コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia‐ノート:あらすじの書き方/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

作成意図および議論

[編集]

現在あらすじのガイドラインの草案としてWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体が作成されていますが、内容的にはやや「初心者にありがちな間違い」に絞った内容になっていると思われます。英語版を見たところもう少し実践的で中級者以上の利用者にも役立ちそうなものがありましたので、翻訳をベースに換骨奪胎し、また上記の二記事も参考にしてあらたに作成してみました。広く合意が得られるようであればガイドライン化したいと思っておりますので、問題のある箇所がありましたらご意見をお願いします。また上の草案も非常によくできていると思うので、これらは整理したうえでWikipedia:宣伝的なあらすじのような題でまとめなおし、より初心者向けのガイドラインとして位置づけたらどうかと考えています。この点のご意見もよろしくお願いします。--頭痛 2012年1月27日 (金) 01:50 (UTC)

文案を拝見し、概ね良くできていると思いました。Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体で扱おうとして議論が空中分解してしまった事柄についてもフォローされていますし、この方向でガイドライン化を進めることに賛成したいと思います。
しかし気になるのはネタバレ問題です。これはどういうスタンスで書けばいいのか人それぞれの考えがあって、まだ議論はまとまっていないと認識しています。ネタバレというか結末について言及することについて、以下のようなスタンスがあると思います。
  1. 結末まで書くべきではない。
  2. 結末まできっちり書くべきである。
  3. 結末まで書くことを禁ずるべきではない。
  4. 結末を省略することを禁ずるべきではない。
これらのどれか一つを熱烈支持している人達がいて、さらに2のスタンスの論者が4のスタンスの論者を1の論者と混同して反論したりするので、いつも議論はかみ合いません。こういう題材を誤解の余地なくガイドラインに盛り込むにはかなりの準備が必要な気がします(なのでWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案では扱いたくなかったのですが、そういう方向での議論は難しいようでした)。
《いずれの方針が最良かは、作品の性格によって異なってくる。「物語全体の要点を読者が理解」できるかという観点から記事ごとに個別に判断するべきで単一の基準のみをむやみに信奉すべきではない。》ということがうまく伝わるように出来ればいいと思います。
Wikipedia:宣伝的なあらすじについては今のところ意見はありません。そちらの議論はこちらの内容が固まってからでいいのではないかと思います。

--Kojidoi 2012年1月29日 (日) 06:08 (UTC)

ご賛同ありがとうございます。
ネタバレに関してはWikipedia‐ノート:ネタバレでの議論に参加した経緯から、少なくとも「物語の解説に必要なネタバレを故意に隠すべきではない」という認識は一致しているように思われたのでこのような文面になっています。「結末をきっちりと書くべきかどうか」という点については過去の議論は知らないのですが、私も作品の性質や記事の完成度によって結末を書く必要性に違いがあると考えているため、「すべての作品記事で結末を書いてください」というようなはっきりした文面にはしていません(というか、「結末」という言葉に故意に触れないようにしています)。ですのである程度解釈を許す余地はあると思います。
ただあまり「作品ごとに違う」ということを押し出しすぎると、「これはごく最近のポピュラー作品だし、同じジャンルのほかの記事も同じような書き方をしてるからこれでいいんだな」みたいに都合よく解釈されてしまって、後半の展開などを故意に隠している記事がいつまでたっても改善されない、というようなことになりかねないという点も危惧しています。このあたりは難しいところですが、ご意見を踏まえて「ネタバレの扱い」の節は後半をもう少しデリケートな文面に変え、また記事ごとに個別にすべきということをもう少しはっきりと冒頭に記述しました[1]。--頭痛 2012年1月30日 (月) 02:09 (UTC)
意図は理解できました。現在提示されている文案で概ねよろしいのではないかと思います。なお、 「結末まできっちり書くべきである」という意見は、ストーリー紹介の在り方についての解説素案のノートの過去ログなどにみることができます。--Kojidoi 2012年2月1日 (水) 17:02 (UTC)
ありがとうございます。参考にします。--頭痛 2012年2月2日 (木) 15:04 (UTC)

コメント ガイドライン化に基本的に賛同します。あえていえば、1点気になるのがWikipedia:独自研究は載せないとの関係です。「具体的な書き方」節で、「あらすじを書く際には作品それ自体を参照して書くことを基本にしてください。」という文があります。つまり「あらすじ」は一次資料に基づいて書け、ということですが、物語の要約自体がひとつの解釈である可能性を考えれば、これが「独自研究」でないことをどう示すのか、個人的に整理できていません。この点以外については概ねよくまとまっており、ネタバレについてもバランスが取れていると思います。--みっち 2012年1月30日 (月) 12:04 (UTC)

ご意見ありがとうございます。該当の部分は英語版を見直した上で「一次文献を基本とする」という言い方ではなく、「他人がまとめたあらすじを参考するときでも、必ず作品そのものにあたって確認する」という内容に変更しました[2]
私自身は、「あらすじ」は基本的に「物語の中で起こる単純な事実」からなる文章であるため、一次文献だけを参照して作った場合でも独自研究にはならないと考えています(作品の中のなにを入れて何を捨てるか、という判断がどうしても入るので解釈といえば解釈なのでしょうが、WPの方針上では許容できる範囲、という意味です)ただもちろん、作品によってはたとえば「何が起こったのか」という点について解釈の余地があるようなものもあり、そうした場合には次の段落の説明にあるように二次文献を用いて注釈する、という形で独自研究が回避できると思います。--頭痛 2012年1月31日 (火) 12:14 (UTC)
さっそくの対応ありがとうございます。修正によって懸念が解消されたので、このままガイドライン化してもいいのではないかと思います。--みっち 2012年2月1日 (水) 11:52 (UTC)
いくつか細かな表現に改善の余地はありそうですが、早々にガイドライン化を宣言して、他の人達の反応を待つというのもひとつの手かもしれませんね。--Kojidoi 2012年2月1日 (水) 17:02 (UTC)
なるほど。今のところ反対意見もありませんので、それでは草案の提起から1週間経過した時点で「反対がなければ1週間後にガイドライン化する」旨の告知をお知らせページおよび関連するプロジェクトのノートページなどに掲載したいと思います。--頭痛 2012年2月2日 (木) 15:04 (UTC)
コメント (ガイドライン化には反対)文書の趣旨自体はおおむね妥当なものですし賛同できるのですが、Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案と同様にこの文書も基本的にはガイドラインであるWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)を補足する文であり、従属的な内容であると考えます。その点を踏まえると英語版と同様に私文にとどめておくのがベストと考えますがいかがでしょうか。--Web comic 2012年2月3日 (金) 00:03 (UTC)
英語版がessayなのはわかっていますが、草案でははじめからガイドライン化を想定して英語版よりも意図的に総括的な内容にした上で、個々の記事に対する適用の際の注意などを盛り込んでいます。ですので「私文」に位置づけるには返ってそぐわない内容になっているはずです(この辺りは英語版と見比べていただければわかるかと思います)。
もともと「登場人物欄ばかり膨れ上がっていてあらすじが数行しかない」みたいな記事が膨大にあるのをなんとかしたいと思って作成したものですので、「私文」に位置づけてしまっては改善の根拠になりにくいです。またガイドラインを補足、従属する内容なので私文にしておくべき、という論拠が私にはよくわかりません。「私文を補足する文章だから私文にしておくべき」ということであればわかるのですが・・・。そもそも、ガイドラインを補足するための文書が「私文」になってしまっては、それは「補足」ではなくて「解釈」になってしまいます(第一Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)自体、Wikipedia:スタイルマニュアルを補足するガイドラインでは?)。
なお、ガイドライン化できた場合にはこの文書を根拠とした記事改善を促すテンプレートの作成を提案しようと考えています。--頭痛 2012年2月3日 (金) 03:07 (UTC)
(追記)ところで引き合いにされているWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体もガイドライン化を想定して書かれた文書ではないのでしょうか。essayではなくてproposedが貼られていますが・・・。--頭痛 2012年2月3日 (金) 03:43 (UTC)
仮にガイドライン化するのであればWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体を含めて統合すべきではないでしょうか?ストーリーに関して書かれた文書が3つもあるのは編集者に無用な混乱を招くと考えますがいかがでしょう?--Web comic 2012年2月3日 (金) 10:21 (UTC)
頭痛さんもおっしゃるとおり、「従属的な内容だから」ガイドラインにふさわしくないという論理は変ではないですか。3つの文案はそれぞれフォーカスが異なります。「スタイルマニュアル」の方は検証可能性との関係に力点をおいた理論的な解説になっていて、それは否定しませんが、しかし実践の際に座右に置くにはちょっとわかりにくい文章ではないかと思いますね。3つの文案がそれぞれ念頭においているのは理論と実践の間にあるギャップを埋めることです。互いの文章が矛盾していては無論まずいですが、そうでなければ並立していても何ら問題はありません。とはいえ、Wikipedia:あらすじの書き方が正式にガイドライン化されるならWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体は私論に留めおいておいてもよいかと思います。すでに内容的には「統合」されているので。あれこれ話が飛び火したあげく何も議論が進まなくなってしまった解説素案の轍を踏むことなく、当文案が過不足なく「あらすじの書き方」を説明するものとしてガイドライン化されることを切に望みます。--Kojidoi 2012年2月3日 (金) 14:20 (UTC)
冒頭に記しましたように、私は既存の2草案は「Wikipedia:宣伝的なあらすじ」のようなページ名のもとで統合し、より初心者向けのガイドラインとして位置づけたらどうかと考えています。議論次第でどうなるかわかりませんが、その場合は互いのページで役割の違いを簡単に説明する文章を入れておけば混乱を招くことにはならないはずです。「宣伝的なあらすじ」については現在の議論が終了したら統合した文案を示すことにする予定です。--頭痛 2012年2月4日 (土) 04:23 (UTC)

