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右四間飛車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
将棋 > 将棋の戦法一覧 > 右四間飛車
△ なし
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右四間飛車(みぎしけんびしゃ)は、将棋居飛車戦法の一種である。先手ならば飛車を4筋に、後手ならば飛車を6筋に振る。飛車を初期位置から動かすものの、振り飛車には含めず居飛車に分類する。腰掛け銀と併用されることが多い。主に相手の四間飛車への対抗手段や相矢倉に於いて用いられる急戦矢倉の一種を指すが、角換わり腰掛け銀の一変化としても現れる。英語名称はRight Fourth File Rook。

古くから飛車落ちや飛香落ちなどの駒落ち戦で下手に愛用されている戦法で、駒落ちでは定跡化もされている。

概要

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対局例が少ないため、プロ棋士アマチュア共に深部まで研究されていないが、プロ棋士の中川大輔・アマ強豪の鈴木英春は右四間飛車戦法の使い手として知られている。非常に攻撃性に優れており、相手は対策を立てていないと危険である。特にアマチュアの場合、この戦法の餌食になることがしばしばあるため、四間飛車や矢倉を用いる場合はこの戦法への対策も立てておくほうが良い。

対振り飛車戦

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前述の鈴木は対振り飛車ではもっぱら中飛車三間飛車破りで採用しているが、一般には対四間飛車での戦術がよく知られる。対四間飛車の順は江戸時代からあり、現在においては戦術として次のように分岐される。

四間飛車への対抗手段は、藤井システムの登場以降ある程度限定されてきているが、この戦法はまだその研究が及ばない部分も多く、1つの有力な戦法である。また振り飛車穴熊に対しては囲いができる前に戦いが起きるために『史上最強!ワセダ将棋』(講談社、1982年)では穴熊の「天敵」として紹介されている。

攻めが単調になりやすいこともあって公式戦にはあまり出てこないが、藤井猛谷川浩司の第11期竜王戦で後手の谷川が用いたのが知られている。この戦いは藤井が巧妙な差し回しで谷川を破った。平成になってから棋戦で▲2五桂と飛ぶ早仕掛けを決行した例は少ない。理由として振り飛車が居飛車の速攻の攻めを食らわぬよう序盤に基本図のように組まずに変化して対策していることや、居飛車も舟囲いから固い囲いにしてから動くことで、なかなか早仕掛けにいかないということもある。

なおその後、日本将棋連盟の将棋専門誌『将棋世界』の連載企画「イメージと読みの将棋観」で右四間飛車戦法からの急戦策は振り飛車に有効かどうかについて、藤井猛谷川浩司を含むトッププロ6名が分析する企画が行われたが、6名中で「有力ではない」と解答したのは佐藤康光、谷川、藤井らで、谷川と藤井らは共に左美濃穴熊といった堅い囲いに囲えば一局としている。また佐藤は桂馬は4五方面に使いたい、藤井は▲3七桂から▲2五桂にこだわらなければ一局としている。一方で羽生善治渡辺明森内俊之らは「有力である」と解答した。ただし、3人は▲2五桂の仕掛けに後手が△2二角とすると▲4五歩から成立しているとしている。このため羽生、谷川、藤井らは▲2五桂に△1五角から▲1六歩△2六角▲4七飛△2四歩▲1三桂成△同香▲2七歩△3五桂▲同歩△同角▲8六桂については羽生はいい勝負、谷川や藤井はうまくいっているとはいいがたく、また玉が薄く、勝ち切るのは大変としている。なお1980年以降で数局ある右四間飛車の戦型でこの▲2五桂跳ね早仕掛けを使用したのは平成元年に先手の羽生が指した一局があり、勝利している。

