ノート:ヨーロッパにおける政教分離の歴史/過去ログ1
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2006年10月15日から2007年7月26日にかけての議論
政教分離と言うと、イスラーム世界ではトルコの動きに触れたい所ですね。その対極としてイランやサウジもそうですが…218.225.106.221 2006年10月15日 (日) 16:22 (UTC)
- Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)によると、== イントロダクション ==、== 導入 ==、== 序論 ==などを設けることを避けるように、とあります。「基本的な視野」や「概要」を設けなければならないほど長大ならば、分割を検討すべきではないでしょうか。また、<ref></ref>及び<references />は、その名前から明らかなように、参考文献の出典を示す機能であって、「註」に使うのは適切ではないと思います。--122.30.32.136 2007年4月5日 (木) 14:13 (UTC)
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)には「導入部に概要がまとめてあることが望ましい。―導入部で読者が調べているものかどうかを判別しやすくするためのもので、「要約」「概略」などの見出しで要約をつけることを妨げるものではありません。」とあります。分割には反対しませんが、その理由が「概要」を設けていることにあるのであれば、私には正当な理由ではないと思われます。またWikipedia:脚注に「注釈などの補足情報などを脚注の節にまとめて示すことができます。」とあるように、「参考文献の出典を示す機能であって、『註』に使うのは適切ではない」というのは誤った認識でしょう。--Kanbun 2007年6月17日 (日) 17:03 (UTC)
- 読み物としては面白く、出典やら引用にも問題なさそうなんだけど、「政教分離の歴史」としては拡散しすぎていませんか?西洋の宗教事情について網羅的にコレクションしてある点はとても興味深いのですが・・・kanbun氏が当テーマに関して論文なり著作物なりを公刊してくだされば解決しそうなんですがw--121.118.214.53 2007年7月26日 (木) 16:40 (UTC)
>kanbun氏が当テーマに関して論文なり著作物なりを公刊してくだされば解決しそうなんですがw 何がどのように解決するのか……言っている意味がいまいちわかりません。具体的にどうすべきと?(いちおう予定としてはこのあと近代まで延ばす予定ですが……ブレイク気味なので、ゆっくりと……。)--Kanbun 2007年7月26日 (木) 17:08 (UTC)
- あ、ちなみに並みの百科事典であれば、「基本的な視野」節だけでも十分政教分離の歴史的背景について語れていると思うので、まあぶっちゃけ後ろがいらないってことであれば、そこを切ってとりあえず私の利用者ページにでも移して、適当に加筆しながら別の形での投稿を考えてもいいと思いますし(自サイトに移しちゃうかもしれませんが)。いまのところ、ときどき気づいたときに増補しているって感じなので、それほど執着があるって記事でもないですから、そこらへんは忌憚無く「こうしたらいいんじゃない?」って言葉をかけてくだされば。--Kanbun 2007年7月26日 (木) 17:27 (UTC)
勝手に加筆したら怒られそうな感じになっちゃってるのが、Wikipedia的にどうかなーって思ってしまいまして。赤旗[1]がシンプルに要約してますが、こんな程度で本来はよさそうなもので。『歴史のなかの政教分離』(彩流社)という書籍が公刊されているので、もしかしたらこのうちのどなたかがKanbun氏なのかなーとか勝手に妄想しております(;´Д`)--121.118.214.53 2007年7月26日 (木) 17:40 (UTC)
- >勝手に加筆したら怒られそうな感じになっちゃってるのが、Wikipedia的にどうかなーって思ってしまいまして。
- あーそうですよね。というか、既存の西洋史の記事が「封建制」とか「ヨーロッパ史」とかにすっごく不十分さを感じていたのですが、手をつけづらかったので、まあ自分なりに西洋史をテーマの形で整理して文章にしておこうって気持ちがあったので。脚注が多いのも編集しづらいですよねぇ。まあ赤旗レベルの記事でしたら、おそらく「政教分離原則」に統合しちゃったほうがよいので、独立で書く必要性がないって感じになっちゃうと思うんですが。政教分離は今だいぶホットな話題ですから、書籍もたくさん出ておりますし、キリスト教関連の著作がまた膨大ですから、書こうと思えば無限に書けてしまうわけで……。
- 自分的には画像にこだわりがあります。コモンズにある、貴重で、かつ日本語版で使われていないものを選んでいるつもりですし、既存の日本語版キリスト教関連の記事の画像とか、自分はちょっと違和感を感じるものが多かったので。ただ画像については記事が増えれば、使う機会はあると思いますから、画像を理由に記事を擁護する気もあまりないわけでして。
- 加筆したら怒られそうっていうのは、むしろ別の記事で怒りたいようないい加減な加筆があっても、私は怒ったりしたことあんまりないと思うんで、その……加筆していただければ。私物化してるように見えてしまったらイカンと思うので、そしたら別に「歴史的展開」部分をばっさりやっちゃって、改めて記事を作り直していくっていうのもいいかもしれませんけど、加筆に参加してくださっている方も多いですので、やはりそれも問題があるような気がしていまして。いずれ分割すべきとは思っていますし、元々分割していくことを前提に大項目主義的な記事作っちゃったところもあるのですが。
- また、個人的にウィキペディアの検証可能性と中立な観点について、多くの記事が守っていないのではないかというような疑問がありまして、そこらへんについて理想的な記事を提供したいという気持ちがありまして、とくにこの記事は出典について大変配慮したつもりです。一応内容が宗教に関することという点もありまして、ここをなおざりにするとあとでものすごい編集合戦が起こるかなという心配もありまして。
- それと、私大学生でして……、専門も西洋史ではないので、政教分離に関する著作は発表する予定も今のところないです(やるなら自サイトですかねぇ)。なんかまとまりのない返答ですみません。こうすればもっとよいとかあれば仰ってください。--Kanbun 2007年7月26日 (木) 18:12 (UTC)
分割?
この記事はまもなくサイズが一番大きい記事になる見込みです。現1位の世界の一体化のように分割するべきでしょうか。--土佐の平 2008年3月21日 (金) 06:00 (UTC)
では、こちらから提案します。「キリスト教普遍世界(500年〜1500年)」の節を中世の政教分離の歴史に分割、はどうでしょう。--203.138.27.48 2009年2月11日 (水) 06:17 (UTC)
- 「中世」と言っている時点で歴史に属するので、「歴史」は不要と思います。一方、「キリスト教」という言葉を入れる必要があると思います。--Glooove 2009年2月20日 (金) 03:55 (UTC)
中世の政教分離で分割しました。--203.138.26.139 2009年2月21日 (土) 05:37 (UTC)
- 分割には反対です。理由は
- (1)中世の政教分離という記事名がそもそも意味不明であり無理解によるということ(その理由は本記事にあるとおりです)
- (2)分割理由が不明
- (3)十分な分割議論も行われず、検討もされていない
- (4)分割後の記事の杜撰さ(参考文献や元記事の構造の無視、とくに参考文献の無視は検証可能性に関わる)
- 以上。
- 分割先の記事はさておき、とりあえずこちらは差し戻しました。--Kanbun 2009年2月24日 (火) 14:25 (UTC)
- なお、中世部分のみを分割するのであれば、「中世西欧における国家と教会」などと地域をより厳密に指定する必要があることは言を俟たないことです。実際に私は分割反対ではありませんし、そもそもこの本記事は分割を前提に構成しているところではありますが、今回のような安直なやり方はウィキペディアの品位も下げるものと思いますので、もう少し賢いやりかたをすべきです。ちなみに私は大項目主義派ですので、記事のありかた自体は譲るところはありません。--Kanbun 2009年2月24日 (火) 14:35 (UTC)
いまさら反対というのは無分別というものです。異議の撤回を強く要求します。--203.138.201.28 2009年2月26日 (木) 12:55 (UTC)
- 正式な告知手続きなどを踏んでいません。現状での分割強行こそ無分別というものです。また議論の記録の便宜上、203.138.201.28には利用者登録をしてからの議論参加を強くおすすめします。無知の故かもしれませんが、最低限の約束事は守るべきですよ。--Kanbun 2009年2月26日 (木) 13:07 (UTC)
Wikipedia:分割提案で分割提案をして、10日待って分割したつもりでしたが。--203.138.201.28 2009年2月26日 (木) 13:45 (UTC)
- しかるべき告知手続きをしていませんよ。--Kanbun 2009年2月26日 (木) 14:00 (UTC)
- しっかりしたやり方が分からないのなら、むやみに分割や移動をしないでまず周りのウィキペディアンに聞くようにしましょうね。自分勝手な行動は迷惑なだけです。まずは利用者登録をして関係ガイドラインをよく確認してくださいませ。--Kanbun 2009年2月26日 (木) 14:04 (UTC)
- だから、「実際に私は分割反対ではありません」といいながら反対の意見を出すとは、いったいどういうことなんですか?言うこととやることが違っているのですが。--203.138.201.28 2009年2月26日 (木) 14:30 (UTC)
- おっしゃる意味がわかりません。私は将来的な分割は十分に考慮していますが、現状の分割には反対です。--Kanbun 2009年2月26日 (木) 14:31 (UTC)
- 分割に反対でないのならここでは一旦取り下げて、他の人が現れるのを待ったらいい。現状に納得できなかったとしても、なにも分割差し戻しをしなくてもよいはず。--203.138.201.28 2009年2月26日 (木) 14:37 (UTC)