数年ぶりにウィキペディアで動いておりまして近年の事情を心得ていないのですが、「長すぎるあらすじはまた、場合によっては著作権上の問題ともなり得ます」という記述、逆から読めば「短めのあらすじは著作権上の問題となりません」となりますが、根拠はおありですか? この文書の目的とするところではないのは承知していますが、あらすじにまつわる法律的な議論はクリアにできているのでしょうか?--枯葉 2012年2月6日 (月) 15:51 (UTC)

法律に詳しくありませんので、法律的な根拠を聞かれてもなんとも答えかねます(その部分は英語版を大雑把に訳したものです)。この文書はそもそも、すでにWikipedia上に無数の「あらすじ」を書いた記事があるということを前提としたうえで、そのあらすじを適正に書くガイドラインを設定することを目的としております。ですので申し訳ありませんが、そういった前提条件に対する根本的な疑問に関しては著作権に詳しい利用者が集まっているWikipedia‐ノート:著作権にて提起していただけないでしょうか。--頭痛 2012年2月6日 (月) 16:17 (UTC)
ということでしたら、このような雑音を避ける意味でも、著作権がらみの記述を避け、あらすじの書き方のガイドラインに徹したほうがよろしいのではありませんか? 「ダヴィンチが大理石の塊からダヴィデならざるところを削り落としてダヴィデ像を表したようにダヴィデ像をあらわさんとしたミケランジェロが『大理石の塊からダヴィデならざるところのことごとくを削り落とした』と言われるように」、本質とかかわりのないところを削るということこそが本文書の説くところであろうと思いますので、配慮いただければと思います。平地に乱を起こすのは望むところではありませんので、Wikipedia‐ノート:著作権での議論提起はいたしません。あしからず了承ください。--枯葉 2012年2月8日 (水) 13:06 (UTC)
もともと英語版に書いてあるのでなんとなく入れたくらいのものでしたから、そういうことであれば除去するということでかまいません。向こうのリンク先を見るとフェアユースがどうとか書いてあって日本語版とはまた別に考える必要もあるようですし。ダヴィデ像を彫ったのはミケランジェロです。--頭痛 2012年2月8日 (水) 14:35 (UTC)
ご理解賜りましたようでほっとしました。ありがとうございます。ダヴィデ像の件は、いかにも不注意でした。伏して訂正し、正しく引用させていただきます。--枯葉 2012年2月9日 (木) 23:29 (UTC)

コメント 少し上でみっちさんが指摘している、「Wikipedia:独自研究は載せない」との兼ね合いですが、これについては正式なガイドラインである「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)」に、

  • 記事は一次資料と二次資料のバランスの取れた使用を維持して書く。
  • プロット自体は、もちろん利用可能な一次情報である。

という趣旨の解説があり、これを根拠とできるのではないかと思います。……まあ、ウィキペディアには「一次資料である本編をあらすじとして要約するのは独自研究だ」という見解の編集者さんが少なからずおられるのも確かなのですが、個人的にはあらすじの要約は、「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」において独自研究ではないと定義されている「現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査」に含めて良いと考えています。--Kanohara 2012年2月6日 (月) 17:05 (UTC)

ありがとうございます。私はどちらかというとその下の「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」にあたるのではないかと思っていました。まああまり大きな違いはないかもしれませんが。--頭痛 2012年2月7日 (火) 10:27 (UTC)

上で反対を表明されたWeb comicさんからその後の連絡がありませんので、説明に納得していただけたと判断し、近日中に先に述べた「関連プロジェクトなどに告知→1週間異論がなければガイドライン化」というプロセスに移りたいと思います。--頭痛 2012年2月13日 (月) 18:25 (UTC)

文面を少し修正してみました。要旨は変えず、言い回しの分かりやすさや用語の問題の少しの改善を意図したものです。ご検討ください。--Kojidoi 2012年2月18日 (土) 05:06 (UTC)

