桜井忠胤
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2015年11月) |
桜井 忠胤(櫻井 忠胤[1]、さくらい ただたね、明治14年(1881年)7月19日[2] - 昭和6年(1931年)8月28日[3])は、明治時代から昭和時代初期の従三位子爵[3]。摂津尼崎藩最後の第7代藩主で尼崎藩知事の松平忠興[5]改め櫻井忠興の三男、母錦子(きん)嘉永3年5月生まれ[2])は忠興の継室で小笠原忠幹[注釈 1]の娘。忠胤の初名は善之助といった。妻は子爵本多忠敬の娘の鷹子[6]。母方の叔父は小笠原忠炊[2]。
学習院中等科では嘉仁親王の学友であった。明治28年(1895年)、父の忠興が死去し子爵を襲爵。旧遠州掛川藩主[2]、貴族院子爵議員などを務めた[要出典]。長女[7]と二女をそれぞれ南部利克子爵の子息へ嫁がせる。昭和6年(1931年)薨去[3]。享年50。墓所は青山霊園[要出典]。子の桜井忠養が子爵を襲爵した[8]。
家族
[編集]- 父・松平忠興
- 妻・鷹子(1888年生) - 本多忠敬 (子爵)の娘。学習院女学部出身[6]。
- 長女・彰子(1907年生) - 子爵南部利克長男信克の妻[注釈 2][7]。学習院女学部出身[6]。
- 二女・美知子(1909年生) - 南部利克五男信雄[7]の妻。女子学習院出身[9][出典無効]。
- 長男・忠養(1916年生) - 桜井松平家17代[10]。妻の良子は14代千宗室の二女。京都大学在学中に南部真宏[注釈 3]らと茶道の「心茶会」設立[11]。
- 七女・瑳紀子(1922年生) - 久保田正治(東京株式取引所取引員)長男正彦[12]の妻[13]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「さ之部 §櫻井忠胤」『人事興信録』(初版)、1911年(明治36年)4月、973(コマ番号0557.jp2)頁。doi:10.11501/779810 。2022年3月12日閲覧。国立国会図書館の近代デジタルライブラリー。インターネット公開。
- ^ a b c d “櫻井忠胤(初版)”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院 (1903年4月). 2022年3月12日閲覧。
- ^ a b c 「彙報 | 有爵者薨去子爵櫻井忠胤」『官報』1931年8月31日、811頁、doi:10.11501/2957870、国立国会図書館書誌ID:2957870。
- ^ 『新修芦屋市史』(pdf)国立国会図書館、1971年11月10日 。2022年3月10日閲覧。「本文:(前略)尼崎藩主 桜井忠興 (慶応四年二月松平姓を桜井姓に改める)は尼崎藩知事となり、三条村・津知村は旧藩領村々とともにその管下に属した。(後略)」
- ^ 『新修芦屋市史』本篇、同書は国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵[4]。
- ^ a b c 名古屋大学大学院法学研究科 1928, 10259 櫻井忠胤
- ^ a b c d “南部利克(第8版)”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院. 2022年3月12日閲覧。
- ^ 『官報』第1430号、1931年10月3日。
- ^ 桜井松平家 松平内膳正信定家 | 名字・名前・家系図/家紋ニュース
- ^ “阪本勝「わが牧歌」『阪本勝著作集』第三巻、阪本勝著作集刊行委員会、47-49頁”. ネットミュージアム兵庫文学館. 兵庫ゆかりの作品. 兵庫県立美術館. 2022年3月10日閲覧。
- ^ 長良川画廊(運営管理): “京都大学心茶会/久松真一記念館”. www.nagaragawagarou.com. 久松真一記念館. 2022年3月10日閲覧。
- ^ “久保田正治 (第8版)”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院. p. ク17. 2022年3月12日閲覧。
- ^ 名古屋大学大学院法学研究科 1928, 7800 久保田正治
