山崎ハコ
山崎 ハコ | |
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出生名 | 山崎 初子(やまさき はつこ)[1] |
生誕 | 1957年5月18日(67歳)[1] |
出身地 | 日本・大分県日田市[1] |
学歴 | 横浜学園高等学校[2] |
ジャンル | フォークソング |
職業 |
シンガーソングライター 女優 |
担当楽器 |
ボーカル ギター |
活動期間 | 1975年[1] - |
事務所 | IMADOKI[3]→フリー |
共同作業者 | 安田裕美 |
公式サイト | 山崎ハコの世界 |
山崎 ハコ (やまさき ハコ、本名:山崎 初子(やまさき はつこ)[1]、1957年〈昭和32年〉5月18日[1] - ) は、日本の女性シンガーソングライター、フォークシンガー、女優。大分県・日田市出身[1]。血液型はAB型[1]。
名字の読みは「やまさき」である[1]。芸名の「ハコ」は、本名の「初子」を短縮した子供時代からの愛称に由来する。
経歴
[編集]デビューまで
[編集]大分県日田市の兼業農家に生まれる。生家は田んぼを持ち、父親は郵便局員であった。家族は祖父母と両親、兄が一人いた。音楽好きな兄の影響で、山崎もレコードを聴いたりギターを弾くようになったという。両親が先に神奈川県横浜市へ転居し山崎は中学校卒業まで祖母と日田市で暮らす。両親が横浜へ転居した理由について、山崎はインタビューで「母が経営していた小料理屋がうまく行かなくなったため、横浜で地下鉄工事のアルバイト[注 1]をしていた兄を頼って行った」と述べている。
中学卒業後の1973年4月、山崎も両親の住む横浜市へ転居し、横浜学園高等学校に入学した[2]。同高校在学中に音楽コンテストに出場するようになり、1974年11月に高校2年生で「ジョイナス・フォーク・コンペティション」に出場して優勝[1][3]。このコンテストに関わっていた横浜出身の音楽プロデューサー・星野東三男(ほしの とみお[4])に見い出され[3]、星野が地元の横浜で立ち上げた音楽事務所「ニューサウンド」に1975年4月から所属することとなる[3]。山崎は当時まだ高校在学中であった。
なお「ニューサウンド」はのちに「サウンドポート」「サウンドシップ」を経て、1989年に事務所名を「IMADOKI」と改称。同年に開催された横浜博覧会 (YES'89) での音楽イベント等を手掛けた[3]。同事務所には、山崎と同じく「ジョイナス・フォーク・コンペティション」からデビューした石黒ケイ、横浜市出身の裕木奈江が所属した[3]。また「ジョイナス・フォーク・コンペティション」には、デビュー前の渡辺真知子も出場している[3]。
同1975年5月にフォーク系レーベルのエレックレコードと契約。すでに50曲近く書きためていた中から選曲してレコーディングを開始した[3]。同年10月1日、ファーストアルバム『飛・び・ま・す』をリリース[1]。18歳でメジャー・デビューを果たす。また同年9月26日にはデビュー・コンサートを横浜市教育文化センターで開催した。
1975年末には林美雄がDJを務めるTBSラジオの音楽番組『パックインミュージック』に出演[3]。同年12月にTBSホールで開催された「第1回パック祭り」では荒井由実や石川セリと共演した[3]。なお同番組は、荒井のデビュー曲「返事はいらない」を紹介し、1stアルバム『ひこうき雲』がブレイクするきっかけを作ったことでも知られる。
山崎はデビュー前から病弱で[3]、かねてより慢性膵炎の持病を抱えており、膵臓に負担がかかるため成人後も「酒・タバコどころかコーヒーなども口にできない」という体質である[5]。そのため、デビュー時から所属していた音楽事務所「IMADOKI」社長の星野は、病弱な山崎の負担を避けようと、シングルを次々に出してヒット曲を狙うという手法を取らなかったと語っている[3]。
フォークブームの中で
[編集]翌1976年に2ndアルバム『綱渡り』発売後、同年7月16日にエレックレコードが倒産。キャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)に移籍、3rdアルバム『藍色の詩』発表。以降、1984年のアルバム『てっせんの花』まではキャニオンからのリリースとなる。
フォークギターの弾き語りで、女の情念や怨念といった心情を土俗的なイメージとともに哀しく切々と歌い上げ、熱狂的なファンを獲得した。九州弁を活かした歌詞や、日本各地に古くから伝わる伝承歌を題材とした作品もあり、地元の九州や大分、神奈川や横浜のご当地ソングも多数ある。150cm前後の小柄で痩せた体躯から発せられる低音で表現力を誇る歌唱と、暗く鋭く愛をもって社会を抉る歌詞で、デビュー当時は「中島みゆきのライバル」と称された。
1979年4月から1980年3月にかけてはニッポン放送の『オールナイトニッポン』火曜日2部のDJを担当[1]。「深夜放送のマドンナ」と称された。
