ユース (チェーンストア)
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒910-8535 福井県福井市文京1丁目16-1[1] |
設立 | 1967年(昭和42年)10月1日[2] |
業種 | 小売業 |
金融機関コード | 食品スーパーマーケット業 |
代表者 |
木瀬すて(取締役社長)[3] ↓ 木瀬禎造(取締役社長)[4] ↓ 古谷光雄(代表取締役社長) |
資本金 | 1億円 |
発行済株式総数 | 37万1610株(平成25年3月31日時点)[広報 1] |
売上高 | 293億3000万円[5] |
純利益 | 2億8400万円(平成25年3月期)[広報 1] |
純資産 | 39億8200万円(平成25年3月期)[広報 1] |
総資産 | 137億1200万円(平成25年3月期)[広報 1] |
従業員数 | 1,178名 |
支店舗数 | 31 |
決算期 | 3月 |
主要株主 | バロー(100%) |
外部リンク | 閉鎖 |
株式会社ユース(YOUTH CO.,LTD.) は、福井県を中心にスーパーマーケットを店舗展開していた企業。2005年以降はバローの連結子会社。北陸地方の食品スーパーマーケットチェーンとしては年商が最も大きかった(2004年度)。
概要
[編集]豊臣時代に加藤清正の依頼で北野天満宮に奉納する鏡を作ったことで知られ[6]、越前藩主となった結城秀康のお国入りに同行して[6]、藩の鏡師となったことから福井に拠点を移した[7]木瀬浄阿弥が元祖で[6]、明治初期に福井市田原町に海産物問屋を開いたのが始まりである[6]。
1928年(昭和3年)に福井駅前通りが完成してだるまや百貨店が開業した際に、その向かい側に木瀬ひろが「かゞみや」の屋号で福井県内の海産物や塩乾物などを扱う小売店を開業した[6]。
しかし、第2次世界大戦で事業を休止した[7]。
戦後の1945年(昭和20年)に[7]、木瀬すてが焼け跡の日ノ出町商店街で「かゞみや分店」として進物と日常食料品を販売する事業を始めた[8]。 この戦後の店舗を始めた当初から「かゞみや」としての信用があったことから、代金後払いでの仕入れを行うことが可能となっていた[8][8]。
1953年(昭和28年)8月に[9]福井駅前の[8]元町に[9]進出して3階建てのビルを開設して[8]支店を開設した[9]。 この駅前進出時には、借入金の返済の為に旧店舗を売却している[8]。
そして、同年10月1日に「株式会社かゞみや」を設立して法人化し[7]、初代社長に木瀬すてが就任し[9]、木瀬矩道が専務取締役に就任した[9]。 なお、「かゞみや本店」[注 1]は、木瀬矩道の弟の木瀬宏が運営を継承していた[9]。
既存店舗の斜め向かい側に日常食料品部門を分離して独立させる際に手狭なことからセルフサービス方式を導入し[8]、「かゞみやフードセンター」として[8]スーパーマーケットを[7]1961年(昭和36年)8月11日に開業した[11]。
そして、1963年(昭和38年)にスーパーマーケットの名称を一般公募して[8]、「若さ・元気・青年」を意味する英語のyouthから「ユース」とした[広報 2]。
同年9月4日に[12]「ユース」1号店として「ユース北店」を開店した[8]。 その後も、進物店と惣菜店は「かゞみや」として営業を続けた[7]。
そして、1967年(昭和42年)10月に事業構造の違いなどから、「株式会社かゞみや」を進物部門として、「かゞみやフードセンター」を「木瀬産業」、食品スーパー部門を「株式会社ユース」として各々分離独立させた[8]。
食料品店は身近にあるべきという考えから、創業当初は徒歩10分を商圏とする店舗展開を行っていたが、1973年(昭和48年)からはモータリゼーションの進展を考慮して郊外型大型店の出店に軸足を移した[13]。
1976年(昭和51年)からは台所用品や実用衣料も販売する大型店「オレンジ」を出店して食料品専業からの脱却を図った[13]。
しかし、大規模小売店舗法が施行されて大型店の出店が困難になったことから、1980年(昭和55年)からはミニスーパーの「ライフ」の出店を進めた[13]。
1990年(平成2年)3月に「ファミリーマート」や「西武北陸」と合弁でエリアフランチャイザーの「北陸ファミリーマート」を設立してコンビニエンスストア事業にも参入していたが[14]、2000年(平成12年)2月に株式を譲渡して「ファミリーマート」の完全子会社となった[15]。
- この節の加筆が望まれています。
バロー傘下入りとその後
