フォーク・ビレッジ
バイタリス・フォーク・ビレッジ ↓ ライオン・フォーク・ビレッジ | |
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ジャンル | 音楽番組 |
放送方式 | 録音 |
放送期間 | 1966年8月1日 - 1982年4月2日 |
放送時間 | #放送時間の節を参照 |
放送局 | ニッポン放送 |
ネットワーク | NRN |
パーソナリティ | #歴代パーソナリティの節を参照 |
提供 |
ライオン歯磨・油脂 (バイタリス) |
『フォーク・ビレッジ』(Folk Village)は、ニッポン放送他NRN加盟の各ラジオ局で、1966年8月1日から1982年4月2日まで放送されていたラジオ音楽番組。アマチュア発掘型のフォークソング番組として、多くのフォークシンガーを世に送り出した。
概要
[編集]グループ・サウンズ全盛期の1966年当時、アマチュアの学生たちが歌うカレッジ・フォークに注目し、毎回ひとつのアマチュアフォークグループとその演奏・歌唱を紹介し、さらに番組内でフォークシンガーをオリジナル曲を作らせて育て、続々とシンガーとヒット曲を輩出していき、フォーク音楽界の登龍門と呼ばれた番組である[1][2]。
当時のニッポン放送編成局長の羽佐間重彰が、ディレクターの島田多津郎を呼び「必ずフォーク全盛時代が来て、そこから新しいスターが生まれる」として「学生フォークを全部網羅したいから、アマチュア専門音楽番組を作れ」と指示したことから制作された[1]。1966年8月1日の第1回放送回に登場したグループは、立教大学の学生によるグループ「ブライトリー・フォア・ベンダース」であった[2]。
番組制作者となった島田は、東京を中心とした関東地方一円の全大学のアマチュアグループに呼びかけて番組への参加を募集、まもなく200組ほどの参加申込があったが、中には楽器も楽譜もなく中には音符も読めない者もいたことで、そんな彼らを世話するための『音楽クリニック』が本番組中で企画され行われた[1]。この音楽クリニックでの指導者として金子洋明、ギタリストの石川鷹彦、作詞家の岡本おさみが参加し、演奏技術やコーラスアレンジなどの指導や相談からアフターケアに至るまで当たった[1]。また本番組の方では、アマチュアグループの生活の面倒まで見たこともあった[1]。
また後述の通り、「全国フォーク音楽祭」と題した新人フォーク歌手を輩出するためのコンクールが1971年から行われ、この番組もその趣旨に協賛。地方予選コンクールや、全国コンクールの音源も頻繁に放送された[3]。
本番組はライオン歯磨(後にライオン)の一社提供。最初はライオン歯磨が発売していた男性用液体整髪料ブランド「バイタリス」の単独提供として『バイタリス・フォーク・ビレッジ』のタイトルで放送、1974年よりライオン歯磨・油脂(ライオングループ)本体の一社提供に代わり、タイトルも『ライオン・フォーク・ビレッジ』に変更された。
1980年代に入るとフォークソングのブームが去ったこともあり、1982年4月の番組改編により放送枠タイトルが『ライオン・ミュージック・ビレッジ』に変更、同年4月5日から新番組『桑田佳祐のミスターポップス!』がスタートして、本番組は15年8か月の歴史に幕を下ろした。
逸話として『バイタリス』時代の1973年ごろ、RCサクセションの忌野清志郎がゲストコーナーに出演した時のこと。吉田は「普段はどの整髪料を使ってますか?」と質問したところ、本来は「バイタリス」や、系列のライオン油脂製「エメロン」などのように発言せねばならない(いわゆるヤラセ)ところだったのを、忌野は、ライバルの企業が当時発売していたブランド「MG5」とコメントしたことで、ライオン歯磨の関係者からクレームが付いたとされる(「MG5事件」)。なおこの「MG5」の個所は、このコーナーが放送されたときには編集処理されている[3]。彼らはそれ以降、同番組に出演禁止となった。
歴代パーソナリティ
[編集]- ジミー時田 (1966年8月 - 1967年9月)
- 広川あけみ (1967年10月 - 1968年9月)
- 佐良直美 (1968年10月 - 1971年9月)
- 吉田拓郎 (1971年10月 - 1973年3月)
- かまやつひろし (1973年4月 - 1977年3月)
- 谷村新司 (1977年4月 - 1979年9月)
- 山本コウタロー (1979年10月 - 1982年4月)
放送時間
[編集]- ニッポン放送での放送時間
- 月曜日 - 土曜日 23:30 - 23:45 (1966年8月1日 - 1967年12月30日)
- 月曜日 - 土曜日 23:20 - 23:35 (1968年1月1日 - 1969年1月31日)
