コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

由比ヶ浜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
由比ガ浜から転送)
由比ヶ浜
情報
所在地 日本の旗 日本 神奈川県鎌倉市由比ガ浜四丁目または長谷二丁目
座標 北緯35度18分33.43秒 東経139度32分30.54秒 / 北緯35.3092861度 東経139.5418167度 / 35.3092861; 139.5418167座標: 北緯35度18分33.43秒 東経139度32分30.54秒 / 北緯35.3092861度 東経139.5418167度 / 35.3092861; 139.5418167
全長 1 km (滑川河口から砂浜の西端まで)
由比ヶ浜の位置(100x100内)
由比ヶ浜
三浦半島における由比ヶ浜の位置

由比ヶ浜(ゆいがはま)は、神奈川県鎌倉市にある相模湾に面した砂浜海岸である。著名な海水浴場がある湘南の海として知られ[1]、毎年夏になると多くの海水浴客でにぎわう。

本項では、鎌倉市鎌倉地域にある、行政上の町名である由比ガ浜(ゆいがはま)[2]についても解説する。

地理

[編集]

三浦半島の西端部に位置する。通常は滑川河口の西側の海岸とその周辺(由比ガ浜一丁目 - 四丁目付近)を由比ヶ浜、東側を「材木座海岸」と称している。

歴史

[編集]

先史時代ー古代

[編集]

西側の長谷地区側から海岸に沿って形成された海浜砂丘帯である。砂丘の上は弥生時代末頃から人類の生活の場として利用されており、集落跡(竪穴建物群)のほか、古代-中世に至る墓地が見つかっている(長谷小路周辺遺跡)[3][4]

中世

[編集]

源義経の妻妾静御前が、源頼朝配下に捕われて鎌倉に送られた後、義経の男児を出生するが、男子が生まれた場合は殺すという頼朝の命により浜に遺棄されたと伝えられている。鎌倉時代には御家人同士の激戦地となることもあり、現御成町にあった問注所での裁判の結果の処刑場でもあった。有力御家人和田義盛もここで戦死したと伝えられ(和田合戦)、その霊を供養する和田塚が所在する。

戦乱の有無に関わらず、中世に由比ヶ浜砂丘は集団墓地として利用されており(由比ガ浜南遺跡・由比ガ浜中世集団墓地遺跡)、現在でも人骨が埋まっており、建設工事に伴う発掘調査で当時の人骨が出土したこともある[5][6]

元弘の乱鎌倉の戦いにおいては、新田義貞稲村ヶ崎を突破して浜に進攻、鎌倉幕府の滅亡を決定的にした。

近現代

[編集]

1889年(明治22年)、横須賀線が開通したことにより、鎌倉に別荘が建設されるようになる。1902年(明治35年)には江ノ電も開業、大正時代に入ると路線バスも開通し、交通の利便性が高まる。

1915年(大正4年)7月15日には、海水浴場が町営となり、これに伴い由比ヶ浜も発展していく。1934年(昭和9年)には「鎌倉カーニバル」、戦後の1949年(昭和24年)には「鎌倉花火大会」もスタートし、鎌倉の街全体で夏とビーチを楽しむことが一般化し始める 。

1952年昭和27年)8月17日、神奈川県地区労働組合らが主催する第一回「海の平和祭」が由比ヶ浜海岸で開催された[7][8]。恒例行事鎌倉カーニバルの最終日でもあったことから、混乱を恐れた警察は市内に検問所を設けるなどの厳重警戒体制を敷いた[9]。会場では水中騎馬戦、コーラス、人形劇などのレクリエーションを行い、再軍備反対や朝鮮戦争への派遣反対などを訴えた[10]。海の平和祭はその後も毎年夏に行われ、特に1950年代後半から60年代にかけ、原水爆禁止を求める国際的な運動の高まりもあり、毎年数千人~数万人が参加する盛大なイベントとなった[11][12][13][14]

1953年(昭和28年)8月9日、海岸に海上保安庁ヘリコプターが墜落して、乗員と海水浴客2人が死亡する出来事もあったが、国道134号線が開通したこともあり、海水浴客は毎年記録更新され、1964年(昭和39年)にはおよそ415万人を記録。自家用車、オートバイと移動手段も増え、多くの人が由比ガ浜を楽しむようになった。

