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{{otheruses|漫画などの一ジャンルであるスポ'''根'''|その他の用法|スポコン}} |
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'''スポ根'''(スポこん) |
'''スポ根'''(スポこん)は、[[日本]]の[[漫画]]・[[アニメーション|アニメ]]・[[ドラマ]]における[[ジャンル]]の一つ。「'''[[スポーツ]]'''」と「'''[[機根|根性]]'''」を合成した「スポーツ根性もの」の[[略語]]<ref name="大衆文化事典">{{Cite book|和書|author=石川弘義|authorlink=石川弘義|title=大衆文化事典|publisher=[[弘文堂]]|year=1991|pages=416-417|isbn=4-335-55046-4}}</ref><ref name="戦後史大事典">{{Cite book|和書|author1=佐々木毅|authorlink1=佐々木毅|author2=鶴見俊輔|authorlink2=鶴見俊輔|author3=富永健一|authorlink3=富永健一|title=戦後史大事典 1945-2004|publisher=[[三省堂]]|year=2005|pages=490-491|isbn=4-385-15433-3}}</ref>。このジャンルの作品を「スポ根漫画」「スポ根アニメ」「スポ根ドラマ」と呼ぶ。 |
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== 定義 == |
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狭義のスポ根とは、[[1960年代]]から[[1970年代]]の日本の[[高度経済成長|高度経済成長期]]に一般大衆の人気を獲得したジャンルであり<ref name="大衆文化事典"/>、[[1968年メキシコシティーオリンピック|メキシコ五輪]]が開催された[[1968年]]前後に人気のピークを迎えた<ref name="大衆文化事典"/>。定義について漫画評論家の[[米澤嘉博]]は『戦後史大事典』の中で次のように記している。 |
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スポ根は[[スポーツ漫画]]の一種であるが、その中でも、努力と根性でひたむきにスポーツに取り組みあらゆる艱難辛苦を乗り越えて選手としての能力向上への努力を続けるその過程を、試合結果の勝利以上に価値のある美しいものと位置づけ、これを主眼に描く作品ジャンルのことをいう。 |
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{{Quotation|スポーツの世界で根性と努力によって[[ライバル]]に打ち勝っていく主人公のドラマ|『戦後史大事典』<ref name="戦後史大事典"/>}} |
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これに対し漫画編集者の[[新保信長|南信長]]は「等身大の主人公が根性と努力で勝利を目指す」ものを正統的なスポ根としているが<ref>{{Cite book|和書|author=南信長|authorlink=新保信長|title=現代マンガの冒険者たち|publisher=[[エヌティティ出版]]|year=2008|page=134|isbn=978-4-7571-4177-3}}</ref>、漫画評論家で編集者の[[村上知彦]]らは「特訓の成果として編み出す必殺技」の要素<ref name="大衆文化事典"/><ref name="現代風俗史年表">{{Cite book|和書|author=世相風俗観察会編|title=現代風俗史年表|publisher=[[河出書房新社]]|year=1999|isbn=4-309-22308-7|page=211}}</ref>や「努力型主人公と天才型ライバルの対比」の要素<ref name="大衆文化事典"/><ref name="現代風俗史年表"/>、[[京都精華大学]]教授で[[京都国際マンガミュージアム]]研究員の[[吉村和真]]は「過激な特訓」の要素を加え次のように記している<ref name="スポーツの百科事典">{{Cite book|和書|author=田口貞善 監修|authorlink=田口貞善|editor=小田伸午|editor-link=小田伸午|title=スポーツの百科事典|publisher=[[丸善]]|year=2007|isbn=978-4-621-07831-0|page=451}}</ref>。 |
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{{Quotation|努力型の主人公が血のにじむ特訓を重ね超人的な必殺技を編み出し天才型のライバルに勝利するといった図式化されたストーリー|『大衆文化事典』<ref name="大衆文化事典"/>}} |
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{{Quotation|いずれの主人公も、身辺の苦難に耐え、過激な特訓を自らに課し、いくども挫折を味わいながら、不屈の闘志と根性で乗り越えていく|『スポーツの百科事典』<ref name="スポーツの百科事典"/>}} |
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主人公が努力と根性でひたむきに競技に取り組み、特訓を重ね、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて成長を遂げてライバルとの勝負に打ち勝っていくのだが<ref name="東京20130506">{{Cite book|和書|chapter=絶滅危惧ものがたり 5 スポ根漫画|title=[[東京新聞]]|volume=2013年5月6日 11版 20面}}</ref><ref name="海老原165">[[#海老原 2003|海老原 2003]]、165頁</ref>、主人公が背負った苦労を強調させるために、スポーツ選手としての天性の素質を持ち容易く主人公を打ち破ることが出来るライバルの存在は必須であり<ref name="海老原165"/>、[[貧困|貧困層]]出身の主人公に対し[[富裕層]]出身のライバル、といった対比構図も盛り込まれた<ref name="海老原165"/><ref name="井上、菊130">[[#井上、菊 2012|井上、菊 2012]]、130頁</ref>。こうした弱者が強者に努力と根性で立ち向かうストーリー構成は高度成長期に一般大衆が抱いていた「欧米諸国に追いつき追い越せ」という価値観と一致するものであり<ref name="大衆文化事典"/><ref name="東京20130506"/>、当時の読者に支持された<ref name="大衆文化事典"/>。なお、教育評論家の[[斎藤次郎 (教育評論家)|斎藤次郎]]は「スポーツの世界に生きるヒーローの世界をそれぞれの固有の面白さで味つけした程度なら単に『スポーツもの』で、『スポ根』となると悲劇的なまでに苦行が描かれなければならない」としている<ref name="斎藤次56">[[#斎藤次 1996|斎藤次 1996]]、56頁</ref>。また、[[1980年代]]以降に少年層や女性層の人気を獲得した『[[週刊少年ジャンプ]]』の中心テーマ「[[友情・努力・勝利]]」とスポ根を同一視する例もあるが<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20130609dog00m200039000c.html|title=ガルパン:3分で分かる人気の理由|publisher=MANTANWEB(まんたんウェブ)|date=2013-06-09|accessdate=2013-08-31}}</ref>、[[桃山学院大学]]准教授の高井昌吏は「『週刊少年ジャンプ』における『男の物語』は、1970年代前後のような『禁欲的な男たちの物語』ではない。その点には注意が必要である」としている<ref>[[#高井 2005|高井 2005]]、131頁</ref>。 |
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広義のスポ根とは、実際の選手が「あるスポーツに打ち込んでやり遂げようとする<ref>{{Cite book|和書|author=米川明彦|authorlink=米川明彦|title=日本俗語大辞典|publisher=[[東京堂出版]]|year=2003|isbn=4-490-10638-6|page=314}}</ref>」「一つのスポーツにひたすら打ち込み、努力を重ねる<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%9D%E6%A0%B9-683936|title=スポ根【スポコン】|publisher=コトバンク|accessdate=2013-10-13}}</ref>」などの精神、「主人公がスポーツの勝負を通じて技術的・精神的に成長する姿を描いた[[教養小説|ビルドゥングスロマン]]<ref name="コミック学">{{Cite book|和書|author=唐沢俊一|authorlink=唐沢俊一|chapter=唐沢流マンガ用語辞典 アナーキーな魅力の原点を探る|title=コミック学のみかた。|publisher=[[朝日新聞社]]|year=1997|page=157|isbn=4-02-274075-2}}</ref>」とされる。なかには、思考能力を競う[[マインドスポーツ]]を扱った作品や<ref>{{Cite web|和書|url=http://book.asahi.com/reviews/column/2011071701175.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130616094821/http://book.asahi.com/reviews/column/2011071701175.html|title=(みんなのマンガ学)ちはやふる スポ根かるた部、熱血も恋愛も|publisher=BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト|date=2010-11-08|archivedate=2013-06-16|accessdate=2013-10-13}}</ref><ref name="ダ・ヴィンチ20130206">{{Cite web|和書|url=https://ddnavi.com/news/118684/|title=「女人禁制」解禁!? 男子マンガのテリトリーを女子高生たちが侵食中!|publisher=[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]電子ナビ|date=2013-02-06|accessdate=2013-10-13}}</ref>、スポーツの範疇を超えて競技志向の強い[[文化系]]部活動を扱った作品を「スポ根」<ref name="紙屋125">[[#紙屋 2013|紙屋 2013]]、125頁</ref>や「文化系スポ根」として紹介する例や<ref name="ダ・ヴィンチ20130206"/>、「スポ根風青春コメディ」「スポ根コメディ」などの言葉で紹介されている例もあるが<ref>{{Cite web|和書|url=http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072701090.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180329184422/http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072701090.html|title=音楽と文学の対位法 著・青柳いづみこ|publisher=BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト|date=2006-11-19|archivedate=2018-03-29|accessdate=2013-06-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20100611-640171.html|title=貴乃花親方が佐々木希と“土俵”で共演|publisher=nikkansports.com|date=2010-06-11|accessdate=2013-06-08}}</ref>、本記事では狭義のスポ根作品について紹介する。 |
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[[1960年代]]から[[1970年代]]に隆盛した[[劇画]]の影響を受けて大流行した。主人公と仲間はどんな困難や逆境にも耐えて練習に明け暮れ、努力で最後にはライバルから勝利を掴み取る。ただし、この種の漫画では努力と根性こそが至上であり、勝利は結果に付随する要素でしかなく、勝利が努力を超越することがないというのも大きな特徴といえる。 |
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== 背景 == |
