日枝神社 (千代田区)
山王日枝神社 | |
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神門 | |
所在地 | 東京都千代田区永田町2丁目10番5号 |
位置 | 北緯35度40分29秒 東経139度44分22.5秒 / 北緯35.67472度 東経139.739583度座標: 北緯35度40分29秒 東経139度44分22.5秒 / 北緯35.67472度 東経139.739583度 |
主祭神 | 大山咋神 |
社格等 | 官幣大社・別表神社 |
創建 | 不詳(鎌倉時代) |
別名 |
日吉山王社 日吉山王大権現社 江戸山王大権現 麹町山王 山王社 山王さま 山王さん |
例祭 | 6月15日(山王祭) |
地図 |
日枝神社(ひえじんじゃ)は、東京都千代田区永田町二丁目にある、山王信仰の神社。山王さま等とも呼ばれ[1]、江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる。旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社。
大山咋神(おおやまくいのかみ)[注釈 2]を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。
所在地は正確には千代田区永田町であり、社殿は東向き、表参道(山王坂)も国会議事堂方面の東方へと伸びているが、港区赤坂地区の北東に隣接しており、そちらの南西方面(外堀通り沿い)にも大きな鳥居と裏参道が2つ(南方はエスカレーター付きの山王橋)、更には南方に東京メトロ溜池山王駅が設けられていることや、近隣に赤坂氷川神社が鎮座していることもあって、総じて「赤坂」の印象が強いため、赤坂(の)日枝神社と通称されることが多い。
歴史
[編集]創建は、鎌倉時代に江戸氏が山王宮を祀ったことを起源とするが、直接的には文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である仙波日枝神社を勧請したことに始まる[2]。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした[3]。
慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。社地は家康により5石、元和3年(1617年)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635年)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった[4]。
明暦3年(1657年)、明暦の大火により社殿を焼失したため、万治2年(1659年)、将軍家綱が赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に当てる形で、現在地に遷座した。この地は江戸城から見て裏鬼門に位置する。
明治元年(1868年)11月の東京奠都の際に准勅祭社に指定された。その後明治3年(1871年)に神祇官直下から東京府管轄に移され、明治5年(1873年)の官国幣社の選定時にも漏れ、そのまま東京府の府社となった。1881年(明治14年)に、氷川神社宮司で日枝神社の祠官を兼ねていた平山省斎が、皇城鎮護の神社が府社であっていいはずがないので、官幣大社にしてほしいと願い出た。この時は官幣大社にならなかったが、東京府・内務省の賛成を得て1882年(明治15年)1月9日に官幣中社になった[5]。大正元年(1912年)には官幣大社に昇格した。
昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年(1958年)に再建された。
年表
[編集]- 元和3年(1617年) - 麻生に100石の地を与えられた。
- 寛永12年(1635年)6月 - 400石を加え500石を領した。
- 万治2年(1659年)4月25日 - 現在地への遷座式。
- 文政6年(1823年) - 楼門、回廊などを造営した。
- 明治元年(1868年)11月5日 - 官幣使が参拝した。
- 8日 - 准勅祭の神社になった。
- 明治3年(1871年)6月30日 - 神祇官から東京府に管轄が移った。
- 1881年(明治14年)6月 - 平山省斎が官幣大社にしてほしいと内務省に願い出た。
- 7月6日 - 東京府が官幣中社昇格を支持する上申を出した。
- 11月26日 - 内務省が日枝神社の官幣中社昇格を支持する上申を出した。
- 1882年(明治15年)1月9日 - 官幣中社に列した。
- 1912年(大正元年) - 官幣大社に昇格した。
文化財
[編集]国宝
[編集]- 太刀 銘則宗
重要文化財
[編集]- 太刀 銘国綱
- 太刀 銘定利
- 太刀 銘一
- 太刀 銘長光
- 太刀 銘備州長船住長光
