俵町 (名古屋市)
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俵町 | |
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北緯35度11分18.9秒 東経136度53分34.59秒 / 北緯35.188583度 東経136.8929417度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 西区 |
町名制定 | 1878年(明治11年)12月28日[1] |
町名廃止 | 1980年(昭和55年)10月12日[1] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052 |
ナンバープレート | 名古屋 |
俵町(たわらまち)は、愛知県名古屋市西区の地名。1980年(昭和55年)、同区城西三丁目に編入され、消滅[1]。
地理
[編集]東は樋ノ口町2丁目、西は江川端町、南は紙漉町・江中町・鷹匠町・樋ノ口町、北は前ノ川町に接していた。東から1丁目から3丁目まで存在した。
学区
[編集]- 高等学校 - 尾張学区
- 中学校 - 名古屋市立浄心中学校
- 小学校 - 名古屋市立城西小学校
人口
[編集]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 171人[2] | |
1955年(昭和30年) | 312人[2] | |
1960年(昭和35年) | 375人[3] | |
1965年(昭和40年) | 431人[3] | |
1970年(昭和45年) | 322人[4] | |
1975年(昭和50年) | 378人[4] |
歴史
[編集]地名の由来
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
沿革
[編集]- 1878年(明治11年)12月28日 - 従来の巾下袋町を改称し、名古屋区俵町となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市俵町となる[1]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 西区成立に伴い、同区俵町となる[1]。
- 1942年(昭和17年)5月20日 - 一部が西区樋ノ口町に編入される[1]。
- 1980年(昭和55年)10月12日 - 住居表示の実施に伴い、西区城西三丁目に編入され、消滅[1]。
施設
[編集]- 名古屋市立城西小学校[5]
出身の人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 名古屋市計画局 1992, p. 757.
- ^ a b 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 76.
- ^ a b 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 71.
- ^ a b 名古屋市総務局統計課 1977, p. 44.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 819.
- ^ 日外アソシエーツ 2020, p. 1283.
参考文献
[編集]- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。
- 日外アソシエーツ 編『愛知県人物・人材情報リスト 2021(第3巻)』日外アソシエーツ、2020年10月。
関連項目
[編集]前ノ川町 | ||||
江川端町 | 樋ノ口町2丁目 | |||
俵町 | ||||
紙漉町・江中町・鷹匠町・樋ノ口町 |