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主に取り上げられる対象は、“'''血と汗と泥にまみれて自己を鍛え上げ、泣きながらも全てを犠牲にして'''<ref>英語にも“sweat, blood, tears and mad”という同様の言い回しが存在する</ref>'''練習に打ち込みひたすら努力を続ければいつか必ず大きな大会'''([[日本選手権]]、著名な国際大会、[[世界選手権]]、[[近代オリンピック|オリンピック]])'''で勝利を掴める'''”という日本人好みの情に訴える筋で描きやすい、[[野球]]・[[サッカー]]・[[ラグビー]](古くは[[バレーボール]]や[[テニス]]も)・[[柔道]]・[[レスリング]]・[[相撲]]など[[球技]]・[[武道]]・[[格闘技]]に限られる。 |
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{{main|根性論}} |
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「[[機根|根性]]」とは元々は仏教用語で「その人が生まれながらに持ち合わせる性質」を意味する言葉だが<ref name="森田130">[[#森田 2011|森田 2011]]、130頁</ref>、日本のスポーツ界において「困難な状況にあっても屈することなく物事をやり通す意思や精神力」を意味する言葉として用いられてきた<ref name="森田129">[[#森田 2011|森田 2011]]、129頁</ref>。肯定的な用法には「根性で勝ち取った」、否定的な用法には「根性が足りない」「根性を鍛え直す」などがある<ref name="スポーツ学のみかた94-96">{{Cite book|和書|author=猪俣公宏|chapter=トレーニング最前線1 メンタルトレーニング|title=スポーツ学のみかた|publisher=[[朝日新聞社]]|year=1997|isbn=4-02-274073-6|pages=94-96}}</ref>。 |
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日本には[[明治#明治時代|明治時代]]から欧米発祥の様々なスポーツが輸入されてきたが社会的交流の手段としての側面に関心は払われず、技術向上と勝利の追求のみに関心が払われた<ref name="スポーツ学のみかた130-131">{{Cite book|和書|author=中村敏雄|chapter=スポーツワンダーランド1 日本人のスポーツ観|title=スポーツ学のみかた|publisher=朝日新聞社|year=1997|isbn=4-02-274073-6|pages=130-131}}</ref>。それらを実現するための指導法と強化体制の確立が重視されてきたが<ref name="スポーツ学のみかた130-131"/>、その中で登場したのが「根性」という言葉だった。精神に訴えかける言葉自体は[[第二次世界大戦]]後に非科学的として敬遠されていたが<ref name="web R25">{{Cite web|和書|url=http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20080918-90005063-r25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141115123144/http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20080918-90005063-r25|title=1968年に「スポ根漫画」が続々と生まれた背景とは?|publisher=web R25|date=2008-09-18|archivedate=2014-11-15|accessdate=2013-08-25}}</ref>、[[1964年]]に行われた[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]において[[バレーボール日本女子代表|バレーボール全日本女子]]を率いた[[大松博文]]やレスリング日本代表を率いた[[八田一朗]]が精神論を前面に出した厳格な練習方法を導入して成果を挙げた<ref name="web R25"/><ref name="Number Web">{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/14242|title=日本レスリング界に息づく、「八田イズム」とは何か。|work=Number Web : ナンバー|publisher=[[文藝春秋]]|date=2008-09-18|accessdate=2013-08-25}}</ref>。大松や八田の影響により厳しさに耐え抜き努力する姿勢を尊ぶ風潮が生まれ、スポーツ界のみならず一般社会においても「根性」という言葉が普及するに至った<ref name="web R25"/>。 |
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== スポ根の歴史 == |
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[[1945年]]夏に[[太平洋戦争]]が“[[日本の降伏]]”で終結し、荒廃した日本の復興に国民は力を注いだ。その復興中の日本に[[1953年]]、全く新しいメディアである[[テレビ]](テレビ放送)が登場する。[[街頭テレビ]]が中心のテレビ放送初期に於いて[[プロレス]]・[[ボクシング|プロボクシング]]・[[プロ野球]]などの[[スポーツ中継]]は、荒廃から立ち上がる日本と重ね合わせて国民の間で熱狂的に受け入れられ、この時期に困難に立ち向かい努力を積み重ねることの美徳が「'''根性'''」や「'''努力'''」といったキーワードとなって形成された。 |
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一方、「根性」という言葉は時には競技に関わる上での動機づけ、厳しい練習に耐え得る忍耐力、試合に挑む上での集中力の意味で用いられるなど抽象的かつ多義的なものであった<ref name="スポーツ学のみかた94-96"/><ref name="最新スポーツ科学事典">{{Cite book|和書|author=日本体育学会|authorlink=日本体育学会|title=最新スポーツ科学事典|publisher=[[平凡社]]|year=2006|isbn=4-582-13501-3|pages=199-200}}</ref>。スポーツ分野において精神的要素は不可欠なもので競技のレベルが高くなるほど勝敗や記録に影響を及ぼす傾向があるものの十分な科学的検証がなされてこなかったが<ref name="最新スポーツ科学事典"/>、[[1990年代]]頃から選手が競技の場において最高の状態で能力を発揮するための自己管理を目的としたメンタルトレーニングの研究開発が行われている<ref name="最新スポーツ科学事典"/>。 |
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戦後日本の復興の総決算を象徴する国家的イベントとなった[[1964年]]の[[東京オリンピック]]の成功を受けて、日本国民の多くがスポーツイベントに関心を寄せるようになり、とりわけ戦後の[[ベビーブーム]]により増加した若年層(いわゆる[[団塊の世代]])に「スポ根」は漫画文化と共に一気に浸透した。その後も「欧米に追いつき追い越せ」という国家的スローガンがあったこともあり、団塊の世代以降にも「スポ根」は受け入れられ[[高度経済成長期]]の60年代後半から70年代にかけて一大ブームとなり、スポーツもの以外でも『[[アテンションプリーズ]]』([[1970年]])の様な、主に女性向けの職業根性もの製作され、コメディ作品でも『[[ど根性ガエル]]』(1970年 - [[1976年]])や『[[がんばれ!!ロボコン]]』([[1974年]] - [[1977年]])などの派生作品も生まれた。 |
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== 歴史 == |
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=== 梶原一騎とスポ根 === |
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=== 前史 === |
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「スポ根」を語る上で避けては通れない存在が[[漫画原作者]]'''[[梶原一騎]]'''であり、[[1960年代]]後半から1970年代までの梶原の全盛期は「スポ根」の全盛期とも重なる。 |
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[[太平洋戦争]]後、[[連合国軍最高司令官総司令部|連合軍総司令部]] (GHQ) の指示により[[武道]]教育や[[時代劇]]映画は禁止されていたが<ref name="呉136-137">{{Cite book|和書|author=呉智英|authorlink=呉智英|title=現代マンガの全体像 増補版|publisher=史輝出版|year=1990|isbn=4-915731-06-5|pages=136-137}}</ref>、[[1951年]]の[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]]の締結以降に相次いで解禁されると、漫画の世界でも武道を描いた作品が登場し<ref name="呉136-137"/>、1952年から1954年にかけて柔道漫画『[[イガグリくん]]』<ref>{{マンガ図書館Z作品|47591|イガグリくん}}(外部リンク)</ref>([[福井英一]])が『[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]』で連載された<ref name="夏目152-157">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、152-157頁</ref>。この作品は[[講談]]や時代劇などで描かれてきた伝統的な日本人的心情に則ったもので<ref name="呉136-137"/>、柔道だけでなく[[異種格闘技戦]]の要素も含んだ作風は熱血スポーツ漫画のルーツとも呼ばれ、後の作品群に影響を与えることになった<ref name="夏目152-157"/><ref name="池田45">[[#池田 2003|池田 2003]]、45頁</ref>。 |
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『イガグリくん』のキャラクター設定や必殺技を擁した対決シーンは、1958年から『[[少年ブック|おもしろブック]]』で連載された[[貝塚ひろし]]の野球漫画『[[くりくり投手]]』へと引き継がれ、これ以降のスポーツ漫画における定石となった<ref name="池田45"/>。『くりくり投手』では『イガグリくん』の手法をさらに極端化し、必殺技を身に付けるための過激な特訓の描写も登場した<ref>[[#池田 2003|池田 2003]]、46頁</ref>。1961年から1962年にかけて『[[週刊少年マガジン]]』では[[福本和也]]原作・[[ちばてつや]]作画による野球漫画『[[ちかいの魔球]]』が連載された。この作品は実在の[[日本プロ野球|プロ野球]]の世界と必殺技の要素を併せた内容となり<ref name="池田47">[[#池田 2003|池田 2003]]、47頁</ref>、後に同誌でやはり福本作・[[一峰大二]]作画で連載された『[[黒い秘密兵器]]』や、[[梶原一騎]]の『[[巨人の星]]』へと踏襲された<ref name="池田47"/>。 |
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梶原の作品表現の手段として根幹を成すものが「スポ根」であり、梶原原作の『[[巨人の星]]』、『[[あしたのジョー]]』の2作品は『[[週刊少年マガジン]]』の発行部数を飛躍的に向上させ、少年誌をそれまでの単純な子供向け雑誌から脱皮させ青年期以降の世代にまで購買層を拡大させた。 |
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一方で、熱血スポーツ漫画からスポ根漫画への流れとは別に、[[井上一雄]]の野球漫画『[[バット君]]』<ref>{{マンガ図書館Z作品|75191|バット君}}(外部リンク)</ref>や[[寺田ヒロオ]]の野球漫画『スポーツマン金太郎』などの爽やかな作風のスポーツ漫画が存在した<ref name="日経20131003">{{Cite book|和書 |chapter=スポーツマンガの軌跡 (1) 60年代、「観る野球」が浸透|title=[[日本経済新聞]]|volume=2013年10月3日夕刊 4版16面}}</ref>。こうした作品に代わって熱血ものが発展した経緯について[[漫画評論|漫画評論家]]の[[竹内オサム]]は[[1950年代]]に始まった[[テレビ|テレビ放送]]の影響を挙げている<ref name="日経20131003"/>。竹内によれば、テレビで扱われたプロ野球や[[大相撲]]や[[プロレス]]の実況放送を通じて大衆の間で「するスポーツ」ではなく「[[スポーツ観戦|観るスポーツ]]」が支持を得たことの影響により漫画の世界も[[エンターテインメント]]性を強めた<ref name="日経20131003"/>。また、この時代には漫画では新しい表現形式の[[劇画]]が生み出されており<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E5%8A%87%E7%94%BB-59302|title=劇画 【げきが】|publisher=コトバンク|accessdate=2013-10-19}}</ref>、劇画の[[写実主義|写実的]]かつ動的な手法が後のスポ根作品において取り扱われたことで作品に現実味を与えることに貢献した<ref name="日経20131010">{{Cite book|和書|chapter=スポーツマンガの軌跡 (2) スポ根ものが一世風靡|title=日本経済新聞|volume=2013年10月10日夕刊 4版16面}}</ref><ref>[[#夏目 1991|夏目 1991]]、214-215頁</ref>。 |
