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「日産・マーチ」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 初代 K10型(1982年-1992年) ===
=== 初代 K10型(1982年 - 1992年) ===
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| 車両重量=635kg
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;1991年2月
;1991年2月
:パイクカー第3弾、2ドアオープントップ「[[日産・フィガロ|フィガロ]]」FK10型、MA10ETエンジン(987cc)3AT搭載車発売。
:パイクカー第3弾、2ドアオープントップ「[[日産・フィガロ|フィガロ]]」FK10型、MA10ETエンジン(987cc)3AT搭載車発売。
;[[1992年]]1・4
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:フルモデルチェンジで3/5ドアK11型マーチへ移行。
:フルモデルチェンジで3/5ドアK11型マーチへ移行。
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=== 2代目 K11型(1992年-2002年) ===
=== 2代目 K11型(1992年 - 2002年) ===
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=== 3代目 K12型(2002年-2010年) ===
=== 3代目 K12型(2002年 - 2010年) ===
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[[2002年]]2月、2度目のフルモデルチェンジを受ける<ref>当初2000年の発売を目指して「ほぼ」開発は終了していたが、ルノーとプラットフォームの共通化のため発売が大幅に遅れたといわれている。</ref>。生産は引き続き追浜工場で行われ、コンセプトは変わらず3ドアと5ドアのハッチバックの[[リッターカー]]であったが、日本市場では、2003年夏には1Lエンジンのグレードが消え、[[2005年]]のマイナーチェンジを機に、3ドアモデルは廃止された。欧州市場では[[クーペカブリオレ]]の「マイクラC+C」も発売されており、日本にも[[2007年]]7月に導入され1,500台が限定販売されている。
[[2002年]]2月、2度目のフルモデルチェンジを受ける<ref>当初2000年の発売を目指して「ほぼ」開発は終了していたが、ルノーとプラットフォームの共通化のため発売が大幅に遅れたといわれている。</ref>。生産は引き続き追浜工場で行われ、コンセプトは変わらず3ドアと5ドアのハッチバックの[[リッターカー]]であったが、日本市場では、2003年夏には1Lエンジンのグレードが消え、[[2005年]]のマイナーチェンジを機に、3ドアモデルは廃止された。欧州市場では[[クーペカブリオレ]]の「マイクラC+C」も発売されており、日本にも[[2007年]]7月に導入され1,500台が限定販売されている。
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=== 4代目 K13型(2010年-) ===
=== 4代目 K13型(2010年 - ) ===
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| 全長=3,780mm
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| 全幅=1,665mm
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| 全高=1,515mm(FF)<br />1,525mm(4WD)
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| ホイールベース=2,450mm
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| 車両重量=940 - 1,040kg
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| 自由項目2(内容)=
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2010年8月11日 (水) 13:22時点における版

マーチ (MARCH) は、日産自動車が製造・販売するハッチバック型のコンパクトカーである。

概要

ヴィッツフィットとともに、日本のコンパクトカー御三家の一角を占める。日欧両市場での販売を視野に入れており、日本以外では「Micra(マイクラ、ミクラとも読む)」名で販売されている。扱いやすいコンパクトなボディに大人4人が快適に移動できるキャビンを持つ合理的なパッケージングが特長であり専門家の評価も高い。特に2代目・K11型は日欧でカー・オブ・ザ・イヤーを同時受賞するなど高い評価を受けた。また、日本車としては珍しくフルモデルチェンジのスパンがかなり長い[1]のも特徴の一つである。ライバルのヴィッツと共に、ワンメイクレースが行われるなど、手軽なモータースポーツへの登竜門としての一面も持つ。

歴史

初代 K10型系(1982年 - 1992年)

日産・マーチ(初代)
K10型系
前期型(欧州仕様)
中期型(日本仕様)
概要
販売期間 1982年10月 ‐ 1992年1月
デザイン イタルデザイン・ジウジアーロ
ボディ
ボディタイプ 3ドア/5ドアハッチバック
駆動方式 FF
パワートレイン
エンジン MA10S型 1.0L 直4
MA10ET型 1.0L 直4
MA09ERT 0.930L 直4
MA10E型 0.987L ザウルスJr用インジェクション
MA12型 1.2L 直4
変速機 5速MT / 4速MT
3速AT
車両寸法
ホイールベース 2,300mm
全長 3,785mm
全幅 1,560mm
全高 1,395mm
車両重量 635kg
その他
データモデル 1983年型「3ドアGスペック」
テンプレートを表示

1981年10月、第24回東京モーターショーに「NX-018」の名で参考出品。開発は当時東京都杉並区荻窪に在った荻窪事業所にて行われた。[2]初代マーチはその荻窪事業所で新車種として最後に開発され世に出た乗用車である[3]。開発主管には旧・プリンス自動車出身の伊藤修令が務めた。