2013年平成25年)には鎌倉市が海水浴場の命名権を売りに出し[15]、「鳩サブレー」で知られる地元の菓子店・豊島屋が10年契約で権利を購入したが[16]、「親しんだ名を変えたくなかった」として名称変更を行わず従来の名称を維持している[17]

2018年(平成30年)8月5日、シロナガスクジラの死骸が打ち上げられているのが発見された。体長10 メートルほどの本年生まれの子どもでオスと見られている。シロナガスクジラはアジアでは絶滅したとされており[18]、本種が日本列島の海岸に打ち上げられ、生物学的な調査ができるのは初めてであり、調査のために国立科学博物館が引き取ることになった[19]。なお、三浦半島は東日本では数少ない組織的な古式捕鯨が行われていた地域でもあり[20]、アシカ猟も盛んだった[21]ことからも、由比ヶ浜も本来はクジライルカニホンアシカや人間の生息地であったと思われる(「三浦半島#自然環境」を参照)。

町名の由比ガ浜

[編集]
日本 > 神奈川県 > 鎌倉市 > 由比ガ浜
由比ガ浜
町丁
地図北緯35度18分48秒 東経139度32分44秒 / 北緯35.313325度 東経139.545533度 / 35.313325; 139.545533
日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川
市町村 鎌倉市
地域 鎌倉地域
人口情報2023年令和5年)9月1日時点[22]
 人口 4,509 人
 世帯数 2,195 世帯
面積[23]
  0.63 km²
人口密度 7157.14 人/km²
郵便番号 248-0014[24]
市外局番 0467(藤沢MA[25]
ナンバープレート 横浜
ウィキポータル 日本の町・字
神奈川県の旗 ウィキポータル 神奈川県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
テンプレートを表示

由比ガ浜(ゆいがはま)は鎌倉市の鎌倉地域にある地名。現行の行政地名は由比ガ浜一丁目から四丁目。住居表示実施済み区域[26]

歴史

[編集]
  • 1964年(昭和39年)10月1日:住居表示実施に伴い、由比ガ浜二丁目 - 四丁目を設置。
  • 1965年(昭和40年)2月1日:住居表示実施に伴い、由比ガ浜一丁目を設置。
高砂海浜住宅地

由比ガ浜二丁目には、松方正義が晩年暮らした4000の「鶴陽荘」があったが、没後に松方家の所有を離れ、1937年に2600坪が13区画に分割されて「高砂海浜住宅地」として分譲された[27]。敷地内には、松方家の屋敷神であった高砂稲荷が現存する[27]

地価

[編集]

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日時点の公示地価によれば、由比ガ浜2-24-8の地点で39万6000円/m2となっている[28]

世帯数と人口

[編集]

2023年(令和5年)9月1日時点(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[22]

丁目 世帯数 人口
由比ガ浜一丁目 523世帯 1,000人
由比ガ浜二丁目 873世帯 1,768人
由比ガ浜三丁目 416世帯 859人
由比ガ浜四丁目 383世帯 882人
2,195世帯 4,509人

人口の変遷

[編集]

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[29]
3,989
2000年(平成12年)[30]
3,971
2005年(平成17年)[31]
4,163
2010年(平成22年)[32]
4,367
2015年(平成27年)[33]
4,611
2020年(令和2年)[34]
4,563

世帯数の変遷

[編集]

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[29]
1,566
2000年(平成12年)[30]
1,634
2005年(平成17年)[31]
1,808
2010年(平成22年)[32]
1,957
2015年(平成27年)[33]
2,134
2020年(令和2年)[34]
2,134

学区

[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年7月時点)[35][36]

丁目 番地 小学校 中学校
由比ガ浜一丁目 全域 鎌倉市立御成小学校 鎌倉市立御成中学校
由比ガ浜二丁目 全域 鎌倉市立第一小学校 鎌倉市立第一中学校
由比ガ浜三丁目 全域
由比ガ浜四丁目 全域

事業所

[編集]

経済センサス調査による2021年(令和3年)時点の事業所数と従業員数は以下の通りである[37]

丁目 事業所数 従業員数
由比ガ浜一丁目 86事業所 430人
由比ガ浜二丁目 125事業所 1,298人
由比ガ浜三丁目 88事業所 556人
由比ガ浜四丁目 33事業所 349人
332事業所 2,633人