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梶原の作品には「貧困層」と「富裕層」という対比の構造がしばしば描かれ、スポーツという舞台で貧困層出身の主人公が様々な困難や差別と闘いながら究極の達成感を勝ち得るという「スポ根」のパターンを定着させた。立身出世ストーリーともいえるが、主人公がこの境地に至るには悲劇的あるいは破滅的な代償を払うことが多く「サクセスストーリー」と「悲劇」が混在するのが梶原作品の特徴である。 |
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=== スポ根ものの誕生 === |
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1980年代に入っても梶原は全盛期こそ過ぎたものの漫画業界では大きなネームバリューを誇ったが、[[1983年]]5月に[[講談社]]の編集者に対する傷害事件で逮捕されたことをきっかけに、そのネームバリューや作品の売上実績故に隠されまた語られずに来た過去のスキャンダルが一気に噴出し表舞台からの退場を余儀なくされ、これに呼応するように「スポ根」というジャンルは衰退した。 |
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[[ファイル:Samurai II Duel at Ichijoji Temple poster.jpg|180px|thumb|『[[巨人の星]]』は[[吉川英治]]の小説『[[宮本武蔵 (小説)|宮本武蔵]]』の漫画版、大河漫画の執筆を依頼されたことにより誕生した。図は同作の映画版『[[続宮本武蔵 一乗寺の決斗]]』。]] |
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[[ファイル:Louis Français-Dantès sur son rocher.jpg|180px|thumb|梶原は構想にあたり、小説『[[モンテ・クリスト伯]]』の悲劇性を意図した。]] |
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一般的に「スポ根」の発祥となった作品や元祖と呼ばれる作品は『週刊少年マガジン』で1965年から1971年にかけて連載された『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:[[川崎のぼる]])である<ref name="大衆文化事典"/><ref name="斉藤宣40">[[#斉藤宣 2011|斉藤宣 2011]]、40頁</ref><ref name="夏目6">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、6頁</ref>。 |
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『[[週刊少年マガジン]]』第4代編集長の[[宮原照夫]]によれば、この作品は[[1930年代]]に人気を獲得した[[吉川英治]]の小説『[[宮本武蔵 (小説)|宮本武蔵]]』のような、一つの道を究めライバルとの対決に打ち勝っていく人物を主人公とする構想をもつ編集部と<ref name="宮原219">[[#宮原 2005|宮原 2005]]、219頁</ref>、[[アレクサンドル・デュマ・ペール]]の小説『[[モンテ・クリスト伯]]』のような悲劇的な運命を背負った人物を主人公とする構想を持つ梶原とが結びついたことにより誕生した<ref name="宮原219"/>。梶原によれば自身は元々は少年小説家を志望し、[[佐藤紅緑]]の『[[あゝ玉杯に花うけて]]』のような作品を手掛けたいと考えていた<ref name="梶原211">[[#梶原 1989|梶原 1989]]、211頁</ref>。漫画人気に押されて少年小説がその役目を終えようとしていた中<ref name="梶原211"/>、『週刊少年マガジン』第3代編集長の[[内田勝]]と副編集長の宮原から「[[大河小説]]に代わる大河漫画」<ref>[[#梶原 1989|梶原 1989]]、213頁</ref>、『宮本武蔵』の漫画版の原作を依頼されたことをきっかけに誕生したものとしている<ref>[[#梶原 2011|梶原 2011]]、61頁</ref>。 |
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=== 反スポ根とあだち充作品 === |
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[[1980年代]]になると日本社会全体が豊かになるに従って、努力や根性が汗臭い、泥臭い、古臭いものと見なされるようになり、根性と努力だけで障害を克服する古典的なスポ根ものは敬遠され確実に衰退してゆく。 |
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梶原には「クール」「ドライ」といった男性観が賞賛された当時の風潮への反発心があったといい、執筆にあたっては「とことんホットでウェット」「カッコ悪い試行錯誤の繰り返しから磨かれて底光りする真のカッコよさ」を持つ人物を描こうとした<ref>[[#梶原 1989|梶原 1989]]、214頁</ref>。これらの要素に1960年代に社会問題となっていた熾烈な[[入学試験|受験競争]]を後押しする[[教育ママ]]の存在を反映し<ref name="宮原220-221">[[#宮原 2005|宮原 2005]]、220-221頁</ref>、人間教育には父親の存在は欠かせないものとし、「教育ママに対するアンチテーゼ」として父権的なキャラクターを登場させ、主人公・[[星飛雄馬]]と父・[[星一徹]]の戦いと葛藤が物語の軸となった<ref name="宮原220-221"/>。 |
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スポ根衰退のひとつの契機として、[[あだち充]]の『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』([[1981年]] - [[1986年]])の成功がよく挙げられる。「タッチ」は、[[高校野球]]を題材に[[全国高等学校野球選手権大会]]出場を目標とした作品。「素質は恵まれながら執着心の薄い性格のために芽の出なかった主人公・[[上杉達也]]が、甲子園出場を目標としていた弟・[[上杉和也]]の不慮の死をきっかけに、自らも甲子園出場を目指す」という、スポ根から派生した定番とも言えるストーリーであるが、甲子園出場という目標を「幼馴染である[[浅倉南]]との約束」という[[恋愛]]要素に設定した点、またその目標を果たした後の描写があまりに淡白であることなどから、本作はしばしばスポ根の対極の作品の様に評される。また、それまでの行き過ぎた感もある努力・根性などの[[精神論]]的描写を排した作風により物語がスタイリッシュになったことが、1980年代という時代にマッチし、これに追随する作品が続出したことも、古典的なスポ根を時代後れという位置づけに追い込んでいった。 |
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この作品は「一般社会に普遍化できる生き方の見本として、栄光を目指して試練を根性で耐え抜く姿を野球の世界を借りて描いたもの」ともいわれる<ref name="斎藤次56"/>。作画を担当した川崎の発案による過剰な表現手法や、原作を担当した梶原による大仰な台詞まわしは当時から批判の声もあったが<ref name="米澤106-107">[[#米澤 2002|米澤 2002]]、106-107頁</ref>、作品自体は徐々に人気を高め『週刊少年マガジン』の部数を100万部に押し上げた<ref name="米澤106-107"/>。 |
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主人公・上杉達也も、あだち充のはぐらかしを好む演出やなかなか本音を明かさないキャラクターのため、「才能だけで成功してしまう、[[星飛雄馬]]などと正反対の主人公」と評されることが多い。実際には、一卵性双生児であるがゆえに才能に恵まれつつ、努力を怠ったせいで努力家の弟の影に隠れる存在だった時期が描かれている。また、主人公の目標だった甲子園出場そのものも苦戦して強豪を退けた結果であり、最終話ではドクターストップを受けるほどの投球により甲子園での優勝を果たしたことが語られている。また、あだち充は才能に恵まれ努力も惜しまない者同士が苦難の末に、甲子園の舞台でまみえる、ある意味『タッチ』の自己リメイクともいえる『[[H2 (漫画)|H2]]』で、彼なりのスポ根を提示している。 |
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梶原は、その後も[[柔道]]を題材とした『[[柔道一直線]]』(作画:[[永島慎二]]・[[ダイナマイト鉄|斎藤ゆずる]])、[[プロレス]]を題材とした『[[タイガーマスク]]』(作画:[[辻なおき]])、[[ボクシング]]を題材とした『[[あしたのジョー]]』(作画:[[ちばてつや]])の原作を務めたが人生論的な要素が強い『巨人の星』とは異なる趣向を取り入れた<ref name="梶原73-74">[[#梶原 2011|梶原 2011]]、73-74頁</ref><ref name="梶原78">[[#梶原 2011|梶原 2011]]、78頁</ref>。梶原の自伝によれば『柔道一直線』では技と技の応酬といったエンターテインメント性に焦点を当てる一方で立ち技優先の傾向があった当時の日本柔道界へのアンチテーゼを<ref name="梶原73-74"/>、『タイガーマスク』では往年の『[[黄金バット]]』のプロレス版を標榜し善と悪の二面性のあるヒーローを<ref name="梶原73-74"/>、『あしたのジョー』では『巨人の星』の主人公・星飛雄馬のような模範的な人物へのアンチテーゼとして野性的な不良少年・[[あしたのジョーの登場人物|矢吹丈]]を主人公とし[[アウトロー]]ぶりを意図した<ref name="梶原78"/>。 |
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=== スポ根の崩壊 === |
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『タッチ』以降、前時代な価値観と見なされることが多くなったスポ根であるが、以降はさらに、スポ根漫画の主たる読者層である少年・青年層を取り巻く社会環境・経済環境の変化や、当時の[[文部省]]の教育政策の方針転換、さらにはスポ根的な思考・行動・物語描写に対して[[スポーツ医学]]・[[人間工学]]などの見地からの批判が行われるようになったことなど、時代や読者層の価値観の急激な変化による違和感も追い討ちとなって、旧来のシリアスなスポ根は成立する土壌そのものが失われていった。 |
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なお、梶原自身は「根性」「スポ根」という言葉にさほど価値を見出しておらず、[[ミゲル・デ・セルバンテス]]の小説『[[ドン・キホーテ]]』に準え、「それを言うのならドン男路線。すなわち、ドン・キホーテ男性路線とでも願いたい」と発言していた<ref>[[#梶原 1989|梶原 1989]]、220頁</ref><ref name="bunshun">{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/6827|author=近藤正高|title=ご存知ですか? 3月30日は『巨人の星』の放送が始まった日です 梶原一騎「スポ根ではなくドン男路線」|work=文春オンライン|publisher=[[文藝春秋]]|date=2018-03-30|accessdate=2021-01-30}}</ref>。この小説は主人公が騎士道物語に熱中するあまり幻想に囚われ、従者を連れて旅先で騒動を起こすといった内容であるが、ライターの近藤正高は梶原の真意について「はた目には滑稽に見えても、本人は真剣に巨大風車めがけて突撃していく、そうした姿こそが男の美でありロマンであると考えていた」と解釈している<ref name="bunshun"/>。 |
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さらにはこの時期、スポーツ界には、[[イチロー]]、[[中田英寿]]といった(成功に至るまでの努力の過程を大々的に[[マスコミ]]にひけらかさない)『天才型』のスター選手が次々と登場し、プロスポーツ界の台風の目になり持て囃された。スポーツ漫画においてもこれの影響を受けた天才型の主人公というパターンが発生し、その生まれ持った才能と実戦の経験で会得した能力で強敵を倒してゆくというストーリーが人気を集めるようになる。 |