修正ありがとうございます。問題ないと思います。少々遅れましたが関連プロジェクトへの告知を実施しました。--頭痛 2012年2月18日 (土) 20:41 (UTC)
賛成 導入には賛成です。若干文言を修正しましたがまずい部分があれば再調整して下さい。
導入後に期待する課題として
  1. Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体との相互整理(個人的にはこのガイドライン(案)に一本化を推しますが、2本立てでも)
  2. あらすじ記述における一次資料の扱い。特に、検証可能性における出典としての評価(たとえばWikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にのルールに対する一次資料のみの出典の有効性)。実務的には一次資料の出典の示し方(作品全体を要約するというあらすじの性質上、第何巻の何ページといった子細な出典提示が適さない場合がありうる)。
なども検討されてゆけばさらに充実してくるのではないかと思います。2の問題はおそらくあらすじ記述特有の事情(あらすじは単純に二次資料優先とはいかないが、一次情報だけでは独自解釈の可能性や特筆性の評価を単純に判断できない)の中で非常に難しいバランス判断が必要だと思うのですが、現在のところそれ以前に出典が皆無のケースがまだまだ非常に多く、顕在化していないのかもしれません。--ディー・エム 2012年2月19日 (日) 06:20 (UTC)(誤記修正「一時」→「一次」--ディー・エム 2012年2月22日 (水) 12:44 (UTC)
ご賛同ありがとうございます。前述しましたように1については今後まとめた上で文案を示そうと思っています。2についてはkojidoiさんが示してくださっている過去ログにも過去の議論があるようです[3]。英語版には作品からの引用や連載・シリーズ作品の場合などにページ数やチャプターなどを記すのは適切であるというようなことが書かれていますが、「何ページで○○、何ページで××」のような逐次的な記述を誘発しそうに思われたので割愛しています。前述したように私自身はあらすじにおける一次資料と二次資料の役割はそれほど難しい問題ではないと思っているのですが、例えばこうした方針のノートではなく、記事のノートなどでそうした論点をめぐって議論が起こったケースなどはありますでしょうか。--頭痛 2012年2月21日 (火) 10:40 (UTC)
過去の議論のご紹介ありがとうございます。一次資料を扱うバランス感覚の助言は参考になります。ただ、記事のノートでそういう議論が起こったケースは把握していません。
要するに、ウィキペディア内の共通認識として、フィクション記事のあらすじは他のウィキペディアの記事と違って出典の提示が必要ない(だから出典の無い記事が多い)と考えられているものなのか、それとも他と同じように本来は極力詳細な出典の提示が望まれるのか、もしくはストーリー記述ならではの(特に一次資料の)出典記載の考え方みたいなものがあるのか……といった、あらすじ節の出典の示し方のしきたりみたいなものがいまいちよくわからないので、その辺の説明があれば参考になってありがたいかなと思ったりしたので。--ディー・エム 2012年2月22日 (水) 12:44 (UTC)
さしあたりは、英語版、日本語版ともに慣習的に「あらすじ」の中の作品の(単純な)出来事についていちいち出典をつけたりはしないようになっていると考えていいと思います。英語版のen:Wikipedia:How to write a plot summaryで示しているのも引用の場合や特に長い作品の場合で「何章で~が起こる」のような説明をする場合だけのようです。それに最近の作品であればともかく、膨大な版がある古典作品などでは特定の版によって一次資料のページ数などを出典としてつけても特定の人にしか役立たなかったりしそうです。とは言っても「一次資料の出典をこと細かに示したりしなくてもよい」といったことをわざわざ記載するのも、実際にそのようにされている記事が一定数あるとかいうことでもないのであれば薮蛇というか、指示の肥大化であるように思います。この点はなにか具体的な問題が起き上がったときに検討すればよいのではないでしょうか。--頭痛 2012年2月24日 (金) 04:00 (UTC)
反対 ここまでの議論、および文章を拝見してきましたが、現状の内容ですと反対せざるを得ないと考えます。まず文章の内容は既存のガイドラインであるWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)と重複する部分があるにもかかわらず、関連性を示すどころかリンクすら貼られておらず、この点で不適切と考えます。仮にガイドライン化を目指すのであれば、この点は明確にクリアする必要があるでしょう。またディー・エムさんの提案されている二次資料の要求ですが、前述したガイドラインの「文脈の提供」節にもあるように、「解釈の分野で迷わせるもの」以外については一次資料のみでも特に問題はないと明記されていることから、今回の提案は既存のガイドラインと矛盾する内容となってしまうため、これに対しては強く反対いたします。--Web comic 2012年2月23日 (木) 04:41 (UTC)
ええと、まずWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)とのリンクがないことが問題であるなら単に追加すればいいだけのことではないのでしょうか。また同ガイドラインに「「解釈の分野で迷わせるもの」以外については一次資料のみでも特に問題はないと明記されている」とのことですが、そのことと現在のこの草案とがどのように矛盾しているのかご説明いただけますでしょうか。--頭痛 2012年2月23日 (木) 06:34 (UTC)
「ディー・エムさんの提案されている二次資料の要求」とはどこを指しているのでしょうかね。それらしい発言は《あらすじは単純に二次資料優先とはいかないが、一次情報だけでは独自解釈の可能性や特筆性の評価を単純に判断できない 》くらいしか見当たりませんが、これは《「解釈の分野で迷わせるもの」以外については一次資料のみでも特に問題はない》との記述と何ら矛盾していません。そもそもディー・エムさんは将来的な検討事項として一次資料問題に言及しているだけで、現状書かれてもいない記述を理由に「現状の内容ですと反対」とは一体どういうおつもりなのかと思います。なお、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)へのリンクを追加しました。これでWeb comicさんの反対理由は消失したはずです。Web comicさんは上でも反対を唱えられ、それについての反論に何ら応じることもなく、何日も経過した本日(草案は前回の反対表明時からほとんど変わっていないにもかかわらず)今度は全く違う理由を掲げて反対とおっしゃる。ご自分が主導して立ち上げたWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)以外の類似文書を認めたくなくて反対のための反対を唱えているようにしか見えません。--Kojidoi 2012年2月23日 (木) 15:01 (UTC)
リンクを貼ったことで問題を解決したと主張されていますが、私は「リンクすら貼られておらず」と言ったまでで、リンクさえ貼れば問題ないとは一言も言っていません。まぜ問題なのかを具体的に言えば、現在の「あらすじの書き方」には、比較的長い文書であるにもかかわらずもっとも重要なはずの「あらすじ」とは何かという具体的な定義が示されていません。仮に定義をWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)と同じものだと考えられていた場合でも、前出のガイドラインには「あらすじ=プロット」と明記されているにもかかわらず、Wikipedia:あらすじの書き方#具体的な書き方においては「ストーリー」もあらすじの一種だと誤解を招きかねない、あるいはガイドラインと矛盾する内容が記載されており、この点でも問題と考えます。また定義が明記されていないうえに、対象範囲がごく限られた範囲である割には文書が全体的に冗長であり、これはWikipedia:方針とガイドラインの「対象範囲を保ち、冗長さを避ける」に照らし合わせても改善すべき点であると考えます。--Web comic (会話) 2012年3月2日 (金) 11:22 (UTC)
あらすじの定義、とはいったい何のお話でしょうか。読めばわかるように、この項目では「あらすじ」という言葉はごく当たり前の「物語の大筋」という常識的な意味で使われているに過ぎません。なぜ「定義」が必要なのでしょうか?
それから「プロット」云々ですが、残念ながらおかしいのはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)のほうです。「あらすじ=プロット」というのはいったい何のことなのでしょうか。プロット (物語)によれば、「プロット」は狭義には「ストーリー」と対置されるもので、物語を再構成したもの、と説明されています。しかし本文で説明されているように、「あらすじ」を書く時には作品の順序にしたがっても従わなくてもよいと説明されています(このくだりはそもそも英語版の大体の訳です)。要は「プロット」でも「簡略化したストーリー」でもいいと言っているわけで、「あらすじ=プロット」である、というWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)の記述自体に根拠がありません。Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)は英語版からの訳のようですが、英語版には「あらすじはプロットであってストーリーではない」などという説明はありません。どうやらplotという、ごく日常的な「あらすじ」程度の意味で使われている言葉を文芸批評において「ストーリー」と峻別する際に用いられるごく狭義の意味でのplotと勝手に解釈してしまったのでしょう。これは単なる訳し間違いです。
Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)Web comicさんの翻訳作成とのことでしたので、言い出そうかどうか今まで迷っていたのですが、この際はっきり言いましてWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)は誤訳だらけです。例えばWeb comicさん自身がご自分で引用されている「文脈の提供」という節にある「解釈の分野で迷わせるもの」という部分ですが、原文では”If such passages stray into the realm of interpretation”となっています。stray intoですから「迷わせる」ではなくて「迷い込む」などでしょう。「(もしそのような節が)解釈の領域にまで踏み込んでしまうのであれば」です。
また「文脈の提供」(「提示」くらいがよろしいのでは)という節は最初の文章から、
一般的に創作した文脈と原書(オリジナルフィクション)の文脈という二つの可能性のものとみなされています。オリジナルのフィクションそのものが記事の主題であるとき、フィクション世界の外部にある情報は全て、そのオリジナルのフィクション(例えば、プロットの概要を含む)の文脈に設定される必要があります。
という風にかかれていますが、これで何を言っているのか理解できる方がいるでしょうか。やや意訳を交えて試訳してみますが、たぶん
(現実の観点から作品について述べる際に)一般に考慮されるべき二つの論点が考えられます。製作側の文脈と作品側の文脈です。フィクション作品それ自体が記事の主題となっている場合であれば、物語世界外の情報は常に(例えば作品の「あらすじ」を記事に含めたりすることによって)作品側の文脈に位置づけらている必要があります。
のような感じになるのではないでしょうか。それほど自信はありませんが、少なくともThe context of the production はどう考えても「創作された文脈」とは訳せません。「プロットの概要」の短い節にもすぐ指摘可能な誤訳が見られます。ざっと見る限り全体にわたってこのような感じであり、「フィクションの記事をフィクション内部の視点で語らない」という最も肝心な点を伝えることは何とかできているとは思いますし、関連リンクとして示すことについて異存はないのですが、この文書は人に参照を促すレベルには至っていません。
また現在の草案が冗長とのことですが、どこかどのように冗長なのか具体的に指摘してください。冗長というのは「無意味に長い」ということ(したがって短くできる)ということであって、必要な情報を入れた結果比較的長くなる、というものは冗長とは言いません。--頭痛 (会話) 2012年3月2日 (金) 11:58 (UTC)
 Web comicさんにおかれては、今週に入ってまた新たな後付の反対理由を思いつかれたというわけですか。こちらの再反論には答えず、忘れかけた頃に再来してまた別の反対理由を小出しに出してきて反対を唱えられる。もう3回目ですね。
その反対理由たるや、全くお粗末千万なもの。あらすじの定義といいますが、本文冒頭に《作品内で描かれている物語の記述(あらすじ)》とあり、必要十分な定義は示されていますね。また、《前出のガイドラインには「あらすじ=プロット」と明記されている》とありますが、私にはどこに明記してあるのか見つけることができませんでした。WP:WAFに「あらすじ」という言葉は一箇所しか登場しません。《プロットとは、(中略)日本語版ウィキペディアの記事においては一般的に「あらすじ」「人物」などといったセクションに書かれるものです。》の部分だけで、これはどう読んでも「あらすじの定義」とは解釈できません。すなわち、矛盾どころかWP:WAFには本草案に示している程度のシンプルな定義すらありませんよ。「ガイドラインと矛盾する内容」って、一体何の話ですか。
これではいつまで議論が収束しません。私にはWeb comicさんが、どうしてもスタイルマニュアルを唯一かつ絶対のガイドラインに位置づけておきたくて議論の撹乱を企図しているとしか思えません。もういいかげんにしてもらいたいものです。--Kojidoi会話2012年3月2日 (金) 17:47 (UTC)
Kojidoiさんの言われているとおり、ご自分の意見に対する反論を放置しておいて1週間おきに思いついたように難点を指摘する、というのでは話が進みません。24時間以内に返答せよというようなことは言いませんが、Web comicさんも編集履歴を見る限りでは特に週末にしかログインできないとかそういったことでもないようですので、返答は3日以内にお願いします。むろん考え中ということであればある程度待つことはいたしますが、「新たな指摘」をしたいのであればまずこれまでのあなたの意見につけられた私とKojidoiさんの意見にすべて答えた上で、疑問がもたれているご自身の意見の意図を明確にしてください。
アルビレオさんからもその後ご返答がありませんので、3日以内に意思表明がなければ納得していただけたものと見なさせていただくことにします。--頭痛会話2012年3月3日 (土) 10:09 (UTC)
三日たちましたが、他に異論はないということでよろしいでしょうか。まあガイドライン化されたあとでも変更のための議論はできますし、仮になにか致命的な問題が起これば無論格下げの提案もできるのですが。念のためもう2,3日待った上で異論がなければ正式にガイドライン化いたします。--頭痛会話2012年3月7日 (水) 20:33 (UTC)
コメント膠着するような問題点は特に無いと思いますので、あらためて正式ガイドライン化決定に賛成します。
フィクション作品のあらすじ記述について実践的な助言が平易にまとめられており、実用性は高いのではないでしょうか。機械的な制限や禁止事項などの管理主義的ルールが抑制されている点もガイドラインとしてバランスが良く、運用面への好影響を期待します。
あらすじ記述のノウハウ全般に特化してこういった機能を包括的に説明しているガイドラインは現状ではまだ無いと思いますので、他の文書と比較する必要はないと思います。--ディー・エム会話2012年3月10日 (土) 15:27 (UTC)
頭痛さん、ディー・エムさんの意見に私も賛成です。これ以上待つ必要はないでしょう。--Kojidoi会話2012年3月11日 (日) 01:03 (UTC)
3日たちましたので、正式にガイドライン化しました。みなさんご協力ありがとうございました。次の段階として、既存の草案を「Wikipedia:宣伝的なあらすじ」にまとめる提案を行う予定です。ちょっと疲れたのでこれについては1週間後くらいを目処に準備したいと思います。--頭痛会話2012年3月11日 (日) 04:55 (UTC)

スタイルマニュアルの方は、いきなり「現実世界の観点」などと抽象的な話から始まり、次の「一次情報と二次情報」は、具体的に何をどう書くかというよりは一次情報とは何かという定義の話に終始しているなど、全体的に実践よりは理論志向といえます。これに対して、本案は「では実際どう書くか」にフォーカスをあてた実践志向である点がこれまでの既存文書を補完していると思っています。これはWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案でも目指した方向でしたが、総論賛成各論反対な方々が多く、結局空中分解です。今度はその轍は踏ませたくありません。欲張ってあれもこれもと盛り込まず(それはスタイルマニュアルの方で存分にやっていただきましょう)、「誰もが認める実践的なあらすじの綴り方」に限定して、簡潔にまとめればいいと思います。--Kojidoi 2012年2月23日 (木) 15:01 (UTC)

コメント あらすじの文体について1点、導入部の文章のニュアンスについて1点コメントします。 文体についてはセクションを分けます。導入部については、言い回しレベルなのであまりこだわりませんが、「以下の解説がうまく当てはまらないようなものも必ず存在します」と断言するのはガイドラインにふさわしくないと思います。「存在するかもしれません」くらいで良いのではないでしょうか。(存在するのがわかっているのなら最初から書いておけよ、と思ってしまいます)--アルビレオ 2012年2月25日 (土) 04:01 (UTC)

ヌーヴォー・ロマンの作品やある種の実験映画のように、草案内容を当てはめることができない作品記事の事例は明らかに存在します。またそうしたものを「例外」として羅列していってもしょうがないのではないでしょうか。--頭痛 2012年2月25日 (土) 05:01 (UTC)

質問です。Wikipedia:過剰な内容の整理との両立はどうすれば出来るのでしょうか。例えば、とあるキャラクターを騙した手口とか、普段はそこにないはずのものがなぜ有ったのかとか、刑事物である事件の捜査中に、キャラクターの一人が過去に似て非なる事件があって、その事件ではこんなことがあった、と捜査中の事件との差異を語る場面があって、その差異の例として挙げられた例は書いた方が良いですか?なんどもWikipedia:過剰な内容の整理に引っかかるとして差し戻されている経験があるので。--RJANKA会話2013年3月12日 (火) 15:46 (UTC)