分割は差し戻しておりません。あくまで分割元の記事の破壊を回復しただけです。記事執筆者は記事に責任を持って書いています。責任の持てない形での記事分割は望むところではありませんし、あなたの作った分割記事は全くウィキペディアの標準的な要求を満たしてません。また分割作業にも不備があり、そもそも分割手続きにも問題があります、それで現状に納得しろとは意味不明なことを言って笑わせないでください。--Kanbun 2009年2月26日 (木) 14:42 (UTC)
- 100万歩譲って「そもそも分割手続きにも問題があ」ったとしても、「分割作業にも不備があ」ったはずがありません。よく見ればわかることです。また、分割後の記事が「ウィキペディアの標準的な要求を満たして」いるのは自明なこと。誰の目にもすぐにわかります。--203.138.201.28 2009年2月26日 (木) 14:53 (UTC)
- 分割元の履歴の要約欄に分割後の記事へのリンクが張られていません。また分割後の記事は参考文献を満たしておらず、検証可能性に於いて問題があると述べているではありませんか。検証可能性はウィキペディアの基本的な方針文書ですよ。それを満たしていないと標準的な要求を満たしているとは言えないことはそれこそ自明ですよね?あなた大丈夫ですか?ウィキペディアに遊びにきてるの?あなたみたいな利用者はウィキペディアの品位を下げるのみならず、既成記事の質の低下ももたらします。ほんと勘弁してください。--Kanbun 2009年2月26日 (木) 14:57 (UTC)
私は政教関係分離の専門家でも何でもない部外者ですが、記事の分割そのものを撤回するほうが良いと考えます。手続についてはあえて言及しませんが、この記事は政教分離の歴史を概観したものとして、大変すぐれた品質を持っており、他の記事の手本としても立派だと思います。個人的にも本文や参考文献はよく参照させてもらいました。この記事が長大であることを理由とした分割は全く不当なものと言わざるを得ませんし、政教分離の歴史を中世の箇所だけ抽出することにどのような意義があるのかも不明です。むしろ他の記事がこの記事の水準に達するように努力しなければならないでしょう。現時点でこの記事を分割する必然性は何も見出すことはできず、分割の提案はウィキペディアにとって何の利益もないと思われます。よってKanbun様の意見に同意し、現状が回復されることを希望します。--Kazu 62 2009年2月27日 (金) 03:54 (UTC)
- とにかく、分割に反対なのなら分割提案中に待ったを掛けてください。何を今更、です。--203.138.118.21 2009年2月27日 (金) 14:12 (UTC)
- こちらの記事は分割前に戻してあるのでいいとして、本当に分割が正当だったと思っているならば、せめて分割先の記事のメンテナンスを203.138.118.21さんはしっかりやってください。とりあえず本記事は現状復帰で問題ないでしょうが、あなたが作ってしまったしょうもない分割先の記事は現に存在してしまっているので、せめて体裁くらい整えてくださいな。責任が取れないのであれば、自身で分割先記事を削除依頼に出してください。正直二度とこんな杜撰な作業はしないでください。遊び気分でしゃりしゃり出る前に、もう少し勉強してほしいと思います。とにかくやり方が酷すぎますよ。--Kanbun 2009年2月27日 (金) 15:21 (UTC)
- とにかく正規の手続きを踏んでおらず、合意も形成されていない以上、今回の分割措置は無効でしょう。203.138.118.21さんには二度とこのような記事破壊行為をしてもらいたくないと私は思います。--Kanbun 2009年2月27日 (金) 15:26 (UTC)
削除依頼
こちらへの連絡を失念していて大変申し訳ないのですが、Wikipedia:削除依頼/中世の政教分離を提出しました。ご意見お待ちしています。--133.11.70.98 2009年7月14日 (火) 03:53 (UTC)
長すぎる
長すぎます。西欧史が投稿者の好みで断片的に取り上げられて投稿されてあるだけじゃないですか。関係ない話題が多すぎる。【「政教分離の歴史」について書けないが西欧史なら書ける】こんな程度で叙述する態度は改めてください。【政教分離の歴史に関して参考にできる引用元はないが、断片的に触れた西欧史の書物ならある】といった背景から、西欧史をぜんぶ持ってこないで下さい。政教分離の歴史について焦点を当てて投稿してください。投稿者の諸氏は大満足でしょうが、読者にはまったく役に立ちませんですよ。--投稿記録/118.18.2.61 2009年8月14日 (金) 06:27 (UTC)
メッセージありがとうございます。「基本的な視野」節で「政教分離の歴史」のアウトラインについてはすでに記述されています。一般的な百科事典の項目としてはそのレベルで十分と思いますが、ウィキペディアという媒体を考えた時に、それにとどまらない網羅的な「政教分離史」が可能でしょう。さて、「基本的な視野」ですでに記述されているように、「政教分離」という思想は優れて西欧的であり、その成立には西欧の思想史・政治史・社会史あらゆる場面での変化が影響しています。西欧部分が終われば、他に拡散することもできるでしょうが。ちなみにこの記事はまだ発展段階にあるので、「投稿者の好みで断片的に取り上げられて」いるのは、その通りでしょう。だからどうということはないと思いますが。現在の記述は「断片的」なので、不満などございましたら是非積極的な加筆をお願いします。--Kanbun 2009年8月14日 (金) 14:50 (UTC)
- 加筆じゃなく大胆に削除する方向になりそうなので遠慮しているのですよ。過渡的だとか自画自賛せず「政教分離の歴史」についてよくまとまった信頼できる引用元から起筆できるよう工夫してくださいな。引用元として縷々適示されているどれがいったい「政教分離の歴史」について叙述している書籍なんだか。独自研究を権威づけるために西欧史をまるごとひっぱってきているだけじゃないの?そーいうのはWikipedia以外でやって頂いて(貴殿の叙述力と読書力なら十二分に可能そうです!)、Wikipediaに引っ張ってきていただいた方が建設的です。--118.18.2.61 2009年8月14日 (金) 14:58 (UTC)
- メッセージありがとうございます。手っ取り早くご自身の学習に活かしたいのであれば、参考文献を参照してください。また118.18.2.61さんが何を指して独自研究とおっしゃってらっしゃるのか私には分かりません。この記事の基本路線としては近代国家と政教分離の関係を述べた、森安達也『近代国家とキリスト教』の枠組みに基づいていると冒頭注に書いてありますが。--Kanbun 2009年8月14日 (金) 15:11 (UTC)
- 貴殿の参考になるかどうかわかりませんが、巻末に文献情報を投稿しておきました。これらの枠組みに基づけば貴殿の「西欧史外観」の大半は余分な情報になりそうです。だいたい政教分離の歴史を記述する項目でありながら、キリスト教史に勝手に限定するのおかしいでしょ。--118.18.2.61 2009年8月14日 (金) 16:02 (UTC)
- メッセージありがとうございます。手っ取り早くご自身の学習に活かしたいのであれば、参考文献を参照してください。また118.18.2.61さんが何を指して独自研究とおっしゃってらっしゃるのか私には分かりません。この記事の基本路線としては近代国家と政教分離の関係を述べた、森安達也『近代国家とキリスト教』の枠組みに基づいていると冒頭注に書いてありますが。--Kanbun 2009年8月14日 (金) 15:11 (UTC)
- メッセージありがとうございます。118.18.2.61さんの提示された論文はアメリカの政教分離に関するものなら、目にしております。アメリカの政教分離についても近代以降触れる予定ですが、さて、彼の国でも政教分離成立の背景はキリスト教的なものです。イスラームの政教分離という問題も近代史の問題で(なぜなら、イスラームにはそもそも政教分離という思想自体はなかったのですから)、キリスト教国から発展した近代国家の論理を受けいれたに過ぎません。これでおわかりになりますか?--Kanbun 2009年8月14日 (金) 16:15 (UTC)
- 記事が改善できそうな予感がまったくせず、がっかりしました。あなたお1人でがんばってくださいね。--118.18.2.61 2009年8月14日 (金) 16:16 (UTC)
- 応援のメッセージありがとうございます。さて結論しますと、近代以前での政教分離原則の歴史は、優れてキリスト教的西欧史であるということです。イスラーム教はウンマが単位ですから、ウンマは宗教共同体なわけです。そこに国家やスルタン制があるわけですから。
- >記事が改善されそうな予感がまったくせず、がっかりしました。
- 人生いろいろあります。何もそうくよくよせずに、不満点は是非加筆してはらしてくださいな。ただ、ちょっと「政教分離の歴史」という場合、118.18.2.61さんのおっしゃる内容だと、政教分離原則の記事に歴史節があり、そこに概要を書けばいい程度の話で、政教分離の歴史として特筆するからには、その思想的背景から歴史的経緯を含めて網羅すべきというのが私の考えです。加筆もしていただき、いろいろとありがとうございました。--Kanbun 2009年8月14日 (金) 16:22 (UTC)
- 記事が改善できそうな予感がまったくせず、がっかりしました。あなたお1人でがんばってくださいね。--118.18.2.61 2009年8月14日 (金) 16:16 (UTC)
ここはあなたのページではありません。いいかげんにしなさい。--118.18.2.61 2009年8月25日 (火) 20:29 (UTC)
- ここは喧嘩をするところではありません。挑発的な言葉を吐きたいなら、別のところでしなさい。ここは記事の内容について話し合う場所です。118.18.2.61さんはより具体的に話をしてくださるよう切に願います。いい加減にするのはあなたのほうです。--Kanbun 2009年8月28日 (金) 22:31 (UTC)
