平方領領家
平方領領家 | |
---|---|
北緯35度55分25.09秒 東経139度33分42.38秒 / 北緯35.9236361度 東経139.5617722度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 西区 |
面積 | |
• 合計 | 0.031[1] km2 |
人口 | |
• 合計 | 162人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
331-0072[3] 362-0055 |
市外局番 | 048(浦和MA)[4][5] |
ナンバープレート | 大宮 |
平方領領家 | |
---|---|
北緯35度57分5.35秒 東経139度33分58.6秒 / 北緯35.9514861度 東経139.566278度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 上尾市 |
地区 | 平方地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.8683[6] km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,087人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
362-0055[8] |
市外局番 | 048(浦和MA)[4][5] |
ナンバープレート | 大宮 |
平方領領家(ひらかたりょうりょうけ)は、埼玉県上尾市及びさいたま市西区の大字。平方領々家とも表記される[注釈 1]。
上尾市平方領領家の一部を大宮市(現・さいたま市)に編入した経緯から2つの自治体に跨る。もとは江戸期より存在したひとつの領家村であった。
地理
[編集]埼玉県の県央地域で、上尾市南部の大宮台地上に位置する三角形の形をした地区である。市の統計などでは平方地区で分類されている。東側は地頭方、南側はさいたま市西区中釘、西側は上野や上野本郷、北側は平方と隣接する。また、東側は対角線上に堤崎が位置している。地区の東端を浅間川が流れる。鉄道駅は周辺になく、地区北部の川越上尾線沿線付近を除いたほぼ全域が市街化調整区域[12]で田畑が多く、住宅はまばらにある。南部のさいたま市との境界付近は小工場を中心とした工業地帯である[9]。また、西部および南部に飛び地が複数ある。 地内に房地遺跡(県遺跡番号:14-359[12])や、東中遺跡(一部、県遺跡番号:14-073)があり、土器片が発掘されている。
さいたま市西区平方領領家は全域が市街化調整区域[13]であるが、川越線指扇駅に近く、区域内は住宅が立ち並び住宅地となっている。地区内を指扇辻川[13]が南北に流れ、南端を滝沼川が流れる。滝沼自治会が結成されている。
地価
[編集]住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば平方領領家字東谷130番3の地点で2万5900円/m2となっている[14]。
歴史
[編集]もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡平方領に属する領家村であった。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では220石(田50石余、畑169石余)[15]、『元禄郷帳』によると平方領として279石余、『天保郷帳』によると294石余であった[16]。化政期の戸数は46軒で、村の規模は東西7町、南北10町余であった[16]。地名の由来は荘園の領家が居住していたことによるものと云われ、鎌倉・南北朝期に地頭方の地名が生じた際に関連して生じたものとされている[16]。1879年(明治12年)に同名村名との混同を防ぐために平方領を冠称し、平方領領家村となった[16]。 1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米72石、糯米8.6石、大麦250石、小麦90石、大豆159石、栗16石、蕎麦25石、甘藷9000貫、菜種20石であった[17]。
発足時は幕府領、1625年(寛永2年)は岩槻藩領となる[16]。1681年(天和元年)は再び幕府領、後[注釈 2]幕末まで旗本羽太氏の知行となる。
幕末の時点では足立郡領家村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、旗本羽太八郎左衛門の知行であった[注釈 3][注釈 4]。
- 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第19区に属す[20][21]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。それに伴い、郡内に同名の村が他4ヶ所存在(現在の上尾市領家、さいたま市浦和区領家や桜区大久保領家、川口市領家)したことから平方領を冠称して[16]平方領領家村となる。
- 1884年(明治17年)7月14日 - 連合戸長役場制により成立した平方村連合に属す。連合戸長役場は平方村に設置[22]。
- 1885年(明治18年) - 上尾と川越を結ぶ道路を改良して県道(現在の埼玉県道51号川越上尾線)として開通する[23]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、平方領領家村を含む区域をもって北足立郡平方村が成立。平方村の大字平方領領家となる[16]。
- 1928年(昭和3年)11月1日 - 平方村町制施行により[24][25]、平方町の大字となる。
