川 (上尾市)
川 | |
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川の大じめ | |
北緯35度57分51.7秒 東経139度34分38.61秒 / 北緯35.964361度 東経139.5773917度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 上尾市 |
地区 | 大谷地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.2153[1] km2 |
人口 (2021年(令和3年)1月1日現在)[2] | |
• 合計 | 1,594人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
362-0048[3] |
市外局番 | 048(浦和MA)[4][5] |
ナンバープレート | 大宮 |
座標の場所は川の大じめを示す |
川(かわ)は、埼玉県上尾市の町名および大字。市の統計などでは大谷地区で分類されている。
現行行政地名は川一丁目・二丁目、および大字川。住居表示未実施地区[6]。郵便番号は362-0048[3]。
地理
[編集]埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南東部[7] の大宮台地上[8] に位置する。鴨川流域は低地で台地との間は傾斜が極めて緩く、その境界は不明瞭である。
東側を富士見、南側を向山、西側から北側にかけて今泉と接する。市民体育館通りの北側に位置する大字川の境界は大字今泉と複雑に錯綜し、現在でも大小の飛地がある。地区の東端を鴨川が流れ、北から富士見橋や鴨川橋が架かる。また、地内を今泉雨水第2幹線(今泉都市下水路)が流れ、鴨川に合流している[9]。
地区は大字も含めた全域が市街化区域[10] で主に第一種低層住居専用地域(主要な通り沿いは第一種中高層住居専用地域や第二種住居地域)に指定され、全体的に区画整理された住宅地が広がっているが、大字川には一部生産緑地地区として耕作地も残る。かつては水田も見られた[7]。
歴史
[編集]もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する川村[8]、古くは、周辺の今泉村、向山村、壱丁目村などと共に1村の大谷村であったと云われている[8][11]。向山村に飛地があった[8]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では154石(田61石余、畑89石余、山高3石余)[12]、『元禄郷帳』および『天保郷帳』によると123石余であった[8]。助郷は中山道上尾宿に出役していた[8]。化政期の戸数は20軒で、村の規模は東西4町余、南北2町余であった[8][13]。地名は諸説あり鴨川に由来する説や、川端など、川の字を含む地名から川の字だけが残ったことよるものと云われている[14]。 1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米15石、大麦60石、小麦15石、大豆18石、小豆8石、栗10石、蕎麦3石、甘藷720貫であった[15]。
- はじめは幕府領、1624年(寛永元年)より知行は旗本柴田氏となる[8]。なお、検地は1661年(寛文元年)に実施[13]。
- 1698年(元禄11年)より上知され再び幕府領となる[8]。
- 幕末の時点では足立郡川村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[注釈 1][16]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第19区に属す[16][17]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1884年(明治17年)7月14日 - 連合戸長役場制により成立した小泉村連合に属す。連合戸長役場は小泉村に設置[18]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、川村を含む区域をもって大谷村が成立。川村は大谷村の大字川となる[8]。
- 1920年(大正9年) - 地内の十福寺(浄土宗、十連寺末)が火災で全焼する[19]。
- 1941年(昭和16年) - 地内の十福寺が十連寺と合寺される[20]。墓地が現存する。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 大谷村合併によって上尾町となったことに伴い[21]、上尾町の大字となる。
- 1956年(昭和31年)11月27日 - 地内の鴨川に架かる鴨川橋の架け替え工事が同月下旬に完了し、渡り初めが行なわれる[22][注釈 2]。工事は岩崎工業が請負った。
- 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行され[21]、上尾市の大字となる。
- 1971年(昭和46年)5月20日 - 上尾市立西中学校の校舎の落成に伴い、上尾市立上尾中学校の仮校舎より移転する[23]。
- 1972年(昭和47年) - 地内に鎮座する神明神社を、十福寺の跡地である現在地に遷座する[19]。なお、旧境内地は現在の市民体育館の敷地の一部[注釈 3]となる。
- 1973年(昭和48年) - 地内に「双葉台幼稚園」が開園する。
- 1975年(昭和50年)10月 - 地内に都市計画道路「上尾平方線」が開通する[24]。
- 1982年(昭和57年)1月22日 - 大谷北部第三特定土地区画整理事業の都市計画決定[25]。
- 1991年(平成3年)12月1日 - 「川の大じめ」が市の無形民俗文化財に指定される[26]。
- 1993年(平成5年)12月28日 - 大谷北部第二地区土地区画整理事業の都市計画決定[25]。
- 2005年(平成17年)9月17日 - 大谷北部第三特定土地区画整理事業の完成[25] により地番変更を実施、大字川の一部より川一・二丁目が成立。残部の大字川は存続。また、大字川の一部が向山一〜四丁目の一部となる。
- 2007年(平成19年)1月23日 - 大谷北部第四地区土地区画整理事業の都市計画決定[25]。
- 2011年(平成23年)3月 - 地内の鴨川に埼玉県の水辺再生100プラン事業により富士見親水公園の整備が完了する[27]。
- 2020年(令和2年)11月21日 - 大谷北部第四土地区画整理事業の換地処分が前日に行われたことに伴い、町名地番変更が行われ、大字川の一部が今泉四丁目、向山五丁目の各一部となる[28]。
存在していた小字
[編集]※ 登記簿上は今もなお存在する小字を含む。『新編武蔵風土記稿』には「前」・「神明前」の記載がある[13]が、現在の場所を特定できない[14]。
世帯数と人口
[編集]2021年(令和3年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
川一丁目 | 363世帯 | 854人 |
川二丁目 | 132世帯 | 368人 |
大字川 | 160世帯 | 372人 |
計 | 655世帯 | 1,594人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[30]。
