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名張毒ぶどう酒事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名張毒ブドウ酒事件から転送)
名張毒ぶどう酒事件
場所 日本の旗 日本三重県名張市葛尾76番地 薦生原地区公民館葛尾分館(現存しない)
座標
北緯34度39分07.4秒 東経136度03分43.7秒 / 北緯34.652056度 東経136.062139度 / 34.652056; 136.062139座標: 北緯34度39分07.4秒 東経136度03分43.7秒 / 北緯34.652056度 東経136.062139度 / 34.652056; 136.062139
日付 1961年昭和36年)3月28日
夜 (日本標準時)
概要 酒席で振る舞われたぶどう酒に農薬が混入されており、それを飲んだ女性17人が集団中毒、うち5人が死亡した。
武器 ワインに農薬(ニッカリンT)を混入させる
死亡者 集落の住民女性5人
負傷者 集落の住民女性12人
犯人 奥西勝(事件当時35歳、冤罪との指摘あり)
動機 三角関係の清算
対処 奥西を逮捕起訴
刑事訴訟 死刑(執行されず獄死
影響 日本弁護士連合会(日弁連)は冤罪を訴え、再審を支援している。
奥西の家族は事件後、住民らから村八分にされ、村を追われた。
管轄 三重県警察捜査一課・名張警察署(捜査)
津地方検察庁(第一審)・名古屋高等検察庁(控訴審・再審請求)
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最高裁判所判例
事件名 殺人、同未遂
事件番号 昭和44(あ)2560
1972年(昭和47年)6月15日
判例集 集刑第184号637頁
裁判要旨
第一審で無罪を言い渡された被告人に対し、控訴裁判所が事実調のうえ、右無罪判決を破棄し、自ら有罪の判決を言い渡すこと、およびこの場合、右控訴審判決に対し、上訴において事実誤認等を争う途が閉ざされていることは、憲法三一条ないし四〇条またはその精神に反するものではない。
第一小法廷
裁判長 岩田誠
陪席裁判官 大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
憲法31条、刑訴法400条但書、刑訴法405条
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名張毒ぶどう酒事件(なばりどくぶどうしゅじけん)とは、1961年昭和36年)3月28日の夜に三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で発生した大量殺人事件

名張市の実質飛地と隣接する奈良県山辺郡山添村にまたがる集落の懇親会酒席で振る舞われたワイン(ぶどう酒)に毒物(農薬・ニッカリンT)が混入され、そのワインを飲んだ女性17人が中毒症状を起こして5人が死亡した。

「第二の帝銀事件」として世間から騒がれたこの事件で、被疑者被告人として逮捕起訴された奥西勝(おくにし まさる、事件当時35歳)は刑事裁判で死刑判決が確定したが、冤罪を訴えて生前9度にわたる再審請求を起こし、死刑確定から43年間にわたり死刑執行が見送られ続けた一方で、再審請求も認められることなく、八王子医療刑務所で死亡した(89歳没)[1][2]

当事件を題材とした出版物・ドキュメンタリー番組・テレビドラマも多く制作されたが、そのほとんどが「当事件は冤罪である」との立場に立ったものである。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。

事件経過

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奥西は1926年大正15年)1月14日[3][4]、事件の舞台となった名張市葛尾地区で生まれる[5]

奥西は1940年昭和15年)に高等小学校を卒業後、参宮急行電鉄(参急)[注 1]に入社した[5]。奥西は地元では「長身の美男子」として評判で[6]、のちに事件で死亡した奥西の妻も近鉄名張駅で働いており、奥西夫妻は一部親族の反対を受けつつも懸命に説得して結婚し、1男1女の子供に恵まれた[5]

1961年3月28日、三重県名張市葛尾76番地の薦原地区公民館葛尾分館(現存しない)で[7][8]、地区の農村生活改善クラブ(現「生活研究グループ」)「三奈の会」[注 2]の総会が行われ、男性12人と女性20人が出席した。この席で男性には清酒、女性にはぶどう酒が出されたが、ぶどう酒を飲んだ女性17人が急性中毒の症状を訴え、5人が亡くなった。

捜査当局は、清酒を出された男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に中毒症状が見られなかったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査した結果、ぶどう酒に農薬が混入されていることが判明した。