[編集]ユースは黒字を確保しつつも、競争の激化から売上利益の横ばいが続き、後継者不足も抱えていた[注 2]。 そのため、2005年(平成17年)4月に木瀬が保有していた全株式をバローに売却し、バローの傘下に入った[5][17]。 木瀬は取締役相談役に退き、代わってバロー社長の田代正美が代表に就任した(木瀬は2006年8月10日に死去)。バローがユースを買収した理由は、北陸3県で唯一未出店の福井県に進出することで経営規模の拡大を狙ったからである[18]。
その後はバローの「安さ挑戦」の戦略に基づいてバローのプライベートブランドが店頭に並ぶようになった他、ポイントカード(ユースカード、Vマートカード)サービスを縮小し2005年末でポイント付加を終了、2006年に入ってポイントの清算も終了した。また既存店舗の改装や不採算店舗の整理を進め、その後は積極的な出店姿勢を取っていた。[要出典]
2013年(平成25年)10月1日に「バロー」に吸収合併されて消滅すると共に、「バロー」へ店名を変更し、「ユース」としての歴史に終止符を打った[19][20]。
沿革
[編集]- 明治初期 - 福井市田原町に海産物問屋を開業[6]。
- 1919年 - 福井市日の出元町(現在のガレリア元町商店街)に支店開設(かゞみや分店の前身)[要出典]
- 1928年(昭和3年) - 福井駅前に木瀬ひろが「かゞみや」の屋号で福井県内の海産物や塩乾物などを扱う小売店を開店[6]。
- 1945年(昭和20年)[7] - 木瀬すてが日ノ出町商店街で「かゞみや分店」を開店[8]。(進物と日常食料品を販売[8]。)
- 1953年(昭和28年)
- 1961年(昭和36年)8月11日[11] - セルフサービス方式を導入し[8]、「かゞみやフードセンター」として[8]スーパーマーケットを開店[7]。
- 1963年(昭和38年)9月4日[12] - 「ユース」1号店として「ユース北店」を開店[8]。
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 株式会社ユース設立[2]。
- 1973年(昭和48年) - モータリゼーションの進展を考慮して郊外型大型店の出店を開始[13]。
- 1976年(昭和51年) - 台所用品や実用衣料も販売する大型店「オレンジ」を出店を開始[13]。
- 1988年 - 滋賀県に初出店(ユース高月店→Vマート高月店→ユース高月店)
- 1990年(平成2年)3月 - 「ファミリーマート」や「西武北陸」と合弁で「北陸ファミリーマート」を設立してコンビニエンスストア事業に参入[14]。
- 1999年 - 石川県に初出店(Vマート大聖寺店→ユース)[要出典]
- 2000年(平成12年)2月 - 「北陸ファミリーマート」の株式を「ファミリーマート」に譲渡し、コンビニエンスストア事業から撤退[15]。
- 2005年(平成17年)4月 - 「バロー」が当社の全株式を取得して買収[5]。
- 2008年(平成20年) - 小浜店開店により福井県内全市への出店達成[要出典]
- 2013年(平成25年)10月1日 - 「バロー」に吸収合併されて消滅すると共に、「バロー」へ店名を変更[19]。
最後まで展開していた店舗
[編集]この節では吸収合併直前の店舗情報を記述する。
ユース
[編集]- 福井県内 - 福井市に6店舗、越前市に3店舗、鯖江市に2店舗、坂井市に2店舗、敦賀市に2店舗、あわら市・永平寺町・大野市・勝山市・越前町・小浜市にそれぞれ1店舗。計21店舗。[要出典]
- 松岡ラッキー店(永平寺町)と織田メルシ店(越前町)はショッピングセンターに入居。[要出典]
- 新田塚店(福井市)は2008年6月まではショッピングセンターのショッピングプラザエブリ(旧・新田塚ファミリープラザ)に入居していたが、エブリの撤退により単独店舗となった。同時に建物は東レの倉庫が建っていた新規取得した隣接地へ新築移転し、ユースでは初のネイバーフッドショッピングセンターとなり、後に開店した小浜店も同様の形態をとった。[要出典]
- 森田店(福井市)は2010年までは森田ショッピングセンターに入居していたが、森田ショッピングセンターの撤退により単独の店舗となった。2011年に森田ショッピングセンター跡地へ規模を拡大する形で新築再オープンした。[要出典]
- 春江店(坂井市)はバロー系ドラッグストア「V・Drug」を併設。[要出典]
- 売場面積888m2[1]
- 売場面積531m2[1]
- 敷地面積約7,668m2[21][22]、鉄骨造地上2階建て[21]、延べ床面積6,988.23m2[23]、店舗面積約5,294m2[21](当社店舗面積約1,541m2[21])、駐車台数約300台[21]。
- 当社がデベロッパーとなって自動車教習所跡地に出店した地元主導型のショッピングセンター「新田塚ファミリープラザ」の核店舗として[24]「やなぎや」(約1,848m2)と共に出店していた[21]。
