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下書き:弓ヶ浜 (静岡県)
弓ヶ浜[注 1](ゆみがはま)は、日本の静岡県賀茂郡南伊豆町にある砂浜海岸[注 2][4]。行政区画上は南伊豆町大字湊に位置する[1][2]。
青野川の河口から東側に広がる浜[9][8]、そして盥岬(たらいみさき、座標)[注 3]と弥陀岬[注 4](みだみさき、座標)に囲まれた入江の奥にある砂浜であり、伊豆半島では下田市の白浜海岸に並ぶ大規模な砂浜でもある[13]。砂浜はその名の通り、弓なりの形状で[9][4]、海岸の全長は約1.2 km[4]、砂浜の幅は約40 mである[14]。佐藤昭二ら (1967) によれば、波打ち際から海岸部道路までは約41 mで、砂浜の頂部は海岸部道路付近にあり、その海抜は約6 mである[15]。海浜砂粒径は篩分けの良い中砂で、砂は白味を帯びている[注 5][15]。
「弓ヶ浜」の命名者は、2017年時点で南伊豆町観光協会長を務めていた南伊豆町湊の民宿「紺屋荘」の2代目主人・木下直美の祖父である木下幸雄と伝えられている[17]。砂浜沿いにはクロマツの林があり[18]、白い砂浜と青いマツ林による白砂青松の光景が形成されている[9]。南伊豆の海岸線は険しい崖が多く、弓ヶ浜はその中でも珍しい砂浜である[3]。一帯は国の名勝である伊豆西南海岸の「石廊崎海岸」に含まれている[19][20]。
遠浅で波が穏やかであることから、子供連れの海水浴に適した海水浴場とされており、若者からの人気も高い[21]。例年7月から8月下旬にかけて弓ヶ浜海水浴場が開設される(後述)。白砂青松の海岸と温泉で、南伊豆町の観光の中核を担っているが、周辺には源泉がないため、3 km離れた下賀茂温泉からパイプで引湯している[22]。2002年時点で、弓ヶ浜海岸は下賀茂温泉と並ぶ南伊豆町の「二大観光拠点」とみなされている[23]。
南伊豆町では有数の観光地で、海水浴シーズンは周辺道路が混雑する[24]。日本の渚百選[25]、快水浴場百選[25][26]、静岡県の水辺100選[注 6]に選出されており[27]、伊豆を代表する海水浴場として紹介されている[28]。また日本の白砂青松100選にも選定されている[29]。下田市の白浜海岸[30][31][29]、河津町の今井浜[32][29]とともに伊豆三大海水浴場[33][34]、伊豆三大美浜[29]の1つとして数えられる場合もある。静岡県による水質調査の結果、水質区分は2023年度(令和5年度)・2024年度(令和6年度)ともに最高の「AA」と判定されている[35]。またAAランクのうち「極めて水質の良好な水浴場」として発表されたこともある[36]。
地理
[編集]弓ヶ浜のある南伊豆町湊地区は、下田市から南西約10 kmに位置し、太平洋に面した集落である[37]。弓ヶ浜は伊豆半島の南端である石廊崎と下田市のほぼ中間に位置する砂浜で[9]、相模灘に面した海岸である[38]。弓ヶ浜海水浴場を運営している南伊豆町湊区は、弓ヶ浜は伊豆半島で最も南にある海水浴場であると述べている[39]。
弓ヶ浜は堅硬な岩石の岬に挟まれた砂浜で、防砂林と砂丘から構成されている[37]。佐藤昭二ら (1967) は、湾口の両側[注 7]には岩肌が露出していると報告している[41]。南伊豆町湊区は、浜の左右(東西)にある岬が外洋からの波の侵入を抑えているため、波が穏やかで遠浅になっていると述べている[39]。弓ヶ浜の南にある岬は弁財天岬(座標)と呼ばれる[42]。
弓ヶ浜の海岸線は「手石港」(ていしこう)という地方港湾の海岸保全区域(総延長3580 m)に指定されている[注 8][44]。また浜の西端は青野川の河口左岸に隣接しており[45]、青野川河口部周辺は対岸部を含めて同港の臨港地区になっている[44]。手石港はかつて鯉名(小稲)湊とも呼ばれた湊で(後述)[46]、古くから風待避難港として発展した[44]。戦後、手石港は沿岸漁業などに出漁する地元漁船の基地として整備されており、また周辺海域には岩礁やダイビングスポットがあるため[44]、釣り船やダイビング船が係留されている[47]。一方で佐藤昭二ら (1967) は、手石港内には河口から流出する土砂が堆積しているため、小型船の入港も困難であると報告している[41]。なお、弓ヶ浜と青野川の河口は石積みの堤防で隔てられている[48]。この堤防は防波堤(導流堤)で[40]、捨石で構成されており、1トンの割石で被覆されている[15]。この導流堤は1943年(昭和18年)ごろから建設が開始されたが、この導流堤の建設が進むにつれて青野川から弓ヶ浜へ流出する砂が減少し、砂浜の減少の要因になっていることが指摘されている(後述)[15]。