どの記事でしょうか。基本的にあらすじは「物語の流れ」を説明するためのものですので、その説明がなければ話全体の流れの解説が困難になる、というようなものでなければ省略するのが良いと思いますが。--頭痛会話2013年3月12日 (火) 21:40 (UTC)

ディー・エムさんとの議論にも関係する点ですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)の改訳にともない、「第一章では・・・」「第三話以降では・・・」というふうに作品への参照をおこなってよい、という点を加筆しました。--頭痛会話2012年4月2日 (月) 23:19 (UTC)

あらすじの文体について

[編集]

前半の文章は必要ですか? まず「現在形をベースにするのが慣例」について疑問です。以前Wikipedia‐ノート:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体#作中の出来事、登場人物の行動などを「過去形」で記すことについてで議論したことがあるのですが、

  1. Yahoo!百科事典のあらすじでは、現在形のものが多いとは言えそうだが、過去形のものもそれなりに存在している。
  2. そのときの問題を提起したIDCMさんは、逆に『「過去形」が多用されているのが気になる』と言っていて、ウィキペディアのあらすじでは「現在形をベースにするのが慣例」ではないと思われる。
  3. (その時の議論でも言ったことですが)日本語では英語ほど現在形、過去形にこだわらないのが普通であり、現在形が続く文章には個人的に違和感がある。

などから、前半を削除して後半だけにすることを提案します。--アルビレオ 2012年2月25日 (土) 04:15 (UTC)

「慣例」としたのは英語版からの翻訳によるものですが、そこは「Wikipediaにおける慣例」ではなく、「あらすじ」を記述する際の一般的な慣例だと解するべきだと思います。実際「あらすじ」は普通現在形をベースに書かれます。アルビレオさんが過去の議論なかで挙げられているyahoo百科事典(≒日本大百科全書)の例[4], [5]はどちらも執筆者が同じですが、いずれも作品の序盤の展開し記されておらず、特に後者などは「ミュールの正体は何か? そして第二ファウンデーションの所在は? 謎(なぞ)の解明が強烈なサスペンスを生むアシモフの代表作。」などというような「宣伝的なあらすじ」の見本のような文言が見られます。公刊されているヨソの事典にケチをつけることになってアレですが、端的に言って「参考にすべきでない例」だと思われます。過去の議論でIDCMさんが言われているように「大抵は過去形を使わず「 - する」「 - となる」といった書き方がされて」いることが確認でき、例外がそうした2,3の(あまりよろしくない)例しか確認できないのであれば、それは「現在形を使うのが慣例」と言い表すのがもっとも適切ではないでしょうか(紛らわしければ「一般的な慣例です」とするべきでしょうか)。
いずれにしても「慣例である」とした上でなぜそれが慣例であるかを説明している部分ですので、実際にそうしたほうがよいかは(冒頭で明言しているように)作品によって執筆者が個別に判断すべきことです。このくだりは削除すべきでないと考えます。
現在のWikipediaの作品記事のうちで、過去形をベースにしており、かつ模範的だと思われるレベルの「あらすじ」が書かれている例を挙げることはできますでしょうか? 過去の議論におけるIDCMさんの発言も「過去形がベースになっていることの違和感」を元にした発言であり、単に「過去形をベースにしたあらすじが日本語版に多数ある」というだけでは、不適切な例が多数あるということと区別ができないと思います。--頭痛 2012年2月25日 (土) 04:59 (UTC)

既存の二草案について

[編集]

前述の通りWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体のまとめなおしの作業を始めてみたのですが、統合したうえですこしはじめのほうの文言を調整くらいで済むかと思っていたところ、当ガイドラインとの分担関係などを考えると結局ほとんどすべて書き直さくてはならなさそうだということがわかりました。一応「宣伝的なあらすじ」として半分くらいは書いたのですが、正直当ガイドラインに加えて是非とも必要かというと疑問ではないかという気がしてきています。是非必要という意見がないのであれば作成中止して既存の二草案は「歴史的文書」に移したほうがよいのではないかと思うのですがいかがでしょうか。「あとでまとめなおす」ということを前提に本文書のガイドライン化の議論を進めていたのでちょっとアレですが。--頭痛会話2012年3月20日 (火) 07:31 (UTC)

コメント似たようなガイドラインが散在するよりはこの文書に一本化する(した)ということで、むしろその方が分かりやすいと思います。ただ、採用されなかった草案を歴史的文書とするのは若干違和感があるので、{{私論}}のほうが良いでしょうか。--ディー・エム会話2012年3月20日 (火) 09:37 (UTC)
解説素案を提案するにあたって想定した内容は、当該文書に取り込んでいただいてます。解説素案についての議論は迷走してしまい、これ以上の発展可能性はなさそうだと考えざるを得ません。最初にこれらを提案した私としては、まあ当該文書の呼び水としてはこれらの素案が役に立ったろうということで満足すべきなんだろうと思います。ふたつの旧素案にラベルをつけるとすればやはり{{私論}}でしょう。--Kojidoi会話) 2012年3月20日 (火) 14:50 (UTC) 修正--Kojidoi会話2012年3月20日 (火) 23:55 (UTC)
それでは整理のためにこの二草案はもとのかたちのように一つに統合しなおし、その上で「草案」から「私論」に移行、また混乱を回避するため冒頭に現行のガイドラインとして「あらすじの書き方」への案内をつける、「記事内容のルール」「記事のスタイルのルール」からははずす、ということでよいでしょうか。
書きかけの「宣伝的なあらすじ」については今後のJAWPの展開しだいでもし必要になったら当該の二草案とはべつに作る、ということにしておきます。--頭痛会話2012年3月22日 (木) 02:54 (UTC)
私論と言いましたが、いまテンプレート一覧を見ていたら{{Rejected}}というのもありました。こちらのほうが実態に即しているかもしれません。それから、わざわざ手間をかけて統合する必要がありますかね。それぞれにRejectedを貼って、当ガイドラインへのリンクを追加すればそれで十分のような気がしますが。--Kojidoi会話2012年3月22日 (木) 15:48 (UTC)
却下された草案ですね。「私論」よりもそのほうが迷いがないと思うのでそちらを支持します。統合はしておいたほうが後からみて分かりやすいかなと思ったのですが、まあどちらでもかまいません。--頭痛会話2012年3月23日 (金) 12:20 (UTC)
(追記)反対がなければ2,3日後にそのようにいたします。--頭痛会話2012年3月23日 (金) 13:53 (UTC)
当該2草案記事において、ここでの廃止提案議論を告知しました。--Kojidoi会話2012年3月23日 (金) 15:57 (UTC)
や、ありがとうございます。それではやはり1週間待ったほうがよいですね。--頭痛会話2012年3月23日 (金) 15:59 (UTC)
上記実行いたしました。--頭痛会話2012年3月31日 (土) 10:16 (UTC)

あらすじ関連のテンプレートを作成しました

[編集]

ガイドライン化を踏まえてTemplate:不十分なあらすじおよびTemplate:要あらすじというのを作成してみました。使用方法に関する統一的な議論は必要であればこの場を想定しています。--頭痛会話2012年4月2日 (月) 13:44 (UTC)

実は以前、Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案を提起した際、今考えれば気が早すぎましたが、Template:百科事典的でないストーリー紹介というのを作ったのです。ところがご存知のように本体の議論が頓挫してしまい、このテンプレートは宙に浮いてしまいました。そこで、上記Template:不十分なあらすじのフォーマットを参考に第三のテンプレとして再整備し、現在もなお後を絶たない「宣伝的なあらすじ」の再生産を戒める目的で使用できるようにしたらどうかと思っているのですが、、どうでしょうか。--Kojidoi会話2012年5月12日 (土) 02:53 (UTC)

私も「宣伝的なあらすじ」用の注意テンプレートの必要性は感じておりました。現在議論が止まっているTemplate:宣伝的なあらすじもあるのですが、これらの機能をまとめて整備するのがよいのではないかと思います。--頭痛会話2012年5月12日 (土) 03:30 (UTC)
Template:宣伝的なあらすじの方は全く視野に入っていませんでした。確かにやろうとしていることがかぶっていますね。ちょっと考えてみます。--Kojidoi会話2012年5月12日 (土) 14:28 (UTC)

一部ゲーム作品のあらすじに関して

[編集]

一つ疑問に思いましたがマルチエンディング(およびマルチルート)や任意イベントを採用しているゲーム作品にはTemplate:不十分なあらすじおよびTemplate:要あらすじを適用しない方がいいのではないのでしょうか?確かにWPのガイドライン上物語全般を書くのが望ましいとされてますが作品によってはマルチエンディングが存在する作品および任意イベントだらけの作品だとこれらを全てあらすじに入れて書けと言うのは無理な部分があります。 例えばザ・ブルークリスタルロッドサイバリオンはエンディングの数が膨大に存在するし任意イベントが存在する作品ではストーリー上重要な物でも成功パターンや失敗パターンなどのフラグが複数ある以上これらを含めてあらすじには書ききれません。ネトゲーに至ってはプロローグ以外のストーリーはアップデートによって増えるため全体の流れを書くのはまず不可能です。 ゲーム作品においてはそれらを考慮してテンプレート張ってるのだろうか疑問に思うのですが…。--113.150.247.59 2013年6月14日 (金) 22:16 (UTC)

一年越しですが。その場合はそもそも「あらすじ」という節が不適当なのでは。小説や映画の「あらすじ」と同じ形式に拘る必要はないかと思います。ゲームプレイ毎に大きくストーリーが分岐するあるのであれば、単純にその旨を記述し、どういったプレイでどういったパターンに分岐するのかを記述してゆけば良いと思います。作品を説明するのに詳細な説明が必要なのであれば、「世界観」や「クエスト」のような節を設けてもいいでしょう。ともかく一律の形式には拘らず、その作品を百科事典として説明するにはどうすれば良いか、ということを念頭に置けば答えは見えてくると思います。テンプレートはあくまで改善が必要ですよ、と周知するのが目的です。--119.241.46.128 2014年7月23日 (水) 06:30 (UTC)

