国鉄485系電車
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国鉄485系電車(こくてつ485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直流特急形車両。
1964年に開発された481系電車の発展型で、1968年から1979年にかけて大量に製造され、四国を除く日本各地で特急列車に広く用いられた。2007年現在、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)が保有している。
本項では、基本構造の共通する481系・483系・489系の各系列についても記述・解説する。
基本概要
1950年代半ば以降、国鉄は地上設備の低廉性などから交流電化を推進した。その結果、直流電化区間との直通車両が要求され、交直両用特急形車両として開発されたのが485系グループである。
西日本向け交流60Hz対応の481系、東日本向け50Hz対応の483系、50Hz・60Hz共用の485系、碓氷峠での協調運転に対応した489系の4系列が誕生した。近年ではジョイフルトレインへの改造も行われている。
外観・設備
登場当初に製造された車両は、151系の流れを汲む外観で登場したが、床下機器の寸法に合わせ、床面の高さを近郊形・急行形よりも1cm高い1,235mmとし、屋根高さも151系に比べて125mm高い。使用される路線のホームの高さに合せるべく扉にはステップを装備。また、寒冷地区での使用を備え、耐雪耐寒設計とされた。国鉄車両としては初めて側面に18コマ対応の自動巻取式方向幕を装備したが、就役当初は準備工事にとどまり、従来通りサボを使用した。1972年以降に製造された車両は、国鉄183系電車に近い外観に一新された。
冷房は AU12形ユニットクーラーを1個ないし2個「キノコ形」ケースに収め、屋根上に設置している。クハ481形に5基、モハ481・サロ481・サシ481形には6基搭載する。モハ480形のみパンタグラフや交流電源機器によって屋根上のスペースが不足するため、AU12形3基に加えて、車内に設けた機器室に床置冷房装置AU41形を3基設置している。また揺枕吊を廃止した新型空気バネ台車DT32A形を電動車に、TR69A型を付随車に採用し、乗り心地に配慮した。
走行性能
MT54系モーター(出力120kW)を特急形車両としては初めて採用し、MT比1:1でも20‰ 程度の勾配を登坂できるようになり、経済性が向上した。またMM'ユニット方式を採用し、M車であるモハ481形には、主制御器に「自動ノッチ戻し機構」搭載のCS15系制御装置を採用、抑速ブレーキと併せて勾配の多い区間での走行に耐え得る性能を確保。M'車のモハ480形には主変圧器・主整流器などの交流機器を搭載しており、モハ481形の直流機器用電源を供給する「走る変電所」とも言うべき車両で、この方式は国鉄交直流電車MM'ユニットの基本構成として、401系・421系電車から一貫する手堅い方式を採用している。さらに、離線対策のためパンタグラフを2基設置している。国鉄末期以降は架線の損傷を避けるため第2パンタグラフの使用を中止もしくは撤去しているが、JR東日本の一部列車では架線霜取に使用している。
これらは483系・485系・489系の各系列にも踏襲されており、湖西線や津軽海峡線などで設計当初想定していなかった130~140km/hでの営業運転を行っていることからも堅実で完成度の高い構成と言える。
車両形式
481系
1964年に登場した、西日本地区向け(交流60Hz対応)の車両である。北陸本線金沢駅~富山操車場間の電化に伴い向日町運転所(現・京都総合運転所)に41両が新製配置され、同年12月25日(当初は10月1日からの運転が予定されたが、車両落成の遅れなどにより延期)に新設された大阪~富山間の特急「雷鳥」及び名古屋~富山間の特急「しらさぎ」として運転を開始した。
- モハ481形/モハ480形 (1~26)
- 新製後は、山陽本線・九州島内・北陸特急で使用されたが、1975年の山陽新幹線博多開業で鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)に転じ、九州島内のみで使用された。1982年より老朽廃車が開始され、1985年に全廃となった。一部車両の座席はキハ58系ジョイフルトレイン「らくだ号」に転用された。
- サロ481形・サシ481形・クハ481形
- 483系・485系においても付随車は481系を使用しており、のちにクロ481形・クハ480形といった形式なども誕生した。なお、JR東日本のジョイフルトレイン改造車には485形・484形を名乗る付随車も登場している。
483系
東北特急用として1965年10月ダイヤ改正に登場したが、厳密な意味での本系列はモハ483形・482形の2形式のみで、481系との差異は搭載する主変圧器が交流50Hz用になっていることである。
仙台運転所(現・仙台車両センター)に配置され、「ひばり」・「やまびこ」に投入。東北本線・常磐線系統の特急列車で運用された。
- モハ483形/モハ482形 (1~15)
- 1982年の8から老朽廃車が開始されたが、12~15は1985年に仙台運転所から勝田電車区(現・勝田車両センター)に転属、JR東日本に承継された後1990年まで使用された。
485系
概要
「ヨンサントオ」と呼ばれた1968年10月1日の白紙ダイヤ改正に登場した。搭載する主変圧器が交流50Hz・60Hz共用のTM14形となり、国鉄在来線のすべての電化方式に対応した3電源形である。3電源区間を直通する定期列車は大阪~青森の「白鳥」のみであった。しかし、3電源方式の狙いは車両運用と全国的な広域転配時の自由度にある。
電動車のモハ485形・484形の新規2形式のみであったが、製造期間は長期に及び、その間に大きな改良や特殊な派生形式の設定などが行われている。
当初使用されていた TM14形主変圧器は絶縁油にPCB(ポリ塩化ビフェニル)を使用していたため1972年以降に製造中止となり、代わりに絶縁油にシリコン油を使用し、互換性のあるTM20形が開発された。新造車では1974年製の1500番台から導入され、それ以前の車両にも交換が施工されている。
なお、1981年6月には長崎本線で脱線事故が発生し、モハ485-117・モハ484-221・クロ481-53の3両が7月27日付で廃車となった。これは旧国鉄時代に発生した唯一の事故廃車である。
基本番台前期形
概要
1968年から製造された初期型で、外見は481・483系とほぼ同じで、先頭車はボンネット形、冷房装置はAU12形である。台車は481・483系から引き続いて、電動車がDT32A形、付随車がTR69A形であるが、1972年以降製造車は空気バネをベローズ式からダイヤフラム式に変更したDT32E形、TR69E形となっている(MM'ユニット62~96、付随車はクハ481-105~126、サハ481-14、サロ481-36~51、サシ481-29~39が該当)。また、1969年製以降のクハ481-30~40・クロ481-5は、ボンネット外気取入口のスリットが横型から縦型となっている。
形式
- モハ485形/モハ484形 (1~96)
- クハ481形0番台 (1~40)
- ボンネット形先頭部を持つ制御車であり、151系電車と同じ150KVA電動発電機 (MG) と容量3,000l/minの空気圧縮機(CP)が搭載されている。ベースとなったクハ151形とは運転台周りから屋根にかけての造形が若干異なっている。新造時にはバックミラーが取付けられていたが、破損が多く保守困難なため1970年代前半に撤去された。後部にはパンタグラフなどを監視するための窓を運転士側・助士側それぞれに設けた。
- 後方防護用として編成後部の前照灯には赤色フィルターを取付け、不時停車時には赤色で交互点滅させる交互点滅回路が設置されていた。しかし、ATSの完備等情勢の変化により不要となったため1966年10月に181系と並んで廃止された。
- 向日町運転所配置の1~8は登場当時スカートを赤く塗装している以外は151系に準じた塗装になっていたが、翌1965年の増備車(9~18)より交直両用車であることを示すべく下部ライトケースの上に赤い「ひげ」もしくは「眉」と呼ばれる塗分が追加されるとともに、スカートの塗色も赤にクリーム帯を付与したものに改められた。これが「交流60Hz区間走行可能編成」であることを表すこととなったが、29~の増備車は50Hz用編成と同じクリーム1色になっている。また1970年代初頭には、2~7・9~11・15~18・37・38が吹田工場で独特のロール式ヘッドマークに改造された。これは盗難防止と、交換作業省力化という見地から行われた改造で、電動の自動巻取式。故障時には、ヘッドマーク正面向って右側に取付けられた対応用クランクハンドルの差込口で手動で動かすことも可能なものであった。もちろん従来のプラスチックヘッドマークも装着可能である。向日町から転出後はロールマークは使用されていないが、差込口が残されているので識別は可能である。難点は、奥まって付いているため晴天の日中判読しにくいことであった。
- ロールマークで確認されている列車名
- 「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」
- ロールマークで確認されている列車名
- 仙台運転所に配置された50Hz用編成(19~28)のスカート塗装はクリーム1色のものが採用されている。登場時には向日町車と同じタイフォン(警笛)で、カバーはなくスカートの穴に網を取付けたタイプになっていた。しかし、雪の多い東北地区を走行するため、後になって回転式のタイフォンカバーを改造で設置している。さらに485系の登場後はタイフォンの位置をスカート部からボンネット部に移設する改造が行われている。また屋上前照灯カバーについてもホイッスル部のスリットから雪が入って中に溜まるのを防ぐため、カバー後方を切欠いている。そのために関西地区に配置されていたものとの区別が可能になった。
- 九州地区配置車両は、1977年以降下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された。特にスカート部が60Hz仕様の赤塗色である1~18は1975年以降鹿児島運転所に集中配置されていたが、1985年に勝田電車区に転属。このうち9・12は鹿児島時代の1981年頃に、残る車両も勝田転属後、1986年3月までに郡山工場で検査を受けた際にスカート部がクリーム1色となった。また勝田転属車は「ひげ(眉)」も復活し、17は2001年に赤スカートに復元した。
- 1993年以降「ひたち」に使用されていた勝田所属車は、2編成併結の14両編成運転に対応すべく前面スカートの一部を欠取り、連結器の密着型への交換および制御回路用KE70形ジャンパ栓を上り方は正面向って左側、下り方は右側に設けたため、引通しが片渡りとなり方向が固定された。
- クロ481形0番台 (1~5)
- 1968年の奥羽本線山形以南電化と共に「やまばと」と「あいづ」が電車化されることになり、「あいづ」は磐越西線のホーム有効長から9両編成以下であることと奥羽本線では板谷峠の急勾配のためM:T比2:1以上が要求され、食堂車と一等車を同時に連結させる必要に迫られたため登場した形式である。
- 仙台運転所配置の編成はすべて9両化することになり、サロ481形をクロ481形50番台に改造する工事も行われた。新造車も改造車に合わせた設計となっているため、クハ481形0番台よりも全長が短い21,100mmとなっている。車掌室、トイレ、洗面所、出入口は後位側に設けられ、定員は36名。冷房装置はAU12形を4基搭載する。
- 全車日本車輌製造が製造、仙台運転所に新製配置されたが、1975年~1982年には南福岡電車区に転属。うち3両は1984年に普通車(クハ481形600番台)に改造され、5両ともJR九州に承継された。1988年にクハ481-602がクロ481-4に復元されたが、1994年までに全車廃車となった。
- クハ481形100番台 (101~126)・クロ481形100番台 (101~104)
- 1971年から製造されたマイナーチェンジ形である。前照灯がシールドビームとなり、MGが小型・大容量化(150KVA⇒210KVA)され、ボンネット内から床下へ移設している。CPのみとなったボンネット内冷却用の外気取入口には、ダクト状のカバーが付いた。また、タイフォンはボンネット上に移動しているが、クハ481-101・クロ481-101のみスカート部設置で落成。1973年に他車と同じ位置に改造されたためタイフォン上部に手擦が残っている。それ以外の外見は0番台とほとんど変わりないが、台車はクロ481形とクハ481-101~104がTR69A形。105~126がTR69E形。
- クロ481形は101~104の4両が製造され、全車とも仙台運転所に新製配置された。クハ481形も101~104がそれぞれ同日に同じ仙台に配置されている。1982年にクロ481形は4両とも南福岡電車区に転属、そのままJR九州に承継され1988年にまたも全車揃って鹿児島運転所に転属。1995年から1996年にかけて全車廃車となった。
- このグループのクハ481形は26両製造され、前述の101~104が仙台に配置されたほかは、向日町運転所に12両、青森運転所に10両が新製配置された。しかし、青森への配属車は、全車とも早期に向日町に移籍している(理由はクハ481形200番台の項参照のこと)。また、仙台配置の101~104も1985年に向日町に転属しており、翌1986年まで101~126のグループ全車が向日町運転所に集結をしている。余談だが、101は仙台から向日町に転属する間に書類上のみではあるが1985年3月14日~3月22日の9日間だけ勝田電車区に所属した珍しい経験も持つ。勿論、これは485系電車における「一車両基地への所属期間」最短記録でもある。
- スカートは50Hz用を表していたクリーム1色が正式であるが、109だけは赤スカートの60Hz用塗装で登場している。青森に1972年5月に配置され、9月24日には向日町に転属しているが、その間、東北地区~首都圏で活躍しており、異彩を放っていた。
- 分割民営化時に102のみJR東日本(上沼垂運転区→現・新潟車両センター)に承継。他はJR西日本(向日町運転所と金沢運転所→現・金沢総合車両所)に承継された。向日町に配属されたものの多くはのちに「ゆぅトピア」「ゴールデンエクスプレス アストル」等ジョイフルトレインやキハ65形「シュプール&リゾート」を連結できるよう連結器の密着型への交換および電気連結栓の設置などを施工したが、2004年までに全車が廃車となった。
- サロ481形 (1~51)
- 一等車→グリーン車。前位側から和式トイレ・洗面所、出入台、専務車掌室、客室(定員48名)、洋式トイレ・洗面所の順にレイアウトされており、181系一等車とは見付が異なっている。1979年以降、九州配属車は洋式トイレ・洗面所を廃止してその部分に車販準備室を設置している。
- サハ481形0番台 (1~19)
- 1968年に仙台配置車は6M3Tの9両編成に統一されたが、「ひばり」「やまびこ」は高需要により、1970年に12両化のために製造された形式。
- クーラーは1~14がAU12形、15~19がAU13E形を搭載。1~15が仙台運転所に、16~19が金沢運転所に配属された。1972年に1・2がサハ489形50番台に改造(翌年に250番台へ再改造)、3~11は1975年に長崎本線・佐世保線電化用として南福岡電車区に転属、12~19は1978年に仙台車はサハ481形100番台と交換する形で、金沢車は仙台への転出車を補完する形で向日町運転所に転属の後、1984年~1985年にクハ480形へ改造(後に一部がクハ481形へ再改造)、未改造車は1996年から2000年にかけて全車廃車となり区分消滅した。なお改造後の車両は、19がクハ481-801として京都総合運転所で、16がクハ183-851として福知山運転所で現存する。
- サシ481形 (1~39)
- 食堂車の基本構造はサシ151形に準ずるものの、回送運転台が調理室側の妻面にも装備されている。食堂定員はサシ151形と同じ40名。調理に電気レンジを使用するため自車給電用として70kVAのMGを搭載。また、本系列では回送運転台装備車両は当形式のみである。
基本番台後期形
概要
1972年下半期から1976年まで製造されたグループで、内外装デザインは同時期に製造された183系電車0番台と共通する物などに一新、全体的により機能優先の方向へと移行しており、以後に登場した485系の各番台は、基本的にこのグループの仕様を踏襲している。モハ484形については新たに200番台の番台区分が、クハ481形については200番台が製造された後、さらにデザイン変更が行われ300番台に区分された。また、このグループから側面方向幕のコマ数が18→40コマ対応とほぼ倍の表示が可能なタイプになった(のちに初期形車も交換)。台車は、電動車がDT32E形、付随車はTR69E形だが、クハ481-311・313・315~354、サロ481-115~133はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形を履く。また1974年製以降のクハ481形300番台・モハ485-207~255・モハ484-309~345・603~614・サハ481-15~19・101~118は、従来のT-17系回転クロスシートに代わり、わずかに背ずりの倒れるR-51系簡易リクライニングシート装着で落成している。
形式
- クハ481形200番台 (201~263)
- 分割・併合運転を視野に入れ、ボンネットスタイルを廃止し183系電車に準じた前面貫通形となった。581系・583系と同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すのは変わりないが、外扉の開閉は空気シリンダーを用いて自動化されている。MGの床下搭載は100番台と同様で、CPも床下に移し容量が2,000l/minの物になった。ボンネットを廃止したため、客室スペースが拡大して定員は8名増の64名となり、連結面車体長は250mm短い21,000mmとなっている。また、この200番台からはユニット運転台が採用された。前頭の列車名表示器は将来貫通扉の左右に幌を押出すシリンダーを設けるスペースを考慮した扉の幅に制約され、小型の正方形で手動式である。正面貫通形を営業運転で使用開始したのは1985年の紀勢本線特急「くろしお」からで、それ以前から貫通扉を使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉を溶接したり、あるいは貫通路を完全に埋込んだりしている。
- このグループは全部で63両が製造されたが、新造時にその2/3に当る42両が青森運転所(現・青森車両センター)に、残る21両も向日町運転所に集中配置された。青森には100番台車も10両が配置されていたが、200番台配置に伴い全車が向日町運転所に転属となっている。これは、当時東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島駅で分割・併合させて運転する計画があり、その準備段階として集中配置を行ったためである。しかし、ホーム有効長の問題、新形式の導入の必要性や輸送量などの諸事情、奥羽本線板谷峠の急勾配によるM:T比2:1の制約等で計画は白紙に戻された。そのため200番台車の必要性は薄れ、逆に隙間風や居住性の悪さから乗務員からも不評が多くなり、300番台以降の非貫通型クハを要望する声を受けて、青森の200番台車は国鉄時代に全車転出となっている。また、JR東日本には民営化直前に向日町から上沼垂へ転属した3両のみ(258・260・261)が承継され、2001年に全廃された。
- 青森運転所に新製配置された一部車両(203・204・207・208)には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは来たるべく分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものであったが、数度のテストのみで使用されたにとどまり、1976年に撤去されている。なお、この4両は1975年、「つばさ」電車化の際に全車秋田運転区(現・秋田車両センター)に転属、翌年の1000番台投入により南福岡電車区に再転属、さらに1985年には「くろしお」増発のため揃って日根野電車区に三度転属するも1986年には204のみが「北近畿」用に関西に残留し、他の3両は南福岡に復帰。分割民営化の際に203・207・208がJR九州に承継されたが2000年までに廃車。204がJR西日本に承継され、1987年にクロハ481-214に改造、さらに1990年に183系化改造によりクロハ183-801となり、現在は福知山運転所のB41編成で活躍している。また、この車両は踏切事故復旧時に前面貫通扉を埋込んでいるが、スカートには電気連結器装着時代の痕跡を確認することができる。なお、分割民営化後に西日本、九州所属車の一部に電気連結器、自動解結装置を装着した車両が登場している。