- 月曜日 - 土曜日 23:00 - 23:15 (1969年2月1日 - 1972年4月1日)
- 月曜日 - 金曜日 23:00 - 23:15 (1972年4月3日 - 1982年4月2日)
- 1972年4月改編から土曜編成が始まったことにより、土曜日の放送が無くなる。
- 1975年4月からは夜ワイド番組『大入りダイヤルまだ宵の口』、1981年11月からは『くるくるダイヤル ザ・ゴリラ』に内包。
ネット局
[編集]放送曜日はいずれも月曜 - 土曜 → 月曜 - 金曜。
- STVラジオ:23:45 - 24:00
- 東海ラジオ放送:23:30 - 23:45
- 近畿広域圏
- 毎日放送
- 21:45 - 22:00 (1968年10月7日放送開始 - 1968年12月)
- 22:50 - 23:00 (1969年1月 - 1969年3月)
- 22:15 - 22:30 (1969年4月 - 1970年9月)
- 23:10 - 23:25 (1970年10月 - 1973年3月)
- 23:35 - 23:50 (1973年4月 - 1974年3月)
- 24:00 - 24:15 (1974年4月 - 1974年12月)→ これ以後はラジオ大阪へ移行
- ラジオ大阪
- 21:40 - 21:55 (1975年1月 - 1975年9月)← 毎日放送から移行
- 23:00 - 23:15 (1975年10月 - 1976年3月 夜ワイド番組『亥の上刻 やんぐないとおおさか』内に内包)
- 21:45 - 22:00 (1976年4月 - 1977年3月)
- 22:15 - 22:30 (1977年4月 - 1978年9月)
- 22:30 - 22:45 (1978年10月 - 1980年3月)
- 24:00 - 24:15 (1980年4月 - 1982年4月)
- 毎日放送
- RKB毎日放送
- 22:45 - 23:00 (1976年9月まで)
- 22:20 - 22:35 (1976年10月 - 1978年)
- 22:10 - 22:25 (1978年 - 1982年4月)
番組からの主な出身アーティスト
[編集](出典:[1])
- ジャックス
- ビリーバンバン
- 森山良子
- 吉田拓郎
- 泉谷しげる
- 長谷川きよし
- 六文銭
- フォーセインツ
- キャッスル&ゲイツ
- ニューフロンティアズ
- 井上陽水
- ザ・ブロードサイド・フォー
- 田中星児
- ソルティー・シュガー
- 本田路津子
- ザ・リガニーズ
- ジ・アマリーズ
- 加川良
- 高石ともや
- 杉田二郎 - ジローズ
- ザ・フォーク・クルセダーズ
- ウッディ・ウー
- 五つの赤い風船
- 岡林信康
- タフイス
- レヴァリーズ
- イースト
- 吉田忠秀
- フォーク・カプセル - 麻田浩
- モダン・フォーク・カルテット - マイク眞木
- ウェイファリングストレンジャー - 金子洋明
- PPMフォロワーズ - 小室等
- 石川鷹彦
- 安田裕美
- 原茂(六文銭のギタリスト)
- ブレッド&バター
- ズー・ニー・ヴー
- 町田義人
- トランザム
- 柳田ヒログループ
- 猫 - 田口清
- シュリークス - イルカ
- 五輪真弓
- 遠藤賢司
- 黒崎とかずみ
- ピピ&コット
- 佐藤公彦
- B&B
- ニューアイスパーク
- 小坂忠グループ
- 荒井由実
- 高田渡 - 武蔵野タンポポ団
- ガロ
- 南こうせつとかぐや姫
- 山平和彦
- 友部正人
- 高山厳
- 林立夫
- 松任谷正隆
- はっぴいえんど - 細野晴臣
- ティン・パン・アレー
- EPO[4]
全国フォーク音楽祭
[編集]全国フォーク音楽祭は、1971年から本番組と連動して行われていた音楽のコンテスト。[3]
- 第1回(1971年)
- グランプリ:橋本俊一(タイロン橋本)「拝啓大統領殿」
- その他出場者:チェリッシュ
- 第2回(1972年)
- グランプリ:八事裏山フォーク・オーケストラ(奥山景三[注釈 1])「東京から船に乗って」
- 入賞:中塚正人「吹雪哀歌」
- 入賞:中島みゆき「あたし時々おもうの」
- 第3回(1973年)
- 第4回(1974年)
- 第5回(1975年)
- グランプリ:ルウ
- 北海道大会出場:松山千春
レコード
[編集]1971年には本番組発のレコード(オムニバスLP盤)が、『バイタリス・フォーク・ビレッジ』というタイトルでキャニオンレコードから発売された。
収録曲
[編集]- SIDE A
- 長沢澄子「秋でもないのに」
- 北原早苗「おはなし」
- ハッピー・ゴー・ラッキー「恋が天使のいたずらならば」
- 作詞・作曲:上野正孝
- モダン・フォーク・フェローズ「ひとりぼっちの雨の唄」
- 作詞・作曲:斉藤重治