当初搭載されたエンジンはMA10S 987cc電子キャブレターECC仕様 (E-K10) 。グレードもE(基本性能に徹したモデル)・L(基本的車種でファミリー若者向実用車)・S(機能、内装の充実を図ったモデル)・G(最上級モデル)の3ドアハッチバック車4種類だけだったが、のちにグレードが充実化され、キャンバストップ車や5ドアハッチバック車、MA10ET 987cc水冷ターボECCSエンジンを搭載した「マーチターボ」、MA09ERT930cc空冷式インタークーラー、ダブル過給機付きECCSエンジンを搭載し、ビスカスLSD標準装備のモータースポーツに対応したマーチR、そのグランドツーリング版のマーチスーパーターボなどの車種も登場した[4]1982年10月にモーターショー発表から長期にわたる1年間のプレキャンペーンの後、発売された。「マーチ」の名称は一般公募により決定した。 (近藤真彦の愛称:マッチ:にあやかって付けた名前だとも言われている)

約10年という、日本の量産車としては珍しく、極めて長いモデルライフであった。当初から、最小限の装備だけを持っていたが、最終型には、パワーウインドウ装着車 (FV) も存在した。

主な派生車種は、パイクカーの「Be-1」BK10型、MA10Sエンジン搭載・「パオ」PK10型、MA10Sエンジン搭載・「フィガロ」FK10型、MA10ETエンジン搭載や、レーシングフォーミュラーカーの「ザウルスジュニア」NSJ-91型、MA10Eエンジン搭載などが挙げられる。パイクカーの人気は高く、特にBe-1は中古車市場にリセールした方が、本体購入価格より倍近い値段がつくという事で「財テクカー」と呼ばれた。

年表

1978年初頭
日産自動車、リッターカーの開発に着手。
不明年
リッターカー開発プロジェクト「KX計画」を日産自動車の石原俊社長(当時)直轄化の元でスタート。
1981年10月30日 - 11月10日
第24回モーターショー(東京都中央区晴海)でFF1000CC乗用車、「NX.018」参考出品。
1981年10月29日 - 1982年1月15日
車名の募集キャンペーンを実施、全国からの応募数は、565万通に及んだ。
1982年10月22日
午前11時に東京都中央区銀座にある日産自動車本社にて、K10型マーチの新車発表記者会見が行われた。この模様は日本テレビ放送網が制作した特別番組「1000CCの名前決定!」で全国にテレビ中継された。
1982年10月
K10型マーチ発売。
1983年4月
3ドアハッチバック「G-COLLET」仕様車追加(4MT/3AT車)。
1983年7月
日産50周年記念限定車、50スペシャルII (TWO) 仕様車を限定2000台で販売。特別装備として、フロントグリルに50周年記念エンブレム、50周年記念専用デザインキー、ドアミラー(電動リモコン式)、ブロンズガラスシールド、専用ボディカラー、アクセント・ピンストライプ、155SR12サイズのラジアルタイヤなどを採用。
1983年9月
5ドアハッチバック新設定、「FT」・「FC」仕様追加(4MT車にはFT・FC、5MT車にはFT、3AT車にはFT・FCが用意された)、3ドアハッチバック車「G-1」仕様新設定(標準装備として後部がチルト、なおかつ脱着可能な2ウエイ式ガラスサンルーフを設定。※5MT車)。
1984年
日産伝統の入門レースカテゴリー、K10型マーチでのワンメークレース「マーチカップ」開催。
1984年2月
5ドアハッチバック車の最上級車種、「FV」仕様車追加(4MT車/5MT車/3AT車)。
1985年2月
マイナーチェンジ。車体の一部変更。「マーチターボ」MA10ETエンジン搭載車を追加 (5MT/3AT) 。コレットの4MT車にスロープストッパーを採用、MT車でも登坂路の坂道発進を容易にする補助装置として、従来のブレーキシステムにプレッシャーホールドバルブを追加設定。MA10Sでは三元触媒に統一。3ドアハッチバック車ではコレット仕様パワーステアリング車を新設定し、S仕様の4MT車・G仕様5MT車・S仕様3AT車が廃止され、5ドアハッチバック車では、FV仕様4MT車・FT仕様5MT車が廃止された。
1986年3月
特別限定車「ターボ・ホワイトセレクト (WS)」仕様車発売。
全国限定1500台。特別装備としてボディをホワイトで統一、ブロンズカラーガラスシールド、W・Sマーク入りボディステッカー、W・Sマーク入り3本スポークステアリング、フロントバケットシート、専用フルクロス布地(グレーカラー斜めストライプ)、などを装備。
1986年9月
PUMPS!仕様車の追加。特徴としてメインシート表地の着替え選択が可能。メインシートカラーはシャーベットトーンの7色で前/後席ワンセット分と着替え用の前席分が標準装備で、しかもセパレートタイプ、別売で追加注文が可能、色の組み合わせは無限大に近く、ファスナー固定の上、洗濯可能である。
シートカラーバリエーションは、ハーバーブルー、クレープイエロー、ポーラブルー、シェルピンク、コスモグリーン、パンプキンイエロー、ピーコックブルーがあった。
1986年
全日本ラリー選手権Aクラスに参戦しドライバーズチャンピオンを獲得。
1987年
WRC、サファリーラリーにてNRS(ニッサンラリーサービス)[1]がマーチターボで参戦。
1987年1月
パイクカー第一弾「Be-1」BK10型、MA10Sエンジン搭載車発売。ただし、キャンバストップは3月発売。
1987年8月
「マーチ・キャンバストップ」専用仕様車の追加。G-1仕様車の廃止。全車にパワーステアリングをメーカーオプションで拡大設定(L仕様5MT車を除く)。車体色に新色を大量に採用、内装はトリム・シート生地の変更(ターボ仕様車を含む)。MA10ETエンジンは空燃費比最適制御によりEGR装置を廃止。
1987年
全日本ラリー選手権Aクラスに参戦しドライバーズチャンピオンを獲得。
1988年1月
3ドアハッチバック車、i.Z仕様車発売。
パイクカー第2弾、3ドア2ボックス「パオ」PK10型、MA10Sエンジン4MT/3AT搭載車発売。
1988年8月
モータースポーツ活動の対応車種、「マーチR」MA09ERT(930cc)ダブルチャージエンジン搭載、5MT仕様車限定発売。主に国内ラリーで活躍。
1988年
WRC第36回サファリラリーでマーチターボ、JH.ヘイズ/A.Levian組が総合10位A3クラス優勝。
1989年
WRC第2戦、モンテカルロラリーでマーチターボ参戦、ドライバーはP.エクルンド
WRC第4戦、サファリラリーでマーチターボ、L.モーガン/L.マローテ組が女性コンビながら、総合12位、クラス優勝。
WRC第13戦、RACラリーでマーチターボ、P.エクルンド/D.ウィトッグ組で参戦、総合21位、クラス3位。
WRC第6戦、アクロポリスラリー、マーチスーパーターボ、P.エクルンド/B.セデルベルグ組が総合10位、クラス優勝。
MA09ERT搭載のEK10FR型マーチRが全日本ラリー選手権シリーズ優勝(Bクラス1001cc以上1600cc未満クラス)。
WRC第7戦、ラリー・オブ・ニュージーランドでマーチスーパーターボ、P.デビット/W.ジョーンズ組、グループ.N、総合3位、クラス2位獲得。
1989年1月
マイナーチェンジ。5ドアハッチバック車i.Z仕様発売。「スーパーターボ」(E-EK10)5MT/3AT発売。L型5速専用エンジンの廃止。車体の一部変更。コレット・パンプス仕様車にスロープストッパーを標準採用。メーカーオプションとして脱着式ガラスサンルーフの設定をパンプス・コレット・ターボ・スーパーターボに、電動キャンバストップの設定をパンプス・コレット・ターボに、デュアルエキゾーストパイプをRに加え、ターボ・スーパーターボにそれぞれ採用。「マーチ・キャンバストップ」専用仕様車の廃止。
1990年1月
i.Z仕様車一部変更。
1991年
MA10Eエンジン搭載、レーシングフォーミラー車「ザウルスジュニア」登場。ザウルスJrカップ発足。
K10型マーチ、全車種生産終了。
1991年1月
3/5ドアハッチバック車「i.z-f」仕様車発売。
1991年2月
パイクカー第3弾、2ドアオープントップ「フィガロ」FK10型、MA10ETエンジン(987cc)3AT搭載車発売。
1992年1月
フルモデルチェンジで3/5ドアK11型マーチへ移行。