弓ヶ浜海岸から下田市田牛の田牛海岸までの海岸線には全長3.7 kmの「タライ岬遊歩道」がある[49]。弓ヶ浜のマツ林の中にある「休暇村南伊豆」がタライ岬遊歩道の起終点である[10]。この遊歩道は1975年に建設されたもので、徒歩で全区間を走破した場合の所要時間は約2時間50分であり、沿線には田牛や弓ヶ浜など海岸風景の美しい場所があるため、年間3000人以上が利用している[50]。
逢ヶ浜
[編集]弓ヶ浜の東方には逢ヶ浜[注 9](おうのはま[55]、座標[56])という岩場の広がる海岸がある[57]。逢ヶ浜は弓ヶ浜と盥岬の中間に位置しており[56][58]、弓ヶ浜の東方に突き出た「高見山」という岬の向かいにある[56]。逢ヶ浜は弓ヶ浜の最寄りバス停である「休暇村」バス停から徒歩約10分の場所に位置しており、弓ヶ浜の南東端から磯を歩くことで到達できる[55]。弓ヶ浜から逢ヶ浜への徒歩での所要時間は約3分である[59]。
逢ヶ浜の一帯は丸石が多く、雀岩[注 10](座標)、姑岩(座標)、エビ穴[注 11](座標)といった奇岩が点在している[62]。逢ヶ浜は海底火山からの噴出物によって形成された岩礁海岸で[63]、2013年時点から遡って1000万年 - 200万年前の白浜層群に属しており、火山活動で隆起した海岸と考えられている[62]。逢ヶ浜の地層は海底溶岩流や水底土石流による凝灰角礫岩で形成されており[64]、その地層をマグマが貫いたことで放射状節理が形成されている[57]。これらの地層を貫く岩脈は須崎安山岩類とされる[64]。この放射状の柱状節理は盥岬遊歩道の登り口付近に位置しており、数百万年前の海底火山活動で誕生したものと考えられている[62]。マグマは冷えて固まると少し縮み、冷やされた側から節理(隙間から生じた割れ目)が伸びていくという性質があるが、逢ヶ浜の節理は四方から冷やされたため、遅れて冷えた中心部分へと割れ目が伸びていき、放射状の節理が形成されたとされている[65]。
1839年(天保10年)には当時の湊村に設置されていた神社が移設再建される形で、海の神を祀る「龍権神社」が逢ヶ浜に建立され、海上・海中の安全、大漁満作、町内安全を司るとして地元の漁業者らから信仰されている[66]。また歌川広重の作品『不二三十六景』の1作である「伊豆の海浜」は、この逢ヶ浜から眺めた富士山の風景を参考に描かれたものと考えられている[67]。
逢ヶ浜はマメタワラ、アラメ、カジメなどの海草・海藻の生息地として、環境省により生物多様性の観点から重要度の高い湿地(重要湿地)の「伊豆半島南東部沿岸」に選定されている[68]。逢ヶ浜にはハマダイコンが群生しており[55]、3月から4月ごろにハマダイコンの花が[注 12]、11月ごろにツワブキとイソギクの花がそれぞれ見頃を迎える[10]。ハマダイコンは伊豆南部の海岸各所で群生が見られるが[注 13]、逢ヶ浜はその代表的な名所の一つである[51]。逢ヶ浜のハマダイコンは一時激減したが、開花後に採取した種子を蒔いたことで復活したという[58]。
弓ヶ浜とは異なり、逢ヶ浜は夏の海水浴シーズン中も海水浴客は少ないが、シュノーケリング[59]、地層や磯の生き物の観察に適している[55]。特に大潮の干潮時にはトンボロ現象により、沖合約100 mにある雀岩まで潮が引いて海底が露出するため、足を濡らさずに歩いて渡ることができる[60]。南伊豆町で自然体験プログラムを開いている団体「エコサーファー」代表の堀直也によれば、逢ヶ浜には約33000種の生物が生息しているという[70]。また海女が漁をする姿も見られる[55]。南伊豆休暇村が近くにあるため、観光客が散歩などで訪れることも多い[71]。
生物
[編集]マツ林
[編集]弓ヶ浜の砂浜沿いにはクロマツが自生しており[18]、面積2.9 haにおよぶマツ林が形成されている[9]。マツ林の長さは約1.5 km、幅は0.02 - 0.03 kmである[9]。このマツ林は明治以前からあったもので、樹齢200年に達するマツの木もあり[9]、静岡県が海岸防災林として管理している[注 14][18]。
クロマツは静岡県の海岸で重要な植物であるが、天然のクロマツ林は伊豆南部にわずかにあるのみで、遠州灘海岸から三保の松原、田子の浦海岸、千本松原などにかけて見られるクロマツ林のほとんどは砂防用などのために植林されたものである[73]。