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梶原型主人公の多くはライバルとの戦いを孤独の中で挑み、時には両親や師匠も敵となる<ref>[[#紙屋 2013|紙屋 2013]]、128頁</ref>。試合での勝利よりもライバルとの戦いに価値を追い求め、血のにじむ様な特訓を重ね、身体を過度な負荷にさらしながら道を究めようとする<ref name="宝島20">[[#宝島社 1996|宝島社 1996]]、20頁</ref>。『柔道一直線』の主人公・一条直也のような一部の例外はあるものの、『巨人の星』の星飛雄馬、『あしたのジョー』の矢吹丈、『タイガーマスク』の伊達直人をはじめ、その多くが再起不能や死といった悲劇的な結末を迎え、競技の表舞台から去っていく<ref name="宝島20"/><ref>[[#大塚 2001|大塚 2001]]、43頁</ref>。 |
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その中にあってはスポ根的な努力をして実力を得たライバルキャラクターが天才肌の主人公にあえなく倒され敗退するパターンも目立つようになるなど、スポ根型努力一辺倒で強くなったストイックなキャラクターが、倒されるライバルや悪役を担うという、かつての梶原一騎の時代とは逆のパターンも珍しくなくなった。上記の実在人物などにも見られる「'''『優れた努力』とは愚直な根性ではなく効率性の追求にある'''」という現代的・実利的な考え方を反映、肥大したのがいわゆる'''「天才」という一種の[[オカルト]]'''として描かれていくようになったといえる。また同時に、“うさぎ跳び”、“千本ノック”などに象徴され“腕・脚に過重な負荷を付けて動けばそこが鍛えられる”といった[[根性論]]に根ざした闇雲な鍛錬によるものではない、科学的・理論的なトレーニング手法を描く作品も増えてきているため<ref>もっとも、『巨人の星』におけるスプリングを多用した「大リーグボール養成ギブス」とて、それまでの錘一辺倒の描写から比べればまだ斬新な描写であったことは事実である。</ref>、努力・トレーニングを巡る物語描写はかつてのスポ根型のそれとはおよそ異質のものとなってきている。 |
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スポ根の手法は[[少女漫画]]にも伝播したが、このことは従来、品行方正で内向的な傾向の強かった少女漫画の作品世界に競争の原理を導入したと評される<ref>[[#夏目 1991|夏目 1991]]、96頁</ref><ref name="米澤186-188">[[#米澤 2007|米澤 2007]]、186-188頁</ref>。[[バレーボール]]を題材とした『[[アタックNo.1]]』([[浦野千賀子]])や『[[サインはV]]』(原作:[[神保史郎]]、作画:[[望月あきら]])では少年誌さながらの必殺技の応酬や根性的な特訓が描かれると共に、恋や友情や家庭の問題、思春期の悩みといった少女漫画の主要テーマが盛り込まれた<ref name="米澤186-188"/><ref>{{Cite book|和書|author=二上洋一|title=少女まんがの系譜|publisher=[[ぺんぎん書房]]|year=2005|isbn=4-901978-57-8|pages=154-158}}</ref>。漫画評論家の[[米澤嘉博]]は「スポーツものとは、ある意味で肉体のドラマ」とした上で「スタイル画ではない、動きや肉体を感じさせる『絵』を持たなければ、表現できないジャンル。肉体性を脱け落とした形では表現できなかっただろう」と評している<ref name="米澤186-188"/>。 |
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スポ根自体に前時代的ともいえるネガティブなイメージが付加されていき、それを変化させた新たな要素が登場していった状況下である現在においては、梶原一騎の作品群を正統なスポ根と位置づけるならば、もはや正統なスポ根を商業作品として成功させることは極めて困難なものとなっている。結果として、現在のスポーツ漫画に於けるスポ根はかつて梶原が意図した様な目的で用いられることは少なくなり、友情物語や結果の「勝利」を彩る一要素、あるいは勘違いにも近い度を越した愚直なまでの根性論をギャグとして笑いに転化させるネタとしての使用が中心で、梶原の全盛期の様な成長や勝利を掴み取る為の'''スポ根そのものが主眼という作品はほぼ見られなくなっている'''。 |
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これらの作品は「スポ根」の代表的作品と評価されており<ref name="大衆文化事典"/>、人気作品は[[1969年]]前後に次々と[[テレビアニメ|アニメ]]化や[[テレビドラマ]]化された<ref name="夏目94-95">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、94-95頁</ref>。 |
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== 典型的なキャラクター == |
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=== 主人公 === |
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シリアスなスポ根における[[主人公]]の多くは、良くいえば生真面目で[[禁欲]]的、逆に悪くいえば没個性的で“特訓”などと称するトレーニングに盲目的に依存する性格が与えられる。これは過酷で猛烈なトレーニングの過程で、簡単に手抜きや挫折をする様な性格では物語が成立しないためである。ただし、一部には最初はおよそスポ根型とは程遠い性格であった人物が、物語中のできごとや挫折をきっかけとして、スポ根型の性格へと変貌してゆくという展開も少なくない。 |
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=== 発展と沈静化の兆し === |
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スポ根とコメディ・ギャグが並行して繰り広げられる作品の主人公では、直情径行の「熱血バカ」で決して理知的でも禁欲的でもないが、一方で情に厚く、その筋の通った言動ゆえに周囲からの共感を集めるという、シリアスな作品の主人公と比べてもより親しみやすい人物像が与えられることが多い。この様な主人公の前には異能のライバルが次々と登場して勝負になり、時に自身の無思慮で力任せの戦い方から無残な敗戦や絶体絶命のピンチに追い込まれるが、そこからの必勝([[リベンジ]])を期して“特訓”に猪突猛進してゆくというのが定型である。また、試合中でも極限の[[根性論]]を用いた精神の昇華によるパワーアップなどということも起きる。ギャグ要素のより色濃い作品では、時にその“特訓”が非人道的なまでのハチャメチャな内容や単に[[精神論]]に根ざしたギャグとして描写されていたり、特訓の課程で超人的な“[[必殺技]]”まで考案することもある。 |
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1973年の[[オイルショック]]を契機に高度成長から[[安定成長期]]へと移行し、人々の関心は経済的安定や社会的上昇から個々の内面的な充足や多様な価値観を求める志向へと変化すると<ref name="井上、菊130"/><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.caa.go.jp/seikatsu/shingikai2/kako/spc10/houkoku_d/spc10-houkoku_d-3_1.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161009035629/http://www.caa.go.jp/seikatsu/shingikai2/kako/spc10/houkoku_d/spc10-houkoku_d-3_1.html|title=第3章 NSIからみた国民生活の現状と課題|work=生活領域別にみた国民生活の現状|publisher=[[消費者庁]]|archivedate=2016-10-09|accessdate=2015-12-25}}</ref>、漫画の世界もそれと並行して日常生活の機微を反映したものへと移行した<ref name="井上、菊130"/>。 |
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この時代には従来の梶原作品に対抗して、「健全さと明るさ」を基調としたさわやかなスポーツ漫画に回帰する動きが始まったとされる<ref name="米澤148-149">[[#米澤 2002|米澤 2002]]、148-149頁</ref>。それまで『[[男どアホウ甲子園]]』をはじめ、いくつかの野球漫画を手掛けていた[[水島新司]]は、梶原による作品群が物語を描く上で野球をはじめとした競技を小道具のように扱っていることに反発があったといわれる<ref>[[#三ツ谷 2009|三ツ谷 2009]]、166頁</ref>。1972年から1981年にかけて連載された野球漫画『[[ドカベン]]』では、ライバル同士の対決を描きつつも社会階層の対立軸や根性的要素は薄れ<ref name="井上、菊130"/>、「秘打」と呼ばれる必殺技の要素を残しつつも[[魔球]]の描写は排除し<ref name="斉藤宣42">[[#斉藤宣 2011|斉藤宣 2011]]、42頁</ref>、現実的な試合展開と個性的な登場人物による人間ドラマを描いた<ref>[[#夏目 1991|夏目 1991]]、70-71頁</ref><ref>[[#米澤 2002|米澤 2002]]、144-145頁</ref>。 |
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家庭環境については、プロスポーツに絡むシリアスな作品である場合、[[貧困|貧困家庭]]や[[下位中産階級|中流家庭]]の育ちであり、[[中産階級|アッパーミドル]]以上の裕福な家庭に生まれついている者は少なく、[[母子家庭]]・[[父子家庭]]、梶原作品などでは更生を目指す非行少年(『あしたのジョー』)や[[孤児]]も見られる。だが、スポ根においては貧困からの脱出、豊かな家庭や富を築く立身出世が最重要のテーマになることは少なく、むしろ恵まれない環境でさらには時に逆境に追い込まれながらも比類なき努力で自力強化した主人公が、豊富な資金を背景に[[英才教育]]を受けたライバルをトレーニングの成果で打ち倒し勝利するまでを描くことが多く、スポ根というジャンルにとってはその努力と勝負の経過が最大の主眼点となる(なお、資金力に物をいわせる存在としては昔から野球の[[読売ジャイアンツ|巨人軍]]が例えにあげられることが多いが、1970年代までの巨人軍は圧倒的すぎる子供人気が背景にあるため、物語上での扱いではむしろ例外的な存在とあり、資金にものをいわせ外国人選手を連れてくるという役回りは他球団が担った)。 |
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『ドカベン』と同時期に連載された[[ちばあきお]]の野球漫画『[[キャプテン (漫画)|キャプテン]]』や『[[プレイボール (漫画)|プレイボール]]』では根性や努力といった要素を残しつつも魔球などの空想的な要素を排除し<ref name="斎藤次60">[[#斎藤次 1996|斎藤次 1996]]、60頁</ref>、等身大の登場人物たちが部活動に打ち込む姿に焦点を当てた<ref name="斎藤次60"/><ref name="斎藤次70">[[#斎藤次 1996|斎藤次 1996]]、70頁</ref>。漫画コラムニストの[[夏目房之介]]は水島の作品群や、ちばの『キャプテン』が従来の「魔球によるライバル対決」から「集団スポーツの駆け引き」という構造に転換しえた理由について、読者層の年齢上昇による野球理解の変化を挙げている<ref>[[#竹内、西原 2016|竹内、西原 2016]]、126-127頁</ref>。 |
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体格については基本的にはそのスポーツの世界におけるごく平均的なものか平均を下回る小兵選手が多く、恵まれた体格の持ち主は少ない。多くはその体格と体力の不利を、そのストイックさ、根性、そして時に非人間的なまでのトレーニングで補い、これを武器にして独自の技を身に付け、ライバルたちと激闘を繰り広げる。 |
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また、1976年から1981年にかけて『[[週刊少年サンデー]]』で連載されたボクシング漫画『[[がんばれ元気]]』([[小山ゆう]])は、主人公・堀口元気が亡き父の遺志を継いで努力を重ねチャンピオンを目指す内容となり<ref>[[#小学館漫画賞事務局 2006|小学館漫画賞事務局 2006]]、187頁</ref>、主人公を裕福な家庭から過酷なプロの世界に飛び込ませることで従来の「貧困からの脱却」「社会的上昇」といったテーマに異議を唱える形となった<ref name="ユリイカ209-210">{{Cite book|和書|author1=さやわか|authorlink1=さやわか|author2=中田健太郎|chapter=『サンデー』を彩ってきたマンガたち 主要作品解題|title=[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 詩と批評 特集・週刊少年サンデーの時代|publisher=[[青土社]]|date=2014年3月号|pages=209-210}}</ref>。この作品をもって、「生死を賭けた戦い、血の特訓、必殺技、悲劇的結末」といった梶原型スポ根からの転換点とする見方もある<ref name="米澤148-149"/><ref>[[#宝島社 1996|宝島社 1996]]、27頁</ref>。 |