なお、近年、ネット将棋の普及により様々な戦法が出る中で、上記▲2五桂に対し△2二角の時、▲4五歩の順では、四間飛車側が△5四銀型で、かつ右四間側が玉を7八まで囲わず▲6八玉で保留した形か、あるいは▲7八玉に代えて▲7八銀としていた場合はこの順で成立する事が証明されている。これは▲2五桂△2二角▲4五歩以下、△2四歩▲4四歩△2五歩となる江戸時代の定跡手順では、次に先手から▲4五銀に変えて▲4三歩成と踏み込む手があって、この時先手玉が7八だと後手から△8八角成とされ王手だが、▲6八玉で保留又は▲7八銀だと角成が王手にならない為、▲4二とで飛車を取り先手の勝ちとなり、また、▲4三歩成に△同銀なら▲2二角成△同飛▲7七角でやはり先手勝ち、と導かれている。

この定跡はプロが▲2五桂早跳ね型に対する△2二角を指さなくなってからネット将棋の研究で発見された為、プロでの実戦例はまだない(アマチュアでは既に定跡化されている)が、現状ではこの玉保留型に対する有力な対抗策はなく、最新の定跡では△2二角で▲4五歩に△2四歩もしくは△3五歩〜3二飛の順は成立しない事が証明されている。

振り飛車の戦法としては最古のもので、参考図1の大橋宗桂本因坊算砂戦、大橋家文書、三代目宗桂が記したとされる慶長十年(1605年)12月24日、江戸城本丸、七番のうち一番目(ただし先手の金将が1枚足りていない。明暦年間『古名人勝負手合帳』より)[1]の現存最古の棋譜が、そのまま右四間飛車第一号局である(この対戦は四間飛車の大橋勝ち)。慶長12年(1607年)では先手大橋が右四間飛車を採用するが、戦型は腰掛け銀ではなく歩内銀で、飛車も4筋から3筋に移動し直している。局面図は左美濃#囲い方参照(この対戦は右四間飛車の大橋勝ち)[2]

△ 算砂 持ち駒 なし
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△ 算砂 持ち駒 なし
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△ 持ち駒 なし
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また慶長15年(1610年)の二人の対戦でも、先手宗桂の振り飛車に、後手番の算砂が参考図2のように右四間飛車に構えて対峙している。

参考図3は、初代名人家元宗桂が作った詰将棋本そして本邦象戯本で刊記のあるものでは最古とされる『象戯馬法併作物』(1616年刊行、『象戯造物』の増補再刊)最初ページに掲載されている局面である。

おもな戦型

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△ なし
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△ なし
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△ なし
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△ なし
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△ なし
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△ なし
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第1-1図の局面と以降の手順は、文化元年(1804年)に福島順喜により出版された『将棋絹篩』(しょうぎきぬぶるい)の四十七番目の解説にある。図から△5四銀なら▲2五桂△2二角(△2四角もある)▲4五歩、がその後の展開。これを△同歩とすると▲2二角成△同飛▲4五銀。△2四歩ならば▲4四歩△2五歩▲4五銀で、△同銀ならば▲同飛で▲2五飛~▲2一飛成~▲9五歩をみている。第1-2図は蟹囲いタイプで、これであると定跡手順として現れる後手の△4九飛成や△4六桂、△4七角が利かないし、上部からの反撃にも舟囲いよりも抵抗力がある。手順中△5四銀▲2五桂に▲1六歩が無いのを活かして△1五角という定跡もある。以下▲1六歩△2六角▲4七飛△2四歩▲1三桂成△同香▲2七歩△3五桂▲同歩△同角▲9五歩△同歩▲同香△同香▲3六歩△9八香成▲7七角がその進行。

なお第1-1図に至る途中で▲3六歩~▲3七桂ではなく、▲3六歩を保留して▲1六歩~▲1七桂という指し方もある。この意味は△1五角の反撃を緩和しつつ、手順が3六歩のケースよりも手得になる。