湊区共有地管理会は、海岸周辺に約15000 m2のマツ林を所有・自主管理している[24]。弓ヶ浜海岸のマツ林は地元の共有地管理会が主体となり、定期的に林内の清掃・除間伐が行われているため、海水浴客が気軽に散策できるようになっていると評されている[72]。またこのマツ林が周囲の雑音を遮ることから[14]、海水浴シーズンを除けば波音のみが聞こえる静寂な環境となっているため[6]、NHKテレビで『日本一の癒しのビーチ・ベストオブビーチ』として紹介されたことがある[14]。一方、2016年時点では地元住民から以前に比べてマツの木が減少していることが指摘されている[29]。
また湊区共有地管理会によれば、弓ヶ浜のマツ林では1995年(平成7年)から遡って約10年前から松くい虫の被害が出るようになり、特に4、5年前から被害が大きくなったため、薬剤や伐採などによる防除に加え、松くい虫被害の原因となるマツノザイセンチュウに抵抗力のある品種を補植するなどの取り組みを行っている[24]。またマツ枯れは松くい虫だけでなく、車の排ガスによる影響も考えられているが、町の農林課長・高野克巳は「観光は南伊豆の重要な産業なので観光客のマイカー規制までは考えていない」と話している[24]。
その他の生物
[編集]弓ヶ浜海岸にはクロマツだけでなく、イブキやシマハイネズも生えている[74]。また弓ヶ浜には、主に発達した根茎を持つ多年生草本を優占種とする複数の砂丘植生が確認されている[75]。その内訳はハマグルマ―コウボウムギ群集、ハマグルマ―オニシバ群集、オオマツヨイ―チガヤ群落、チガヤ―ハマゴウ群集、コウボウシバ群落の3群集2群落で、それぞれの植生の構成種はいずれも10種以下であり、1種のみの純群落となる場合もある[75]。
弓ヶ浜(青野川河口)からほど近い青野川の左岸部にはマングローブ植生地(座標)がある[76]。この地点は青野川が支流の前田川と合流する地点の左岸部であり[77]、ここには1959年(昭和34年)、静岡県有用植物園長の竹下康雄がマングローブ植物の一種であるメヒルギの種苗を種子島から移植した[78]。その当初はほとんどが冬の寒さで枯死したが、後に研究者らが移植を繰り返したことで活着する個体が増加し、自然繁殖によって小さな群落を形成[79]、マングローブ生息地の北限として知られるようになった[78]。2017年(平成29年)から遡って約20年前、この群落は青野川の護岸工事[注 15]に伴って消滅の危機に直面したが、保護を求める声が地元から上がり[79]。、県はマングローブの成木数本を移植し[81]、数百坪ほどの群生地を保全した[79]。
海水浴シーズンに当たる6月から8月にかけて、弓ヶ浜にはアカウミガメが産卵のために上陸する[82]。河津町にあったカメの水族館「伊豆アンディランド」(現:iZoo)[注 16]職員は、ウミガメは満潮時に波打ち際から陸地までかなり距離のある海岸でなければ産卵せず、そのような状況でも陸地まで約30 m程度しかない弓ヶ浜など伊豆地方での産卵は珍しいと述べている[85]。一方で1997年(平成9年)時点では、弓ヶ浜では毎年数頭のアカウミガメの上陸・産卵が確認されていると報じられており[86]、同年4月には南伊豆町が県内で初となる「町ウミガメ保護条例」を施行した[87]。この条例は、ウミガメの捕獲や卵の採取を禁止する罰金(最高30万円)付きの条例であり、同条例の施行に伴い、町から「ウミガメ保護監視員」に任命された地元住民が[88]、産卵シーズンに毎朝海岸を巡回し、発見した卵を回収して近くの移設場[注 17]で保護するという活動を行っている[89]。また弓ヶ浜は県内有数のアカウミガメの産卵地として有名だったとする報道[82]、伊豆半島では南部・西部の海岸が主な産卵場所になっているという報道もあり[90]、条例制定前は毎年2-18頭のウミガメの上陸・産卵があったが、1996年(平成8年)には産卵が確認できず、絶滅のおそれがあるとして翌1997年の条例施行につながったとも報じられている[91]。
弓ヶ浜はキス釣りのスポットにもなっている[42]。休暇村南伊豆の公式ホームページでは、弓ヶ浜ではキスやカレイ、メゴチ、ベラ、メジナ、メバル、イワシなどが釣れると紹介されており、休暇村では釣り竿のレンタルも行われているが、海水浴シーズンの7月中旬から8月下旬には弓ヶ浜では釣りが禁止される[92]。
歴史