- クハ481形300番台 (301~354)
- 1974年に登場したマイナーチェンジ車である。基本構造とスタイリングは200番台ベースだが、隙間風などの運転室居住性問題と併結運用が当時は少数かつ計画のみで必要性を欠いていたことから貫通路を廃止。運転室の環境改善も考慮され、車体長を250mm延長し0・100番台と同じく連結面車体長が21,250mmとなり同時に運転室床上スペースが余ったため、助士席下部へCPを移設している。また列車名表示器は大型の長方形で側面方向幕連動の電動式となった。この前頭デザインは愛好者から俗に「電気釜」とも呼ばれる。
- モハ484形200番台 (201~345)
- 1基で1両全体を冷房できるかまぼこ状の集中形冷房装置AU71形を採用して室内の床置冷房装置AU41形と業務用室を廃止したため、0番台より定員が8名増加し72名となり、200番台の番号区分が行われた。
- モハ484形600番台(601~614)
- 200番台に車掌室と業務用室を設けたための番号区分。定員は200番台より8名少ない64名である。
- 一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急では仙台運転所編成がクロ481形を連結していたために編成中央部にあるモハ484形0番台のものを使用する一方、青森運転所編成もサロ481形を2号車に連結していた。そのため、編成中央部付近に専務車掌室を持った600番台が必要になったのであり、この構造は後の1000・1500番台に受継がれることになる。
- 600番台は、全部で14両製造され青森・仙台のみの配置であった。しかし、分割民営時にまで全国各地にバラバラとなり、JR東日本に承継されたのは勝田電車区の603のみであり、601・602はJR九州に、604以降はJR西日本に承継され、このうち4両は1990年に183系電車モハ182形800番台に改造された。
- 他の中間車(モハ485-97~255・サロ481-52~133・サハ481-15~19・サシ481-40~76)
- 変更点が冷房装置などの些末なものに限られる故か在来車の続番となった。冷房装置はAU12形よりも出力の大きなAU13E形ユニットクーラー5基に変更。きのこ形のカバーや薄板をプレスした高級感ある車内ルーバーは廃止されて、急行形電車と同一スタイルの機能優先形になった。
- 1990年3月18日、特急「にちりん47号」が踏切事故に遭遇し、編成中のモハ485-229が床に大きな損傷を受けた。復旧には同時期に保留車となっていたモハ485-23の車体を活用したため、冷房装置がAU12形6基という異端車となった。
- サロ481形のうち、1975年製の115・116・122・123・127・128の6両は床下にMG・CPを搭載し、前位車端部に車販準備室・車販コーナー設置といった仕様変更が行われている。
- サハ481形100番台 (101~118)
- 100番台を付与されているが、1976年登場のためクハ481形100番台とは異なり、車体構造などは300番台に準じている。サハ481形の後位側に車販準備室・業務用室を設けた形式であり、基本番台車とは定員(8名減の64名)が異なるため区分された。向日町と南福岡に集中配置されたが、床下にMG・CP設置準備工事が施されていたことから、1978年10月改正で東北地区特急3MG化のために一部が仙台運転所に転属している。後に大部分がクハ481形や183系・189系の先頭車などに改造された。108・109の2両が1998年に廃車されて区分消滅しているが、この2両は向日町から1986年に青森へ転属、1988年3月から、特急「たざわ」の多客期増結用として南秋田運転所に所属。1989年3月には勝田電車区に再転属し「ひたち」で活躍と常に運命を共にしていた。
1500番台
概要
1974年、北海道の函館本線札幌~旭川間の特急「いしかり」用に製造された北海道向け特別耐寒耐雪形である。
当時、函館本線では711系による急行「さちかぜ」が札幌~旭川間ノンストップの高速運転でビジネス客の好評を得ていた。そこでさらなるサービス向上を期し、711系をベースにこの区間向けの新型交流専用特急車が計画されたが、主変圧器に使われているPCBの毒性が判明し、対応のために計画は一時頓挫する。それでも沿線からの要望が強いことから、485系の耐寒耐雪構造を強化し投入された。
クハ481形は300番台と同様の非貫通型だが、運転台上のヘッドライトは降雪時の視認性向上のため2個に増設、精悍な外観となり、さらに北海道に送られてからの1976年にテールライトが巻き上げて付着する雪に遮られて見えなくなるために、車体内側からライトを交換する標準タイプから車体より突出したランプステーを取付けて外からライトを交換する外付式に苗穂工場で改造した他、前頭部連結器を密着自動型に交換、暖房装置の強化・凍結防止ヒーターの増強などが施された。なおグリーン車と食堂車は製造されず、「いしかり」は6両モノクラス編成のため、モハ484形に専務車掌室や車販準備室を設ける600番台と同様の構成となっている。台車は耐寒耐雪強化タイプとなり、電動車がDT32G形、クハ481形が路面清掃装置付のTR69G形を履く(本州復帰時にDT32E形・TR69H形に交換)。
1974年に川崎重工と日立製作所の2社で新造されたが、22両全車が札幌運転所への配置である。当初は耐寒耐雪効果の試用を兼ねて大阪~青森間の特急「白鳥」に使用されたが、名目上は青森運転所への貸渡しである。翌年に渡道し、7月から新設特急の「いしかり」として運転を開始している。しかし、冬季に入ると可動部品のない無接点制御装置搭載の711系に比べ、485系は制御装置を始め可動部品や接点が多く、本州では問題のなかった電装機器を中心に酷寒地での凍結に対して脆弱な面が露呈。また、北海道特有の細かい雪が出入口から大量に車内に侵入する問題も多発。様々な対策が施されたが、いずれも根本的な解決にはならず、北海道での485系の使用は困難との結論から、711系を発展させた781系が開発され、1978年に試作車が登場した後、量産車が1980年夏に落成。1500番台は全車揃って青森運転所に転属し、分割民営化時にも全車揃ってJR東日本に承継された。
形式
- モハ485形/モハ484形(1501~1507)
- MM'ユニット7組14両は全車動きが一貫しており、1985年2月に青森から向日町運転所に転属、さらに1986年11月1日には上沼垂運転区に再転属。全車グレードアップ改造が施工されたが、2001年から2002年にかけて老朽化のために廃車。これほどまで運命を共にしている車両も珍しい。
- クハ481形 (1501~1508)
- このグループのクハ481形は、本州復帰後青森に残った車両と上沼垂運転区・南秋田運転所に転属する車両に別れたが、最終的には全車とも一度は新潟に転属している。JR化後は新潟車を中心に指定席車両の床面嵩上・側窓の天地方向の拡大・背面テーブル付フリーストップ式リクライニングシートへの交換とシートピッチ拡大などの「グレードアップ改造」を施行された。1501が1987年にクロハ481-1020へ改造(1999年にクロハ481-3020にリニューアル改造)され、長年青森をベースに活動していたが、2006年に新潟車両センターに転属した。1506も2000年にクハ481-3506へリニューアル改造され、新潟車両センターR24編成の6号車に組まれていたが、JR羽越本線脱線事故で大破。2007年3月31日付で廃車となった。
- 1502・1503は、ジョイフルトレイン「彩(いろどり)」に改造され、2007年1月21日より営業運転を開始している。また、この改造によりグリーン車(ハ⇒ロ)に等級変更も同時に行われた。
- 1504・1505は、2002年に新潟から勝田電車区に転属し、現在では臨時・団体列車中心で運用されている。
- JR化後も秋田・青森ベースで活躍した1508は、1985年にJR化前の広域転配の輸送車として鹿児島運転所にも足を踏入れており、電化区間の最南端と最北端どちらにも足跡を残しているという貴重な車両である。さらに現在まで山梨県、三重県、鳥取県、島根県、香川県、徳島県、愛媛県、高知県、長崎県、大分県、宮崎県と普通鉄道のない(モノレールは存在する)沖縄県を除く35都道府県を走行しているが、これは日本の鉄道用電車としては最多都道府県走行のタイトルホルダーである。2000年には新潟車両センターに転属し、現在ではT18編成の6号車として組込まれている。余談だが、この車両は2度目の青森所属時代にATS-P形を装着しており、時折「ムーンライトえちご」に投入され、首都圏で確認することもできる。なお、現状については次の通り。
- 1501⇒クロハ481-1020⇒クロハ481-3020(新潟車両センター「R28」編成)
- 1502・1503⇒クロ481-1502・1503(長野総合車両センター「N201」編成、ジョイフルトレイン「彩」)
- 1504・1505(勝田車両センター「K60」編成)
- 1506⇒クハ481-3506(2005年12月25日羽越本線脱線事故で大破、2007年3月31日廃車、最終所属新潟車両センター「R24」編成)
- 1507(2006年6月1日廃車、最終所属新潟車両センター「T21」編成)
- 1508(新潟車両センター「T18」編成)
1000番台
485系は元々耐寒耐雪設計ではあったが、それでも冬期の東北・北陸方面ではしばしば寒冷が原因の故障を起こした。これに対し1500番台および183系1000番台をベースに本州向け耐寒耐雪強化形として、1976年から製造されたのが1000番台である。床下機器の配置見直しや密閉化、クハ481形では乗務員室の暖房強化等の設計変更が行われている。その中のひとつが3MG化であり、サロ481形にMG・CPを搭載し、しかもトラブル発生時には運転席からMGの給電区分を即時変更できるように引通線も増設されている。そのためにクハ481形は片渡りとなり方向転換が不可となった(後年、改造で方向転換を行った車両もある)。モハ484形は600番台の構造を取入れているが、1000番台では編成中央にMG・CPを設置したサロが連結されるために将来のモノクラス化時の専務車掌室確保や車販準備室用としての意味合いが強いものであった。台車は電動車がDT32E形、付随車がTR69H形を履く。
1979年6月19日付落成のモハ485/484-1085~1088、クハ481-1040~1043をもって長きに渡る485系の新造に幕を閉じた。
- 形式
- モハ485形/モハ484形 (1001~1088)
- クハ481形 (1001~1043)
- サロ481形 (1001~1008)
- 本区分番台では食堂車は製造されず、所要となるサシ481形は基本番台後期形車両の一部(57~59・61~63・65~67・75・76)とサシ489形から改造の80番台に引通線増設などの対策を施工の上で充当した。
- クハ481-1013~、モハ485/484-1025~は座席のリクライニングが背もたれを倒した状態でロックすることが可能なR-51BN形簡易リクライニングシートに改良された。
- 1988年の津軽海峡線開業により、青森運転所の青函トンネル運用に充当するモハ484形は第1パンタグラフを高速走行に優れたPS26B形への換装、制御車にはATC-L形設置およびこれにともなうCPの床下移設が行われている。
3000番台
概要
1996年から2001年にかけて、JR東日本が1000番台車を中心に行ったリニューアル改造車である。全車に共通した改造内容は、外板塗装の変更。側窓の下辺を台枠から845mmとし、窓を大型化、同時に窓ガラスの内側取付ユニット化。化粧板の張替。出入台照明のダウンライト化。貫通引戸と側引戸をハニカム構造で軽量化を図った物に交換。扉ストッパーのキャッチャ式化。電気式となるパルサーチの検知方式を採用し、客室仕切戸を自動化(ドア挟み防止センサーも内蔵)。出入台と運転室の床敷物をノンスリップタイプに交換。各車両の仕切戸と妻引戸上部に電光表示の室内案内情報装置、号車番号案内装置、禁煙表示装置の設置。行先表示器のLED化。トイレは真空吸引式洋式に交換。洗面所スペースを撤去し、ユニット式男子トイレを新設。洗面所は小スペース用のユニット方式へ変更などが施工されている。
室内は、グリーン車が新幹線200系電車と同様の荷棚への交換(カーテンキセを含めたFRPカバーも交換)。クロハ481形は4列のまま新型シートに交換、サロ481形は種車が3列シートのグレードアップ車のためモケット張替を施工。普通車もシートはフリーストップリクライニングと座面のスライドが可能な物に交換(シートピッチは910mmのまま)。その他、新タイプの荷棚への変更。喫煙車への空気清浄機の取付。モハ484形では、遮断器が空気式(ABB)から真空式(VCB)に交換。一部車両に車椅子対応座席の設置などのバリアフリー化、モハ485形の一部車両への車販準備室と電話室の設置も行われている。
この改造で大きく変わったのは、先頭車のクハ481形、クロハ481形で従来の運転台屋根部分をすべて撤去し、新しい屋根構体に載せ換えて前面ガラスを1枚の大型ガラス化。前面にFRP製マスクを取付し、前面愛称表示機をLED化。さらには、スノープラウ部分のカバーを取付、前灯も変更したためにデザインが大きく変わり、大幅なイメージチェンジとなった。また補助電源はMGからSIVに、CPも静音床下搭載タイプ2,500l/minへ増大した物に交換した。
改造施工は、土崎工場と青森運転所東派出所。ただし、青森での改造は中間車のMM'ユニットのみで最終の塗装行程は土崎工場で行っている。9両編成2本、6両編成12本と増結用MM'ユニット3組6両の96両が改造され、青森運転所と上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に配置された。新潟所属車のうち9両→6両に編成を組替えたために外されたサロ481形は保留車。2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故により大破し、物的証拠として警察に押収されたR24編成は、捜査の終了により全車2007年3月31日付で、3000番台で初の廃車となった。
この区分番台は車内放送のオルゴールがクラシック音楽の名曲となっている。(ヨハン・シュトラウス2世「美しく青きドナウ」、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「主よ人の望みよ喜びよ」、アントニオ・ヴィヴァルディ「春」、フェリックス・メンデルスゾーン「春の歌」など)
現在、青森車両センターには6両編成(A編成)6本と増結用MM'ユニット4組8両の44両が配置され、「白鳥」「つがる」で運用されている。また、青函トンネルを走行する運用が組まれているために全編成の先頭車にATC-L形を、モハ484形の第一パンタグラフは高速走行対応型のPS26B形を搭載している。
なお2006年には、旧A9編成のクロハ481-3020、クハ481-3350、モハ485・484-3056の4両が、JR羽越本線脱線事故による車両補完のために新潟車両センターに転属している。
新潟車両センターには6両編成(R編成)7本と増結用MM'ユニット1組2両、保留車2両の46両が配置され、「北越」「いなほ」を中心に運用されている。なお、R26・27編成は、9両編成(R1・2編成)時代に「はくたか」運用で北越急行ほくほく線に入線するためにATS-P形を搭載され、波動輸送や「ムーンライトえちご」などで首都圏にその姿を見せることもある。
なお、青森車と新潟車について次のような違いがある。
- 外板塗装は、どちらも白と青を貴重にしたものであるが、青森車は若干紫に近い青。新潟車は、側引戸と連結面周辺がアクセント的な要素で緑色に塗装されている。
- クハ、クロハの前面マスク部分の塗装が異なる。青森車は黄色で「North East Express 485」と「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」のロゴが、新潟車は緑色で運転台下付近にJRのロゴマークが入る。また、乗務員扉前に青森車は、先頭部と同じ「North East Express 485」のロゴが入るが、新潟車はかつて「はくたか」運用についていたR26・27編成のみ翼をモチーフにした銀色のエンブレムが付いている。
- どちらも同じ6両編成で車両構成は同じだが、クハとクロハが逆向きとなる。
- 青森車(←青森/6号車)ThscMM'MM'Tc(八戸・函館・弘前/1号車→)※4号車に車いす対応車。5号車に車販準備室・電話室。
- 新潟車(←新潟/6号車)TcMM'MM'Thsc(青森・金沢・新宿/1号車→)※4号車に車いす対応車。5号車に車販準備室・電話室。
青森駅基準で見た場合、編成的にはクロハが先端で同じ位置になるが、MM'ユニットと号車名が逆向きとなる。
形式
この区分番台は、モハ485形・484形、クハ481形、クロハ481形、サロ481形のみ。
- なおこの書体は、羽越本線脱線事故による廃車車両(元・新潟車両センターR24編成)。
- モハ485形
- 車番は原番号+2000。定員は72名で変更はない。一部の車両ではトイレを車販準備室に、洗面所を電話室と荷物置場に変更している。
- モハ484形
- 車番は原番号+2000。一部の車両ではバリアフリー対応の車いす対応大型洋式トイレ、多目的室を新設。客室出入台側に車いす対応座席を2脚設置した。通常車が定員64名であるのに対し、車いす対応車は定員が58名となっている。
- モハ485形・484形ユニットの車番 <3009>・<3014>・(3018)・<3022>・(3030)・<3031>・(3033)・(3034)・<3035>・(3037)・<3038>・3039・(3040)・3044・<3046>・<3047>・<3049>・3050・<3051>・3054・3056・<3059>・(3060)・<3062>・(3065)・3066・<3067>・<3068>・3070・3075・<3081>・3086・<3087>
- ( )は、新潟車両センター所属、モハ484形車いす対応車。
- < > は、青森車両センター所属、モハ484形PS26B形パンタグラフ搭載車。
- クハ481形
- クハ481形からの車番は、1000・1500番台からの改造車が原番号+2000、300番台からの改造車が原番号+3000、クロハ481形からの改造車はクハ時代の原番号+2000である。
- クハ481-<3005>・<3006>・<3010>・(3011)・3018・<3020>・<3022>・<3030>・(3034)・3043・3342・3348・3350・3506
- ( )は、新潟車両センター所属、ATS-P形搭載車。
- < > は、青森車両センター所属、ATC-L形搭載車。
- クロハ481形
- 車番は原番号+2000。定員はグリーン室16名・普通室36名。2006年にクハ481形からの改造車(クハ481-3026・3037→クロハ481-3026・3037 新潟車両センター施工)が登場している。
- クロハ481-3004・3008・3010・<3012>・<3015>・<3016>・<3017>・<3019>・3020・<3021>・3024・(3026)・3027・(3037)
- ( )は、新潟車両センター所属、ATS-P形搭載車。
- < > は、青森車両センター所属、ATC-L形搭載車。
- サロ481形
- 車番は原番号+3000。グレードアップ改造車のサロ481-106・107に再改造施工。主に「はくたか」に使用されていたが、683系化により現在は定期運用から外れて保留車となっている。
- サロ481-3106・3107
訓練車
1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため、保留車を活用して訓練用編成を整備することになった。そのために485系でもモハ484形を種車にモヤ484形に改造した訓練車が2編成整備され、青森運転所と勝田電車区に次の編成で組成された。
- 青森運転所訓練車編成(A13編成)
- 青森←クハ481-24・モハ485-60・モヤ484-1・クハ481-16→上野
- 勝田電車区訓練車編成(K26編成)
- 青森←クハ481-17・モハ485-61・モヤ484-2・クハ481-26→上野
