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下川口町 (豊田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 愛知県 > 豊田市 > 下川口町
下川口町
川口城址
川口城址
下川口町の位置
下川口町の位置
下川口町の位置(愛知県内)
下川口町
下川口町
下川口町の位置
北緯35度11分3.9秒 東経137度16分8.0秒 / 北緯35.184417度 東経137.268889度 / 35.184417; 137.268889
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 豊田市
地区 藤岡地区
町名制定 2005年平成17年)4月1日
面積
 • 合計 2.551 km2
人口
2019年(令和元年)7月1日現在)[1]
 • 合計 100人
 • 密度 39人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
470-0422[2]
市外局番 0565(豊田MA[3]
ナンバープレート 豊田

下川口町(しもかわぐちちょう)は、愛知県豊田市町名

地理

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豊田市の北西部に位置し、藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。 矢作川右岸に位置する。町域南東部は矢作川に接し、併走する愛知県道11号豊田明智線沿いに民家が点在する。同県道は北部において愛知県道33号瀬戸設楽線と重複しているが、集落の中心地である下川口交差点で分岐し、愛知県道33号は加茂橋を渡り対岸の足助地区月原町へと続いていく。矢作川沿いをのぞけば、町域のほとんどが深い山林に覆われており、町域西部では矢作川支流であり大沢池を擁する大沢川が流れ、同川に沿うように林道大沢線が御作町へと通じている。また町域最北部では一部愛知県道33号が通じており、豊田市清掃センター藤岡プラント及び民間工場が立地している。

歴史

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沿革

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  • 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡下川口村」、天保期の郷帳においても「加茂郡下川口村」という表記が見受けられる[4]
  • 1635年(寛永12年)当時- 挙母藩領であった[5]
  • 1664年寛文4年)- 幕府領となる[6]
  • 1698年元禄11年)- 旗本石川総昌知行地となる[6]
  • 1871年明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[4]
  • 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、下川口村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[6]
  • 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、下川口村、押沢村(おしざわむら)、上川口村(かみかわぐちむら)、富田村(とみだむら)、西枝下村(にししだれむら)、西広瀬村(にしひろせむら)、藤沢村(ふじさわむら)、松嶺村(まつみねむら)、御作村(みつくりむら)の9村が同組に組み込まれる[7]
  • 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、下川口村、押沢村、上川口村、富田村、西枝下村、西広瀬村、藤沢村、松嶺村、御作村の9村が合併して西加茂郡富貴下村(ふきしもむら)が誕生し[8]、下川口村は富貴下村大字下川口に継承される[6]
  • 1906年(明治39年)4月1日- 富貴下村の内3大字、高岡村藤河村が合併して藤岡村が誕生し[9]、富貴下村大字下川口は藤岡村大字下川口に継承される[6]
  • 1978年昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[9]、住所表示が藤岡町大字下川口に変更される[6]
  • 2005年平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市下川口町に変更される。

世帯数と人口

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2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
下川口町 35世帯 100人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移

2005年(平成17年) 123人 [10]
2010年(平成22年) 112人 [11]
2015年(平成27年) 115人 [12]

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]

番・番地等 小学校 中学校
全域 豊田市立御作小学校 豊田市立藤岡中学校

寺社

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文化財

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指定文化財

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天然記念物

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  • 下川口のイチョウ[14]
豊田市指定。1985年(昭和60年)3月指定。天神社が管理。

その他の文化財

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集落跡

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城館跡

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  • 川口城跡 - 中世の城跡[15]。大沢川下流域近く、矢作川に張り出した城ケ峰と呼ばれる丘陵にある。本丸跡が残り、西側山麓には居城跡と考えられる水田がある[5]。室町時代の城主は水野丈兼正春次といわれ、1575年(天正3年)には武田勝頼軍の急襲により落城したという。

その他

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日本郵便

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脚注

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  1. ^ a b c 豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
  2. ^ a b 下川口町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  4. ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1165ページ
  5. ^ a b 『日本歴史地名体系』23:848ページ
  6. ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:657ページ
  7. ^ 『豊田加茂の地名』:8ページ
  8. ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:1159ページ
  9. ^ a b 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
  10. ^ 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年3月23日閲覧。
  11. ^ 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年3月23日閲覧。
  12. ^ 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
  13. ^ 2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
  14. ^ 指定・登録文化財一覧(豊田市ウェブサイト、2012年1月23日閲覧)
  15. ^ a b 埋蔵文化財一覧(豊田市ウェブサイト、2012年1月23日閲覧)
  16. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5 
  • 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9 
  • 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
  • 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。

外部リンク

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