2代目 K11型系(1992年 - 2002年)

日産・マーチ(2代目)
K11型系
前期型(1992年 - 1995年)
後期型(1999年 - 2002年)
概要
販売期間 1992年1月 - 2002年3月
ボディ
ボディタイプ 3ドア/5ドアハッチバック
3ドアオープンカー
5ドアステーションワゴン
4ドアノッチバックセダン台湾製)
駆動方式 FF / 4WD
パワートレイン
エンジン 前期
CG10DE型 1.0L 直4
CG13DE型 1.3L 直4
後期
CG10DE型 1.0L 直4
CG13DE型 1.3L 直4
CGA3DE型 1.3L 直4
変速機 CVT
4速AT
5速MT
車両寸法
ホイールベース 2,360mm
全長 3,720mm
全幅 1,585mm
全高 1,430mm
車両重量 750 - 1,030kg
その他
データモデル 1996年型「コレット」
テンプレートを表示

1992年1月、初のフルモデルチェンジを受けて2代目に移行する。エクステリアデザインに於いてはそのほとんどを、当時の厚木NTC[5]デザインセンター[6]日本ユニシスと共同開発の真っ最中だった日産初の造形意匠用CADシステムである「STYLO(スタイロ)」を、試用段階ではあったが初めて造形の初期段階から運用して制作されたものである。ボディ形式は初代に引き続き3ドアと5ドアのハッチバック型、後期型にはワゴン型「マーチBOX」やオープンモデルの「カブリオレ」もラインナップされていた。また、台湾オリジナルモデルとして、3ボックス型のセダンがある。

1998年には派生モデルとして、初代・Z10型キューブが生まれている。

ミドルクラスセダンの初代・P10型プリメーラと同じく、日欧両市場を主要マーケットとして、欧州車と比肩しうる性能や快適性、合理的なパッケージングを実現することを目標として開発された。「安かろう悪かろう」が普通であった当時の日本製コンパクトカーの中では異彩を放つ存在であった。

