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利用者‐会話:胡亂堂/第1蔵

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平成21戊子年(平成20年(JST))から平成24辛卯年6月30日(平成23年7月30日(JST))までの私信


天つ罪・国つ罪[編集]

あなたが天つ罪・国つ罪を構成する個別の罪として単独で立項された、胡久美死膚断生膚断糞戸逆剥串刺頻播樋放溝埋畔放、並びに編集対応した生剥の各記事は単独で記事化して拡張性が見込める内容が無いので、天つ罪・国つ罪での記述を拡張して対応してください。--Dvorak2008 2008年11月24日 (月) 03:26 (UTC)

著作権法に関して[編集]

利用者‐会話:ZCU#著作権問題について教えて下さいを拝見しました。

横槍ではありますが、胡亂堂さんの著作権法の無理解が、はなはだしいといわざるを得ないように思います。Wikipedia:削除依頼/岡崎天満宮で問題となっているのは、「転載」されたとする比較的短い文章の創作性の有無であって、いっぱんにWebサイトがどうであるか、どのように利用するのかということは関係がありません。また、その比較的短い文章そのものについて創作性を判断するべきであって、「わずか1・2行では判断できない」ということを結論としては、議論が全て水泡に帰してしまいます。

我田引水に自分の考えにひきつけるのではなく、Wikipedia‐ノート:削除依頼/岡崎天満宮利用者‐会話:ZCU#著作権問題について教えて下さいで説明されていることを、きちんと理解するように努めていただければ幸いです。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月9日 (月) 10:55 (UTC)

  • 我田引水かもしれませんが、自分なりに理解して、要約した結果なのですが、む~、違ったのか・・・頭悪くて申し訳ありません。
    どこをどのように判断すべきだったのか、今般の件に即してご教導賜りたいところですが、お手とお時間をお割きいただくのも申し訳無い限りですので、今後は依頼の対象にならない限り、削除問題には関わらないようにします。もしも時間的・精神的な余裕があり、教えて下さるならば、これに過ぎる幸いはございませんので、その折にはよろしくお願いします。--胡亂堂 2009年3月9日 (月) 12:20 (UTC)
著作権違反というのは、著作があって、著作があって、侵害があって、はじめて成立します。存在しないものは、侵害しようがないからです。そのため、著作権侵害を考える場合は、基本的には、最初に著作物性の有無を考え、次にその著作物の著作権者と著作権の存続期間などを考え、それから侵害の有無を考えます。
(「著作物」というのは馴染みのない言葉だとは思いますが、ある表現・記述が著作物であるかどうかという性質をいいます。)
そして、著作物性の有無とは、少なくとも日本法では、表現上の創作性の有無で決まります(著作権法2条1項1号)。つまり、著作権侵害について考える場合は、いちばん最初に表現上の創作性の有無を考え、それがないとなればそれ以上は何も考える必要がない、というのが基本的な理屈です。
実際上は、かりに著作物であっとしても… という議論の組み立てをする場合もありますし、著作物性が明らかなのであえて言及しないということもありえますが、Wikipedia:削除依頼/岡崎天満宮で提起された問題は著作性の有無なのですから、基本に立ち戻ってその順序を意識する必要があります。
まず表現上の創作性の有無を考えるべきである、ひとまずそれ以外は何も考える必要がない、ということはご理解いただけたでしょうか。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月16日 (月) 10:24 (UTC)--下線部加筆、取消線部取消。--2009年3月18日 (水) 12:43 (UTC)
著作物とは具体的にどういうものかといえば、たとえば小説がそれにあたります。しかし、三巻本の小説があったとして、そのうちのひとつの巻は著作物ではないのだろうか、あるいはその小説の中のひとつの章は著作物ではないのだろうかと考えれば、それらも(通常は)著作物です。さらには、その小説の中の一文だけでも著作物になる可能性があります。つまり、三巻本の小説は全体として著作物であり、その一部である一文も単独で著作物でありえます。
もし、ある小説のなかの一文が単独で著作物であるのであれば、それは著作権法の保護を受けます。しかし、それは著作物の一部であるから保護を受けるというよりも、その一文自体が独立して著作物であるから保護を受けるわけです。 逆に、もし、その一文が著作物ではないのであれば、全体としては著作物である小説の一部であっても、その一文は著作権法の保護を受けません。トートロジーじみた繰り返しで恐縮ですが、その一文が著作物ではないからです。
ですから、Wikipedia:削除依頼/岡崎天満宮の場合は、転載として問題となった二三文が単独で著作物であるか、つまり著作権法の保護を受けるだけの創作性があるかないかだけが問題になります。そのほかの一切のことは、ひとまず関係ないのです。Wikipedia‐ノート:削除依頼/岡崎天満宮利用者‐会話:ZCU#著作権問題について教えて下さいではいろいろなことが言われていますが、それは、転載として問題となった二三文に創作性があるかという一点だけが問題となっており、それに創作性を認める、あるいは認めないということの根拠として言われているに過ぎません(著作権法に関する限りでは)。
このことをふまえて、Wikipedia:削除依頼/岡崎天満宮Wikipedia‐ノート:削除依頼/岡崎天満宮利用者‐会話:ZCU#著作権問題について教えて下さいを読み返していただけると幸いです。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月18日 (水) 12:43 (UTC)
  • ご丁寧にありがとうございます。実は上記拙文及び要約欄の記述がものすごく礼を失していることに気づき、呆れるばかりであります。訂正を試みた折しも、競合してしまったようです。改めてお詫び申し上げますと供に、お教え戴きました点をこれから熟読させて戴きます。--胡亂堂 2009年3月18日 (水) 12:55 (UTC)

氏族の表記[編集]

ウィキペディアでは、地域の氏族の名称は、国名(地域名)氏族とするのが慣行です。佐伯氏 (豊後)ではなく、豊後佐伯氏とするのが妥当です。ほかの例を参照ください。どうしても、佐伯氏(豊後)の表記にこだわるのであれば、投票の申し立てをして、慣行の変更(または例外)を公認させるのが妥当かと思います。--今泉総一郎 2009年3月23日 (月) 22:21 (UTC)

滝尻王子より[編集]

こんばんは。ikedat76です。

滝尻王子に加筆いただきありがとうございます。ちょっと質問をさせてください。インフォボックス中に例祭の日付と本殿の様式を加筆していただきましたが、どういう情報源に基づくものなのか教えていただけますでしょうか。