- 1955年(昭和30年)11月1日 - 平方町合併によって上尾町となったことに伴い[25]、上尾町の大字となる。
- 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行され[25]、上尾市の大字となる。
- 1960年(昭和35年)9月1日 - 地内を通る県道が県道17号川越上尾線、および県道66号井戸木中野林浦和線、および県道153号大宮平方線にそれぞれ改称される[26]。
- 1982年(昭和57年)
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市の合併により、さいたま市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、さいたま市西区の大字となる。
小字
[編集]世帯数と人口
[編集]さいたま市西区
[編集]2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
平方領領家 | 75世帯 | 162人 |
上尾市
[編集]2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[7]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
平方領領家 | 542世帯 | 1,087人 |
小・中学校の学区
[編集]さいたま市西区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[31]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | さいたま市立指扇北小学校 | さいたま市立指扇中学校 |
上尾市
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 上尾市立平方小学校 | 上尾市立太平中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]地内に鉄道は敷設されていない。上尾市平方領領家の最寄駅は東端から3.5 kmの高崎線上尾駅と、南端から3 kmの川越線西大宮駅がある。何れも徒歩圏ではない。 さいたま市西区平方領領家は川越線指扇駅が最寄となる。
道路
[編集]- さいたま市西区
- 埼玉県道57号さいたま鴻巣線 - 西辺を通る。旧称井戸木中野林浦和線。
- 扇通り[13]
- 秋葉通り
- 上尾市
- 埼玉県道51号川越上尾線 - 北部を掠める。
- 埼玉県道216号上野さいたま線 - 旧称大宮平方線。
- 埼玉県道57号さいたま鴻巣線 - 飛び地において西辺の境界線上を僅かに掠める。地区内は通らない。
バス
[編集]上尾駅西口駅前より平方・川越駅方面や大宮駅西口駅前などからの路線バスが多数運行されている。
- 東武バスウエスト上尾営業所・東武バスウエスト大宮営業事務所[32][33]
- 地区内は「三ツ塚」、「平方ゴルフガーデン」、「平方領家」、「平方領家南」、「一本木」バス停留所が設置されている。
- 上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」[34]
- 平方小敷谷循環
- 地区内は「平方領々家」、「平方領々家南」、「一本木」バス停留所が設置されている。
地域
[編集]町内会
[編集]寺社
[編集]領家村の頃は村社の氷川社のほか、天神社、大六天社、風天社、天王社、八幡社、愛宕社、神明社、稲荷社[注釈 8]が鎮座していたが[36]、地内に神社は存在しない。旧平方村で村内にある神社の合祀が1908年(明治41年)5月に行われたためである[36][37][注釈 9]。合祀先は平方の氷川神社で、1909年(明治42年)9月25日に合祀祭が挙行され[36]、橘神社に改称された[38]。
施設
[編集]さいたま市西区の平方領領家には目立った施設は特に存在しない。以下は全て上尾市側に所在する。なお、上尾市側地内に街区公園や指定緊急避難場所[41]は存在しない。
- 平方領々家農村集落センター
- 特別老人ホーム新生ホーム
- 東京電力パワーグリッド平方変電所
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(1991年発行の増補版を含む)では平方領領家で記されているが[9][10]、上尾市ホームページでは平方領々家(例えば市内小・中学校通学区一覧[11])で記される場合が多い。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』898頁では「寛永3年(1626年)旗本羽太氏[16]の知行」と記されているがこれは誤りと思われる。『新編武蔵風土記稿』でも「寛永三年に至り羽太某に賜りし」とある[18]。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の「領家村」の検索結果も参照。
- ^ 『上尾百年史』 24頁によると、武蔵知県事への編入時の時点で旗本石羽太郎右衛門の知行と記される[19]。
- ^ 『武蔵国郡村誌』や『新編武蔵風土記稿』では「大六天前」とも[18]。
- ^ 『武蔵国郡村誌』や『新編武蔵風土記稿』では「堂の前」とも[18]。
- ^ 『武蔵国郡村誌』では「坊地」、『新編武蔵風土記稿』では「房地山・天神前」とも[18]。
- ^ これら村社以外の8社は平方への合祀までに村社の氷川社に合祀されている。
- ^ 迅速測図によると、一本木バス停留所の辺りに鳥居の記号が描かれ、ここに村社の氷川社があったものと思われる。
出典