- ^ 「叙任及辞令 | 叙従五位 子爵櫻井忠胤」『官報』第5415号、1901年7月22日、353頁、doi:10.11501/2948714。 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「叙任及辞令 | 叙正四位 従四位子爵櫻井忠胤」『官報』第2132号、1919年9月11日、232頁、doi:10.11501/2954245。国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 名古屋大学大学院法学研究科: “人事興信録データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp (1928年7月). 2022年3月10日閲覧。
- 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ(2004年)
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 桜井忠興 |
子爵 (尼崎)桜井家第2代 1895年 - 1931年 |
次代 桜井忠養 |
松平郷 | 信広 | 長勝 | 勝茂 | 信吉 | 親長 | 由重 | 尚栄 | 重和 | 信和 | 親貞 | 尚澄 | 親相 | 信乗 | 信言 | 信汎 | 頼載 | 信英 | 信博 | 九洲男 | 信泰 | 英男 | 弘久 | 輝夫 | … | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
宗家 | 信光 | 竹谷 | 守家 | 守親 | 親善 | 清善 | 清宗 | 家清 | 忠清 | 清昌 | 清直 | 清当 | 義堯 | 義著 | 義峯 | 守惇 | 守誠 | 善長 | 清良 | 清倫 | 敬信 | … | ||||||
宗家 | 親忠 | 大給 | ||||||||||||||||||||||||||
宗家 | 長親 | 宗家 | 信忠 | 宗家 | 清康 | 広忠 | 家康 | 徳川氏 | ||||||||||||||||||||
三木 | 信孝 | 重忠 | 忠清 | 断絶 | ||||||||||||||||||||||||
鵜殿 | 康孝 | 康定 | 清長 | 清吉 | 清忠 | 清政 | 清次 | 祐義 | 義清 | 祐教 | 清門 | 義崇 | 義理 | 健三郎 | 鉄太郎 | 富次郎 | … | |||||||||||
福釜 | 親盛 | 親次 | 親俊 | 康親 | 康盛 | 康俊 | 康兆 | 康永 | 断絶 | |||||||||||||||||||
桜井 | 信定 | 清定 | 家次 | 忠正 | 忠吉 | 家広 | 忠頼 | 忠重 | 忠倶 | 忠喬 | 忠名 | 忠告 | 忠宝 | 忠誨 | 忠栄 | 忠興 | 忠胤 | 忠養 | … | |||||||||
東条 | 義春 | 忠茂 | 家忠 | 忠吉 | 断絶 | |||||||||||||||||||||||
藤井 | ||||||||||||||||||||||||||||
滝脇 | 乗清 | 乗遠 | 乗高 | 乗次 | 正貞 | 正勝 | 重信 | 信孝 | 信治 | 信嵩 | 昌信 | 信義 | 信圭 | 信友 | 信賢 | 信進 | 信書 | 信敏 | 信成 | 信広 | 信鑰 | 宏光 | 平人 | … | ||||
形原 | 与副 | 貞副 | 親忠 | 家広 | 家忠 | 家信 | 康信 | 典信 | 信利 | 信庸 | 信岑 | 信直 | 信道 | 信彰 | 信志 | 信豪 | 信義 | 信正 | 信興 | 信美 | 忠正 | … | ||||||
大草 | 光重 | 親貞 | 昌安 | 昌久 | 三光 | 正親 | 康安 | 正朝 | 正永 | 断絶 | ||||||||||||||||||
五井 | 忠景 | 五井 | 元心 | 信長 | 忠次 | 景忠 | 伊昌 | 忠実 | 伊耀 | 忠益 | 忠明 | 忠根 | 忠寄 | 忠命 | 忠元 | 忠質 | 忠凱 | 弘之助 | … | |||||||||
深溝 | 忠定 | 好景 | 伊忠 | 家忠 | 忠利 | 忠房 | 忠雄 | 忠俔 | 忠刻 | 忠祇 | 忠恕 | 忠馮 | 忠侯 | 忠誠 | 忠精 | 忠淳 | 忠愛 | 忠和 | 忠威 | 忠諒 | 忠貞 | … | ||||||
能見 | ||||||||||||||||||||||||||||
長沢 | 親則 | 親益 | 親清 | 勝宗 | 一忠 | 親広 | 政忠 | 康忠 | 康直 | 松千代 | 忠輝 | 直信 | 昌興 | 親孝 | 親応 | 親芳 | 忠道 | 忠敏 | 忠徳 | … |