どうも何かと立て込んでいるところのようで恐縮ですが、よろしくお願いいたします。--ikedat76 2009年3月28日 (土) 15:00 (UTC)

  • 参考文献を掲げようかと思ったのですが、もうちょっと加筆できるかなと思って、その時にしようと横着してしまいました。すみません。例祭日と社格は例によって白水社『日本の神々』です(第6巻紀伊他 ISBN 978-4-560-02506-2)。本殿はこの写真を見て、梁間2間だから多分桁行き3間だろうと憶測を働かせてしまいました(屋根もです・・・)。これも後日ご祭神調査と併せて確認しようと企んでおりましたが、不確実なので削除しておきます。--胡亂堂 2009年3月28日 (土) 15:17 (UTC)

ご回答くださりありがとうございます。『日本の神々』という手がありましたか(思いつかなかった…)。九十九王子の祭神は確かに調べるのが難しいですね。九十九王子の記事全て作成を目指していますが、なかなか祭神まで特定できる社は少ないです。何かいい資料がありましたらお声かけて下さるとうれしいです。それではまた何かの機会に。--ikedat76 2009年3月28日 (土) 17:17 (UTC)typo--ikedat76 2009年3月28日 (土) 17:17 (UTC)

新着項目について[編集]

こんばんは。Portal:神道/新着項目について、私が見落としてしまった項目を追加していただきありがとうございました。今後、新着項目の更新をする際には見落としがないように気を付けることにします。リダイレクト解除で作成された項目は気付きにくいので特に注意しないと・・・--まさふゆ 2009年7月9日 (木) 16:17 (UTC)

「飯道」神社[編集]

こんにちは、ikedat76です。ご無沙汰しております。掲題の件、まずは加筆いただきありがとうございます。

さて加筆していただくにあたり、読みを「はんどう」を除去し、「いひみち」のみに編集していただきました。「いひみち(いいみち)」は『延喜式』にある読みで、滋賀県神社庁が採用していることや谷川氏が採っていることを根拠にされたのかと思います。

しかしながら、「はんどう」の読みは、文献としてあげた平凡社の寺院寺社事典、角川の地名辞典のいずれも飯道を「はんどう」と読むとしていること、地元の自治体のページ小学校のサイトでも「はんどう」と読ませていることから、一般的に定着したものであると判断したものです。したがって、少なくとも誤りではないと考えられるため、完全に除去するという判断には残念ながら同意致しかねます。

以上から、併記にあらためましたのでご了承ください。さらなる議論が必要とお考えでしたら、ノート:飯道神社にて伺いたく存じます。以上、よろしくお願いいたします。--ikedat76 2009年9月19日 (土) 04:30 (UTC)

確かにそうですよね。うっかりしてしまい、申し訳ありませんでした。--胡亂堂 2009年9月19日 (土) 08:16 (UTC)

Category:日本の神の議論について[編集]

どうもです、月下薄氷です。現在「Category:日本の神」のノートで行われている議論についてなのですが。

胡亂堂さんの言われる≪…その対象なのですが、縦へある文献においては「『○○』など」という例示にすぎないものであったとしても、その「など」についてはStella maris 様は演繹不可と仰有っている≫という場所がよくわからなかったものですから、的外れなことを言ってしまったなら謝ります。

≪「何を以て日本神話とするか」は畢竟「神話の定義をどうするか」にかかっており…≫はそのとおりだと思いますが、≪…従いまして後者において演繹が不可ならば当然前者においても不可にならざるを得ないのではないでしょうか?≫とおっしゃるのがよくわかりません。要するに(?)、今までの議論で、胡亂堂さんの中では、演繹の前提となる一般的な神話の定義の形成がやっぱり未だに不可能だ、ということでしょうか(それはそうなんだと思いますが)。

ここに誤解はないと思いますがStella marisさんは演繹的な考え方自体を批判しているのではありませんよ。演繹的な考え方を行うさいの前提(この場合、一般的な神話の定義)がおかしいのではないかと言っておられるのでは。(実際のところ演繹だとかはよく分からないのですが、表の議論で胡亂堂さんのおっしゃってることや、挙げられている例はちょっと特殊なものに思われ、それをもとに議論しておられるのでむしろ帰納のようにも思われますが)。…やっぱり的外れでしたらすみません。--月下薄氷 2009年10月15日 (木) 05:07 (UTC) 

