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利用者:要塞騎士/sandbox/6


下書き:弓ヶ浜 (静岡県)


弓ヶ浜
巡視対象海岸
弓ヶ浜の位置(静岡県内)
弓ヶ浜
弓ヶ浜
静岡県の地図
所在地日本の旗 日本: 静岡県賀茂郡南伊豆町[1][2]
座標北緯34度38分04秒 東経138度53分26秒 / 北緯34.6343347069674度 東経138.89053846912628度 / 34.6343347069674; 138.89053846912628座標: 北緯34度38分04秒 東経138度53分26秒 / 北緯34.6343347069674度 東経138.89053846912628度 / 34.6343347069674; 138.89053846912628
アクセス
全長約1.2 km[4]
利用海水浴、海上アスレチック、サーフィン[5][6]シーカヤック[6]SUP

弓ヶ浜[注 1](ゆみがはま)は、日本静岡県賀茂郡南伊豆町にある砂浜海岸[4]。行政区画上は南伊豆町大字湊に位置する[1][2]

青野川の河口東側に広がる浜[8]、そして盥岬(たらいみさき)と弥陀岬(みだみさき)に囲まれた入江の奥にある砂浜であり、伊豆半島では下田市の白浜に並ぶ大規模な砂浜でもある[9]。海岸の全長は約1.2 kmで、その名の通り弓なりの形状である[注 2][4]。砂浜の幅は約40 mである[10]。また砂浜沿いにはクロマツが自生しており、クロマツ林は静岡県が海岸防災林として管理している[11]。クロマツは静岡県の海岸で重要な植物であるが、天然のクロマツ林は伊豆南部にわずかにあるのみで、遠州灘海岸から三保の松原、田子の浦海岸、千本松原などにかけて見られるクロマツ林のほとんどは砂防用などのために植林されたものである[12]

南伊豆の海岸線は険しい崖が多く、弓ヶ浜はその中でも珍しい砂浜である[3]。3一帯は国の名勝である伊豆西南海岸の「石廊崎海岸」に含まれている[13][14]

遠浅で波が穏やかであることから、子供連れの海水浴に適した海水浴場とされており、若者からの人気も高い[15]。例年7月から8月下旬にかけて弓ヶ浜海水浴場が開設される[注 3]白砂青松の海岸と温泉で、南伊豆町の観光の中核を担っているが、周辺には源泉がないため、3 km離れた下賀茂温泉からパイプで引湯している[19]。2002年時点で、弓ヶ浜海岸は下賀茂温泉と並ぶ南伊豆町の「二大観光拠点」とみなされている[20]

日本の渚百選[21]快水浴場百選[21][22]、静岡県の水辺100選[注 4]に選出されており[23]、伊豆を代表する海水浴場として紹介されている[24]。また日本の白砂青松100選にも選定されている[25]下田市白浜海岸[26][27][25]河津町今井浜[28][25]とともに伊豆三大海水浴場[29][30]伊豆三大美浜[25]の1つとして数えられる場合もある。静岡県による水質調査の結果、水質区分は2023年度(令和5年度)・2024年度(令和6年度)ともに最高の「AA」と判定されている[31]

「弓ヶ浜」の命名者は、2017年時点で南伊豆町観光協会長を務めていた南伊豆町湊の民宿「紺屋荘」の2代目主人・木下直美の祖父・木下幸雄であるとされる[32]

地理

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伊豆半島のほぼ最南端に位置し[33]相模灘に面した海岸である[34]。弓ヶ浜海水浴場を運営している南伊豆町湊区は、弓ヶ浜は伊豆半島で最も南にある海水浴場であると述べている[35]。浜の西端は青野川の河口(左岸部)に隣接しており[36]、浜と河口は石積みの堤防で隔てられている[37]。また、海岸線は「手石港」(ていしこう)という地方港湾の海岸保全区域(総延長3580 m)に[注 5]、青野川の河口部周辺は対岸部を含めて同港の臨港地区になっている[39]。手石港はかつて鯉名(小稲)湊とも呼ばれた湊で(後述[40]、古くから風待避難港として発展した[39]。戦後、手石港は沿岸漁業などに出漁する地元漁船の基地として整備されており、また周辺海域には岩礁ダイビングスポットがあるため[39]、釣り船やダイビング船が係留されている[41]