また映画音楽の制作も手がけ、初の映画音楽として1979年のホラー映画『地獄』の主題歌「心だけ愛して」、挿入歌「きょうだい心中[6]」を担当[1]。この主題歌と挿入歌はシングルとして発売されたが、兄妹の近親姦と心中を扱った「きょうだい心中」は放送禁止歌とされた(ただしこの歌詞は山崎のオリジナルではなく、西日本の各地に伝わる伝承歌を元にしたものである)。
1981年には、九州の炭鉱地帯を舞台とした五木寛之原作の映画『青春の門』の音楽を担当、五木作詞の主題歌「織江の唄[7]」がヒットした[1]。1984年にはベトナム戦争で国を追われたボートピープルを題材としたアン・ホイ監督の香港映画『望郷』(投奔怒海)の主題歌を担当[1][8](制作は1982年、1984年日本公開)。1990年には同じ音楽事務所「IMADOKI」に所属する裕木奈江の主演映画 『曖・昧・Me』の音楽制作を担当した[1]。
アルバム『幻想旅行II』の発表時点(1982年)で、発売したLPはそれぞれ5万枚ずつ売れていた[9]。
所属事務所の倒産
[編集]しかし1980年代以降はフォークブームが過ぎ、左翼運動や学生運動の後退により政治色の強いプロテスト・フォークは廃れ、好景気を背景に「四畳半フォーク」は「ダサい」と言われるようになる。「ネクラ・ネアカ」が流行語となった世相の中で、山崎の楽曲は「暗い」と言われてレコードのセールスが伸び悩むようになった[3]。当時はタモリなどのお笑い芸人が「暗い曲・怖い曲」として山崎の楽曲を笑いのネタにすることさえあった[注 2]。
1985年、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック)へ移籍。アルバム『光る夢』を発表。ポリドールから1986年11月発売のライブ・アルバム『私の幸せ』まで4枚のアルバムを発売するが、このアルバムの制作前に音楽事務所から「最後の弾き語りステージをライブ・アルバムとして残したい」と言われており、活動休止が示唆されていた。
その後、約3年のブランクを経て1990年にトーラスレコード(現:ユニバーサルミュージック)へ移籍し、『SA・SU・GA(流石)』含む2枚のアルバムを発表。この頃から、それまでのフォーク調からブルース色が強くなり、曲調やジャケット写真も都会的な雰囲気を強調してイメージチェンジを図った。
翌1991年にBMGビクターへ移籍(1994年以降のアルバムはビクターエンタテインメント)。1994年に初のカバー・アルバム『十八番 (おはこ) 』で第36回日本レコード大賞アルバム企画賞を受賞[1]。翌1995年には初のセルフカバー・アルバム『ハコのお箱』を発表[1]。
1991年より、渡辺えりと親交を持ったことを契機に、渡辺が主催する「劇団3○○」の演劇に出演、舞台女優としても活動を開始する[1]。
1997年には、NHK『みんなのうた』で「わっしょいニッポン」が放送された[1]。
しかし、裕木奈江主演の1993年放送のテレビドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(日本テレビ)の撮影が始まった時期に、山崎がデビュー時から所属していた音楽事務所「IMADOKI」代表の星野が、交通事故に遭い大怪我を負い入院[3]。これに引き続く裕木に対するバッシングなどもあり[注 3]、星野は精神的に追い詰められていく[3]。そうしたことから、1998年[注 4]に「IMADOKI」が倒産、山崎はフリーとなる。なお星野によれば、石黒ケイは1986年から1987年にすでに同事務所を離れており、倒産時点では山崎と裕木が在籍していた[3]。
2000年代以降
[編集]山崎は事務所倒産について、インタビューなどで「所属事務所が倒産したことで一時期はホームレスにも近い極貧生活をしていた」「生計を立てるため中華料理店で皿洗いのアルバイトをしていた」などと様々に語っている。また「事務所が倒産するまで印税の存在すら知らなかったが、突然の倒産によりマネージメントや営業活動など全てを自らこなすようになった」「22年間、事務所の言うとおりにしてきましたが、印税をまったくもらってなくて、最後に社長から渡された私の通帳には1000円しか入ってなかった」[10] とも述べている。さらに「アルバイト先の先の有線放送でたまたま自分の曲が流れたのを聴いて、自分は歌わなくてはいけないと本格的な歌手復帰を決意した」とも述べており、それにより「2008年に完全復帰を果たし、日本コロムビアより新曲『BEETLE』を発表した」などと語っている。
しかし山崎の公認ウェブサイト上のプロフィールによれば、その間にも音楽活動は継続しており、2000年にTBSテレビ愛の劇場『あっとほーむ』エンディングテーマを担当し、室井滋とのカップリングでシングル『希望』を東芝EMIから発売している[1]。2001年にデビュー前の17歳で録音したデモテープの未発表音源『飛びます…17歳』、2枚組ベスト・アルバム『Dear My Songs 山崎ハコ・ベスト』を発売している[1]。