その後、重要参考人として「三奈の会」会員の男性3人を聴取する。3人のうち、1人の妻と愛人がともに被害者だったことから、捜査当局は、「三角関係を一気に解消しようとした」ことが犯行の動機とみて、奥西を追及。4月2日の時点では自身の妻の犯行説を主張していたが、4月3日には農薬混入を自白したとして、三重県警察逮捕された。逮捕直前、奥西は名張警察署記者会見に応じた。しかし、逮捕後の取り調べ中から犯行否認に転じる。

裁判の経過

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確定判決

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1961年6月16日に津地方裁判所第一審の初公判が開かれたが、奥西は起訴状の公訴事実のうち、三角関係や農薬購入、会場へのぶどう酒運搬などの事実は認めたものの、犯行は全面的に否認した[10]。それ以来、検察側・被告人側とも「動機」「毒物投入の機会の有無」について争ってきた[11]

1964年(昭和39年)12月23日に第一審の判決公判が開かれ、津地裁(小川潤裁判長[12])は検察側の死刑求刑を退け、奥西に無罪判決を言い渡した[11]。津地裁は判決理由で、自白の任意性を否定しなかったが、目撃証言から導き出される犯行時刻や、証拠とされるぶどう酒の王冠の状況などと奥西の自白との間に矛盾を認め、検察官が挙げた物的証拠・状況証拠をほぼ全面的に退けた上で、証拠不十分を理由に奥西を無罪とした[11]。閉廷後、奥西は拘置先の三重刑務所から釈放された[13]津地方検察庁はこの判決を不服として、名古屋高等裁判所控訴した。釈放後、奥西は息子とともに三重県四日市市に居住し、ガソリンスタンドの店員として働いていた[12]

控訴審は1965年(昭和40年)11月20日の初公判以来、15回の公判が開かれ[14]1969年(昭和43年)7月16日の第15回公判で[15]結審した。同年9月10日10時から名古屋高裁刑事第1部(上田孝造裁判長、斎藤寿・藤本忠雄両陪席裁判官)で控訴審判決公判が開かれ、同高裁は第一審の無罪判決を破棄自判し、奥西に逆転死刑判決を言い渡した[14]。このころ以前から、日本では死刑判決を言い渡す際は主文を後回しにして判決文を判決理由から読み上げる慣例があったが、上田裁判長は死刑判決の主文を冒頭で宣告した[16]。奥西は閉廷後の同日10時45分、名古屋拘置所収監された[14]。名古屋高裁は、目撃証言の変遷もあって犯行可能な時間の有無が争われたことについて、時間はあったと判断、王冠に残った歯形の鑑定結果も充分に信頼できるとした(弁護側鑑定人の日本大学歯学部助教授は、王冠に残った痕跡から犯人の歯型を確定するのは不可能である、とした)。奥西は判決を不服として最高裁判所上告した。

1972年(昭和47年)6月15日、最高裁第一小法廷岩田誠裁判長)は名古屋高裁の原判決に対する奥西の上告を棄却する判決を言い渡した[17][18][19]。判決訂正申立も同年7月4日付で同小法廷が出した決定[事件番号:昭和47年(み)第8号]によって棄却され[20]、翌日(7月5日)付で奥西の死刑が確定した[7][8]。この判決が言い渡された際、地元の葛尾集落(名張市葛尾の16戸および、隣接する奈良県山辺郡山添村葛尾の7戸)では歓喜の声が沸き、「異様な喜び」と報じられた[12]

最高裁によれば、有罪か無罪かの事実認定をめぐって一・二審の判断が相反し、第一審の無罪判決が控訴審で破棄されて逆転死刑判決が言い渡され、それが確定した事件は、戦後に現行の刑事訴訟制度が発足して以来初めてだった[17]

再審請求

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第6次再審請求まで

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1974年(昭和49年)、1975年(昭和50年)、1976年(昭和51年)、1977年(昭和52年)、1988年(昭和63年)と5次にわたる再審請求はすべて棄却された。1980年(昭和50年)9月に請求審で初の現場検証、1986年(昭和61年)6月に請求審で初の証人尋問が行われた。1988年12月14日、名古屋高裁刑事第1部(山本卓裁判長)が再審請求を棄却した[7]