横槍を入れるようで大変恐縮なのですが、ここまでの議論を拝見させてもらい、簡単に論点を整理しておきたいと思います。ここで118.18.2.61様が提起なされた問題とは「長すぎます。西欧史が投稿者の好みで断片的に取り上げられて投稿されてあるだけじゃないですか。関係ない話題が多すぎる」というものでした。つまり本項目の記事が冗長であり、説明が系統的ではなく、したがって余分な記述が多すぎるという指摘だったと思います。ただ118.18.2.61様がなぜそのような見解を持っているのか、その論拠は示されておりません。まずこの記事が他の記事に比べて長大であることは以前にも指摘がなされましたが、その記事が長大であることだけを理由に分割や記事の削減を行うことは好ましくないことは既に指摘されています。記述が断片的であり、関係ない話題が多いということですが、それは具体的にどの箇所を指しているかがよく分かりません。具体例を一つか二つほどでも示して頂ければ問題意識を共有することができると思います。例えば本項目には2-3.のキリスト教普遍世界という章がありますが、ここで論じられていることは政教分離とは無関係ではないのか、というように記述の問題を具体的に提示して頂ければ良いと思います。記述の不足については既にKanbun様が現状は過渡的な状況であるということについて述べておりますので省略します。本項目にはたびたび記事を大幅に縮小すべきという提案がくるのですが、合理的な理由なく分割や縮小する提案には賛同しかねます。なぜならば、政教分離の歴史を論じるためにそれだけの紙面が必要であるからであり、記事が小規模化されればそれだけ記述の水準は下がらざるを得ないと思われるからです。もちろん項目での記述の副次的な主題が複数あり、それについての詳説が必要ならば分割することも考えられるでしょう。しかしこの項目がそのような状況にあるかは、記述の内容を審査して十分にその意義を理解した上で判断しなければならないと思います。突然議論に参加して申し訳ありませんでしたが、議論の推移が気になったので加筆しておきます。--Kazu 62 2009年8月29日 (土) 00:09 (UTC)
- ただまあ本記事はすでに42万バイトもあり、長すぎるのは事実でしょう。さらにKanbunさんいわく、まだまだ記事は発展段階らしいですし。Wikipedia:ページの分割と統合の分割すべき場合の「ページの分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合」に該当すると思います。節ごとの分割などが必要でしょう。--Annogoo 2009年9月25日 (金) 12:23 (UTC)
- 節ごとに分割した場合、現状ではいずれも極端なスタブ記事になるのではないでしょうか。以前、「中世の政教分離」という形で分割が強行されたことがありましたが、そのときに私が感じたのもまさにそれです。本記事自体がメインコンテンツがまだスタブな状態ですから、この段階での分割は全体の見通しを逆に悪くするのではないでしょうか。本記事は「分割した結果、いずれか一方または双方がスタブになる場合」に該当すると私は思うのですが。全体の見通しについては「概要節」を最初に設けて配慮している構成になっていると思います。サイズについては記事内容に応じてのものであると思うので、とくに論じません。--Kanbun 2009年9月25日 (金) 18:13 (UTC)
- 全体の見通しなどに配慮がなされているのはわかりますが、いかんせん本記事はサイズが大きくなりすぎています。それを解決するには分割か一部記述を削除するしかないわけで。Wikipedia:ページの分割と統合の分割すべき場合に該当しているのだから、それを無視するわけにはいかないでしょう。--Annogoo 2009年9月26日 (土) 17:03 (UTC)
- (追記)極端なスタブ記事になるのかどうかは、分割の仕方やその際の編集に依ると思います。本記事と同じように記事が肥大化していた世界の一体化はとてもうまく分割されていったと思いますので、以前の強行な分割による失敗例ではなく、こちらを例にされたらいかがでしょうか。--Annogoo 2009年9月26日 (土) 17:09 (UTC)
インデント戻します。世界の一体化の場合には、すでに記事がほぼ完成された状態で分割されたので事情が異なります。現状本記事は主要部分が未執筆なので、「分割すべきでない場合」の「分割した結果、いずれか一方または双方がスタブになる場合」「1つにまとまっているべき情報である場合」に該当すると私は言っているのです。現状がスタブなので、分割後はさらに極端なスタブになるのは明らかだと思うからです。私はWikipedia:ページの分割と統合の分割すべき場合に該当しているとは全く考えておりません。なぜなら本記事はサイズによって見通しが悪くなっているわけではないと考えるからです。--Kanbun 2009年9月26日 (土) 20:20 (UTC)(補正)--Kanbun 2009年9月26日 (土) 20:21 (UTC)(再補正)--Kanbun 2009年9月26日 (土) 20:23 (UTC)
- 問題はKanbun氏による記事の私有化ですよ。西洋史を全部ひっぱってくることで「政教分離の歴史」について何がしか述べているかのような欺瞞的かつ独自研究気質をなんとかしなさい。--118.16.199.77 2010年1月17日 (日) 09:39 (UTC)【本記事はサイズによって見通しが悪くなっているわけではないと考えるからです】などと考えているのは「あなただけですよ」。だいたい分量が多いワリには的外れな記述ばかりで全く役に立たないこの記事、いったいどうしたもんか。全部削除して(Kanbun氏の投稿内容はご自身のWebsiteにでも移動させて頂けばありがたいのよ)一から起筆したほうがどんだけ便利だろうか。的外れな参考文献ばっか列記してるし。--118.16.199.77 2010年1月17日 (日) 10:17 (UTC)
応援のメッセージありがとうございます。当方ただいま忙しいので、なかなか加筆ができませんが、貴重な意見をありがとうございました。また新たに列挙された文献につきましては、私も目を通しております。一から起筆したいという意見ですが、つまり118.16.199.77さんは本記事に加筆をしていただけるのでしょうか。ありがたいことです。それから記事の私有化とは何でしょうか?私にはその言葉の意味を理解しかねます。記事を私有化するという概念がこのオープンなウィキペディアに存在したとは、ついぞ今まで知りませんでした。それとも118.16.199.77さんのPC環境では編集に規制がかかって、この記事が編集できないのでしょうか。実際加筆なされているのですから、どうもそのようではないと思いますが。事実として執筆者が偏っていることと、記事を誰かが私有化しているということは全く異なるものです。私にはそういう基本的な認識に誤解がある方が、そもそも政教分離という、ただでさえ複雑きわまりない、歴史学上のみならず政治学上も思想史上も重要である、ややこしい問題について正しい認識を持ちうるのか、はなはだ疑問です。学もないのに自分を恃んで(おおっと、これは自分もそうですね)、冷静なご判断ができない方がノートに侮蔑の言葉だけ書き殴っていくとか自分勝手に編集強行して後始末をしないとかいうことが、ウィキペディアでときどきございますが、本当に迷惑ですよね。118.16.199.77さんはもちろんそんな浅はかな方ではなく、真摯にウィキペディアの将来を憂慮し、この記事の発展に尽くしてくださる熱心な方と思いますので、自分の気持ちだけ書き殴ってオナニープレイを好きなだけして去っていくような野暮な方ではございますまい。どうも118.16.199.77さんの文献案内などに追加されたものの内容、それからおっしゃりようを見ていますと、あなたは政教分離の歴史を近代に限定したいようですが、私は政教分離体制の成立こそが近代の成立であるという森安達也の視点を受けていますので、そこらへんの基本認識に差があるのでしょう。記事の冒頭をよく読まずに、はなから「政教分離の歴史」なる記事がこういうものであろうというような期待を抱いて、118.16.199.77さんはこの記事を見ているようですが、それは取扱説明書も読まずに電気製品を扱うようなもの。だいいちまともなウィキペディアンであれば、記事の冒頭をよく読んで、どんなことについて書かれているのか確認するのは基本中の基本です。一番馬鹿だと思うのは、記事に書かれている参考文献を参照もせずに論を張る御仁。手に入らない希少なものや専門的知識が必要な研究論文であればいざ知らず、大学生程度であれば理解できて図書館でも容易に手に入る文献を見もせずに、自分が今まで見たことのある文献だけで自分の考えだけを押しつけようとするのは愚の骨頂です。私も自分の読んだ範囲内で書いてはいますが、少なくともその量は人に負けていないところがあると自負するところでもありますし、文章表現には工夫を凝らしているつもりですので、そこらへんの自己中読書家が書くよりはまともであろうと思っている次第です。もちろん118.16.199.77さんはそのような自己中読書家ではありませんでしょうから、文献を尽くし、心を尽くし、加筆してくださるでしょう。118.16.199.77さんの助力に感謝を。118.16.199.77さんの努力に幸いあれ。--Kanbun 2010年1月19日 (火) 00:49 (UTC)
参考文献 (政教分離の歴史)の分割
参考文献の節は、肥大化しているので、参考文献 (売春)のように参考文献 (政教分離の歴史)に分割するべきです。--RHDIA 2010年2月6日 (土) 14:28 (UTC)
- 賛成 分割に賛成します。この記事422KB(笑)もあって恐ろしく重たいので、読み込みに20秒ほどかかりました…。私としては、参考文献の節だけでなく他の節の分割も進めるべきだと思います。--赤の旋律 2010年2月7日 (日) 06:12 (UTC)
(参考文献以外の)どの節を分割するべきと考えますか?--RHDIA 2010年2月7日 (日) 11:49 (UTC)
- 目を通して思ったのですが、冒頭に政教分離の歴史(せいきょうぶんりのれきし)では、政治社会と宗教の関係性の歴史、とりわけヨーロッパの国家とキリスト教の関係史を中心に概観する[1]。したがってここでは政教分離原則成立の社会的背景を、近代国家とそれに先行する政治社会の宗教政策との関連性に基づくものとしてその歴史を概観する。と書いてあります。ものとしてとはどういうことなんでしょうか?