山崎は永年独身を通していたが、2001年に作曲・編曲・演奏など長く仕事を共にしたギタリストの安田裕美(北海道小樽市出身)と結婚。結婚後も公私ともに良好なパートナー関係を続け、活動拠点をずっと横浜に置き続けていたが東京へ転居した。
2002年には徳間ジャパンからマキシシングル「やさしい歌」を発表。同年7月には、テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ)特番で山崎ハコ本人役として歌と声の出演を果たし[1]、1970年代のデビュー当時を知らない世代にもアニメを通じて名が知られるようになった(#テレビ・ラジオ企画を参照)。
2005年にはデビュー30周年を迎え、同年から翌2006年にかけて30周年記念コンサートを全国で開催[1]。2006年にはベスト・アルバム『歌いたいの』を発売[1]、1984年のLP『てっせんの花』から「てっせん子守歌」がシングルカットされ、30周年記念アルバムが発売された[1]。また同年末のNHK BS2『フォークの達人』でコンサートが放映され、新たな注目を浴びる[2]など、2008年までの間にも活躍は続いていた。
2009年11月4日、デビュー35周年記念アルバム『未・発・表』を発売[1]、翌2010年にはデビュー35周年を迎えた[1]。2014年にはポニーキャニオンから初期のアルバムがCD化され、デジタルリマスターCDとして一挙再発売された[1]。その後も楽曲のリリース、全国のライブハウスなどを巡ってコンサート活動を続け、女性フォークシンガーとして活動するとともに、エッセイの執筆など多彩な活動を行っている[1]。2020年にはデビュー45周年を迎えた[1]。
2020年7月6日、夫の安田が大腸がんで死去した[11][12]。
ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]ソロ
[編集]No. | 発売日 | 規格 | 規格品番 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 |
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キャニオン・レコード / F-LABEL | |||||||
1st | 1978年5月10日 | EP | F-213 | A | 流れ酔い唄 | 山崎ハコ | |
B | 桧原ふるさと | ||||||
2nd | 1979年4月2日 | EP | F-225 | A | 地獄「心だけ愛して」 | 山崎ハコ | 山崎ハコ |
B | きょうだい心中 | 不詳 | |||||
3rd | 1979年9月21日 | EP | F-247 | A | ララバイ横須賀 | 山崎ハコ | |
B | 織江の唄 | 五木寛之 | |||||
3rd | 1980年6月5日 | EP | F-263 | A | 男のウ井スキー | 山崎ハコ | |
B | 旅の人 | ||||||
4th | 1981年1月10日 | EP | 7A0046 | A | 織江の唄 | ||
B | 道を探せ | ||||||
5th | 1982年4月21日 | EP | 7A0170 | A | 幻想旅行 | ||
B | ばいばいことば | ||||||
6th | 1983年5月21日 | EP | 7A0284 | A | 雨に唄えない | ||
B | ヨコハマ・アンバランス | ||||||
7th | 1984年3月21日 | EP | 7A0359 | A | 風の歌 | ||
B | 今日はなんだか | ||||||
8th | 1984年6月21日 | EP | 7A0393 | A | 町よ | ||
B | てっせん子守唄 | ||||||
ポリドール・レコード | |||||||
9th | 1985年11月25日 | EP | 7DX-1403 | A | テル・ア・ライ | 山崎ハコ | |
B | 挨拶 | ||||||
トーラスレコード | |||||||
10th | 1990年2月7日 | 8cmCD | TADX-7306 | 1 | ANOU | 山崎ハコ | |
2 | 霧の朝 | ||||||
11th | 1990年10月26日 | 8cmCD | TADX-7317 | 1 | 気分を変えて | ||
2 | サヨナラの鐘 | ||||||
BMGビクター | |||||||
12th | 1992年5月21日 | 8cmCD | BVDR-101 | 1 | 蛍 | 山崎ハコ | |
2 | HOLIDAY | ||||||
ビクターエンタテインメント | |||||||
13th | 1994年9月21日 | 8cmCD | VIDL-10552 | 1 | アカシアの雨がやむとき | 水木かおる | 藤原秀行 |
2 | 今夜は踊ろう | 荒木一郎 | |||||
14th | 1995年5月24日 | 8cmCD | VIDL-10651 | 1 | 私が生まれた日 | 山崎ハコ | |