奥西の母親は息子・勝の無実を信じつつ獄中へ励ましの手紙を送り続けていたが1988年に88歳で死去し、「父親が無実を勝ち取ったら一緒に暮らしたい」と願っていた長男も癌のため2010年に62歳で死去した[5]。奥西の長男は遺言として「自分が死んだ知らせは父にはまだ知らせるな。無罪が確定して釈放されたときに知らせてくれ」と遺言していた[5]

1993年(平成5年)3月31日、名古屋高裁刑事第2部(本吉邦夫裁判長)は第1部決定に対する弁護側の異議申立を棄却する決定を出した[8]。4月に弁護団が最高裁に特別抗告したが、1997年(平成9年)1月28日、最高裁第三小法廷(大野正男裁判長)は特別抗告を棄却する決定を出した[21]。同年に第5次再審請求したが、同年には名古屋高裁で請求棄却の決定が出る。1998年(平成10年)10月、名古屋高裁は第6次再審請求を棄却する決定を出した。弁護団が異議申立を行ったが、1999年(平成11年)9月に名古屋高裁が異議申立を棄却する決定を出し、2002年(平成14年)4月には最高裁が同決定に対する弁護団の特別抗告を棄却する決定を出した。

第7次再審請求

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名古屋高裁第1刑事部

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2002年4月10日に弁護団が名古屋高裁へ第7次再審請求[19]2005年(平成17年)2月、毒の特定で弁護側鑑定人を証人尋問した。

2005年4月5日、名古屋高裁(第1刑事部・小出錞一裁判長)は再審開始を決定した[19]。同時に死刑執行停止の仮処分が命じられた。王冠を傷つけずに開栓する方法がみつかったこと、自白で白ワインに混入したとされる農薬(ニッカリンT有機リン系の殺虫剤、TEPP(テップ)剤の一種)が赤い液体だと判明したこと、残ったワインの成分からしても農薬の種類が自白と矛盾すること、前回の歯形の鑑定にミスが見つかったことなどが新規性のある証拠だと認めた。なお、小出錞一は2006年2月に依願退官した。

名古屋高裁第2刑事部(検察の異議申立)

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同年4月8日、検察側は、ニッカリンTは析出されていた白い液体の物が回収されずに、事件当時は白い液体と赤い液体と混合して流通していたことなどの異議申立を行った。これを受け、2006年(平成18年)9月に毒の特定について、名古屋高裁は弁護側鑑定人を証人尋問した。同年12月26日、名古屋高裁(第2刑事部・門野博裁判長)は、再審開始決定を取り消す決定をした[19](死刑執行停止も取り消し)。

最高裁(弁護側の特別抗告)

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これに対し、弁護側が2007年(平成19年)1月4日に最高裁に特別抗告したところ、最高裁は2010年(平成22年)4月5日付決定[19]で、犯行に用いられた毒物に関し「科学的知見に基づき検討したとはいえず、推論過程に誤りがある疑いがある。事実解明されていない」と指摘し[22]再審開始決定を取り消した名古屋高裁決定を審理不尽として破棄し、審理を名古屋高裁に差し戻した[23]田原睦夫裁判官は、同最高裁決定で補足意見として「事件から50年近くが過ぎ、7次請求の申し立てからも8年を経過していることを考えると、差し戻し審の証拠調べは必要最小限の範囲に限定し、効率よくなされるべき」と述べている[24][25]。翌日に弁護団は「第7次再審請求最高裁決定についての弁護団声明」を[26]、また同じ日に日本弁護士連合会(会長・宇都宮健児)は「名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求最高裁決定についての会長声明」で[27]、「すでに重大な疑いが存在することは明らか」であるから原決定を取り消したうえで最高裁の判断で再審開始決定すべきだったと述べ、差し戻ししたことを「遺憾である」と批判した。また、日本国民救援会(会長・鈴木亜英)も、2010年4月7日付の会長声明「名張毒ぶどう酒事件第7次再審最高裁決定について」で、「『再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りる』という1975年の白鳥決定の見地からすれば、差戻しによってさらに審理を継続させることなく、自判して、再審開始決定を確定させるべきであった」と述べている[28]