南伊豆町湊区は、浜の左右(東西)にある岬が外洋からの波の侵入を抑えているため、波が穏やかで遠浅になっていると述べている[35]。弓ヶ浜海岸の松林は地元の共有地管理会が主体となり、定期的に林内の清掃・除間伐が行われ、海水浴客が気軽に散策できるようになっていると評されている[42]。なおこの松林は魚つき保安林ではなく、潮害防備保安林である[42]。弓ヶ浜の南にある岬は弁財天岬34.628949,138.892134と呼ばれる[43]

弓ヶ浜(青野川河口)からほど近い青野川の左岸部にはマングローブ植生地(座標)がある[44]。この地点は青野川が支流の前田川と合流する地点の左岸部であり[45]、ここには1959年(昭和34年)、静岡県有用植物園長の竹下康雄がマングローブ植物の一種であるメヒルギの種苗を種子島から移植した[46]。その当初はほとんどが冬の寒さで枯死したが、後に研究者らが移植を繰り返したことで活着する個体が増加し、自然繁殖によって小さな群落を形成[47]、マングローブ生息地の北限として知られるようになった[46]。2017年(平成29年)から遡って約20年前、この群落は青野川の護岸工事[注 6]に伴って消滅の危機に直面したが、保護を求める声が地元から上がり[47]。、県はマングローブの成木数本を移植し[49]、数百坪ほどの群生地を保全した[47]

海水浴シーズンに当たる6月から8月にかけては、アカウミガメが産卵のために上陸する[50]。このため町から委嘱を受けた「ウミガメ監視員」が早朝に卵を砂浜から回収し、孵化小屋へ入れる作業を行っている[50]。河津町にあったカメの水族館「伊豆アンディランド」(現:iZoo[注 7]職員は、ウミガメは満潮時に波打ち際から陸地までかなり距離のある海岸でなければ産卵せず、そのような状況でも陸地まで約30 m程度しかない弓ヶ浜など伊豆地方での産卵は珍しいと述べている[53]。一方で1997年(平成9年)時点では、弓ヶ浜では毎年数頭のアカウミガメの上陸・産卵が確認されていると報じられており[54]、同年4月には南伊豆町が県内で初となる「町ウミガメ保護条例」を施行した[55]。また弓ヶ浜は県内有数のアカウミガメの産卵地として有名だったとする報道[50]、伊豆半島では南部・西部の海岸が主な産卵場所になっているという報道もある[56]