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また、その容姿については美形ということは少なく、どこか垢抜けないが親しみやすい顔であることが多い。対して、最大のライバルとなる人物は男女ともに美形に描かれることが多い(例:『巨人の星』の花形満、『エースをねらえ!』のお蝶夫人)。 |
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少女誌においても、1973年から1980年にかけて連載されたテニス漫画『[[エースをねらえ!]]』([[山本鈴美香]])では、作品序盤は努力型の主人公・岡ひろみ、ライバル・竜崎麗香、鬼コーチ・宗方仁といったスポ根ものの構造を残していたが、作品が進行するに従ってそれらの枠組みから脱却し登場人物たちが自立し成長する物語へと変化した<ref name="大衆文化事典"/><ref name="米澤235-237">[[#米澤 2007|米澤 2007]]、235-237頁</ref>。前出の米澤は「勝負の面白さ、勝ち負けといったエンターテインメントとしてのスポ根ドラマを拒否したところから、『エースをねらえ』は始まる」と評した<ref name="米澤235-237"/>。 |
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主人公は決して恵まれているとはいえない環境と才能を、比類なき根性・並外れた努力とトレーニング(他人が5で終わるところを10、10で終われば100こなす)で補いつつ、チーム内の競争、チーム外のライバルとの戦いを繰り返しながら、ただひたすらにそのスポーツにおけるトップへと上り詰めてゆく。同時にライバルとの友情物語も時に描かれるが、逆に父親やコーチなどそれまで自身を指導する立場にあった者や、バッテリーの様なコンビを組む相方などが移籍して敵となることもある。また、物語後半になると、高負荷のトレーニングの連続による自身の肉体の限界や疲労による負傷も大きな壁となる。主人公はそれら全てを乗り越えて、また自身の全てを駆使して最後の勝利を掴まなければならない。一部作品では、最後の勝利を掴むために選手生命さえ引き換えにする主人公もいる。 |
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ただし、ちばの作品群については指導者の姿を意識的に排除し、部員たちが自主的・自発的に活動する姿を描きながらも、教育評論家の[[斎藤次郎 (教育評論家)|斎藤次郎]]が「野球を楽しむというのは、手抜きや遊びで『弄る』のではない」と評するように過酷なまでな部活への取り組みが描かれ<ref>[[#斎藤次 1996|斎藤次 1996]]、63頁</ref>、小山の『がんばれ元気』については元々『あしたのジョー』を意識した作品であり、ライバルや師匠の悲劇的な結末や旧来的な特訓も描かれた<ref name="ユリイカ209-210"/><ref name="ユリイカ188-190">{{Cite book|和書|author=岩下朋世|chapter="ぽっちゃりヒロイン"は伊達じゃない 満田拓也『BUYUDEN』にみる『少年サンデー』スポーツマンガの現在形|title=ユリイカ 詩と批評 特集・週刊少年サンデーの時代|publisher=青土社|date=2014年3月号|pages=188-190}}</ref>。『エースをねらえ』については飽くなき求道精神のため、恋愛をも「精神修行のための一プログラム」としてあつかうなど<ref>{{Cite book|和書|author=宮村優子|authorlink=宮村優子 (脚本家)|chapter=スポーツ漫画ヒロインの魅力大分析 こずえ ひろみ 柔 こんな女の子に私はなりたい|title=[[Sports Graphic Number]]|publisher=文藝春秋|date=1989年9月5日号|pages=65-67}}</ref>、いずれも苦行的要素、禁欲的要素を残す形となった。 |
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なお、選手としての活動を終えた主人公のその後の人生が描かれることはそれほど多くない。ただし、スポ根の王道とされる梶原の作品に限れば、主人公にまつわる最後の描写は決して幸福とは言いがたいものが多い。 |
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スポ根における特徴の一つだった魔球や必殺技の要素は1972年から1976年にかけて連載された野球漫画『[[アストロ球団]]』(原作:[[遠崎史朗]]、作画:[[中島徳博]])においていっそう過激化し<ref name="斉藤宣41">[[#斉藤宣 2011|斉藤宣 2011]]、41頁</ref>、作品終盤では超人選手によって次々に生み出された「必殺技」により多数の死傷者を生み出す、[[デスマッチ]]の場と化した<ref name="夏目34-37">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、34-37頁</ref>。評論家の[[竹熊健太郎]]は「『巨人の星』が貧困の克服([[高度経済成長]])を背景にした1960年代の神話とすれば、この作品は社会が安定し『貧困』という動機づけを喪失した1970年代の神話である」としている<ref>{{Cite book|和書|author=竹熊健太郎|authorlink=竹熊健太郎|chapter=解説 モチベーションなき時代の「神話」|title=[[アストロ球団]]|volume=第3巻 ビクトリー球団〈死の特訓〉編|publisher=[[太田出版]]|year=1999|isbn=4-87233-460-4|page=721}}</ref>。一方、『ドカベン』の作者である水島は野球漫画『[[野球狂の詩]]』の中で魔球を[[存在]]ではなく[[情報]]として扱い<ref name="夏目38-39">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、38-39頁</ref>、魔球という言葉により相手に精神的重圧を与える、試合における「駆け引き」の道具として描くことによって「魔球」を否定した<ref name="夏目38-39"/>。これらの作品によってスポ根の特徴だった荒唐無稽な要素は退潮し<ref name="米澤130-134">[[#米澤 2002|米澤 2002]]、130-134頁</ref>、スポーツ漫画は現実的な作風へと転換していった<ref name="夏目38-39"/>。 |
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=== 鬼コーチ === |
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スポ根の多くで見られる「[[ストックキャラクター]]」に、主人公を育成するために過酷なトレーニングを課す「鬼コーチ」がいる。主に男子が主人公となる作品で登場し、概して強面、若しくは常に[[サングラス]]をかけており表情の読めない男である(これに対し女子が主人公となる作品では、コーチはハンサムな男で、主人公の淡い恋の対象になることが多い)。 |
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=== テレビドラマ === |
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鬼コーチは程度の差はあっても、どこか「変わり者」の要素を持つ。一般的な意味とは異なるが、主人公を深く愛しており、その成長のためにあらゆる手を尽くす。時に度が過ぎて主人公自身から疎まれることもある。しかし、主人公は容易には鬼コーチの影響下から逃れることはできない。 |
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[[ファイル:Women's volleyball final 1964 Olympics (2).jpg|left|180px|thumb|テレビドラマとして「スポ根」が扱われた背景には[[1964年東京オリンピックのバレーボール競技|東京オリンピック]]での[[バレーボール日本女子代表|バレーボール全日本女子]]の活躍が影響を与えている。写真は[[1964年]][[10月23日]]に行われた[[バレーボールロシア女子代表|ソビエト連邦]]戦。]] |
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スポ根漫画の誕生と前後して[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列では[[東宝]]とテアトル・プロの共同制作による、[[ラグビーユニオン|ラグビー]]やサッカーといった集団スポーツを通じた教師と生徒たちの交流を描いた『[[青春とはなんだ]]』『[[これが青春だ]]』『[[でっかい青春]]』の“東宝青春学園シリーズ”が放送された<ref name="大衆文化事典"/><ref>{{Cite web|和書|url=http://kinema-shashinkan.jp/special/-/566/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160205123637/http://kinema-shashinkan.jp/special/-/566/|title=第1部 テレビから生まれた大ヒット!学園青春熱血ドラマ|publisher=キネマ写真館 日本映画写真データベース|page=3|archivedate=2016-02-05|accessdate=2016-02-04}}</ref>。この背景には、1964年に行われた[[1964年東京オリンピックのバレーボール競技|東京オリンピック]]において[[バレーボール日本女子代表|バレーボール全日本女子]]を優勝に導いた[[大松博文]]の影響があるとされている<ref name="大衆文化事典"/>。 |
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1960年代後半から1970年代初頭にかけてスポ根漫画を原作としたテレビドラマが登場し、[[TBSテレビ|TBS]]系列で放送された柔道を題材とした『柔道一直線』やバレーボールを題材とした『サインはV』や[[水泳]]を題材とした『[[金メダルへのターン!]]』などが人気作品となった<ref name="夏目94-95"/>。その中で、『サインはV』は「稲妻落とし」「X攻撃」などの必殺技も話題となり高視聴率を記録、当時のバレーボールブームやスポ根ブームを牽引したが<ref>{{Cite web|和書|url=http://kinema-shashinkan.jp/special/-/578/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160205114930/http://kinema-shashinkan.jp/special/-/578/|title=第3部 スポ根ブームとラブコメ旋風|publisher=キネマ写真館 日本映画写真データベース|page=1|archivedate=2016-02-05|accessdate=2016-02-04}}</ref><ref name="毎日20160214">{{Cite book|和書|chapter=昭和のテレビ 第21回 スポ根編 柔道一直線&サインはV(TBS) 主演俳優インタビュー サインはV・岡田可愛 ウサギ跳びに回転レシーブ。ヘトヘトなのに5キロも太ってしまって...|title=[[サンデー毎日]]|volume=2016年2月14日号|publisher=[[毎日新聞出版]]|pages=214-216}}</ref><ref name="アサ芸20151104">{{Cite web|和書|url=https://www.asagei.com/excerpt/46053|title=感涙の”名セリフ&名シーン”50年秘史!「サインはV・中山仁」|work=[[アサヒ芸能|アサ芸プラス]]|publisher=[[徳間書店]]|date=2015-11-04|accessdate=2016-02-04}}</ref>、原作と同様の特訓による根性的要素を表現するために出演者に対して長時間に渡る練習を課し<ref name="毎日20160214"/><ref name="テレビドラマ">{{Cite book|和書|title=テレビドラマ全史 1953-1994|publisher=[[東京ニュース通信社]]|year=1994|pages=184-185|asin=B008ORMEFK}}</ref>、リハーサルを経て消耗し切った所で撮影に挑んだ<ref name="テレビドラマ"/>。同作の終了から3年後の1973年には、主演を[[岡田可愛]]から[[坂口良子]]に交代した続編が放送されたが、前作ほどの人気を得ることは出来ずに終了した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.allcinema.net/cinema/85624|title=サインはV (1973)|publisher=[[allcinema]]|accessdate=2016-02-04}}</ref>。 |
