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利用者:ブルッウ/sandbox2

デヴィッド・フィンチャー
David Fincher
David Fincher
本名 David Andrew Leo Fincher
生年月日 (1962-08-28) 1962年8月28日(61歳)
出生地 コロラド州デンバー市
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 映画監督
活動期間 1984年 - 活動中
配偶者 ドーニャ・フィレオレンティーノ(1990年 - 1995年)
セアン・チャフィン(1996年 - )
主な作品
映画
セブン
ファイト・クラブ
パニック・ルーム
ゾディアック
ベンジャミン・バトン 数奇な人生
ソーシャル・ネットワーク
ドラゴン・タトゥーの女
ゴーン・ガール
テレビドラマ
ハウス・オブ・カード 野望の階段
『マインドハンター』
 
受賞
全米映画批評家協会賞
監督賞
2010年ソーシャル・ネットワーク
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
2010年ソーシャル・ネットワーク
ロサンゼルス映画批評家協会賞
監督賞
2010年ソーシャル・ネットワーク
放送映画批評家協会賞
監督賞
2010年ソーシャル・ネットワーク
英国アカデミー賞
監督賞
2010年ソーシャル・ネットワーク
エミー賞
監督賞 (ドラマシリーズ部門)
2013年ハウス・オブ・カード 野望の階段
ゴールデングローブ賞
監督賞
2010年ソーシャル・ネットワーク
セザール賞
外国語映画賞
2010年ソーシャル・ネットワーク
その他の賞
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デヴィッド・アンドリュー・レオ・フィンチャー[1][2]David Andrew Leo Fincher1962年8月28日 - )は、アメリカ合衆国映画監督映画プロデューサーテレビプロデューサーミュージック・ビデオ監督。2008年の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』と2010年の『ソーシャル・ネットワーク』で2度アカデミー監督賞にノミネートされており、後者でゴールデングローブ賞 監督賞英国アカデミー賞 監督賞を受賞した。

またフィンチャーは、映画監督デビュー作として『エイリアン3』を監督したことで知られており、『セブン』(1995年)、『ゲーム』(1997年)、『ファイト・クラブ』(1999年)、『パニック・ルーム』(2002年)、『ゾディアック』(2007年)、『ドラゴン・タトゥーの女』(2012年)、『ゴーン・ガール』(2014年)などのスリラー映画の名手としても知られている。近年ではテレビシリーズの製作もしており、Netflixで『ハウス・オブ・カード 野望の階段』(2013年 - 2018年)と『マインドハンター』(2017年 - )を製作している。

彼の映画の『ゾディアック』と『ソーシャル・ネットワーク』はBBCが発表した21世紀最高の映画100選英語版にランクインしている[3]

生い立ち[編集]

1962年8月28日、コロラド州デンバー[4]サウスダコタ州の精神保健医師で、薬物中毒更生プログラムに師事していた母親のメアリー・アンと、オクラホマ州の作家で、Life誌のリポーター兼局長を務めていた父親のハワード・ケリー・"ジャック"・フィンチャーの間に生まれた[5][6]。ハワードは2003年4月に癌で死去した[1][7]。フィンチャーは、若い頃から映画製作に携わりたいと考えていた。フィンチャーが2歳の頃、家族はカリフォルニア州サン・アンセルモ英語版に引っ越した。そこでは、ジョージ・ルーカスが隣人の一人だった[6]

フィンチャーは、10代でオレゴン州アシュランドに移り、アシュランド高校英語版を卒業した。彼は高校時代には、放課後に演劇の監督や美術・照明のデザインをし、セカンドラン・シアターで非労働組合の映写技師、そして、オレゴン州メドフォードのローカルニュース・テレビステーションKOBIのプロダクション・アシスタントを務めた。その他に、コック、ウェイターの助手、食器洗いなどもしていた[6][8]。フィンチャーは、1969年の映画『明日に向かって撃て!』に影響され、8歳の頃に8mmカメラで映画を作り始めた[6][4]

キャリア[編集]

初期のキャリア[編集]

フィンチャーのキャリアは、アメリカの映画監督でアニメーターのジョン・コーティー英語版の映像製作会社「Korty Films」で製作部長として勤務するところから始まった。そこから彼は昇格し、アニメーション映画『Twice Upon a Time』(1983年)の視覚効果プロデューサーを務めた[6]。1983年、撮影助手マット撮影技師として、インダストリアル・ライト&マジック(ILM)雇われ[6]、『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの復讐』(1983年)と『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)の製作に携わった[9]。奇しくも彼が携わった2作は、彼が2歳の時の隣人だったジョージ・ルーカスが深く関係している。1984年、彼は喫煙する胎児を描いたアメリカがん協会のコマーシャルを監督するために、ILMを退社した[6]。このCMはロサンゼルスのプロデューサーの目に留まり、彼はリック・スプリングフィールドのドキュメンタリー『The Beat of the Live Drum』を監督する機会を与えられた[10]。本格的に監督としてのキャリアをスタートさせたフィンチャーは、映像製作会社のPropaganda Filmsを共同設立し、ミュージック・ビデオやCMの監督を始めた。フィンチャーの他に、マイケル・ベイスパイク・ジョーンズアントワーン・フークアミシェル・ゴンドリーザック・スナイダーアレックス・プロヤスマーク・ロマネクゴア・ヴァービンスキーらも映画を監督する前にPropaganda Filmsで才能を磨いた[11]。彼はリーバイスコンバースナイキペプシレブロンソニーコカ・コーラシャネルなどの有名企業のCMを監督する中で、ミュージック・ビデオの製作に力を入れ始めた[6]ジャーマイン・スチュワート英語版

