石畳町
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石畳町 | |
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石畳町の位置 | |
北緯35度13分35.0秒 東経137度12分17.3秒 / 北緯35.226389度 東経137.204806度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊田市 |
地区 | 藤岡地区 |
町名制定 | 2005年(平成17年)4月1日 |
面積 | |
• 合計 | 1.161 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,094人 |
• 密度 | 940人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
470-0471[2] |
市外局番 | 0565(豊田MA)[3] |
ナンバープレート | 豊田 |
概要
[編集]豊田市の北西部に位置し、三国山の南東麓にある。藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。 町域東部・南部では、町境付近を木瀬川支流である韮川と愛知県道352号上渡合土岐線が絡み合うようにして縦走している。東部に立地する豊田市立石畳小学校を中心とし、県道を挟んで東西に藤岡石畳体育館、藤岡山村広場、石畳こども園(いずれも住所は豊田市白川町)などの市施設が隣接、町域南部では坂下団地と呼ばれる戸建住宅の密集地がある。東部から北東部にかけても住宅地が点在するが、町域西部は大部分が山林であり、高根山がある。
明治末期頃には、石粉の生産が盛んであった。また養蚕も行われていたという[4]。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡石畳村」、天保期の郷帳においても「加茂郡石畳村」という表記が見受けられる[5]。
- 1614年(慶長19年)- 大坂冬の陣より帰参した折平村出身の田中亦蔵という人物により、現町域西部の山地の開墾が始められたとされる。なお、開墾地付近には徐々に人家が集まりはじめ、後年は碧海郡から移ってきた酒井家と中根家が中心となり、開墾が続けられたという[4]。
- 1635年(寛永12年)当時- 幕府領であった[6]。
- 1701年(元禄14年)- 旗本石川総昌の知行地となる[6]。
- 1871年(明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[5]。
- 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、石畳村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[4]。
- 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、石畳村、大岩村(おおいわむら)、折平村(おりだいらむら)、上渡合村(かみどあいむら)、木瀬村(きせむら)、三箇村(さんがむら)、白川村(しらかわむら)、西市野々村(にしいちののむら)、北曽木村(ほくそぎむら)の9村が同組に組み込まれる[7]。
- 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、石畳村、大岩村、折平村、上渡合村、木瀬村、三箇村、白川村、西市野々村、北曽木村の9村が合併して西加茂郡高岡村が誕生し[8]、石畳村は高岡村大字石畳に継承される[4]。
- 1906年(明治39年)4月1日- 高岡村、富貴下村の内3大字、藤河村が合併して藤岡村が誕生し[9]、高岡村大字石畳は藤岡村大字石畳に継承される[4]。
- 1978年(昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[9]、住所表示が藤岡町大字石畳に変更される[4]。
- 2005年(平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市石畳町に変更される。
世帯数と人口
[編集]2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
石畳町 | 402世帯 | 1,094人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移
2005年(平成17年) | 1,176人 | [10] | |
2010年(平成22年) | 1,144人 | [11] | |
2015年(平成27年) | 1,142人 | [12] |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 豊田市立石畳小学校 | 豊田市立藤岡中学校 |
施設
[編集]教育施設
[編集]寺社
[編集]- 八柱神社
- 1668年(寛文8年)の勧進。アメノオシホミミ他7柱を祀っている。1897年(明治30年)、藁縄の売却代を元手に高根山の荒れ地に植林が行われ、1953年(昭和28年)にはその売却利益で本殿が建立された[4]。
文化財
[編集]散布地
[編集]城館跡
[編集]- 石畳砦跡
- 現町域西部、高根山の東側山稜にあり、南北20mにわたる掘削された平地が残る。一本の老松と共に、秋葉社が祀られている[6]。
- 梅ケ夫(うめがそれ)砦跡
- 高根山の東側丘陵上にあり、空堀と見られる二筋の遺構が残る[6]。
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- 出典
- ^ a b c “豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ a b “石畳町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:141ページ
- ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1165ページ
- ^ a b c d e f g 『日本歴史地名体系』23:846ページ
- ^ 『豊田加茂の地名』:8ページ、ただし参照元の表記は『北曾木村』である。
- ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:768ページ
- ^ a b 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
- ^ “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。
- 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
- 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。