この戦法では単調な攻めを回避すべく様々な手段が開発されている。例えば第1-3図のような左美濃に囲う展開には、▲2五桂跳ねよりも▲4五歩が多い。一例として山口英夫が振り飛車側で1982年に1月のvs.森けい二戦(十段戦予選)、10月のvs.沼春雄戦(王位戦予選)と二つの棋戦で第1-3図の局面で▲3七桂と△6三金の交換を入れてから▲4五歩と仕掛けられている。以下△同歩▲3三角成△同桂▲7七角△4三飛▲4五桂△同桂▲4四歩△4一飛▲4五銀で、森戦では△3七角▲5四銀、沼戦では△同銀▲同飛△7五歩▲4三歩成△5四角▲7五飛などと進行した。また、右の桂馬を跳ねずに▲3五歩△同歩▲3八飛として▲3六飛型を作りつつ1歩もつ狙いもよく指されている。

四間飛車からの反発

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第2-1図のように後手四間飛車陣が3一銀型の場合、先手▲4六歩に△4五歩の仕掛けがあるため▲4六歩が突きにくいとされていたが、以下▲同歩△同飛▲2二角成△同銀▲5六角△8五飛▲7八玉△8四飛▲4七銀(第2-2図)でこの後 4八飛から銀が進出できる。角は手放しているが局面の主導権を握っている。この他第1-3図手前▲4六歩に変えて▲7八玉とし、後手が△7二銀ならば▲4六歩△4五歩▲同歩△同飛▲2二角成△同銀には今度は▲8二角がある(第2-3図)。△4六歩ならば▲9一角成としておいて以下△7四角▲5八金右△4七歩成▲同銀△同角成▲同金△同飛成▲4八香△5七龍には▲4一香成などが、一つの進行として考えられる。

△ なし
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△ 角歩
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△ 角歩
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第3-1図から第3-2図は先手▲7八金型の例。9筋の突き合いをしておいてから▲4六歩とすれば、今度は上記の仕掛けの進行であると▲5六角に△8五飛と回ってもすでに8七の地点が利いており、以下▲3四角と出て、△3二金なら▲6一角成△同玉▲7五金で、飛車をめし取ることができる。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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△持ち駒 角歩2
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超急戦

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四間飛車は先手が右四間飛車の陣で△3二銀を早く上がると常に4五からの仕掛けが生じる(第4-1図)。以下△4三銀▲4四歩△同銀▲4五歩△5五銀▲5六歩△4七歩▲同飛△5六銀には、▲2二角成△同飛▲4六飛△6七銀成▲8八角△4二飛▲1一角成△5七角▲5五馬が進行の例。▲4五歩△5五銀で△4五同銀は▲2二角成△同飛▲4五飛が生じる。また▲4六飛に△6七銀成のところで△5七銀成なら▲6六角△3三角▲同角成△同桂▲6六角がある。▲8八角に△3三角の場合は▲4四歩△4二歩▲4七飛でこれは成銀が助からなくなる。

また第4-2図のように後手が右四間飛車模様の際、▲7八銀であるとすぐ△6五歩の速攻を仕掛けられることもある。図から▲6七銀ならば△6二飛▲6五歩△8八角成▲同飛△4五角▲5六銀△2七角成など。▲6八飛ならば△6二飛▲6七銀△6六歩▲同銀△6五歩で、▲5五歩ならば△5四歩▲同銀△6六歩で▲5八金左には△6七歩成、▲6三歩は△5二飛がある。▲5五歩に代えて▲7七銀であれば速攻はないが、居飛車側は以下△7四歩~7二銀~7三銀~6四銀~7三桂と攻撃態勢を整えてくる。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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対矢倉戦

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相矢倉の出だしから、先手の▲6六歩や後手の△4四歩が早く、一目散に矢倉囲いを完成させて入玉する場合に有効である。特に無理矢理矢倉の場合振り飛車含みでの指し方で指す場合もあるためどうしても▲6六歩や後手の△4四歩が早くなるので、狙われることが多い。

△ なし
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△ なし
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第5-1a図の先手のように銀矢倉の要領で陣形を組み、相手の玉の入場をみて角道を通しているのを活かして、▲2五桂~▲4五歩、の攻撃を仕掛けるスタイルが一般的。相手は玉をすぐに囲ってしまうと、先に示した手順から潰されてしまう。