2 | 天使の微笑み | ||||||
zetima | |||||||
15th | 1997年2月10日 | 8cmCD | EPDA-40 | 1 | たどりついたらいつも雨ふり | 吉田拓郎 | |
2 | 夕陽が泣いている | 浜口庫之助 | |||||
16th | 1997年5月25日 | 8cmCD | EPDA-43 | 1 | わっしょいニッポン | 山崎ハコ | |
2 | 日本小町 | ||||||
17th | 1997年8月25日 | 8cmCD | EPDA-47 | 1 | たずね人 -冒険者- | ||
2 | 夕陽に赤とんぼ | ||||||
徳間ジャパンコミュニケーションズ | |||||||
18th | 2002年8月28日 | Maxi | TKCA-72434 | 1 | やさしい歌 | 山崎ハコ | |
2 | 天の川で | ||||||
3 | 流氷岬[注 5] | ||||||
19th | 2004年2月25日 | Maxi | TKCA-72661 | 1 | 刹那の夢 | ||
2 | 稲の花 | ||||||
3 | 刹那の夢 〜劇場Version〜 | ||||||
20th | 2006年5月10日 | Maxi | TKCA-90115 | 1 | てっせん子守唄 | ||
2 | ララバイ横浜 | ||||||
3 | 海かがみ | 島倉千代子
山崎ハコ |
山崎ハコ | ||||
コロムビアミュージックエンタテインメント | |||||||
21st | 2008年2月20日 | Maxi | COCA-16067 | 1 | BEETLE | 山崎ハコ | |
2 | SŌDASUI | ||||||
テイチクエンタテインメント | |||||||
22nd | 2011年1月19日 | Maxi | TECA-12273 | 1 | あなたの声 | 山崎ハコ | 山崎ハコ |
2 | おらだのふるさと | 田勢康弘 |
デュエット・シングル
[編集]名義 | 発売日 | 規格 | 規格 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 |
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東芝EMI / TM FACTORY | |||||||
室井箱(滋) & 山崎ハコ | 2000年10月12日 | Maxi | TOCT-4262 | 1 | 希望[注 6] | 山崎ハコ | |
2 | 希望[注 7] |
非売品シングル
[編集]発売日 | 規格 | 規格品番 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 |
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エレックレコード | ||||||
1975年10月 | EP | ETE-1 | A | 橋向こうの家 | 山崎ハコ | |
B | 気分を変えて | |||||
1976年5月 | EP | ETE-2 | A | ハーモニカ吹きの男 | 山崎ハコ | 山崎ハコ |
B | ひとり唄 | 不詳 | ||||
キャニオン・レコード / F-LABEL | ||||||
1977年11月 | EP | PR-16 | A | 帰ってこい | 山崎ハコ | |
B | 二日酔 | 岡沢隆一 補:山崎ハコ |
荒川博之 補:山崎ハコ |
アルバム
[編集]オリジナル・アルバム
[編集]No. | 発売日 | 規格 | 規格品番 | タイトル |
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エレックレコード | ||||
1st | 1975年10月1日 | LP | ELEC-7 | 飛・び・ま・す |
2nd | 1976年5月25日 | LP | ELEC-13 | 綱渡り |
キャニオン・レコード / F-LABEL | ||||
3rd | 1977年3月18日 | LP | FF-9001 | 藍色の詩 |
4th | 1978年6月10日 | LP | FX-8003 | 流れ酔い唄 |
5th | 1979年5月21日 | LP | C25A-0028F | 人間まがい |
6th | 1980年10月5日 | LP | C28A-0117 | 歩いて[注 8] |
7th | 1981年4月21日 | LP | C28A-0156 | 茜 |
8th | 1981年11月5日 | LP | C28A-0190 | 幻想旅行 |
9th | 1982年4月5日 | LP | C28A-0210 | 幻想旅行II |
10th | 1982年10月21日 | LP | C28A-0243 | 硝子の景色 |
11th | 1983年2月21日 | LP | C28A-0259 | 風の色 |