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鬼コーチは多くの場合強い父性の持ち主として描かれる。代表例が『巨人の星』における[[星一徹]]と、『[[エースをねらえ!]]』の宗方仁である。鬼コーチの登場するスポ根作品は、父と息子あるいは娘の物語の側面も持つ。主人公・飛雄馬を鍛えそだてた後、彼が自分の手を離れたと見るや、最も恐るべき強敵の立場へまわる(これ自体は同じ梶原一騎作品の『[[柔道一直線]]』などに先駆がある)一徹というキャラクタは、時に教育論や社会心理学などの視点から研究対象とされることもある。 |
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1970年代中盤以降、[[中村雅俊]]主演の『[[俺たちの旅]]』などの青春ドラマが人気を獲得し、スポ根番組ブームは終息したが<ref>{{Cite book|和書|chapter=昭和のテレビ 第21回 スポ根編 特別寄稿・松尾羊一 川上哲治と大松監督が作ったスポ根神話|title=サンデー毎日|volume=2016年2月14日号|publisher=毎日新聞出版|pages=126-127}}</ref>、1979年には[[テレビ朝日]]系列でバレーボールを題材とした『[[燃えろアタック]]』(原作:[[石ノ森章太郎]])が放送された。この作品は必殺技「ヒグマおとし」やチームメイトの死など『サインはV』の影響を受けたもので<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.allcinema.net/cinema/85901|title=燃えろアタック (1979)|publisher=allcinema|accessdate=2016-02-04}}</ref>、[[1980年モスクワオリンピック|モスクワオリンピック]]出場を目指し奮闘する内容だったが<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-16926|title=燃えろアタック(燃えろ!アタック)|publisher=テレビドラマデータベース|accessdate=2016-02-04}}</ref>、1980年代に[[中華人民共和国]]で『排球女将』のタイトルで放送され人気を獲得した<ref>{{Cite web|和書|url=http://japanese.china.org.cn/jp/qshn/2008-06/27/content_15898521.htm|title=「燃えろアタック」(1)「70後」、感動再び|publisher=[[中国網|チャイナネット]]|date=2008-06-27|accessdate=2016-02-04}}</ref>。 |
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『エースをねらえ』は当初、父・宗方の寵愛を競い合う三姉妹(岡・竜崎・緑川)の物語として展開するが、宗方の死と前後してそれぞれ恋愛の対象となる相手が登場して「父からの自立」を果たすことになる。 |
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1984年から1985年にTBS系列でラグビーを題材とした『[[スクール☆ウォーズ]]』が放送された。この作品は、元[[ラグビー日本代表]]の[[山口良治]]が高校の弱小ラグビー部を監督就任から7年で全国優勝に導いた実話を脚色したもので<ref name="tbs">{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d2800/|title=スクール・ウォーズ|publisher=[[TBSチャンネル]]|accessdate=2013-06-08}}</ref>、不良の巣窟となっていた学校の再生、109対0の大敗、部員や支援者の死といった困難を乗り越え全国優勝を果たすまでが描かれている<ref name="tbs"/>。放送当時すでにスポ根的手法は「時代遅れ」という評価もあったが<ref name="傷だらけのヒーロー">{{Cite book|和書|author=山口純一|title=傷だらけのヒーロー・滝沢賢治 ドラマ「スクール・ウォーズ」の「通」な楽しみ方|publisher=朱鳥社|year=2006|isbn=978-4434084904|page=3}}</ref>、いわゆる[[大映テレビ|大映ドラマ]]の特徴でもある過剰な演出やセリフ回しにより、当時の学生たちの人気を獲得した<ref name="傷だらけのヒーロー"/>。主人公・滝沢賢治を演じた[[山下真司]]は「セリフは劇画調で、自分の演技もまだまだ。でも、向上心や悔しさ、苦悩や希望のつまった内容が届いたのだろう」と評している<ref>{{Cite book|和書|chapter=京ものがたり 山下真司と伏見工ラグビー部|title=朝日新聞|publisher=2016年1月12日夕刊 3版4面}}</ref>。1990年には滝沢らの6年後の姿を描いた続編『[[スクール☆ウォーズ#スクールウォーズ2|スクール☆ウォーズ2]]』が放送されたが、[[少年院]]を舞台にした非現実的な要素(原作もラグビーではなく高校野球を描いた小説である)に加え、それをかき消すほどの前作のような熱量も足りず<ref>{{Cite web|和書|author=バーグマン田形|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1446096955347/?p=3|title=少年院が舞台! あまりに知られていない『スクールウォーズ2』|publisher=[[エキサイト|エキサイトニュース]]|accessdate=2016-02-04}}</ref>、全16話で終了した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0411/|title=スクール・ウォーズ2|publisher=TBSチャンネル|accessdate=2013-06-08}}</ref>。 |
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現実社会で[[父権]]の喪失が叫ばれる様になった1980年代になって、こうした父性系鬼コーチも減少したが、『[[はじめの一歩]]』の鴨川会長<!--(ただし徹底した理論派であり、特訓と称して非科学的で無茶なトレーニングを施す「鬼コーチ」とはこの点一線を画す)-->や『[[グラップラー刃牙]]』の範馬勇次郎にその名残を見ることができる。 |
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=== テレビアニメ === |
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特殊な例としては、[[水島新司]]の『[[ドカベン]]』で主人公たちの明訓高校の監督をつとめた三人の登場人物があげられる。 |
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[[ファイル:Nerima Oizumi-animegate Chronological table Ashita no Joe 1.jpg|250px|thumb|スポ根作品のアニメ化に際しては、さまざまな表現手法や演出法が開発され、後の作品群に影響を与えた。図はアニメ版『[[あしたのジョー#テレビアニメ|あしたのジョー]]』の一コマ。]] |
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* 徳川家康-飲んだくれの変人だが、いざという時には頼りになる変則的「父性キャラ」 |
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* [[土井垣将]]-徳川のあとをうけて明訓監督に就任、主人公たちにとっては「兄弟子」のポジションで、星一徹同様強敵サイドにまわった「父親」徳川と死闘を演じる |
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* 大平-試合に関しては主人公たちにまかせきりの昼行灯的な「顧問教師」に徹した監督 |
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と、[[少年漫画]]における「鬼コーチ」キャラの位置づけの推移をなぞるかのような配列となっている。 |
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|quote=ピッチングモーションが始まると、選手を取り巻く背景も普段の球場から一転し、非現実的なおどろおどろしいモノとなる。瞳の中に燃え盛る炎、キャラクターたちの燃え上がる感情表現のため、いきなり[[トラ|虎]]や[[ライオン]]、[[クジラ|鯨]]、そして[[侍]]などが登場するシーンなどもそうだ。実際には絶対あり得ないオーバーな表現がドラマチックな内容とマッチし、緊迫したストーリーをどんどん盛り上げていった。 |
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|source=オーバーリアリズムについて<ref>[[#御園 1999|御園 1999]]、251-252頁</ref>。 |
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漫画やドラマにおけるスポ根人気と東京オリンピック開催の影響もありアニメの世界でもスポ根が扱われることになった<ref name="アニメ全史">{{Cite book|和書|author=山口康男|title=日本のアニメ全史 世界を制した日本アニメの奇跡|publisher=テン・ブックス|year=2004|isbn=4-88696-011-1|pages=105-106}}</ref>。その最初の作品として既に原作の漫画が人気を獲得していた『[[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]』のアニメ版が企画されたが、当時のアニメ作品で描かれていた登場人物の[[キャラクターデザイン]]の多くは[[デフォルメ]]されたものであり劇画調の登場人物を取り扱った経験が不足していたことから「『巨人の星』のアニメ化は不可能」「アニメ化には相応しくない」と評されていた<ref>[[#山崎 2005|山崎 2005]]、60頁</ref>。 |
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『巨人の星』では原作と同様に過剰な表現が多用された<ref name="山崎74">[[#山崎 2005|山崎 2005]]、74頁</ref>。これは監督を務めた[[長浜忠夫]]が「[[演劇]]において[[俳優|役者]]が演じる大仰な[[演技]]」そのものをアニメの世界にも求めたためであり<ref name="山崎74"/>、長浜自身は「オーバーリアリズム」と称していた<ref>[[#山崎 2005|山崎 2005]]、75頁</ref>。また『タイガーマスク』では劇画の荒々しい描線を表現するために[[セル画|トレスマシン]]という手法が導入され<ref name="東映">{{Cite web|和書|url=http://www.toei-anim.co.jp/lineup/tv/tigermask/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130618234714/http://www.toei-anim.co.jp/lineup/tv/tigermask/|title=タイガーマスク|publisher=[[東映アニメーション]]|archivedate=2013-06-18|accessdate=2013-10-19}}</ref>、『あしたのジョー』では監督の[[出崎統]]によって当時としては実験的な「[[出崎統#表現手法|止め絵]]」などの表現手法や演出法の研究が行われた<ref name="虫プロ">{{Cite web|和書|url=http://www.mushi-pro.co.jp/2010/08/あしたのジョー/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101024083050/http://www.mushi-pro.co.jp/2010/08/%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC|title=あしたのジョー|publisher=[[虫プロダクション]]株式会社|archivedate=2010-10-24|accessdate=2013-10-19}}</ref>。こうした手法はスポ根アニメ全体でも用いられた<ref name="アニメ全史"/>だけでなくスポーツ以外の分野でも用いられるなど<ref name="山崎74"/><ref>[[#山崎 2005|山崎 2005]]、178-180頁</ref>、日本アニメの技術の進歩に貢献した<ref name="アニメ全史"/><ref name="東映"/>。 |