- 売場面積968m2[1]
- 売場面積880m2[1]
- 売場面積412坪[25]
- 売場面積314m2[1]
- 売場面積1,234m2[1]
- 売場面積866m2[1]
- 売場面積656m2[1]
- 売場面積447m2[1]
セリオガーデン
[編集]- 売場面積1,731m2[1]
合併以前に撤退した店舗
[編集]。 かつては衣料品店を併設した店舗や、地元を含む製パンメーカーのパン屋が入居した店舗もあった。[要出典]
スーパーマーケット
[編集]福井市
[編集]- 売場面積199m2[27]
- 売場面積56m2[30]
- 売場面積198m2[31]
- 売場面積231m2[27]
- 売場面積277m2[1]
- 売場面積67m2[27]
- 敷地面積約3,499m2[35]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階地上8階建て塔屋2階[35]、延べ床面積約20,149m2[35]、店舗面積約4,072m2[35](当社店舗面積約412m2[36] → 約348m2[35])、駐車台数約70台[35]。
- ショッピングタウンピア2階に出店した食品スーパー[38]。
- 売場面積309m2[1]
- 売場面積473m2[1]
- 売場面積1,139m2[39]
- 2階に かゞみや みゆき店(旧店)を配した共同店舗。現在はバロー系ドラッグストア「V・Drug」。[要出典]
- 売場面積262m2[1]
- 売場面積267m2[1]
- 売場面積268m2[1]
福井市以外
[編集]- 敷地面積9,137m2[42]、鉄骨造り2階建て一部3階建て・延べ床面積7,771m2[42] → 12,599m2[43]、店舗面積約5,384m2[44](エース神明店売場面積1,119m2[39])。駐車台数約200台[42]。
- 1階に2階の福進チェーンと共に神明ショッピングセンター・アゼリヤの核店舗として出店していた[45]。
- 売場面積99m2[27]
- かがみや武生広小路店(武生市幸町50[28])
- 売場面積388m2[1]
- 売場面積417m2[1]
- 売場面積1,267m2[1]
- 売場面積737m2[1]
- 売場面積219m2[1]
展開されていた店舗の屋号
[編集]- オレンジ - 台所用品や実用衣料も販売する大型店[13]。
- 敦賀店(敦賀市)[要出典]・米松店(福井市米松2-21−18[48]、1976年(昭和51年)7月開店[48]、延べ床面積2,647m2[48]、売場面積1,489m2[48])・勝山店(勝山市昭和町1-11-50[49]、延べ床面積2,509m2[49]、売場面積1,525m2[49])の3店舗。米松店は「セリオガーデン」、その他は「ユース」に業態変更。[要出典]
- ライフ - ミニスーパー[13]。ライフコーポレーションとは無関係。[要出典]
- コンビニエンスストアの2〜3倍程度の売場面積の地域密着型小規模店。福井市(旧清水町含む)内に数店舗、主に住宅街に店舗を構えていた。既存の「ユース」の営業縮小から「ライフ」へ業態変更した例もある(ライフまるせん店、ライフグリーンハイツ店など)。[要出典]
- ユース自身もファミリーマートの地域本部法人設立に参加していたため、関連企業同士で競合することとなり、「ユース」への業態変更と統廃合なども重なり撤退が続いた。最後に残ったみのり店(福井市)のみ「ユース」へ業態変更したが、これも2010年に撤退。[要出典]
- Vマート - 安売り路線の大型スーパーマーケットブランド[要出典]
- 木崎店(敦賀市)[要出典]・久喜津店(1997年(平成8年)3月開店[25])・高月店(滋賀県長浜市)・春江店(坂井市)・大聖寺店(石川県加賀市)の5店舗。いずれもバロー入り後「ユース」に業態変更。[要出典]
ショッピングセンター
[編集]- 地上2階[22]。敷地面積7,668m2[22]、延べ床面積6,988.23m2[23]、売場面積4,291m2[51](直営売場面積1,533m2[50])
- 当社がデベロッパーとなって自動車教習所跡地に出店した地元主導型のショッピングセンター[24]。
ホームセンター
[編集]- ハッピー·ホームセンター[52]
- この節の加筆が望まれています。
かつての事業所
[編集]- 本部
- 集配送センター
- 福井市文京1-16-1[54]
- 加工センター
- 精肉・豆腐加工センター
- 青果センター
合併以前の関連会社
[編集]- この節の加筆が望まれています。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。pp321-322