12th | 1983年9月21日 | LP | C28A-0292 | ダージリン |
13th | 1984年6月5日 | LP | C28A-0336 | てっせんの花 |
ポリドール・レコード | ||||
14th | 1985年5月25日 | LP | 28MX-1211 | 光る夢 |
CD | H33P 20020 | |||
15th | 1985年11月25日 | LP | 28MX-1227 | 時は流れて |
CD | H33P 20052 | |||
16th | 1986年6月1日 | LP | 28MX-1239 | なわとび |
CD | H33P 20079 | |||
トーラスレコード | ||||
17th | 1990年2月23日 | CD | TACX-2311 | SA・SU・GA |
18th | 1990年4月25日 | CD | TACX-2318 | 日本詩集 〜遠い町 遠い空〜 |
BMGビクター | ||||
19th | 1992年5月21日 | CD | BVCR-84 | メンフィスまで |
ビクターエンタテインメント | ||||
20th | 1995年5月24日 | CD | VICL-661 | 私が生まれた日 |
21st | 1996年6月21日 | CD | VICL-776 | 唯心 |
テイチクエンタテインメント | ||||
22nd | 2012年3月7日 | CD | TECE-3067 | 縁 -えにし-[注 9] |
23rd | 2014年9月17日 | CD | TECE-3269 | 歌っ子 |
24th | 2016年9月21日 | CD | TECE-3384 | 私のうた |
25th | 2018年6月20日 | CD | TECE-3491 | 横浜から 阿久悠未発表作品集 |
ミニ・アルバム
[編集]No. | 発売日 | 規格 | 規格品番 | タイトル |
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ミュー音楽出版 | ||||
1st | 2001年11月28日 | CD | MUMP-1027 | 飛びます…17歳[注 10] |
カバー・アルバム
[編集]No. | 発売日 | 規格 | 規格品番 | タイトル |
---|---|---|---|---|
ビクターエンタテインメント | ||||
1st | 1994年9月21日 | CD | VICL-566 | 十八番[注 11] |
セルフカバー・アルバム
[編集]No. | 発売日 | 規格 | 規格品番 | タイトル |
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ビクターエンタテインメント | ||||
1st | 1995年9月27日 | CD | VICL-697 | ハコのお箱 |
コロムビアミュージックエンタテインメント | ||||
2nd | 2009年11月4日 | CD | COCP-35820 | 未・発・表 |
ライブ・アルバム
[編集]No. | 発売日 | 規格 | 規格品番 | タイトル | 備考 |
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キャニオン・レコード / F-LABEL | |||||
1st | 1977年11月10日 | LP | FF-9010 | 山崎ハコ ファーストライブ | 1977年9月13日、大阪サンケイホールでのライブ音源。 |
2nd | 1979年11月21日 | LP | C35A-0072/3 | 山崎ハコ ライブII 歌在りて | 1979年9月23日~9月28日、博品館劇場でのライブ音源。 |
ポリドール・レコード | |||||
3rd | 1986年11月25日 | LP | 28MX-1253 | 私の幸せ | 1986年9月8日~9月9日、FM東京ホールでのライブ音源。LPとCDで収録曲が異なる。 |
CD | H33P 20120 | ||||
ポニーキャニオン | |||||
4th | 2013年12月18日 | CD | PCCA-03957 | 山崎ハコライブセット | 『山崎ハコ ファーストライブ』および『山崎ハコ ライブII 歌在りて』にボーナス・トラック4曲を追加収録した編集盤。 |
ベスト・アルバム
[編集]No. | 発売日 | 規格 | 規格品番 | タイトル | 備考 |
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キャニオン・レコード / F-LABEL | |||||
1st | 1980年7月5日 | LP | C25A-0099 | 軌跡 | 「きょうだい心中」と「飛びます」は未発表音源を収録。 |
2nd | 1984年2月5日 | LP | C20A-0322 | ベスト オブ 山崎ハコ | |
