正木良明
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(吉秋雅規から転送)
正木良明 まさき よしあき | |
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生年月日 | 1925年3月16日 |
出生地 | 大阪府堺市 |
没年月日 | 1997年6月6日(72歳没) |
出身校 |
堺市立工業高等学校 (現・堺市立堺高等学校) |
前職 | 作詞家(吉秋雅規名義) |
所属政党 |
(公明党→) 公明 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 大阪府第5区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1967年1月30日 - 1990年1月24日 |
正木 良明(まさき よしあき、1925年(大正14年)3月16日 - 1997年(平成9年)6月6日)は、日本の政治家。元衆議院議員(8期)。創価学会元理事長の正木正明とは無関係[1]。
人物
[編集]- 1945年(昭和20年) - 堺市立工業学校を卒業後、堺市役所に勤務[2]。
- 1963年(昭和38年)4月 - 第5回統一地方選挙(大阪府議会議員選挙:堺市選挙区)に公明政治連盟公認で立候補し、初当選する。
- 1967年(昭和42年)2月 - 第31回衆議院議員総選挙に公明党公認で立候補し当選する(以降、連続8期)。
- 1969年(昭和44年) - 政審会長の鈴木一弘の退任に伴い、以後17年に渡り政策審議会長を務める。
- 1970年(昭和45年) - 公明党委員長の竹入義勝を団長とする中華人民共和国訪問団・(竹入訪中)に参加する。
- 1975年(昭和50年) - 公明党が日本社会党の委員長の成田知巳との初の政権協議を行い、選挙協力を取り付けた。その一方で1979年11月に民社党大内啓伍政策審議会長との公民連合政権構想に合意。翌1980年1月社会党政策審議会長の武藤山治との社公連合政権構想に合意に至り、共産排除・社公民共闘を成立させた。
- 1986年12月(昭和61年) - 衆参同日選後におこなわれた党大会で竹入の公明党委員長退任により政審会長の職を退く(後任に政策審議副会長だった坂口力が昇格)。
- 1990年(平成2年) - 政界を引退し、地盤を北側一雄に譲った。
作詞活動
[編集]- 政治活動の傍ら、吉秋雅規(正木良明の姓と名を逆にして当て字したもの)のペンネームで作詞家としても活動していた。
- 主な作詞作品
- 川島なお美「ハネムーン」「こんなに幸せでいいのかしら」
- 島倉千代子「恋みれん」
- 千昌夫「呂宋助左の歌」
- 西崎みどり「美緒の歌」
- 村田英雄「男の花吹雪」 - 1987年(昭和62年)の第38回NHK紅白歌合戦で歌唱。