- 質問についてですが、宗教とは関係ない歴史が載っていると私には見えました。なのでまずは記事の圧縮を図るべきかと。--赤の旋律 2010年2月7日 (日) 12:27 (UTC)
- 反対 皆様お疲れ様です。本記事の扱いですが現時点では暫定的に分割反対の立場からコメントをさせていただきます。主張を示されている赤の旋律様の要点とは記事の長さを問題視していると理解しています。つまりウィキペディアの一項目が含むべき記事の分量にはある一定の基準があり、それを超過しているという主張です。私は賛成派に対してこの主張の論拠として「基準」を示すように要請します。私が知る限りウィキペディアの基本方針に項目の分量について規定したものを知りません。私は日ごろからウィキペディアの方針について不勉強なので、ぜひ教えていただきたく存じます。
- さらにこの論点に加えて本項目の主題である「政教分離の歴史」と無関係な記述があると赤の旋律様は主張されています。少なくとも赤の旋律様は「政教分離の歴史」に含まれるべき内容を明確に把握しており、それに本項目の内容は逸脱していると考えているものと思われます。私はこの主張については赤の旋律様が考える「政教分離の歴史」とはどのようなものであるのかを示すように求めたいです。最低限でも赤の旋律様は適切な「政教分離の歴史」について何人かのこの分野の研究者による著作や論文に基づきながら本項目の記事がいかに偏向しているかを説明することが必要でしょう。
- ちなみに「ものとして」の意味についてですが、「もの」とは一般に「何らかの形を備えたり、触れることができる物体や物品」を意味する名詞でありますが、ここで使用されているのは「あきらめたものと見える」のように使われる形容名詞です。文意としては政教分離の原則が成立する背景について国家や政府(政治社会という言葉を選ばれていますが)による宗教政策と関連付けながら歴史叙述を行うことを意味しているに過ぎないと思います。
- 以上のことを踏まえて私は別の主張をさせていただきます。この記事の分割は繰り返し議論されてきました。そのたびに本項目の編集方針について同じような主張が繰り返されてきました。私はすでに何度か同じような問題について同じようなコメントをしています。「質も量も史上最大の百科事典」を作ると銘打っていますが、所詮ウィキペディア参加者は専門領域にも編集作業にも精通していない人が大多数です。少なくともここの記事の内容について私は専門的な観点からコメントすることは能力的に不可能ですし、これだけ参加者がいるにもかかわらず専門的な観点から執筆活動に携わってきた人はごく僅かです。あくまでここの記事を発展させたいという気持ちは持っていますが、ウィキペディアにおいてそれを行うことは難しくなりつつあるというのが私の見解です。
- この見解に従ってウィキペディアから参加者がより少なく、また大規模な記事を編集することを前提としているウィキブックスに記事を移すことを提案します。ウィキブックスはウィキペディアと比べて参加者がいない状況ですが、教科書や参考書を執筆しているために恐らく現状よりも長大な記事を編集しやすくなると思います。残されたウィキペディアには政教分離について概説した記事が1000字程度あれば十分でしょう。私も経験があるのですが、ある特定の問題について長大な記事を書くと、その内容を無視してその分量だけでウィキペディアでは攻撃されます。--Kazu 62 2010年2月7日 (日) 15:44 (UTC)
- 賛成 確かに恐ろしく読み込みが長いです。上記のウィキブックスに記事を移すのも良いとは思いますが、先にこちらの分割を先に考えるべきです。これ以上いろいろ書き続けると読者からも見づらくなります。ウィキブックスに記事を移すのは後でも考えられますので。--Rainbow colors 2010年2月8日 (月) 09:53 (UTC)
- Kazu 62さんのご指摘ですが、私の記憶している限りでは、Wikipediaの記事の大きさについて基準を示した方針は無いと思います(私もそんなに方針について熟知している訳ではありません)。しかしながら、読み込みに何十秒もかかるような記事は如何な物かと思っただけです。分割のガイドラインにページの分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合とありますが、この記事は既にその域も出てしまっているのではないかと。ただ、1つにまとまっているべき情報である場合であるとも思います。
- それと、私はある程度世界史は勉強していますが、この分野についての専門家でも何でもありません。私は「専門領域にも編集作業にも精通していない人」の一部です。ですから「説明しろ」、と言われてもこの私の意見には自信をもって提示できる根拠は何もありません。私が感じたことを率直に書いただけですが、それがいけなかったのであれば謝ります。申し訳ありません。
- それと上述のものとしてについてですが、私はこの文を『「政教分離原則成立の社会的背景」が「近代国家とそれに先行する政治社会の宗教政策との関連性に基づく」と仮定した』と受け取りました。仮定の話であれば、それは独自研究にあたり、その部分の圧縮を図ることにより記事の分量を減らすことができると考えたのです。
- そして提案のウィキブックスに記事を移すという話ですが、私恥ずかしながらこのプロジェクトの存在を知りませんでした。見てみたところ、方針的にこの記事はそちらに移すべきと思いました(Wikipediaは、百科事典ですが、百科事典とは次のように定義されています。[[2]]。この「簡潔」というところにこの記事は沿っていないと思います。読み物としてはとてもいいできだと思うのでウィキブックスへの移動はしっくりきました。)。ですが移すのであれば、今やるべきであると思います(分割の手続きという物はそれなりに面倒なので)。この場所で議論をし尽くしてからでも遅くは無いはずです。私はこの場で議論を徹底的にすることを望みます。
- 読みにくい文章ですみません。--赤の旋律 2010年2月8日 (月) 11:48 (UTC)
反対 皆様、お疲れ様です。一応賛成反対を表明しなければいけないようなので、反対とします。なぜなら、今回の分割提案について、明確な疑問点がありますので。
- 参考文献を分割するというのは分量的にも質的にもあまり効果的な手法とは思われません。たとえば「売春」記事では「参考文献」は記事として分離後も、本体の記事に残されており、これは記事としての可読性の問題から当然の処置であります。本記事においても、あまり参考文献を分離することは意味をなさないと思います。参考文献関係なら、別の方法での圧縮方法がありますが、編集にやや時間がかかるでしょう。ごらんの通り、本記事は参考文献部分など文献情報を現在改訂中なところですし、そういった意味でも分割はややめんどくさいところでもあります。
- 「もの」という表現については、日本語の一般的な指示語にすぎません。こだわる必要がわかりません。表現が悪ければ直せばよろしいと思います。
- 「近代国家とそれに先行する政治社会の宗教政策との関連性に基づく」というのは仮定ではないのかという指摘がありますが、基本的な視野節を見ればわかるとおり、これは政治思想史の文献でも有力な見方であります。「どこに記載されていますか?」などと質問をうけるならともかくとして、端から「独自研究である」などと参考文献も参照せずに云われるのは心外の極みです。何が言いたいかというと、こういう記事に対する基本的な理解の姿勢に疑問のある方が記事分割を行うと、ろくなことにならないのではないかと思います。私は分割自体に反対ではありませんが、正直サイズが大きいからとか読み込みに時間がかかるからとか、内容を考えずに「内容はあとでいい。とりあえず分割しちまおう」みたいな分割の議論であれば、それは御免被りたいと思うのです。「世界の一体化」の例もあります。云いたくはありませんが、あれはまさにウィキペディアの記事分割史上最悪の悪例ではなかろうかと。
- Wikibooksに移すのは一つの手でしょう。単純に内容面でそれに反対する理由はありません。ただ、私はWikipediaこそ「大項目主義」的な百科事典であると思いますので、移すなら移すとして、なぜこの記事がWikipedia的でないのかをはっきり示して欲しいものです。そうでなければ、やはり移すことには反対です。なぜなら、おそらくそこらへんは最近大項目化を続けているWikipediaにとっておろそかにできない重要な論点であると思うからです。内容を充実させることが基本的に善とされている今のWikipediaで、どこまで書くべきかの問題はそれこそ重大な方向転換を暗示させます。私は基本的に質量ともに詰め込むことは善という考え方の包摂主義者ですから、削除主義的な編集方針はちゃんと説明して頂かないと、今後のウィキペディアのためにもよくないでしょう。私は記事を書くことによって自身の包摂主義をウィキペディアで曲がりなりにも実現してきたと思いますし、ここ数年のウィキペディアが包摂主義的傾向を強めていることを歓迎している者の一人です。もちろん私は記事を書いてないやつはウィキペディアンでないというようなことは言いませんし、考えてもおりません。そうではなくて、良識あるウィキペディアンなら、ウィキペディアの方向性を考えて大局的な観点を示しつつ議論をしてくださるものと期待しているのです。ここでこの記事を分割したり移動することは将来的にどういう発展に資するのか、衰退ではないのか、そこをしっかり示してもらいたいのです。
- 議論を徹底的にやるのには賛成です。今までの議論は結局「徹底的な」ものは特になかったので、やっていただけるなら徹底的に議論してもらいたいと思います。もしうまくいけば、本記事の加筆の方向性にも一定の道標が見えるものと期待しております。皆さんのご協力に感謝を。--Kanbun 2010年2月10日 (水) 00:56 (UTC)