2010年3月上旬、名古屋拘置所で面会した特別面会人によれば、再審開始が決定された布川事件や、再審無罪が確実視されていた足利事件などに触れた際、奥西は「布川や足利はよかった。私も最高裁決定に非常に期待している」と述べたという[29]

名古屋高裁(差戻審)

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2012年(平成24年)5月25日、名古屋高裁(下山保男裁判長)は『捜査段階での被告人の自白に信用性が高い』と看做し、検察側の異議申立てを認めて本件の再審開始の取り消しを決定[19]。これに対して被告人弁護側は5月30日最高裁判所へ特別抗告を行った[30]日本弁護士連合会(日弁連)は「新証拠によって生じた疑問が解消されていないにもかかわらず、検察官も主張しておらず、鑑定人さえ言及していない独自の推論をもって、新証拠が『犯行に用いられた薬剤がニッカリンTではあり得ないということを意味しないことが明らかである』として、再審請求を棄却した」と、この決定を非難している[31]

最高裁(弁護側の特別抗告)

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2013年(平成25年)10月16日、最高裁判所第一小法廷桜井龍子裁判長)は名古屋高等裁判所の再審取り消し決定を支持し、第7次再審請求にかかる特別抗告について棄却する決定を下した[32][33]

第8次再審請求以降

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2013年11月5日、弁護団が名古屋高裁へ第8次再審請求を申立[19]2014年5月28日、名古屋高裁刑事第1部は請求を認めない決定をした[19]。決定理由で、弁護団が提出した証拠について「全証拠と総合考慮したとしても、確定判決に合理的な疑いを生じさせるものではない」などと指摘。「無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したとはいえず、再審は認められない。第7次請求と同一の証拠、同一の主張で、もともと請求権は消滅していた」と結論づけた。約半年で判断を示した理由として、「奥西死刑囚の健康状態の悪化と加齢の程度」を挙げた。2015年(平成27年)1月9日、第8次再審請求異議審において、同高裁刑事2部も同1部の決定を支持、検察側、弁護側との三者協議を一度も開かずに審理を終え再審請求を却下した[34][19]

2020年(令和2年)10月28日、ぶどう酒瓶の王冠を覆っていた封かん紙から、製造段階とは違う市販の「のり」成分が検出されたとする再鑑定の結果を、第10次再審請求の異議審が行われている名古屋高裁に新証拠として提出した。弁護団は「封かん紙が貼り直されたことが明らかになった。真犯人が偽装工作をした可能性を示している」と主張している。 さらに2021年(令和3年)10月27日には、前年提出した鑑定結果を補強する専門家の意見書などを新証拠として提出した[35]2022年(令和4年)3月3日、名古屋高裁(第2刑事部・鹿野伸二裁判長)は弁護団の異議申立てを退け、再審請求を認めない決定をした[36]

奥西の死

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奥西は2012年6月に肺炎を患い体調が悪化、名古屋拘置所から八王子医療刑務所に移送され、人工呼吸器を装着して、寝たきりの状態になっていた[37]

2014年(平成26年)4月19日には、日本で生きている死刑囚で最高齢となった[38]。2015年5月15日、名古屋高裁へ第9次再審請求を申し立てた[19]。また同日、最高裁への特別抗告を取り下げた[19]。取り下げの理由について、弁護団は「奥西さんの病状を考え、新証拠を早期に裁判所で審理させる必要があると判断した」と説明していた。

奥西は2015年10月4日午後0時19分、かねて患っていた肺炎のため、八王子医療刑務所で死亡した(89歳没)[1][2]。奥西の死に伴い、2015年10月15日、名古屋高裁は、第9次再審請求審の終了を決定した[19]

2015年11月6日、奥西の妹が名古屋高裁へ第10次再審請求を申立[39]。2017年12月8日に名古屋高裁は再審請求を棄却し[19]、2024年1月29日には最高裁が特別抗告を棄却し判断が確定したが、裁判官一人が再審を開始すべきと意見を述べ、一連の再審請求で初めて最高裁で反対意見がついた[40]