プラットフォーム及びエンジンは新開発され、1.0/1.3LのCG型エンジンを搭載、5速MT/4速ATに加えて、スバルから供給を受けたECVTを組み合わせていた。CVTの採用は日産では初である。

日本市場での販売実績は、モデルサイクル全般にわたって堅調なもので、マーチに対抗できる商品力を持つ競合車が1999年の初代ヴィッツまで登場しなかったことや、バブル崩壊に伴い、コンパクトカーの経済性が見直されてきたことなどの要因から、登場から4年後の1996年度には142,000台を販売し、記録を更新した。当時の日産は莫大な有利子負債を抱え、深刻な経営状態となっていたがその時期の日産を支えた車種の一つである。

その後ヴィッツ、フィットなど、競争力の高いコンパクトカーが他社から続々と登場したこともあり、販売台数は若干落ちたものの、2001年製の最終モデルでも月間5,000台程度の安定した販売実績を残している。生産工場はK10型同様村山工場であったが、閉鎖後は追浜工場に移管された。

1998年に誕生したトールワゴン・初代「キューブ」は、マーチの基本コンポーネンツを流用して開発された。また、レトロ風のメッキグリルを持ち、リアオーバーハングを延長し独立したトランクルームを備えたセダン、光岡ビュート」、エンジンチューン、機能的なエアロパーツを外装に持つトミーカイラ「m13(初代)」や、無印良品とのコラボレーションモデル「Muji Car 1000」も生まれている。 なお、追加キットだがクラシカルな外観を持つムークプリンセスなどもある。

受賞歴

K11型の評価は日本国内外共高く、日本カー・オブ・ザ・イヤー(1992)、RJCカー・オブ・ザ・イヤー(1992)をダブル受賞、欧州でも欧州カー・オブ・ザ・イヤー(1993)を日本車としては初めて獲得する快挙を成し遂げた。これら3賞を同時受賞した日本車は2000年登場のヴィッツ(欧州名・ヤリス)まで登場しない。

年表

1992年1月
初のフルモデルチェンジ。
1992年4月
安価モデル「E」を追加。
1992年8月
英国サンダーランド工場で現地生産を開始。
1993年1月
1.0LエンジンにCVTを組み合わせた「B」追加。
1993年4月
欧州、日本、RJCの各COTY受賞を記念した特別仕様車「V3 AWARD」設定。ボディカラーは黒と赤の2種類のみ。
1993年11月
「アウトストラーダ」、「i・z セーフティグリップパッケージ仕様車」を追加。なお、アウトストラーダとはイタリアの高速道路の意。
1994年12月
一部改良により、運転席SRSエアバッグを全車標準装備化。
1995年4月
運転補助装置付きモデル「アンシャンテ」がオーテックから発売。
1995年12月
マイナーチェンジ。内外装意匠の一部変更を受ける。
1996年6月
特別仕様車「F」設定。
1996年10月
特別仕様車「D」設定。
1996年11月
特別仕様車「コレット」設定。
1997年5月
マイナーチェンジ。全車にデュアルエアバッグ、ABSを標準化、助手席エアバッグの装着に伴いインパネ形状が変更される。外観の変更点としてグリルがフード一体型に変更された。特別仕様車の「コレット」はカタログモデル化、以後「i・z - f」に代わって主要グレードになる。
1997年8月
電動ソフトトップを持つオープンモデル「マーチカブリオレ」が登場[7]
1997年10月
丸型ヘッドランプとメッキグリルを持つレトロ調特別仕様車「ボレロ」を設定。
1997年12月
1960年代英国風テイストの「ジューク」追加。赤と黒のツートンカラーが特徴。
1998年4月
英国生産モデルに、プジョー製1.5L TUD5型ディーゼルエンジンを搭載。
1998年11月4日
オーテックジャパンにより丸型ヘッドランプとメッキグリルを備えるレトロ調特別仕様車「ルンバ」を設定。同時にコレットをベースに専用シートクロスやカラードドアハンドル&ライセンスランプカバーなどを装備した「コレットL」を追加。
1999年9月
英国生産モデルが累計生産100万台を達成。
1999年11月9日
マイナーチェンジ。1.0L CG10DE型の出力向上、1.3LエンジンのCGA3DE型への変更を実施。無段変速機「Hyper CVT」搭載モデルやマーチとしては初の4WD車も設定された。外観の変更点としてはヘッドランプのレンズがマルチリフレクター化された点とテールランプ造形が変更された点が挙げられる。また、リアオーバーハングを延長したステーションワゴン風モデル、WK11型「マーチBOX」も登場した。
2000年5月9日
モール類をカラード化した特別仕様車「ホワイトリミテッド」設定。ボディカラーは限定のシルキースノーパールのみが設定された。
2000年10月10日
内装を一部変更し、グレード体系も見直し。同時にコレットをベースに、アウトストラーダと同形状のメッシュグリルやフォグランプ一体型フルカラードバンパーなどを装備した「Mia」を追加。
2000年12月26日
オーテックジャパンの手による丸型ヘッドランプが特徴の特別仕様車「ポルカ」を設定。同時にコレットをベースに、フロント&リアバンパーモールやサイドガードモールを車体色化した女性向け特別仕様車の「カジュアルリミテッド」を設定。
2001年4月
K11型国内登録累計100万台達成記念車「コレット-f」を発売。フロント・リアのバンパーモール、サイドガードモール、アウトサイドドアハンドル、ライセンスランプカバーを車体色化した。
2001年5月
無印良品とのコラボレーションモデル「Muji Car 1000」発売。1000台限定。商用車を思わせるスタイルが特徴。
2003年
オーテックジャパンの手によるスペシャルモデル「MID-11」公開。3ドアをベースに、可変バルブタイミング機構を備えたSR20VE型エンジンに6速MTを組み合わせ、204PS・21kg·mの性能を発揮した。エンジンはリアシート部分へ横置きしていた。