弓ヶ浜海岸から下田市田牛の田牛海岸までの海岸線には全長3.7 kmの「タライ岬遊歩道」がある[57]。この遊歩道は1975年に建設されたもので、徒歩で全区間を走破した場合の所要時間は約2時間50分であり、沿線には田牛や弓ヶ浜など海岸風景の美しい場所があるため、年間3000人以上が利用している[58]。弓ヶ浜の東方には逢ヶ浜[注 8](おうのはま)[63]という岩場の広がる海岸がある[64]。逢ヶ浜は弓ヶ浜の最寄りバス停である「休暇村」バス停から徒歩約10分の場所に位置しており、弓ヶ浜の南東端から磯を歩くことで到達できる[63]。弓ヶ浜から逢ヶ浜への徒歩での所要時間は約3分である[65]。逢ヶ浜は弓ヶ浜と盥岬の中間に位置するウォーキングの人気スポットで、海老穴などの奇岩がある[66]。逢ヶ浜一帯は丸石が多く、雀岩、姑岩、エビ穴といった奇岩が点在している海岸で、2013年時点から1000万年 - 200万年前の白浜層群に属しており、火山活動で隆起した海岸と考えられている[67]。海底火山噴出物によって形成された岩礁海岸で、海底を流れた土石流により[68]、凝灰角礫岩などの地層が形成され、その地層をマグマが貫いたことで放射状節理が形成されている[64]。この放射状の柱状節理は盥岬遊歩道の登り口付近に位置し、数百万年前の海底火山活動で誕生したものと考えられている[67]。放射状の柱状節理[65]。マグマは冷えて固まると少し縮み、冷やされた側から節理(隙間から生じた割れ目)が伸びていくという性質があるが、逢ヶ浜の節理は四方から冷やされたため、遅れて冷えた中心部分へと割れ目が伸びていき、放射状の節理が形成されたとされている[69]。逢ヶ浜は夏の海水浴シーズン中も海水浴客は少ないが、シュノーケリング[65]、地層や磯の生き物の観察するに適しており、海女が漁をする姿が見られ、また春[注 9]にはハマダイコンの群生もみられる[63]。特に大潮の干潮時にはトンボロ現象により、沖合約100 mにある「スズメ岩」[注 10]まで潮が引いて海底が露出するため、足を濡らさずに歩いて渡ることができる[70]。南伊豆町で自然体験プログラムを開いている団体「エコサーファー」代表の堀直也によれば、逢ヶ浜には約33000種の生物が生息しているという[71]。ハマダイコンは伊豆南部の海岸各所で群生が見られるが[注 11]、南伊豆町湊の逢ヶ浜はその代表的な名所の一つである[59]。逢ヶ浜のハマダイコンは一時激減したが、開花後に採取した種子を蒔いたことで復活したという[66]。また逢ヶ浜には1839年(天保10年)、当時の湊村に設置されていた神社が移設再建される形で、海の神を祀る「龍権神社」が建立され、海上・海中の安全、大漁満作、町内安全を司るとして地元の漁業者らから信仰されている[73]

なお海水浴シーズン中は青野川河口と浜を隔てる堤防から約200 m幅が「マリンスポーツエリア」に指定され、同エリアでは一般の海水浴は禁止される一方、サーフィン、SUP、シーカヤックなどのマリンクラフトはライフセーバー監視時間中(8時から17時まで)はマリンスポーツエリア以外では発着できなくなる[74]。この取り組みは2014年に初めて試験的に行われ、船外機を使用しないシーカヤック、カヌー、サーフィンを海水浴シーズン中にも受け入れている[75]

弓ヶ浜はキス釣りのスポットにもなっている[43]

歴史

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弓ヶ浜は青野川から流出した砂が海流で流され、南西から北東へ伸びる帯状に滞留したことで形成された砂嘴である[76]。弓ヶ浜のある南伊豆町湊地区は青野川の河口にある集落である[50]。また弓ヶ浜から見て青野川の対岸にある手石は、青野川が土砂を堆積させたことで形成された沖積地であり、2013年時点では田畑と民家が混在する田園地帯になっている[77]。現在の「日野交差点」(座標)から弓ヶ浜までの範囲にはかつて「手石大湊」があったとされる[78]。石村智(東京文化財研究所無形文化遺産部室長)は、弓ヶ浜はかつての砂州であり、現在の市街地は海であったと推測している[78]。石村は弓ヶ浜から北西(青野川右岸部)に「十二艘」という地名(おおよその座標)が残されている点や、青野川をさらに内陸に遡ると弥生時代から古代にかけての大集落遺跡である日詰遺跡(おおよその座標)がある点、そして伊豆半島が隆起によって形成された土地である(すなわち、かつては現代よりさらに標高が低かったと考えられる)点から、かつて弓ヶ浜は背後のラグーンを外海から隔てており、弓ヶ浜の背後にあったラグーンは船を安全に停泊させられる天然の良港になっていたのだろうと推測し[79]、古代末期までは潟湖地形と港としての機能を維持していたと考察している[80]。弓ヶ浜のある集落は湊(みなと)という地名であるが[注 12][84]、この地名は『南豆風土誌』によれば、かつて一帯が港を形成していたことによるものである[85]。港として利用されていたことの名残である[64]