[編集]- ^ “さいたま市統計書(令和元年版) 1 土地及び気象”. さいたま市役所 (2020年5月20日). 2020年5月29日閲覧。
- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ a b “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b “単位料金区域別市外局番等一覧表”. NTT東日本. 2020年5月30日閲覧。
- ^ “統計あげお 平成30年版 第1章 土地・気象”. 上尾市役所. p. 2 (2019年5月30日). 2020年5月29日閲覧。
- ^ a b “町丁大字別人口表”. 上尾市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』928頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』731頁。
- ^ a b “市内小・中学校通学区一覧”. 上尾市 (2017年6月1日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b 都市計画図がご覧になれます。 - 上尾市(2014年9月5日).2019年6月5日閲覧。
- ^ a b c 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ 東京市『東京市史稿. 市街篇第六附錄』東京市、1928年、80-81頁 。
- ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』898頁。
- ^ 『上尾百年史』 250-254頁。
- ^ a b c d 新編武蔵風土記稿平方領領家村.
- ^ 『上尾百年史』 24頁。
- ^ 『上尾百年史』 26-30頁。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』117-123頁。
- ^ 『上尾百年史』 98-116頁。
- ^ 『上尾百年史』 561頁。
- ^ 『上尾百年史』 161-164頁。
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1421頁。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 557-558頁。
- ^ 「市域の一部を大宮市に編入」『広報あげお 昭和57年4月15日号』第359号、上尾市役所、1982年4月15日、12-13頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』増補5頁。
- ^ 「滝沼地区を大宮市へ編入 *― 十一月一日から」『広報あげお 昭和57年11月15日号』第373号、上尾市役所、1982年11月15日、5頁。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』329-334頁。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ 路線図 上尾営業所 (PDF) - 東武バス.2019年6月5日閲覧。
- ^ 路線図 大宮営業事務所 (PDF) - 東武バス.2019年6月10日閲覧。
- ^ ぐるっとくん 上尾市内循環バスROAD案内マップ (PDF) - 上尾市役所.2020年5月29日閲覧。
- ^ “自治会・町内会・区会に加入しましょう”. 上尾市役所 (2021年3月15日). 2022年5月5日閲覧。
- ^ a b c 『上尾百年史』 604-609頁。
- ^ “上尾の寺社 10 橘神社(平方)”. 上尾市教育委員会 (2014年3月1日). 2020年6月12日閲覧。
- ^ 広報広聴課「上尾歴史散歩309 神社の動向 - 明治後期の神社合祀 -」『広報あげお 平成28年12月号』第993号、上尾市、2016年12月、35頁、2020年6月12日閲覧。
- ^ 上尾の寺社 16 清真寺(平方領々家) - 上尾市(上尾市教育委員会)、2015年8月27日閲覧。
- ^ “上尾の指定・登録文化財一覧” (2021年3月12日). 2021年11月21日閲覧。
- ^ “指定緊急避難場所・指定避難所・福祉避難所”. 上尾市役所 (2022年2月14日). 2022年5月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日、431-484頁。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 「領家村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ152足立郡ノ18、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764000/24。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]- さいたま市の地名
- 埼玉県第5区・埼玉県第6区
- 領家 (上尾市) - 地名の由来が平方領領家と同様。平方領領家と区別するため石戸領領家と称されている時期があった。
- 上野本郷 - 平方領領家と同様、2つの自治体に跨る。
- 井戸木 - 平方領領家と同様、2つの自治体に跨っていた時期があった。
外部リンク
[編集]- さいたま市地図情報 - さいたま市
- 西区ガイドマップ - さいたま市
- あげおガイド アピマップ - 上尾市役所
平方 | 小敷谷 | |||
上野 | 地頭方 | |||
平方領領家 | ||||
上野本郷 | さいたま市西区中釘 |