どちらもクハ481形は481系時代に向日町運転所に、483系時代に仙台運転所に新製配置された車両で、電動車ユニットは1972年製で仙台→青森→勝田と運命を共にした車両で編成が組まれた。
訓練車編成は、21世紀になると殆ど壊滅的になったボンネット形クハを東日本地区で見られる数少ない存在のためにファンのみならず、人気を得ることになった。そして2001年には勝田所属であるクハ481-17のスカート塗装を赤色にクリームの帯という60Hz仕様に復元している。青森車が2005年、勝田車も2007年に廃車された。
- モヤ484形 (1・2)
- 改造施工は1が青森運転所、2が郡山工場(現・郡山総合車両センター)。室内は座席を一部撤去して、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用モニタ、ビデオを搭載するためのラックが装備されている。外観上は白線2本と「訓練車」の表記が追加され、一般車とは区別されている。
- モハ484-60・61→モヤ484-1・2
JR九州車体改修車
JR九州では、783系以降の新型車と比較し格差が生じたために車内外に改修を行った。
- 外板塗装を水戸岡鋭治主宰のドーンデザイン研究所のデザインに変更
- グリーン車の3列シート化(4列シート車のみ)
- グリーン車、喫煙普通車へ空気清浄機を取付
- トイレへ換気扇の取付
- クロ480形組込5両編成のモハ485形はトイレ・洗面所を業務員室・車販準備室に変更
- 普通席リクライニングシートの交換(一部はモケット張替のみ)
この結果、現存車はすべて改修車となり、以下の6種類が登場した。
- KAMOME EXPRESS(消滅)
- MIDORI EXPRESS(消滅)
- RED EXPRESS(DK10~16、DO31編成)
- HUIS TEN BOSCH(DO1・3~7、DK8編成)
- 「ハウステンボス」時代は4両でMc(緑)+M'(青)+T(黄)+Tc(緑)の配色だったが、「きりしま」「ひゅうが」に転用する際Tが廃車され、Mc(緑)+M'(青)+Tc(緑)の「K&H色」となった。
- KIRISHIMA EXPRESS(2000年に一旦消滅したが、2004年に復活:DK9編成)
- 旧国鉄色(2000年にミレニアム記念で登場、現存:DO2編成)
489系
概要
信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠は最大66.7‰ の急勾配区間であるため、EF63形の推進・牽引による無動力運転となり、通過する電車は最大8両に制限、台枠・連結器の強化などをする通称横軽対策の必要があった。しかし、EF63形との協調運転用機器を搭載することにより、12両編成まで通過可能となるために関連装置を485系に装備した派生形式で、上野~金沢の特急「白山」用(のちに間合い運用で「あさま」にも充当)に1971年~1974年および1978年から1979年(サロ489形1000番台のみ)に製造された。
協調運転用装備を追加した結果、付随車についてもクハ489形など別形式となっている。なお協調運転は不能となるが、基本設計が共通の485系と混結することは可能である。
1971年7月、本来の使用目的である「白山」運転開始の8ヶ月前に11両編成2本が向日町運転所に配置された。夏期臨時列車への充当目的もあったため向日町所の485系と共通の編成で落成したが、定期運用にも組込まれ九州地区での運転も確認されている。さらに、秋以降にはEF63形との協調運転テストを行い、年末にはスキー臨時列車である「あさま銀嶺」で実戦投入のリハーサルとも言うべき横軽区間での営業運転が行われた。年が明けた1972年に3編成がサハ489形組込の12両編成で落成し、さらに先行2編成分にも追加されるが、追加新製は1両のみで不足分はサハ481形から2両の改造で充当が予定された。しかし、改造は「白山」運転開始から8ヶ月経った1972年11月であり、また同年の10月~11月に200番台・600番台車3編成が落成しているが、サハ489形の新造車は翌1973年3月の金沢運転所に初めて新製配置された2編成の追加までなかった。つまり、編成数に対応したサハ489形は常に1~2両足りない状態であり、7月にサハを2両製造して辻褄が合うことになった。これには、向日町の485系も車両が不足気味で、11両状態の489系も共通予備車として運用が組み込まれていたこともあり、金沢への転属が概ね1973年9月までに完了した後も1編成だけ残された。最後の編成が金沢に転属したのは、純増備の485系(クハ481形300番台の初落成車)が向日町に配属されるを受けた後の1974年4月であった。
「白山」充当時には6M6Tの12両編成を組成しており、全部で14編成が就役したが、最終的には1971年~1974年にTc14組28両、Ts28両、MM'ユニット42組84両、Td、Tが14両ずつと編成単位の製造(うち4両は181系、485系からの改造車)が行われた。 また、485系のデザイン過渡期と同時期に製造されたために、それぞれに対応する区分番台が誕生している。 その後、3MG化と編成変更のために1000番台車10両が新造され、分割民営化後にJR東日本が2両を485系から改造編入をしており、総車両数は180両。
分割民営化時にはJR東日本とJR西日本に承継されたが、長野新幹線の開業で信越本線の横川~軽井沢間が廃止され、本来の目的を失ったことや老朽化などにより、東日本所属車はサロ481形改造のサロ489形1050番台の2両を除いて廃車。西日本所属車は、金沢総合車両所に34両。京都総合運転所に5両が在籍。2007年4月現在総計41両が車籍を有している。なお、最近では横軽対策車を示す車号表示前に付く「●」マークを省略した車両も見受けられる。
0・500番台
概要
1971年~1972年上期に製造されたグループ。外観は485系0番台と同じくAU12形クーラー搭載が特徴である。ただしクハ489形に関しては製造時期からクハ481形100番台(210KVA・MGは床下、CPはボンネット搭載)に準じる。また、クハ489形の上野方車両は500番台に区分、EF63形と連結するため並型自動連結器や横軽協調制御用KE70形ジャンパ栓・ブレーキホースがむき出しになっているのが特徴である。タイフォンは、1971年上半期製造の1・2・501・502はスカートに、3~5・503~505はボンネット部分に備える。1974年から1976年頃にかけてクハ489-503のスカートがクハ181形同様グレーに塗られていた時期がある(本来はクリーム4号)。なお、台車は1971年製造車が電動車はDT32A形、付随車はTR69A形、1972年製がDT32E形、TR69E形。現存車は、モハ489形・488形ユニットが2・4・6・13~15とクハ489-1~3・5・501~503・505の20両で全車金沢総合車両所に所属する。
形式
- モハ489形/モハ488形 (1~15)
- クハ489形
- 0番台 (1~5)
- 500番台 (501~505)
- サロ489形 (1~10)
- サハ489形 (1~4)
- サシ489形 (1~4)
200・600番台
概要
1972年下期に485系200番台と同じく先頭車の貫通化やクーラーの変更(AU12形・AU41形→AU13E形・AU71形)などにより登場したグループである。上野方先頭車は0番台とは異なり+400の600番台に区分され、CPも2台搭載となっている。また、先頭車前面連結器を並形自動式から密着式に変更した。サハ489形には当初からCPを搭載、台車は電動車がDT32E形、付随車がTR69E形を履く。なお、新製配置は1972年製が向日町に、1973年製以降の車両は金沢。また1974年製のモハ488-216~、モハ489-31~、サハ489-9~の座席はR-51系簡易リクライニングシートを装着して落成。クハ489形200番台は2003年に廃区分番台となり、現在はモハ489形・488形ユニット19~22+204~207、26+211、30+215とサロ489-13・23・25・27、クハ489-604の17両が現存する。
形式
- モハ489形 (16~42)
- モハ488形 (201~227)
- クハ489形
- 200番台 (201~205)
- 600番台 (601~605)
- サロ489形 (11~28)
- サハ489形 (5~12)
- サシ489形 (5~12)
300・700番台
概要
1974年製造のクハ481形300番台の489系仕様である。上野方先頭車は+400の700番台。CPはクハ481形と異なり床下搭載(700番台は2台搭載)となっている。外見上は助手席下部のCP用機器搬入口が無い事で判別可能である。なお、座席はR-51系簡易リクライニングシートを装着して落成した。
702・704の2両が京都総合運転所所属で現存する。一方300番台は2004年に廃区分番台となっている。
形式
- クハ489形
- 300番台 (301~304)
- 700番台 (701~704)
1000番台
489系ではサロ489形のみに存在する形式である。1978年10月ダイヤ改正より共通運用となった特急「白山」及び「はくたか」は3MG・8M4T編成化されたが、三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外されるために1978年と1979年に計10両が新製された。同時期に製造されたサロ481形1000番台に協調運転機能を装備した形で外観と性能などは準じ、210kVAMGとC2000形CPを搭載する。1004がMGとCPを供出の上101に改造、それ以外の車両も先頭車化改造の種車となったため、1991年に廃区分番台となっている。
ジョイフルトレイン
485系をベースとして、改造によって誕生したジョイフルトレインは、次に示す車両がある。すべてJR東日本が保有している。
なお、編成全体の詳細はジョイフルトレイン(「リゾートエクスプレスゆう」と「NO.DO.KA/のどか」については183系も)を参照。
和式電車
- リゾートエクスプレスゆう
- 1991年3月に欧風電車として登場した6両編成。改造は、クモロ485-2、モロ484-2・3、サロ485-1が大井工場(現・東京総合車両センター)、モロ485-1、クロ484-2が大船工場(現・鎌倉車両センター)。スロ81系和式客車「ふれあい」の置換え用。1998年10月に先頭ラウンジ部分とサロ485形を除いて畳敷の和式電車に再改造された。水戸支社が保有、勝田車両センターに所属。
- 宴
- 1994年6月に東急車輛製造で改造された6両編成。大宮支社が保有、小山車両センターに所属。
- 各車両の愛称は1号車から「いこい」「ろばた」「はなやぎ」「にぎわい」「ほほえみ」「へいあん」となっている。
- ニューなのはな
- 1998年2月に大宮工場(現・大宮総合車両センター)で改造された6両編成。165系和式電車「なのはな」の置換え用。千葉支社が保有、幕張車両センターに所属。客室はモロ484形の一部を除いて畳敷座敷とボックス式クロスシートへの転換が可能となっている。
- せせらぎ
- 2001年3月に大宮工場で改造された4両編成。12系和式客車「やすらぎ」の置換え用。高崎支社が保有、高崎車両センターに所属。「やまなみ」と併結運転が可能
カーペット車
- NO.DO.KA/のどか
- 2001年10月に登場した3両編成。1990年に新津車両所(現・新津車両製作所)でサロ189形の改造により登場した「シルフィード」が経年変化で普通車格下げしたのち、キハ58系カーペット車の置換え用に再改造した車両。新潟支社が保有、新潟車両センター所属。
座席車
- きらきらうえつ
- 2001年11月に土崎工場で改造された4両編成。新潟支社が保有、新潟車両センターに所属。落成当初より転落防止用外幌を備える。
- 彩(いろどり)
- 1995年以来リニューアルを受けながら使用してきた長野支社が保有する14系和式客車「浪漫」の老朽化が進んだため、置換え用として2006年に長野総合車両センターで改造された6両編成。その先頭車の形状が人気漫画ドラゴンボールに登場する悪役キャラクターを彷彿とさせる事から、一部ファンの間で「フリーザ」という渾名で呼ばれている。
型式
全車とも改造車で、車体構体を流用したケースや、下回りだけ流用してまったく新しい車両構体に載せ換えをした車両まで様々である。
モロ485形
0番台
2以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えて、お座敷(和式)電車として誕生している。また、2・4・8・9がテレホンカード式公衆電話、3・5・7がトイレを備えるほか、休息室や更衣室も備えている。
- 1
- 「リゾートエクスプレスゆう」の中間電動車。1998年10月の和式化で定員が33名→28名と変更されている。
- サロ189-6→モロ485-1
- 2・3
- 「宴」の中間電動車。定員はともに28名。
- モハ485-56・37→モロ485-2・3
- 4・5
- 「華」の中間電動車。
- モハ485-87・149→モロ485-4・5
- 6・7
- 「ニューなのはな」の中間電動車。6は定員が畳敷44・座席64名。7は畳敷40・座席56名。
- モハ485-1017・1076→クモハ485-1001・1009→モロ485-6・7
- 8
- 「やまなみ」の中間電動車。定員28名。
- モハ485-58→モロ485-8
- 9
- 「せせらぎ」の中間電動車。定員32名。
- モハ485-1071→モロ485-9
1000番台
「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、フルフラットにすることも可能である。3号車 (1024・定員28名) にはマッサージチェアとパウダールーム、5号車 (1007・定員22名) には車いす対応座席とトイレ、添乗員室を装備。
- モハ485-1007・1024→モロ485-1007・1024
モロ484形
0番台
パンタグラフ付中間電動車で各車ごとで誕生の経緯が異なる。-4以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なり、すべて1基搭載に変更されている。また、4~8・10・11の低屋根部はミーティングルームを備えている。
- 1
- モハ484形700番台のモハ484-701を参照のこと。
- 2・3
- 「リゾートエクスプレスゆう」のパンタグラフ付中間電動車。1998年10月の和式化で定員が39名→32名と変更されている。
- サロ189-7・8→モロ484-2・3
- 4・5
- 「宴」のパンタグラフ付中間電動車。定員24名。*モハ484-56・37→モロ484-4・5
- 6・7
- 「華」のパンタグラフ付中間電動車。定員24名。:*モハ484-87・251→モロ484-6・7
- 8・9
- 「ニューなのはな」のパンタグラフ付中間電動車で、定員はいずれも畳敷28・座席40名。低屋根部に8は車販準備室・テレホンカード式公衆電話を、9は業務室・多目的室、畳敷への転換機構のない固定クロスシート4組を備える。
- モハ484-1017・1076→モロ484-8・9
- 10
- 「やまなみ」のパンタグラフ付中間電動車。定員24名。
- モハ484-58→モロ484-10
- 11
- 「せせらぎ」のパンタグラフ付中間電動車。定員32名。
- モハ484-1071→モロ484-11
1000番台
「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。2号車(1024)は、室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、フルフラットにすることも可能。4号車(1007)は、フリースペースでソファとテーブルを備えている。「BOSE」社製のスピーカーと液晶ディスプレイを設置。車端部に設けられた多目的室は扉で仕切ることが可能。反対側には喫煙室も設置される。種車の第2パンタグラフを撤去し、第1パンタグラフは485系初となるシングルアーム式PS32形を搭載しており、狭小トンネルである中央本線への乗入れを可能としている。
- モハ484-1007・1024→モロ484-1007・1024
クモロ485形
- 1
- クモハ485形700番台を参照のこと。
- 2
- リゾートエクスプレスゆう」の下り(常磐線基準)向き制御電動車。1998年10月の和式化で定員が21名→20名と変更されている。トイレ・洗面所を装備。
- サロ189-5→クモロ485-2
クロ481形1500番台
「彩(いろどり)」の制御車。室内は1列+2列の回転リクライニングシートをレイアウトした。運転室背後に談話スペースを設置し、32Vの液晶モニタには前面展望映像も映し出される。前面の愛称表示機も市販の40Vワイド液晶モニタに交換されている。中央本線の狭小トンネル対策のために静電アンテナを後位に移動し、屋根上のヘッドライトを撤去している。
- クハ481-1502・1503→クロ481-1502・1503
クロ484形
3以降は構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。全車MG・CPを搭載。3・4・6・7は先頭部展望室を設置。
- 1
- クハ484形を参照のこと。
- 2
- 「リゾートエクスプレスゆう」の偶数向き制御車。1998年10月の和式化で定員が21名→20名と変更されている。
- サロ183-1008→クロ484-2
- 3
- 「宴」の偶数向き制御車。定員24名。
- クハ481-22→クロ484-3
- 4
- 「華」の偶数向き制御車。定員24名。
- クハ481-28→クロ484-4
- 5
- 「ニューなのはな」の偶数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
- サロ181-1106→サロ481-1506→クロ484-5
- 6
- 「やまなみ」の偶数向き制御車。定員24名。
- クハ481-34→クロ484-6
- 7
- 「せせらぎ」の偶数向き制御車。定員28名。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。
- サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107→クロ484-7
クロ485形
すべて構体を新規に製造して載せ換え、お座敷(和式)電車として誕生している。全車MG・CPを搭載。3を除いた先頭部に展望室を持つ。
- 1
- 「宴」の奇数向き制御車。定員24名。
- クハ481-25→クロ485-1
- 2
- 「華」の奇数向き制御車。定員24名。
- クハ481-21→クロ484-2
- 3
- 「ニューなのはな」の奇数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
- サロ481-1007→クロ485-3
- 4
- 「やまなみ」の奇数向き制御車。定員24名。
- クハ481-40→クロ485-4
- 5
- 「せせらぎ」の奇数向き制御車。定員28名。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取り付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。
- サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105→クロ485-5
サロ485形
- 「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。「ゆう」編成では唯一、構体を新規に製作して載せ換えている。ドーム型の展望席やイベントスペースを設置。
- サロ481-1002→サロ485-1
モハ485形700番台
702の1両のみの存在。
- 702
- 「きらきらうえつ」の中間電動車。モハ484-702とユニットを組む。4両編成の3号車で定員40名。シートピッチ970mmの通常座席(リクライニングシート)の他に車いす専用座席2席と対応トイレ、業務用室・多目的室を設置している。
- モハ485-1078→モハ485-702
モハ484形700番台
701と702が存在するが、誕生の経緯は全く異なる。パンタグラフは1基搭載と低屋根化して、狭小トンネル区間走行にも対応させている。
- 701
- 元は1990年8月に登場した「シルフィード」の中間電動車。トイレ・洗面所・更衣室を設置。2001年10月にカーペット敷き電車に再改造し、「NO.DO.KA/のどか」と改称、定員が30名→36名に変更された。
