佐助
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佐助 | |
---|---|
町丁 | |
北緯35度19分15秒 東経139度32分35秒 / 北緯35.320722度 東経139.542967度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 鎌倉市 |
地域 | 鎌倉地域 |
人口情報(2023年(令和5年)9月1日現在[1]) | |
人口 | 1,658 人 |
世帯数 | 674 世帯 |
面積([2]) | |
0.50 km² | |
人口密度 | 3316 人/km² |
郵便番号 | 248-0017[3] |
市外局番 | 0467(藤沢MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
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佐助(さすけ)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。現行行政地名は佐助一丁目及び佐助二丁目。住居表示実施済み区域[5]。かつては佐介ガ谷、あるいは佐助ガ谷と呼ばれていた。
地名の由来には諸説がある。
- 源頼朝が佐殿と呼ばれていたとき、平氏の追及を逃れてこの地の隠れ里に潜んだところ、地主神である宇賀神が現れて佐殿を助けたから。
- 源頼朝麾下の三浦介義澄、上総介広常、千葉介常胤の三人の介の館があり、三介ガ谷と呼んだものが訛ったから[6]。
歴史
[編集]吾妻鏡によると宝治元年(1247年)の記述に北条時盛の「佐介亭」がある。時盛の子孫もこの地に住んだため、この系統は佐介流北条氏と呼ばれる。九条頼経、頼嗣、宗尊親王ら京都から招聘した将軍が更迭される際には、佐介亭に宿泊していた。
上杉禅秀の乱では佐介ガ谷から前浜にかけて激しい戦闘がなされた。
昭和40年(1965年)および昭和42年(1967年)に住居表示に伴い佐助一丁目-二丁目となった。
地価
[編集]住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、佐助1-1-11の地点で36万3000円/m2となっている[8]。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
佐助一丁目 | 397世帯 | 980人 |
佐助二丁目 | 277世帯 | 678人 |
計 | 674世帯 | 1,658人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[9] | 1,502
|
2000年(平成12年)[10] | 1,462
|
2005年(平成17年)[11] | 1,492
|
2010年(平成22年)[12] | 1,686
|
2015年(平成27年)[13] | 1,681
|
2020年(令和2年)[14] | 1,638
|
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[9] | 558
|
2000年(平成12年)[10] | 566
|
2005年(平成17年)[11] | 589
|
2010年(平成22年)[12] | 673
|
2015年(平成27年)[13] | 682
|
2020年(令和2年)[14] | 669
|
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年7月時点)[15][16]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
佐助一丁目 | 全域 | 鎌倉市立御成小学校 | 鎌倉市立御成中学校 |
佐助二丁目 | 全域 |
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[17]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
佐助一丁目 | 43事業所 | 301人 |
佐助二丁目 | 19事業所 | 58人 |
計 | 62事業所 | 359人 |
事業者数の変遷
[編集]経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[18] | 48
|
2021年(令和3年)[17] | 62
|
従業員数の変遷
[編集]経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[18] | 198
|
2021年(令和3年)[17] | 359
|
施設
[編集]寺社・旧跡
[編集]その他
[編集]- 東京国税局 鎌倉税務署
その他
[編集]日本郵便
[編集]参考文献
[編集]- 奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999
- 三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005
- 河井恒久 等編 編「巻之五 佐介谷」『新編鎌倉志』 第5冊、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1915年、98−99頁。NDLJP:952770/64。
脚注
[編集]- ^ a b “町丁字別・地域別人口と世帯数(国勢調査基準・各月・平成13年~)” (XLSX). 鎌倉市 (2023年9月12日). 2023年9月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “令和4年(2022年)版 鎌倉の統計” (PDF). 鎌倉市. 2023年8月14日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “佐助の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月9日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ 新編鎌倉志 1915, p. 98.
- ^ 新編鎌倉志 1915, p. 99.
- ^ “国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2023年8月9日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。
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