[編集]弓ヶ浜は青野川から流出した砂が海流で流され、南西から北東へ伸びる帯状に滞留したことで形成された砂嘴である[93]。弓ヶ浜のある南伊豆町湊地区は青野川の河口にある集落である[82]。また弓ヶ浜から見て青野川の対岸にある手石は、青野川が土砂を堆積させたことで形成された沖積地であり、2013年時点では田畑と民家が混在する田園地帯になっている[94]。現在の「日野交差点」(座標)から弓ヶ浜までの範囲にはかつて「手石大湊」があったとされる[95]。石村智(東京文化財研究所無形文化遺産部室長)は、弓ヶ浜はかつての砂州であり、現在の市街地は海であったと推測している[95]。石村は弓ヶ浜から北西(青野川右岸部)に「十二艘」という地名(おおよその座標)が残されている点や、青野川をさらに内陸に遡ると弥生時代から古代にかけての大集落遺跡である日詰遺跡(おおよその座標)がある点、そして伊豆半島が隆起によって形成された土地である(すなわち、かつては現代よりさらに標高が低かったと考えられる)点から、かつて弓ヶ浜は背後のラグーンを外海から隔てており、弓ヶ浜の背後にあったラグーンは船を安全に停泊させられる天然の良港になっていたのだろうと推測し[96]、古代末期までは潟湖地形と港としての機能を維持していたと考察している[97]。弓ヶ浜のある集落は湊(みなと)という地名であるが[注 18][101]、この地名は『南豆風土誌』によれば、かつて一帯が港を形成していたことによるものである[102]。港として利用されていたことの名残である[57]。
かつてこの地は入江だったとされるが、青野川から海に流出した砂が波で押し戻されて砂嘴を形成し、後に上流から流れ出た土砂が現在の湊地区に相当する場所へ堆積したことで陸地が形成され、やがて現在のような海岸線が形成されたと考えられている[82]。平安時代ごろ、現在の南伊豆町湊や手石、下賀茂、青市などの一帯は海が入り込み、「鯉名泊」(こいなのとまり)[注 19]と称されていた[103]。「鯉名泊」は当時、伊豆一の港と称された海上交通の要衝で[103]、風待避難港として栄えた[82][105][106]。源平合戦で平氏に与した伊東祐親が1180年(壽永4年)の富士川の戦い前に平家軍に合流しようとしたところ、囚われた地はこの「鯉名泊」であると考えられている[94]。鯉名湊(現在の手石港)は江戸時代から大正ごろまで、青野川流域の物資の集散地、および薪炭・竹などの積出港として栄えており[46]、伊豆地方の移出入荷物のほとんどが集積する地として繁栄した時期もあった[107]。
また手石や小稲、下田市田牛を含む一帯は伊勢神宮外宮の神領「蒲谷御厨」であり、この地から産出されていた砂鉄から製作する鉄製品の鍬が毎年都に貢納されるなど、都と深いつながりがあったことから、12世紀はじめには平城京の大安寺支院として「石門寺」が青市の山間に建立されたと伝えられている[94]。「石門寺」は後に浄土系から曹洞宗へ改宗して湊へ移転し[注 20]、「修福寺」(座標)へ改称したとされる[94]。
観光地として
[編集]弓ヶ浜海水浴場
[編集]南伊豆町は南伊豆町は2016年(平成28年)に海水浴場の安全・環境衛生・秩序などの維持を目的とした「南伊豆町海水浴場条例」を制定したが、同条例では弓ヶ浜海水浴場と子浦海水浴場(南伊豆町子浦、座標)の2箇所が海水浴場として規定されている[108]。
南伊豆町は高度経済成長期を迎えるまで「陸の孤島」としての性格を強く有していたが[109]、1965年(昭和40年)ごろ以降からは夏の海水浴シーズンを中心に観光地として賑わい始めるようになった[110]。その要因には1961年(昭和36年)12月に伊豆急行線が開通し、首都圏と南伊豆との時間・距離が大幅に短縮されたことや、伊豆半島東海岸の道路が石廊崎までアスファルト舗装されたことなどによって交通利便性が向上したことや、マスコミの宣伝などによって観光客が増加したことなどが挙げられる[111]。弓ヶ浜はそれ以前から、長い砂浜と遠浅の海岸を持つ海水浴場として賑わっていたとされるが[111]、このころから白砂青松の海岸として、静かな入江の子浦海水浴場とともに南伊豆町の代表的な海水浴場として知られるようになった[110]。湊地区では1964年(昭和39年)以降に民宿が発達し始め、1976年(昭和51年)時点では弓ヶ浜民宿組合に加盟する民宿だけで59件、さらに臨時に民宿になる家(約60件)を加えると、総世帯数370戸の約3分の1が民宿を経営しているとされていた[111]。1970年代には、弓ヶ浜では多くの旅館・民宿・ホテルが開業し、温泉需要が急上昇したことにより、最盛期には温泉宿泊施設が120軒以上に上った[22]。一方で昭和50年代は海の家が乱立し、混乱していた時期もあったという[112]。1993年4月13日には弓ヶ浜海水浴場監視所が落成した[27]。