- サロ189-3→モロ484-1→モハ484-701
- 702
- 「きらきらうえつ」の中間電動車。モハ485-702とユニットを組む。4両編成の2号車で和風ラウンジカーとなっており、パンタグラフ低屋根部に茶屋(ミニビュフェ)と、フリースペースとして18名分のボックス席、反対側車端部に沿線情報や観光案内などを提供する映像ゾーンで構成されている。
- モハ484-1078→モハ484-702
クモハ485形700番台
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御電動車。165系改造車である「パノラマエクスプレスアルプス」(現・富士急行2000形電車)と同じように運転席を2階にし前面展望スペースを備える。但し、名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーのような完全な2階式ではない。2001年10月にカーペット車化再改造がされた。
- サロ189-2→クモロ485-1→クモハ485-701
クハ484形
701と702が存在するが、誕生の経緯も車両形態も全く異なる。
- 701
- 元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御車。クモハ485-701と同様の前面構造を持ち、MG・CPのほか非電化区間でサービス用電源を自力で供給するための発電用ディーゼルエンジンを床下に搭載。2001年10月の再改造で定員が24名→32名に変更された。
- サロ189-4→クロ484-1→クハ484-701
- 702
- 「きらきらうえつ」の上り(羽越本線基準)向き制御車。種車の下回りを流用し、構体を新規に製造して載せ換えた。4両編成の1号車で定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースが設置されている。
- サハ489-5→クハ481-753→クハ484-702
クハ485形
701の1両のみの存在。「きらきらうえつ」の下り向き制御車で、構造的にはクハ484-702とほぼ同様。
- クハ481-349→クハ485-701
改造車
485系・489系の改造車は、軽微な引通線改造や電装解除、さらには車体構体を載せ換える大掛りな物まで多種多様であり、車両番号の変更のない改造事例もある。なお、ここでは使用線区や所属区での使用事情による小改造、グレードアップ改造やクハ481形200番台の前面非貫通化改造、またJR東日本が行ったリニューアル改造車(3000番台)、ジョイフルトレイン、訓練車については割愛する。また特記する場合を除いて改造施工工場等の名称は、当時のもので表記する。
クロ481形
- 50番台
- 1968年、奥羽本線の山形電化と磐越西線への乗入れに際し、既存車の編成も揃えるべく、仙台運転所のサロ481形を郡山工場で改造した。改造方法は種車の車体の一部を分解し、その台枠上に車両新製時と同様の方式でボンネット型の運転台を組上げる工法が採用された。その際に台枠の延長は行われていないため、クハ481形0番台よりも全長が短くなっている。しかも、新製車であるクロ481形0番台も改造車の設計に合わせたものになったため、クロ481形0番台との差異はほとんど見られない。余談だか、種車は全車汽車製造が製造した車両であった。
- 改造後も仙台運転所で活躍したが、1975年に7両とも南福岡電車区に転じ、国鉄時代に廃車された52~54(うち53は事故廃車)を除く4両がJR九州に承継されたが、1995年までに全車廃車された。晩年は RED EXPRESS 塗装を施されたものもあった。
- サロ481-19~25→クロ481-51~57
- 300番台
- 1990年にクハ481-243をJR九州小倉工場で全室グリーン車化改造を施工。出入台前位に乗務員室を増設したため、乗降扉横の窓は2分割された。また、同種の改造車にならい窓配置とシートピッチは合っていない。1区分番台1両の珍車であったが、2000年に廃車された。
- クハ481-243→クロ481-301
- 2000番台・2100番台
- 1989年、北陸本線の特急「スーパー雷鳥」新設に伴いサロ489形1000番台に展望型運転台を吹田工場で新設した車両。
- 車内は当時の流行の2+1配置のシートが設置され、展望のためにシートの枕部分が小型化されるなど、以後のJR西日本の特急電車の基礎となった車両であった。その後681系「サンダーバード」の投入にともない一時塗色変更を受けて「しらさぎ」にコンバートされていたが、その「しらさぎ」も683系に置換えられたため、再度国鉄特急色に塗色変更を受け、現在は「雷鳥」に使用されている。
- クロ481形2100番台は、種車がサハ481-118で窓配置や車体長が異なる。
- サロ489-1001・1006・1003・1007・1009→クロ481-2001~2005
- サハ481-118→クロ481-2101
- 2200番台・2300番台
- 1990年にJR西日本が「かがやき」「きらめき」へのグリーン車連結に際してクハ481形300番台を吹田工場で座席配置2+1のグリーン車に改造した車両。2003年に京都総合運転所に転属して、現在は「雷鳥」に使用されている。2200番台は、1992年に増発用として松任工場で改造した車両。こちらは種車が200番台だが、2003年に廃車された。
- クハ481-224→クロ481-2201
- クハ481-307・325・327→クロ481-2301~2303
- 2350番台
- 681系「サンダーバード」の投入による「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」への転用に際し、不足する先頭グリーン車を補うために登場した。改造施工は金沢総合車両所。種車の運転台を生かしており、先頭部はパノラマ型ではない。2003年に廃車された。
- クハ489-301→クロ481-2351
クロ480形
- 0番台
- 1984年~1985年に鹿児島本線の特急「有明」を短編成するためにサロ481形を鹿児島車両管理所と小倉工場で先頭車化改造した車両で、下り向き専用車である。先述のクロ481形50番台とは異なり、クハ481形300番台車に準じた運転台が台枠ごと接合される形となったため、外観および定員などは大きく異なる(改造当初44名、のちにアコモ改造により変更)。1~4は初期車からの改造車であり、300番台の先頭形状を持ちながらAU12形5基を装備するなど異彩を放っていたが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設している。5~はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更しているが、のちにこちらも冷房容量増強のためにAU13E形を1基運転台側に増設いる。
- 15両全車がJR九州に承継されたが、11と12はのちに半室普通車化改造によりクロハ480形となった(12は1992年に復元)。また後年は「かもめ」「にちりん」でも運用されたが、2000年までに全車廃車となった。
- サロ481-40・43~45・53・56・58・64・67・76・78・83・87・103・130→クロ480-1~15
- 1000番台
- 1988年、「北越」短編成化に伴い吹田工場で改造。種車がサロ489形1000番台のため番号区分された。0番台同様、運転台は元のトイレ・洗面所側に設置、車販準備室をトイレ・洗面所に改造している。金沢総合車両所に配置されたが、「かがやき」用(現在は「雷鳥」用として京都総合運転所へ転属)としてクロ480-2301に改造された1両を除き2004年までに全車廃車となった。
- サロ489-1002・1005・1008・1010→クロ480-1001~1004
- 2300番台
- 1991年にのクロ480-1002を吹田工場で座席配置を2+1に変更の上、クロ481形2300番台と定員(36名)を揃えるため、車掌室を撤去のうえ客室化改造している。
- クロ480-1002→クロ480-2301
サロ481形
- 134・135
- 1983年にサロ489形を鹿児島車両管理所でサロ481形に改造。2両ともJR九州に承継されたが、1990年に廃車された。基本番台新製車の続番となっているが、種車の関係でクーラーはAU12形。
- サロ489-6・8→サロ481-134・135
- 500番台
- 1985年3月ダイヤ改正で登場した特急「雷鳥」の和式グリーン車「だんらん」用にサシ481形を改造した車両である。改造施工は吹田工場と鷹取工場。車内は衝立で1卓4名の7室に仕切られた和式仕様となり、調理室部にはビュフェを設置し、側窓下には金帯が入れられた。一部列車の「スーパー雷鳥」化により1989年に運用を離脱、502~505・508・509はラウンジ付きグリーン車サロ481形2000番台に改造されたが、残りの3両は1993年に廃車となり区分消滅した。
- サシ481-54・55・69~71・73・74・81・82→サロ481-501~509
- 1050番台
- 1975年製造のサロ481-115・116・122・123・127・128は、当初から車販準備室やMGとCPが設置されているなど1000番台車に準じた仕様であったが、1978年の東北地区特急列車増発によって車両増備の際に1000番台対応の引通線追加といったわずかな改造で、改番されて登場した区分である。改造施工は土崎工場。新製車との差異は行先表示器の位置(1050番台車は車販準備室、1000番台車は乗務員室の位置にある)が目立つ他、客用扉やクーラーの位置が少し違っている程度である。
- 1989年に1051がサハ481形300番台に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車され区分消滅した。
- サロ481-115・116・122・123・127・128→サロ481-1051~1056
- 1500番台
- 上越新幹線開業で余剰になった181系のグリーン車であるサロ181形1100番台を1982年~1983年に改造・編入したグループ。改造施工は盛岡・土崎・郡山の3工場。
- 元々485系への編入を見越して製造された形式であるため、他の181系と車体の床面高さが合わず(181系は床面高さが新性能車標準より125mm低い1,110mm)、凸凹編成を組んでいた。181系時代にサボを使用していた関係でサボ受が存置されている以外は、新造時期がほぼ同じであるサロ481・489形1000番台と外観上の大きな違いは見られない。落成当初は秋田運転区に配置され、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区(現・勝田車両センター)に転属した。1989年から常磐線のクハ481形0番台車置換えのため1両を除きクハ481形1100番台に改造され(この時点でまだサボ受が残る車両もあった)、残った1両も1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」の改造種車となって区分消滅している。なお、1500番台新製車との関連は全くない。
- サロ181-1101~1106→サロ481-1501~1506
- 2000番台
- JR西日本が「スーパー雷鳥」用として1989年と1991年にサロ481形500番台のうち6両を吹田工場で再改造した車両で、車内は座敷部が2+1配置のリクライニングシートに、ビュフェ部がラウンジに改められている。側面には方向幕が新設されている。クロ481形の改造種車搭載のCPが本車両に移設されており、「スーパー雷鳥」時代は常にクロ481形の次位に連結されていたが、2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」への転用時に本車両は対象から外れて廃車となり、搭載のCPはモハ485形500番台に再移設されている。また台車がサハ481形600・700番台に転用されている。
- サロ481-502~505・508・509→サロ481-2001~2006
クモハ485形
- 0番台
- クロ480形0番台とともに1984年~1985年にモハ485形の前位にクハ481形300番台と同様の運転台と機器室を設置し110kVA・MGおよびCPを搭載した車両。さらにその後ろに出入台を設置したため、定員は16名減って56名となった。このため、他の非ボンネット形先頭車に比べるとやや特異な形状をしている。改造両数はクロ480形0番台と同数の15両である。改造施工は鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場。
- 全車がJR九州に承継、一部が現存する。
- モハ485-97・98・100~102・104・105・109・111・113・116・118・120・134・145→クモハ485-1~15
- 100番台
- 1986年に「有明」(熊本発着分)の3両編成用としてモハ485形の前位にクハ481形300番台と同等の運転台を新設した。改造施工は鹿児島車両管理所と小倉工場。短編成用のためMG・CPを省略し客室面積を拡大(64名)している。また、出入台および行先表示器は後位に移設された。
- 現在は全車JR九州に在籍する。「ハウステンボス」に転用されたのち、現在では「K&H」カラーが施されている。
- モハ485-235・236・240~245→クモハ485-101~108
- 200番台
- 1991年に「スーパー雷鳥」の七尾線乗入れに伴い、付属編成用としてモハ485形の前位に切妻貫通型の運転台を設置した区分である。改造施工は吹田工場と松任工場。後位車端に電話室を設置。指定席車仕様としてシートピッチを1,010mmに拡大し、フリーストップ型リクライニングシートR55系に換装のうえ座席床面を70mm嵩上げした。定員は60名。のちに「しらさぎ」に転用されたが、683系化で全車運用から外れて2003年に1両(205)が廃車、他は全車がクモハ183形200番台に改造されて区分消滅した。
- モハ485-219・220・235・236・246・247・239~クモハ485-201~207
- 1000番台
- 1986年に田沢湖線・奥羽本線の特急「たざわ」の短編成化のために登場した1000番台改造車である。短編成用のためMG・CPは省略されているが、編成中のMGがクハ(クロハ)481形の1基のみとなってしまうため、非常電源装置と非常充電装置を搭載して冗長性を確保している。現在は廃車が進行している一方、1001と1009は1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」の改造種車となっている。全車土崎工場改造。現存する車両はすべて秋田車両センター所属である。
- モハ485-1017・1048・1019・1072・1080・1079・1073・1023・1076→クモハ485-1001~1009
モハ485形
- 500番台
- 2001年の「スーパー雷鳥」編成「しらさぎ」転用に際し、編成から外されるサロ481形2000番台に搭載されていたCPを移設し改番した区分である。改造施工は金沢総合車両所。種車には「スーパー雷鳥」時代にトイレと洗面所が撤去されていた車両が選定され、水タンク跡にCPを設置している。トイレと洗面所の部分には自動販売機が設置されている。
- モハ485-234・222・218・232・248・237→モハ485-501~506
- 「インビテーションカー」改造車
- 1993年11月、「ビバあいづ」運転開始に伴いモハ485-1008を郡山工場で改造した。車番変更は行われていない。3号車に組み込まれ、「インビテーションカー“赤べこ”」と名付けられた。車内は定員0名のフリースペースで会津若松市の歴史や観光案内、物産品の展示などが行われていたが、1998年12月に再び座席車(自由席仕様)に復元されてその使命を終えた後、2003年に廃車となっている。
クロハ481形
特急列車の短編成化やフルムーン夫婦グリーンパス・ナイスミディパスの人気などによるグリーン車需要の高まりなどにともない、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
- 0番台
- 1987年と1988年にJR九州小倉工場でクハ481形200番台から8両(1~8)、クハ481形300番台から5両(9~13)の計13両が改造された。グリーン席は後述の201~208とは異なり改造当初から3列×5=15席で登場した(のちに201~208も同数に改造)。JR九州管内の各線で活躍してきたが、1993年に1がクハ481-226に復元された他、2000年にはクハ481形300番台ベースの車両が廃車され、現存するのは200番台ベースの車両の4両。
- クハ481-226・232~234・239・241・251・262・312・328・329・341・353→クロハ481-1~13
- 200番台 (201~208)
- 1986年と1987年に「有明」(熊本発着分)の3両編成用としてクモハ485形100番台とともに登場、クハ481形200番台から8両が小倉工場で改造された。200番台の区分だが、登場は0番台よりも先である。
- 全車がJR九州に承継された。グリーン席は登場当初3列×3席でシートは新幹線0系電車グリーン車の廃車発生品を用いたものであったが、承継後の1989年に全車0番台と同数の15席に増強され、シートも新型のものに交換された。201・203・205が現存。
- クハ481-236・242・244・248~250・252・259→クロハ481-201~208
- 200番台 (209~215)
- こちらも1986年と1987年に登場したが、このグループは「北近畿」用改造車で施工は吹田工場。グリーン席の座席配置は2+2で、普通席との仕切部の窓の大きさが縮小されている。1991年に213はクハ481-201へ復元、それ以外はクロハ183形800番台に改造されて区分消滅した。
- クハ481-209~212・201・204・205→クロハ481-209~215
- 300番台
- クハ481形300番台からの改造車で、301・302は1986年吹田工場施工の「北近畿」用、303はJR東日本が1989年に土崎工場で施工した「たざわ」用の車両である。301は1989年にクハ481-309へ復元、302は1990年にクロハ183形へ改造、303は2000年にクハ481-3348に改造されて区分消滅している。
- クハ481-309・354・348→クロハ481-301~303
- 1000番台
- クハ481形1000・1500番台からの改造車で、「たざわ」用として1986年に登場した。以後も主に「はつかり」用としてJR東日本が1987年~1988年と1993年に追加改造した。改造施工は土崎工場と青森運転所。「はつかり」用ではグリーン室定員を16名に増員した他、奇数向きであることが特徴である。一部車両は、リニューアル改造。または、のちにクハ481形に復元。さらに復元時にリニューアル改造された車両もある。
- クハ481-1018・1024・1012・1032・1026・1034・1036・1008・1014・1001・1003・1009・1015・1017・1021・1023・1031・1033・1039・1501・1013・1042・1002・1004・1028・1038・1040・1019・1035・1041→クロハ481-1001~1030
- 1500番台
- 1993年にJR東日本が「ビバあいづ」用としてクハ481-1104を郡山工場で改造した。接客設備をリニューアルの上前位を定員16名のグリーン室に変更。また、運転台上部の前灯が取外されている。「ビバあいづ」の廃止後は波動用として勝田車両センターに転出し、現在は新塗色で使用されている。こちらも1500番台新製車との関連は全くない。
- サロ181-1101→サロ481-1501→クハ481-1104→クロハ481-1501
クロハ480形
1987年~1988年にJR九州が先述のクロハ481形0番台と同時に登場した形式であるが、クロ480形の半室を普通車化した点で区別されている。改造施工は小倉工場。前位側のグリーン席5列を残して普通車化されたが、52は1992年に復元改造を受けクロ480-12に復帰した。残った51も2001年に廃車されて形式消滅した。
- クロ480-11・12→クロハ480-51・52
クハ480形
1985年、紀勢本線エル特急「くろしお」増発には、経費節減のために新幹線開業などで余剰となった485系を投入して賄うこととなったが、不足する先頭車両を1984年~1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両所でサハ481・489形から改造した。