地域の事情

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事件当時の葛尾は娯楽に乏しく、総会に際して行われる宴会は数少ない楽しみの一つだった。奥西が逮捕された当初は、「犯人が特定された」という安堵により、むしろ奥西の家族をサポートしようという呼びかけが行われた。しかし、奥西が否認に転じたことを知ると、集落ぐるみで家族への迫害や差別が始まった。こうした村八分の結果、家族が葛尾を去り市内に転居すると、これを口実に共同墓地にあった奥西の家の墓は墓地隣接の畑に一基だけ追い出された。奥西へ死刑判決が下ったあとに犠牲者慰霊碑が建立された。

葛尾は事件当時、人口100人程度の集落であった。奥西が無実であった場合、葛尾の中に真犯人がいる可能性が高いと思われたため、地域の「」に再び波風を立てる結果になることを恐れたとの声もある。一方、小さな集落が全国区で話題になったことへの反発もあった[41]

死亡した人物

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年齢はいずれも事件当時の年齢。

  • 30歳女性(「三奈の会」会長の妻、奥西の隣家)
  • 34歳女性(奥西の妻)
  • 25歳女性(前「三奈の会」会長)
  • 36歳女性
  • 36歳女性(奥西の愛人)

映像作品

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  • NNNドキュメント』「裁きの重み 名張毒ブドウ酒事件の半世紀」(中京テレビ制作、2006年11月26日放送)
  • クローズアップ現代』「揺らぐ死刑判決 〜検証・名張毒ぶどう酒事件〜」(NHK総合テレビ、2010年4月8日放送)[1]
  • 『毒とひまわり〜名張毒ぶどう酒事件の半世紀〜』(東海テレビ、2010年6月19日放送)[2] ナレーション:仲代達矢
  • 『約束 〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜』(東海テレビ、2012年6月30日放送)[3]
    • 出演:仲代達矢(奥西勝役)、樹木希林(奥西の母・タツノ役)、天野鎮雄(特別面会人・川村富左吉役)、山本太郎(若き日の奥西勝役)、寺島しのぶ(ナレーター)
    • 2012年東京ドラマアウォード・ローカル・ドラマ賞を受賞[42]
    • 2013年2月から再編集版が映画として公開されている。なお仲代は初日舞台挨拶にて、奥西は冤罪であるとの見解を示している[43]
    • 2016年2月スカパーのチャンネルNECOで放映。
  • テレメンタリー』 「悲願 〜再審の扉と証拠開示〜」 (テレビ朝日メ〜テレ名古屋テレビ放送制作、2015年1月27日放送)
  • 『ふたりの死刑囚』(東海テレビ制作の映画。鎌田麗香監督作品。ナレーション:仲代達矢。2016年1月公開)- 奥西勝と袴田巌1966年に静岡県で発生した一家4人殺害放火事件で死刑が確定したが、2023年に再審開始が確定)の2人を題材にしたドキュメンタリー。
  • ドキュメンタリー劇場第11作『眠る村 〜名張毒ぶどう酒事件 57年目の真実〜』(東海テレビ、2018年4月1日放送)ナレーション:仲代達矢[44]2019年2月、映画化。

脚注

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注釈

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  1. ^ 参宮急行電鉄(参急)は後に関西急行鉄道(関急)を経て、現在の近畿日本鉄道(近鉄)のルーツとなった鉄道会社である。
  2. ^ 「三奈の会」の名前は、加入者が重県と良県の県境にまたがること、そして県境を挟んだ両集落とも名が“葛尾”であることに由来する[9]