かつてこの地は入江だったとされるが、青野川から海に流出した砂が波で押し戻されて砂嘴を形成し、後に上流から流れ出た土砂が現在の湊地区に相当する場所へ堆積したことで陸地が形成され、やがて現在のような海岸線が形成されたと考えられている[50]。平安時代ごろ、現在の南伊豆町湊や手石、下賀茂、青市などの一帯は海が入り込み、「鯉名泊」(こいなのとまり)[注 13]と称されていた[86]。「鯉名泊」は当時、伊豆一の港と称された海上交通の要衝で[86]、風待避難港として栄えた[50][88][89]源平合戦平氏に与した伊東祐親が1180年(壽永4年)の富士川の戦い前に平家軍に合流しようとしたところ、囚われた地はこの「鯉名泊」であると考えられている[77]。鯉名湊(現在の手石港)は江戸時代から大正ごろまで、青野川流域の物資の集散地、および薪炭・竹などの積出港として栄えていた[40]

また手石や小稲、下田市田牛を含む一帯は伊勢神宮外宮の神領「蒲谷御厨」であり、この地から産出されていた砂鉄から製作する鉄製品の鍬が毎年に貢納されるなど、都と深いつながりがあったことから、12世紀はじめには平城京の大安寺支院として「石門寺」が青市の山間に建立されたと伝えられている[77]。「石門寺」は後に浄土系から曹洞宗へ改宗して湊へ移転し[注 14]、「修福寺」へ改称したとされる[77]

観光地として

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海水浴シーズンは地域内外から多くの海水浴客が訪れ、賑いを見せるが、海水浴シーズン以外はイベントなどはほとんど開かれず、閑散としている[6]。一方、弓ヶ浜では近隣の多々戸浜、入田浜、吉佐美大浜[注 15]と同じく、一年中サーフィンが行われている[90]

1989年(平成元年)の海開きは7月9日[29]、1991年(平成3年)は7月7日[30]

1965年(昭和40年)ごろ以降から南伊豆町は夏の海水浴シーズンを中心に観光地として賑わい始め、弓ヶ浜は白砂青松の海岸として、静かな入江の子浦海水浴場とともに南伊豆町の代表的な海水浴場として知られるようになった[91]。1970年代には、弓ヶ浜では多くの旅館・民宿・ホテルが開業し、温泉需要が急上昇したことにより、最盛期には温泉宿泊施設が120軒以上に上った[19]。一方で昭和50年代は海の家が乱立し、混乱していた時期もあったという[92]。また2014年時点で南伊豆町から委嘱されて「ウミガメ監視員」を務めている男性(同年11月時点で73歳)は、1960年代以降に弓ヶ浜周辺の開発が急速に進行し、道路整備の影響で海岸近くの叢が消滅した影響で、風で吹き飛ばされた砂が叢で留められなくなったため、砂浜の面積が自身の子供のころの半分にまで減少したと語っている[50]。1993年4月13日には弓ヶ浜海水浴場監視所が落成した[23]