1989年(平成元年)の海開きは7月9日[33]、1991年(平成3年)は7月7日だった[34]。2019年(令和元年)の海水浴場開設期間は7月7日から9月1日まで[113]、2023年(令和5年)は7月22日から8月20日まで[114]、2024年(令和6年)は7月20日から8月25日までであった[115]。海水浴シーズンは地域内外から多くの海水浴客が訪れ、賑いを見せるが、海水浴シーズン以外はイベントなどはほとんど開かれず、閑散としている[6]。
2024年7月・8月の南伊豆町内の海水浴場(弓ヶ浜・子浦)入り込み客数は弓ヶ浜は40220人(前年比7%減)、子浦が3610人(70.3%増)となっており、前年に比べて計1525人減少したが、これらの要因としては南海トラフ地震臨時情報の発表、台風7号、猛暑の影響が指摘されている。弓ヶ浜(7月20日から8月25日開設)の1日の最多入込数は8月11日の3000人で、若者やファミリー層でにぎわった。子浦(7月23日から8月16日開設)の最多は8月11日・12日の280人で、前年(2023年)は天候不良の影響から例年以上に海水浴客が少なかったが、2024年はSUPなどマリンアクティビティを楽しむ人が多く訪れたという[116]。
弓ヶ浜花火大会
[編集]弓ヶ浜では毎年8月8日20時(午後8時)から「弓ヶ浜花火大会」が開催されており[注 21]、弓ヶ浜海水浴場の混雑はこの花火大会のころから旧盆の14日・15日ごろがピークとなる[118]。弓ヶ浜花火大会は町内唯一の花火大会[119]、および夏の弓ヶ浜海水浴場では最大のイベントとされている[120]。例年約1万人の観客を集めており[121]、2024年で47回目の開催となる[注 22][124]。
その他のレジャー・イベント
[編集]弓ヶ浜では近隣の多々戸浜、入田浜、吉佐美大浜[注 23]と同じく、一年中サーフィンが行われている[125]。なお海水浴シーズン中は、青野川河口と浜を隔てる堤防から約200 m幅が「マリンスポーツエリア」に指定され、同エリアでは一般の海水浴は禁止される一方、サーフィン、SUP、シーカヤックなどのマリンクラフトはライフセーバー監視時間中(8時から17時まで)はマリンスポーツエリア以外では発着できなくなる[126]。この取り組みは2014年に初めて試験的に行われ、船外機を使用しないシーカヤック、カヌー、サーフィンを海水浴シーズン中にも受け入れている[127]。また海水浴のオフシーズンには、日本ジェットスキー協会の主催するジェットスキーの全国大会「JISBAジェットスキー大会」が2004年までに計10回開催されている[注 24]。同協会の理事・黒田成彬によれば、弓ヶ浜は湾になっていることから波が安定しており、眺望も良いため、ライダーたちに好評であるという[129]。
8月の最終週には、弓ヶ浜でビーチバレー大会が開催されている[14]。
石廊崎先端から南伊豆町の東側各海岸線(本瀬、大瀬、弓ヶ浜、逢ヶ浜など)からは初日の出の「御来光」を眺めることができる[131][132]。
弓ヶ浜にある若宮神社(座標)の秋祭りでは「弓ヶ浜の祭太鼓」が打たれており、国立劇場が主催する「日本の太鼓」の公演でも上演されている[133]。
津波避難タワー
[編集]湊地区では1985年(昭和60年)から津波対策事業として、防波堤の嵩上げ、陸閘・水門の整備が行われ、1992年(平成4年)に完了したが[107]、2012年8月に内閣府が発表した南海トラフ巨大地震の詳細報告では、弓ヶ浜から青野川河口付近にかけては最大で13 - 14 mの津波が、地震発生から15分で襲来するという予想が示された[134]。湊区は低地に約400世帯(2005年時点)が暮らしており、地震発生時に住民が高台の避難場所まで避難する際に時間がかかると指摘されている[135]。同年夏にはその風評被害の影響から、南伊豆町の海水浴場は客入りが低迷していたが、一方で同じ町内のヒリゾ浜には都市部から行楽客が多数訪れていることが指摘されていた[136]。同年は最終的に、弓ヶ浜の入り込み客数は前年比13.76%減の49428人だった一方、子浦海水浴場は50.41%増の4768人、ヒリゾ浜は22.56%増の26289人、妻良海上アスレチックは91.53%増の8619人という結果が出ており、弓ヶ浜の海水浴客が減少する一方でシュノーケリングなどの磯遊び・舟渡の海岸が人気を集めている傾向や、弓ヶ浜に滞在して中木(ヒリゾ浜)で遊ぶケースも増加した可能性が指摘されていた[137]。