- コメント 賛成票を投じさせていただいた者です。ここで気違いな質問かもしれないのですが、Wikibooksに移すとこちらのWikipediaのページはどうなるのでしょうか?月間新記事賞の選考になってますし。--Rainbow colors 2010年2月10日 (水) 01:08 (UTC)
- コメントもしうまくいくなら、こちらのページは「基本的な視野」節だけ残せばよいのではないでしょうか。正直何度も言っているのですが、私はそれだけでも十分「政教分離の歴史」として一般的な百科事典の記事なら通用すると思います。ここはWikipediaなので事情が異なりますが。--Kanbun 2010年2月10日 (水) 01:20 (UTC)
- コメント 賛成票を投じさせていただいた者です。ここで気違いな質問かもしれないのですが、Wikibooksに移すとこちらのWikipediaのページはどうなるのでしょうか?月間新記事賞の選考になってますし。--Rainbow colors 2010年2月10日 (水) 01:08 (UTC)
- コメント包摂主義についてご存じでない方はこちらを参照してください。--Kanbun 2010年2月10日 (水) 01:20 (UTC)
- コメント 参照くださったページを閲覧させていただきました。なんかそのページ誰が編集したのか知りたいくらいズバズバ書いてますね。本題に入ります。
- 当初の分割の目的は整理のためです。勿論、百科事典ということを認識して私は意見を出しています。なのに一般的な百科事典なら通じるとかあまり関係の浅い意見を記述したり、おそらくここで賛成意見を出している方々に包摂主義の批判などといった内容のリンクをするなどあなたが自分の意見を押しつけてるようにしか思えません。あなたの意見も考えた上で意見を述べたりしているのに、どういうことですか。徹底的な議論をするならばあなたの意見の利点・他者の意見についてを述べてください。--Rainbow colors 2010年2月10日 (水) 05:40 (UTC)
- コメントRainbow colorsさんのおっしゃっている意味がよくわかりません。私はウィキペディアは紙の百科事典とは異なるので、記事のあり方もそれをふまえて議論されるべきと述べているのですが、伝わりにくかったのでしょうか。
- >包摂主義の批判などといった内容のリンクをするなどあなたが自分の意見を押しつけてるようにしか思えません。
- この条、何を言いたいのでしょうか。私は自分が包摂主義的な立場でこの記事を書いてきたので、内容を検討するならそれをふまえて欲しいと述べているだけです。あなたは直後に「あなたの意見の利点を述べてください」と言っているのに、私が包摂主義の利点を述べるリンクを張って、包摂主義がウィキペディアに資する上、この記事もその包摂主義的な立場から書かれているんだよと意見を言うと「押しつけ」だとおっしゃる。冷静に議論する気あるんですか?そもそも私は包摂主義を批判していません。私は包摂主義者なのですから。どこをどう読み間違ったら私が包摂主義を批判していることになるのでしょう?(追記)--Kanbun 2010年2月10日 (水) 08:06 (UTC)
- 徹底的な議論をするならばあなたの意見の利点・他者の意見についてを述べてください。
- 私は私の意見と他者の意見についてしか発言していませんが。
- Rainbow colorsさんにはもう少し冷静な対応をお願いします。議論に参加してくださるのはもちろん感謝していますが。--Kanbun 2010年2月10日 (水) 07:54 (UTC)
- あと私は本記事はとりあえず「整理する必要はない」と思っています。反対というのはそういうことです。整理のための分割とか聞いたこともないですしね。方針文書をふまえて議論してくださることを切に求めます。--Kanbun 2010年2月10日 (水) 07:59 (UTC)
- コメント 冷静に議論する気はもちろんあります。まあさっきの私のコメントは白熱した議論と言われてもおかしくはない文章でした。お詫びを申し上げます。
- ですがちょっと話がかみ合いませんね。「整理する必要はない」。ならばその利点を教えてください。ならば冷静に話せると思うんですが。--Rainbow colors 2010年2月10日 (水) 08:28 (UTC)
- あと私は本記事はとりあえず「整理する必要はない」と思っています。反対というのはそういうことです。整理のための分割とか聞いたこともないですしね。方針文書をふまえて議論してくださることを切に求めます。--Kanbun 2010年2月10日 (水) 07:59 (UTC)
インデント戻します。私が言いたいのは単純な話です。ウィキペディアは紙の百科事典ではない。したがって、記事内容を一般的な百科事典のように簡潔にする必要はない。なぜなら、ここはウィキペディアだからです。むしろより包括的で詳細な記事、「大項目主義」的な、それも既存の百科事典を越えるものを備えていくことができる。いな、ウィキペディアに求められているものがあるとすれば、むしろそこだ。というのが、私ら包摂主義者の見解です。したがって、この記事を私は全く包摂主義的な見地から加筆し続けており、それがウィキペディアのみならず日本語ネット社会全体の利益であると考えているのです。整理のための分割なんて意味不明なことをせずに、整理をするなら編集対処すべきというのが私の意見です。分割をするのであれば、世界の一体化のときのように、時代ごとでぶつ切りするような訳のわからない形にはすべきでないし、ウィキペディア的に何ら資するところはないと思います。--Kanbun 2010年2月10日 (水) 08:46 (UTC)
- さらに付け加えるならば、この記事は親切なことに、一般的で初心者向きのきわめて平易な、一般的な百科事典レベルの「政教分離の歴史」についての解説は「基本的な視野」で述べられています。大きすぎる記事を読みたくない人はそこだけ読めば済みます。のみならず、本論である「歴史的展開」節にも最初に概要がつけられており、そこを読むだけで本文内容の要約は把握することができます。このような執筆処置をしているのは、もちろんあとあと肥大化した際の分割においても便宜を図れるように、最初から考えて行っているものです。つまりいつでも分割することは可能なよう、記事を加筆しているつもりですが、今までの分割の議論があまりにもサイズにこだわりすぎており、かつ記事内容を正当にとらえてなされているものではなかった。方針文書を一方的に誤解している者も多い。私が分割には基本的に賛成と言いつつ、個々の分割に反対してきたのはそのためです。ともかく「整理のための分割」などという、方針文書にない珍奇な根拠で分割をするのだけは御免被りたいのです。やるなら、びっちり方針をふまえて、なおかつ記事内容を吟味してしてもらいたいのですよ。--Kanbun 2010年2月10日 (水) 09:02 (UTC)
- 完璧な文章をありがとうございます。これでより一層冷静な議論ができそうに思います。
- 本題に入ります。確かに閲覧者からみると大変見にくいなどといった点でで、ついて行くみたいな感じになってしまいますが反対意見を新たに投じさせていただきます。従って、私が投じさせていただきました上記の賛成意見は反対意見になるということになります。
- しかしまだ十分な議論はされていませんので議論を続けましょう。--Rainbow colors 2010年2月10日 (水) 09:16 (UTC)
それで参考文献 (政教分離の歴史)に分割していいですか?--RHDIA 2010年2月16日 (火) 02:46 (UTC)
- いえ、それは無理というものでしょう。まだ議論の途中ですしね。それに私は既述の通り、その分割は意味がないと思います。--Kanbun 2010年2月16日 (火) 11:34 (UTC)
もう議論は止まっていますけれども、遅ればせながら一言書いておこうと思います。やはりなんといってもいずれは分割されるものだと思っています。それはなぜか。ブラウザの環境が悪い執筆者も閲覧者も結果的に排除してしまうことになるからです。やはり多くの人が利用できる記事になることは必要なことです。ただ、まだ加筆途中であり現在はできないということであれば、いつかはと考えてもらいです。そのときには、専門の人々の手によって、最も良い形での分割がなされれば良いですが。
ちなみに包摂主義が話題に上がっていますが、包摂主義者でも分割はすると思いますよ。多くの人にウィキペディアを利用してもらうためには必要なことですから。まあ、削除主義者というのは、記事内容を削りに削って一般的な百科事典並みにしてしまうものでしょうから、逆に分割はしないかもしれません。私も包摂主義者を自称していますので無論その様なやり方には反対です。
もう一度最後に繰り返しますが、本当にいつかで良いとは思っていますよ。時期を見てで。事実私のパソコンでは大丈夫なので。そこまで大きな害のある状況ではないかもしれませんが、いずれ改善されるべきということです。それでは。--國道二百四十六號 2010年3月18日 (木) 06:19 (UTC)
コメント 分割には賛成しますが、参考文献の節によって分割するのni は反対です。出典を明記するポリシーに反します(see Wikipedia:井戸端#参考文献の一覧という出典表記方法はアリなのか?。分割するのであれば「近代社会とキリスト教(1500年〜1800年)」節など、時系列で分けるのが適当だと思います。 --Tondenh(会話) 2012年3月22日 (木) 14:02 (UTC)
いい加減にしませんか?