  • ご丁寧にありがとうございます。熟々考えるに、問題点を析出し、かつうは当方の意図を鮮明にすべく挙げた例が極端すぎて問題があったようですね(極端な例示は有効だとは思うのですが)。んで、その極端な部分に関する当否へと議論が逸れてしまってる気がしたのと、「文献のちゃんぽんはいけませんよ」と言われた(気がする)もので、「あ~そうですか。んじゃこういうことっすね」と向きになってしまったようです(もっとも結局はああいうことにならざるを得ないなぁとも思いますので、論点をはっきりさせる意味では良かったかも知れません)。いづれ向きになった事は反省の材料ですので、猛省するとともに頭の冷却期間を設けている次第であります。--胡亂堂 2009年10月17日 (土) 09:38 (UTC)
胡亂堂さんの挙げられる疑問は、Stella marisさんはどうかわかりませんが、当方としては簡単に答えられないものが多く、返答を用意する前に議論が進んでしまったりして、なおざりになってしまった部分も多いので、全てではないですが、そのうちのいくつかについて、迷惑でなければこの場を借りて述べたいと思っているのですが、いかがでしょうか。自分自身、いくつかの不用意な例示で胡亂堂さんを混乱させてしまったようにも思いますので。落ち着いて丁寧に述べることは心がけますが。「Category:日本の神」のノートがこれ以上長大になってしまうのも気が引けますし(胡亂堂さんが満足・納得されるかはわかりませんが)。--月下薄氷 2009年10月18日 (日) 09:08 (UTC)
  • 当方へのご回答の前に議論が進んでしまったとのこと、自らの拙速さ加減を鑑みるにお詫びの仕様もございません、すみませんでした。お申し出の件、ありがたく重ねて御礼申し上げます。こちらにてのご表明は一向に構いませんが、もし当該議論における本論に関するものであるのなら、Stella maris 様や 暗黒な方 様も参加されておりますので(提案者様はどうしたんだろ?)、やはり当該議論の場の方がいいのではないかとも思います。枝論で膨らむのは困りものですが、そちらはサブページが出来ましたし、本論部分なら長大になるのも已むを得ないかと。もちろん、この場でのご回答を阻むものではございません。--胡亂堂 2009年10月19日 (月) 11:59 (UTC)
お互いさま、というところではないでしょうか。たぶん二次的な議論・話題になると思われますが、もし、お互い何か得ることがありましたら本来の議論の場にフィードバックする、ということで。--月下薄氷 2009年10月21日 (水) 09:30 (UTC)
  • インドの宗教について。
詳しく説明せず不用意に例示してしまったことは悔んでおります。胡亂堂さんを混乱させてしまったとしたらなおさらです。そこで簡単ですが解説を。もともと古代インドの宗教は、特権階級のバラモンが独占しており、神々もバラモン階級にとって重要なものばかりでした。しかしその宗教は仏教などの台頭に圧迫され、民衆の熱狂的な信仰を受け入れることでヒンドゥー教という、より民衆的な大宗教へと発展を遂げ、地域的、土俗的な神々が台頭しました(例:ジャガンナート)。この大きな2つの段階はインド神話の関連書ではたいてい解説され、そのためか、インドの神々に関して2つのカテゴリがあります(ただし区別は、やや曖昧)。一方、日本の神道はインドとは反対に仏教に影響を受けて発展しました。日本の宗教儀礼は『延喜式』の規定にみるような宮廷貴族主体の国家神道でしたが、それは民衆の信仰の要望に応えられず、より民衆のための宗教や神々に変貌していきました(『神道集』解説を参考)。
少なくともここまで述べたうえで、古代インドの神も古代日本の神も特権階級的な人々の神が中心であったとし、ヒンドゥー教の神々と古代インドの神々とが区別しうるように、日本の神も古代神話の神と中世信仰の神で区別しうると述べたなら、もう少し説得力が出ていたかな、と思いました(恥ずかしながら、発言したときはそこまで考えていませんでした)。--月下薄氷 2009年10月21日 (水) 09:30 (UTC)
  • 9月25日の、宮廷神話がより古くからの伝統的な物語と言えるのかどうかについて。
『記紀』神話がおよそ現在の形にまとめられたのは6世紀頃、継体天皇~欽明天皇の頃と言われるようです。上田正昭氏は記紀神話の形成時期について、仁徳天皇、継体天皇、推古天皇、天武天皇の4つの時代を挙げ、たとえば国生み神話は形成される国土が西日本を中心であることから東日本に支配が及ぶ以前の仁徳天皇の頃に形成されたとしています。また天孫降臨神話に大伴氏の伝承がみられるのは継体朝の反映とし、推古天皇の頃には蘇我氏の伝承が神代に入り込む余地がないほど完成されていたとしています(岡田精司氏も似たような意見)。神代の形成で、最も重要な時期を天武朝以降とする説も多いようですが、それらは中国の思想を重視する説や、天孫降臨が持統天皇から文武天皇への継承を反映しているといったもので、日本神話の原古の本質的な形成とはあまり関係ない学説であるようです(参考:三宅和朗『記紀神話の成立』p.2~5 )。すると『古事記』成立が8世紀初頭ですから、ある程度は伝統性を認めることが出来るのではないでしょうか。--月下薄氷 2009年10月21日 (水) 09:30 (UTC) 一部訂正しました。--月下薄氷 2009年10月21日 (水) 09:39 (UTC)
  • 西郷氏の見解について。
「Category:日本神話の人物」までさかのぼりますが、西郷氏が述べているのは『古事記』とはどんな文献なのか、について述べた作品論の性格が強いと感じます。つまり氏は『古事記』の持つ性格について考察された結果を端的に言い表す言葉として「神話」という語を選択されたのではないでしょうか。そのこと自体は変ではないと思います。しかしそれは『古事記』全体の性格を捉えてのことですから、様々な文献に部分的に現れる神話群の性格を捉える際には適さない点があるのではないでしょうか。とはいえ未読だし、自分自身この問題については混乱気味なのでこれ以上は言えないですが、もし角川の『世界神話事典』で源義経が紹介されているという発言も影響していましたら、申し訳なかったです(あれは良い例として述べたのではなかったのです)。--月下薄氷 2009年10月22日 (木) 09:03 (UTC)
  • 9月30日の、アキレウス、アガメムノンetc…が世界の始原とどう関係があるか、について。
関係はないです。原初以来の神話体系と同一の世界観を共有しているとは思いますが。9月24日以来、G・S・カークを参考に神話の定義について発言しましたが、あれらは大まかなものであって神話全てに当てはまるとは思ってはおらず、実際、カーク氏の基本姿勢が神話の多様性を認めるの一言に尽き、とりあえずあのように言っているにすぎません。氏はトロイア戦争も準歴史的性格から、大まかに神話をとらえようとする定義の段階では、一般的な神話とは区別しておいた方がよいと述べています。振り返ると、実際には文学、宗教、歴史、社会などの要素の複合体である神話について、ムキになって定義を主張しようとしすぎたように思いました(スミマセン)。中世信仰の神についても一方的に排除したいのではありません(自分も神話物語が好きな人間なので『神道集』も嬉々として読んだものでした)。単に一般的な日本神話の範疇と比較して、よりふさわしいカテゴリがあるのではないかと言いたいだけでした。--月下薄氷 2009年10月22日 (木) 09:03 (UTC)
とりあえずはこんなところです。長々とすみません。もし何かありましたら当方の会話ページにお知らせください。--月下薄氷 2009年10月23日 (金) 21:04 (UTC)
  • いえいえ、ありがとうございます。せっかくですので弁明を兼ねた愚見開陳をば(ここでいいのかな?)。
    私も記紀神話に代表される宮廷神話について、これが古くからの伝統的な神話であることを否定するつもりはございませんし、古代神話の神とそれ以降の神話体系の神とを区別する必要はあろうかとも思います。但し、だからといって古代神話以外の者を「日本神話の神」から排除する理由が分からないのみならず、8世紀という特定の時点で幸運にも偶ま採録されたもののみが「日本神話」に値し、不幸にもそれから洩れたかもしれないものを排するのはどうかなとは相も変わらず思っております。もっとも、採録されていない以上それが「偶ま洩れたもの」かどうかは証明しようもないのですが、少なくも縦い後世採録の者であっても内容から「神話」と判断し得る者があるのではないかという想いは強いです(個別に「○○は神話だよ」という文献を示し得ない者もありそうなので、それだと結局「演繹的~」って非難されるんでしょうね…)。
    そしてその場合、神話が世界の成り立ちを説明する、或は世界の始原を叙べるものであろう点は了解しておりまして、ただその「世界」は天地創造なりでできた世界に限らず、ある家族・氏族・民族などの共同体というより狭い「世界」についてその起源を語る者でもいいんだなとの理解を得られた訳です(「かて:日本神話の人物」論争において啓発されました、改めて御礼を)。で、ギリシヤだと至原ではないにせよ縦いばホメロスの時代におけるギリシヤ人世界に至るある過程を語る物語も充分神話に含まれ得るし、吾邦だと天武・持統両天皇時代における現実(それが宮廷という狭い世界だとしても)に至る過程を語る者も神話になるんだなと(さもなくんば、諾册二尊の国生み・神生みで「神話」は終わりでしょうし、二尊でもって「日本神話の神」も打ち止めとなろうかと)。要は神話的発想で神話的に語られた者が神話なのだと(因みに、西郷先生説は確かに作品論かもしれませんが、「神話的に語るとはどういうことか」「神話とは何か」についての見解を基礎に、それを踏まえて自説(同じ事象を神話的に述べた者が『古事記』であり歴史的に述べた者が『日本紀』であるとの説)を展開していますので、本論の本質に拘わる点大であろうかと思います)。つまりは、時代を限定せずに「神話」とされるものを「神話」としてもいいのではなかろうか、と。
    最後に1点。私の場合再三再四述べますが、「一般的な日本神話」の範疇と比較して、記紀神話のみを対象とする者を設けるのであれば「よりふさわしいカテゴリ」があるのではなかろうか、少なくも「日本神話の神」だと該当しない神を排除する積極性に欠けるのではなかろうか、と言いたかっただけなのですが、時間もなくしんどいのでこれ以上の主張は控えようかと思います。(おまけ:中世神話や『神道集』について。実は、とくに評価しようつもりはないのです。正直ああいった理屈ぷろぱーなものや「本地もの」系は苦手でして、前者は敬してこれを遠避け、後者はどちらかと言うと読むのは苦痛だったな~ということを告白しておきます)。--胡亂堂 2009年10月24日 (土) 15:13 (UTC)
中世以降の伝承が区別されるわけを考えてみたのですが、中世信仰の神は主に祭神の名ではなく神社名で呼ばれますよね。この神社名で呼ばれる神の伝承を、その神社で祭祀されている(『記紀』神話の、あるい古代神話的な名前の)神に本来的な伝承として還元できるのでしょうか。これは有名な古社でないとあまりないように思いますが。というのは祭神については後世の付会があるからです。これは古代と中世以降を区別する理由にはなりませんかね。--月下薄氷 2009年11月5日 (木) 08:17 (UTC)
と申しますか、やはり問題は「日本神話」は固有名詞(乃至はそれに准じるもの)なのか、それとも一般名詞なのか、に帰着しますね。ご承知の通り私は後者の立場でして、畢竟は 月下薄氷 様の掲げられた点についてもそれらを「日本神話」から排するのはいかヾか? というのが拙論の要です。縦い本来的な伝承に非ざる頭でっかちな理論に基づくだけのものでも、それが或範囲で共感を得られたものであり、現代において例えば「中世神話」という風に「神話」と呼ばれる以上は、「日本の神話」であり、従って「日本神話」だと思います。--胡亂堂 2009年11月6日 (金) 08:42 (UTC)
というか、排しようなどとは思っていませんし、広義には含むという類のことも何回か言っていると思います。しかしそのことと、一般的な知識が示される場において表示される項目とは異なるはずです。「日本神話」とか「日本の神話」などの言葉をタイトルに持つ書籍や事典ないし百科事典の項目などでどの程度中世神話が扱われているかを見たとき、扱われないとすればそれなりの理由はあるでしょう。--月下薄氷 2009年11月8日 (日) 06:28 (UTC)

