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千貫石ため池

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千貫石ため池

千貫石ため池付近の空中写真。1976年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 岩手県金ケ崎町
位置
千貫石ため池の位置(日本内)
千貫石ため池
北緯39度13分33秒 東経141度00分29秒 / 北緯39.22583度 東経141.00806度 / 39.22583; 141.00806座標: 北緯39度13分33秒 東経141度00分29秒 / 北緯39.22583度 東経141.00806度 / 39.22583; 141.00806
成因 灌漑用人造湖
淡水・汽水 淡水
プロジェクト 地形
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千貫石ため池(せんがんいしためいけ)は、岩手県胆沢郡金ケ崎町千貫石にあるため池である。貯水容量は516万8000立方メートル、湛水面積47ヘクタール[1]2010年(平成22年)3月25日農林水産省ため池百選に選定された[2]

概要

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  • 1682年(天和2年)仙台藩主・伊達綱村の命により、胆沢郡相去村六原の灌漑用水源として着工。普請奉行は水沢領主・伊達宗景。初めの三年間は毎年大破したので「おいし」という若い女性を銭千貫で買い、牛とともに人柱にしたという悲しい伝説が残る[3](この池の名前の由来は「千貫で買ったおいし」から命名されていると伝わる[4]
  • 1691年(元禄4年)工事完成[5]
  • 1778年(安永7年)6月6日に大雨により決壊し下流に甚大な被害を及ぼした[6]ため放置されていた。
  • 1924年(大正13年)旱魃による水不足を解消するため耕地整理組合が設立した。
  • 1931年(昭和6年)3月31日起工
  • 1935年(昭和10年)11月20日アースダムとしては竣工当時は全国最大であった。
  • 1935年(昭和10年)12月1日より「六原模範農村部県営開墾計画のかんがい用水源」増堤工事を起工
  • 1954年(昭和29年)県営溜池改修事業
  • 1959年(昭和34年)災害復旧事業
  • 1960年(昭和35年)県営千貫石老朽溜池事業から1962年(昭和37年)にかけて改修
  • 1976年(昭和51年)5月11日岩手県営千貫石地区灌漑排水事業として、水路改修、堤防波返補強を起工し、
  • 1985年(昭和60年)10月竣工、堤長247.5m、堤高30.7のため池となった。[7](詳細は右表)

アクセス

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道路

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路線バス

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脚注

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  1. ^ "千貫石ダム"(ダム便覧)2024年8月24日閲覧。
  2. ^ 千貫石ため池
  3. ^ 千貫おいし, p. 12a「お石の入った石の櫃は、工事現場の川底深くに沈められました。この時、冥土(めいど)へのみやげとして赤牛1頭を一緒に沈めました」
  4. ^ 千貫おいし, p. 12c「この溜池は千貫文で買われてきたお石を、人柱にしたことから千貫石と呼ばれました」
  5. ^ 千貫おいし, p. 12b「工事は予定よりだいぶ遅れて、完成するのにさらに7年もかかってしまったのです。」
  6. ^ 千貫おいし, p. 14「溜池が完成して、百年も経とうとしたある年の春のことです。大雨が7日7晩降り続き、川の水があふれ、堰が切れて、津波のような鉄砲水が村を襲いました」
  7. ^ 千貫石地区灌漑排水事業完工記念碑-河川ネット

参考文献

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関連項目

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外部・外部リンク

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