グダグダと長々と議論が続いていますが、もはやこのノートページさえ長すぎて読む気が起きないほどです。なんですか?ギャグですかこれは。47Mbyteもウダウダと書き連ねた論文のどこが「百科事典的」なのかさっぱりわかりません。分割に反対にしろ賛成にしろどっちも結局読み易く調べやすい百科事典になるわけがありません。どこの百科事典がたった1項目に新聞朝刊の半分にも相当するページ数を割くと思いますか?百科事典とは詳細な理屈まで詳説する必要なんてどこにもないんですよ。項目を簡潔にまとめ、読む個々人のその後の調べ物のヒントになることが最も使いやすい百科事典というものです。Wikipedeiaの可能性云々と言いますが、それ以前にネットリテラシーが決定的に欠如しています。今時だって古いOSに古いブラウザ、ダイヤルアップ従量課金接続なんてザラにあります。長い記事は読み込むだけで読む人のお金を奪う行為だってことを学んでください。今はスマートフォンだってWikipedeiaが読める時代、ネットワークトラフィックの増大は現在の大きな課題なんですよ。
Kanbunさんは有能なのはわかりますが、国語能力に決定的な未熟さがあります。推敲することと「不要な事は書かない勇気」が足りません。それから意地の張り過ぎです。若さが滲み出ていますよ。いいですか、この項目は様々なところで「物笑いの種」として取り上げられています。理由は簡単です。長すぎてまとまりがないから。あなたの言いたい事はこうでしょう?「自分の編集をいじるな」言葉で否定しても端々からそれが読み取れます。
議論してくれてる皆さんはとても紳士的で私には真似できないほど気長です。そしてKanbunさんを尊重してくれています。 この項目は自サイトにでも移して、「簡潔に要約したものに改稿」することです。これ以上あなたが笑い者になるのは見るに堪えません。
少々語気が荒くなりましたが、芸能関係の単なる登場人物の羅列で数MBにも達しているような記事とは違い、執筆者の熱意だけは感じられ、勿体ないからです。かれこれ何年も長いページの上位記録保持項目ですが、修正次第で非常に良質な記事に化けますよこの記事は。どうかご一考を。尚私はアカウントがありますが、あえてIPで書き込みます。不毛な議論は大嫌いだからです。反論も受け付けません。現状をお知らせしますから後はご自分でお考え下さい。--123.230.12.167 2012年6月2日 (土) 19:57 (UTC)
- ついでに私の文章を要約してみせましょうか。「分割は意味がありません。推敲して簡潔にすれば読み易く調べやすい百科事典になり、色々な接続環境のユーザーにも配慮できます。勿体ない良質な記事をブラッシュアップして下さい。あなたにはそれが出来そうです」たったこれだけです。--123.230.12.167 2012年6月2日 (土) 20:32 (UTC)
- 去年は震災もあり、ヨーロッパから帰りませんでしたが、このたびは日本に一時帰ってきました。なぜだか私宛の伝言のようなので、場違いとは思いますが、お返事いたします。アカウントを取得されているのにIPであえて書くというのは説明責任として問題と思いますが、議論をするつもりでもない(反論を受け付けないって笑えますね)ようですから、書き捨てと考えてよいのでしょう(おっしゃってることも上の議論で何度も出てきたことですし、陳腐で面白くないものです)。私は長らくヨーロッパに滞在していまして、研究もあってウィキペディア日本語版に触れることはもうないと思います。ちなみに記事内容のいくつかは現状の研究水準からしますと、やや誤謬と思われるところもあり、内容的にもすでに陳腐です。とくに思想史的な記述は非常に古く、当時というか現在もでしょうが邦文文献に限りがあったせいもあり、内容的には最大公約数をとったつもりですが、それゆえに大学教科書よりはましでしょうが、無難すぎて面白くないです。ただ最新の論文や書籍を参照して記事を書き改めますと、記事が外国語文献だらけになる上、邦訳があるものについては出ているか調べ、さらに誤訳がないか確認するのもめんどうです。そうなるとウィキペディア的には検証可能性的にかなり難ありとなりますね。私は別に記事の執筆者の一人に過ぎず、代表者でもありませんから、改変が必要であれば、ウィキペディア的には編集者を募っていくとよろしいかと思います。とにかく帰国して久々にログインしてみましたら、このようなほほえましい伝言をいただけて、なんだかほのぼのしました。ありがとうございました。--Kanbun(会話) 2012年8月18日 (土) 04:21 (UTC)
要出典
だらだらと説明されているが、出典のない独自エッセイが目立つ。そして全体として分離への反対論には配慮しておらず、中立性も保持できていない。画像も大きすぎるし、多すぎるのでサイズを小さくする。--121.107.209.16 2016年1月25日 (月) 17:40 (UTC)
項目一部転記提案
ここは政教分離の歴史であって、宗教改革の歴史記事ではない。政教分離、教会と国家の関係に関する重要な記述は残し、以下の詳細な記述は各記事へ転記提案。記事がないものは新設する。政教分離の歴史に関して重要であると主張する場合は、出典を明記すること。
- パウロの回心と「自分の手で働くこと」は、パウロへ。
- アウグスティヌスの影響の評価、自由意志は、アウグスティヌスへ。
- 両剣論は、両剣論へ。
- カール大帝の戴冠の学説は、カール大帝へ。
- ヘルメネギルドの改宗、トゥールのグレゴリウスや教皇グレゴリウス1世による記述(「西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって」)の詳細は、ヘルメネギルドへ。
- メロヴィング朝の宮廷、識字率、王国の経済の詳細は、メロヴィング朝へ。
- ランゴバルド王国の詳細は、ランゴバルド王国へ。
- ベネヴェント公国の詳細は、ベネヴェント公国へ。
- 「カロリング朝の帝権」「カロリング政治思想」の詳細は、カロリング朝へ。
- アルクィンの詳細はアルクィンへ。
- コンスタンティヌスの寄進状の詳細は、コンスタンティヌスの寄進状へ。
- 「イングランド教会の伝統」の詳細は、イングランド教会史へ。
- レオン帝国の呼称は、レオン王国へ。
- 等族国家の詳細は等族国家へ。
- マグナ・カルタ保証条項は、マグナ・カルタへ。
- イングランド国議会制度(大小議会)は、議会#議会の歴史へ。
- 教会大分裂の詳細、表は教会大分裂へ。
- 「王権の超自然的権威の獲得過程」は霊威へ。
- マドリード・コンプルテンセ大学の学科等詳細はマドリード・コンプルテンセ大学へ。
- 「中世の民衆信仰」は中世ヨーロッパの民衆信仰へ。
- ツヴィングリの評価の学説はフルドリッヒ・ツヴィングリへ。
- ユグノーの語源は、ユグノーへ。
- ユグノーの経済は、ユグノーへ。(ユグノーにも同一内容がすでにある)
- 低地地方の表記はネーデルラントへ。
- 低地地方17州の詳細は、ネーデルラント17州へ。
- ゴイセンの発音の詳細はゴイセンへ。--121.107.209.16 2016年1月27日 (水) 01:43 (UTC)
転記提案を一部変更する。
- 「王権の超自然的権威の獲得過程」は、王権神授説へ
- 「中世の民衆信仰」は、民間信仰へ
- 宗教改革は、ドイツの宗教改革、スイスの宗教改革、オランダの宗教改革へ。政教分離の歴史に関する重要なものは残す。--121.107.209.16 2016年1月28日 (木) 12:39 (UTC)
- 転記提案追加。理由は上に同じ。
- 初期キリスト教の典礼と皇帝礼拝は、礼拝、教会 (キリスト教)、皇帝礼拝
- 教皇領関係は教皇領へ。
- ヴァンダル王国関係はヴァンダル王国 (アフリカ)へ。
- 西ゴート王国関係は西ゴート王国と西ゴート族へ。
- 東ゴート王国関係は東ゴート王国と東ゴート族へ。
- グレゴリウス1世 はグレゴリウス1世 (ローマ教皇)へ。
- トゥールのグレゴリウスはトゥールのグレゴリウスへ。
- グレゴリウス改革関係は[[グレゴリウス改革]へ。
- 「修道院改革運動と教会改革の始まり」は修道院改革へ。
- 「宗教改革前思想史」は宗教改革、パドヴァのマルシリウス、ヤン・フスへ。
- 「霊性史として」は霊性へ。
- 「暴君放伐論(モナルコマキ)」はモナルコマキへ。
- 「ポリティーク」はポリティークへ
- 「日本近代史における政教分離」は政教分離原則へ。--121.107.209.16 2016年2月7日 (日) 02:14 (UTC)
参考文献・関連文献・文献案内
参考文献・関連文献が列挙されているが、記事作成に実際に利用されたのか疑わしいものもある。出典は列挙するのではなく、脚注を利用して明記すること。 脚注などで明記されたもの以外は、ノートへ移動する。記事に復元させる場合は、必ず出典を明記すること。--121.107.209.16 2016年1月27日 (水) 01:51 (UTC)
- 参考文献
- 全体
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- 本書は1994年刊『神々の力と非力』(平凡社刊、ISBN 978-4582495287)を改題したもの。
- 歴史学研究会 編『現代歴史学の成果と課題 1980年-2000年 2 "国家像・社会像の変貌"』青木書店、2003年。
- 小林良彰・河野武司・山岡龍一 著『政治学入門 ('07)』放送大学教育振興会、2007年。
- 江川温 著『ヨーロッパの歴史 ('05)』放送大学教育振興会、2005年。
- リュシアン・フェーヴル 著、長谷川輝夫 訳『ヨーロッパとは何か : 第二次大戦直後の連続講義から』刀水書房、2008年。ISBN 9784887083646。
- ウィリアム・ウッドラフ 著、原剛ほか訳『概説 現代世界の歴史 1500年から現代まで』ミネルヴァ書房、2003年。
- 岡本明 編著『支配の文化史 -近代ヨーロッパの解読-』ミネルヴァ書房、1997年。
- 各国史全般
- 松谷健二 著『東ゴート興亡史』白水社、1994年[2003年中公文庫]
- 玉置さよ子『西ゴート王国の君主と法史』創研出版、1996年。ISBN 978-4915810084。
- アズディンヌ・ベシャウシュ 著、藤崎京子 訳『カルタゴの興亡』知の再発見双書、1994年。
- 松谷健二 著『ヴァンダル興亡史』白水社、1995年[2007年中公文庫]。
- 青山吉信『先史〜中世』 1巻、山川出版社〈世界歴史大系, イギリス史〉、1991年。ISBN 4634460106。