Portal:神道/注目の神社[編集]

こんばんは。Portal:神道/注目の神社について、うっかりしておりました。ノートのチェックと過去ログへの追加ありがとうございます。--まさふゆ 2009年11月30日 (月) 12:41 (UTC)

ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、以前お助けいただき感謝しております。これからも度々お世話になろうかと思いますが、その折には何卒よろしくお願いします。--胡亂堂 2009年11月30日 (月) 13:11 (UTC)

酒折宮記事への加筆[編集]

始めまして。酒折宮記事への加筆、脚注及びリンク等ありがとうございました。おかげさまで体裁が整い読みやすくなりました。感謝いたします。これからもどうぞよろしくお願いします。--さかおり 2009年12月6日 (日) 09:23 (UTC)

ご丁寧にありがとうございます。大した加筆ではありませんので恐縮しております。こちらこそ宜しくお願いします。--胡亂堂 2009年12月7日 (月) 12:43 (UTC)

記事のスタイルについて[編集]

いつもお世話になっております、ikedat76です。活発な執筆活動、お疲れ様です。

記事のスタイルについて幾つか申し上げたいことがあり、参りました。

  • Wikipedia:レイアウトの指針という文書があるのをご存知でしょうか。記事の構成に関する推奨事項をまとめたものですが、それによると、脚注 → 参考文献 → 関連項目 → 外部リンクの順がいちおう標準となっています。胡亂堂さんの起稿された記事の中にこの順番と相違するものが散見されますので、一度ご参照いただければと思います。
  • 神社記事の冒頭の定義で例えば「~に鎮座する旧村社」のような形にするのはあまり感心しないと思いました。胡亂堂さんやその他神社に詳しい方、あるいは私であれば近代社格制度における社格が書いてあっても神社のことだとわかります。しかし、神社に詳しくない人が見て分かるのだろうか、というところで素直に「~に鎮座する神社」とした方が良いのではないかと思った次第です。
  • 記年法について、Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間にある通り「西暦が原則で元号の併記可」というのが、現行のスタイルであることはご存知のところと思います。ただ、日本史の記事でそれをやると矛盾や不整合が出てくるということもあり、元号メインで西暦併記になっているのが現状です(私自身もそうしています)。とはいえ、そのように元号メインにしておくことに積極的な意味の無い、文献の刊行年まで元号にする必要は無いのではないかと思いました。

以上、ご検討いただければ幸いに存じます。もしご存知の上で、意図があってなさっていることでしたら失礼をお詫びいたします。--ikedat76 2009年12月7日 (月) 16:03 (UTC)

