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牛地町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 愛知県 > 豊田市 > 牛地町
牛地町
牛地町内から望む奥矢作湖
牛地町内から望む奥矢作湖
牛地町の位置
牛地町の位置
牛地町の位置(愛知県内)
牛地町
牛地町
牛地町の位置
北緯35度13分8.2秒 東経137度25分24.3秒 / 北緯35.218944度 東経137.423417度 / 35.218944; 137.423417
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 豊田市
地区 旭地区
町名制定 2005年平成17年)4月1日
面積
 • 合計 7.81 km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
444-2801[2]
市外局番 0565(豊田MA[3]
ナンバープレート 豊田
※人口がごくわずかな為、秘匿とする。

牛地町(うしじちょう)は、愛知県豊田市の地名。

地理

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豊田市の北東部にあり、矢作川左岸および矢作川支流である段戸川右岸に位置する。旭地区(旧東加茂郡旭町の町域にほぼ相当する)に属する。北で岐阜県恵那市串原、東で川手町、南東で黒田町、南で富永町田津原町、南西で坪崎町日下部町旭八幡町、西で小滝野町、北西で閑羅瀬町と隣接する。

町内のほとんどが山林で占められており、同町西部にわずかに人家があるのみである(西久保地区・前林地区)。1971年昭和46年)には矢作ダムの造成工事に伴い、矢作川河岸の段丘上にあった人家の多くが奥矢作湖の湖底に水没した[4]。産業は農林業が中心である[5]

歴史

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沿革

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  • 江戸期には牛地村として三河国加茂郡に所属していた[5]
  • 1635年寛永12年)当時- 幕府直轄地であった[4]
    • なお文献によっては、1635年(寛永12年)当時は栗原藩領であり、1638年(寛永15年)に同藩が廃絶して以降、幕府の直轄地になったという記述もある[5]
  • 1697年元禄10年)- 旗本沼間清芳知行地となる[4]
  • 1701年(元禄14年)- 再び幕府の直轄地となる[4]
  • 1705年宝永2年)- 三河吉田藩領となる[4]
    • 三河吉田藩は、支配領域にあった矢作川東岸の村々を三つの組(牛地組、明川(あすがわ)組、久木(ひさぎ)組)に分けて統治したとされる。牛地組は八か村で構成されたが、牛地村は組の親村扱いとなり、大庄屋(加茂郡取締庄屋)が置かれていたという[4]
  • 1878年明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が東加茂郡と西加茂郡に分割される。それに伴い、所属が加茂郡から東加茂郡に変更される[5]
  • 1889年(明治22年)10月1日- 市制町村制施行により、牛地村、田津原村、小滝野村、閑羅瀬村が合併して東加茂郡生駒村が誕生し、牛地村は生駒村大字牛地に変更される[5]
  • 1894年(明治27年)- 生駒村役場が置かれる[5]
  • 1906年(明治39年)5月1日- 生駒村、野見村、介木村、築羽村が合併して旭村が誕生し、生駒村大字牛地は旭村大字牛地に変更される。また、同日生駒村役場が廃止される[5]
  • 1967年昭和42年)4月1日- 旭村が町制を施行し旭町になる。これに伴い、住所表示が旭町大字牛地に変更される[5]
  • 2005年平成17年)4月1日- 旭町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市牛地町に変更される。

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

番・番地等 小学校 中学校
全域 豊田市立小渡小学校 豊田市立旭中学校

寺社

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  • 住吉神社
旧牛地村村社。
山号は円通山、本尊は十一面観音[4]役小角による開創とも伝えられ、当初は天台宗であったのが、延宝年間に臨済宗に転宗したとされる[8]。室町時代に建てられたという山門や本堂[9][10]、また宝篋印塔や五輪塔があった[11][12]。現在は廃寺となっている。

文化財

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散布地

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  • 大麦田(おおむぎた)遺跡[13]
  • 万場垣内(ばんばがいと)遺跡[13]
  • 前畑(まえばた)遺跡[13]
  • 久保田(くぼた)遺跡[13]

いずれの遺跡も縄文時代のものである。

城館跡

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駒山城跡(牛地城)[14]
中世時代の山城駒山(標高855m)の山頂にあったとされる。小馬寺は城郭として利用されたと考えられる[4]

その他

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日本郵便

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脚注

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  1. ^ a b 豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
  2. ^ a b 牛地町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 有限会社平凡社地方資料センター 1981, p. 929.
  5. ^ a b c d e f g h 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 218-219.
  6. ^ 2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
  7. ^ 愛知縣 シヨウ」『大日本寺院総覧』明治出版社、1916年、1354頁。doi:10.11501/950486https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950486/773 "シヨウバ 小馬寺 臨妙、五。東加茂郡旭村"と記載
  8. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 574.
  9. ^ 第6章.信仰、俗信 第1節.信仰 4.駒山観音」『矢作ダム水没地域民俗資料調査 第1集』愛知県教育委員会、1966年、64頁。doi:10.11501/9545223https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9545223/36 本堂の写真あり
  10. ^ 佐々木仙治郎「みごとな山門のある小馬寺観音」『奥三河の文化と伝説』豊橋合同印刷、1960年、36-44頁。doi:10.11501/2984326https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2984326/26 写真あり
  11. ^ 伊奈森太郎「67.駒山宝篋印塔」『郷土民謡風土記』黎明書房、108-109頁。doi:10.11501/9580374https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9580374/60 
  12. ^ 101.生駒山の小馬寺」『尾三文化史談 下』愛知県郷土資料刊行会、1970年、17頁。doi:10.11501/9536003https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9536003/212 
  13. ^ a b c d 埋蔵文化財一覧 散布地(豊田市ウェブサイト、2012年1月8日閲覧)
  14. ^ 埋蔵文化財一覧 城館跡(豊田市ウェブサイト、2012年1月8日閲覧)
  15. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5 
  • 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9 

外部リンク

[編集]
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