クハ481形200番台に準じた貫通型運転台が取付けられたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造としている。貫通扉の特急マークは落成当初一部車両が一般的な立体型のものを付けていたが、貫通路構成時に通行に支障をきたすため、すぐに平面型のものに交換されている。短編成用のためMG・CPは未搭載で、サハ489形からの改造車についてはCPを撤去している。またAU12形クーラー搭載の初期車も種車として用いられたため、貫通型運転台+きのこ型クーラーというスタイルや、交直流電車にも関わらず交流区間に一切乗入れない運用などが当時のファンの注目の的になっていた。
1986年に「くろしお」が381系に再度統一されることになり、南福岡電車区や直流電化区間のみ走行するエル特急「北近畿」用として、福知山運転所に転属した。南福岡へ転属した車両は車体改修時に使われなくなった貫通扉を埋込まれるなどの改造が施されたが、2000年までに全車廃車となった。また福知山に転属した車両は1986年と1987年にクハ481形800・850番台に改造された後に1両を除きそのままの姿で183系化改造された。
- サハ481-12~19→クハ480-1~8
- サハ489-201・204・252→クハ480-9~11
クハ481形
- 500番台
- 1984年2月のダイヤ改正における九州地区の特急列車増発に伴い不足する先頭車両を補うため、上越新幹線開業で保留車になったクハ181-109およびクハ180-5を鹿児島車両管理所で改造して登場した。車体は181系時代のままのため床面高さが低く、ドアのステップの段差が小さい、また運転室内に交直切替スイッチを装備していない(のちの改造により解消)、元クハ180形の502に至っては前面の自動連結器がむき出しになっているなど異彩を放ち、ファンの注目を集めていた。塗装は、落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど、181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム化などが行われている。
- 1986年11月改正で設定された「にちりん」の下関発着列車でこの車両が先頭車となり、交直切替スイッチがなく同列車は小倉で運転を打切るというトラブルが発生したことがあった。これは国鉄民営化の渦中にあって営業サイドの意向が優先され、技術サイドのフォローが追い付かなかったためといわれている(同月中にこの車両も交直切替スイッチが取付けられた)。改造後1980年代は、1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501が1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
- クハ181-109→クハ481-501
- クハ180-5→クハ481-502
- 600番台
- 東北新幹線開業で保留車になったクロ481-3~5を1983年に鹿児島車両管理所で格下げ改造した車両。先頭形状はクハ481-0番台などと同じくボンネット型であるが、車掌室部分を客室化したほかは種車の窓配置がそのまま残され、小窓が並ぶなどの特徴があった。座席は当時「サロンエクスプレス東京」への改造で不要となった14系座席車の簡易リクライニングシートに交換された。窓割と座席間隔は一致していない。
- 改造後1980年代は、1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、1988年に運用上の都合により602がクロ481-4に復元されている。
- 3両ともJR九州に承継され、1995年までに廃車されたが、603は静態保存されている。
- クロ481-3~5→クハ481-601~603
- 701・750番台
- 701は1985年にサハ489形にクハ481形300番台に準じた運転台・MG・CPを取付けた車両で、改造施工は松任工場。AU13E形クーラー搭載の後期型車から改造されたため、新製車との差異は屋根上のクーラーの配置が異なること、運転室側面窓の後ろがやや間延びしていることくらいであまり目立たない。
- MG出力が160KVAの750番台は1986年に幡生車両所で改造。種車の関係でAU12形クーラー搭載の751・752が分割民営化時にJR西日本に承継され1991年に183系に改造。753がJR東日本に承継され、2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」に再改造されて区分消滅している。
- サハ489-11→クハ481-701
- サハ489-202・203・5→クハ481-751~753
- 800番台・851
- クハ480形を福知山線電化に伴い新設される特急「北近畿」に転用するため、1986年にMG・CPの取付改造などを施されたグループ。改造施工は大宮工場。MG・CP共床下搭載としたため、機器類は全面的に配置変えをしている。
- MG出力が160kVAの851は1987年に吹田工場で改造。クハ481-801を除いて1990年に183系800番台に改造されている。
- クハ480-8・6→クハ481-801・802
- クハ480-5→クハ481-851
- 1100番台
- 常磐線に多数残っていたクハ481形初期車置換えのため、1989年から1991年にかけてサロ481形1000・1500番台を先頭車改造と同時に普通車格下げした車両で、施工は郡山工場。種車であるグリーン車の窓配置がそのまま残されたため小窓が並ぶ外観など特徴がある。
- E653系の投入に伴い定期運用から離脱され、合造車化改造を受けて「ビバあいづ」用のクロハ481-1501に改造された1両と、ジョイフルトレイン「せせらぎ」の改造種車となった2両以外は1999年~2000年に廃車となり廃区分番台となっている。
- サロ481-1003・1004・1006・1501~1505→クハ481-1101~1108
サハ481形
- モハ485形電装解除車(JR九州)
- 1992年~1994年に「ハウステンボス」用にモハ485形を電装解除の上付随車とした(相方のモハ484形はこの時に廃車)。改造施工は鹿児島車両所と小倉工場。2000年までに全車廃車となった。
- モハ485-93・126・153・159・163・195→サハ481同番号
- 200番台
- 1983年にサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外し481系化した車両である。改造施工は小倉工場。JR九州に承継されたが、1990年に廃車になった。
- サハ481-1→サハ489-51→サハ489-251→サハ481-201
- 300番台
- 1989年、常磐特急「スーパーひたち」の登場に伴い、「ひたち」のまま残される列車は短編成化の上モノクラス化されることになった。グリーン車がなくなることから車販準備室のある普通車が必要となり、サハ481形100番台が転用されたが、不足する車両は保留車のサロ481形1050番台やサロ183形1050番台・サロ189形50番台などから郡山工場で改造された。種車の形式は多岐に渡っているが、これらはすべて元々サロ481形0番台車からの改造車であり、種車による差異はほとんどない(303には種車の車販準備室が残っていた)。その後のE653系の投入による置換えで2000年までに区分消滅している。
- サロ481-126・129・1051・サロ183-1054・1051・サロ189-51~53→サハ481-301~308
- 500番台
- 「しらさぎ」用付属編成の捻出と「スーパー雷鳥」用編成の10両貫通編成化を目的として、1997年にサロ481形より改造された車両である。改造施工は金沢総合車両所(600・700・750番台も同所)。外観は種車と大差なく、窓割と座席間隔が合っていない。
- サロ481-66・121・131→サハ481-501~503
- 600番台
- 2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」への転用時にモハ484形を電装解除した車両。冷房装置がモハ484形時代のAU71形のままなのが、いかにも変形車然としている。
- モハ484-333・335・332・331→サハ481-601~604
- 700番台
- 2003年の「しらさぎ」「加越」の683系投入で「雷鳥」に転用の際、600番台のみではサハが不足するために登場した形式で、種車はモハ485形である。派生形式として1000番台を種車とした750番台も存在する。なお、サハ481形600・700・750番台はトイレ・洗面所を撤去して、自動販売機を設置している。
- モハ485-227・228→サハ481-701・702
- モハ485-1029→サハ481-751
サシ481形
- 1000番台対応引通線改造車
- 1000番台は3MG化が行われ、運転席からMGの給電区分を変更できるなどトラブルに即応できる重装備となり、サシ481形も対応する引通線増設改造が土崎工場で施工された。本来ならサシ481形1000番台ともいえる改造ながら、番号変更は行われていない。
- 1000番台が登場した1976年に57~59、61~63の6両が改造された。このグループは1973年、向日町運転所に新製配置、1975年に南福岡電車区に転属するも、長崎本線と佐世保線の電化工事の遅れのために休車扱いになり、「つばさ」電車化時1000番台落成までの暫定投入で秋田運転区に再転属。他の車両が南福岡に復帰後も秋田に残って改造された。1982年に57~59が向日町に、61~63が金沢に転属しているが、いずれもJRに承継されず、1986年3月31日に廃車されている。
- 増発のために1978年に65~67(1973年製)、75・76(1974年製)、サシ489形から改造の80番台3両の計8両、全車金沢運転所からの転入車両が追加改造された。このグループは1982年に金沢に出戻り転属するという珍しい転配歴を経験している。1986年3月31日に一旦廃車になるも翌年67・75・76の3両が車籍復活し、67が松任工場でスシ24 501に、75が吹田工場でスシ24 502に、76が新津車両所でスシ24 503にそれぞれ24系化改造され、JR北海道に承継、札幌運転所に所属し寝台特急「北斗星」で現在も使用されている。
- 80番台
- 1978年、「白山」の第1回食堂車廃止で捻出されたサシ489形から横軽協調運転装置の撤去・485系1000番台対応引通線改造を土崎工場で施工した車両。3両が改造されたが、1985年に81・82はサロ481形500番台に改造、83は1982年にサシ489形に復元されたが、1988年にスシ24 506に再改造されている。
- サシ489-10→サシ481-81→(サロ481-508)→(サロ481-2006)
- サシ489-11→サシ481-82→(サロ481-509)→(サロ481-2005)
- サシ489-12→サシ481-83→(サシ489-83)→(スシ24 506)
サロ489形
- 100番台
- 1988年にサロ489-1004のMG・CPを他の先頭車化改造車に供出するために松任工場で撤去した上で改番した車両である。2003年に廃車されている。なお、撤去したMG・CPはサハ481-118→クロ481-2101の改造の際に使用されている。
- サロ489-1004→サロ489-101
- 1050番台
- 1990年にサロ481形1050番台に横軽協調運転装備を長野工場で装着した車両。VIP対応車で防弾対策などを備え、お召列車に使用されることもあるが、現在は保留車。
- サロ481-122・116→サロ481-1053・1052→サロ489-1051・1052
モハ489形
- 「ラウンジ&コンビニエンスカー」改造車
- 1989年、特急「白山」用にモハ489-18~21の前位側の窓4枚分の座席を撤去して、ショーケースを備えたラウンジに改造したグループである。その際洗面所を冷蔵庫に、トイレを倉庫に改めている。この改造により、座席定員が32名に変更されたが、改番などは行われていない。
- 2002年に18が廃車となったが、残りの3両は現在も金沢総合車両所に所属。急行「能登」で使用されているが、すでにコンビニエンスストアの営業は行っていない。
サハ489形
- 50番台→250番台
- サハ481形を1972年に489系に編入した車両。翌1973年にCPを取付けてサハ489形250番台となる。改造はすべて吹田工場。サハ489形にCPを取付改造をした理由は、横川駅~軽井沢駅でEF63形との協調運転時にパンクさせる空気バネ台車への空気の再供給を短時間で行う必要があったためで、これは189系のサロ189形でMGとCP双方を装備する100番台の他、0番台についてもCPを装備することにフィードパックされている。
- サハ481-1・2→サハ489-51・52→サハ489-251・252
- 200番台
- サハ489形のうち、1~4には5以降と異なり当初CPを搭載していなかったが、1973年に吹田工場で取付を施工して改番を実施した。取付理由は250番台と同じであり、これによりサハ489-1~4は以後欠番となる。1985年と1986年に他形式に改造されて区分消滅した。
- サハ489-1~4→サハ489-201~204
サシ489形
- 83
- 元は1974年に製造され金沢運転所に配置されたサシ489-12で、1978年「白山」の編成変更(3MG化。食堂車の廃止)によって、土崎工場で横軽協調装置を取外されると同時に485系1000番台対応の引通線追加改造が行われ、サシ481-83となり、秋田運転区に転属。その後1982年の「白山」食堂車復活のために横軽協調装置を松任工場で再装着してサシ489-83となった。再配置も古巣の金沢であったが、1985年の「白山」食堂車全廃後は保留車となるも、分割民営化直前の1987年3月11日に北長野運転所に転属、JR東日本に承継され1988年2月に新津車両所でスシ24 506に改造され尾久客車区に配置。現在も寝台特急「北斗星」で活躍している。24系化改造の際には調理室の小窓がひとつ埋められている。
- サシ489-12→サシ481-83→サシ489-83→(スシ24 506)
- 100番台
- サシ181形100番台を1972年に長野工場で489系に転用改造したグループ。台車は種車が181系のためマクラばりの低いTR69C形を改造の上で床面高さを揃えているが、181系と485系列では車体断面が微妙に違うために若干の違和感が見られる。また、調理室側回送運転台が増設されている。しかし内装には手が加えられておらず、特徴的なベネシャンブラインドや「あずさ」充当を記念して壁面に飾られた中央東線沿線の名峰のレリーフもそのまま残されていた。2両とも1986年に廃車となり、JRには承継されなかった。
- サシ181-102・103→サシ489-101・102
他系列への改造車
181系電車への改造車
詳細は国鉄181系電車も参照のこと。
- サロ481-26~28→サロ181-1051~1053
- 1978年のダイヤ改正で「とき」181系編成の変更に際し、グリーン車のうちMG・CP搭載車はサロ181形1100番台を新造。その他の車両は経費削減と数年後の上越新幹線開業時には廃車する計画だったことから保留車のサロ180形とサロ481形初期型車から編入改造することになった。新津車両管理所で幌およびサン板、引通回路を181系仕様に変更、車端ダンパの移設、前位側洋式トイレ・洗面所の物置への変更、サボ受の設置の改造を行った。上越新幹線開業後、1051・1052は113系のグリーン車サロ110形300番台(302・303)に改造され、1053は保留車となった後1986年に廃車されてサロ181形は形式消滅した。
183系電車への改造車
詳細は国鉄183系電車も参照のこと。
JR東日本所属車
- サハ489-7・9、サハ481-107・105・104→クハ183-101~105
- 2005年に廃車となり、区分消滅している。
- サハ489-8・6→クハ183-151・152
- 2003年に2両とも廃車され区分消滅している。
- サハ481-110・111→クハ182-1・2
- サハ481-117・103・112・104・102→クハ182-101~105
- 101・102が、大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターOM101・102編成の上り向き(東北本線・高崎線基準)制御車として現存する。
- サロ481-90・98・112・133→サロ183-1051~1054
JR西日本所属車
交流機器の撤去、もしくは使用停止によって183系化された200・700・800番台の改造車。制御回路は485系と共通しており、直流区間内であれば無改造の485系との併結運転も可能であるが、本来の183系であるJR東日本車とは制御回路が違うことから併結はできない。
189系電車への改造車
詳細は国鉄189系電車も参照のこと。
- モハ485-109・203~205→モハ189-501~504
- モハ484-301・305~307→モハ188-501~504
- MM'ユニットの改造は、横軽協調装置の取付と交流関連機器の撤去、車体関係は構体を新規に製作して載せ換えたため、外観上ではほとんど区別が付かない。登場当初は種車の備品を流用したことから座席が、簡易リクライニングシート(R51形)とは異なり、旧型のリクライニングができない回転クロスシート(T17形)を装備していたなどの特徴があったが、のちのリニューアルによる座席の変更で差異もほとんどなくなった。またこのうちユニット501は、後年グレードアップ改造が行われた。2002年に廃車となり、区分消滅している。
- サハ481-113・106→クハ188-101・102
- サハ481-101・115→クハ188-601・602
- 102・602が、長野総合車両センターN103編成の制御車として現存する。
- サロ481-110・111・113→サロ189-51~53
113系電車ヘの改造車
詳細は国鉄113系電車も参照のこと。
- サロ481・26・27→サロ181-1051・1052→サロ110-302・303
- サロ489-1~5・10~12・7・9・17・18→サロ110-351~362
- サロ489-19~22・24、サロ481-93・95・96→サロ110-1351~1358
24系客車への改造車
詳細は国鉄24系客車も参照のこと。
- サロ481-52・101・102→オハ24 301~303
- 1990年に寝台特急「なは」「あかつき」のレガートシート車へ3両が改造された。車体内外の改造のほか、引通回路の変更、ブレーキ装置のCL化が行われている。
- サシ489-3・4、サシ481-52→スシ24 1~3
- サシ481-67・75・76・64・68、サシ489-83・7、サシ481-50→スシ24 501~508
保存車・民間転用車両
鉄道車両としての使命を全うし、廃車後に静態保存やカットモデルとなる以外に車両を丸ごと他の施設に転用する例もある。485系の場合は圧倒的に食堂車が多いが、閉店→解体の運命をたどっている車両も少なくない。
保存車
- クハ481-603(元・クロ481-5)
- 福岡県北九州市門司区の九州鉄道記念館に保存されている。これは廃車後も解体を免れてJR九州小倉工場に留置されていたものを2000年に修復工事を行い、2003年の同館開館に併せて一般公開している。
- クハ481-26 モハ484-61
- JR東日本勝田車両センターに所属していた訓練車編成のうちの2両。モハ484-61はモヤ484-2から復元。2007年10月埼玉県さいたま市大宮区に開館予定の鉄道博物館での保存が予定されており、郡山総合車両センターでの整備の際、屋根の色が灰色から国鉄時代の銀色に戻され、2007年5月に大宮総合車両センターへ輸送された。
他の民間に転用された車両
- サシ489-9
- 茨城県鹿嶋市で個人経営のレストランに転用された。車両には少々痛みや経年変化は見られるが、現在も営業中。
- サシ481-48
- 岩手県盛岡市にある太田スポーツセンターの横で喫茶軽食堂として1988年頃にオープンしたが、1990年代後半には閉店となっている。
- サシ489-1・2
- 1989年頃、京浜東北線(東海道本線)蒲田駅前で「グルメステーション蒲田」に転用され、その後ラーメン店に改装されるも再び閉店。車両も撤去・解体された。
- サシ481-24・26 サロ481-16