返事が遅くなり申し訳ありません。こちらこそikedat76様のご活躍には常々敬服しておりますとともに、いつもお世話になりまして感謝致しております。さて、ご指摘いただきました点に就き、弁明させていただきますと、第1と第2の点に就いてですが、余り(と申しますか全く)気に懸けておりませんでした。2も記事が「○○神社」なんだからいいだろうと思っておりました。すみません、以後気をつけます。
3については仰有るとおり確信犯的に行っております。恐らく当方が元号偏愛の立場であることはお気づきのことと思われますが、以前どこかで奥付に従ってればばよいとの説に触れまして(どこの誰の説かは最早不明なのですが…)、当方の立場と併せて、なるほどそういう態度もあるのかぁ、ふむふむと思い(と申しますか、しめしめと思い)、意識的に奥付が元号表記である文献を持ってきて、残りもそれに合わせましたよ、という体裁をとる操作を行っております。さぞかしご不快な思いを為されていることとは存じますが、明確に禁止されている訳ではなさそうですし(併記は推奨されてますが)、今後も禁止の明示がない限りは、将また当方の転向が起こらない限りは、この立場を貫こうかと思っております。ですが、変更された後に再度戻そうとまでは思っておりません(今回は序でにということで、ついいじってしまいましたが)。お手を煩わすこととなり恐縮に存じますが、ご改変いただきましても差支は一向に無之、洵に勝手な申し分乍らご裁量にお任せ致したく存じます。--胡亂堂 2009年12月9日 (水) 13:06 (UTC)

鳥海修験の件[編集]

初めまして、ひら室長と申します。鳥海修験の分割の件、お手数をお掛けしまして申し訳ありません。私のノートページへ記載のあった件につきましては了解致しました。また、至らぬ点がありましたらご指摘頂ければ幸いです。今後一層のご活躍をお祈りしております。--ひら室長 2010年1月2日 (土) 11:28 (UTC)

鼻節神社の祭神の異説について[編集]

こんばんは、ひら室長です。鼻節神社祭神の異説ですが、『神名帳考証』において「節」は「泥」に通じると記載されています。『大辞泉』によれば「泥」は訓読みで「うき」と読み、この読み方は源氏物語和歌などに見られます。(『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』:うきもご参照願います)古い仮名遣いで表記すれば「節」=「ふし」、「泥」=「ふき」となり、こちらが音として近いかと思います。いずれにせよ、「節」が「泥」に通じるとして土の神である埴安神に附会した『神名帳考証』は、かなり強引ではないかと個人的には思いますが。

それと返信のついでの様な形で失礼とは存じますが、素朴な疑問があるのでお聞き致します。胡亂堂さんだけのことを言っているのではありませんが、社格の表記で、近代社格制度による社格にだけ何故「旧」と付けるのでしょうか。延喜式二十二社のほうが近代社格制度より遥かに旧い制度であるにもかかわらず、社格の表記に「旧村社」と書いても「旧名神大社」や「旧二十二社」と書く方は何故いらっしゃらないのでしょうか。近代社格にだけ「旧」と付けたからと言って間違いではありませんし、非難している訳でも無いのですが、私個人は統一性が無いようにいつも感じているので、素朴な質問をさせて頂きました。--ひら室長 2010年1月27日 (水) 15:12 (UTC)

大山祗命 ・追雄命 ありがとうございます。[編集]

Portal:神道/執筆依頼にて依頼しておりました、‎大山祗命, 追雄命への御反応ありがとうございます。

  • 大山祗命については、単に「祗」の字の漢字表記の問題でしたので、リダイレクトで結んでおきました。
  • また追雄命(ツイノオノミコト)につきましては、神社公式パンフレットにそのように記されており(私も個人的にはスサノオ系統の神様なのかなと推測しましたが)今回ご指摘いただきました「進雄命」とは違うかも知れません。 直接神社に確認してみることに致します。どうもありがとうございました。--Tokorokoko 2010年3月6日 (土) 14:31 (UTC)
    • 該記事に紹介されておられる公式サイトを見て訂正させていただいたのですが、「祗」も「追」も表記の問題以前の誤字ではないかと…。--胡亂堂 2010年3月7日 (日) 12:49 (UTC)
      • 直接神社に確認いたしましたところ、ご指摘の通り、「追」は「進」の誤字(旧史料当時の手書き写し違い)とのことでした。大変お手数お掛けいたしました。どうもありがとうございます。--Tokorokoko 2010年3月16日 (火) 02:47 (UTC)

Category:紀氏 (神別)について[編集]

はじめまして、ととりんと申します。胡亂堂さんの執筆される記事(主に新着投票所に挙がってくるもの)、楽しみに読ませてもらっています。さて、その際に気がついたのですが現在投票中の天道根命に付与されている標記カテゴリが赤リンクです。これは何か狙いがあってこのようにされているのでしょうか。もしかして作成漏れということであれば、適宜作成して頂ければと思います。--ととりん 2010年3月15日 (月) 14:27 (UTC)

ご心配をお掛けして申し訳ありません。実は根本たる紀氏 (神別)の立ち上げを考えておりまして、それを念頭に関連するものにくっつけておる次第であります(心情的には全て根本記事からの分泌物なのであります)。当方の浮気性と飽きっぽさが相俟って根本記事の執筆自体がなかなか進捗せず、さぞかしご不審にお思いだろうと思いますが、何卒今しばらくの猶予をいただきたく、よろしくお願いします。--胡亂堂 2010年3月15日 (月) 14:49 (UTC)
なるほど、事情については良く分かりました。私だけかも知れませんが、カテゴリの赤リンクはあまり見かけたことがなく、落ち着かない感じがしたので問い合わせてみました。記事及びカテゴリの作成については、私には知識が無くお手伝いできそうにありませんし、胡亂堂さんの投稿を気長に待つことにします。--ととりん 2010年3月16日 (火) 15:16 (UTC)
…当分まとまりそうもありませんので作成することとします。ご意見ありがとうございました。--胡亂堂 2010年3月20日 (土) 12:02 (UTC)

国玉の大橋加筆について[編集]

表題記事への充実した加筆ありがとうございます。当該記事に関しましては資料等が少なく、私としましてはスタブのつもりで作成したところでありましたが、早速の手直しや加筆等をいただき感激しております。胡亂堂さんには以前にも酒折宮記事においてお世話になりました。重ねて御礼申し上げます。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。--さかおり 2010年3月23日 (火) 05:28 (UTC)

  • とんでもございません。偶々直近に別記事関連で目を通していた柳田先生の著作中に触れられていたのとこれまた別記事で山梨県の神社を執筆していた最中であった事、そして新規記事で目に留まった事とが相俟って、忘れない中にとつい加筆してしまいました。ご迷惑でなかったならばこれに過ぎる幸いはございませんです。改めてこちらこそよろしくお願い申し上げます。--胡亂堂 2010年3月26日 (金) 08:54 (UTC)

