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常陸国分寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
常陸国分寺

本堂
所在地 茨城県石岡市府中5-1-5
位置 北緯36度11分46.34秒 東経140度16分24.09秒 / 北緯36.1962056度 東経140.2733583度 / 36.1962056; 140.2733583座標: 北緯36度11分46.34秒 東経140度16分24.09秒 / 北緯36.1962056度 東経140.2733583度 / 36.1962056; 140.2733583
山号 浄瑠璃山
院号 東方院
宗派 真言宗智山派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)天平勝宝4年(752年
中興年 慶長年間(1596年-1615年
正式名 浄瑠璃山東方院国分寺
文化財 常陸国分寺跡・常陸国分尼寺跡(国の特別史跡
旧千手院山門・都々一坊扇歌堂(市文化財)
法人番号 1050005003793 ウィキデータを編集
常陸国分寺の位置(茨城県内)
常陸国分寺
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常陸国分寺(ひたちこくぶんじ)は、茨城県石岡市府中にある真言宗智山派寺院山号は浄瑠璃山。院号は東方院。本尊は薬師如来

奈良時代聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、常陸国国分寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、創建当時の遺構である常陸国分寺跡常陸国分尼寺跡(ともに国の特別史跡)についても解説する。

歴史

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古代・中世

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創建は不詳。『常陸府中鏡』によれば天平15年(743年)に起工し、天平勝宝4年(752年)に成就したという[1]。『延喜式主税寮では諸国本稲に「国分寺料六万束」と見え、諸国国分寺のうちでも屈指の寺領を有したとされる[1]

扶桑略記仁和4年(888年)11月23日条では、『本朝法華験記』の引用として、常陸国書生の飛鳥貞成が国分寺で供養を盛大に行なったと見える[1]。また税所文書によると、嘉吉2年(1442年)の常陸国留守所からの下文で、天平神護2年(766年)・延暦24年(805年)の太政官符に従い三宝布施300束と講読師并謂僧布施5,624束が奏上されている[1][2]

『府中平邑巡覧記』によると、創建80年後での兵火による焼失のほか、天慶2年(939年)の平将門の乱で焼失、天正13年(1585年)の佐竹氏大掾氏の兵火で焼失し、以後衰退したという[1]

近世以後

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中世末期頃からは無住であったとされるが、慶長年間(1596年-1615年)に近隣の菩提山千手院来高寺の住職が国分寺住職を兼務するようになった[1]。『府中平邑巡覧記』では、国分寺は千手院末寺である旨が記されている[1]

大正8年(1919年)、千手院と国分寺との合併によって現在の国分寺が成立し、千手院は廃寺とされた[1]

境内

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現国分寺の境内は、創建時の国分寺跡の遺構上に位置する。

本堂
千手院から移築した旧本堂が明治41年(1908年)に焼失したのを受け、明治43年(1910年)に筑波四面薬師の1つを移築したもの[3]
薬師堂
国分寺跡の金堂の位置に建てられている。
都々一坊扇歌堂
都々逸節の創作者として知られる都々逸坊扇歌嘉永5年(1852年)に府中で没したことから、記念として昭和8年(1933年)に建立されたもの[3]。石岡市指定文化財に指定されている。
山門
旧千手院の山門。千手院は府中の大寺の1つであったが、大正8年(1919年)に国分寺と合併して廃寺となった。この山門は、その千手院の唯一の遺構になる[3]。石岡市指定文化財に指定されている。

そのほか、境内には弘法大師堂などの堂宇が建立されている。なお、国分寺跡の中門の位置には天正2年(1574年)に仁王門が建てられていたが、明治41年(1908年)に焼失している[3]

常陸国分寺跡

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僧寺跡 金堂基壇

創建時の僧寺跡は、現在の国分寺と重複して位置する。寺域は東西約270メートル・南北約240メートル[3]。伽藍として中門・金堂・講堂を一直線上に配置し、中門左右からでた回廊が金堂に接続する[3]

七重塔の位置は寺域東側に推定されるものの明らかでなく、塔心礎は現在は国分寺境内に移し保存されている[3]。そのほか、現国分寺の本堂西側では鐘楼基壇が見つかっていた[3]

常陸国分尼寺跡

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尼寺跡 回廊と金堂基壇

尼寺跡は国分寺の西北約600メートルに位置する。寺域は約1町半(164メートル)四方[4]。東大寺式伽藍配置(塔なし)で、南大門・中門・金堂・講堂が一直線上に配置され、中門左右から出た回廊が金堂を囲んで講堂に接続する[3]

『新編常陸国誌』によると、尼寺は天正18年(1590年)の佐竹氏・大掾氏の兵火で焼失したという[4]

文化財

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国の特別史跡

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  • 常陸国分寺跡
    1922年(大正11年)10月12日に国の史跡に指定、1952年(昭和27年)3月29日に国の特別史跡に指定、2022年(令和4年)11月10日に史跡範囲の追加指定[5][6][7]
  • 常陸国分尼寺跡
    1922年(大正11年)10月12日に国の史跡に指定、1952年(昭和27年)3月29日に国の特別史跡に指定、1972年(昭和47年)6月28日に史跡範囲の追加指定[8][6]

石岡市指定文化財

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  • 有形文化財
    • 旧千手院山門(建造物) - 1978年(昭和53年)9月11日指定[9]
    • 都々一坊扇歌堂(建造物) - 1978年(昭和53年)9月11日指定[9]
    • 常陸国分僧寺跡出土古瓦(考古資料) - 1978年(昭和53年)8月23日指定[9]
    • 常陸国分尼寺跡出土古瓦(考古資料) - 1978年(昭和53年)8月23日指定[9]
    • 常陸国分尼寺跡出土墨書土器(考古資料) - 1978年(昭和53年)8月23日指定[9]

関連文化財

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現地情報

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所在地

交通アクセス

周辺

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 常陸国分寺跡(平凡社) & 1982年.
  2. ^ 中世諸国一宮制 & 2000年.
  3. ^ a b c d e f g h i 境内説明板。
  4. ^ a b 常陸国分尼寺跡(平凡社) & 1982年.
  5. ^ 常陸国分寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. ^ a b 国指定文化財一覧(石岡市ホームページ)。
  7. ^ 令和4年11月10日文部科学省告示第142号。
  8. ^ 常陸国分尼寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  9. ^ a b c d e 市指定文化財一覧(石岡市ホームページ)。
  10. ^ 県指定文化財一覧(石岡市ホームページ)。
  11. ^ 史跡等の指定等について(文化庁報道発表、2017年6月16日)。
  12. ^ 平成29年10月13日文部科学省告示第137号。

参考文献

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  • 現地説明板
  • 日本歴史地名大系 8 茨城県の地名』平凡社、1982年。ISBN 4582490085 
    • 「常陸国分寺跡」「常陸国分尼寺跡」
  • 中世諸国一宮制研究会編 編『中世諸国一宮制の基礎的研究』岩田書院、2000年。ISBN 978-4872941708 

外部リンク

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