- 1986年4月、西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)前にサシ481-26を転用したイタリアンレストラン「ヴェズビオ」がオープンした。同店はおリからのバブル景気とイタ飯ブームに乗り、支店を日豊本線南宮崎駅前にサシ481形(車番不明)、川内駅にサロ481-16を使いオープンさせ、小倉駅前にはサシ481-24を使ったフレンチレストラン「トランドール」も開店させた。経営母体は、国鉄九州総局→JR九州。しかし、景気の後退による利用者の減少、施設の老朽化により閉店し、車両もすべて解体された。
- サロ481-41
- 北海道勇払郡むかわ町字汐見にあるドライブインに転用されたが、現在ではすでに閉店し放置された状態とのこと。国鉄分割民営化時にはJR北海道へ承継された車両で、1990年に廃車後、サハネ581-14・36と共にこの場所に移設された。サハネ581形の方は現場で横転しており、状態は非常に悪い。
運用実績
国鉄時代
485系は北陸本線特急「雷鳥」「しらさぎ」用として登場し、さらに東北方面や山陽方面に進出、特急「つばめ」「はつかり」「つばさ」「白鳥」などに充当された。その後は新幹線の開業により、短距離・短編成の特急を多く生み出し、民営化に至る。
北海道地区
1974年4月~1980年9月に1500番台22両を札幌運転所に配置し、特急「いしかり」で運用したが、冬季に入ると電装機器を中心に作動トラブルが続出。のちに開発された酷寒地用交流型特急電車781系に置換えられた(ただし、初年は青森運転所に貸渡しで運転開始は1975年7月)。しかし、分割民営化時にJR北海道へ承継された車両がある。くわしくはこちらを参照。
東日本地区
東北本線優等列車沿革も参照のこと。
東北を中心とした東日本地区での使用車両は、仙台運転所(仙台車両センター)・青森運転所(青森車両センター)・秋田運転区(秋田車両センター)・勝田電車区(勝田車両センター)・上沼垂運転区(新潟車両センター)の各所に配置された。
- ( )は、現在の名称。
1965年、仙台運転所に配置し、特急「ひばり」「やまびこ」に6M4Tの10両編成で運用を開始。1968年のダイヤ改正では奥羽本線山形以南・磐越西線電化により「やまばと」「あいづ」も運転を開始するが、板谷峠越えのためにMT比2:1。磐越西線内ホーム有効長の関係から9両に抑えられかつ食堂車を連結する制約のためにクロ481形組込6M3T編成に組換えられた。しかしその後も増発と長編成化され、1972年から1973年にかけて東北地区の485系は大きな変化を迎えることになる。
- 1972年3月15日国鉄ダイヤ改正
- 「やまびこ」2往復、「ひばり」2往復(ただし1往復は583系を充当)、「やまばと」1往復増発。
- 1972年10月2日ダイヤ改正
仙台運転所のみでは賄いきれなくったため青森運転所にも485系を配置。さらに増備は続き、11月3日からは休日運転の「やまびこ」1往復を運転開始。翌1973年3月1日からは季節列車の「はつかり」1往復の運転がされた。そして1973年1月31日からは、「ひばり」にグリーン車2両組込の13両編成も登場し、編成もバラエティに富んだものになった。1973年10月1日ダイヤ改正では「はつかり」・「ひばり」をさらに2往復、「ひたち」も1往復増発と特急列車の運転本数はさらに増加した。
- 仙台運転所の編成
- TscM'MM'MTdM'MTc(6M3T)
- TscM'MM'MTdTM'MM'MTc(8M4T)
- TscTsM'MM'MTdTM'MM'MTc(8M5T「ひばり」専用編成)
- 青森運転所の編成
- TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc(8M4T)
- TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc(8M5T「白鳥」専用編成)
- 当時、青森運転所の運用は長距離かつ青森以外(仙台・盛岡・秋田など)で停泊が続き、1週間近く所属基地に帰れない運用も多数存在した。その中には、不定期列車も組まれ、丸一日上野口で停泊や折返し間合の時間を長めに取られた運用も存在した。これは首都圏側に485系が配置されていなかったため、車両故障や雪による遅延でダイヤが混乱した際、後続の折返し列車に停泊編成を充当させることで定時性確保や不用意な運休を避けるための措置である。しかし運用変更を多用すると検修周期の問題が発生し、予定外の場所で検査切れになるケースもあるため、青森⇔上野で回送列車を仕立てたり仙台運転所の車両で代走させるなど青森運転所の苦労は絶えなかったという。
- 1971年、上野~盛岡に停車駅を特急並に減らし約6時間30分で結ぶ455・457系電車による臨時急行「エコーもりおか」が運転された。この列車は、臨時「やまびこ」として計画されていたが、485系の予備車捻出ができずに急行列車として運転されることになった。同様に1972年3月改正で仙台~青森の急行「くりこま」2往復のうち1往復を特急化する計画もあったが、諸事情のひとつに対上野口の特急も増発したために相変わらず485系の運用に余裕がなく、457系で急行列車として運転されることになった。詳細についてはこちらも参照。
1975年3月10日国鉄ダイヤ改正で「ひたち」が2往復増発で8往復体制となるが、仙台運転所の12両編成からはクロ481形とサハ481形をクハ481形とサロ481形に差替え、青森運転所と同じ編成になった。
1975年11月、奥羽本線秋田電化によりキハ181系で運転されていた「つばさ」を電車化。秋田運転区に当初は200番台、翌年から1000番台が投入されるが、この頃が東北方面485系特急のピークである。
- 「つばさ」は1日2往復運転のために本来3編成でも運用が可能なところ、有効時間帯の見直しも含め4編成での運用を行った。これは豪雪地帯である奥羽本線内で雪による遅延に備え、当初は在来車による運行であるために用心したからである。そのため秋田運転区には、使用48両・予備車を含めて72両と大量配置がなされた。
- 他の東北特急のグリーン車が上野寄りの1号車(クロ481形使用列車)、2号車(583系も含む)だったのに対して「つばさ」では6号車に組込まれていた。これは3MG方式を導入する1000番台投入時に再び編成変更して、乗客などに混乱を与えない配慮もあったが、トラブル発生時に運転台から給電区分を簡単に変更できるようにするため、編成中央部付近にMG・CP装備のサロ481形1000番台が組成されている方が都合がいいためでもある。
- また、上野口特急グリーン車の連結位置に関しては、信越・上越方面の列車も含めて連結位置を統一する動きがあり、1978年10月の改正で仙台運転所のクロ481形組込編成と臨時列車として設定されていた「白根」(183系1000番台7両編成)を除き、上野口定期特急電車のグリーン車は6号車(2両組込編成は7号車も)に統一された。
1978年10月2日国鉄ダイヤ改正では、「はつかり」1往復、「ひばり」2往復、「ひたち」3往復増発、「やまばと」→「つばさ」1往復区間延長をされたが、東北本線、高崎線で規格ダイヤが導入され、特急列車の所要時間が軒並み増大した。また、仙台運転所の9両編成がサシ481形→サハ481形に置換えられた他、食堂車の営業を休止する列車も登場し、1982年に東北新幹線と上越新幹線が開業するとこれら多くの特急は廃止・削減された。上野直通の特急は「あいづ」を除くと「つばさ」「やまばと」の一部が残るのみで主力は新幹線連絡列車となり、盛岡発着は青森へ「はつかり」、秋田へ「たざわ」、新潟発着は「いなほ」が設定され、それまでの「いなほ」は「鳥海」と改称した。
1985年3月のダイヤ改正では東北・上越新幹線の上野開業により「やまばと」が全廃、「鳥海」も臨時列車に格下げとなり、東北本線で上野に出入する485系特急は「つばさ」1往復と共通運用の「あいづ」だけとなる。東北特急は新幹線連絡の性格を強め、短編成・モノクラス化が進められたが、フルムーンパスなどによるグリーン車需要に応えるべく、分割民営化と前後してクハ→クロハ化の改造が推進された。また、「ひたち」はこの改正で勝田電車区に移管となり、仙台から485系が消滅。合わせてこれまでの急行「ときわ」をすべて格上げすることにより一気に下り12本、上り11本が大増発され、下り24本、上り23本にまでになった。これに合わせて九州からボンネット形のクハ481形が大挙して転入している。
そして1986年11月1日に国鉄最後のダイヤ改正が行われ、再び増発が行われると共に上沼垂運転区にも485系が配置され、「白鳥」を受持つことになる。この体制で国鉄分割民営化を迎えることになった。
西日本地区
「山陽本線優等列車沿革」も参照のこと。
西日本地区485系の歴史は、1964年に向日町運転所(京都総合運転所)に新製配置された41両が「雷鳥」「しらさぎ」へ投入されたことに始まる。
また、東海道新幹線開業により新大阪~博多に運転区間を変更した「つばめ」「はと」が電車化されたものの、車両数の問題と交流区間の走行距離が短かったことから直流車両の151系で運転された。九州島内の交流区間はEF30形(関門トンネル内)・ED73形電気機関車で牽引、電源車サヤ420形を連結して車内電源を確保していた。翌1965年10月には九州連絡特急用の481系が落成、「つばめ」が名古屋~熊本間の特急となり、485系グループが東海道・山陽方面での運行を開始した。
向日町への481系増備に伴い151系は181系へ改造されるが、増発のために181系は関東地区への転属を繰り返し、1973年に向日町から181系は姿を消す。一方、1969年には上野~金沢間運転の「はくたか」も「雷鳥」と共通運用を組んで向日町で受持ち、東は上野、西は熊本までの広域運用を行うことになる。
- 「はくたか」の交流区間は60Hz のため、金沢で「雷鳥」を介して向日町の481・485系と共通運用を組むことになった。しかし、豪雪地帯で名高い上越線を経由するため上野駅からの「はくたか」は大幅に遅延するケースも多く、そのような場合には「雷鳥」から上り「はくたか」に入る予定の編成を「雷鳥」で大阪に戻し、遅延した下り「はくたか」を上り「はくたか」で上野に送り返す運用にプログラムされていた。しかし、こちらも「はくたか」の遅延が慢性化し、折返し運用が続くと当該編成が向日町に戻ることができず、検修の問題や金沢運転所の489系による代走などの弊害が発生していた。
1972年3月15日、山陽新幹線の岡山暫定開業により連絡特急が岡山始発になるも「しおじ」は大阪発着として残存。さらに「有明」への投入により西鹿児島(現・鹿児島中央駅)へ進出、また4月27日には日豊本線の「にちりん」にも投入され、九州島内の運用も受け持つようになる。さらに、1974年4月25日には南宮崎電化で運用区間が延長、向日町の485系は新潟、上野、宮崎、鹿児島とさらに広範囲な運用が行われるようになった。しかし、1975年3月10日に山陽新幹線博多開業により、山陽本線昼行特急は全廃。向日町の485系は北陸運用使用車を除いて南福岡と鹿児島に転属した。
一方、北陸地区への485系車両の配置は、1972年の「白山」運転開始の翌年に489系を向日町所から金沢運転所(金沢総合車両所)へ転属させたことによる。ただし、上越線経由で運転する「はくたか」は引続き向日町所の車両を使用し、1978年に「白山」と共通運用化され金沢に移管された。金沢配置の489系は「白山」のみならず「雷鳥」「しらさぎ」「北越」にも投入され、1975年に「雷鳥」が米原経由から湖西線経由に変更となり「加越」が登場すると485系も金沢に配置される。その後489系は「白山」の間合運用で「あさま」への投入、グリーン車に1000番台車の登場と食堂車の廃止→復活などがあったが、分割民営化を前に「あさま」用の189系を補完する名目で27両が長野運転所に転属している。
また、1985年3月14日国鉄ダイヤ改正では紀勢本線の特急「くろしお」を4往復増発する際、他地区で余剰となっていた485系44両を日根野電車区に配置し充当することになった。天王寺~新宮の所要時間は振り子式車両の381系と比べ1時間半ほど長く、気動車急行列車と大差がないため苦情も多かったため、1986年11月1日国鉄ダイヤ改正で福知山運転区(福知山運転所電車センター)と南福岡電車区に全車転出した。
福知山へ転出した車両は福知山線宝塚~山陰本線城崎の電化に伴い同区間に新設したエル特急「北近畿」に転用された。しかし、その後全車が交流機器を撤去または使用停止にして183系電車に改造、あるいは他区所へ転出し、485系としての配置は既にない。なお、両列車とも直流区間のみを走行する列車であったことも特筆される。
九州地区
九州島内における485系の運用は1965年に始まるが、当時は向日町運転所の車両による本州からの直通運用が主体であった。1975年の山陽新幹線博多開業により本州からの昼行特急がなくなり、余剰車が南福岡電車区と鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)に転入。後に青森運転所や仙台運転所からも車両が転入するが、一部は本州に再転出した。九州地区に新製配置された車両は長崎本線・佐世保線電化用名義のMM'ユニット9組18両のみで、書類上は南福岡電車区に配置されたものの同所では使用されず秋田運転区に転属しており、純粋な意味での新造車配置はない。
1976年には長崎本線および佐世保線全線電化に伴い、「有明」「にちりん」に加え「かもめ」「みどり」にも充当されるようになる。当初は大部分の列車が肥前山口駅で併結・解結を行っていたが、1986年11月の改正ではすべて分離運転となった。以降、民営化後の783系登場までこの体制が続くことになる。
1985年3月および1986年11月の改正では充当列車は変わらないものの、急行列車からの格上げや増発、及び1984年2月改正では583系が九州から撤退し、運用本数は大幅に増加した。また、増発による短編成化も推進され、先頭車化改造車や半室グリーン車が登場しており、「有明」向けに本系列初の3両編成も登場している。
1980年代に入ると追加転入車による初期車の置換えが始まり、鹿児島所属の481系電動車全車およびサシ481形AU12形搭載車は1985年までに全廃され、これら3形式はJR九州に承継されなかった。1985年頃からは、モハ484形の第2パンタグラフの撤去も始まった。撤去方法は碍子のみ残す形態や、碍子も含め完全撤去する形態など様々であった。
また、1980年よりクハ481-33・35・37・39の4両は、サービス向上の一環として、運転台仕切にスクリーンを設置、床面を雛壇式に改造してビデオ上映サービスが行われた。出入口付近には「ビデオ特急」のステッカーを掲出し、主に「有明」で使用された。しかしJR移行直前に上映を中止し、のちにビデオ機器が撤去されている。
分割民営化直前の1987年3月には当時非電化だった豊肥本線熊本~水前寺間で「有明]]」をDE10形ディーゼル機関車の牽引・推進により、当初はスハフ12形、その後は電源車に改造したヨ8000形28000番台を連結して、毎日運転の臨時普通列車として入線させた実績がある。この乗入れは後に783系投入後も引続き1994年7月まで行われた。
分割民営化時には、管内唯一の特急用電車としてJR九州に324両が承継された。
広域転配
485系で3電源方式を採用した真の狙いは、電源方式を選ばない特性から全国に渡る広域転配を可能にしたことである。実際に、国鉄時代には以下のような広域転配が何度となく行われた。
山陽新幹線博多開業
1975年3月10日国鉄ダイヤ改正により山陽本線の昼行特急は全廃され、新幹線連絡の九州島内特急が増発されることになった。そのため北陸方面で運用する車両を除き、向日町運転所の485系が南福岡電車区と鹿児島運転所に転属した。
- 鹿児島には、モハ481・480形を含む初期車中心、南福岡には200番台中心に振分けられている。これは、長崎本線・佐世保線電化時に分割・併合運用を行うことが予定されていたためである。
- 上記のような鹿児島向けと南福岡向け、そして向日町に残る車両の振分けをするため、半年近く前から編成替えや運用に細心の注意を払い準備していた。転属のための回送列車を極力減らし、そのまま改正ダイヤでの新列車運転をスムーズに行うため、前日に九州や下関、広島で運用が終了する編成は軒並み転属車で運転された。
- また小数ではあるが、東北地区の予備車確保のため青森運転所と仙台運転所に転属した車両もある。
奥羽本線・長崎本線・佐世保線電化
奥羽本線の山形~秋田間電化により、キハ181系で運行されていた「つばさ」に耐寒設備を強化した1000番台の投入が1976年に予定されたが、電化工事は1975年秋に完成していた。
一方、長崎本線・佐世保線電化は1975年に完成予定であったが、工事の遅れで1976年に延期された。そこで、長崎本線・佐世保線電化用として確保されたまま南福岡で休車扱いとなっていた「かもめ」「みどり」充当用の200番台車を一時的に秋田運転区に転属させ、「つばさ」に充当することになる。
しかし、長崎・佐世保特急は分割併合のためクハ481形200番台の使用を予定していたが、逆に東北地区では隙間風の侵入や居住性で乗務員からの不評も多かったために300番台の投入が要求されていた。また「みどり」は4両でグリーン車連結のためにクロが不可欠となるため仙台所属のクロ481形・サハ481形を捻出させるなど複雑な事情が絡み合っていた。
- 向日町→南福岡に転属した編成
- TcM'MTsTsTdM'MM'MTc(6M5T)
- 「つばさ」編成
- TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc(8M4T)
- 「かもめ」「みどり」編成
- TcM'MTsTM'MTc+TcM'MTsc(6M6T)
- そのため山陽新幹線博多開業によって、向日町から南福岡に転属した編成からは、南福岡に残留する車両と秋田に転属する車両、さらに一部のクハ481形200番台とサロ481形は仙台と青森に転属する車両に分けられた。これによって捻出された仙台のクロ481形とサハ481形は交換される形で直接南福岡に転属、青森への転属車は別途製造されたMM'ユニットと今後の増発と予備車確保のためであった。
- クロ481形に関しては、先頭部同士での連結ができない上に方向転換の必要性もあったために回送経路はさらに複雑な動きを要求されたと共に、事前に郡山工場(現・郡山総合車両センター)で両セン構造への改造も行われていた。
- 転属車とは別にクハ481形300番台20両とサロ481形2両、さらにMM'ユニット9組18両が新造されている。クハは東北地区取り替え用名義で青森と仙台に配置、サロ2両は仙台に配置。MM'ユニットは、長崎・佐世保電化名義のために書類上は南福岡配置をされてから、同所で使われることなく秋田転属となっている。
- 青森に配置されたクハ481形300番台で捻出した同所の200番台車を秋田に転属させる。
- 「つばさ」用サロ481形は、秋田に115・116・122・123・127・128を新製配置。
これによって、在来車で組成された「つばさ」は次のような72両で構成されていた。
- クハ481形200番台12両。青森からの転属車10両。南福岡から転属車2両。
- MM'ユニット24組48両。南福岡からの転属車。
- サロ481形在来車6両。新製車。
- サシ481形在来車6両。南福岡からの転属車。
翌1976年に1000番台が落成。秋田に配置されたことにより、在来車はサシ481形を除いた全車が南福岡に再転属している。また同時にサロ481形が青森から1両、東北地区にクハ481形300番台の投入による捻出で、クハ481形200番台が青森から6両、仙台から2両転属した。
1978年10月改正と特急増発
いわゆる「ゴーサントオ(5・3・10)」と呼ばれる1978年10月の白紙ダイヤ改正では、急行列車の特急格上げで増収を図り、特急が36本増えた代わりに急行が57本削減された。特に東北地区は利用率が高かったために増発が集中、大量の485系が必要になった。
一方、首都圏対北陸を運行する「白山」「はくたか」の増発も行われると同時に信越特急「あさま」、上越特急「とき」との編成を揃える(グリーン車連結位置の共通化と食堂車の不連結、並びに3MG化)ことになった。そのため次の車両が新造されることになる。なお、一部列車の増発は車両落成の遅れから1979年4月1日にずれ込んだ。
- 485系1000番台161両(クハ481形…25両 サロ481形…2両 MM'ユニット64組128両)を青森運転所と秋田運転区に集中配置。
- サロ489形1000番台10両を金沢運転所に配置。
東北地区への1000番台集中投入により、捻出された青森運転所の在来車は、仙台運転所と金沢運転所に転出することになった。
- 青森→金沢転属車(44両)
- クハ481形6両 MM'ユニット19組38両