浅間神社の編集に関して[編集]

こんにちは。色々お世話になっております。 昨日変更にて、正式神社名称が全て浅間神社(自治体名)に統一された事で、固有名詞が分からず「曖昧さ回避のためのページ」としては適切ではない、また下記のような一例を挙げても適切な編集ではなかったと思い、差し戻させていただきました。気を悪くされたら申し訳ございません。

  • 固有名称があり、リンクもあった神社が、浅間神社(自治体名)になり、特定ができない。
    例)静岡県の1行目に、浅間神社 (静岡市葵区宮ケ崎) がありましたが、これが「静岡浅間神社」特定するのは困難です。
    文末に()で正式名称を書いている神社もありますが、正式名称にリンクを張るのが普通だと思います。
  • なくなってしまった神社がある。
    例)都内で唯一の浅間作りである、「多摩川浅間神社」になくなってしまいました思います。
  • 元々リンクのなかったが固有名称がある神社がどこに行ったか分からなくなってしまいました。(町名で判断は無理)
    例)富士市の「米之宮浅間神社」(大社のある富士宮市に隣接する富士市で最大級の浅間神社です。)

変更に関して、事前ページの作成などノートで議論しませんか。 今後とも、どうぞよろしくお願い致します。--Mocchy 2010年5月18日 (火) 01:45 (UTC)

こちらこそ今般はお世話になりました。えっと、前提として公称が「浅間神社」のみである神社を載せる合意は(3人のみですが)出来ているので議論不要と考えまして、その上で通称などで既に記事がある者についてはそこへ至る紐を付けつつ(例えば「浅間神社」が正式名称であるが「○○浅間神社」として既に記事があれば[[○○浅間神社|浅間神社 (○○市)]]とする等)、編集したつもりでございます点はご理解願います。また、静岡県に就きましては県神社庁による一覧を参考に致しました。
  • 静岡浅間神社の正式社名は「神部神社 浅間神社 大歳御祖神社」で、ためにその中の浅間神社を対象に「浅間神社 (静岡市葵区宮ケ崎)」(富士新宮)としました。また、静岡市葵区宮ケ崎で特定できるとも思います(抑もが「静岡浅間神社」で検索が掛けられそうなので不要なのですが、「浅間神社」を公称とする神社を少なくとも山梨・静岡両県においては網羅しようと考え敢えて載せました)。
  • 多摩川浅間神社は東京都神社庁の神社紹介([1])で「多摩川浅間神社」とあるため正式名称が「浅間神社」ではなく「多摩川浅間神社」であろうと判断し外しました。
  • 米之宮浅間神社等も同様の理由で外しました。
以上ですので、差し支えなければ再度お戻し頂きますよう伏してお願い申し上げます。--胡亂堂 2010年5月18日 (火) 08:26 (UTC)
こんにちは。早々に回答ありがとうございます。個人的にお話する内容ではないと思いまして、トーク:浅間神社に移しました。恐れ入りますがご意見をお願いいたします。--Mocchy 2010年5月18日 (火) 13:33 (UTC)

ワタツミのCategory:天津神削除の件について[編集]

このページは綿津見三神の事も取り上げております。大綿津見神は海神豊玉彦ともされているので国津神としても良いでしょうが、 ソコツワタツミ(底津綿津見神)、ナカツワタツミ(中津綿津見神)、ウワツワタツミ(上津綿津見神)の三神は 禍津日神・直日神・住吉三神・天照御神・月読命同様に天津神です。 ですので削除する理由が分かりませんからCategory:天津神は復帰させていただきます。綿津見三神が明確な国津神である理由があるなら教えてください。--Zmblelra 2010年10月1日 (金) 00:46 (UTC)

ノート:ワタツミにて回答致します。--胡亂堂 2010年10月1日 (金) 03:36 (UTC)
この件で思いついたのですが、天津神か国津神かあいまいなものについては、新たにCategoryを増設すれば良いように思いますがどうでしょうか?--Zmblelra 2010年10月1日 (金) 04:42 (UTC)
ん~、明らかな天つ神(天神)や国つ神(地祇)って存外に少なく、それらをそれぞれに分類するのは意味があるかと思いますが、所属が不明な神様をも分類する範疇を造っちゃうと、結局全ての神様が入る事になっちゃって分類体系としては意味をなさないように思えますし(「カテゴリ:日本の神」でいいのでは?という事になりそう)、恐らく修験の神や人物神とかを除いての作成だろうとは拝察致しますが、じゃぁどこからどこまでの神様を含めるか、さて名称や定義をどうするかで悩ましく、現状では造らなくていいんじゃないかなと思います。なお参考までに、「Category‐ノート:日本の神」や「Category‐ノート:日本の神/神話の概念他」に関連議論があります(私がごねまくってしまったせいか店ざらし中ですが)。--胡亂堂 2010年10月2日 (土) 03:22 (UTC) - やや推敲。--胡亂堂 2010年10月2日 (土) 05:56 (UTC)

2つの神社について[編集]

お忙しいところ失礼致します。神社の記事については胡亂堂様の方がお詳しいと思いまして御見聞賜りたいのですが。

  1. 1つが速谷神社の記事やその編集に何か問題が有るようなのですがこれ以上は私では判断つきかねますので、
  2. もう1つがWikipedia:修正依頼にも出している素盞嗚神社 (福山市)です。

一度閲覧してご意見頂けないでしょうか、宜しくお願いします。--Zmblelra 2010年12月19日 (日) 03:00 (UTC)

えっと、了解しましたが、暫く猶予を頂きたく。--胡亂堂 2010年12月19日 (日) 13:29 (UTC)

傲慢なご発言に抗議いたします[編集]

こんにちは、Shigeru23です。さて、胡亂堂様はノート:ヤマトタケル#改名提案の2010年12月25日のご発言において「カタカナの記事名しか読めない絶望的な日本語話者」という書き込みをなさいましたが、これはWikipediaの読者の中でも貴方が改名を主張されている「日本武尊」を読めない者を侮辱する態度であり、そのような読者はWikipediaを読まない方が良いと暗に示唆する貴方の態度が傲慢であると指摘させていただきます。私が(そしておそらくは他の編集者も)「日本武尊」という記事名への変更に反対しているのは、「日本武尊」では容易に理解できない読者でも「ヤマトタケル」ならば容易に理解できるという点に利点を見出しているのであって、胡亂堂様のように持論をご主張する中で高みから他者を見下ろすような態度は傲慢以外の何者でもなく、共に記事を良くしてゆこうとする仲間としての態度ではないと考えます。このような指摘を受けてさぞご不快でしょうが、私も胡亂堂様に傲慢な態度をとられましたことで不快でした。今後はご発言の内容にご注意いただきますようお願いいたします。--Shigeru23 2010年12月27日 (月) 01:02 (UTC)