また、この内閣府の予想を受けて湊区民は南伊豆町に津波避難タワーの建設を要望し、湊共有地管理会は建設用地(781.44 m2)を町に無償提供、町は大規模地震対策等総合支援事業によって津波避難タワーを建設することとなった[134]。2014年3月7日、賀茂地区で初の津波避難タワーとなる「湊地区津波避難タワー」(座標)が竣工した[138]。避難場所となるステージは地上から高さ12 m、海抜15 mに位置し、1,000人を収容できる計算となっている[138]。ステージ上には備蓄品を保管する倉庫(面積31.65 m2)が設置されている[134]。この避難タワーが完成するまでは弓ヶ浜の青野川河口側に高台がなかったため、湊区浜西の住民約200人は津波発生時に逢ヶ浜方面へ約15分かけて避難する必要があったが、タワーの完成により避難の所要時間は約3分と大幅に短縮された[134]。
またこの津波避難タワーとは別に、地元の住民が津波発生時に自宅近くの山へ避難できるように階段を整備するという試みも行われているが、防災設備整備のために町から出る補助金では整備に必要な費用が不足することに加え、その不足分を補填するための資金源として期待していた海水浴場の駐車場収入がコロナ禍で激減したため、整備が思うように進んでいないことが2022年(令和4年)8月に報じられている[139]。
教育・合宿拠点としての利用
[編集]遠浅で波が静かなことから、1991年(平成3年)から遡って約20年前から関東地方を中心とした学校が臨海学校で弓ヶ浜を利用するようになった[140]。弓ヶ浜で長年にわたって臨海学校を開催している学校の1つとして、埼玉県の県立浦和高校がある[141]。同校は1958年(昭和33年)から1年生を対象とした臨海学校を行っており[注 25][143][141]、2024年(令和6年)時点で67回目である[141]。当初は千葉県の勝山海岸で臨海学校を行っていたが[144]、東京湾の水質悪化を受けて1968年(昭和43年)以降は弓ヶ浜で行うようになった[145]。それ以降、同校は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した2011年(平成23年)まで水害や震災の直後を除いて毎年弓ヶ浜で臨海学校を開催していたが、2012年(平成24年)から2014年(平成26年)は南海トラフ巨大地震への懸念から、新潟県で臨海学校を開催していた[146]。また同様に弓ヶ浜で臨海学校を開催していた埼玉県立ふじみ野高校[注 26]も、2013年(平成25年)からは新潟県で臨海学校を開催するようになったが[146]、浦和高校は2015年(平成27年)から、ふじみ野高校も2017年(平成29年)からはそれぞれ再び弓ヶ浜で臨海学校を開催するようになっている[146]。浦和高校校長の杉山剛士は、弓ヶ浜の魅力として長い砂浜や遠浅の海、風光明媚な土地柄、水泳指導に来るOBや地域の歓迎などの存在を挙げた上で、臨海学校を再び弓ヶ浜で開くようになった理由としては津波避難タワーの建設や、予想された津波の高さの変化を挙げている[146]。また地元のホテル「河内屋」は50年以上にわたって浦和高校の臨海学校に協力しているが[141]、同ホテルの会長はかつて臨海学校で弓ヶ浜を訪れた高校の卒業生が、大人になってから家族を連れて再び弓ヶ浜を訪れていると証言している[145][146]。
また昭和40年代前半からは温暖な気候、東京から近距離にあること、体力づくりに適した砂浜があること[147][148]、海からの風が吹く中で練習できること[149]、そして練習場が水田の中で事故が少なく、住民に迷惑がかからないことから、大学のアーチェリー部が弓ヶ浜の民宿を春季合宿の拠点として利用するようになった[147][148]。1989年(平成元年)および1990年(平成2年)時点では、関東地方を中心に三十数大学ないし四十数大学がアーチェリー部の春季合宿を弓ヶ浜で行っており、南伊豆町の春の風物詩となっていた[147][148]。しかし2002年(平成14年)から2003年(平成15年)にかけては減少傾向にあり、2002年は10校、2003年は7校のみにとどまっていた[150][151]。
また冬場でも温暖な気候が足腰のトレーニングにあたって最適とされ、2023年(令和5年)から遡って約40年前から毎年、年末の弓ヶ浜では静岡県東部の複数の高校陸上部が合同合宿を行っており[152]、この合宿の参加者からは箱根駅伝出場者など有名選手を多数輩出している[153]。南伊豆町議会議員の谷正は「五輪に出た〔陸上競技の〕有名選手から、弓ヶ浜の砂浜が練習に適しているという話を聞いた」として、スポーツ合宿誘致に取り組む旨を表明している[154]。