- ジ・アマリーズ「二羽の雀」
- 作詞・作曲:中川茂
- 長沢澄子「ただそれだけ」
- 作詞・作曲:大場愛恵美
- メイ・フォーク・シンガーズ「君の国僕の国」
- 作詞・作曲:西島常夫
- SIDE B
- 北原早苗「小さな日記」
- フォー・セインツ「白い仔犬」
- アイ・アム「倖せの鐘」
- 石田直子「お母さんの指」
- 作詞・作曲:行弘久仁子
- 石川鷹彦「どこにあるんだ」
- 作詞・作曲:沢地守
- グリーメン「海と女の子」
- 作詞・作曲:早川義夫
その後のライオン「ビレッジ」枠
[編集]1982年4月に本番組が終了した後も、ライオン一社提供のまま放送枠タイトルを『ライオン・ミュージック・ビレッジ』に変更して「○○ビレッジ」というタイトルの枠を継続し、ニッポン放送のほか、STVラジオ、東海ラジオ、ラジオ大阪、RKB毎日放送の5局によるネットワークセールスも継続した。
ミュージックビレッジ枠の第1弾だった『桑田佳祐のミスターポップス!』(1983年9月まで)の後も、『原田知世 星空愛ランド』(1983年10月 - 1984年12月)、『おねがい!チェッカーズ』(1985年1月 - 1991年2月)と続き、1991年3月からは枠タイトルを『ライオン・トーク・ビレッジ』に変更して『アイドル危機一髪!公開質問状』(1991年3月 - 1991年9月、パーソナリティ・伊集院光)、『加勢大周 ワイルドで行こう』(1991年10月から「ビレッジ」枠)と続き、「ビレッジ」枠は1993年10月1日まで継続された。
前後番組
[編集]ニッポン放送 月曜 - 土曜 23:30 - 23:45枠(1966年8月1日 - 1967年12月) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ヤング・ハワイ
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バイタリス・フォーク・ビレッジ
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ニッポン放送 月曜 - 土曜 23:20 - 23:35枠(1968年1月 - 1969年1月) | ||
ポップスNo.1
(23:20 - 23:30) バイタリス・フォーク・ビレッジ (23:30 - 23:45) |
バイタリス・フォーク・ビレッジ
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夜のディスクライン
(23:15 - 23:25) ザ・パンチ・パンチ・パンチ (23:25 - 23:40) |
ニッポン放送 月曜 - 金曜 23:00 - 23:15枠(1969年2月 - 1982年4月) | ||
バイタリス・フォーク・ビレッジ
↓ ライオン・フォーク・ビレッジ |
ライオン・ミュージック・ビレッジ
桑田佳祐のミスターポップス! |
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ニッポン放送 土曜 23:00 - 23:15枠(1969年2月 - 1972年4月) | ||
ハマクラ夜な夜な参上
(23:00 - 23:10) 夜のディスクライン (23:10 - 23:20) |
バイタリス・フォーク・ビレッジ
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土曜の夜はテレフォンジャングル
(22:00 - 24:00) |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 上野修 著『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年6月20日、65 - 70頁。NDLJP:12276169/35。
- ^ a b 『朝日新聞』1966年8月1日付 ラジオ・テレビ欄、本番組の紹介記事より。
- ^ a b c Ryu's Diary =TV・MUSIC・LANDSCAPE=No.182-あの日のテレビ・ラジオ欄(1971(昭和46)年4月28日(水)編)⑧ ニッポン放送/NHKラジオ第一/ラジオ関東
- ^ 『昭和40年男 2020年2月増刊号』pp.64-67「EPOインタビュー」、クレタパブリッシング、2019年12月26日発売
- ^ コミック・ソングの王者にして発禁大魔王、”名古屋が生んだトリックスター”つボイノリオ 小川真一、大人のMusic Calendar、2017年04月18日
関連項目
[編集]- フォークソング#日本のフォーク
- フォークシンガー#日本
- ヤマハポピュラーソングコンテスト - 同時代に多くのフォークシンガーを輩出した音楽コンテスト