遠浅で波が静かなことから、1991年(平成3年)から遡って約20年前から関東地方を中心とした学校が臨海学校で弓ヶ浜を利用するようになった[93]。弓ヶ浜で長年にわたって臨海学校を開催している学校の1つとして、埼玉県県立浦和高校がある[94]。同校は1958年(昭和33年)から1年生を対象とした臨海学校を行っており[注 16][96][94]、2024年(令和6年)時点で67回目である[94]。当初は千葉県で臨海学校を行っていたが、東京湾の水質悪化を受けて1968年(昭和43年)以降は弓ヶ浜で行うようになった[97]。それ以降、同校は東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生した2011年(平成23年)まで水害や震災の直後を除いて毎年弓ヶ浜で臨海学校を開催していたが、2012年(平成24年)から2014年(平成26年)は南海トラフ巨大地震への懸念から、新潟県で臨海学校を開催していた[98]。また同様に弓ヶ浜で臨海学校を開催していた埼玉県立ふじみ野高校[注 17]も、2013年(平成25年)からは新潟県で臨海学校を開催するようになったが[98]、浦和高校は2015年(平成27年)から、ふじみ野高校も2017年(平成29年)からはそれぞれ再び弓ヶ浜で臨海学校を開催するようになっている[98]。浦和高校校長の杉山剛士は、弓ヶ浜の魅力として長い砂浜や遠浅の海、風光明媚な土地柄、水泳指導に来るOBや地域の歓迎などの存在を挙げた上で、臨海学校を再び弓ヶ浜で開くようになった理由としては津波避難タワーの建設や、予想された津波の高さの変化を挙げている[98]。また地元のホテル「河内屋」は50年以上にわたって浦和高校の臨海学校に協力しているが[94]、同ホテルの会長はかつて臨海学校で弓ヶ浜を訪れた高校の卒業生が、大人になってから家族を連れて再び弓ヶ浜を訪れていると証言している[97][98]

2012年夏には内閣府が発表した南海トラフ巨大地震における津波予想高の風評被害の影響から、南伊豆町の海水浴場は客入りが低迷していたが、一方で同じ町内のヒリゾ浜には都市部から行楽客が多数訪れていることが指摘されていた[99]。同年は最終的に、弓ヶ浜の入り込み客数は前年比13.76%減の49428人だった一方、子浦海水浴場は奥50.41%増の4768人、ヒリゾ浜は22.56%増の26289人、妻良海上アスレチックは91.53%増の8619人という結果が出ており、弓ヶ浜の海水浴客が減少する一方でシュノーケリングなどの磯遊び・舟渡の海岸が人気を集めている傾向や、弓ヶ浜に滞在して中木(ヒリゾ浜)で遊ぶケースも増加した可能性が指摘されていた[100]。また2024年7月・8月の南伊豆町内の海水浴場(弓ヶ浜・子浦)入り込み客数は弓ヶ浜は40220人(前年比7%減)、子浦が3610人(70.3%増)となっており、前年に比べて計1525人減少したが、南海トラフ地震臨時情報、台風7号、猛暑の影響が指摘されている。弓ヶ浜(7月20日から8月25日開設)の1日の最多入込数は8月11日の3000人で、若者やファミリー層でにぎわった。子浦(7月23日から8月16日開設)の最多は8月11日・12日の280人で、前年(2023年)は天候不良の影響から例年以上に海水浴客が少なかったが、2024年はSUPなどマリンアクティビティを楽しむ人が多く訪れたという[101]

津波避難タワー(座標)施設名は「湊地区津波避難タワー」で、賀茂地区では初の津波避難タワーである。避難場所となるステージは地上から高さ12 m、海抜15 mに位置し、1,000人を収容できる計算となっている[102]。ステージ上には備蓄品を保管する倉庫(面積31.65平方メートル)が設置されている[103]。内閣府が2012年8月に発表した南海トラフ巨大地震の詳細報告により、弓ヶ浜から青野川河口付近は最大13 - 14 mの津波が地震発生後15分で襲来することが予想されたため、湊区民が南伊豆町にタワーの建設を要望、建設用地(781.44平方メートル)は湊共有地管理会が無償提供し、大規模地震対策等総合支援事業によって建設された[103]

この避難タワーが完成するまでは弓ヶ浜の青野川河口側に高台がなかったため、湊区浜西の住民約200人は津波発生時に逢ヶ浜方面へ約15分かけて避難する必要があったが、タワーの完成により避難の所要時間は約3分と大幅に短縮された[103]