3rd | 1985年6月5日 | CD | D36A-0087 | ベストセレクション | |
ポリドール・レコード | |||||
4th | 1985年7月25日 | CD | H32P 20028 | ザ・ベスト・オブ・山崎ハコ | |
ポニー | |||||
5th | 1986年11月21日 | CD | D32P-6030 | スーパーベスト | |
6th | 1987年11月21日 | CD | D32P-6154 | 山崎ハコ ベスト | |
トーラスレコード | |||||
7th | 1990年8月29日 | CD | TACX-2326 | BEST | 全13曲中10曲が再録音されている。 |
8th | 1992年11月21日 | CD | TACX-2372 | for your Good Days | |
ポニーキャニオン | |||||
9th | 1996年11月21日 | CD | PCCA-1034 | 山崎ハコ ベストアルバム | |
10th | 2001年12月24日 | CD | DMCA-40124 | 山崎ハコ ベストコレクション Dear My Songs | 通販限定。 山崎自身初監修(選曲・曲順・解説)によるベスト・アルバム。 |
11th | 2002年8月21日 | CD | PCCA-1740 | Anthology 山崎ハコ BEST | 山崎選曲によるベスト・アルバム。 |
ユニバーサルミュージック | |||||
12th | 2006年3月1日 | CD | UPCY-6118 | 山崎ハコ ゴールデン☆ベスト | ボーナス・トラックに「友を送る歌」と「硝子のピノキオ」を収録。 |
徳間ジャパンコミュニケーションズ | |||||
13th | 2006年5月24日 | CD | TKCA-73029 | 歌いたいの | 「飛びます」「サヨナラの鐘」「望郷」「気分を変えて」「歌いたいの」「白い花」「ヨコハマ」は新録音。 「会えない時でも」は新曲。 |
ポニーキャニオン | |||||
14th | 2008年7月16日 | CD | PCCS-00046 | 山崎ハコ best collection history 1975-1984 | |
15th | 2014年10月1日 | CD | PCCA-04100 | ハ・コ・で・す 1975-2014 | デビュー40周年記念ベスト。Disc1がポニーキャニオン時代の曲のみ。 Disc2はそれ以外の時代の曲で構成。 |
タイアップ
[編集]曲名 | タイアップ | 収録作品 |
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地獄「心だけ愛して」 | 東映映画『地獄』主題歌 | シングル「地獄「心だけ愛して」」 |
きょうだい心中 | 東映映画『地獄』挿入歌 | |
織江の唄 | 映画『青春の門』テーマソング[注 12] | シングル「織江の唄」 |
風の歌 | 香港映画『望郷』イメージ・ソング | シングル「風の歌」 |
町よ | MBS・TBS系放映『週末だけの恋人』[15] 主題歌 | シングル「町よ」 |
今夜は踊ろう | 映画『愛の新世界』主題歌[16] | シングル「アカシアの雨がやむとき」 |
私が生まれた日 | 映画『愛の新世界』挿入歌 | シングル「私が生まれた日」 |
たどりついたらいつも雨ふり | TBS系 横山やすし追悼ドラマ『俺は浪花の漫才師』主題歌[17] | シングル「たどりついたらいつも雨ふり」 |
わっしょいニッポン | NHK『みんなのうた』より[18] | シングル「わっしょいニッポン」 |
たずね人 -冒険者- | テレビ東京系『いい旅・夢気分』エンディング・テーマ[19] | シングル「たずね人 -冒険者-」 |
刹那の夢 〜劇場Version〜 | 前進座特別公演・中村梅雀主演『まんがら茂平治』主題歌 | シングル「刹那の夢」 |
BEETLE | 映画『東京ソーダ水』主題歌 | シングル「BEETLE」 |
TBS系『徳光和夫の感動再会!"逢いたい"』2008年1~3月期エンディングテーマ | ||
SŌDASUI | 映画『東京ソーダ水』挿入歌 | |
あなたの声 | NHKラジオ深夜便2011年1-3月期「深夜便のうた」 | シングル「あなたの声」 |
おらだのふるさと | 山形・白鷹町 誕生55周年記念歌 |
楽曲提供
[編集]- 香坂みゆき
- 「気分をかえて」(作詞・作曲:山崎ハコ)
- 「小さな質問」(作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:石川鷹彦)
- 「花火」(作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:安田裕美)
- 熊谷美由紀(現・松田美由紀)
- 「ダンシング・ドール」(作詞・作曲:山崎ハコ)
- 「硝子のピノキオ」 (作詞・作曲:HAKO、編曲:森一美)
