通。

港湾

市外局番

上述の通り面積が兵庫県内で最も狭く、かつ1889年の町村制制定以来一度も自治体合併を経験していないにもかかわらず、市外局番は町の東西で二分されており、相互間の通話は市外通話扱いとなる[34]兵庫県道382号本荘平岡線が境界線となっている。

  • 078(神戸MA)・・・上野添、北野添、古宮、西野添、野添、野添城、東野添、東新島、二子
  • 079(加古川MA)・・・本荘、東本荘、北本荘、宮北、宮西、古田、北古田、大中、南大中、新島、南野添

なお、町役場の市外局番は「079」である。

特産物

[35]

名所・旧跡

野添北公園円満寺五重塔
阿閇神社

祭事・催事

著名な出身者

関連項目

参考文献

  • 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』(初版第1刷)小学館、2007年1月10日。ISBN 4095263113 
  • 神戸新聞総合出版センター・編 編『兵庫県の難読地名がわかる本』(第一冊発行)のじぎく文庫、2006年12月28日。ISBN 4-343-00382-5 
  • 橘川真一 編『地名でたどる小さな歴史』(第一冊発行)神戸新聞総合出版センター、1999年7月30日。ISBN 978-4343000446 
  • 橘川真一 編『地名でたどる小さな歴史 Ⅱ』(第一冊発行)神戸新聞総合出版センター、2008年7月30日。ISBN 978-4343004758 

脚注

注釈

  1. ^ 山陽電鉄本線を境に、北側は播磨中、南側は播磨南中の区域となる。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i ようこそ播磨町へ”. 播磨町. 2012年6月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 町制施行50周年を迎えて”. 播磨町. 2012年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月20日閲覧。
  3. ^ a b c 兵庫 難読 p213
  4. ^ a b c 兵庫 難読 p214
  5. ^ a b 地名 p134
  6. ^ 地名 p135
  7. ^ 地名 歴史 p126
  8. ^ 地名 歴史 p127
  9. ^ 播磨町. “マスコットについて”. 播磨町. 2024年4月5日閲覧。
  10. ^ a b 広報 はりま 2002.3 p2 - 3”. 播磨町. 2012年7月3日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq 播磨町のあゆみ”. 播磨町. 2012年6月19日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g 播磨町 町制施行50周年記念誌 データで見る播磨町”. 播磨町. 2020年5月10日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw 播磨町 町制施行50周年記念誌The 50 years history of Harima 播磨町50年史”. 播磨町. 2012年6月19日閲覧。[リンク切れ]
  14. ^ a b c d e f g h i j 播磨町統計書 H23”. 播磨町. 2012年6月19日閲覧。
  15. ^ 播磨町役場の位置を変更する条例”. 播磨町例規集. 2012年6月19日閲覧。
  16. ^ a b c d e f g h i j k l 施設案内”. 播磨町. 2015年11月19日閲覧。
  17. ^ a b 図典 日本の市町村章 p161
  18. ^ a b 播磨町町章”. 播磨町例規集. 2022年2月18日閲覧。
  19. ^ a b 播磨町広報 創刊号
  20. ^ a b c 加古郡役所 「加古郡誌」pp263-264
  21. ^ 村の名称変更”. 播磨町例規集. 2022年2月18日閲覧。
  22. ^ 町制施行”. 播磨町例規集. 2022年2月18日閲覧。
  23. ^ 町花”. 播磨町例規集. 2012年6月19日閲覧。
  24. ^ 町木”. 播磨町例規集. 2012年6月19日閲覧。
  25. ^ 播磨町住民憲章”. 播磨町例規集. 2012年6月19日閲覧。
  26. ^ a b c 播磨町の宣言”. 播磨町. 2012年6月19日閲覧。
  27. ^ 広報 はりま 2002.5 p2 - 3”. 播磨町. 2012年7月3日閲覧。
  28. ^ 広報 はりま 2003.6 p2 - 3”. 播磨町. 2012年7月3日閲覧。
  29. ^ 兵庫県播磨町、野添であい公園竣工式”. 総合調査設計株式会社. 2012年7月3日閲覧。
  30. ^ 当館について”. 兵庫県立考古学資料館. 2012年6月19日閲覧。
  31. ^ 神戸新聞 2011年1月14日付
  32. ^ 町制施行50周年記念事業(町主催事業)”. 播磨町. 2012年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月20日閲覧。
  33. ^ 施設”. はりま病院. 2012年6月20日閲覧。
  34. ^ 同じ自治体なのに、二つの市外局番、なぜ? 加古川市と播磨町の一部”. 神戸新聞社 (2021年5月7日). 2021年5月8日閲覧。
  35. ^ 播磨町の特産品”. 播磨町. 2012年6月19日閲覧。
  36. ^ 大中遺跡まつり”. 播磨町. 2012年6月19日閲覧。
  37. ^ a b c 播磨町 町制施行50周年記念誌 播磨町の心たかなるまつりイベント”. 播磨町. 2020年5月10日閲覧。
  38. ^ 新聞の父 ジョセフ・ヒコ”. 播磨町. 2012年6月19日閲覧。
  39. ^ 新井開削の父 今里傳兵衛”. 播磨町. 2012年6月19日閲覧。

外部リンク