あらすじの長さと適切なスタイルについて

[編集]

最近のフィクション作品関連のノートにて、あらすじのスタイルをめぐる議論がありました。フィクション作品全般に関わる問題であると考え、この場でよりよいスタイルについて広く意見を募りたく思います。

議論の背景

[編集]

発端はプロジェクト:映画における議論プロジェクト‐ノート:映画/映画作品スタイルガイド#あらすじの長さでした。この議論はもともと2012年に話し合いが行われた節ですが、2014年10月になってIPユーザのIP:222.230.132.39会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏(以下IP氏とする)が議論再開をしました。

主にあらすじ文章の長さについて、現行1500字から2500字が適当とされるところを、IP氏は翻訳会社の調査結果をもとに720 - 1260字が適当であると意見されました。これに対し、利用者:Kanohara会話 / 投稿記録 / 記録氏は複雑な筋立ての物語については、これを越えて長くなることは避けられない場合もあること、また、あらすじが短くまとめられている記事については、序盤のみを書いて終盤を省きネタバレ隠しをしているなどの問題があり、その他編集を委縮させるデメリットがあるのではと指摘されました。その後の議論は読んでいただければ分かる通り合意には達していません。

私、Garakmiu2は後から議論に首を突っ込みましたが、意見としてはどちらかといえばKanohara氏寄りで、IP氏が例に挙げられた記事の現状は記事の質としてよいものとはいえず、具体的な改善の例示を希望すると意見しました。その後IP氏は議論に参加しないままフィクション記事の編集を続けました。しかし氏が映画『叫』でされた編集は、単なるネタバレ隠しの域を出ないものと私には思われ、映画『ミラーズ2』でも同様のものであったため、テンプレートによる注意喚起と剥がし合いなどのゴタゴタを経てノート:ミラーズ2#あらすじ部分についてで話し合いが行われましたが、前議論での参加者が少ないということ、Wikipediaにおける「あらすじ」のあり方全般に関わる件のため、一記事のノートを離れて議論した方がよいと考えこちらに場所を用意した次第です。

ポイント

[編集]
あらすじの適切な長さとは結局どの程度なのか?
「Wikipediaでは結末を書くことを禁止してはいませんが、結末を書かなければならないという規定はありません。書かなければならないのはそれが無くては作品の真意が損なわれる場合のみです。」という意見がIP氏から出ましたが、ならば『ミラーズ2』のように、結末を省いて三点リーダで曖昧にする形は正しいと言えるのか。
また、適切な長さとは果たしてどのくらいになるのか。「本来あらすじとは短ければ短いほどよいものです」とIP氏は言っているがそれは正しいのか。
読者の目を意識した編集とはどういった形になるのか
上の議論のうち、IP氏は私のあらすじに対する理解が「すべてのストーリーの詳細をまとめたもの」であるといい、それは読者の目を意識していないというが、では読者が求めているのはIP氏が書くような形態のあらすじなのか。それはWikipediaという百科事典に求められるスタイルと一致しているのか。
余談:Garakmiu2の編集しているフィクションのあらすじは適切か
これについては個人的なお願いなので会話ページや個々の記事ページなどに移動していただいても構いませんが、私は自分の利用者ページでこれまでにあらすじを書いた記事をリストアップしています。IP氏の言うように私の編集姿勢に問題があるのならこれまでに書いた記事も欠陥品ということになりますので、駄目出しが必要なら個別に指摘していただきたく思います。

以上をポイントとして、Wikipediaにおけるあらすじの理想的あり方について、幅広いご意見をお待ちしています。--Garakmiu2会話2015年1月7日 (水) 17:18 (UTC)

