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水判土

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水判土
鴨川
鴨川
■水判土の位置(埼玉県内)
■水判土
水判土
水判土の位置
北緯35度53分59.23秒 東経139度35分34.45秒 / 北緯35.8997861度 東経139.5929028度 / 35.8997861; 139.5929028
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
西区
地域 大宮市
人口
2019年平成31年〉1月1日時点)[1]
 • 合計 1,516人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
331-0059[2]
市外局番 048[3]
ナンバープレート 大宮
座標の場所は普光山浄蓮華院慈眼寺

水判土(みずはた)は、埼玉県さいたま市西区大字郵便番号は331-0059[2]。さいたま市の難読地名の一つに数えられる[4][5]

地理

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さいたま市西区南東部の大宮台地に属する指扇支台の最南端に位置する[6][7][8]。南側は鴨川新川(古入間川)が流れ下る沖積平野(荒川低地)で、北側にも鴨川に合流する小河川が流れる谷戸の低地があり西側以外の三方を低地が取り囲んでいる。 東側を大宮区三橋(二丁目および四丁目)、南側を中野林飯田、西側を佐知川、北側を西区の三橋(五丁目)と隣接する。荒川の左岸側河川区域内、東京健保組合大宮運動場の敷地の東寄りに水判土の飛地がある。 土地利用として全体的には農地住宅地が混在する。

地内に縄文期の遺跡である水判土遺跡[8]植水古墳群に属する小山稲荷古墳や山王塚古墳[7]がある。

歴史

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もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡植田谷領に属する水判土村で、古くは水判土荘内野郷に属していたと云われている[9]。さらに古くは戦国期より見出せる足立郡のうちの水判土であった。水判土は水波田とも記す[8]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では92余、『元禄郷帳』では102石余、『天保郷帳』では115石余であった。助郷中山道大宮宿に出役していたが、正徳安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた。化政期の戸数は21軒で、村の規模は東西3余、南北2町余であった[8]。 地名は低地の農地である水田(水畑)を意味する[8][4]。低地はかつての入間川の旧流路(現在の新川および鴨川)の氾濫原であった。 慈眼寺(じげんじ)には1591年天正19年)11月10石の寺領朱印地)が寄進されていた[10][8]826年天長3年)創建で、中世には慈眼寺に水判土館と称される城塁が存在していた[6]

水判土荘

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水判土荘(みずはたのしょう)とはかつて武蔵国足立郡のうちに見出していた荘名。領域は現在のさいたま市西部の概ね鴨川および荒川に挟まれた流域沿い、および上尾市南部の一部が該当する[8]。 属していた村は戸崎村、別所村、中新井村、清河寺村、内野本郷村、新井村、上加村、内野村、水判土村、佐知川村中野林村、島根村、上下内野村並木村、土屋村、遊馬村在家村五関村下大久保村、神田村、道場村の21ヶ村[8]

水判土村に存在していた小字

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  • 堀の内[15]
  • 高田
  • 摘田
  • 観音脇
  • 観音前
  • 井戸尻
  • 塚田
  • スノコ島
  • 二江川

世帯数と人口

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2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
水判土 624世帯 1,516人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[16]

番地 小学校 中学校
全域 さいたま市立植水小学校 さいたま市立植水中学校

交通

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  • 地区内に鉄道は敷設されていないが、最寄駅としては大宮駅などが近い。

道路

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水判土は古くからの交通の要衝であり[6]、現在でも下記の主要な道路が慈眼寺の門前にある水判土交差点で合流および分岐する。

バス

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大宮駅西口方面からの路線バスが運行されている。さいたま市コミュニティバスは西区コミュニティバスの路線が地内の西側を通るが、停留所は設置されていない[17]

西武バス大宮営業所
地区内は「水判土」、「慈眼寺」停留所が設置されている[18]

施設など

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  • 普光山浄蓮華院(華蔵院)慈眼寺 - 市文化財の豊臣秀吉の禁制などがある[7][19]
    • 水判土千手観音
  • さいたま市立大宮西小学校(一部) - 所在地は西区三橋にある。
  • 水判土自治会館
  • 小山稲荷
  • 東京健保組合大宮運動場(一部) - 飛地に所在
  • 水判土公園
  • 鴨川みずべの里[20][14][6] - 鴨川の旧流路
  • 彩の国音かおりの里

脚注

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  1. ^ a b さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2019年7月2日). 2019年7月29日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月29日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年7月29日閲覧。
  4. ^ a b さいたま来ぶらり通信 第20号” (PDF). さいたま市役所. pp. 1-2 (2012年11月15日). 2019年7月29日閲覧。
  5. ^ 読みにくい地名がいっぱい!? さいたま市編”. サンケイリビング新聞社 (2012年7月26日). 2019年7月30日閲覧。
  6. ^ a b c d 埼玉の城址と川 調査表 No.1-15 - 平成27年度 「埼玉県の城跡と川」について” (PDF). 彩の川研究会. pp. 60-61 (2016年3月). 2019年7月30日閲覧。
  7. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 962頁。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 810-811頁。
  9. ^ 新編武蔵風土記稿 水判土村.
  10. ^ 『大宮のむかしといま』 59頁。
  11. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
  12. ^ 学校の沿革 - 埼玉県立植水小学校.2019年7月29日閲覧。
  13. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
  14. ^ a b 公園・広場、土木工作物 - 景観資源データベースシステム”. 埼玉県庁 (2019年6月11日). 2019年7月29日閲覧。
  15. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1388頁。
  16. ^ さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2019年4月1日). 2019年7月29日閲覧。
  17. ^ 西区コミュニティバスを運行しています”. さいたま市 (2018年6月19日). 2019年7月29日閲覧。
  18. ^ 西武バス 大宮営業所バス路線案内図 (PDF) - 西武バス.2019年7月29日閲覧。
  19. ^ 文化財紹介 慈眼寺文書”. さいたま市役所 (2016年9月14日). 2019年7月30日閲覧。
  20. ^ 市報さいたま(西区版)2011年8月1日号” (PDF). 西区役所. p. 1 (2011年7月). 2019年7月29日閲覧。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 
  • 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009NCID BN03449939 
  • 「植田谷領 水判土村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ154足立郡ノ20、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764000/67 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

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外部リンク

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