1990年代:失敗作『エイリアン3』から『セブン』、『ファイト・クラブ』[編集]

2000年代:『パニック・ルーム』、『ゾディアック』、『ベンジャミン・バトン』[編集]

2010年代:『ソーシャル・ネットワーク』の絶賛、テレビシリーズの製作[編集]

今後の計画[編集]

未実現の計画[編集]

作風[編集]

フィンチャーによる作品はどれも色調を抑えた暗い画づくりが特徴。嫌いな色はピンク。

セブン」、「ファイト・クラブ」、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」の3作品で、ブラッド・ピットを主演に起用した。

作品[編集]

映画[編集]

TVシリーズ[編集]

製作総指揮(Season1〜)
監督(Season1第1話・2話)
  • マインドハンター Mindhunter (2017年)
製作総指揮・監督(第1話、2話、9話、10話)

ミュージック・ビデオ[編集]

受賞・ノミネート[編集]

部門 作品名 結果
アカデミー賞 2008年 監督賞 ベンジャミン・バトン 数奇な人生 ノミネート
2010年 ソーシャル・ネットワーク ノミネート
英国アカデミー賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 ノミネート
2010年 『ソーシャル・ネットワーク』 受賞
ゴールデングローブ賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 ノミネート
2010年 『ソーシャル・ネットワーク』 受賞
放送映画批評家協会賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 ノミネート
2010年 『ソーシャル・ネットワーク』 受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 受賞
2010年 『ソーシャル・ネットワーク』 受賞
サターン賞 1992年 監督賞 エイリアン3 ノミネート
1995年 セブン ノミネート
2008年 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 ノミネート
全米映画批評家協会賞 2010年 監督賞 『ソーシャル・ネットワーク』 受賞
ニューヨーク映画批評家協会賞 2010年 監督賞 『ソーシャル・ネットワーク』 受賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞 2010年 監督賞 『ソーシャル・ネットワーク』 受賞
バンクーバー映画批評家協会賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 受賞

出典[編集]

  1. ^ a b “The Membership > Obituaries: Howard Kely "Jack" Fincher”. 9. Wolfensberger: Newsletter of the Wolfensberger Family Association. (2003年5月). p. 3. オリジナルの2016年11月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161118205924/http://www.wolfensberger.org/pages/NL_BKUP/WFA_NL/2003May.pdf 2010年11月4日閲覧. "He is survived by ... and David Andrew Leo Fincher. David Fincher is a Hollywood motion picture director..." 
  2. ^ Davies, Gareth A (2008年12月23日). “Forrest Griffin to show his police brutality”. The Daily Telegraph (London). オリジナルの2015年9月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150911133804/http://www.telegraph.co.uk/sport/othersports/boxing/3918373/Forrest-Griffin-to-show-his-police-brutality.html 2010年5月1日閲覧. "...David Leo Fincher, the American film director and music video director..." 
  3. ^ The 21st Century's 100 greatest films”. BBC (2016年8月23日). 2017年1月31日閲覧。
  4. ^ a b David Fincher: Director (1962–)”. Biography.com (FYI / A&E Networks). 2014年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月25日閲覧。
  5. ^ Hochman, David (1997年9月19日). “David Fincher gets back in 'The Game'”. Entertainment Weekly. 2009年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月11日閲覧。 (Archived article on two pages headlined "Game Boy")
  6. ^ a b c d e f g h Rebello, Stephen (2014年9月16日). “Playboy Interview: David Fincher”. Playboy. 2015年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月14日閲覧。
  7. ^ Swallow, James (2003). “Dark and Light”. Dark Eye: The Films of David Fincher. Reynolds & Hearn. p. 11. ISBN 978-1-903111-52-9 
  8. ^ David Fincher: A Life in Pictures”. BAFTA (2014年9月19日). 2017年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月17日閲覧。
  9. ^ Mottram, James (2009年2月1日). “David Fincher: "Awards are just icing on the cake"”. The Independent. https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/features/david-fincher-awards-are-just-icing-on-the-cake-1520062.html 2014年10月11日閲覧。 
  10. ^ The Work of David Fincher: Introduction, Commercials, Music Videos, and 'The Beat of the Live Drum'”. Collider (2014年9月21日). 2017年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月27日閲覧。
  11. ^ Ranked: Music Video Directors Turned Film Directors”. Metacritic (2010年8月31日). 2017年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月27日閲覧。

関連文献[編集]

インタビュー

外部リンク[編集]