  • コメント コメント依頼から来ました。私は主に美少女ゲーム作品の記事を書いていて、映画分野には詳しくありませんので、その点はご了承ください。
私のあらすじに関する考え方は基本的にIP氏に近く、「短くて済むなら短いほど良い」と思っています。「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」の「1.フィクション作品におけるあらすじのみの解説」には、「作品のあらすじ、登場人物、設定について適度に簡潔な解説が記述されるべきです」とあります。フィクション作品記事のあらすじは「こんなストーリーだ」と簡潔な説明をし、作品を知らない読者が「作品の概要」を理解できれば充分だと私は考えます。
「読者の目」という話が出ていますが、そもそもWikipediaのフィクション記事は「作品を知らない初心者」のためにあるもので、「詳しいファン」のためのものではないと思います。ファンとしては好きな作品の説明文はたくさん書きたくなってしまうものですが、詳細なストーリーはWikipediaではなく、個人サイトやファンサイトの領域だと私は思います。
ただ、IP氏のようにあらすじの最後を「…」とぼやかして引くのは、読者の興味を引っ張ろうとする宣伝的な書き方なので望ましくなく、あくまで客観的な視点で書く必要があると思います。結末まで書くかどうかについては、私は個人的には結末までは書かない流儀です。そこまで書かなくても読者に作品の概要を伝えることはできると考えるからです。が、他の執筆者が結末まで書くことに反対する気はありません。ただ、上記のWP:IINFOにあるように、些細な内容は書くべきではないと思っています。
もう一つ、読者側の視点で書きますと、「出典無しの長いあらすじを読まされてもそもそも信用できない」ということがあります。フィクション作品のあらすじは、その他の項目と違い、作品そのもの(一次資料)を元に書くことが認められています。記事の「あらすじ」節に何も出典が付いていなければ、読者は「執筆者が作品を観て書いたのだろう」と判断して読むでしょう。しかし執筆者がウソや間違いを書いているかもしれませんし、執筆者独自の解釈や推測などが入っているかもしれません。少なくとも私が読者としてフィクション作品記事を読む時は、出典無しで数十行ものあらすじがあっても迂闊に信用できないので、正直飛ばし読みします。「いいから端的に『どんな作品なのか』の信頼できる情報をくれ。細かいストーリーや結末はわからなくてもいいから」と思います。しかし外部資料(二次資料)の出典が付いているあらすじなら、ある程度は信用して読むことができます。
プロジェクト‐ノート:映画/映画作品スタイルガイド#あらすじの長さ」で挙げられている作品を例に取りますと、「アベンジャーズ (2012年の映画)」のあらすじは出典が1つだけ(ただし公式サイトなので二次資料ではない)、「プロメテウス (映画)」「イングロリアス・バスターズ」はストーリー説明に全く出典が付いていません。記事の信頼性のために、できるだけ出典資料を元に書くべきでしょう。特にメジャーな映画作品であれば、評論や解説などの資料はたくさん見つかるだろうと思います。
具体的に映画のあらすじの分量がどの程度が望ましいのかは、私は映画分野に詳しくないのでよくわかりません。Garakmiu2さんが過去に書かれたあらすじが適切かどうかも、すみませんが同様の理由で判断がつきません。あまり役に立たないコメントかもしれませんが、以上です。--Shiro0922会話2015年1月9日 (金) 04:58 (UTC)
  • コメントWikipediaのフィクション記事が「作品を知らない初心者」のためにあるというのは方針の誤解であると思われます。勿論「詳しいファン」のためのものではありませんし、対象を限定すること自体がそもそもの間違いです。この点過去に何度もネタバレ関連についてはノートで議論が行われ、ネタバレのテンプレート廃止にいたった経緯があるわけですが、気楽に読める、編集が可能だからといって、Wikipediaが紙の百科事典とは異なる存在だというわけではありませんし、そうであってはいけません。無論誰にでも編集が可能という違いがありますので、できるだけ信頼できる情報源を用いて記事が書かれていることが望ましいでしょうが。仮に内容が間違っていると感じたのであれば、それは好事家が個々に対応するべきなのであって、百科事典としての基本理念にまで影響を及ぼすというのはおかしいでしょう。それらはフィクション作品の記事に限った話ではありません。些細な内容については個人サイトやファンサイトで行うべきでしょうが、物語の核心部分や重要なネタバレについてはそれらに簡潔に触れるべきなのであって、初心者向けであるという誤解を元にカットするのは方針の不理解に他なりません。--CHELSEA ROSE会話2015年1月9日 (金) 15:05 (UTC)
  • コメント CHELSEA ROSEさんには少し誤解があるように思いますし、私も言葉が足りなかったかもしれないので、改めて書きます。「Wikipediaの記事は作品を知らない初心者向けだから(A)、結末やネタバレを書かない(B)」とは私は言っていません。(A)と(B)は全く別の話で、両者を直接結びつけるようには書いていなかったつもりですが、その辺りがうまく伝わっていなかったらすみません。
まず(A)の「初心者向け」についてです。「対象を限定すること自体がそもそもの間違い」というのは、一面では確かにその通りです。ただ、Wikipediaは広く多くの人が見るもので、基本的には記事主題(今回の場合は映画作品)のことを知りたいと思う読者が見に来る訳です。まずは大多数の「作品を知らない初心者」を想定して記事を書くのは当たり前のことではないでしょうか。これはWikipediaのルール以前の、利用者を迎える側の「ホスピタリティ」「気遣い」「準備」といった一般的な話だと思います。ですからまずは「どんなストーリーなのか」を簡潔に読者に伝えられるあらすじが大事ではないでしょうか。
(B)の結末やネタバレの件については、あくまで私個人の書き方・流儀として書きましたし、それ以外のやり方を否定してはいません。また、直接(A)と結びつけている訳ではありません。読者に伝わりやすく簡潔なあらすじなら、ストーリーの結末やネタバレが書かれていても問題は無いでしょう。逆に結末まで説明するために延々と長文が続くあらすじなら、いくら執筆者が「結末は重要だから」と言っても、それを読む読者の多くにとっては苦痛で迷惑だと思います。作品を調べに来る読者は、それだけの長文を読む努力をする映画好きなファンばかりではないからです。多くの人が読む百科事典だからこそ、簡潔に読者に伝える記述が必要だろうと思います。
Wikipedia:ネタバレ」のガイドラインでは「ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。」と書かれていますが、「あらすじはネタバレも含めて結末まで書け」とは書かれていません。「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)」も同様です。フィクション作品の記事であらすじの説明が重要なのは論を待たないでしょうが、結末まで書くかどうかは記事や執筆者によって判断が分かれるところだと思います。私としては、「ネタバレも含めて結末まで書く」ことよりも、「簡潔で読者により伝わること」や「内容の正確性・信頼性」の方が大事だと思っています。
私の会話ページでの以前の議論でもそうですが、CHELSEA ROSEさんは結末やネタバレなどについて、過剰に反応しているように私には感じられます。あらすじで結末やネタバレを書かないのがそんなにいけないことでしょうか? 読者に作品内容を伝えるにもいろいろなやり方があると思いますし、CHELSEA ROSEさんが作品記事を書く時には、自分が思うとおりにあらすじを結末まできっちり書けばいいだけの話ではないでしょうか。お互いにより良い記事を目指して執筆すればいい、それだけのことだと思います。話が議論の本題から逸れてしまってすみません。--Shiro0922会話2015年1月10日 (土) 10:17 (UTC)
  • コメント Shiro0922様のお考えは理解しておりますが、作品を知らない初心者(?)が大多数である事の根拠がまず乏しいという点、そしていずれにしても「そういう読者を想定して書くのが当たり前である」というのは百科事典においては間違いであるといえます。百科事典の基本そのような基本方針が存在するのであれば別ですが、その点は誤解なきようお願いいたします。まず概要とあらすじは別物です。くわえて、知らない人が多いだろう、だから楽しみを損なわないようにという気遣いは全く無用です。というか、初心者(?)への考慮(そもそも"百科事典"を読みにくるような人間が、結末を知りたくないという根拠や統計は存在しません)がなされていなければ、思いやりや気遣いやマナー意識に欠けているというのはおかしいのではないでしょうか?ひとつ間違えれば他の利用者に対して、意識の押し付けになるということです。また、「あらすじはネタバレも含めて結末まで書け」とは書かれていませんとおっしゃっておられますが、あらすじである以上は起承転結、その全体の流れを記すことが大前提であり、敢えて何故結末だけはそう避けようとされるのか、まずそこが理解に苦しむところです。「あらすじ」は「概要」や「冒頭部分の紹介」とは違います。そして「簡潔で読者により伝わること」や「内容の正確性・信頼性」と普通に両立できるのではないですか?何ゆえShiro0922様はしきりに簡潔にすべきである・正確性信頼性を重視せよという当たり前のことを、ネタバレや結末までの言及を避けることをことさら結びつけて語ろうとされるのかが一番よくわからないところです。簡潔に伝えるのであれば他に削るところがあるというお考えにはどうしてならないのでしょうか、どうして結末やネタバレを避ければ簡潔になるという結論に至ってしまうのでしょうか?いつも必ずそういった形で議論が逸れてしまうように思います。無論、Shiro0922様に悪意があってそのようなご意見を述べられているのではないとは重々承知しておりますし、無論Shiro0922様個人が記事の加筆をされる際はそのように心がけるのはご自由なのですが、ある一定層の読者を対象とした記事の書き方をすべきではないか、記事を簡潔にまとめるのであれば結末についての描写を避けるべきというではないかというご意見を、Wikipediaにおける社会通念であるかのように他の利用者に結果的に伝播させてしまう可能性を心配し、コメントさせていただきました次第です。以前からの議論や、ネタバレに関して未だに禁止であるかのような、Shiro0922様以外の不特定のIP利用者の言動も時々目につくことがあり、少々きつい言い方になってしまった部分もあり申し訳ありません。どうかお気を悪くなさらずお願いいたします。--CHELSEA ROSE会話2015年1月10日 (土) 15:11 (UTC)
  • すみません。CHELSEA ROSEさんにまたいくつか誤解があるようなので書きます。「知らない人が多いだろう、だから楽しみを損なわないようにという気遣いは全く無用です。」と書かれていますが、「楽しみを損なわないように」とか「ネタバレだから書くのを避ける」といった話は全くしていません。私が上で「気遣い」と書いたのは、「読者にある程度の知識があることを前提に記事を書くのではなく、作品を全く知らないと想定して書く」という一般的な気遣いのことです。
「作品を知らない初心者(?)が大多数である事の根拠がまず乏しい」というのは確かにその通りですが、逆に「作品についてある程度知識を持っている読者が多い」という根拠もありません。それならばまず「全く知らない初心者」を想定して記事を書くのは、私は至極当たり前だと思うのですがいかがでしょうか。例えばその映画作品のファンが集まるファンサイトだったら、「読者は作品について基本的なことは知っている」と想定して説明を書いてもいいでしょう。しかしWikipediaは多くの人が読む百科事典ですから、「知らない人お断り」と読者を制限するような場所では無いはずです。
「どうして結末やネタバレを避ければ簡潔になるという結論に至ってしまうのでしょうか?」「記事を簡潔にまとめるのであれば結末についての描写を避けるべき」というのも、私はそのようには書いていません。簡潔にあらすじを記述できるなら結末やネタバレを書いてもいいでしょう。しかし結末まで説明するのに長文を費やして、読者が理解しづらくなったり余計な負担を掛けたりするようなら、結局はちゃんと読んでもらえなかったり伝わらなかったりします。読者のことを考えて、そうした事態は避けるべきではないか、ということです。もちろん結末以外の途中の些細なエピソードなども、削れる部分はできるだけ削って簡潔にするべきだと思っています。
あと、こうしたことを書くとまた本題から外れるかもしれない、と思ってこれまで書かなかったのですが、私が「簡潔に」「初心者のために」と何度も言っているのは別の理由もあります。私が主に関わっている美少女ゲームの記事では、あらすじや登場人物説明で些細なエピソードやトリビアばかりが加筆されることがよくあります。「このキャラが~した」「~と言った」「実は~だった」など、作品の中でどれだけ重要かといった判断や取捨選択がされずにゴチャゴチャと情報が追加され、読者にわかりづらい説明になってしまいます。それらは結局、執筆者の「俺はこれだけ作品に詳しいんだ」「こんなことを知ってるんだ」という知識自慢・トリビア自慢で、「読者の目」を考えない自己満足になってしまっています。私が「簡潔に」「初心者のために」と強調したり、「あらすじにもできるだけ出典を付けるべき」と考えるのは、読者のことを考えないそうした加筆を防ぐため、という面もあります。「作品に詳しい執筆者が書くからこそ、情報の取捨選択ができる」のも確かなのですが、その結果「作品に詳しいファンにしかわからない」「ファンにしか読めない」記事になってしまってはいけないのだと思います。
以上で私が言いたいことは一通り書きましたし、何度も話が逸れてしまって皆さんに申し訳ないので、すみませんが以後は静観させてください。--Shiro0922会話2015年1月11日 (日) 06:55 (UTC)
コメント 美少女ゲームの場合は、選んだヒロインによってパラレルなストーリーへと分岐したり、ハッピーエンドとバッドエンドに分岐したりする要素もあるので、結末までのあらすじをまとまった形で記述することが難しい傾向はあるでしょう。そのため、美少女ゲームなどで結末までの内容に触れる場合、あらすじに詳細な内容を書かずに登場人物のセクションに詳細を書いたりする傾向はあると思うのですが、それはそれで問題があります。そもそも、ウィキペディアにおけるあらすじの書き方の各種ガイドラインが整備されるきっかけとなった議論として、「Wikipedia:井戸端/subj/貧弱なあらすじと過剰な登場人物・用語解説」のような問題提起があり、現在のガイドラインにも「Wikipedia:あらすじの書き方#登場人物節との関係」として、セクションを設けて解説がされています。登場人物の説明としてエピソードやトリビアが加筆されていくような状態は、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」や「Wikipedia:過剰な内容の整理」において避けるべきこととして戒められています。--Kanohara会話2015年1月11日 (日) 08:33 (UTC)
コメント「作品を全く知らないと想定して書く」というのであれば、なおさらネタバレや結末の描写を避けるのは適切ではないでしょうね。知らない人のために結末までの全体のおおまかな流れをわかりやすく描写するのが良いかと存じます。むしろそれが気遣いなるかと思います。簡潔にあらすじを記述できるなら結末や重要ネタバレを書いてもいいとおっしゃられるのであれば、些細な内容に長文を費やして読者が理解しづらくなったり余計な負担を掛けたりする可能性というのは、結末や重要なネタバレなどは些細な内容ではありませんので、そもそもそれには当たらないでしょう。Shiro0922様が本気でそうお考えであれば、本来見解の相違があるようには思えず、確かに我々の間で齟齬があったのやもしれません。知識自慢・トリビア自慢であるという言い方については少しどうなのかとは思いますが、後はおおむね同意であります。--CHELSEA ROSE会話2015年1月11日 (日) 10:00 (UTC)