- 青森→仙台転属車(34両)
- クハ481形7両 MM'ユニット13組26両 サロ481形1両
さらに、仙台運転所の9両編成からサシ481形を外し、サハ481形へ置換えられることになった。同時に3MG化も行われるためにMG・CP搭載準備工事が施行されていた向日町運転所の100番台と車両交換を行っている。
- 仙台→向日町転属のサハ481(12~14)
- 向日町→仙台転属のサハ481(101~107)
- 仙台転入車が多いのは、13両編成置換え分も含まれているため。
- 仙台転入車は1985年3月に向日町へ全車出戻り転属をしている。
また、181系で運転されていた「とき」の編成変更(食堂車の不連結とグリーン車のサロ181形への置換え)と増発、「あさま」増発のために183系・189系の増備を行うことになったが、逼迫する国鉄財政の中で新製費を抑えるため、不足するグリーン車や食堂車は形式間改造や直流化改造で対応することになった。このため全国から485系が集められ、次のような改造が行われた。
- サロ481形1000番台化改造(南福岡電車区→秋田運転区)
- 115・116・122・123・127・128→1051~1056に改造改番で投入。
- サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
- 65~67・75・76の5両に施行。
- サシ489形→サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
- 10~12の3両をサシ481-81~83に改造改番。
- サロ481形→サロ181形改造(鹿児島運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- 25~27→サロ181-1051~1053
- サロ481形→サロ183形改造
- 90・98→サロ183-1051・1052(南福岡電車区→新潟運転所上沼垂支所)
- 112→サロ183-1053(金沢運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- 133→サロ183-1054(青森運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- サロ481形→サロ189形改造(金沢運転所→長野運転所)
- 110・111・113→サロ189-51~53
さらに2年後の1980年には、北海道で使用されていた1500番台22両が札幌運転所から青森運転所に転属してくると玉突きで200番台車が青森から南福岡電車区に転属している。また、仙台運転所からもクハ481形200番台2両とサロ481形1両、MM'ユニット4組8両の計11両が南福岡に転属している。これらの車両は、1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で九州地区の増発に充当された。
東北・上越新幹線開業
1982年11月15日国鉄ダイヤ改正により、6月に開業した東北新幹線の増発、上越新幹線が大宮暫定開業し、東北本線の特急「ひばり」や「やまびこ」、上越線を経由する特急「とき」「はくたか」が廃止された。485系を使用した在来線特急は、次に示すような動きがあった。
- 首都圏と直結する東北特急は軒並み全廃、もしくは大幅削減。主力は新幹線連絡列車としての役目に移行した。
- 常磐線特急の「ひたち」は、余剰車を使って増発が行われた。
- 北陸地区、九州地区での特急列車の増発が行われた。
- 北陸特急「白山」の食堂車復活。
このために青森運転所、秋田運転区、仙台運転所を中心に次のような広域転配が行われている。
- 青森運転所からの転出車両(東北地区以外への転属)
- 青森運転所→向日町運転所(4両)
- MM'ユニット2組4両
- 青森運転所→南福岡電車区(43両)
- MM'ユニット15組30両 サロ481形13両
- 青森運転所→鹿児島運転所(22両)
- MM'ユニット10組20両 サロ481形2両
- 青森運転所→向日町運転所(4両)
- 秋田運転区からの転出車両(東北地区以外への転属)
- 秋田運転区→金沢運転所(11両)
- サシ481形11両(ただし1両はサシ489形に改造して転属)
- 秋田運転区→向日町運転所(3両)
- サシ481形3両
- 秋田運転区→金沢運転所(11両)
- 仙台運転所からの転出車両(東北地区以外への転属)
- 仙台運転所→向日町運転所(12両)
- MM'ユニット2組4両 クハ481形4両 サロ481形4両
- 仙台運転所→南福岡電車区(16両)
- クハ481形12両 クロ481形4両
- 仙台運転所→鹿児島運転所(14両)
- MM'ユニット7組14両
- 仙台運転所→向日町運転所(12両)
鹿児島への転属は中間車のみで、老朽化していたモハ481形・480形の取替がその目的であったと言われている。これらの転属車の受入れと引換えにモハ481形・480形ユニットは大量廃車が進み、翌年末には3ユニット6両のみが残存、1985年に全廃となった。
また、東北地区内では「ひたち」の増発と新幹線連絡特急の編成の見直しが行われ、次のような転属も行われた。
- 青森運転所→仙台運転所(14両)
- MM'ユニット7組14両
- 青森運転所→秋田運転区(12両)
- クハ481形1000番台12両
- 秋田運転区→青森運転所(9両)
- 1000番台MM'ユニット3組6両 サロ481形1050番台3両
また、「ひたち」編成ではサシ→サハ置換えのために九州から仙台に転属する車両もあった。
- 南福岡電車区→仙台運転所(3両)
- サハ481-112~114
さらに運転の終了した181系から、1978年に新製したサロ181形1100番台の485系化改造が行われるとともに、増発された「あさま」用に485系から189系化改造された車両も誕生した。
- サロ181形→サロ481形改造(新潟運転所上沼垂支所→青森運転所)(6両)
- サロ181-1101~1106→サロ481-1501~1506
- モハ485・484形→モハ189・188形改造(青森運転所→長野運転所)(8両)
- モハ485-199・203~205→モハ189-501~504
- モハ484-301・305~307→モハ188-501~504
この広域転配によって、「白山」の食堂車復活や、向日町運転所でも485系が転属してきたことによって「雷鳥」を増発、および583系運用の一部を置換え、九州地区の特急増発が行われた。
分割民営化前・短編成化
1985年3月14日国鉄ダイヤ改正ではさらなる特急の増発が行われた。しかし、485系はすでに製造が打切られており、車両の捻出は東北・上越新幹線の上野開業で常磐線特急「ひたち」と共通運用の磐越特急「あいづ」、また、信越特急「あさま」と1往復が減便となった「白山」と近距離運転の新特急を除き、上野乗入れが打切られることになり、これらの車両を中心に行われることになった。また、短編成化の推進と食堂車やグリーン車の余剰、並びに不足する先頭車の確保も要求されることになり、余剰となる車両の再利用、つまり、改造も含めた広域転配が行われることになった。
この改正での485系に関する動きは、次が焦点となる。
- 東北地区の特急列車運用の見直しと短編成化
- 「ひたち」を仙台受持から、勝田電車区へ移管。
- 「雷鳥」をはじめとする北陸特急からの食堂車の廃止と和式グリーン車「だんらん」(サロ481形500番台)の導入。
- 「くろしお」に余剰車の投入
- 九州地区の短編成化と初期車の老朽化による置換え
東北地区では、車両の余剰化が激しく、今回の改正では、編成替えのために向日町への転出と南福岡、鹿児島への転出が多数を占めることになる。また、「ひたち」は急行「ときわ」を全廃し格上げが行われる増発が図られることになるが、同時に仙台運転所から勝田電車区への移管となるための転属が行われる。増発用車両は青森と仙台の余剰車が充てられるが、同時にクハ481形を非ボンネット形からボンネット形への置換えが行われ、九州地区から大量に初期車の転属が行われた。
- 九州地区から勝田電車区に転属したクハ481形
- 鹿児島運転所→勝田電車区
- 1~20・34・38・40
- 南福岡電車区→勝田電車区
- 22・24・31・32
- 鹿児島運転所→勝田電車区
この移動は改正前の1984年から行われており、改正前に転属した車両は一旦仙台運転所の所属となり、改正に合わせて勝田に再転属という形を取っている。なお、この一連の移管により仙台運転所は485系の配置がなくなった。
勝田区にボンネット車を集中配置した背景には、短編成化した際の座席確保の問題があり、改正後11両編成となる「ひたち」にボンネット車を充当させることで非ボンネット車を捻出させる目的があった。このために東北地区からは、クハ481形の200・300番台が軒並み向日町や九州地区に転属している。
東北地区からは、初めて1000番台車両の他地域転出が行われ、青森運転所や秋田運転区からMM'ユニットのみだが、向日町運転所に転属が行われている。また同時に1500番台のMM'ユニットも全車青森から向日町に転属が行われた(1500番台車は翌年、全車が上沼垂に再転属している)。
向日町ベースでは食堂車の廃止が行われ、サシ481形改造の和式グリーン車サロ481形500番台「だんらん」の連結、並びに編成替えと増発に必要な車両が青森、秋田、仙台から転入している。なお、翌1986年3月に余剰となったサロ・サシ481形が廃車となっている(一部車両は分割民営化直前に車籍を復活している)。この改正では紀勢本線で「くろしお」を4往復増発することになったが、本来381系を投入すべきところを経費節減のために余剰化していた485系を投入し対処することになった。
- モハ485・484形ユニット 青森運転所・仙台電車区から11組22両が転入
- モハ484形は車掌室装備の600番台。
- クハ481形200番台 南福岡電車区から11両が転入
- クハ480形11両
- 向日町運転所・金沢運転所所属のサハ481形、サハ489形を先頭車化改造し投入
紀勢本線は季節や区間によって乗客数の変動が大きいため、4両編成を2本つなぎ合わせて対応することになった。その際に不足する先頭車は付随車改造のクハ480形を充当、同時に4両と短編成のため MG・CP はクハ481形からの供給で充分と判断され、未搭載となっている。しかし、381系との運転時間の違いによる利用客からの苦情や運用の見直しで翌1986年に日根野から485系は撤退し、新設エル特急「北近畿」に転用され、福知山運転所に転属する車両と九州地区に復帰する車両とに分けられた。また、クハ481形の一部には半室グリーン車を設置したクロハ481形に、クハ480形にはMG・CPが搭載されクハ481形に改造された車両もあった。
一方、九州地区では1984年のダイヤ改正で増発を行ったが、短編成化による先頭車不足から、東北新幹線開業による保留車であったクロ481形をクハ481形600番台に、上越新幹線開業による保留車となっていたクハ181-109とクハ180-5をクハ481形500番台に改造して対応していたが、本改正に向けて、モハ485形をクモハ485形に、サロ481形を運転台取付けクロ480形に改造するなど短編成化改造を多数行っている。特にモハ485形→クモハ485形への改造は、定員数の問題からAU71形クーラー搭載のモハ484形200番台のユニットが充当されたために初期車の多い鹿児島運転所の車両と南福岡の車両との交換が行われた他、青森運転所からMM'ユニット9組18両が転入している。また、東北地区にボンネット形クハを大量供出した見返りに非ボンネットクハ16両が南福岡電車区に転入している。
この後、各地でモハ485形からクモハ485形への改造や、半室グリーン車化したクロハ481形への改造が頻繁に行われるようになり、短編成化はさらに推進された。そして、国鉄分割民営化時に安定した承継と列車運行を前提とした国鉄最後のダイヤ改正が行われる。この改正では、分社化時のJR各社の車両運用や供給も考慮された車両転配が行われた。485系に関しては、些細な転配を除くと次の点が目立った点である。
- 日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行い、新潟運転所上沼垂支所を上沼垂運転区と独立させ、青森運転所、秋田運転区、向日町運転所から485系が転入。「雷鳥」「白鳥」「北越」の運用を担当することになった。
- 金沢運転所に所属する489系車両の中から、200番台車を中心に27両が「あさま」用として長野運転所に転属した。
こうして、483系8両、485系1,087両(付随車含む)、489系136両がJRに引継がれることとなった。
国鉄分割・民営化後
2007年現在、427両の485系がJR北海道・JR東日本・JR西日本・JR九州の4社で営業運転を行っている。しかし、最も車令の若い車両でも製造から28年以上を経ていることや、651系・E653系・681系・683系・E751系・783系など後継車両の登場により廃車が着実に進んでいる。
また、485系はすべてアスベストを使用しており、JR東日本は未撤去車両を全廃した。
北海道旅客鉄道
所属車はないが、JR東日本青森車両センター所属の車両が「白鳥」(1988年3月13日~2002年11月30日は「はつかり」)で函館駅まで乗入れている。かつては1000番台も使われたが、現在では3000番台のみで運転されており、青函トンネル(海峡線)を通過するためにATC-L形搭載編成に限られる。ただし、車両の故障時には485系の予備車が少ないために函館運輸所の789系による代走が行われるケースもある。JR北海道と東日本の乗務員交代は原則として蟹田駅で行われるが、同駅通過の列車は青森駅で行われる。
- 国鉄からの承継車
- 1500番台の北海道撤退後、サシ481-50とサロ481形6両(37・41・47・60・63・94)がサハネ581形7両と共に北海道に渡り、JR北海道に承継されている。
東日本旅客鉄道
現在、JR東日本では236両(保留車を含む)が在籍しており、主に東北・上越新幹線との連絡特急列車や快速列車などに充当されているケースが多い。
また、以前は「白鳥」(大阪~青森を運転していた2001年まで)「雷鳥」「北越」などでもJR西日本所属車が乗入れていたが、現在では急行「能登」で金沢総合車両所の489系のみが乗入れている。この車両は間合い運用で「ホームライナー鴻巣・古河」にも使用されている。
青森車両センター(盛アオ)
東北新幹線八戸開業までは特急「はつかり」「いなほ」(南秋田運転所と共管)などの新幹線連絡特急に使用されたほか波動対応の編成や運用も多く、1992年には夜行急行「津軽」にも投入された。そのため首都圏乗入れも考慮した ATS-P形を搭載した車両も在籍していた。1996年からは車体改修などのリニューアル改造を施行した3000番台が登場。現在は3000番台の6両編成(A編成)6本と増結用の中間車8両が配置されており、「白鳥」「つがる」に使用されているほか、間合い運用で津軽線の普通列車にも投入されている。
青森運転所の485系は全検を郡山総合車両センターで行うが、その際の回送ルートは奥羽本線→羽越本線→上越線→高崎線→東北本線→武蔵野線→常磐線→東北本線とかなり遠回りの経路をとる。これは東北本線八戸~盛岡間が青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道となり、この区間を通過する場合に線路使用料が発生するためである。また、入出場の際は同センター所属の双頭型両用連結器を装備したEF81形の136号機、139号機に牽引される無動力回送となっている。これは485系がATS-P形を搭載していないためで、方転・機回しの手間を省くため一旦武蔵野線から常磐線を通り田端運転所を経由している。
秋田車両センター(秋アキ)
東北新幹線盛岡開業後も「つばさ」「やまばと」の奥羽特急で上野乗入れを続けるほか、「たざわ」「こまくさ」などの新幹線連絡特急も担当し、上野口では共通運用で「あいづ」にも投入されるなど、すべて1000番台で運用が行われいた。しかし、東北新幹線上野開業時に「やまばと」が廃止。山形新幹線に伴う改軌工事で「つばさ」は仙山線経由で上野乗入れを継続するも、山形新幹線開業時に廃止され上野口から撤退、さらに新庄延伸で「こまくさ」は快速格下げを受ける。秋田新幹線開業で「たざわ」廃止、「いなほ」の上沼垂運転区移管など、新幹線によって運用を縮小され続けている。現在では専用色に塗装された1000番台3両編成3本の在籍となり、秋田~青森間の特急「かもしか」のみで運用されている。
仙台車両センター(仙セン)
東北特急撤退後の1993年に「ビバあいづ」用の485系1編成が配置されたが、2002年の運転終了後に勝田電車区に転出。その後青森運転所より国鉄色の485系(旧A7編成)が転入し、特急「あいづ」と快速「あいづライナー」に使用されていたが、200410月で一旦運転を終了し、東武鉄道乗入れを前提とした最初の改造を行い、2005年夏の臨時列車「あいづ」に投入後、再改造を行うと同時に小山車両センターに転属した(詳細は後述)。
2006年の夏に再び臨時特急「あいづ」「仙台あいづ」が運転されることになり、青森車両センターから6両編成1本(旧A3編成)が転入している。こちらはA1・2編成と名付けられ、転入時に座席交換とシートピッチの拡大(定員380名→319名)。半室グリーン車クロハ481-1013のをクハ481-1015に復元。保安装置をATC-L形→ATS-P・Ps形に換装。車体塗色を会津大学短期大学部学生のデザインをベースとした赤と黒の2色に変更などのリニューアル改造などを郡山総合車両センターで施工し、「あいづデスティネーションキャンペーン」のマスコットキャラクター「あかべぇ」をまとい人気車両となった。同編成は2007年2月から3月にかけて臨時特急列車「かつうらひなまつり号」で運用された後、同月18日のダイヤ改正より磐越西線郡山~会津若松間で快速「あいづライナー」2往復(多客期には会津若松での運転間合を活用して3往復)として運転中。
新潟車両センター(新ニイ)
在来車は、民営化後に指定席車両のシートピッチ拡大と窓の大型化、グリーン車の3列シート化などを行ったグレードアップ編成が登場し、塗装も「上沼垂色」と呼ばれるものに変更された。のちに更新工事を行っていない車両も同様の上沼垂色に変更され、同センターの標準色ともいえる形になった。これらは1000番台車中心の構成でT編成と呼ばれ、「雷鳥」「白鳥」用の9両編成が5本(T1~T5編成)在籍していたが、2001年3月3日改正で「雷鳥」の新潟乗入れが廃止されたため運用を離脱。一部は4両に減車されて快速「くびき野」用のT21・22編成となったが、2006年に長野へ転属し、T21編成のクハ481形を除いて6両がジョイフルトレイン「彩(いろどり)」に改造された。
また、1997年にはリニューアル改造車の3000番台車も登場しており、サロ481形3000番台を組込んだ「はくたか」用の9両編成(R1・2編成)も2005年3月1日改正で「はくたか」の全列車が681系・683系化したため、6両編成化を行いR26・27編成となった。なお、脱線事故当該のR24編成を補完するために2006年に3000番台4両が青森車両センターから転入し、増結用のMM'ユニットを組入れR28編成を組成している。 現在では、T・R編成ともすべて6両編成となり、上沼垂色のT編成8本(T11~18編成)。3000番台のR編成7本(R21~28編成、ただしR24編成は欠番)が、「いなほ」「北越」、快速「くびき野」に充当されている。
また、2003年には、「ムーンライトえちご」から165系電車が引退することになり、置換え用に青森運転所のA10・11編成が国鉄色のまま転入し、K1・2編成として専従で就役している。しかし、K編成には予備車がないため、検査・故障の際にはATS-P・車内減光装置搭載のT18編成が第一予備。第二予備には、R26・27編成のいずれかが投入されることになる。また、万が一首都圏側停泊中に車両故障が発生した場合は、新潟から予備車を回送、あるいは運休させるしかなかったが、2007年2月2日下り「ムーンライトえちご」に充当予定のT18編成が大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターから回送中に車両故障を起こした際には、急遽同所のOM102編成(183系1000番台)を投入し代走させた。なお、同所の183系はモノクラスのため本来グリーン車利用客に対してグリーン料金の払戻しとグレードアップ車である3号車の同番号席に、3号車の指定券を持っていた乗客は1号車の同番号席への振替が行われた。