町丁・大字 | 番地 | 小学校 | 中学校 | 備考 |
---|---|---|---|---|
川一丁目 | 全域 | 上尾市立大谷小学校 | 上尾市立大谷中学校 | 今泉小・西中も可(要 通学希望届提出) |
川二丁目 | 全域 | |||
大字川 | 88〜146、149〜192 | |||
大字川 | 1〜87、229〜230、237〜238-1、238-4〜259-1、259-3〜273 | |||
大字川 | 200〜228、231〜236、238-2〜238-3、259-2、274〜288 | 上尾市立今泉小学校 | ||
大字川 | 147-1 | 上尾市立西小学校 | 上尾市立西中学校 |
交通
[編集]地区内に鉄道は敷設されていない。下記路線バス利用でJR東日本高崎線上尾駅が最寄り駅となっている。
道路
[編集]地区内に国道や主要地方道・県道は通っていない。
バス
[編集]上尾駅西口駅前より西上尾第一・第二団地方面や川越駅方面への路線バスが多数運行されている。
- 東武バスウエスト上尾営業所
- 地区内は「川」バス停留所が設置されている[32]。
- 上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」
- 平方小敷谷循環
- 地区内は「西中学校南」、「川神明会館」、「川」バス停留所が設置されている[33]。
地域
[編集]町内会
[編集]祭事
[編集]- 川の大じめ[26] - 市指定無形民俗文化財。かつての集落の入口に位置していた。川地区で毎年5月15日に行われる魔除けの行事。
施設
[編集]- 上尾市立西中学校 - 一部が立地
- 双葉台幼稚園 - 敷地の一部が立地
- 武蔵野銀行 西上尾支店
- 神明神社 - 八枝神社の兼務社[19]
- 川神明会館 - 神明神社境内地に所在
- 富士見親水公園 - 鴨川河川敷の公園で一部が立地する。
- あじさい公園
- 六建ニュータウン調節池[9]
- 大谷北部第二5号調整池
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “統計あげお 平成31年・令和元年版 第1章 土地・気象”. 上尾市役所. p. 2 (2020年6月1日). 2020年6月1日閲覧。
- ^ a b “町丁大字別人口表”. 上尾市役所 (2021年11月4日). 2021年11月28日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月28日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年3月28日閲覧。
- ^ “単位料金区域別市外局番等一覧表”. NTT東日本. 2020年6月1日閲覧。
- ^ “住居表示に関する届け出”. 上尾市役所 (2017年12月28日). 2019年3月28日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 926頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 286頁。
- ^ a b “上尾市総合治水計画” (PDF). 上尾市役所. pp. 14,42 (2019年12月). 2020年6月1日閲覧。
- ^ a b 都市計画図がご覧になれます。 - 上尾市役所(2014年9月5日).2019年7月5日閲覧。
- ^ 新編武蔵風土記稿 今泉村.
- ^ 東京市『東京市史稿. 市街篇第六附錄』東京市、1928年、80-81頁 。
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 川村.
- ^ a b c 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 529-535頁。
- ^ 『上尾百年史』 250-254頁。
- ^ a b 『上尾百年史』 26-30頁。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 117-123頁。
- ^ 『上尾百年史』 98-116頁。
- ^ a b c 川・神明(しんめい)神社 - 八枝神社. 2020年6月11日閲覧。
- ^ 『上尾百年史』 610-615頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1421頁。
- ^ 上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2 518-519頁。
- ^ “学校の沿革”. 上尾市立上尾中学校 (2020年5月20日). 2020年7月14日閲覧。
- ^ “上尾市のあゆみ - 統計あげお平成23年版” (PDF). 上尾市役所. pp. 135-144 (2012年3月). 2014年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月14日閲覧。
- ^ a b c d “上尾市の土地区画整理事業”. 上尾市役所 (2018年4月1日). 2019年3月28日閲覧。
- ^ a b “川の大じめ”. 上尾市教育委員会 (2010年11月24日). 2019年3月28日閲覧。
- ^ “水辺再生100プラン 25 鴨川/上尾市富士見”. 埼玉県. 2020年7月2日閲覧。
- ^ “大谷北部第四地区の町名地番変更”. 上尾市役所 (2020年11月21日). 2021年11月28日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1389頁。
- ^ “市内小・中学校通学区一覧”. 上尾市役所 (2017年6月1日). 2021年11月28日閲覧。
- ^ “上尾市緊急輸送道路閉塞建築物耐震診断補助制度”. 上尾市役所 (2014年8月25日). 2019年3月28日閲覧。
- ^ 路線図 (PDF) - 東武バス.2019年3月28日閲覧。
- ^ ぐるっとくん 上尾市内循環バスROAD案内マップ (PDF) - 上尾市役所.2019年3月28日閲覧。
- ^ “自治会・町内会・区会に加入しましょう”. 上尾市役所 (2021年3月15日). 2022年5月12日閲覧。
- ^ “指定緊急避難場所・指定避難所・福祉避難所”. 上尾市役所 (2022年2月14日). 2022年5月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市役所、1997年3月31日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 「川村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/42。
- 「今泉村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/40。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 上尾の地区計画区域 大谷北部第三地区の地区計画 (PDF) - 上尾市役所
- あげお写真館 - 上尾市役所