コメント

  • あらすじの適切な長さ…これは主要なプロットを押さえたものなら短くてもよろしいかと。具体的に何文字が目安かというのは、強力な根拠はないように思いますので投票ででもで決めるしかないかもしれません。サウンド・オブ・ミュージックとかになると長すぎのような。
  • あらすじとはどんなものであるべきか…それはこの文書をよく読んでいただければ、最後に「…」で終わるあらすじではないことが「あらすじの文体」で述べられているので、解決するかと。ちなみに「あらすじには出典は基本的には不要です(特殊な場合のみ必要)。」これは昔「Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ4#あらすじと出典の明記」で議論したとおりです。--Afaz会話2015年1月9日 (金) 10:40 (UTC)
    • Afazさんの貼られた議論を読み返してみましたが、大変参考になりました、ありがとうございます。主題とは少々脱線してしまっていますが、あらすじがウソかもしれないし信用できないから出典が必要であるという考えは、過去の議論を拝見する限り原典を最重要視すべきであることを考えればやはり適切ではないように思います--CHELSEA ROSE会話2015年1月10日 (土) 20:50 (UTC)
  • コメント 映画や小説といった物語は基本的に結末は重要であると思われます。Wikipediaはあくまで百科事典です。内容を全くしらないもしくはよくしらない読者に配慮をして文章を書くべきではありませんし、そのような配慮によって重要な内容が欠落している状態は健全であるとはいえません。例として出ているインディペンデンスデイミラーズ2はあらすじが途中でぶった切られているような状態ですので、内容が不足していると言わざるをえません。逆に、些細な内容であればまだまだ削れる部分があるかもしれません。そのような「短ければ短いほどよい」という目的意識をもって重要な内容が削られているのであるとしたら極めて不適切です。Wikipedia:ネタバレTemplate:ネタバレへの過剰な配慮にあるように、「品本編に触れる読者から驚きや楽しみを奪わないための親切心」は百科事典には不要です。それらは公式サイトやネタバレに対する注意喚起をしているファンサイトで事足ります。無論、物語における重要なネタバレ等ではなく、些細な内容についてはそれらもまたファンサイト等で取り上げるべきであると考えておりますが。ただ、正直それがないあやふやなものだからといってネタバレに対する過剰な配慮であるとか意図的なものであるとは限りませんし、内容によると思いますので、テンプレートの運用に異論が出た場合は各ノートでよく話し合いをされることをお勧めいたします。加筆されるのもそちら側の自由ですし、それら好事家に委ねられている状態ですので、結局は加筆する意思のある利用者が出てこない以上は分量が増えようがないという側面もあります。元から書いてあった重要なネタバレや結末などを除去した場合などは、差し戻し対応で問題ないかと思われます(一言でいって、の編集は問題外だと思う)。--CHELSEA ROSE会話2015年1月9日 (金) 14:49 (UTC)
コメント 名前を呼ばれているようなので、私からもコメントします。
  • あらすじの適切な長さ……物語の発端から結末までを短い内容で説明できるのであれば、それに超したことはないと思いますが、文章を短くするために百科事典としての役割を損なってしまっては本末転倒です。複雑な筋書きが作品の特徴になっているような作品では、長くなってしまうのも仕方ないと考えます。
  • 読者の目を意識した編集……私の考える「内容を全く知らない、もしくはよく知らない読者への配慮」というのは、「ネタバレをしない配慮」とは逆です。その読者がウィキペディアの記事や社会の反響(なぜ、その作品が大きな反響を得たのか)を理解するために必要なことは、それが結末の内容であっても書くのが、内容を知らない読者のためだと考えます。もし、物語の途中で作品の印象を一変させてしまうようなどんでん返しがある作品において、その真相を避けようとすれば、読者を真相から遠ざけて内容を誤解させるように仕向けるような記事を書くことになります。本当は主人公を騙している腹黒くて邪悪な登場人物の説明に「主人公に対して優しく振る舞い、協力を惜しまない」という解説をつけたりとかですね。もちろん、ウィキペディアは嘘八百科事典ではないので、そうした記事は不適切です。その説明を真に受けた読者は、作品に対する批評を正しく理解できずに誤解したり、友人との会話で知ったかぶりをして恥をかいたり、「この展開は面白くなさそうだし好みじゃない」と作品に対する興味を失ってしまったりするかも知れません。それは心優しい配慮からネタバレを伏せた執筆者にとっても本末転倒でしょう。
まあ私も以前は、物語のハイライトにおける話題の中心(例えばバトルものなら、主人公とその敵対者の争点など)が明記されていれば、結末まできっちり書く必要はないと考えていたこともありました。「義憤に駆られた主人公が、人々を虐げる極悪非道な悪党に立ち向かう」といった内容なら、結末もわかりきっているので書かなくてもいいかなと。ですがその方向性で書こうとすれば、物語内で提示された争点の、結論部分を濁す形となってしまいます。一見すると結末が分かりきった前述の例でも「……だが悪党の側も、力による支配の正当性を掲げ、死力を尽くして主人公を迎え撃つ。両者の力は均衡し死闘となる」といった内容が繋がってくるのなら、その結論は読めないものとなってきますし、「そして主人公は己の青臭さを悔やみつつ悪に屈する」といった、どんでん返しの結末ならなおさらです。そこまで考えると、当初の結論も自分の中で揺らぎます。なぜなら、記事の執筆者にとっては、その物語がステレオタイプの結末を迎えるのかそうでないのか自明でも、記事の読者にとってはそうではないからです。読者は物語がそこで終わるのか、その後に大どんでん返しがあるのか、実はそこまでの内容は壮大な序章に過ぎないのか判断できないかも知れません。
例えば、ヒロインが事故ってオープニングムービーが始まるより以前の第1章しか書いてない『君が望む永遠』のあらすじや、アレクサンダー・ボナパルト・カスト(ABC)が犯人であるかのような誤読を誘う『ABC殺人事件』のあらすじなどは、私にそうしたことを考えさせるきっかけになりました。仮にもし、記事執筆者がネタバレを避けるための親切心、あるいは茶目っ気や悪戯心から、『指輪物語』のあらすじを魔王サウロンは倒されたが、その力の源である一つの指輪は破壊されずに遺された。ホビット族のビルボ・バギンズは魔法使いガンダルフや13人のドワーフと共に邪竜スマウグに戦いを挑み、その過程で一つの指輪を手にすることになる。冒険の後、指輪はビルボの養子であるフロドに譲渡されたの部分で終わるような形で執筆したり、『ドラゴンクエスト』のあらすじを勇者ロトは虹のしずくで大魔王の城に渡り、神から授かった光の玉で魔物たちを封じ込めた。アレフガルドの平和は数百年にわたって続いたの部分で終わるように執筆したりすれば、実際にはプロローグで語られる前日譚の部分しか説明していないような宣伝的なあらすじを、結末まで書いたかのように見せかけることができてしまいます。そして実際、経験的には、ウィキペディアにはそうした記事が少なからずあると感じています。ネタバレを避けて書かれた記事と、結末まで書かれた記事が、一読しただけでは区別できない状態で混在していることは、嘘を掴まされたくはないと思っている読者と、ネタバレを知りたくない読者の双方にとって地雷原であると言えます。もちろんネタバレのガイドラインに照らし合わせる限り、優先すべきは前者ですから、私は最近、結末まで書く場合は末尾に「……という形で物語は終わる」といった宣言を入れて、その内容が結末までのあらすじであることを読み取れるように書くようにしています。--Kanohara会話2015年1月10日 (土) 14:08 (UTC)
コメント コメント依頼から来ました。個人的な考えを述べさせていただきますと、あらすじの分量に一律の規定が必要なのであろうか、と思います。さらに言えば、実際的にそのような規定が出来るものか、即しているかに疑問を覚えます。あらすじというのは作品が異なれば内容が異なるもので、いくら簡潔にしようとも長いストーリーのものはどうしても長くなるものです。それを無理に簡潔にしようとすれば本来押さえるべき内容が不足してしまうことにもなりかねません。
読者の目、ネタバレ回避に関しては、言葉が過ぎるかもしれませんが私としては論外であると考えます。それこそ本来伝えるべき内容が欠如しているわけですから、作品の説明としては全く以って話にならないでしょう。ただ、読者の目という言い方で感じたことなのですが、以前自分の書いたあらすじがそれなりの分量になってしまい、自分の考えるその作品の要点は他の方から見て分かるのだろうか?と感じたのを思い出しました。私の文章力の至らなさもあるのでしょうが、要点ばかり並べ立てるのが読んで分かりやすいものかも難しいものかもしれません。
Garakmiu2さんのあらすじは、とりあえず利用者ページに書かれている三記事を見させていただきましたが、少し冗長かな、という印象を覚えました。がまあ上で触れましたとおりどうあるべきかとまで私は確信できていませんので、あくまで個人的な印象です。--はぬまん会話2015年1月10日 (土) 18:54 (UTC)
コメントおおむね同意いたします。結末まで書くかどうかは執筆者によって判断が分かれるのはかまいませんが、読者の為を思ってそれを避けるべきであると他者に勧めるは論外ですし、あらすじにネタバレ・結末が含まれていてもうまくまとめることは当然可能でしょうし、物語をよく知らない読者が百科事典を読む上で本当にネタバレを知りたくないと思っているのかはそもそも不明であり、ネタバレがあれば楽しみを損なうかどうかはあくまで個人差で価値観や善意の押し付けに他ならないと私は思います。仮にそのような人物がいたとしてもそれは当人の責任であり、当然ながらWikipedia:内容に関する免責事項を理解した上で閲覧しなければいけないでしょうね。--CHELSEA ROSE会話2015年1月10日 (土) 20:50 (UTC)
ありがとうございます皆さまのご意見に感謝します。
>Shiro0922さん
ご意見ありがとうございます。あらすじに関する点では、簡潔で読みやすくというのは私も大事だと思っておりますが、問題のIP氏も同じ意見を言いながら実際の編集が方針やガイドラインを軽視したものなので、問題提起をさせてもらっています。『イングロリアス・バスターズ』は、英語版の良質な記事の翻訳で、日本語版でも良質な記事になっていますが、英語版でもとくに出典は付いていないようです。あらすじの出典についてですが、出典が必要となると、「どこかからあらすじを書いてある文書を探してきて、それを出典としてその内容をコピペしなくてはならない」と考える人がいそうで心配です(というか以前それに近いことを言う人に実際出くわしました)。余談ですが、コンピュータゲーム関連記事には秀逸な記事に選ばれたものもいくつかあるので今後の参考になるかと。
> CHELSEA ROSEさん
百科事典とネタバレに関する問題点をまとめた説明をありがとうございます。『叫』の編集というのは、今現在の版ではなく私が問題としたIP氏の編集についてということでよろしいのでしょうか?
>Afazさん
過去の議論の案内をありがとうございます。
>Kanoharaさん
議論への参加ありがとうございます。議論の背景として挙げているのですからKanoharaさんには直接案内すべきでしたね、すみませんでした。あらすじの結末の付け方については興味深く拝見しました。今後の参考にさせていただきます。
>はぬまんさん
ご意見ありがとうございます。私の書いたあらすじですが、具体的にどの記事だったかタイトルを教えていただけると参考になります。--Garakmiu2会話2015年1月11日 (日) 16:18 (UTC)
☆マークの意味に気付かず開いて読んでいましたもので、映画のあらすじと書かれている三つですね。--はぬまん会話2015年1月11日 (日) 17:02 (UTC)
ありがとうございました。その記事群については自分では短くまとめたつもりでいましたが、今後精進します。--Garakmiu2会話2015年1月13日 (火) 12:48 (UTC)
あぁ、すみません、冗長という言い方も良くなかったですかね、長さ的には件の私が書いたあらすじの方がよっぽど長い始末でありまして。どう言ったものでしょうか、ちょっと持って回ったような表現、と言えば私が感じた印象になるのでしょうか。表現の好みにもよるものだと思いますので、あまり重く受けとめていただかない方が私としても助かります。--はぬまん会話2015年1月13日 (火) 16:37 (UTC)