失礼しました。恐らく「絶望的」な箇所が気に障られたようですので遅まきながら当該箇所を削っておきます。何が申したかったか申したかった点を申しますと、「日本武尊」だと読めない(理解できない)けど「ヤマトタケル」なら読める(解る)よという読者のためには転送機能がありますよとということでした。--胡亂堂 2011年1月16日 (日) 16:17 (UTC)

穂見神社について[編集]

ご無沙汰しておりますさかおりです。早速ですが胡亂堂さんに修正して頂いた穂見神社(曖昧さ回避)の件なのですが、この曖昧さ回避ページは穂見神社 (南アルプス市)新規立項に伴い作成したもので、ご覧のように不完全なものであります。穂見神社 (南アルプス市)も含め是非、胡亂堂さんに(コメントアウトされた部分も含め)加筆修正等をお願いしたいのですが、いかがでしょうか?よろしくお願い致します。--さかおり 2011年4月20日 (水) 03:19 (UTC)

  • ご丁寧に有難うございます(お便りに気づいておりませんでした、すみません)。コメントアウト部はgooマップに照らしてどうなのだろうと思った部分に過ぎず、執筆意欲はあまり・・・なのです。また、窃かに府中八幡社の勤番制度を書いてみようかと考えており(これ)、そこに八幡穂見神社、穂見諏訪十五所神社、南ぷ市と韮崎市穴山町の穂見神社は引っかかるのですが、それらも執筆する気が起きるかどうか、執筆できるかどうかは時間的余裕も含め自信がありません。ご期待に添えず面目次第もございません。--胡亂堂 2011年4月30日 (土) 13:43 (UTC)
お返事ありがとうございます。こちらこそ一方的にお願いしてしまい失礼いたしました。お気になさらず今後とも宜しくお願い致します。--さかおり 2011年5月1日 (日) 06:00 (UTC)

記事のタイトルに関して[編集]

改名の手間をおかけして、申し訳ありません。 一応検索した上で記述しているのですが、あいまい回避が必要と指摘されて地名を付与され、今度はそれを意識して地名を付けると不要と判断される。それでは自分判断を辞めて、他の人のタイトルでと思い、Portal:日本の都道府県/大阪府の「加筆依頼」に仏眼寺 (豊中市)とあったのを幸いに記述すると、「佛眼寺」であったりと、なかなかに神社仏閣のタイトル付けは難しいですね。 今後とも、お手数をかけると思われますが、よろしくお願いします。--bittercup 2011年4月20日 (水) 05:28 (UTC)

  • 固有名詞としての扱いも絡んで来るようで、確かに難しいですね。私も判断に迷う事が多いです。ですが、気づいた方が改名提案なりをなさるでしょうから余り気になさらなくてもよろしいかと存じます。--胡亂堂 2011年4月24日 (日) 10:36 (UTC)

カテゴリ削除について[編集]

胡亂堂さん、こんにちは。リダイレクトとしたのですが、ご面倒でなければ削除依頼お願いできますか?誠にお手数をおかけします。中途半端にカテゴリを作成してしまいました。反省しつつ、また、府県社については最良の方法をお教え頂いた、まさふゆさんには感謝申し上げなければなりません。すみませんがよろしくお願いします。--Reggaeman 2011年6月28日 (火) 12:13 (UTC)

神社の旧社格カテゴリ分けについて[編集]

胡亂堂さんこんにちは。胡亂堂さんのアイデアで各都道府県別に振り分け作業を始めた神社の社格ですが、当方、申し訳ないなと思いつつも、勝手にどんどん作業を進めております。九州・沖縄から始め、現在、近畿地方まで作業を進めました。一言お断りを申し上げておかねばと思い、ご連絡した次第です。胡亂堂さんの作業の妨げになるようでしたら、そろそろ現在作業中の兵庫県で止めておこうと思います。--Reggaeman 2011年7月3日 (日) 08:37 (UTC)

  • こんばんは、ご丁寧にありがとうございます。感謝しておりますのでどんどんやっちゃって下さい。ついでに各記事の点検(情報欄の整備(特に位置情報)とか、記述内容の検証とか)をしていただけますとこれに過ぎたる幸いはございませんが、そんな事は気にぜずにどんどんやっちゃって下さってけっこうです。と申しますか、寧ろお願いします。--胡亂堂 2011年7月3日 (日) 13:18 (UTC)

ありがとうございます。それでは当方も遠慮なく作業を進めさせて頂きます。各記事の整備も出来るだけやっているところですが、検証仕切れない部分もあります。また、中には「これは記事未満ではないか」と言えるような、中身が空洞のような記事もあり、加筆したいと思っています。が、いかんせん最近は参考文献・資料を記載しなければならず、それに対するチェックも厳しく(確実な情報を記載することは必要なことだと思いますが)加筆がままならないのが現状です。出来うる限りの加筆はやっていこうと思います。今後ともよろしくお願いします。--Reggaeman 2011年7月3日 (日) 13:44 (UTC)

  • ご丁寧に重ねて御礼申し上げます。私も作業の過程で「ちょっとこれは・・・」と思う記事がままあり、身辺多忙なこともあってなかなか進捗しませんでした。かねがね神社記事の底上げは必要と思っておりましたが力及ばずで忸怩たる思いでしたので、Reggaeman 様にご尽力賜りますことは洵に有り難く、こちらの方こそ何卒よろしくお願いします。--胡亂堂 2011年7月3日 (日) 14:57 (UTC)

Template:神社 の座標の記入方法について[編集]

