コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

桜井忠胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桜井 忠胤(櫻井 忠胤[1]、さくらい ただたね、明治14年(1881年7月19日[2] - 昭和6年(1931年8月28日[3])は、明治時代から昭和時代初期の従三位子爵[3]摂津尼崎藩最後の第7代藩主で尼崎藩知事の松平忠興[5]改め櫻井忠興の三男、母錦子(きん)嘉永3年5月生まれ[2])は忠興の継室で小笠原忠幹[注釈 1]の娘。忠胤の初名は善之助といった。妻は子爵本多忠敬の娘の鷹子[6]。母方の叔父は小笠原忠炊[2]

学習院中等科では嘉仁親王の学友であった。明治28年(1895年)、父の忠興が死去し子爵を襲爵。旧遠州掛川藩主[2]貴族院子爵議員などを務めた[要出典]。長女[7]と二女をそれぞれ南部利克子爵の子息へ嫁がせる。昭和6年(1931年)薨去[3]。享年50。墓所は青山霊園[要出典]。子の桜井忠養が子爵を襲爵した[8]

家族

[編集]

栄典

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 櫻井忠胤の母方の祖父は播磨安志藩第6代藩主、のち豊前小倉藩第9代藩主。
  2. ^ 章子と称する[7]
  3. ^ 南部利克の八男真宏は、のち久保田正治の養子となり久保田真宏に改名。

出典

[編集]
  1. ^ さ之部 §櫻井忠胤」『人事興信録』(初版)、1911年(明治36年)4月、973(コマ番号0557.jp2)頁。doi:10.11501/779810https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7798102022年3月12日閲覧 国立国会図書館の近代デジタルライブラリー。インターネット公開。
  2. ^ a b c d 櫻井忠胤(初版)”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院 (1903年4月). 2022年3月12日閲覧。
  3. ^ a b c 「彙報 | 有爵者薨去子爵櫻井忠胤」『官報』1931年8月31日、811頁、doi:10.11501/2957870国立国会図書館書誌ID:2957870 
  4. ^ 新修芦屋市史』(pdf)国立国会図書館、1971年11月10日https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11498968/www.city.ashiya.lg.jp/gakushuu/shishi/documents/shishi46-6.pdf2022年3月10日閲覧。「本文:(前略)尼崎藩主 桜井忠興 (慶応四年二月松平姓を桜井姓に改める)は尼崎藩知事となり、三条村・津知村は旧藩領村々とともにその管下に属した。(後略)」 
  5. ^ 『新修芦屋市史』本篇、同書は国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵[4]
  6. ^ a b c 名古屋大学大学院法学研究科 1928, 10259 櫻井忠胤
  7. ^ a b c d 南部利克(第8版)”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院. 2022年3月12日閲覧。
  8. ^ 『官報』第1430号、1931年10月3日。
  9. ^ 桜井松平家 松平内膳正信定家 | 名字・名前・家系図/家紋ニュース
  10. ^ 阪本勝「わが牧歌」『阪本勝著作集』第三巻、阪本勝著作集刊行委員会、47-49頁”. ネットミュージアム兵庫文学館. 兵庫ゆかりの作品. 兵庫県立美術館. 2022年3月10日閲覧。
  11. ^ 長良川画廊(運営管理): “京都大学心茶会/久松真一記念館”. www.nagaragawagarou.com. 久松真一記念館. 2022年3月10日閲覧。
  12. ^ 久保田正治 (第8版)”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院. p. ク17. 2022年3月12日閲覧。
  13. ^ 名古屋大学大学院法学研究科 1928, 7800 久保田正治
  14. ^ 「叙任及辞令 | 叙従五位 子爵櫻井忠胤」『官報』第5415号、1901年7月22日、353頁、doi:10.11501/2948714  国立国会図書館デジタルコレクション
  15. ^ 「叙任及辞令 | 叙正四位 従四位子爵櫻井忠胤」『官報』第2132号、1919年9月11日、232頁、doi:10.11501/2954245 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

[編集]
日本の爵位
先代
桜井忠興
子爵
尼崎桜井家第2代
1895年 - 1931年
次代
桜井忠養