- 今井登志喜 著『イギリス社会史』上下、東京大学出版会、1953年。
- ベーダ・ヴェネラビリス 著、長友栄三郎 訳『イギリス教会史』創文社、1965年。ISBN 978-4423460078。
- J・R・H・ムアマン 著、八代崇ほか 訳『イギリス教会史』聖公会出版、1991年。ISBN 978-4882740636。
- 村岡健次 ほか編著『イギリス近代史 宗教改革から現代まで』ミネルヴァ書房、1986年。
- 樺山紘一 ほか編『世界歴史大系 フランス史』1〜3、山川出版社、1995年。
- 成瀬治、山田欣吾、木村靖二『ドイツ史』 1巻、山川出版社〈世界歴史大系〉、1996年。ISBN 9784634461208。
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- ウルリヒイム・ホーフ『スイスの歴史』 43巻、刀水書房〈刀水歴史全書〉、1997年。ISBN 488708207X。
- 川口博『身分制国家とネーデルランドの反乱』彩流社、1995年。ISBN 4882023709。
- 南塚信吾 著『新版世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史』山川出版社、1999年。
- 北原敦 編『新版世界各国史15 イタリア史』山川出版社、2008年。ISBN 978-4634414501。
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- 高山博『中世地中海世界とシチリア王国』東京大学出版会、1993年。ISBN 978-4130261067。
- Henry Bernard Cotterill (1915). Medieval Italy during a Thousand Years: A Brief Historical Narrative with Chapters on Great Episodes and Personalities and on Subjects Connected with Religion, Art and Literature. George G. Harrap
- Edward Hutton (1913). Ravenna a Study. E. P. Dutton. ISBN 978-0554137117
- フィリップ・コンラ 著、有田忠郎 訳『レコンキスタの歴史』白水社〈文庫クセジュ〉、2000年。ISBN 978-4560058237。
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- 関哲行ほか 編『世界歴史大系 スペイン史』 1~2、山川出版社、2008年。ISBN 978-4634462045。
- 関哲行、立石博高、中塚次郎『古代--近世』山川出版社〈世界歴史大系 スペイン史〉、2008年。ISBN 9784634462045。
- レイチェル・バード 著、狩野美智子 訳『ナバラ王国の歴史』彩流社、1995年。ISBN 978-4882023678。
- デビッド・バーミンガム 著、高田有現・西川あゆみ訳『ケンブリッジ版世界各国史 ポルトガルの歴史』創土社、2002年。
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- 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』東海大学出版会、1999年。ISBN 978-4486014317。
- 渡辺金一『中世ローマ帝国』岩波書店〈岩波新書〉、1980年。ISBN 978-4004201243。
- ジュティス・ヘリン 著、井上浩一 訳『ビザンツ 驚くべき中世帝国』白水社、2010年。ISBN 978-4560080986。
- Jonathan Shepard, ed (2009). The Cambridge History of the Byzantine Empire. Cambridge University Press. ISBN 978-0521832311
- Warren T. Treadgold (1997). A History of the Byzantine State and Society. Stanford University Press. ISBN 978-0804724210
- 大原祐子 著『世界現代史31 カナダ現代史』山川出版社、1981年。
- キリスト教史
- 上智大学中世思想研究所 編訳・監修『キリスト教史』1〜11、講談社、1990年[1996年 平凡社ライブラリー版を参照]。
- ジャン・ダニエルー 著、上智大学中世思想研究所 訳『初代教会』 1巻、平凡社〈平凡社ライブラリー, 163 . キリスト教史〉、1996年。ISBN 4582761631。
- H・I・マルー 著、上智大学中世思想研究所 訳『教父時代』 2巻、平凡社〈平凡社ライブラリー, 168 . キリスト教史〉、1996年。ISBN 4582761682。
- M・D・ノウルズ 著、上智大学中世思想研究所 訳『中世キリスト教の成立』 3巻、平凡社〈平凡社ライブラリー, 174 . キリスト教史〉、1996年。ISBN 4582761747。
- 水垣渉 ほか編『キリスト論論争史』日本キリスト教団出版局、2003年。
- J・B・デュロゼル 著、大岩誠ほか訳『カトリックの歴史』白水社、1967年。
- 小田垣雅也 著『キリスト教の歴史』講談社学術文庫、1995年。
- 出村彰 ほか編『聖書解釈の歴史』日本キリスト教団出版局、1986年。
- 鈴木宣明『福音に生きる』聖母の騎士社<聖母文庫>、1994年。ISBN 4-88216-117-6。
- R・W・サザーン 著、上条敏子訳『西欧中世の社会と教会』八坂書房、2007年。
- 出村彰・荒井献 監修『総説キリスト教史』1〜3、日本キリスト教団出版局、2006年。
- 橋口倫介 編『西洋中世のキリスト教と社会』刀水書房、1983年。ISBN 4-88708-048-4。
- アウグスト・フランツェン 著、中村友太郎訳『教会史提要』エンデルレ書店、1992年。
- 加藤隆 著『一神教の誕生』講談社現代新書、2002年。
- M・パコー 著、坂口昂吉・鷲見誠一 訳『テオクラシー』創文社、1985年。ISBN 978-4423493458。
- William, Barry (1902). The Papal Monarchy from St. Gregory the Great to Boniface VIII. T. Fisher Unwin
- J.Derek Holmes (1983). A short history of the Catholic church. Burns & Oates. ISBN 978-0860121268
- 山代宏道『ノルマン征服と中世イングランド教会』溪水社、1996年。ISBN 978-4874403914。
- 阪西紀子「異教からキリスト教へ:北欧人の改宗を考える」『一橋論叢』第131巻第4号、一橋大学、2004年4月1日、304-315頁、NAID 110007642792。
- 橋本龍幸「西ゴートの改宗とビザンツ」『人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要』第3巻、愛知学院大学、1988年9月20日、11-35頁、NAID 110001056119。
- 橋本龍幸「六世紀のフランクとビザンツの理念的関係 : トゥールの儀式に関するグレゴリウスの叙述意識をめぐって」『人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要』第9巻、愛知学院大学、1994年9月20日、59-85頁、NAID 110001056172。
- J・A・ユングマン 著、石井祥裕 訳『古代キリスト教典礼史』平凡社、1997年。ISBN 978-4766413977。
- エティエンヌ・トロクメ 著、加藤隆 訳『聖パウロ』白水社<文庫クセジュ>、2004年。ISBN 978-4560508817。
- 保坂高殿『ローマ帝政初期のユダヤ・キリスト教迫害』教文館、2003年。ISBN 978-4764272255。
- 保坂高殿『ローマ帝政中期の国家と教会』教文館、2008年。ISBN 978-4-7642-7272-9。
- 大澤武男 著『ユダヤ人とローマ帝国』講談社現代新書、2001年。
- 宮谷宣史『アウグスティヌス』講談社<講談社学術文庫>、2004年。ISBN 978-4061596719。初版は1981年に「人類の知的遺産」シリーズ第15巻として講談社から出版された。
- Harold Samuel Stone (2002). St. Augustine's Bones: A Microhistory. University of Massachusetts Press. ISBN 978-1558493872
- 印具徹『聖アンセルムス』中央出版社、1981年。ISBN 978-4805647011。
- 瀬戸一夫『時間の思想史 アンセルムスの神学と政治』勁草書房、2008年。ISBN 978-4326101764。
- キリスト教教義
- ジャン・ピエール・トレル 著、渡邉義愛 訳『カトリック神学入門』白水社、1998年。
- 日本カトリック司教協議会諸宗教部門 編『諸宗教対話 公文書資料と解説』カトリック中央協議会、2006年。第二バチカン公会議以降進められた諸宗教対話の姿勢に関する教会の公文書。
- 教皇庁教理省 著、和田幹男 訳『宣言 主イエス』カトリック中央協議会、2006年。2000年にイエス・キリストと教会の救いの唯一性と普遍性について、諸宗教の影響や科学などによって信仰が相対化されるべきでないと述べた宣言。
- 教皇ヨハネ・パウロ2世 回勅、石脇慶總 ほか訳『聖霊 生命の与え主』ペトロ文庫、2005年。
- E・スキレベークス 著、伊藤庄治郎 訳『救いの協力者聖母マリア』聖母文庫、1991年。
- 日本カトリック司教協議会社会司教委員会 編『信教の自由と政教分離』カトリック中央協議会、2007年。
- アリスター・マクグラス 著、神代真砂実 訳『キリスト教神学入門』教文館、2002年。ISBN 978-4764272033。A・E・マクグラスはオックスフォード大学神学部歴史神学教授。『キリスト教思想史入門』は『キリスト教神学入門』および『宗教改革の思想』と一部記述が重複する。
