大岩町 (豊田市)
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大岩町 | |
---|---|
大岩町の位置 | |
北緯35度14分45.3秒 東経137度13分51.7秒 / 北緯35.245917度 東経137.231028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊田市 |
地区 | 藤岡地区 |
町名制定 | 2005年(平成17年)4月1日 |
面積 | |
• 合計 | 1.237 km2 |
人口 | |
• 合計 | 31人 |
• 密度 | 25人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
470-0401[2] |
市外局番 | 0565(豊田MA)[3] |
ナンバープレート | 豊田 |
概要
[編集]豊田市の北西部に位置し、藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。同地区の中では最北部に位置し、町域のほとんどが山間部で耕地がほとんど存在しない。町域南部に愛知県道353号大平折平線が走り、人家は県道沿いに疎らかに点在する。町域最南部にはサンエッグファーム株式会社の藤岡農場があり、町域中部には大岩川と共に藤岡北部第一浄水場がある。
大正期には、陶土の原料となる石粉の生産が盛んであった[4]。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡大岩村」、天保期の郷帳においても「加茂郡大岩村」という表記が見受けられる[5]。
- 1635年(寛永12年)当時- 岡崎藩領であった[6]。
- 1868年(明治元年)- 大多喜藩領となる[6]。
- 1871年(明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[5]。
- 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、大岩村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[4]。
- 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、大岩村、石畳村(いしだたみむら)、折平村(おりだいらむら)、上渡合村(かみどあいむら)、木瀬村(きせむら)、三箇村(さんがむら)、白川村(しらかわむら)、西市野々村(にしいちののむら)、北曽木村(ほくそぎむら)の9村が同組に組み込まれる[7]。
- 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、大岩村、石畳村、折平村、上渡合村、木瀬村、三箇村、白川村、西市野々村、北曽木村の9村が合併して西加茂郡高岡村が誕生し[8]、大岩村は高岡村大字大岩に継承される[4]。
- 1906年(明治39年)4月1日- 高岡村、富貴下村の内3大字、藤河村が合併して藤岡村が誕生し[9]、高岡村大字大岩は藤岡村大字大岩に継承される[4]。
- 1978年(昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[9]、住所表示が藤岡町大字大岩に変更される[4]。
- 2005年(平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市大岩町に変更される。
世帯数と人口
[編集]2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大岩町 | 14世帯 | 31人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移
2005年(平成17年) | 36人 | [10] | |
2010年(平成22年) | 35人 | [11] | |
2015年(平成27年) | 32人 | [12] |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 豊田市立石畳小学校 | 豊田市立藤岡中学校 |
寺社
[編集]- 地蔵堂
- 1972年(昭和47年)建立。
文化財
[編集]城館跡
[編集]- 大岩城跡
- 美濃国と接する獅子ケ鼻と呼ばれる山稜の頂に立地していたとされる。『三河国名所図絵』によれば、この城には大岩久蔵という盗賊が部下150人と共に住んでいたが、徳川家康の命により掃討が行われ、盗賊は美濃国に逃げたという[6]。
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- 出典
- ^ a b c “豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ a b “大岩町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:258ページ
- ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1165ページ
- ^ a b c 『日本歴史地名体系』23:845ページ
- ^ 『豊田加茂の地名』:8ページ、ただし参照元の表記は『北曾木村』である。
- ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:768ページ
- ^ a b 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
- ^ “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。
- 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
- 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。