- ^ a b “〝感謝の商い〟伸びゆくユース”. 精神科学 1978年5月号 (日本教文社) (1978年5月).pp18-23
- ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1968年版』 商業界、1968年。pp437
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp666
- ^ a b c 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp215
- ^ a b c d e f g 『のれん百年 中部の巻』 中部経済新聞社、1967年11月1日。pp78
- ^ a b c d e f g h i 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp35
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “のれんとグループの総合力北陸の代表的食品スーパー 株式会社ユース”. 北陸経済研究 1982年1月号 (北陸経済研究所) (1982年1月).pp63
- ^ a b c d e f g h i j k 『のれん百年 中部の巻』 中部経済新聞社、1967年11月1日。pp79
- ^ 『福井年鑑 1963年版』 福井新聞社、1962年12月20日。pp566
- ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp301
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp303
- ^ a b c d e f g “のれんとグループの総合力北陸の代表的食品スーパー 株式会社ユース”. 北陸経済研究 1982年1月号 (北陸経済研究所) (1982年1月).pp64
- ^ a b 赤澤基精 “21世紀のCVS目指し国内外で急拡大の(株)ファミリーマート 第2の創業期で,「地域一番店」づくりに挑戦”. 流通とシステム 1993年6月号 (流通システム開発センター) (1993年6月).pp80-97
- ^ a b “生活者の変化に対応して変革を続けるCVS、21世紀の新しい機能を探る”. 食品商業 2000年5月号 (商業界) (2000年5月).pp20-25
- ^ 2005年3月10日福井新聞。
- ^ ユース県外業者が買収。バロー(岐阜)来月全株取得。2005年3月10日福井新聞。
- ^ 老舗苦しむ高コスト。今回は買い手のニーズが合致したケース。2005年3月10日福井新聞。
- ^ a b “バロー、ユースを吸収合併 バローに店名変更”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年5月15日) pp2
- ^ ユースの名称消滅へ、バローが吸収合併へ、雇用は継続。2013年5月11日福井新聞。
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1028
- ^ a b c d e 奥住正道 松下孝夫 山田佳男 “テナント出店を成功させるための知識とSC情報”. 商業界 1977年1月号 (商業界) (1977年1月).pp215-219
- ^ a b “作品歴”. 建築ジャーナル 2000年10月号 (建築ジャーナル) (2000年10月).pp42-49
- ^ a b “第12回国内研修〈北陸路〉報告 地元主導型SCの問題点を探る”. ショッピングセンター 1978年10月号 (日本ショッピングセンター協会) (1978年10月1日).pp47
- ^ a b c “福井県 ユース東鯖江店(鯖江市、412坪、17億円) SM競合時代到来に備えた「次世代SSM」フォーマットの原型”. 食品商業 1997年9月号 (商業界) (1997年9月).pp130-133
- ^ “臨店大調査 全国SM50店舗の「快適購買&好感接客レベル」リサーチ”. 食品商業 1999年12月号 (商業界) (1999年12月).pp46-63
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp302
- ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp311
- ^ a b 『日本職員録 第11版』 人事興信所、1967年。ppか5
- ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1968年版』 商業界、1968年。pp198