- グレゴリウス改革
- マリア信仰
- 竹下節子 著『聖母マリア <異端>から<女王>へ』講談社選書メチエ、1998年。
- 異端
- クルト・ルドルフ 著、大貫隆 ほか訳『グノーシス 古代末期の一宗教の歴史と本質』岩波書店、2001年。
- 甚野尚 著『世界史リブレット20 中世の異端者たち』山川出版社、1996年。
- D・クリスティ・マレイ 著、野村美紀子 訳『異端の歴史』教文館、1997年。
- ルネ・ネッリ 著、柴田和雄 訳『異端カタリ派の哲学』法政大学出版局、1996年。
- 原田武 著『異端カタリ派と転生』人文書院、1991年。
- 西川杉子 著『ヴァルド派の谷へ』山川出版社、2003年。
- 宗教改革
- アリスター・マクグラス 著、高柳俊一 訳『宗教改革の思想』教文館、2000年。ISBN 476427194X。
- 小泉徹 著『世界史リブレット27 宗教改革とその時代』山川出版社、1996年。
- マックス・ウェーバー 著、大塚久雄 訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫、1989年[改訳版、1997年 第25刷 参照]。
- 金子晴勇 著『宗教改革の精神 ルターとエラスムスの思想対決』講談社学術文庫、2001年。
- 永田諒一 著『ドイツ近世の社会と教会』ミネルヴァ書房、2000年。
- I・ジョン・ヘッセリンク 著、廣瀬久允 訳『改革派とは何か』教文館、1995年。
- S・ムール 著、佐野泰雄 訳『危機のユグノー : 17世紀フランスのプロテスタント』教文館、1990年。ISBN 4764262657。
- ジョルジュ・リヴェ 著、二宮宏之・関根素子 訳『宗教戦争』白水社、1968年[1998年 第10刷 参照]。
- 木崎喜代治 著 『信仰の運命 フランス・プロテスタントの歴史』岩波書店、1997年。
- 金哲雄『ユグノーの経済史的研究』ミネルヴァ書房〈Minerva人文・社会科学叢書, 74〉、2003年。ISBN 4623037495。
- 法制史
- 勝田有恒、森征一、山内進『概説西洋法制史』ミネルヴァ書房、2004年。ISBN 9784623040643。
- 吉野悟 著『ローマ法とその社会』近藤出版社、1976年。
- ピーター・スタイン 著、屋敷二郎監訳『ローマ法とヨーロッパ』ミネルヴァ書房、2003年。
- 山田信彦『スペイン法の歴史』彩流社、1992年。ISBN 488202215X。
- 水林彪 ほか編『新体系日本史 2 法社会史』山川出版社、2001年。
- 中世史
- ハンス・K・シュルツェ 著、千葉徳夫 ほか訳『西欧中世史事典』ミネルヴァ書房、1997年。
- ハンス・K・シュルツェ 著、五十嵐修 ほか訳『西欧中世史事典II』ミネルヴァ書房、2003年。
- アンリ・ピレンヌ 著、中村宏 ほか訳『ヨーロッパ世界の誕生』創文社、1960年。
- 堀米庸三 編『世界の名著67 ホイジンガ』中公バックス、1979年。
- ヨーロッパ中世史研究会 編『西洋中世史料集』東京大学出版会、2000年。
- 樺山紘一 ほか編『岩波講座(新)世界歴史7 ヨーロッパの誕生』岩波書店、1998年。
- 堀米庸三 ほか編『岩波講座(旧)世界歴史10 中世4』岩波書店、1970年。
- 堀越孝一 編『新書ヨーロッパ史・中世編』講談社現代新書、2003年。
- 菊池良生 著『神聖ローマ帝国』講談社現代新書、2003年。
- 江村洋 著『ハプスブルク家』講談社現代新書、1990年。
- 五十嵐修『地上の夢キリスト教帝国 : カール大帝の「ヨーロッパ」』講談社〈講談社選書メチエ, 224〉、2001年。ISBN 4062582244。
- 阿部謹也 著『阿部謹也著作集』2、8、10、筑摩書房、1999年。
- 堀米庸三 著『中世国家の構造』日本評論社、1948年。
- 増田四郎 著『西洋中世世界の成立』講談社学術文庫、1996年。
- 増田四郎 著『西洋中世社会史研究』岩波書店、1974年。
- ラウール・マンセッリ 著、大橋喜之 訳『西欧中世の民衆信仰』八坂書房、2002年。
- J・ル・ゴフ 著、池田健二 ,菅沼潤 訳『中世とは何か』藤原書店、2005年。ISBN 4894344424。
- J・ル・ゴフ 著、桐村泰二 訳『中世西欧文明』論創社、2007年。
- J・ル・ゴフ 著、加納修 訳『もうひとつの中世のために』白水社、2006年。
- エリザベス・ハラム 編、川成洋 ほか訳『十字軍大全』東洋書林、2006年。
- エドマンド・キング 著、吉武憲司 訳『中世のイギリス』慶應義塾大学出版会、2006年。ISBN 978-4766413236。
- マルク・ブロック 著、堀米庸三 ほか訳『封建社会』岩波書店、1995年。
- 佐藤彰一 ほか編著『西欧中世史 〔上〕』ミネルヴァ書房、1995年。
- 江川温 ほか編著『西欧中世史 〔中〕』ミネルヴァ書房、1995年。
- 朝治啓三 ほか編著『西欧中世史〔下〕』ミネルヴァ書房、1995年。
- レジーヌ・ル・ジャン 著、加納修 訳『メロヴィング朝』白水社〈文庫クセジュ〉、2009年。ISBN 978-4560509395。
- Ian Wood (1995). The Merovingian Kingdoms, 450-751. Longman. ISBN 978-0582493728
- 橋本龍幸『中世成立期の地中海世界—メロヴィング時代のフランクとビザンツ』南窓社、1998年。ISBN 978-4816502002。
- 長谷川博隆 編『ヨーロッパ—国家・中間権力・民衆—』名古屋大学出版会、1985年。ISBN 978-4930689382。
- 思想史
- ハンナ・アレント 著、志水速雄 訳『人間の条件』筑摩書房<ちくま学芸文庫>、1994年。ISBN 978-4480081568。
- M・I・フィンリー 著、柴田平三郎 訳『民主主義―古代と現代』講談社<講談社学術文庫>、2007年。ISBN 978-4061598102。
- 本村凌二・中村るい 著『古代地中海世界の歴史 ('04)』放送大学教育振興会、2004年。
- アリストテレス 著、高田三郎 訳『ニコマコス倫理学』 <上><下>、岩波書店<岩波文庫>、1971年。ISBN 978-4003360415,ISBN 978-4003360422[2006年 第45刷 参照]。
- 金子晴勇『ヨーロッパ人間学の歴史』知泉書館、2008年。ISBN 978-4862850348。
- 南原繁 著『<新装版>政治理論史』東京大学出版会、2007年。旧版の初版は1962年。
- 半澤孝麿『ヨーロッパ思想史における「政治」の位相』岩波書店、2003年。ISBN 4000023977。
- 福田歓一『政治学史』東京大学出版会、1985年。ISBN 978-4130320207。
- 碧海純一 ほか編『法学史』東京大学出版会、1976年。
- 藤原保信、飯島昇藏『西洋政治思想史』 1巻、新評論、1995年。ISBN 4794802536。
- シェルドン・S・ウォーリン 著、尾形典男・佐々木武・佐々木毅・田中治男・福田歓一・有賀弘・半沢孝麿 訳『西欧政治思想史―政治とヴィジョン』福村出版、1994年。ISBN 978-4571400162。
- R・W・ディヴィス 編、鷲見誠一・田上雅則 訳『西洋における近代的自由の起源』慶應義塾大学法学研究会、2007年。ISBN 978-4766413977。
- アリスター・マクグラス 著、関川泰寛・神代真砂実 訳『キリスト教思想史入門―歴史神学概説』キリスト新聞社、2008年。ISBN 978-4873955148。
- クラウス・リーゼンフーバー 著、村井則夫 訳『中世思想史』平凡社<平凡社ライブラリー>、2003年。ISBN 978-4582764857。
- クラウス・リーゼンフーバー 著、酒井一郎ほか 訳『中世における自由と超越―人間論と形而上学の接点を求めて』創文社、1988年。ISBN 4-423-10083-5。
- クラウス・リーゼンフーバー 著『中世哲学の源流』創文社、1995年。
- クラウス・リーゼンフーバー 著『中世における理性と霊性』知泉書館、2008年。
- J・B・モラル 著、柴田平三郎 訳『中世の政治思想』平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2002年。ISBN 978-4582764345。1975年未來社刊行の新版。
- マルク・ブロック 著、井上泰男 ほか訳『王の奇跡』刀水書房、1998年。
- エルンスト・H・カントローヴィチ 著、小林公訳『王の二つの身体』平凡社、1992年。
- 文献案内
- 大西直樹ほか『歴史のなかの政教分離: 英米におけるその起源と展開』彩流社、2006年。ISBN 978-4779111518。
- 高橋康浩「政教分離の意味するもの(<特集号>プロジェクト)」『人文科學研究』第118巻、新潟大学、2006年3月31日、Y45-Y55、NAID 110004785960。
- 長岡徹「政教分離原則の正当性(平松毅教授退任記念論集)」『法と政治』第55巻第4号、関西学院大学、2004年12月30日、675-708頁、NAID 110004476162。
- 大塚和夫「イスラーム世界と世俗化をめぐる一試論(<特集>イスラームと宗教研究)」『宗教研究』第78巻第2号、日本宗教学会、2004年9月30日、617-642頁、NAID 110002826612。
- 久保田泰夫「<論文>ロージャー・ウィリアムズの政教分離論 : 主著『信仰上の理由による迫害の血塗れの教義』(1644)を巡って」『東京工芸大学芸術学部紀要』第3巻、東京工芸大学、1997年3月31日、57-69頁、NAID 110000485311。
- 中谷猛「トクヴィルにおける共和政と宗教問題--市民宗教との関連において」『立命館法學』第2005巻第2号、立命館大学法学会、2005年、1033-1055頁、NAID 40007124747。
- 木村武雄「欧州と社会システム - 史的展開を中心に -」『筑波学院大学紀要』第3巻、筑波学院大学、2008年、87-99頁、NAID 110006981701。
- 工藤庸子. “「フランスの政教分離」”. 2010年1月29日閲覧。
- 今西一. “「近代史部会(2006年度歴史学研究会大会報告批判)」(歴史学研究/歴史学研究会編2006 小樽商科大学学術成果コレクション)”. 2010年1月29日閲覧。