昭和40年代前半からは温暖な気候、東京から近距離にあること、体力づくりに適した砂浜があること[104][105]、海からの風が吹く中で練習できること[106]、そして練習場が水田の中で事故が少なく、住民に迷惑がかからないことから、大学のアーチェリー部が弓ヶ浜の民宿を春季合宿の拠点として利用するようになった[104][105]。1989年(平成元年)および1990年(平成2年)時点では、関東地方を中心に三十数大学ないし四十数大学がアーチェリー部の春季合宿を弓ヶ浜で行っており、南伊豆町の春の風物詩となっていた[104][105]。しかし2002年(平成14年)から2003年(平成15年)にかけては減少傾向にあり、2002年は10校、2003年は7校のみにとどまっていた[107][108]。また冬場でも温暖な気候が足腰のトレーニングにあたって最適とされ、2023年(令和5年)から遡って約40年前から毎年、年末の弓ヶ浜では静岡県東部の複数の高校陸上部が合同合宿を行っており[109]、この合宿の参加者からは箱根駅伝出場者など有名選手を多数輩出している[110]。南伊豆町議会議員の谷正は「五輪に出た〔陸上競技の〕有名選手から、弓ヶ浜の砂浜が練習に適しているという話を聞いた」として、スポーツ合宿誘致に取り組む旨を表明している[111]

南伊豆町議会議員の宮田和彦は、弓ヶ浜の砂浜減少対策を公約の1つとして掲げている[112]。2011年9月の町議会では、宮田の答弁に対し町長の鈴木史鶴哉が、静岡県による2006年(平成18年)の調査では陸上部の砂浜は5年周期で10 m程度増減しており、復元すると考えられていると答弁している[113]。一方で弓ヶ浜のある南伊豆町湊地区より南方にある南伊豆町下流地区の漁民からは、弓ヶ浜から流出した砂がアワビサザエイセエビなどの漁場となっている磯に流入し、穴を埋めている可能性が指摘されている[114]

毎年8月8日20時(午後8時)から弓ヶ浜花火大会が開催されており[注 18]、弓ヶ浜海水浴場の混雑はこの花火大会のころから旧盆の14日・15日ごろがピークとなる[116]。弓ケ浜花火大会は町内唯一の花火大会[117]、および夏の弓ヶ浜海水浴場では最大のイベントとされている[118]。例年約1万人の観客を集めており[119]、2024年で47回目の開催となる[注 19][122]

8月の最終週にはビーチバレー大会が開催されている[10]。松林が周囲の雑音を遮ることから[10]、海水浴シーズンを除けば波音のみが聞こえる静寂な環境となっているため[6]NHKテレビで『日本一の癒しのビーチ・ベストオブビーチ』として紹介されたことがある[10]

白砂青松の景勝で知られるが、2016年時点では地元住民から以前に比べて松が減少していることが指摘されている[25]。弓ヶ浜では観光地引網も行われている[123]

石廊崎先端から南伊豆町の東側各海岸線(本瀬、大瀬、弓ヶ浜、逢ヶ浜など)からは初日の出の「御来光」を眺めることができる[124][125]