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp303
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp111
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp302
- ^ a b c d e f g h i 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp112
- ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1026
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1968年版』 商業界、1968年。pp199
- ^ a b “日本のSC ピア”. ショッピングセンター 1978年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1978年5月1日).pp7
- ^ “日本のSC ピア”. ショッピングセンター 1978年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1978年5月1日).pp9
- ^ a b c d “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング(No.3)”. ヤノニュース 1980年5月25日号 (矢野経済研究所) (1980年5月25日).pp35
- ^ a b c “県外大型店にどう対抗するか 地元主導型小売商業店舗共同化事業の事例から学ぶ”. 北陸経済研究 1978年8月号 (北陸経済研究所) (1978年8月).pp17
- ^ 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 東洋経済新報社、2008年。pp919
- ^ a b c d “県外大型店にどう対抗するか 地元主導型小売商業店舗共同化事業の事例から学ぶ”. 北陸経済研究 1978年8月号 (北陸経済研究所) (1978年8月).pp16
- ^ 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1992年版』 東洋経済新報社、1992年。pp776
- ^ “ミニ調査”. 北陸経済研究 1979年6月号 (北陸経済研究所) (1979年6月).pp79
- ^ “県外大型店にどう対抗するか 地元主導型小売商業店舗共同化事業の事例から学ぶ”. 北陸経済研究 1978年8月号 (北陸経済研究所) (1978年8月).pp18
- ^ a b “バローグループ、北陸でSM2店を同時オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2012年10月31日). pp11
- ^ a b c 立川大介(2016年2月2日). “バロー、坂井市に「SM春江店」移転開設”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp4
- ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2004年版』 東洋経済新報社、2004年。pp856
- ^ a b c “届出情報”. ショッピングセンター 1990年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1990年7月1日).pp71
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。pp885
- ^ a b 『福井県史 通史編6 近現代二』 福井県、1996年3月31日。pp979
- ^ “真理を学び、豊かな人間性を創る ㈱ユース”. 精神科学 1988年9月号 (日本教文社) (1988年9月).pp36-42
- ^ 『福井県経済名鑑』 実業之福井社、1964年11月30日。pp198
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp651
- ^ a b c d e f g h i j k l “マス・マーチャンダイジングに威力を発揮する集配センター”. 総合食品 1978年10月号 (総合食品研究所) (1978年10月).pp80-81
- ^ a b c d e 『福井年鑑 1963年版』 福井新聞社、1962年12月20日。pp570