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母性系鬼コーチというキャラクターは、スポ根ものでは少ない。たとえば『[[リングにかけろ]]』の高嶺菊は、文字通り母でなく姉として登場する。息子が目指すべき父はすでにこの世にない理想化された目標として位置づけられ、菊はその橋渡しの役割を担いつつ、主人公の最大のライバルと恋模様を演じもする。スポーツもの以外では、『[[ガラスの仮面]]』の月影千草という代表例がある。 |
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アニメ作品は漫画作品に比べて進行が速く漫画の連載状況に容易に追いついてしまうことからオリジナルの登場人物やエピソードが新たに追加された<ref name="闘いと青春の1954日">{{Cite book|和書|author1=ちばてつや|authorlink1=ちばてつや|author2=豊福きこう|title=ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日|publisher=[[講談社]]|year=2010|isbn=978-4-06-364793-8|pages=190-193}}</ref>。こうした事情について『あしたのジョー』の作画を担当した漫画家の[[ちばてつや]]は「自分の手元から離れた世界。親元から離れた子供のように向うの世界で良い人生を送れたらいいと割りきっていた」と証言しているが<ref name="闘いと青春の1954日"/>、反対にアニメの演出が自身の連載作品に影響を与えることもあったという<ref name="闘いと青春の1954日"/>。 |
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その他特殊なケースでは、特撮番組『[[ウルトラマンレオ]]』のMAC隊長・モロボシダン(正体はウルトラセブン)が挙げられる。ダン隊長は、負傷し戦えなくなった自分の代わりに、地球防衛の任務をおおとりゲン隊員(正体はウルトラマンレオ)に託すが、未熟と経験の少なさ故にレオはしばしば敗北する。そこでダンはゲンに過酷な特訓を課すことによって敵を倒す突破口を開いてゆく。 |
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1968年から1971年にかけて放送された『巨人の星』では原作に倣った展開だけでなく主人公・星飛雄馬の姉・[[星明子|明子]]に焦点を当てたエピソードや<ref name="山崎15">[[#山崎 2005|山崎 2005]]、15頁</ref>[[沢村栄治]]などの実在選手のエピソードが挿入され<ref name="山崎15"/><ref>[[#斎藤孝 2003|斎藤孝 2003]]、24頁</ref>、最終話のラストシーンでは原作の「飛雄馬が教会の屋根に掲げられた十字架の影を背負いながら一人で去る」といった悲愴な描写から「星親子が和解して息子が父親に背負われながら球場を去る」といった温かみのある描写へと刷新されている<ref>[[#斎藤孝 2003|斎藤孝 2003]]、41-44頁</ref><ref>[[#山崎 2005|山崎 2005]]、28-30頁</ref>。 |
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この他、『[[スチュワーデス物語]]』の養成講師・村沢浩、これは人間ではないが『[[夏子の酒]]』の[[酒米]]「龍錦」らも、スポ根における「鬼コーチ」のキャラクター造詣を受け継ぐものである。 |
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1969年から1971年にかけて放送された『タイガーマスク』でも原作を追い越した際のオリジナルストーリーが追加されたほか原作とは異なる結末が描かれている<ref name="タイガーマスク">{{Cite book|和書|year=2003|title=タイガーマスク 虎だ!お前は虎になるのだ!! |publisher=[[河出書房新社]]|isbn=4-309-26677-0|pages=96-104}}</ref>。また、主人公・伊達直人を支える人物として[[吉川英治]]の小説『[[宮本武蔵 (小説)|宮本武蔵]]』における[[沢庵宗彭|沢庵和尚]]をイメージした師匠の嵐虎之介や<ref name="タイガーマスク"/>、[[虎の穴]]時代からの親友である大門大吾、弟分の高岡拳太郎といった登場人物が新たに創作され準レギュラーとなった<ref name="タイガーマスク"/>。 |
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=== ライバル === |
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物語を彩る強力な[[ライバル]]キャラクターもスポ根作品にとっては欠かすことはできない存在である。多くはその天賦の才能を持って主人公の前に立ちはだかる。また、主人公よりも遥かに恵まれた環境に生まれ育っている者や、あるいはその才能を見込んだ金持ちなどが強力な[[パトロン]]になっているという背景設定が多い。 |
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1970年から1971年にかけて放送された『あしたのジョー』は好評を得ながらも漫画の連載状況に追いついたため途中のエピソードで終了したが<ref name="虫プロ"/>、[[1980年]]から[[1981年]]にかけて放送された続編の『[[あしたのジョー#あしたのジョー2|あしたのジョー2]]』ではライバル・力石徹の死後から最終話までのエピソードが描かれた<ref name="ジョー2">{{Cite web|和書|url=http://www.tms-e.com/search/index.php?pdt_no=16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160825185301/http://www.tms-e.com/search/index.php?pdt_no=16|title=あしたのジョー2|publisher=[[トムス・エンタテインメント]]|archivedate=2016-08-25|accessdate=2013-10-19}}</ref>。この作品を始め国内のアニメ界では、1970年代後半から1980年代初頭にかけて旧作アニメのリメイクブームが起こったが<ref name="御園206-207">[[#御園 1999|御園 1999]]、206-207頁</ref>、劇画調の描線の荒々しさは減少し、背景も野性味を表すものから入射光や投射光を活かした端正なものに変化した<ref name="御園206-207"/>。 |
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物語にあって主人公と長い宿敵となるライバルの場合、基本的に主人公よりも選手としての基礎能力全般に優れており、性格的には主人公より明るく、楽観的に描かれる者が多い。 |
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=== ギャグ化による衰退 === |
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また、物語スタート当初に登場し、主人公と共に人気となったライバルについては、その後の様々な試合や経緯を経て仲間となったり、あるいは互いに勝ったり負けたりを繰り返す事になる。その性格付け次第では、立場上は悉く対立しながらも、ある意味では主人公にとって友人以上の価値を持ち、多くの価値観を共有し、場合によっては壁となって立ちはだかる共通の敵を前に、共に涙さえする存在となることもある。このライバルの多くは当初こそ主人公を圧倒するが、過酷なトレーニングで強化された主人公の前にほとんどが倒されることとなる。そして、人気キャラクターとなったライバルの多くは、一旦は主人公に破れ挫折することで、これもまた主人公と同様のスポ根的な特訓を積むようになり、主人公の前に再び立ちはだかる存在となる。また、主人公の特訓や新たな技の解説役を担当することも多い。 |
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スポ根漫画の全盛期である1960年代には多くの読者の支持を得たが<ref name="米澤154-156">[[#米澤 2002|米澤 2002]]、154-156頁</ref>、その一方で精神主義や芝居がかった演出には当時から批判的な意見があった<ref name="米澤154-156"/><ref name="斎藤次147-150">[[#斎藤次 1996|斎藤次 1996]]、147-150頁</ref>。1975年から1978年にかけて『[[週刊少年ジャンプ]]』で連載された野球漫画『[[1・2のアッホ!!]]』([[コンタロウ]])や、1977年から1980年にかけて『週刊少年ジャンプ』で連載された野球漫画『[[すすめ!!パイレーツ]]』([[江口寿史]])では、そうした批判的視点を背景に従来のスポーツ漫画に[[ギャグ漫画]]の要素を取り入れ、スポ根的な価値観を風刺した<ref name="米澤154-156"/><ref name="斎藤次147-150"/>。 |
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[[1980年代]]に入ると、「直向きさ」「努力」「根性」といった価値観は格好の悪いもの、[[ダサい]]ものとして見做されるようになっていた<ref name="米澤157">[[#米澤 2002|米澤 2002]]、157頁</ref>。1978年から1983年にかけて連載された格闘漫画『[[1・2の三四郎]]』([[小林まこと]])では、主人公・東三四郎が周囲から「直向き」や「熱血」と見られることを恥じて隠そうとする姿が描かれている<ref>[[#宝島社 1996|宝島社 1996]]、29-30頁</ref>。本作品の17巻では、主人公と仲間たちが『巨人の星』の登場人物の「互いの健闘を讃えあい涙を流す」姿に共感し涙を流したところ、ヒロインからそれを咎める台詞を投げかけられ、背を向ける姿も描かれている<ref name="ヨコタ村上">{{Cite book|和書|author=ヨコタ村上孝之|authorlink=ヨコタ村上孝之|title=マンガは欲望する|publisher=[[筑摩書房]]|year=2006|isbn=4-480-87351-1|pages=166-167}}</ref>。これについて比較文学者の[[ヨコタ村上孝之]]は『巨人の星』に「神聖さと滑稽さ」「理想と気恥ずかしさ」の相反する感情を抱くことは1950年から1960年生まれの読者に共有された体験であり、同作がひときわパロディの対象となった理由としている<ref name="ヨコタ村上"/>。 |
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一方、ライバルでも憎まれ役タイプの場合、能力は優れていても、性格的に屈折していたり、主人公を目の敵にしたり格下と見て挑発を繰り返してくることも多い。そして、このタイプのキャラクターの多くは、一度は主人公を楽に倒すものの、その役割はあくまで単に主人公のレベルアップの踏み台であり、後に必ず主人公が身に付けた新たな技などにより倒される。その後、時を経て再登場することがあっても、この場合ほとんどが主人公の足下にも及ばぬただのやられ役となる。 |
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1984年に少女誌の『[[花とゆめ]]』で連載された野球漫画『[[甲子園の空に笑え!]]』([[川原泉]])では、かつてのスポ根漫画における「感動のあまり涙を流す」「仲間同士による抱擁」といった友情や絆を表す表現を「[[交感神経系|交感神経]]の異常」と冷めた視点でとらえ<ref>[[#高井 2005|高井 2005]]、128-130頁</ref>、努力や根性とは無縁の脱力的で寓話的な雰囲気のまま大会を勝ち上がる姿が描かれた<ref>[[#米澤 2002|米澤 2002]]、172-173頁</ref>。 |
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ただし、憎まれ役のライバルであっても、一部には最初に主人公を圧倒的な能力差で打ちのめし、その後は主人公の一歩先を常に行き、主人公は「いつかは倒さなければならない相手」としてその背中を追い続け、クライマックスで対峙するというパターンもある。 |
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また1980年代初頭の[[お笑いブーム]]の際、[[コント赤信号]]や[[ヒップアップ]]などのお笑いグループは学園ものやスポ根ものをコントに取り入れ、「不良生徒が教師に殴られて改心し、皆で夕日に向かって走っていく」や「瞳の中に燃え盛る炎」などのシーンを再現し笑いの対象としていたが<ref name="高平33-35">{{Cite book|和書|author=高平哲郎|authorlink=高平哲郎|chapter=あえて言っちゃおう「スポ根マンガよ、さようなら」|title=Sports Graphic Number|volume=1982年12月5日号|publisher=文藝春秋|pages=33-35}}</ref>、放送作家の[[高平哲郎]]は「こうしたコントで沸く若者も知らず知らず学園ものやスポ根ものに反発を感じていたのだ。いわば彼らにとって息抜きの場だった漫画なのに、父と子、根性、努力などを教育されてしまった反発がスポ根コントを笑える原動力となっているのだろう」と評した<ref name="高平33-35"/>。 |