エピソードリストがある場合のあらすじの書き方

[編集]

最近フィクション作品の記事にエピソードリストが導入されることが増えましたが、この場合あらすじはどう書くべきかガイドラインを示してもらえないでしょうか。「エピソードリストと記述が重複していてもよい」「あらすじは短くてもよい」「導入部だけでもよい」「除去してもかまわない」など。 ノート:響け! ユーフォニアムのように混乱が続いている記事もありますので。--Sazanamiya会話2015年9月21日 (月) 02:06 (UTC)

返信 ご質問の内容に関しては、現行のガイドラインでも基本的には以下のようにカバーできていると思います。
「エピソードリストと記述が重複していてもよい」?
そのエピソードリストの用途にもよる。常識的な編集判断として、単にあらすじを各話ごとに分割記載してあるだけであれば書式と文章変えただけの複数のあらすじ節を一記事の中にいくつも作ることは(さすがに非常識すぎて想定外なシチュエーションなので現行ガイドラインに明記はないですが)必要ないでしょう。あらすじ以外のリスト(各話の放送データや製作上の特記事項・批評など)の場合は当ガイドラインの守備範囲外。あらすじ節もしくはエピソードリストを独立記事化(記事分割)した場合には、作品記事側にも物語の内容が理解できる程度のあらすじを残す(したがって他記事とは重複して良い)。
「あらすじは短くてもよい」?
必要十分な内容であれば良い。一方、あまりに短すぎて必要な説明が欠落しているあらすじは良くない。
「導入部だけでもよい」?
良くない。
「除去してもかまわない」?
不要な記述は当然除去してかまわない。(動機は問いませんが、たとえばネタバレという理由で)必要な記述を除去するのはだめ。
提案 といったことも踏まえて、具体的な当ガイドラインの修正案としては、仮に各話のあらすじを区別して記述するケースをもう少し明確に想定しておくという意味で、次のような文言が良いかと思います。
  • (現行)「第一章では・・・」「第三話以降では・・・」というふうに参照をつけることによって、具体的な作品構成に触れることもできます
  • (修正案)「「第一章では・・・」、「第三話では・・・」というふうに参照や見出しをつけることによって、具体的な作品構成を示すこともできます
実際にエピソード単位で見出しを付けて書く際の具体的な書式については、たとえば表形式のようなものを使用するのか、あるいは " ;第1話 :〜〜〜〜。 ;第2話 :〜〜〜〜。 " のような箇条書きマークアップを使用するのか、あらすじ節内に直接連ねて書くのか、節内にサブセクションを設けるのか、別名の節を設けて書くのか等、そこはこのガイドラインの範疇ではないと思いますので他のガイドラインや編集者の良識に沿って決めてもらうしかないと思います。先述のとおり、おおよそ必要な事項は現行のガイドラインでもある程度カバーできているとは思いますが、本来エピソードリスト云々を考える上では先に地ならしをしておいた方が良い事柄のひとつではあるなと私も気にはしておりましたので、関連プロジェクト全体として問題整理と方向性確認の意味で、改めてここで提起いただけたことはありがたいです。--ディー・エム会話) 2015年9月21日 (月) 05:21 (UTC)(誤解の無いよう括弧書きを位置修正--ディー・エム会話2015年9月21日 (月) 08:59 (UTC)
情報 Wikipedia:お知らせプロジェクト‐ノート:フィクションほか関連プロジェクトのノートにて当議論の告知を行いました。--ディー・エム会話2015年9月21日 (月) 08:48 (UTC)
  • コメント 本ガイドラインがアニメだけを対象としたものではなく、総合的なものだということを考慮した上でコメントします。
「エピソードリストと記述が重複していてもよい」?
  • アニメの記事においてはその多くが登場人物節にストーリーが記載され肥大化していく一方で、「あらすじ節」は不十分であることが多いです。導入部分の「あらすじ」だけを書く事は容易かもしれませんが、「ライトノベル」、「漫画」などの原作がある作品の場合、5、6巻以上刊行されているものが多くあるので、それを適切な分量で「あらすじ」節にまとめなければならず、現実的には「wikipedia:あらすじの書き方」の基準を満足させることは厳しいでしょう。それ故、このような状態になっていても長らく放置されており、加筆を促すテンプレートを貼っても十分に加筆されないと考えられます。そこで、「プロジェクト:アニメ」にて「エピソードリスト」の導入を提案しました。というのも「エピソードリスト」は、各話での更新であることやアニメの放送に伴って執筆者も急増することから、アニメのストーリー展開を記述する(登場人物節にストーリーを記述し無駄に肥大化させるのではなく)上で「あらすじ」を書くのにそこまで苦難は伴わないかと思ったためです。その中で、「甘城ブリリアントパーク」のように「エピソードリスト」形式(実際はただの表形式であり、マークアップでもほぼ同じ)を使うのも有用なものだと思います。
  • さて本題に入りますが、「リッチマン、プアウーマン(良質な記事)」のように同じ原作であらすじ節とエピソードリスト節が共存しているものもあります。これについては「Wikipedia:査読依頼/リッチマン、プアウーマン 20121017」にも少し俎上に載っております。話は変わりますが、響け! ユーフォニアムにおいて、エピソードリスト節が存在しており、その時点で「あらすじ節」が不十分である状態から、後で「あらすじ節」が大幅に加筆されるのは珍しいものではないかと個人的には思います。エピソードリスト節とあらすじ節が大幅に重複しており、どちらかの除去なり縮小が必要となった場合、ガイドラインとしてではなく、個々にノートで解決を図ったほうが良いのではないかと思います。そもそも、ガイドラインにおいてどの程度で十分な「あらすじ」と見做すのかという簡単な基準(400字でも十分だと考えられることもあるし、2000字でも不十分なこともある)は作れず、響け! ユーフォニアムを参考にしても、現在の倍のあらすじは必要と考える人が居るかもしれない。
  • ただし、「エピソードリスト」を免罪符として「あらすじ節」が不十分なままで良いと考えることや、「エピソードリスト」節と「あらすじ」節がお互いに牽制し合って適切な編集が妨げられるのは問題です。オリジナルアニメ等の「あらすじ節」と「エピソードリスト節」の言及する原作が同じ場合は、詳細はエピソードリストを参照とするのも記事全体を通して考えれば問題ないかと思います。かと言って、あらすじ節に導入部分しか書かれていない、要するにエピソードリストの1話目の内容と殆ど変わらないのであれば、重複することにあまり意味がないので改善すべきでしょう。まあ、英語版はほどんどそのタイプなので、エピソードリストが存在せず、「あらすじ節」のみで不十分な状態にある記事よりかは、改善すべき優先順は低いように思います。婚活刑事安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜広域警察MR.BRAIN陰の季節実験刑事トトリ警視庁心理捜査官・明日香マジすか学園4高校教師 (2003年のテレビドラマ)アンフェア、‎新・示談交渉人 裏ファイル名探偵コナン (テレビドラマ)HERO (テレビドラマ)匿名探偵ガリレオ (テレビドラマ)GTO (1998年のテレビドラマ)リッチマン、プアウーマンなどのエピソードリストが導入されているドラマの記事の場合はあらすじ節が設けられていないのもあります。色々と書きましたが、「エピソードリスト」自体には何ら問題はなく、取り扱い危険物のようにガチガチの規制を作ってしまうと、執筆者が萎縮して書けなくなり当初の目的が果たせなくなると思うので、現状は深く考えすぎない方が良いかと。
「あらすじは短くてもよい」?
  • 記事によります。オリジナルアニメの場合→「詳細はエピソードリストを参照」でも良いですが、原作がある場合は「アニメ版のあらすじ」と考えられるので「詳細はエピソードリストを参照」とすべきではないと思います。ほとんどのアニメは原作を全てカバーしきれていない(最初の数巻分の内容で終わってしまう)ので、「あらすじ節」は原作のものとして全巻のストーリーが記述されるべき。また、「あらすじ」節と「エピソードリスト」の書いている内容が重複しているというのなら、「エピソードリスト」がない記事は見た目では明らかなものではないかもしれないが、そもそも実質的に「登場人物」節に書かれているストーリー説明と「あらすじ」節が重複する事になる。瑣末な内容の除去に関しては個々のプロジェクトのガイドラインで対応する必要がある。
「除去してもかまわない」?
  • 「あらすじ節」か「エピソードリスト節」のどちらかないしは両方の内容が充実していると考えられる場合→重複しているのでどちらかを除去するという安易な編集は避けるべき。ガイドラインに照らし合わせて不要な部分があればそこを除去すれば問題はなく、大抵の場合は依然として「あらすじ」が不十分なことがあるのでノートで個別に議論すべき。

--Infinite0694会話2015年9月21日 (月) 17:39 (UTC)

報告 議論提起・修正案の提示から1か月経過し、特に異論が出ませんでしたので上記原案のとおり修正しました。あらすじを章ごと、話数ごとにリスト化する場合も基本は同じということで。--ディー・エム会話2015年10月31日 (土) 23:19 (UTC)