中川郡 (天塩国)
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(中川郡 (上川支庁)から転送)
中川郡(なかがわぐん)は、北海道(天塩国)上川総合振興局の郡。
人口5,593人、面積1,542.46km²、人口密度3.63人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)
以下の2町1村を含む。
郡域
[編集]1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町1村に名寄市の一部(智恵文)を加えた区域にあたる。
郡名の由来
[編集]歴史
[編集]郡発足までの沿革
[編集]江戸時代の中川郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって開かれていたテシホ場所に含まれた。江戸時代後期になると文化4年南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え、中川郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり庄内藩が警固を行い、同6年以降は庄内藩領となっていた(6藩分領)。
戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して中川郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
[編集]- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 再び開拓使の管轄となる。
- 明治5年
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
- 第29大区
- 1小区
- 第29大区
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての中川郡が発足。
- 明治13年(1880年)3月 - 留萌郡外六郡役所(留萌天塩中川上川苫前増毛郡役所)の管轄となる。
- 明治14年(1881年)7月 - 増毛郡外六郡役所(増毛留萌天塩中川上川苫前郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、増毛支庁の管轄となる。同年下名寄村を設置。
- 明治32年(1899年)5月20日 - 上川支庁の管轄となる。
- 明治39年(1906年)- 中川村を設置。
- 大正4年(1915年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により下名寄村(二級村、単独村制)が発足。(1村)
- 大正5年(1916年)- 中川村から常盤村が分村。
- 大正8年(1919年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、中川村、常盤村(いずれも二級村、単独村制)が成立する。(3村)
- 大正9年(1920年)6月1日 - 下名寄村の一部(下名寄村1 - 6部・チエブン原野)が分立して智恵文村(二級村)が発足。残部が改称して美深村となる。(4村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 美深村が北海道一級町村制・町制を施行して美深町(一級町)となる。(1町3村)
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道上川支庁の管轄となる。
- 昭和29年(1954年)8月1日 - 智恵文村が上川郡名寄町と合併し、改めて上川郡名寄町が発足。(1町2村)
- 昭和38年(1963年)4月1日 - 常盤村が改称して音威子府村となる。
- 昭和39年(1964年)5月1日 - 中川村が町制施行して中川町となる。(2町1村)
脚注
[編集]- ^ “アイヌ語地名リスト トヨト~ノブシ P91-100”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 1 北海道