出典

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  1. ^ a b “名張毒ぶどう酒事件 奥西勝死刑囚 病死 89歳、冤罪訴え再審請求中” (PDF). 北陸中日新聞 号外 (中日新聞社). (2015年10月4日). オリジナルの2018年12月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181210132621/http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/gogai/pdf/gogai_151004a.pdf 2018年12月10日閲覧。 
  2. ^ a b “名張毒ブドウ酒事件の奥西死刑囚が死亡 再審請求中”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年10月4日). オリジナルの2016年3月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160317035954/http://www.asahi.com/articles/ASHB27V75HB2OIPE03G.html 2016年3月17日閲覧。 
  3. ^ 「昭和44年(あ)第2560号 昭和47年6月15日判決」『最高裁判所裁判集 刑事』第184号、最高裁判所、1972年、637頁。「本籍 三重県名張市葛尾171番地 住居 同県四日市市昌栄町28番地 南起荘内 ガソリンスタンド従業員(ただし、もと農業)奥西勝 大正15年1月14日生」  - 最高裁判所裁判集 刑事(集刑)第184号(昭和47年4月 - 6月分)。
  4. ^ 第7次再審請求審における第二次特別抗告審決定 - 最高裁判所第一小法廷決定 2013年(平成25年)10月16日 集刑 第312号1頁、平成24年(し)第268号、『再審開始決定及び死刑執行停止決定に対する異議申立ての決定に対する特別抗告事件』「刑訴法435条6号所定の再審事由が認められないとした原判断が是認された事例(いわゆる名張毒ぶどう酒殺人事件第7次再審請求の差戻し後の特別抗告事件)」。
  5. ^ a b c d e 東京新聞』2015年10月5日朝刊第一社会面25面「奥西死刑囚死亡 半世紀 無罪訴え続け 再審の扉 開かれないまま」
  6. ^ 『中日新聞』2015年10月5日朝刊第一社会面27面「翻弄 名張事件が問うもの(上) 奥西死刑囚死亡 獄中の恐怖 半世紀」
  7. ^ a b c 第5次再審請求審における決定 - 名古屋高等裁判所刑事第1部決定 1988年(昭和63年)12月14日 『最高裁判所刑事判例集』第51巻第1号207頁、『判例タイムズ』第834号253頁、『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 判例ID: 28019089、昭和52年(お)第2号、『再審請求事件(著名事件名:名張毒ぶどう酒事件第五次再審請求事件)』。
    • 決定主文:本件再審の請求は、これを棄却する。
    • 裁判官:山本卓(裁判長)・油田弘佑・向井千杉
  8. ^ a b c 第5次再審請求審の異議申立審決定 - 名古屋高等裁判所刑事第2部決定 1993年(平成5年)3月31日 『最高裁判所刑事判例集』第51巻第1号276頁、『判例タイムズ』第834号228頁、『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 判例ID: 27828177、昭和63年(け)第11号、『異議申立事件(著名事件名:名張毒ぶどう酒事件再審請求棄却決定に対する異議申立棄却決定)』。
    • 決定主文:本件異議の申立を棄却する。
    • 裁判官:本吉邦夫(裁判長)・前原捷一郎・岡村稔
  9. ^ 2006年12月26日:名古屋高裁の名張毒ブドウ酒事件再審開始決定の取消決定要旨 松山大学田村譲(2007年2月6日時点のアーカイブ
  10. ^ 朝日新聞』1961年6月16日名古屋夕刊第5版第一総合面1頁「【津】毒ブドウ酒事件公判開く 奥西、犯行を否認 弁護側、六点を追及」「来月十九日に検証」(朝日新聞名古屋本社
  11. ^ a b c 『朝日新聞』1964年12月23日名古屋夕刊第5版第一総合面1頁「【津】毒ブドウ酒事件 津地裁 奥西被告に無罪判決 “証拠が不十分”」「どの証拠にも疑問」「真犯人わからぬ 奥西さん記者会見」(朝日新聞名古屋本社)
  12. ^ a b c 『朝日新聞』1972年6月15日名古屋夕刊第3版第二社会面8頁「異様な喜びにわく地元 11年余の恨みが爆発 丘の墓地へ報告の列」「奥西、青ざめてぼう然」「なお無実を信じる親」「解説 毒ブドウ酒事件 証拠の重さ浮彫り」(朝日新聞名古屋本社)
  13. ^ 『朝日新聞』1964年12月23日名古屋夕刊第5版第一社会面7頁「【津】「毒ブドウ酒事件」3年ぶり判決 “無罪”にどよめく法廷 奥西に感動の色 隠せぬ複雑な空気 津地裁」「【津】控訴を望む傍聴席の地元民」「【名張】○○(死亡した被害者1人の実名)さんの墓前に合掌」「【津】家族に迎えられ三重刑務所出る」「法的には無罪は当然 名大法学部教授 柏木千秋氏」「【解説】自供だけを重視 発生時の捜査も立遅れ」(朝日新聞名古屋本社)
  14. ^ a b c 『朝日新聞』1969年9月10日名古屋夕刊第5版第一総合面1頁「名張毒ブドウ酒事件控訴審 “無罪”破棄、奥西に死刑 名高裁判決 自供、信用できる 証拠の取捨に誤り 「歯型」を黒と断定」「毒物混入 検察主張認める」(朝日新聞名古屋本社)
  15. ^ 『朝日新聞』1969年7月17日名古屋朝刊第12版第二社会面14頁「毒ブドウ酒事件 控訴審が結審 判決は九月十日」(朝日新聞名古屋本社)
  16. ^ 『朝日新聞』1969年9月10日名古屋夕刊第5版第一社会面7頁「毒ブドウ酒事件控訴審 「死」に立ちすくむ奥西 青ざめ 手ふるえ 白から黒へ 傍聴席、声なし」「【名張】被告の母泣く 遺族、早速墓参り」「物的証拠は十分あった」(朝日新聞名古屋本社)
  17. ^ a b 『朝日新聞』1972年6月15日名古屋夕刊第3版第一総合面1頁「名張毒ブドウ酒事件 奥西の死刑確定 最高裁判決」(朝日新聞名古屋本社)
  18. ^ 最高裁判所第一小法廷判決 1972年(昭和47年)6月15日 集刑 第184号637頁、昭和44年(あ)第2560号、『殺人、同未遂』「控訴審における破棄自判判決と審級利益」、“第一審で無罪を言い渡された被告人に対し、控訴裁判所が事実調のうえ、右無罪判決を破棄し、自ら有罪の判決を言い渡すこと、およびこの場合、右控訴審判決に対し、上訴において事実誤認等を争う途が閉ざされていることは、憲法三一条ないし四〇条またはその精神に反するものではない。”。
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m 第2節 日弁連が支援している再審事件の現状 ①日弁連が支援している再審事件. 弁護士白書 2020年版.日本弁護士連合会.2021年5月28日閲覧。 (PDF)
  20. ^ 「刑事雑(全) > 判決訂正申立 > 事件番号:47(み)8 事件名:殺人、同未遂 被告人名又は申立人氏名 奥西 勝 裁判月日:〔昭和47年〕7・4 法廷:一 結果:棄却 原本綴丁数:1」『最高裁判所刑事裁判書総目次 昭和47年7月分』、最高裁判所事務総局、1972年7月、15頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』第185号(昭和47年7月 - 12月分)の巻末付録。
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  44. ^ “毒とひまわり ~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~”. 東海テレビ. https://www.tokai-tv.com/nemurumura/ 2018年4月1日閲覧。 

