別府町 (宮崎市)
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別府町 | |
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北緯31度54分39.3秒 東経131度25分40.9秒 / 北緯31.910917度 東経131.428028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮崎県 |
市町村 | 宮崎市 |
地区 | 中央東地域自治区 |
設置日 | 1927年(昭和2年) |
人口 | |
• 合計 | 226人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
880-0802[2] |
市外局番 | 0985[3] |
ナンバープレート | 宮崎 |
別府町(べっぷちょう)は、宮崎県宮崎市の町名である。郵便番号は880-0802[2]。住居表示実施地域である[4]。
概要
[編集]別府町は、宮崎市の町名の一つであり、中央東地域自治区に属している。北は道路を挟んで広島2丁目、東は南北に通る県道341号線を挟んで老松1丁目、南は宮崎県庁に通じる道路を挟んで旭2丁目、西は道路を挟んで宮田町に接している。
栄町街区公園には、明治・大正期に宮崎県の文化の発展に寄与し、盲人教育にも尽くしたアメリカ宣教師サイラス A. クラークの胸像がある。また、町内に彼の名をとったクラーク通りが存在する[5]。
北を広島2丁目、東を老松2丁目、南を旭2丁目、西を宮田町と接する。
歴史
[編集]別府町が設置されたのは、1927年(昭和2年)であり、それまでは、宮崎市上別府の一部であった。1960年(昭和35年)時では、世帯数155世帯、 人口625人であった。1966年(昭和41年)第1次住居表示実施により、別府町は、橘通東1~5丁目・広島1~2丁目・宮田町となり、宮田町1~2丁目・栄町・老松通1~2丁目の各一部が別所町となった。
年表
[編集]- 1887年(明治20年)7月 - 日本基督教団宮崎教会が創立される[6]。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制により、宮崎郡宮崎町上別府の一部となる。
- 1909年(明治42年)- 共愛幼稚園の設立認可がおりる[7]。
- 1924年(大正13年) 4月1日 - 宮崎市の設置により、宮崎市上別府の一部となる。
- 1927年(昭和2年)- 別府町が設置される。
- 1941年(昭和16年)3月14日 - 日本赤十字社宮崎支部が現在地に移転[8]。
- 1966年(昭和41年)- 第1次住居表示実施により別府町の区域が変更される。
- 2008年(平成20年)- 宮崎法務総合庁舎が完成する[9]。
世帯数と人口
[編集]2022年(令和4年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
別府町 | 117世帯 | 226人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 宮崎市立宮崎小学校 | 宮崎市立宮崎中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]町域内に鉄道駅は設置されていない。最寄駅はJR九州宮崎駅である。
バス
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道路
[編集]施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数”. 宮崎市. 2022年2月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “住居表示地区内の新築届 - 宮崎市 [Miyazaki City]”. 宮崎市[Miyazaki-city]. 2023年7月13日閲覧。
- ^ 歴史資料文書新着情報「サイラス A. クラーク氏関係の歴史資料文書」
- ^ 宮崎教会ご案内
- ^ 共愛幼稚園歴史
- ^ 日本赤十字社宮崎支部沿革
- ^ 宮崎法務総合庁舎
- ^ “宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則”. 宮崎市. 2022年2月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川書店『角川日本地名大辞典』 45巻(初)、角川書店、東京都〈宮崎県〉、1986年10月。ISBN 978-4-04-622963-2。