返事が遅くなってすいません。

早速ですがWikipediaにおける座標の概要についてはプロジェクト:地理座標が参考になるかと思います。まず、1の記事タイトルの横に表示される座標がテンプレート内の座標と重複していて削りたいとの提案ですが、技術的には可能です。しかし、私はこの提案を行う折、他の言語版(主に英語・ドイツ語)における座標の使われ具合を参考にしました。座標についてはこの言語が特に先進的と思われたからです。これによりますと、そもそも座標というのは記事の上部(タイトル横のことです)に表示されるものを主とし、その後Wikipedia内にテンプレートが普及するに当たって「住所の近くにも座標があれば便利」ということで記事内に座標が置かれる習慣が出来ました。この経緯からほとんどの記事(もちろん全部ではありません)では「タイトル横」と「テンプレート内」の2箇所に座標が置かれるようになりました。例:en:Bostonen:United Nations Headquarters、議論としてはen:Wikipedia talk:WikiProject Geographical coordinatesなど。その全世界的なある種の慣習としてこの神社のテンプレートにも取り入れた次第であります。なので現用では不要に思うかもしれませんが、その点をご理解ください。ただどうしても、邪魔だ取り除きたい、と思われる場合はテンプレートのノートで提案されても良いと思います。座標を二ヶ所に表示することによって日本語版に独自の不都合があるかもしれませんしね。その際に私は反対も賛成もしませんが、設定の方法については以下に記します。

{{ウィキ座標2段度分秒|{{{緯度度}}}|{{{緯度分}}}|{{{緯度秒}}}|N|{{{経度度}}}|{{{経度分}}}|{{{経度秒}}}|E|type:landmark_region:JP|display=inline,title}}

↓このようにdisplay要素「inline,title」のtitleを削ればタイトル横の座標は表示されなくなります。

{{ウィキ座標2段度分秒|{{{緯度度}}}|{{{緯度分}}}|{{{緯度秒}}}|N|{{{経度度}}}|{{{経度分}}}|{{{経度秒}}}|E|type:landmark_region:JP|display=inline}}

次に2の縮尺の扱いについては最初に挙げたプロジェクトページに説明があり、type属性を指定した場合にはGeohackアクセス時に自動で適当な縮尺が反映されます。例えばこの神社のテンプレートのようにlandmarkと設定していれば1:10,000になります。なので縮尺の設定は不要かなと判断しました。

最後に3のnameパラメータを設定したいとの提案についてですが、これも技術的に可能です。設定の方法については以下に記します。

{{ウィキ座標2段度分秒|{{{緯度度}}}|{{{緯度分}}}|{{{緯度秒}}}|N|{{{経度度}}}|{{{経度分}}}|{{{経度秒}}}|E|type:landmark_region:JP|display=inline,title}}

{{ウィキ座標2段度分秒|{{{緯度度}}}|{{{緯度分}}}|{{{緯度秒}}}|N|{{{経度度}}}|{{{経度分}}}|{{{経度秒}}}|E|type:landmark_region:JP|display=inline,title|{{ #if: {{{表示名|}}} | name={{{表示名}}} }}

のように最後に「|{{ #if: | name={{{表示名}}}」を挿入してください。ここでは暫定的にパラメータを「表示名」にしています。

最後に関係の無い事ですが、もしも何か変更するのであればついでに現在座標のテンプレートに「ウィキ座標2段度分秒」を使っているものを、できれば「Coord」に変えてほしいんです。このテンプレートは表示・属性は変わりませんが、座標が2段になるか1段になるかを画面のサイズに合わせて自動で判断してくれる機能を持っています。つまり広い画面で表示したときには1段で、狭い画面で表示したときには2段で表示し、変なところに改行が入るなどのレイアウト崩れを起こしません。もちろん、ついで、で結構です。

長くなりましたが、また何かありましたらご質問ください。ただ、何分最近多忙なもので、返事が遅くなることがあるかもしれません。先にお詫びしいたします。--ラハール 2011年7月4日 (月) 04:04 (UTC)

  • ご丁寧にありがとうございました。今後の編集のついでに「ウィキ座標2段度分秒」を「Coord」に変えていくつもりですが、就きましては重ねての質問をお許し願いたく、3だと「|{{ #if: | name={{{○○}}}」の挿入は現Templateのままでも可能なのでしょうか?それともTemplate自体に属性欄を備えておく必要が生じて再編集を依頼しないといけないのでしょうか?
    また位置情報を複数表示することも可能でしょうか?例えば奥宮と里宮を記す場合とかの事態を想定しております(例諏訪大社)。その場合も現状のままでいけますでしょうか?それともTemplate内容を少しいじらないといけないのでしょうか?--胡亂堂 2011年7月5日 (火) 15:46 (UTC)

「テンプレート自体に属性欄を備える」というのは「|{{ #if: | name={{{○○}}}」を挿入することだと思うのですが、どういう意味でしょうか?いずれにしても何か変更(編集)するのなら神社のテンプレートは保護されているわけですから、テンプレートの編集依頼はしなければならないと思います。 また、テンプレート内に位置情報を複数表示させたいとのことですが、そもそもテンプレートなど目立つ場所に置かれた座標は、その記事に最も関連が深い代表的な地点を表示させるものだと思っています。それ以外の地点に関しては本文で言及するのがベストだと。それに、その座標情報を利用するサービス(google mapなど)は一つの座標の位置にしかレイヤーを置かないことが多いため、例えばテンプレート内に複数の座標があると最も代表的な地点ではない場所にレイヤーが置かれる可能性もあるということです。私の意見は以上ですが、なかなか際どい問題だと思いますので、やはりテンプレート自体のノートで提案して多くの人の意見を聞いた方が良いような気がしますが、いかがでしょうか?--ラハール 2011年7月10日 (日) 16:15 (UTC)

  • ご回答ありがとうございました。「|{{ #if: | name={{{○○}}}」はどこにどのように挿入するのかが分からなかったもので(砂箱でいろいろ試したのですが、実際に投稿しないと反映されないせいかどうか、よく分かりませんでした)。複数表示の問題に就きましては仰るようにTemplate‐ノート:神社に投稿してみます。ご迷惑でなければ引き続きご参加方お願いします。--胡亂堂 2011年7月12日 (火) 17:28 (UTC)

春日神社(平塚)に加筆ありがとうございます[編集]

y_zaiです。ある事情でお参りした平塚の春日神社ですが、お礼を兼ねて、とにかく項目を、と思って作ったのは良いのですが、その先が続かず困っていました。加筆ありがとうございました。お礼申し上げます。不躾なる書き込みの段、平にご容赦の程を。(--以上の署名のないコメントは、Y zai会話投稿記録)さんが 2011年7月26日 (火) 06:02 (UTC) に投稿したものです(胡亂堂による付記)。

基本情報のみ加筆させて頂いた次第ですので、ご丁寧なご挨拶痛み入ります。--胡亂堂 2011年7月27日 (水) 11:58 (UTC)