備考

  • 日本国内のグレード名は「マーチ(=行進曲)」という名前にちなんで「G/A/B/E」といった英米式音階表記となっていた。「」は1.3L車、「」は1.0L車をそれぞれ示す。初代後期からの人気グレード「i・z - f」は例外であるが、「f」にフォルテ(強弱記号)を用いることでイメージの統一を図っていた。
  • 台湾裕隆日産汽車ではマーチのハッチバック型が「行進曲」という名前で現地生産されていたほか、このモデルが2007年秋まで継続して生産されていた。
  • フランスでは氷上レースを戦うために、A32型セフィーロ用VQ30DEエンジンと4WDシステムをミッドマウントしたスペシャルモデルが開発された事がある。

3代目 K12型系(2002年 - 2010年)

日産・マーチ(3代目)
K12型系
前期型(2002年3月 - 2005年8月)
中期型(2005年8月 - 2007年6月)
後期型(2007年6月 - 2010年7月)
概要
販売期間 2002年3月 - 2010年7月
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 3ドア/5ドアハッチバック
2ドアカブリオレ
駆動方式 FF / 4WDe-4WD
パワートレイン
エンジン CR10DE型 1.0L 直4
CR12DE型 1.2L 直4
CR14DE型 1.4L 直4
HR15DE型 1.5L 直4
変速機 CVT
4速AT
5速MT
車両寸法
ホイールベース 2,430mm
全長 3,695 - 3,735mm
全幅 1,660 - 1,670mm
全高 1,505 - 1,535mm
車両重量 870 - 1,060kg
その他
備考 前期型のデータ
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2002年2月、2度目のフルモデルチェンジを受ける[8]。生産は引き続き追浜工場で行われ、コンセプトは変わらず3ドアと5ドアのハッチバックのリッターカーであったが、日本市場では、2003年夏には1Lエンジンのグレードが消え、2005年のマイナーチェンジを機に、3ドアモデルは廃止された。欧州市場ではクーペカブリオレの「マイクラC+C」も発売されており、日本にも2007年7月に導入され1,500台が限定販売されている。

技術面ではルノーと共同開発した「アライアンス・Bプラットフォーム[9]が初めて採用された。日本仕様車では新開発の1.0/1.2/1.4LのCR型エンジンを搭載、5速MT/4速ATを組み合わせていた。欧州では1.6Lモデルも存在する。駆動方式はFFに加え、電動式四駆「e-4WD」も用意された。燃費の向上を目的に、全車に電動式パワーステアリングが採用されている。2代目の特徴の一つであったCVTは当初ラインナップされていなかったが、2005年のマイナーチェンジを機に1.5LのHR型エンジン+CVT搭載のモデルが復活した。

くりくりしたヘッドランプカエルの顔をイメージさせる特徴的なエクステリアデザインは、NTC内デザイン本部第一プロダクトデザイン部(担当:猿渡義市)によるもの。欧州向け日産車に共通するウイング型のグリルをはじめ、丸くラウンドしたルーフや、わずかに残されたリアノッチ、ショルダー部分のキャッツウォーク形状には2代目の面影を残す。競合車種と比較した場合、全長が短いことや、後ろ下がりのルーフ形状のため、後席居住性やラゲッジスペースは若干劣ることが多い。また、日本仕様車では多彩に用意された個性的な内外装色も特色であり、自動車の優れたカラーデザインを顕彰する「オートカラーアウォード」を3度(内グランプリ2度)受賞している。ちなみに、初期型に設定されていた内装色の「シナモン(オレンジ)」は開発段階で微妙だという意見が出たものの、カルロス・ゴーン最高経営責任者の「いいじゃないか!」という一言で市販が決定した。

ゴーンCEO着任後、初めて開発された車種[10]として、その売れ行きには注目が集まったが、発売初年度の日本市場では月販目標台数8,000台を大幅に上回る月平均14,000台を販売した。その後、他社から競合車が続々と発売されたこともあり、販売実績は低下傾向となった[11]。しかし近年では他社の競合車種がモデルチェンジするたびに車両のサイズを拡大する傾向にあるなか、マーチは車幅などのサイズが比較的小さい車種ということもあり、発売後4年を経過した2006年時点でも月5,000台程度をコンスタントに売り続けている。