課題点
[編集]青野川河口部と弓ヶ浜を隔てる導流堤の建設が進むにつれて、弓ヶ浜の砂浜は欠壊し始め、特に1960年代に入ってから導流堤に近い部分ほど著しく欠壊するようになった[15]。その一方で導流堤の対岸部(右岸部)にある物揚場付近に砂州が形成されるようになった[15]。その原因は、導流堤の建設によって洪水期に河口から排出されていた砂が海岸に供給されなくなり、その大部分が沖側に沈殿し、それが波によって導流堤の対岸(河口右岸部)の浅瀬付近まで押しやられ、そこに浅瀬が形成されるようになったためであると考えられている[15]。また2014年時点で南伊豆町から委嘱されて「ウミガメ監視員」を務めている男性(同年11月時点で73歳)は、1960年代以降に弓ヶ浜周辺の開発が急速に進行し、道路整備によって海岸近くの叢が消滅した影響で、風で吹き飛ばされた砂が叢で留められなくなったため、砂浜の面積が自身の子供のころの半分にまで減少したと語っている[82]。1997年(平成9年)10月22日に静岡県熱海市で開催された「伊豆地域のみなとを考える市町村長懇談会」では、南伊豆町の担当者が弓ヶ浜の侵食対策を要望している[155]。
2012年(平成24年)12月には港湾空港技術研究所沿岸環境研究領域沿岸土砂管理研究チームが、弓ヶ浜の砂浜は30年前に比べて20 m減少・後退したと報告しており、その対策方法としては石籠などの設置、養浜などを提案している[156]。南伊豆町議会議員の宮田和彦は、弓ヶ浜の砂浜減少対策を公約の1つとして掲げている[157]。2011年9月の町議会では、宮田の答弁に対し町長の鈴木史鶴哉が、静岡県による2006年(平成18年)の調査では陸上部の砂浜は5年周期で10 m程度増減しており、復元すると考えられていると答弁している[158]。一方で弓ヶ浜のある南伊豆町湊地区より南方にある南伊豆町下流地区の漁民からは、弓ヶ浜から流出した砂がアワビ・サザエ・イセエビなどの漁場となっている磯に流入し、穴を埋めている可能性が指摘されている[159]。
手石港を管理している静岡県下田土木事務所は、手石港に出入港する漁船などにとって安全な水深を確保する目的で、港内の航路・泊地で浚渫事業を行っているが[160]、2013年度(平成25年度)以降は浚渫した土砂の一部を養浜目的で弓ヶ浜に投入して有効活用している[161]。同事務所は、2024年度(令和6年度)からの5年間で少なくとも58169 m3の浚渫を行う必要があるが、うち4000 m3程度(800 m3/年程度)が養浜事業整備材料として活用される見込みであると報告している[162]。
近隣
[編集]浜の近くにある「休暇村南伊豆」(座標)「弓ヶ浜ロイヤルホテル」(座標)「いなとり荘・季一遊」(座標)の3つの建物は、いずれも4-5階建ての鉄筋コンクリート造で、2005年時点で南伊豆町と災害時の使用協定を結んでおり、災害時には津波避難ビルとして無料で利用できる[135]。休暇村南伊豆(旧:南伊豆国民休暇村)は弓ヶ浜に面する形で建っているホテルで[163]、1969年(昭和44年)に開設され[164]、1992年時点では町内唯一の公営宿泊施設だった[165]。休暇村南伊豆は海水浴シーズンを中心に観光客でにぎわっており、開業40周年を迎えた2008年(平成20年)までに約270万人の利用客があった[163]。
また南伊豆町はイセエビが名産品であるが、休暇村南伊豆のすぐ近くにある「青木さざえ店」(座標)では「伊勢海老天丼」や、小さなイセエビ2匹をトッピングした「伊勢えびラーメン」が人気メニューになっている[166]。
交通アクセス
[編集]東海バス「下田駅」バス停(伊豆急下田駅前)から「休暇村経由石廊崎オーシャンパーク行き」に乗車し、「休暇村」バス停で下車。「下田駅」から「休暇村」までの所要時間は約25分[167]。
その他
[編集]2007年には、伊豆半島南部の被災地に陸路で救援部隊が入れない場合を想定し、海上自衛隊の輸送艦「くにさき」を弓ヶ浜海岸の3 km沖合に停泊させ、2隻のエア・クッション型揚陸艇で災害支援に当たる車両(大型トラック、水トレーラー、炊飯トレーラーなど)や陸上自衛隊員を上陸させるという訓練が行われた[168]。同年当時の南伊豆町長・鈴木史鶴哉は、弓ヶ浜は海上からの災害支援人員の輸送に適していると評している[168]。