他の所属車には、増結用3000番台MM'ユニット2両(モハ485・484-3086)、ジョイフルトレイン「NO.DO.KA」「きらきらうえつ」、保留車としてサロ481形3000番台2両とVIP仕様で防弾対策などを備えたサロ489形1050番台2両のも配置されており総数は115両(実質稼動車は、105両)となっており、現役車両の1/4強、JR東日本だけ見ても同社所属の約半数が集結するJRグループ最大の485系配置基地となっており、同センターの運用の特徴として定期運用では青森・金沢・新井・新宿・黒磯にまで足を伸ばし、さらにシーズンによっては、会津若松や大阪にも姿を見せる広域運用を組んでいる。最近では、2004年10月27日~11月28日には10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で上越新幹線越後湯沢駅~新潟駅が不通になり、長野新幹線への乗継ぎを図るため新潟駅から越後線・信越本線経由の臨時快速列車に充当、特急「みのり」廃止以来久々に長野駅に入線した。
小山車両センター(宮ヤマ)
ジョイフルトレイン「宴」(G4・5編成)「華」(G6・7編成)の6両編成2本と東北本線(宇都宮線)~東武日光線を運転する新宿駅~東武日光駅・鬼怒川温泉駅間の特急「日光」「きぬがわ」用6両編成(G58編成)1本が配置されている。なお、本形式が大手私鉄の路線へ直通運転されることは初となる。
G58編成は、元青森運転所A7編成で2003年仙台運転所に転属し、「あいづライナー」に充当。2004年10月の運用終了後に外装変更や座席の交換とシートピッチ拡大(1,100mm・定員380名→319名)、クロハ481-1014→クハ481-1017への復元、ATS-P形搭載などの改造を郡山総合車両センターで行い、2005年夏の臨時特急「あいづ」に投入した。その後先頭車正面の列車愛称表示器を撤去、運転台部分を1枚窓の新しい構体へ交換、3号車の業務用室を多目的室へ変更、東武ATSや列車無線、自動放送装置(JR・東武区間共に485系は堺正幸の声)搭載などの再改造が行われ転入した。この編成は予備車がないため、検査や車両故障などの場合は東武100系が代走、列車名にも「スペーシア」が付けられるが、東武車も使用できない場合は大宮総合車両センター所属の189系(OM201編成「彩野」東武乗入れ改造済み)が使用される。
その他
- 勝田車両センター(水カツ)
- かつては「ひたち」や「あいづ」の運用を担当、初期ボンネット車や483系も所属し、1991年には、ディーゼル機関車牽引で非電化の鹿島臨海鉄道大洗駅まで乗入れの夏季臨時特急「ビーチイン大洗ひたち」の運転が計画されたが、同年5月14日に発生した信楽高原鐵道列車衝突事故により、「不測の事態への対応がしにくい」等の理由により、数度の試運転を実施したのみで、営業運転は実施されなかった。E653系投入で定期列車用485系は全廃となり、現在はジョイフルトレイン「リゾートエクスプレスゆう」(K30編成)、K60編成(6両)、K40編成(4両)が所属。主に臨時列車や団体列車に使用されている。
- 長野総合車両センター(長ナノ)
- 1986年11月から特急「あさま」用の489系9両編成3本が在籍しており、189系同様「あさま色」に変更された。長野新幹線開業後2000年までに全車廃車となったが、2006年末にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」が配置され、485系電車配置基地として復活した。
- 高崎車両センター(高タカ)
- ジョイフルトレイン「やまなみ」「せせらぎ」の4両編成2本が所属する。時として、連結して8両編成として運転するケースもある。
- 幕張車両センター(千マリ)
- ジョイフルトレイン「ニューなのはな」6両編成1本が所属する。
なお、全般検査は秋田総合車両センターが秋田・新潟所属車、長野総合車両センターが自所所属の「彩(いろどり)」を担当。他の車両はすべて郡山総合車両センターが担当している。
東海旅客鉄道
481系電車登場と共に「しらさぎ」で名古屋駅への乗入れが開始され、1965年~1972年には「つばめ」でも485系電車が顔を出していたが、分割民営化以後はエリア内に交流電化区間もなく、承継された車両もなかった。2003年までは、JR西日本所属車両で「しらさぎ」と間合い運用で「ホームライナー大垣・関ヶ原」に用いられていたが、683系電車に置換えられ定期運用は消滅した。現在でも稀に北陸地区からの団体列車がJR東海エリアに入線するものの、485系での運転は減少している。
西日本旅客鉄道
124両が在籍し、全車両が旧国鉄色となっている。主に北陸本線系統のエル特急「雷鳥」と急行「能登」に使われる他、臨時・団体列車にも使用される。また「北越」でJR東日本新潟車両センター所属車が乗入れている。同社車両の特徴として、電動車ユニットの組換えが頻繁に行われていることが挙げられる。
また、183系200・700・800番台への改造車を福知山運転所に配置し、特急網「北近畿ビッグXネットワーク」に使用している。
京都総合運転所(京キト)
485系9両編成10本(A01~A10編成)が在籍しており、10編成中6編成が大阪方にパノラマグリーン車を、残る4編成もクロ481形を大阪方に連結している。489系も5両が健在で、A07編成にクハ489-604、A08編成にクハ489-704、A05編成にはクハ489-702、モハ489-26+モハ488-211が組込まれている。2003年9月まではクハ481形100番台やサロ481形も所属していたが、現在は全車廃車になっている。現在は主に特急「雷鳥」に使用されているほか、金光駅への臨時列車(通称:金光臨)にもよく使用される。
なお、以前は向日町運転所と称していたが、1996年3月16日に組織変更により向日町操車場と統廃合され、京都総合運転所と改称。その際に略号も「大ムコ」から「京キト」に変更されている。
金沢総合車両所(金サワ)
489系9両編成3本(H01~H03編成)と7両編成1本(H04編成)が在籍し、いずれも編成両端にボンネットスタイルのクハ489形0・500番台を連結している。また2002年までに全編成が「白山色」から旧国鉄色に塗替えられた(ただし同所の旧国鉄色は、雨樋がオリジナルと異なりクリーム4号となっている)。クハ489形500番台は急行「能登」運用の際「レディースカー」として使用されるためトイレの洋式化と洗面所の増設と改良、デッキへの大型円形ミラー取付が施工されているほか、ATS-P形や客室減光装置を装備。H01~03編成は上越線・北陸本線経由の急行「能登」と間合い運用で宇都宮線・高崎線の「ホームライナー巣・古河」で運用されるほかに、京葉線団体列車(通称・舞浜臨)に使われることもある。H04編成は定期運用はないが、波動輸送や定期列車の代走に充てられる。
また、同所にはかつて485系も大量に配置されていた。使用する列車によって様々な色の485系が在籍していたのが特徴である。
- 「しらさぎ」「加越」用(K編成) 7両編成 1988年~2001年
- 両端は基本的にボンネット車、4号車にサロ481形が組込まれ、国鉄特急色で組成されていたが、米原方先頭車の電気連結器の有無によって、3両付属編成と連結を行う0番台とそうでない20番台とに区分されていた。1997年からは「スーパー雷鳥」から転用のクモハ485形200番台を組込んだ3両編成(K11~13編成)も登場し、7+3の10両編成も登場した。7両固定編成は引退までクハ481形100番台を中心に組成されていた。
- 「かがやき」「きらめき」用(S編成) ハイグレード車6両編成(登場当初は4両編成) 1988年~1996年
- 「かがやき色」と呼ばれる専用塗装。金沢方にクロ481形2300番台を連結。
- 「はくたか」用(V編成) ハイグレード車8両編成 1996年~2002年
- 当初は「かがやき」「きらめき」でも使われていた。ATS-P形の取付とともに塗装変更が行われ、のちに「JR西日本色」と呼ばれるものになった。このカラーは現在福知山所の183系や京都所のキハ181系でも採用。
- 「スーパー雷鳥」用(R編成) ハイグレード車10両(登場当初は7両)編成 1989年~2001年
- 大阪方先頭車にクロ481形2000・2100番台を連結し、2号車にサロ481形2000番台を組込んでいたデラックス編成。1997年までは7+3両編成で7号車にクハ481形200番台、8号車にクモハ485形200番台を組込んでいた。一部編成はその後、7号車がサハ481形500番台、8号車がモハ485形にそれぞれ差替えられ、10両固定編成となった。
- 「しらさぎ」用(Y編成) ハイグレード車10両編成 2001年~2003年
- Y01~04は7両編成で、3両編成のY11~13編成と併結運転を行っていた。Y21~23編成は7両固定編成、Y23編成以外は富山方にクロ481形2000・2100番台を連結。通称「あおさぎ色」。
- 「加越」「北越」用(O編成) 6両編成 1988年~2001年
- 米原方にクロ480形1000番台を連結。2001年3月改正で4両編成に減車された。
- 「加越」用(K編成) 4・6両編成 1997年~2003年
- 旧S編成を国鉄色に戻したもの。金沢方にクロ481形2200・2300番台を連結。4両編成(K1~K3)、2両増結編成(K4~K6)、6両編成(K11~K13)。
- 共通予備編成(Y31~Y33編成) 2001年~2005年
- 元K編成でサロ481形を組込んでいた。Y33編成は増結用のモハユニット。臨時特急「ふるさと雷鳥」などに使用された。Y33は489系H04編成に組込んで「はくたか」や「能登」運用に充当もあった。
2000年8月26日に運転された「リバイバルはと」で博多乗入もされたが、金沢配置の485系は2005年12月に全廃となった。
四国旅客鉄道
国鉄時代、485系の四国への入線はなかった。しかし、2001年5月12日・13日に大阪駅から高松駅まで運転された臨時列車「サンポート高松」として初めて入線している。なお、電化区間であっても予讃線箕浦駅以西は狭小トンネル断面のため入線不可とされている。
九州旅客鉄道
国鉄時代は南福岡および鹿児島のみの配属であったが、大分にも配属されるようになった。また、下関発着の「にちりん」が廃止され交直流切換の機会がなくなったため、現在は直流避雷器など直流区間専用の機器を撤去して交流専用車となっている。
民営化直後はすべての九州島内の特急に充当されていた。また1989年~1992年に「有明」で世界初の気動車(キハ183系1000番台「オランダ村特急」)との動力協調運転が行われた。しかし、783系以降の新型特急電車の台頭に伴い充当列車も徐々に減少していく。まず1992年の「つばめ」への787系投入により鹿児島本線熊本以南から、次いで1994年には「有明」の783系統一により同線鳥栖以南から姿を消した。廃車も民営化前から初期車を中心に進められており、1995年からは改修車にも廃車が始まり、当年度でサロ481形およびボンネット車は全廃となった。これは、JR九州に特急列車のを下り方先頭に、しかも半室グリーン車のみ設定するという方針があったからと思われる。
その一方で、1992年に登場した「ハウステンボス」、1995年に「にちりん」を系統分割した「きりしま」へ、1997年には博多~大分間の「にちりん」から改称された「ソニック」に1往復のみ(大分電車区への入出庫)充当された。
2000年3月、885系「白いかもめ」の投入により、「有明」は787系統一、「みどり」「ハウステンボス」は783系統一で、「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」の全列車から撤退、長崎本線・佐世保線の定期列車から姿を消した。一方、この改正では「にちりん」を系統分割した「ひゅうが」に充当された。翌年3月には、885系「白いソニック」の投入および博多乗入れ「にちりん」の783系充当「にちりんシーガイア」「ドリームにちりん」集約により、博多駅乗り入れもなくなった。
この運用の大幅な縮小により2年間で106両が一気に廃車され、南福岡車の定期運用がなくなった他、廃形式または廃区分番台となったものもある。また、2004年2月には南福岡への配置も無くなり、約30年の配置基地としての歴史に幕を閉じた。
2007年現在17編成73両が在籍するが、旅客3社の中では両数、残存率 (23%) ともに最低。現有車両も、2010年度の九州新幹線の博多延伸開業時に余剰となる783系や787系に置換えられて全廃される予定である。
大分鉄道事業部大分車両センター(分オイ)
DO1~7編成(3両編成)、DO31編成(5両編成)、波動用MM'4ユニット8両(計34両)
- DO1~7編成は鹿児島より転入。また多客期にはMM'1ユニット増結する。「にちりん」(小倉発着除く)、「ひゅうが」、「きりしま」(霧島神宮折返し除く)、「みどり」(臨時列車のみ)、宮崎・南宮崎~宮崎空港間普通列車に充当。
- DO31編成は波動用。
鹿児島総合車両所(本カコ)
DK8~10編成(3両編成)、DK11~16編成(5両編成)(計39両)
- DK10編成は大分のDO21編成からMM'2ユニット脱車した編成で、クハ481-213は現在クハで唯一のRED EXPRESS色。
- DK8・10編成は「きりしま」(霧島神宮折返しのみ)、DK-9編成はRED EXPRESS保留車を再リニューアルした編成で一部宮崎行に、DK11~16編成は「にちりん」(中津発着除く)「ひゅうが」「きりしま」、宮崎・南宮崎~宮崎空港間普通列車に充当。2006年9月17日に発生した脱線転覆事故によりDK12編成が被災したが、同年12月クロハ481-4が復旧し、大分車両センターの波動用MM'ユニットを組込み運用復帰した。
その他のエピソード・トリビア
- JR化後には列車別・車両所別に様々な塗装が登場したことで、車両の転属後や貸出、運用変更、故障時などに予備車を連結した際など混色編成になることも多かった。上沼垂運転区の編成に勝田電車区より転入した「ひたち色」のMM'ユニットが組込まれたり、「シュプール号」運転時に京都総合運転所の583系との併結運転がなされた。これは、583系としては営業列車で唯一の先頭貫通路使用例でもある(北陸トンネル走行時の防災対策のため)。さらに583系に旧国鉄特急色の485系のMM'ユニットが組込まれたり、北陸地区での103系USJ色の車両展示の為に電源車として使用されたこともあるなり、これらは記録として残そうと撮影するファンも多く、鉄道趣味雑誌などでその写真が掲載されたこともあった。485系の運用が減った現在ではそのような光景が実現することは極めて稀である。
- オランダ鉄道のICM型電車の先頭車は、クハ481形200番台に似た貫通型先頭車となっている。そのため「オランダの485系電車」と言われることもある。
- 韓国鉄道庁(大韓民国国有鉄道)→韓国鉄道公社では日本の急行列車に相当するムグンファ号用車両として製造された9900系電車は本系列をモデルにしているとされる。→同車両項目も参照されたい。
関連商品
KATO、TOMIX、マイクロエースから鉄道模型が販売されている。
- KATO
- Nゲージのみで、485系初期型(クハは100番台)、485系後期形(クハは300番台)、489系(0番台)がある。全て国鉄仕様である。また、ラウンドハウスから485系「日光・きぬがわタイプ」が発売された。
- TOMIX
- NゲージとHOゲージの2種類がある。様々な種類の485、489系が販売されているのが特徴。Nゲージは2004年頃から製品のリニューアルが始まり、順次HG(ハイグレード)仕様に差替えられている。
- Nゲージ
- 485系初期形(クハ481形0番台のセットとクロ481形0番台のセットがある・国鉄仕様)、485系後期形(クハは200番台・国鉄仕様)、「しらさぎ(限定品)」、「スーパー雷鳥」がある。2007年4月に「ゆぅトピア和倉セット(クハは100番台・サロ481形500番台入り)」が発売された。リニューアル前は485系1000番台(国鉄色)、「ひたち色」、「上沼垂色」、489系「あさま色」、「白山色」などがあった。
- HOゲージ
- 485系初期形(クハ481形100番台のセットとクロ481形100番台のセットがある・国鉄仕様)、485系後期形(クハは300番台・国鉄仕様)、「かがやき・きらめき色(限定品)」、489系200番台「あさま色」がある。
- マイクロエース
- Nゲージのみで、485系RED色、K&H色、国鉄色(DE10とヨ28000を加えた特急「有明」の豊肥線乗入れ仕様)といった九州の485系が販売されている。2007年夏に485系「あいづ(東武色)」、「あいづ(あかべぇ色)」、ジョイフルトレイン「華」「やまなみ」「せせらぎ」が発売される予定となっている。
参考文献
- 交友社「鉄道ファン」
- 1978年10月号 No.210「特集:交直流特急電車PART.1」
- 1978年11月号 No.211「特集:交直流特急電車PART.2」
- 1983年3月号 No.263「特集:電車の引越し大作戦」
- 1985年4月号 No.288「特集:485系20年」
- 1985年11月号 No.295「特集:がんばれボンネット特急」
- 1987年4月号 No.312「特集:485系とその一族」
- 1990年12月号 No.354「新車ガイド シルフィード登場」
- 1991年6月号 No.362「新車ガイド RESORT EXPRESS ゆう」
- 1992年3月号 No.371「特集:485系特急形電車」
- 1992年7月号 No.375「特集:惜別485系“つばさ”」
- 1994年8月号 No.400「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『宴』」
- 1996年6月号 No.422「新車ガイド JR東日本485系3000番台」
- 1997年2月号 No.430「特集:ボンネットSTYLE」
- 1997年7月号 No.435「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『華』」
- 1998年4月号 No.444「新車ガイド JR東日本485系『ニューなのはな』」
- 1998年10月号 No.450「特集:今どきの485系」
- 1999年7月号 No.459「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『やまなみ』」
- 2001年6月号 No.482「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『せせらぎ』」
- 2002年2月号 No.490「新車ガイド JR東日本485系『きらきらうえつ』」
- 2003年12月号 No.512「特集:月光形 その顔の世界」
- 2007年8月号 No.556「特集:485・583系の今」(仮題)
- 「JR車両ファイル」各年度掲載号
- 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」
- 1988年7月号 No.498「特集:485・489系特急形電車PART.1」
- 1988年8月号 No.499「特集:485・489系特急形電車PART.2」
- 2001年8月号 No.705「特集:485系電車の現状」
- JR電車ライブラリーシリーズ2 特急形交直流・交流電車
- ネコ・パブリッシング「レイルマガジン」
- 1991年3月号 No.89「特集:I LOVE ボンネット」
- 1991年7月号 No.93「新ジョイフルトレインゆう」
- 1991年8月号 No.94「特集:もっと知りたいボンネット」
- 1994年12月号 No.135「特集:485系総整理」
- 2003年4月号 No.235「特集:さらばボンネット特急」
- 2006年8月号 No.275「特集:485系『雷鳥』最後の戦士」
- 三宅俊彦「列車名変遷大辞典」 ISBN 9784777051823
- イカロス出版
- 交直両用特急形電車形式485系
- 「名列車列伝シリーズ 特急ひたち&ボンネット特急」
- 「名列車列伝シリーズ 特急雷鳥&485系電車NOW」
- 「名列車列伝シリーズ 特急はくたか&北陸の485/489系」
- 「新名列車列伝シリーズ 東北線の名列車電車篇」
- 季刊j train 2003年 Vol.9「特集:北陸路のボンネット特急」
- 国鉄型車両の系譜シリーズ5 形式183・189系
- 学習研究社「鉄道ナビVol.2」
- 2000年「特集 特急電車485系分類大百科」
- JTBパブリッシング
- 石井幸孝「九州特急物語」 ISBN 978453306870
関連項目
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