脚注

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注釈

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  1. ^ 弓ケ浜とも表記されるが[2][4]国土地理院の表記は弓ヶ浜である[7]
  2. ^ 砂と小石交じりの浜とする文献もある[8]
  3. ^ 2019年(令和元年)の海水浴場開設期間は7月7日から9月1日まで[16]、2023年(令和5年)は7月22日から8月20日まで[17]、2024年(令和6年)は7月20日から8月25日まで[18]
  4. ^ 弓ヶ浜の他、町内では石廊崎海岸、大瀬海岸(蓑掛岩)、波勝崎海岸が選出されている[23]
  5. ^ 青野川が前田川と合流点する地点から河口まで[38]
  6. ^ 青野川は川幅が狭く、流路も蛇行していたため、かつては下流域を中心に水害が続発していたため、治水対策として1968年から段階的に河川改修が行われ、集中豪雨時の洪水や、地震発生時に川を遡上する津波への対策などが図られた。一方で改修によって川辺の風情が失われたため、2010年(平成22年)から遡って約25年前には川沿いにカワヅザクラやソメイヨシノなど約1000本の桜が植栽され、この桜並木は町を代表する観光資源の1つになった[48]
  7. ^ 同館は1986年(昭和61年)4月に開園したが、2012年(平成24年)春には動物輸入卸売業のレップジャパンに買収され、同年8月20日に閉園[51]、同年12月15日に爬虫類・両生類などを展示する体感型動物園「iZoo」として再開園した[52]
  8. ^ 逢ケ浜[59]、逢ノ浜[60]、逢の浜[61]とも表記され、また「逢ノ浜(おおのはま)」と読む場合もある[62]
  9. ^ 例えば2013年は2月下旬から開花し始め、3月下旬に見頃を迎え、5月のゴールデンウイーク頃まで花々が見られた[60]
  10. ^ 雀島とも呼ばれる[66]
  11. ^ 青野川沿いの堤防(南伊豆町下賀茂)にもハマダイコンの群生が見られる[72]
  12. ^ 南伊豆町湊は青野川下流左岸にある地名で[81]、江戸時代から明治22年まで伊豆国賀茂郡湊村だったが[82]、明治22年に竹麻村の一部となり、1955年(昭和30年)には現在の南伊豆町の大字となった[83]
  13. ^ 「鯉名奥の湊」[86]「鯉名の大港」[87][88][89]とも呼ばれる。
  14. ^ 湊へ移転する前に手石へ移転したとする説もある[77]
  15. ^ 多々戸浜(たたどはま)、入田浜(いりたはま)、吉佐美大浜(きさみおおはま)はいずれも下田市の海水浴場である[31]
  16. ^ 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で開催できなかったため、当時の1年生は2年生になった翌2021年の夏に1年生と日程をずらして臨海学校に参加した[95]
  17. ^ ふじみ野高校は前身の大井高校時代から20回近くにわたって弓ヶ浜で臨海学校を開いていた[98]
  18. ^ 2014年(第37回)は台風11合の影響で同月12日に延期された[115]
  19. ^ 2020年は新型コロナウイルスの影響で中止され[119]、翌2021年(第44回)が2年ぶりの開催となった[120][121]

出典

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  1. ^ a b ゼンリン東海 2023, 1頁J-5.
  2. ^ a b c ゼンリン東海 2023, 2頁E-3.
  3. ^ a b c 伊豆半島ジオパーク推進協議会(監修)『伊豆ジオ100 伊豆半島ジオパーク公式ガイドブック』静岡新聞社、2021年3月30日発行、13頁。「南伊豆 > 南-04 【弓ヶ浜】ゆみがはま」
  4. ^ a b c d 静岡新聞』2007年2月10日朝刊18頁「早春・伊豆の海(5完)=弓ヶ浜(南伊豆町)―満天にきらめく星」(静岡新聞社 望月貴広/東部総局)
  5. ^ 『静岡新聞』2015年10月12日朝刊19頁「弓ケ浜海岸でクリーン作戦 300人 ごみ回収に汗 伊豆半島ジオパーク世界認定を祈念―南伊豆」(静岡新聞社)
  6. ^ a b c d 南伊豆町 2016, p. 25.
  7. ^ 地理院地図”. 国土地理院 (2024年). 2024年9月8日閲覧。
  8. ^ a b 静岡新聞社出版局『静岡県の海』静岡新聞社、1996年11月30日初版第1刷発行、587頁。「マリンレジャー > 2.海水浴場」
  9. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編集)、『静岡県』角川書店、1982年10月8日発行、〈角川日本地名大辞典〉22、994頁「ゆみがはま 弓ケ浜〈南伊豆町〉」()
  10. ^ a b c d 環境省選定 快水浴場百選/詳細ページ > 弓ヶ浜海水浴場”. 水環境総合情報サイト. 環境省 (2006年). 2024年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月15日閲覧。
  11. ^ 西伊豆町 et al. 2022, p. 65.
  12. ^ 静岡新聞社出版局『静岡県の海』静岡新聞社、1996年11月30日初版第1刷発行、274頁。「海辺の植物 > 1.海岸の景観をつくる植物」
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参考文献

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関連項目

[編集]

下書き:ぼおるど襲撃事件


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