現代では無理筋、若しくはやや不利と言われる急戦矢倉が多いなか、有力な手段が多くあり、プロ棋戦でも一定の頻度で指されている。

1838年(天保九年)刊の『将棊自在』にこの矢倉崩しの定跡が載っている。同書では矢倉崩し側が後手番であるが、第5-1b図は先後を入れ替えている。復刻版の解説によると1791年(寛政三年)刊の『象戯指南車』の改題であるという。図以下は▲2五桂△8六歩▲同歩△同角▲同角△同飛▲7七角△8二飛▲4五歩△3七角▲3三桂成△同金寄▲4四歩とし、後手から△4八角成▲同金△2九飛▲6八玉△3九飛成▲5九金△8八歩となり、以下▲8三歩△同飛▲6一角△8五飛▲4三銀と続いて矢倉崩し側が勝勢になるまでの手順を示してある。

△ なし
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△ 清水 なし
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△ なし
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対策としては第5-1c図先手番のように角を8八に留め▲7九玉・▲7八金・▲6七金・▲6八銀・▲5七銀型での構えが知られる。これは6筋を守りつつ飛車先を伸ばして▲3六歩から▲3五歩△同歩▲4六銀と攻めに転じる狙いがある。これに対しては後手も銀矢倉に組んで持久戦にもシフトできる。また、中川大輔考案の中川流△4二金などの居玉急戦策は有力で、いずれも力戦調の将棋になる。

矢倉に対する右四間飛車で6筋からの急戦は羽生善治や森内俊之、谷川浩司なども時たま指したことがあっても男性棋士間では2000年代には頻繁には指されていなかったが、女流棋士やアマチュア強豪にはこの戦法のスペシャリストも多い。以前から後手番でも主導権が握れる積極的戦法として、第5-1d図の後手番のように清水市代女流が得意としていた。『イメージと読みの将棋観』(2010年、日本将棋連盟)によると、平成以降から2010年までに公式棋戦で第5-1d図での出だし局面は101局あり、後手右四間飛車側の52勝49敗となっており、実際に指すとそれなりの成果があるという。2009年当時の棋士の見解によると、第5-1d図の局面ではまだ先手は矢倉かどうかはわからないが、羽生や谷川、佐藤康光や渡辺明らは先手が普通の矢倉志向ならば▲7八金とする手で1局としている。これに対して森内は▲6八銀がどうかという手であり、しかたなく▲7八金とするが、後手は△8四歩を省略できているのでこの時点で先手の得がなくなっているとしている。

藤井猛によると、矢倉にするなら▲6六歩に▲6八銀ではなく△6四歩に対応しやすい▲5八金右とするべきであるとし、第5-1e図のようになってしまったら、先手は▲5六歩△6三銀▲5七銀△5四歩▲6八飛といった▲5七銀型四間飛車で対抗するのが自然であるとしている。この構えは羽生や佐藤も有力策として挙げており、羽生はこの局面なら一番指してみたいという。右四間飛車に対する▲5七銀型四間飛車の利点は藤井によると、6筋の攻めが受けやすいほかに相腰掛け銀よりも柔軟であることや、後手右四間飛車側が持久戦にきた場合に先手が▲4六銀と進出して後手の駒組をけん制することができるとしている。

△ なし
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△ なし
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矢倉崩しの戦型は腰掛け銀型の他に第5-2a図のような▲5七銀(△5三銀)型の右四間飛車もあり、右四間飛車戦法で攻める。5七銀型の場合の攻め方として、連盟サイトのコラムでも紹介されている。この先手陣の形は以前から角落ちの上手が下手の矢倉戦に対して用いられていた戦型であるが、平手の場合はさらに角行が攻撃に参加している格好になる。

また2015年以降は第5-2b図のような居角左美濃が主流となっている。左美濃#居角左美濃急戦を参照。

脚注

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  1. ^ a b c d 増川宏一(2021年)『〈大橋家文書〉の研究 - 近世・近代将棋資料』法政大学出版会
  2. ^ 棋譜

外部リンク

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