事業者数の変遷

[編集]

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[38]
330
2021年(令和3年)[37]
332

従業員数の変遷

[編集]

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[38]
2,061
2021年(令和3年)[37]
2,633

その他

[編集]

日本郵便

[編集]

交通

[編集]

登場作品

[編集]

アニメ・漫画

[編集]

音楽

[編集]

参考文献

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 鎌倉市/8 由比ケ浜海岸
  2. ^ かまくらキッズページ > 中学生ページ > 町名一覧:由比ガ浜 ゆいがはま 鎌倉市役所(2024年5月1日閲覧)
  3. ^ 鎌倉市教育委員会 2001 p.3
  4. ^ 鎌倉歴史文化交流館 2021 pp.26-27
  5. ^ 鎌倉市教育委員会 1998 pp.10-11
  6. ^ 鎌倉市教育委員会 2003 pp.5-6
  7. ^ “きのう・二つの海の祭典 “ミス”に挑む“赤旗” カーニバルと平和祭り 鎌倉20万の人出”. 神奈川新聞. (1952年8月18日) 
  8. ^ 鎌倉平和推進実行委員会, ed (2019). 伝えたい平和への願い―平和都市宣言60周年記念誌. 鎌倉平和推進実行委員会、鎌倉市文化人権課. p. 7 
  9. ^ “検問所を設け警戒 きょう日共・海の平和祭”. 読売新聞. (1952年8月17日) 
  10. ^ 『画報現代史 : 戦後の世界と日本 第13集 (1952年7月-1953年1月)』国際文化情報社、1955年、877頁。 
  11. ^ “海の平和祭 3万人が集まる”. 読売新聞. (1957年8月11日) 
  12. ^ “海の平和祭開く”. 読売新聞. (1959年8月16日) 
  13. ^ “鎌倉で海の平和祭”. 読売新聞. (1961年8月6日) 
  14. ^ “海の平和祭 鎌倉で核実験反対に五千人”. 読売新聞. (1962年8月12日) 
  15. ^ “海水浴場のネーミングライツ、スポンサーを募集/鎌倉”. 神奈川新聞. (2013年4月4日). オリジナルの2021年3月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210309041229/https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-114104.html 2021年3月9日閲覧。 
  16. ^ “鎌倉の海水浴場、鳩サブレー老舗・豊島屋が命名権者に/神奈川”. 神奈川新聞. (2013年5月16日). オリジナルの2021年3月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210309041044/https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-115525.html 2021年3月9日閲覧。 
  17. ^ “海水浴場名は変えず 命名権で豊島屋「市民の親しみ」優先”. 神奈川新聞. (2014年5月16日). オリジナルの2020年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201204145759/https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-47352.html 2021年3月9日閲覧。 
  18. ^ 宇仁義和『戦前期日本の沿岸捕鯨の実態解明と文化的影響―1890-1940年代の近代沿岸捕鯨』(東京農業大学、2019年)87頁
  19. ^ 漂着したのはシロナガスクジラだった!国内で初 神奈川 鎌倉”. NHK NEWS WEB(日本放送協会). 2018年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月6日閲覧。
  20. ^ 河野博『東京湾の魚類』(平凡社、2011年)323頁
  21. ^ 中村一恵三浦半島沿岸に生息していたニホンアシカについて」(PDF)『神奈川県立博物館研究報告. 自然科学』第22号、神奈川県立生命の星・地球博物館、1993年1月、81-89頁、CRID 1520853833567161472ISSN 045319062024年6月28日閲覧 
  22. ^ a b 町丁字別・地域別人口と世帯数(国勢調査基準・各月・平成13年~)” (XLSX). 鎌倉市 (2023年9月12日). 2023年9月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  23. ^ 令和4年(2022年)版 鎌倉の統計” (PDF). 鎌倉市. 2023年8月14日閲覧。(CC-BY-4.0)
  24. ^ a b 由比ガ浜の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月9日閲覧。
  25. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  26. ^ 鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
  27. ^ a b 竹内正浩『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』(実業之日本社、2017年)「第一章 松方正義」
  28. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2023年8月9日閲覧。
  29. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  30. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  31. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  32. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  33. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  34. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  35. ^ 鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
  36. ^ 鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
  37. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  38. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  39. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]