- 「冬の東京」 (作詞:田口俊、作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄) - アルバム『旬』に収録
- 「虹色の世界地図」 (作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄) - アルバム『旬』に収録
- 「ダレダレのブギ」 (作詞:大槻ケンヂ、作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄)
- 石川県立金沢辰巳丘高等学校 学生歌1番「大きな明日へ」(作詞:五木寛之、作曲:山崎ハコ) - 原曲はアルバム『茜』に収録の『夕陽のふるさと』
- 石川県立金沢辰巳丘高等学校 学生歌2番「友を送る歌」(作詞:五木寛之、作曲:山崎ハコ) - アルバム『日本詩集 〜遠い町 遠い空〜』に収録
テレビ・ラジオ企画
[編集]「呪い」
[編集]「呪い」 | |
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山崎ハコの楽曲 | |
収録アルバム | 『人間まがい』 |
リリース | 1979年5月21日 |
規格 | LP |
時間 | 4分20秒 |
レーベル | キャニオン・レコード / F-LABEL |
作詞者 | 山崎ハコ |
作曲者 | 山崎ハコ |
1979年に発売されたアルバム『人間まがい』B面の1曲目に収録された楽曲。作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:石川鷹彦。のちに深夜ラジオ番組『大槻ケンヂのオールナイトニッポン』[21] や『コサキンDEワァオ!』などで紹介され、マニアックな評価を受けたことで代表曲となった。
「コーンコーン」という擬音のリフレインが印象的な楽曲で、呪いを込めて藁人形に釘を刺すという丑の刻参りを表す描写が特徴だが、「そういう悲しい自分に釘を刺せ」という裏の意味が込められている[22]。
ちびまる子ちゃん
[編集]テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』でも採り上げられたことがある。2002年7月7日、『2002年度「FNS27時間テレビ みんなのうた』の企画の一環として、当日放映のアニメ『ちびまる子ちゃん』の「まる子、フォークコンサートへ行く」の巻で、山崎ハコ本人役で歌と声の出演。劇中で「ヨコハマ」を歌ったほか、特別エンディングテーマとして「呪い」が流された。脚本はTARAKOが担当した。
電波少年
[編集]ラジオ出演
[編集]- 山崎ハコのオールナイトニッポン - ニッポン放送、火曜2部、1979年4月~1980年3月。
- 山崎ハコの本日おハコ - ラジオ沖縄、アール・エフ・ラジオ日本(2007年7月から再び放送開始)、新潟放送。過去にKBS京都も放送していた。
- 山崎ハコの夢歌さがし - 山形放送、信越放送、岐阜放送。
- ラジオ深夜便「深夜便のうた・あなたの声」 - 2011年1月から3月にかけてヘヴィー・ローテーションされる。それに先駆け2010年秋に「明日へのことば」で客演し、それを披露していた。
映画出演
[編集]- 押絵と旅する男(1994年3月26日公開) - 覗きからくり口上
- ヘヴンズ ストーリー(瀬々敬久監督、2010年10月2日公開、4時間38分) - 恭子役。映画女優デビュー。第25回高崎映画祭で最優秀助演女優賞を受賞。
- 脳男(瀧本智行監督、2013年2月9日公開) - 志村の母親役
- グラスホッパー(瀧本智行監督、2015年11月7日公開) - 桃役
- 64-ロクヨン- 前編(瀬々敬久監督、2016年5月7日公開)
- 雪子さんの足音(浜野佐知監督、2019年2月16日公開)
- 花腐し(荒井晴彦監督、2023年11月10日公開) - 韓国スナックのママ 役[23]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 当時は横浜市六大事業により、横浜市営地下鉄(現在のブルーライン)の建設工事が行われていたが、山崎はインタビューでは具体的な路線名までは述べていない。
- ^ なお、のちに山崎は『笑っていいとも!』の名物コーナー「テレフォンショッキング」に出演しているが、その際にはタモリと同じ九州出身者として故郷の話題で盛り上がっていた。
- ^ 詳細は「裕木奈江」および『ポケベルが鳴らなくて』を参照。裕木は女優としてスキャンダラスな役どころを演じただけであり、裕木自身にスキャンダルなどは全くなかったにもかかわらず、マスメディアによって根拠なきバッシングが執拗に行われた。この背景には星野と大手芸能事務所の軋轢があったとされる[3]。星野は入院していたため「裕木を守れなかった」と自責的になり「芸能界が嫌になった」と語っている[3]。
- ^ 1997年という説もある。