同一プラットフォームを利用する車のほか、リアオーバーハングを延長し、独立したトランクを備えたセダン、「光岡・ビュート」が存在する。ビュートはマーチの3代目移行後も2代目をベースとしたモデルが継続販売されていたが、2005年9月に13年ぶりとなるモデルチェンジを受けた[12]。また、ビュートの妹分として、良質中古車のK12型をベースとしたキュートが存在する。

トミーカイラ「m13」もK11型に続いてK12型もデビューしている。

受賞歴

  • 2002年10月 - 経済産業省選定グッドデザイン賞を受賞。
  • 2002年11月 - 「パプリカオレンジ×シナモン」の内外装色組合せと5色の外装色(コミュニケーションカラー)が第5回オートカラーアウォードのグランプリを受賞。
  • 2003年7月 - ドイツのレッド・ドット・デザイン賞受賞。
  • 2003年12月 - 外装色「ショコラ」が第6回オートカラーアウォードのファッションカラー賞受賞。
  • 2005年12月 - 「チャイナブルー×アイスブルー」の内外装色組合せが第7回オートカラーアウォードで2度目のグランプリ受賞。
  • 2007年12月 - 「サクラ×カカオ」の内外装色組合せがオートカラーアウォード2008で3度目のグランプリ受賞。同時にオートカラーデザイナーズセレクション・インテリア部門賞も受賞した。

年表

2001年9月
第59回フランクフルトモーターショーに「mm.e」を出品。
2001年10月
第35回東京モーターショーにプロトタイプ「mm」参考出品。
2002年2月22日
フルモデルチェンジ。販売は3月5日から。月販目標台数は8,000台。
2002年9月5日
電動式4WDe-4WD」を1.4L車に設定。同時にオーテックジャパンの手による特別仕様車「ラフィート」を設定。
2002年9月
モンディアル・ド・ロトモビル(パリサロン)に出品、電動ハードトップを備えたオープンモデル「マイクラC+C」も併せて展示。
2002年11月29日
英国サンダーランド工場で現地生産を開始。
2003年5月8日
日産自動車創立70周年を記念した特別仕様車「12c 70th」、「14c-four 70th」を発売。電動格納式リモコンカラードドアミラー、オートライトシステム、リア可倒式シート、ETCユニットなどが装備された。
2003年7月1日
ブラックラジエーターグリル、ブラックアウトヘッドライトなどを採用したスポーティーグレードの「14s」を追加。シャーププラズマクラスター技術を搭載する「プラズマクラスターイオンエアコン」をオプション設定(市販車初)。
2003年9月
第60回フランクフルトモーターショーに「マイクラ1.5dCi」を出展。同年10月販売開始。
2003年10月15日
オーテックジャパンの手による特別仕様車「12SR」を設定。3ドア・5ドアモデル共に設定。チューンアップされ高出力化されたCR12DE型エンジン、専用スポーツサスペンションなどを装備する。
2004年4月23日
マイナーチェンジ。フルーツをイメージした新色を設定したほか、1.0L車を廃止。またフロントシートのホールド性が向上され、12c Bパッケージを除きプラズマクラスターイオンエアコンが全車標準装備とされた。
2004年8月18日
オートライトや分割可倒式リアシートなど、装備を充実させた特別仕様車「Vセレクション」を発売。
2004年12月1日
特徴的なヘッドランプ形状をモティーフにしたシート表皮が特徴の特別仕様車「iセレクション」を発売。プライバシーガラスなどが装備された。同時にオーテックジャパンの手によるレトロ調特別仕様車「ボレロ」を設定。
2005年4月27日
スウェード調シートクロスを採用した「プレミアムインテリア」を発売。他にオートライトシステムやリア可倒式シートなどが装備された。
2005年6月
電動ハードトップモデル「マイクラC+C」を英国で披露。ドイツのコーチビルダー・カルマン社と共同開発した。
2005年8月25日
マイナーチェンジ。フロントのウインカーランプがクリアーになり、グリルの形状が変更された。テールランプとリアバンパーも形状が変更された。ボディカラーも設定が一部変更された。フロントグリルについても変更されたが、最上級グレードの15GとRX, SRには専用のものが採用された。また、3ドアモデルが廃止され、新たに1.5L HR型エンジン搭載モデルの追加された。3ドアモデル廃止に伴い12SRも5ドアベースに変更を受ける。4ATも型番変更され、MC前の4ATで発生していた1速→2速への変速ショックが改善されている。同時にオーテックジャパンによるSRシリーズに1.5LエンジンにエクストロニックCVTが組み合わされた「SR-A」が追加された。
2005年9月
フランクフルトモーターショーに生産型「マイクラC+C」および「マイクラ160SR」を出展。
2005年11月
欧州市場で「マイクラC+C」を販売開始。
2006年6月1日
コンランショップとのコラボレーションモデル「プラスコンラン」を9月まで限定発売。専用のフロントグリルやシートが装備された。
2006年10月4日
装備充実の「ワンタッチコレクション」、「ワンタッチコレクションプラスナビ」を設定。インテリジェントキーやリア可倒式シート、プライバシーガラスなどが装備された。
2007年6月5日
マイナーチェンジ。フロントマスクのデザインが変更。これまでフロントグリルに設置されていたウインカーランプがヘッドライト内に移動された。この変更により、ボレロはヘッドライトとウインカーランプが別になっていたため、フロントバンパーの穴に丸型のウインカーランプが装着されていたが、後期型はかつてのウインカー用の穴はフタで塞がれている。フロントバンパーについては中期型の上級グレードに装着されていたものに統一された。内外装に新色を設定。同時に特別仕様車「Plus navi HDD」発売。
2007年7月23日
マイクラC+Cを日本で1500台限定販売(1月に導入発表)。このモデルのみ、日本でも「マーチ」ではなく「マイクラ」を名乗る。
2007年10月9日
マーチ誕生25周年を記念して、過去の人気色「ショコラ」「パプリカオレンジ」とインターネットのアンケート投票で一番人気だった「アクアブルー」を採用した「12E/14E FOUR リミテッドカラー」をインターネット予約販売で各色250台限り限定復刻。
2007年11月8日
誕生25周年記念特別仕様車「25th Happiness(ニーゴー ハピネス」、「Plus Safety」、「KISEKAE」を発売。「25th Happiness」にはオートライトシステムなどが、「Plus Safety」には各種安全装備が、「KISEKAE」には2種類の専用シートカバー、専用フィニッシャー、専用キッキングプレートなどが装備された。
2008年5月27日
特別仕様車「12E/14E FOUR Plus navi HDD SP」と「12S/14S FOUR コレット」を期間限定発売。後者は購入でカーボンオフセット活動に参加したとみなされる特典が付く。
2008年10月7日
特別仕様車「12E/14E FOUR Iyashi Interior(いやしインテリア)」を発売。シルフィに採用されているHADASARA加工クロス(シートとドアトリム)や、プラズマクラスターイオンフルオートエアコンの特別装備を追加。これと同時に、プライバシーガラスと6:4分割リア可倒式シートを一部グレードに標準装備とする仕様変更を行った。
2009年5月12日
「12S」、「14S FOUR」をベースに、リヤ可倒式シート、プライバシーガラスを標準装備し、オーディオレス仕様としたことでお買い得価格に設定した特別仕様車「12S/14S FOUR コレット(シャープ)」を発売。同時にボディカラーの新色に「クリスタルライラックチタンパールメタリック」を設定(12Bを除く)し、「12E/14E FOUR/15E」にはスクエアインテリアパッケージの装備(スクエアインテリアシート、助手席シートアンダートレイ、助手席シートバックポケット)が標準化された。
2010年2月3日
特別仕様車「12S/14S FOUR コレットf(エフ)」を発売。インテリジェントキーとカラードドアハンドル、プライバシーガラスの特別装備を追加した代わりに、オーディオレス化、リア可倒式シートをベンチタイプにするなどして2WDモデルで100万を切る価格設定にした。

