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清惠波清隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大上戸清隆から転送)
清惠波 清隆
清惠波 清隆(1955年頃)
基礎情報
四股名 清惠波 清隆 → 清惠波 一綱
本名 端 清隆 → 大上戸 清隆
生年月日 1923年6月24日
没年月日 (2006-04-25) 2006年4月25日(82歳没)
出身 石川県鳳至郡(現在の鳳珠郡穴水町
身長 175cm
体重 118kg
BMI 38.53
所属部屋 立浪部屋
得意技 右四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位前頭2枚目
生涯戦歴 392勝419敗6休 (63場所)
幕内戦歴 237勝295敗6休 (36場所)
優勝 十両優勝1回
データ
初土俵 1940年1月場所
入幕 1949年1月場所
引退 1960年1月場所
引退後 年寄中川
備考
2019年7月24日現在

清惠波 清隆(きよえなみ きよたか、1923年6月24日 - 2006年4月25日)は、石川県鳳至郡(現在の鳳珠郡穴水町)出身(出生地は樺太真岡町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ホルムスク)で、立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は端 清隆(はし きよたか)→大上戸 清隆(おおかみど - )。最高位は東前頭2枚目(1951年5月場所)。現役時代の体格は175cm、118kg。得意手は右四つ、寄り[1]

吉野山の婿養子であり、黒瀬川の元岳父でもある[1]

来歴・人物

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16歳の時に立浪部屋へ入門し、1940年1月場所で初土俵[1]

本名の「清隆」、育った樺太の「恵須取町(現・サハリン州ウグレゴルスク)」に、所属部屋の「立浪」からそれぞれ1文字を取って四股名を「清惠波(「恵」は、縁起を担いで旧字の「惠」を使用し、「浪」は「波」に変えた)」とした。下の名前は途中で「清隆」から「一綱」に変えたが、上の名は序ノ口に付いてから引退するまで、「清惠波」で通している[1]

右四つからの、寄り相撲が得意であったが、取り口は地味だった。出世は遅く、十両優勝を手土産に、1949年1月場所にて新入幕を果たした[1]

しかし、その後は中堅力士として終始し、三役昇進は成らなかった。また、二桁勝利を何度も記録しながらも、三賞は一度も受賞できなかった。

自己最高位の東前頭2枚目で迎えた1951年5月場所では、4日目に大関汐ノ海から、自身唯一となる「銀星」を奪っている(なお汐ノ海は、同場所後に引退し、年寄・出来山を襲名した)。

長く幕内で活躍し、1959年1月場所では35歳7ヵ月で再入幕を果たした。これは、戦後2位の年長再入幕記録(当時)であった。1960年1月場所限りでの現役引退まで、土俵生活はおよそ20年に及んだ[1]

引退後は年寄中川を襲名し、間もなく、立浪部屋から独立して中川部屋を創設した[1]

しかし、関取を1人も出せないまま、1973年に部屋を閉鎖。その後は、立浪部屋に戻った。

日本相撲協会では、監事(現在の副理事)を歴任。新進で同部屋の後輩・北尾光司(後の横綱・双羽黒)に期待を掛け、自分が停年(定年)退職した後は年寄名跡を譲っても良いという意向を表明していたが、彼のトラブルによる廃業(1987年暮れ)のためその願いも叶わなかった。

中川の名跡は、同門(立浪・伊勢ヶ濱連合)の宮城野部屋に所属していた元前頭・竹葉山に貸与し、彼が1989年6月に宮城野部屋を継承した後は、同じく同門の元・福ノ海朝日山部屋)に貸与、最終的に同郷で同部屋の後輩でもある大翔山に譲られた。

2006年4月25日、致死性不整脈のため逝去。享年82。

主な成績・記録

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  • 通算成績:392勝419敗6休 勝率.483
  • 幕内成績:237勝295敗6休 勝率.445
  • 現役在位:63場所
  • 幕内在位:36場所[1]
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1948年10月場所)