- ^ 北原ミレイへの提供曲「納沙布岬」(1981年9月)を改題し、詩も一部新たにしたセルフカバー。ほぼ同一内容であるが、JASRAC作品コードと出版者がそれぞれ異なる。JASRAC作品コードは「納沙布岬」が066-1548-1、「流氷岬」が103-7164-8。出版者は前者がエス・テー・ビー開発センターとRKBミューズ株式会社、後者がズームリパブリックと登録されている(2018年現在)。
- ^ 歌:室井箱(滋)
- ^ 歌:山崎ハコ
- ^ コーラス・ワークに石黒ケイと中島みゆきが参加している。
- ^ 第54回日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞[13]
- ^ 1974年に録音されたデモテープの未発表音源を収録。
- ^ 第36回日本レコード大賞アルバム企画賞受賞[14]
- ^ 映画のクレジットでは「サブテーマ」となっている。なお、映画本編では流れていない。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae “プロフィール”. 山崎ハコの世界 公認Webサイト (2020年). 2021年4月17日閲覧。
- ^ a b c 出身者 横浜学園高等学校
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 星野東三男氏インタビュー - 映像団体「moment」公式サイト
- ^ 星野東三男 Tomio Hoshino Discogs
- ^ “あの時代の風 青春を彩った60s~70sフォークソング 第9回 山崎ハコ”. 三菱ふそう. 2015年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月27日閲覧。
- ^ きょうだい心中 - 歌ネット
- ^ 織江の唄 - 歌ネット
- ^ 映画 望郷 (1982) 投奔怒海 BOAT PEOPLE allcinema
- ^ 「フォーク一筋 山崎ハコ」『読売新聞』1982年3月31日付夕刊、11頁。
- ^ 山崎ハコ、“人間嫌いキャラ”で世間にウソを…脱却のきっかけは亡き夫・安田裕美さん 週刊女性PRIME
- ^ ギタリストの安田裕美が逝去、妻・山崎ハコ「ファンの皆様、ありがとうございました」 Billboard JAPAN、2020年7月7日
- ^ ギタリストの安田裕美さん死去 サントリーCMなど編曲 朝日新聞デジタル、2020年7月7日
- ^ “第54回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2021年3月24日閲覧。
- ^ “第36回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2021年3月24日閲覧。
- ^ “週末だけの恋人”. テレビドラマデータベース. 2021年3月23日閲覧。
- ^ “アカシアの雨がやむとき|山崎ハコ”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年3月23日閲覧。
- ^ “俺は浪花の漫才師”. テレビドラマデータベース. 2021年3月23日閲覧。
- ^ “わっしょいニッポン”. みんなのうた. 日本放送協会. 2021年3月23日閲覧。
- ^ “たずね人|山崎ハコ”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年3月23日閲覧。
- ^ 東渓小学校校歌「東渓の空」作詞・作曲 山崎 ハコ
- ^ “「かっちょいい曲」のプロ! 大槻ケンヂさん登場!!”. オールナイトニッポン 有楽町音楽室 番組公式サイト (2007年8月31日). 2015年2月27日閲覧。
- ^ 山崎ハコ、代表曲「呪い」には「悲しい自分に“釘をさせ”」という裏の意味がある サンケイスポーツ、2018年6月19日
- ^ “綾野剛×柄本佑×さとうほなみが雨の中で虚ろな目に 『花腐し』本予告&ポスター”. リアルサウンド映画部 (blueprint). (2023年7月28日) 2023年7月28日閲覧。
関連項目
[編集]- 石黒ケイ / 裕木奈江 - 同じ音楽事務所「IMADOKI」に所属していた。
- フォークソング#日本のフォーク
- フォークシンガー#日本
- 1975年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
外部リンク
[編集]- 山崎ハコの世界[1] - 公認webサイト
- Hako Yamasaki 山崎ハコ - Discogs
- 山崎ハコ - 歌ネット
- 星野東三男氏インタビュー - 映像団体「moment」公式サイト
- 山崎ハコが所属していた音楽事務所「IMADOKI」元社長のインタビュー。デビュー当時の状況が詳細に語られている。
- IMADOKI在籍当時に印税をもらっていなかったことなどを含め、山崎ハコの視点で語られている。