参考文献

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  • 青地晨『魔の時間 六つの冤罪事件』筑摩書房、1976年、[4]現代教養文庫版、1980年6月、ISBN 4390110225
  • 江川紹子『六人目の犠牲者 名張毒ブドウ酒殺人事件』文藝春秋、1994年4月、ISBN 4163484205/『名張毒ブドウ酒殺人事件六人目の犠牲者』新風舎、2005年7月、ISBN 4797497610(文藝春秋版の改題)
  • 戒能通厚、原田純孝、広渡清吾『日本社会と法律学 歴史、現状、展望 渡辺洋三先生追悼論集』日本評論社、2009年3月、ISBN 978-4535515994(宇佐見大司「名張毒ぶどう酒事件の検討」を収録)
  • 越谷仁哉『名張毒ぶどう酒事件の毒物に関しての考察』Science Research、2007年3月、ISBN 978-4883615414
  • 佐藤貴美子『銀の林』新日本出版社、1998年12月、ISBN 4406026290
  • 田中良彦『名張毒ブドウ酒殺人事件 曙光』鳥影社、1998年5月、ISBN 4795229899
  • 矢沢昇治(編)『冤罪はいつまで続くのか』花伝社、2009年10月、ISBN 978-4763405579(野嶋真人「『名張・毒ブドウ酒事件』-再審請求に提出した科学的見解による新証拠」を収録)
  • 東海テレビ取材班(編)『名張毒ぶどう酒事件死刑囚の半世紀』岩波書店、2013年2月15日、
  • 持統院ゆきむら『検証・名張事件 無実への最終階段』 青山ライフ出版 2015年2月 ISBN 9784864501699
  • 年報・死刑廃止編集委員会『オウム死刑囚からあなたへ 年報・死刑廃止2018』インパクト出版会、2018年10月25日、243頁。ISBN 978-4755402883 

関連項目

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外部リンク

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