4代目 K13型系(2010年 - )

日産・マーチ(4代目)
K13/NK13型系
12G
タイ仕様 リア
12X 車内
概要
製造国 タイ王国の旗 タイ
インドの旗 インド
中華人民共和国の旗 中国
販売期間 2010年7月 -
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 5ドアハッチバック
駆動方式 FF / 4WD(e-4WD)
パワートレイン
エンジン HR12DE型 1.2L 直3
最高出力 79PS
変速機 CVT
5速MT(欧州仕様のみ)
車両寸法
ホイールベース 2,450mm
全長 3,780mm
全幅 1,665mm
全高 1,515mm(FF)
1,525mm(4WD)
車両重量 940 - 1,040kg
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2010年7月におよそ8年半ぶり、3度目のフルモデルチェンジを受ける。今回は日本国内生産ではなく、タイ・中国・インド・メキシコの工場での生産となる。日本仕様は追浜工場製からタイタイ日産(旧:サイアム日産オートモービル)製に変更された(なお、日本向け仕様については追浜工場にてPDIが行われる)。

プラットフォームはレイアウトの最適化とシンプルなボディ構造を追及し新開発されたVプラットフォームを採用。低重心化とタイヤを四隅に配列したデザインとしたことでリアトレッドを拡大すると共に、シル部も外側へ張り出したことでコンパクトでありながら踏ん張り感のあるプロポーションとした。また、後端はわずかに跳ね上がるような流線型のルーフラインとしたことで空力性能を高め、燃費向上に貢献した。また、特徴の一つである丸型ヘッドランプやアーチを描くサイドウィンドウはマーチのDNAである「フレンドリー」を継承する為、先代のK12型に近いデザインとした。