南伊豆町は1995年、弓ヶ浜や奥石廊崎など町内の代表的な風景写真の入った名刺の台紙5種類を作成し、町の全職員がこれを利用することで積極的に町をPRしようと試みていた[169]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 弓ケ浜とも表記されるが[2][4]、国土地理院の表記は弓ヶ浜である[7]。
- ^ 砂と小石交じりの浜とする文献もある[8]。
- ^ 「タライ岬」とも表記される[10]。
- ^ 弓ヶ浜と小稲港の間に突き出ている手石の岬を弥陀岬[11]、もしくは弥陀山と呼ぶ[12]。この岬の先端の崖下には弥陀窟と呼ばれる洞窟(座標)があり、1934年12月28日に国の天然記念物に指定されている[12]。→「手石の阿弥陀三尊」も参照
- ^ 佐藤昭二ら (1967) は、手石湾内の砂粒の平均粒径は0.3 mm程度、淘汰係数は1.4で、均一な細砂であると報告している[16]。
- ^ 弓ヶ浜の他、町内では石廊崎海岸、大瀬海岸(蓑掛岩)、波勝崎海岸が選出されている[27]。
- ^ 西側は防波堤の根元付近[40]。
- ^ 青野川が前田川と合流点する地点から河口まで[43]。
- ^ 逢ケ浜[51]、逢ノ浜[52]、逢の浜[53]とも表記され、また「逢ノ浜(おおのはま)」と読む場合もある[54]。
- ^ 「雀岩」(すずめいわ)の名前の由来は、潮が満ちてくると雀の鳴き声のような音を立てることである[10]。雀島[58]、スズメ岩[60]とも呼ばれる。
- ^ 海老穴と表記される場合もある[58]。海から三角形の岩が突き出ており、その形が海老の頭に似ていることが由来である[61]。
- ^ 例えば2013年には2月下旬からハマダイコンが開花し始め、3月下旬に見頃を迎え、5月のゴールデンウィークごろまで花々が見られた[52]。
- ^ 南伊豆町下賀茂の青野川沿いの堤防にもハマダイコンの群生が見られる[69]。
- ^ 魚つき保安林ではなく、潮害防備保安林である[72]。
- ^ 青野川は川幅が狭く、流路も蛇行していたため、かつては下流域を中心に水害が続発していたため、治水対策として1968年から段階的に河川改修が行われ、集中豪雨時の洪水や、地震発生時に川を遡上する津波への対策などが図られた。一方で改修によって川辺の風情が失われたため、2010年(平成22年)から遡って約25年前には川沿いにカワヅザクラやソメイヨシノなど約1000本の桜が植栽され、この桜並木は町を代表する観光資源の1つになった[80]。
- ^ 同館は1986年(昭和61年)4月に開園したが、2012年(平成24年)春には動物輸入卸売業のレップジャパンに買収され、同年8月20日に閉園[83]、同年12月15日に爬虫類・両生類などを展示する体感型動物園「iZoo」として再開園した[84]。
- ^ 孵化小屋[82]。
- ^ 南伊豆町湊は青野川下流左岸にある地名で[98]、江戸時代から明治22年まで伊豆国賀茂郡湊村だったが[99]、明治22年に竹麻村の一部となり、1955年(昭和30年)には現在の南伊豆町の大字となった[100]。
- ^ 「鯉名奥の湊」[103]「鯉名の大港」[104][105][106]とも呼ばれる。
- ^ 湊へ移転する前に手石へ移転したとする説もある[94]。
- ^ 2014年(第37回)は台風11号の影響で同月12日に延期された[117]。
- ^ 2020年は新型コロナウイルスの影響で中止され[121]、翌2021年(第44回)が2年ぶりの開催となった[122][123]。
- ^ 多々戸浜(たたどはま)、入田浜(いりたはま)、吉佐美大浜(きさみおおはま)はいずれも下田市の海水浴場である[35]。
- ^ 同大会は日本各地で年間6戦開催されており、2005年時点で23年目[128]。
- ^ 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で開催できなかったため、当時の1年生は2年生になった翌2021年の夏に1年生と日程をずらして臨海学校に参加した[142]。
- ^ ふじみ野高校は前身の大井高校時代から20回近くにわたって弓ヶ浜で臨海学校を開いていた[146]。
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参考文献
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関連項目
[編集]下書き:ぼおるど襲撃事件
下書き:ぼおるど襲撃事件
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