場所別成績

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清惠波 清隆
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1940年
(昭和15年)
(前相撲) x 西序ノ口24枚目
3–5 
x x x
1941年
(昭和16年)
東序二段91枚目
4–4 
x 東序二段52枚目
4–4 
x x x
1942年
(昭和17年)
東序二段46枚目
6–2 
x 東三段目31枚目
5–3 
x x x
1943年
(昭和18年)
西三段目12枚目
6–2 
x 東幕下39枚目
4–4 
x x x
1944年
(昭和19年)
西幕下32枚目
3–5 
x 西幕下36枚目
4–1 
x x 西幕下13枚目
2–3 
1945年
(昭和20年)
x x 東幕下15枚目
2–3 
x x 東幕下15枚目
3–2 
1946年
(昭和21年)
x x x x x 東幕下11枚目
4–3 
1947年
(昭和22年)
x x 東幕下5枚目
3–2 
x x 東十両15枚目
6–5 
1948年
(昭和23年)
x x 西十両7枚目
9–2 
x x 東十両筆頭
優勝
9–2
1949年
(昭和24年)
西前頭14枚目
6–7 
x 東前頭16枚目
5–10 
x 西前頭19枚目
8–7 
x
1950年
(昭和25年)
西前頭14枚目
8–7 
x 東前頭12枚目
6–9 
x 東前頭15枚目
10–5 
x
1951年
(昭和26年)
西前頭8枚目
10–5 
x 東前頭2枚目
4–11 
x 西前頭5枚目
7–8 
x
1952年
(昭和27年)
西前頭5枚目
9–6 
x 西前頭2枚目
3–12 
x 西前頭11枚目
6–9 
x
1953年
(昭和28年)
東前頭13枚目
5–10 
西前頭16枚目
6–9 
西前頭18枚目
7–8 
x 東前頭20枚目
6–9 
x
1954年
(昭和29年)
西十両3枚目
12–3 
西前頭19枚目
9–6 
東前頭16枚目
7–8 
x 東前頭17枚目
7–8 
x
1955年
(昭和30年)
東前頭18枚目
10–5 
西前頭11枚目
7–8 
西前頭12枚目
4–11 
x 西前頭17枚目
10–5 
x
1956年
(昭和31年)
西前頭9枚目
4–11 
西前頭16枚目
9–6 
東前頭14枚目
5–10 
x 西前頭21枚目
8–7 
x
1957年
(昭和32年)
東前頭18枚目
8–7 
西前頭16枚目
6–9 
西前頭17枚目
7–8 
x 東前頭18枚目
5–10 
東前頭22枚目
2–7–6[2] 
1958年
(昭和33年)
西十両5枚目
8–7 
東十両4枚目
11–4 
東前頭21枚目
7–8 
東前頭22枚目
8–7 
西前頭20枚目
5–10 
西十両筆頭
10–5 
1959年
(昭和34年)
西前頭19枚目
3–12 
西十両5枚目
9–6 
東十両4枚目
7–8 
西十両5枚目
4–11 
西十両10枚目
8–7 
東十両9枚目
6–9 
1960年
(昭和35年)
西十両13枚目
引退
3–12–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
明瀬川 1 0 朝若 1 0 東海 3 5 東富士 0 2
愛宕山 0 4 天津灘 3 0 五ツ海 1 1 五ッ洋 1 4
岩風 0 2 及川 0 5 大江戸 3 0 大熊 2 0
大瀬川 4 4 大起 7 8 大田山 1 0 大ノ浦 2 3
大晃 7 5 小城ノ花 1 2 小野錦 1 2(1) 大蛇潟 7 12
海山 7 5 甲斐錦 0 3 甲斐ノ山 2 3 柏戸 1 0
金ノ花 0 2 神生山 2 1 神錦 6 8 神若 3 1
起雲山 1 1 九州錦 1 3 国登 6 6 鯉ノ勢 2 0
高津山 4 0 琴ヶ濱 3 2 琴錦 5 2 佐賀ノ花 0 1
相模川 0 1 櫻國 3 1 櫻錦 1 2 汐ノ海 1 0
信夫山 4 4 嶋錦 2 8 清水川 2 2 大龍 1 1
高錦 1 2 太刀風 1 0 玉ノ海 1 0 千代ノ山 0 2
常錦 1 2 常ノ山 12 8 鶴ヶ嶺 2 4 照國 0 1
輝昇 3 6 出羽錦 1 5 出羽ノ花 1 5 出羽湊 6 6
富樫 0 1 十勝岩 2 2 栃錦 0 2 栃光 0 1
那智ノ山 1 0 鳴門海 5 13 成山 0 4 白龍山 1 3
羽嶋山 3 5 羽子錦 2 1 緋縅 9 4 備州山 3 3
秀湊 1 1 平ノ戸 2 1 広瀬川 4 11 福ノ海 2 3
福乃里 1 1 藤田山 2 4 藤錦 1 0 冨士錦 0 1
二瀬山 4 7 星甲 5 3 前ヶ潮 1 0 前ノ山(佐田岬) 3 1
増巳山 1 2 松登 1 2 三根山 0 1 宮城海 3 1
宮錦 5 5 八方山 1 5 八染 4 4 豊山 0 1
吉井山 15 5 芳野嶺 3 4 吉葉山 0 2 米川 0 1
若潮 1 1 若瀬川 1 8 若ノ海 1 4 若ノ花 2 4
若前田 3 1
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

[編集]
  • 清惠波 清隆(きよえなみ きよたか)1940年5月場所 - 1954年9月場所
  • 清惠波 一綱(- かずつな)1955年1月場所 - 1960年1月場所(引退)

年寄変遷

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  • 中川(なかがわ)1960年1月 - 1988年6月(停年退職)

参考文献

[編集]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p26
  2. ^ 右股関節及び右膝関節捻挫により9日目から途中休場

関連項目

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外部リンク

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