エンジンは軽量・コンパクトで優れた燃費効率を持つ新開発のHR12DEに変更となり、トランスミッションはCVTに2段変速の副変速機を組み合わせた「新世代エクストロニックCVT」を全グレードに採用。また、「12X」と「12G」には信号待ちなどの停車時にエンジンを自動停止するアイドリングストップ機構を備える。このアイドリングストップ機構はアイドリングストップ作動中にステアリングを進行方向に切り始めるとエンジンが再始動するため、ドライバーの意図に合ったスムーズな発進を可能にしており、また、ブレーキべダルの緩め方一つでエンジンの再始動やアイドリングストップの維持などを車両が最適な判断を行うことで違和感のない自然な運転を可能にしている。これらにより、コンパクトカーではトップクラスの26.0km/L(10・15モード)の低燃費を達成。アイドリングストップ機構を搭載しないグレードを含めて全車「平成17年基準排出ガス75%低減レベル(☆☆☆☆)」と「平成22年度燃費基準+25%」を同時に達成し、全車「環境対応車普及促進税制」に適合した。なお、日産では既存のエンジン車に最適な次世代環境技術を搭載した"エンジン進化型エコカー"として「PURE DRIVE(ピュアドライブ)」を展開しており、4代目マーチは「PURE DRIVE」の第1弾として展開する。その証として、「12X」と「12G」にはリアに「PURE DRIVE」エンブレムが装着される。

グレード体系は装備を充実しながら100万円を切ったスタンダード仕様の「12S」、アイドリングストップ機構に加え、インテリジェントキー、カラードドアハンドル等を装備した充実仕様の「12X」、UVカット機能付プライバシーガラス(リアドア・バックドア)、オートライトシステム(フロントワイパー連動、薄暮れ感知機能付)、タコメーターオゾンセーフフルオートエアコン、SRSカーテンエアバッグシステム等を装備した上級仕様の「12G」の3グレードを用意し、「12X」と「12G」には4WD車も設定される(4WD車のグレード名称は「12X FOUR」と「12G FOUR」)。また、オーテックジャパン扱いのカスタムカー「ボレロ」もモデルチェンジを行い、同日に販売を開始した。

年表

2010年3月2日
2010年ジュネーブモーターショーにて4代目「マイクラ」を世界初披露。欧州向け仕様ではトランスミッションに日本では設定されていない5速MTの設定がある。
2010年3月12日
タイ日産自動車の工場にてオフライン式を挙行。タイでは翌13日より予約注文を受け付け、同月26日より販売を開始した。
2010年4月23日
北京モーターショーにて中国向け「マーチ(中国名では「瑪馳」と表記される)」を披露。中国市場への導入は初めてで、エンジンは1.5L・直4のHR15DE型が搭載されている。
2010年5月24日
インド日産の工場にてインド向け「マイクラ」の生産を開始。
2010年6月
タイ国外向け輸出を開始。
2010年7月13日
フルモデルチェンジ。

車名の由来

  • 「マーチ」 (MARCH) は、英語で「行進曲」「行進」「3月」の意である。同社のサニーも同じように一般公募で命名された。
  • 欧州では「Micra」(マイクラ、しばしばミクラとも発音されるが、日産の公式文書ではマイクラ)の車名で販売されている。これは英語でごく小さな長さの単位であるMicron(ミクロン)の複数形である。

脚注

  1. ^ なおマーチの場合、次期モデルまでのモデルチェンジまでの期間は平均して10年。
  2. ^ 荻窪事業所は旧・プリンス自動車工業の開発拠点であり、日産初のFF車、チェリー(後のパルサー)、ローレル(C31型迄)、スカイライン(R30型迄)、プレーリー(初代M10型)、レパード(初代F30型)も手がけている。
  3. ^ 荻窪事業所の成り立ちは中島飛行機東京工場時代から続くプリンス自工の製造開発拠点で、戦後GHQの命により中島飛行機が解体され、その中の一つが富士産業→富士精密工業となり荻窪に残った事による。自動車の開発拠点としては主にスカイラインをはじめプリンス時代から続くブランドの車やFF車の開発を担当していたが、1981年11月に神奈川県厚木市に落成した大型研究開発施設のテクニカルセンターへ日産旧来の開発拠点であった鶴見の横浜事業所らと共に集約され、自動車の開発拠点としての使命は終わった。ただし日産はプリンスが中島飛行機時代から荻窪で行っていたロケット開発を引き継いで宇宙航空事業に参入しており、1998年に宇宙航空事業部が群馬県へ移転するまで荻窪事業所は存在していた(その後、宇宙航空事業部は2000年に石川島播磨重工業へ部門ごと売却され、現在のIHI・エアロスペースとなる)。
  4. ^ 日本国外ではMA12S 1235ccエンジンを搭載した車種や、Micra super(マイクラスーパー)などの独自車両も存在した。
  5. ^ 日産テクニカルセンターの略。
  6. ^ 現・デザイン本部。
  7. ^ 生産はオープンカーの製造を得意とする高田工業が受託。
  8. ^ 当初2000年の発売を目指して「ほぼ」開発は終了していたが、ルノーとプラットフォームの共通化のため発売が大幅に遅れたといわれている。
  9. ^ ルノーとのプラットフォームの共通化に伴い、給油口がこれまでの日産FF車の定番であった左側から右側に変更された。正し次期型では再び左に戻されている
  10. ^ それより前に発表された車種は着任前すでに開発が始まっていた。
  11. ^ 日産社内からもノートが登場した。
  12. ^ K12系ベースの新世代に移行した後も、旧型がK11型マーチの中古車をベースに継続生産され、「メイクアップビュート」と名前を変えて販売されている。

関連項目

外部リンク

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