- 太刀 銘守家
- 太刀 銘高包
- 太刀 銘師光
- 太刀 銘延房
- 太刀 銘重久
- 太刀 銘備前国新田荘住親依元徳四年云々
- 太刀 銘備州萬壽住右衛門尉吉次作
- 太刀 銘豊後国行平作
- 薙刀 無銘 伝当麻
東京大空襲で焼失した旧国宝
[編集]- 本殿
- 幣殿
- 拝殿
- 中門
- 透塀
氏子地域
[編集]ギャラリー
[編集]-
日枝神社 山王鳥居と表参道(山王男坂)(2010年1月2日撮影)
-
公道より山王鳥居を見る(2004年1月2日撮影)
-
表参道から神門を見る(2004年1月2日撮影)
-
神門から拝殿を見る(2004年1月2日撮影)
-
祈願所(山王夢御殿)(2004年1月2日撮影)
-
授与所(2004年1月2日撮影)
-
絵馬展(2004年1月2日撮影)
-
祭典及行事(2004年1月2日撮影)
交通アクセス
[編集]- 東京メトロ千代田線 - 赤坂駅(出口2)から徒歩3分
- 東京メトロ南北線・銀座線 - 溜池山王駅(出口7)から徒歩3分
- 東京メトロ千代田線 - 国会議事堂前駅(出口5)から徒歩5分。表参道側
- 東京メトロ銀座線・丸ノ内線 - 赤坂見附駅(出口11)から徒歩8分
事件
[編集]- 2008年6月13日、社内で巫女が神職に強姦された(赤坂日枝神社内巫女強姦事件)。神幸祭の慰労会で権禰宜が巫女に約2時間飲酒を強要した挙げ句、その後に社務所地下二階にある男子禁制の女子参篭室(女子更衣室)に侵入して、彼女を脅して強姦した[6][7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 画像右(山王パークタワー側)に上り専用のエスカレーターが、左側には下り専用のエスカレーターが設けられている。
- ^ 大山咋神は、須佐之男神の孫神とされる。ご祭神 | 公式ホームページ
出典
[編集]- ^ “日枝神社”. 東京都神社庁 (2017年1月19日). 2024年10月6日閲覧。
- ^ 日枝神社について - 日枝神社
- ^ 日枝神社「日枝神社について」。『公文類聚』「東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス」。「東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス」pdfファイルの3頁めにある平山省斎の上申には、文明3年の勧請とある。
- ^ 「東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス」PDFファイルの3頁め。
- ^ 「東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス」。
- ^ 赤坂・日枝神社「神職の巫女レイプ事件」, 週刊朝日 2009年3月27日号
- ^ “東京・日枝神社の元神職に実刑 みこ強姦で地裁”. 共同通信 (2009年5月19日). 2012年2月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 「東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス」、『公文類聚』第6編(明治15年)59巻1。国立公文書館デジタル・アーカイブにより2012年1月閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 日枝神社 - 公式ホームページ
- 日枝神社ー山王祭
- 山王祭 祭りのご紹介
東京十社(准勅祭社) | |||||
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社名 | 主祭神 | 鎮座地(東京都) | 近代 | 別表 | |
根津神社 (根津権現) |
須佐之男命 大山咋命 誉田別命 大国主命 菅原道真公 |
文京区根津 | 府社 | ||
芝大神宮 (芝神明宮、飯倉神明宮) |
天照皇大御神 豊受大御神 |
港区芝大門 | 府社 | ||
神田明神 (神田神社) |
大己貴命 少彦名命 平将門神 |
千代田区外神田 | 府社 | 別表 | |
日枝神社 (山王権現、麹町山王) |
大山咋神 | 千代田区永田町 | 官幣大社 | 別表 | |
亀戸天神社 (東宰府、亀戸天満宮) |
天満大神 天菩日命 |
江東区亀戸 | 府社 | ||
白山神社 | 菊理姫命 伊弉諾命 伊弉冉命 |
文京区白山 | 郷社 | ||
品川神社 | 天比理乃咩命 素盞嗚尊 宇賀之売命 |
品川区北品川 | 郷社 | ||
富岡八幡宮 (深川八幡) |
品陀和気命 | 江東区富岡 | 府社 | ||
王子神社 (王子権現) |
伊弉諾命 伊弉冉命 天照大御神 速玉之男命 事解之男命 |
北区王子本町 | 郷社 | ||
氷川神社 (赤坂氷川神社) |
素盞鳴尊 奇稲田姫命 大己貴命 |
港区赤坂 | 府社 |