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プロスポーツを舞台としている物語においては、重要な仲間がトレードによってライバルチームに移籍し、強力なライバルとして主人公の前に出現することもある。この有名な例は『巨人の星』の伴宙太である。 |
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かつて一般大衆の価値観を反映したといわれたスポ根は、1970年代末から勃興したギャグ化の流れの中で[[笑い|嘲笑]]の対象となり衰退した<ref name="戦後史大事典"/><ref name="高平33-35"/><ref name="友添55">[[#友添 2016|友添 2016]]、55頁</ref>。 |
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ただし、ライバルの多く(特に、宿敵に位置付けられた者)も主人公との極限の勝負で肉体を損耗して、主人公が表舞台から去るのと前後して勝負の舞台から去ってゆくことが少なくない。 |
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=== スポーツ漫画の変容 === |
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[[ファイル:Katsushika Tokyo Yotsugitsubasakouen Tsubasa Ozora Statue 1.jpg|thumb|left|180px|1980年代以降、それまでの過酷な特訓や努力の描写に代わり、爽やかさや友情を謳いあげる作品が台頭した。写真は『[[キャプテン翼]]』の銅像。]] |
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現代の日本では「スポ根」を前面に出した作品は少数派だが、そのコンセプト自体は変遷を遂げながら以下の理由で脈々と受け継がれていると思われる。 |
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[[あだち充]]は1978年から1980年にかけて『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』において野球漫画『[[ナイン (漫画)|ナイン]]』を連載した<ref name="斉藤宣42">[[#斉藤宣 2011|斉藤宣 2011]]、42頁</ref>。この作品は第1話こそ熱血風の内容で始まるものの、それ以降は[[ラブコメディ|ラブコメもの]]へと移行<ref name="斉藤宣42"/>。従来通りライバルが登場し、甲子園という目標を設定してはいるものの努力や勝敗に固執せず<ref name="ダヴィンチ201212">{{Cite book|和書|chapter=あだち充独占2万字インタビュー&解体全書|title=[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]|publisher=[[KADOKAWA]]|volume=2012年12月号|pages=30-31}}</ref>、登場人物の触れ合いや感情の機微を中心に描いた<ref name="ダヴィンチ201212"/>。あだちは従来の熱血少年ものの登場人物が「努力してますとか頑張ってますとか、大声でアピールする」ことや、ラブコメものの登場人物が「秘めたる思いを簡単に口に出す」ことに、かねてから「[[野暮|野暮さ]]」を感じていたといい<ref name="ダヴィンチ201212"/>、「野暮はイヤだよね。それを言っちゃったらおしまいだろうという感覚は、[[落語]]から教わっています」と発言している<ref name="ダヴィンチ201212"/>。 |
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* 現代においても、依然として「スポーツもの」と「対決もの」は[[少年誌]]の看板的存在であり、その随所にスポ根的要素が見受けられる。現代の「スポ根」はその要素を踏まえたうえで、『はじめの一歩』(週刊少年マガジン連載中:[[森川ジョージ]]作)のようなシリアスな方向性のものと、『[[Mr.FULLSWING]]』([[週刊少年ジャンプ]]:[[鈴木信也]]作)のような「スポ根」をネタにした[[ギャグ]]的方向性のものに大別される。 |
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** 現代の「スポ根」の表現として、日常生活を描く場面では梶原作品のような悲壮感は薄れ、ライバル達との戦いの場面でいかに感動的な場面設定をするかによって「スポ根度」はそれぞれ異なる。またかつての様な、努力や根性そのものがテーマという作品は減ってはいるが、勝利を彩り盛り上げる付随要素としては現在でも多く用いられている。 |
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** また『はじめの一歩』の作中でも[[鷹村守]]の様なギャグ要員となるキャラクターが存在している様に、シリアス基調の作品であっても、ただひたすらにシリアス一辺倒に「スポ根」を突き詰めてゆく作品は、現在では読者にあまり受け入れられない傾向がある。 |
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* 現実のスポーツイベントにおいて、一度敗れても特訓の過程を経て勝利すると「[[リベンジ]]を果たした」と評価され、感情移入がより高まる。これは「スポ根」の重要な要素のひとつであり、困難を乗り越えたところに価値観を見出すという「スポ根」の[[洗礼]]を受けた者にとっては感動のツボを衝かれるものである。 |
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** 例:[[K-1]]、[[PRIDE]]([[格闘技]]:多数のリベンジ劇が展開され、演出される) |
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**: [[ドーハの悲劇]]([[サッカー]]:翌大会で[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]初出場を果たす) |
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**: [[谷亮子]]([[柔道]]:[[金メダル]]確実といわれながら2大会連続で銀メダル→リベンジを果たし2大会連続で金メダル獲得) |
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**: [[浜口京子]]([[レスリング]]:金メダル確実といわれながら銅メダル→[[北京オリンピック]]でリベンジを果たすべく父子特訓を行うもやはり銅メダル) |
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**: [[高橋尚子]]([[マラソン]]:[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]落選→過酷な高地トレーニングを経て2005年東京国際女子マラソンで復活優勝、北京オリンピック目指して名古屋国際女子マラソンへ→完走したのみで自己ワースト記録、北京オリンピック代表の選考からはずれる) |
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**: [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]]([[野球]]:[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック]]にて1次予選、2次予選ともに[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表|韓国]]に敗れたが、準決勝で韓国との3度目の対決に勝利) |
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**: [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]]([[野球]]:[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回ワールド・ベースボール・クラシック]]にて[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表|韓国]]代表が『永遠のライバル』として立ちはだかる。結果的に韓国とは腐れ縁のように5回も対戦するが、決勝戦では延長の死闘を制し、優勝) |
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さらに、あだちは1981年から1986年にかけて『[[週刊少年サンデー]]』において野球漫画『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』を連載した<ref name="斉藤宣42"/>。この作品はマイペースな主人公・上杉達也、双子の弟・上杉和也、ヒロインの浅倉南による三角関係が展開され、交通事故による和也の急死をきっかけに達也がその遺志を継いで全国を目指すといった内容であり<ref>[[#松田 2001|松田 2001]]、78頁</ref><ref name="米澤174">[[#米澤 2002|米澤 2002]]、174-175頁</ref>、スポーツ漫画および少年漫画の世界に少女漫画的な手法を導入した作品<ref>{{Cite book|和書|author=大塚英志|authorlink=大塚英志|title=戦後まんがの表現空間-記号的身体の呪縛|publisher=[[法藏館]]|year=1994|isbn=4-8318-7205-9|page=62}}</ref><ref>[[#小学館漫画賞事務局 2006|小学館漫画賞事務局 2006]]、400頁</ref>、「野球物路線と『[[みゆき (漫画)|みゆき]]』におけるラブコメ青春路線を合体」した作品と評される<ref name="米澤174"/>。 |
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その一方、スポーツにおける「強さ」を単に[[精神論]]や[[根性論]]に基づく猛特訓だけに求めず、[[人間工学]]や[[スポーツ医学]]などにも配慮する傾向も見られる。根性論ではしばしば特訓と称して非科学的・非論理的な訓練方法も(コーチの思い付きや誤解にも絡んで)編み出され、これによって傷跡や[[後遺障害]]が残るようなケースも現実社会では発生している。 |
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この作品では、近親者の死とその遺志を継ぐ宿命、ライバルとの対決といった図式を残しつつも、「生死を賭けた戦い」「精神の修養」といった旧来の求道者的な価値観は描かれず<ref name="#1">[[#宝島社 1996|宝島社 1996]]、31頁</ref>、登場人物間の三角関係や野球についての深刻な局面において、明るさや軽妙さを挟むことで敬遠させる「間を外す」手法が特徴となっている<ref name="夏目80-81">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、80-81頁</ref>。作品終盤で主人公が[[全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]出場を果たし、ヒロインからの愛を獲得、最終話では甲子園における最終的な勝者となったことが暗示される中<ref>[[#松田 2001|松田 2001]]、91頁</ref>、ライバル・新田明男からの新しいステージでの再戦の申し出を拒否する言葉を語らせている<ref name="夏目83-84">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、83-84頁</ref>。夏目は1991年に出版した『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』の中でこの場面を採り上げ「この一言で熱血スポーツものはコケた」と評し<ref name="夏目83-84"/>、一連の流れの終焉を見ている<ref name="斉藤宣43">[[#斉藤宣 2011|斉藤宣 2011]]、43頁</ref>{{#tag:ref|同作は熱血ものやスポ根ものに終止符を打った作品、アンチスポ根の代表格<ref name="ユリイカ188-190"/><ref name="#1"/><ref name="竹内、西原46">[[#竹内、西原 2016|竹内、西原 2016]]、46頁</ref>、高校野球を背景にしたラブコメもの<ref>[[#小学館漫画賞事務局 2006|小学館漫画賞事務局 2006]]、243頁</ref>と捉えられているが、2010年代頃から一部で評価を見直す動きがある<ref name="ユリイカ188-190"/>。マンガ研究家の岩下朋世は同作について、理想的存在の喪失が動機付けとなっている点などから、『がんばれ元気』以来のスポ根の解体と再構築の系譜に連なる作品と見ている<ref name="ユリイカ188-190"/>。元漫画編集者でライターの島田一志は、過去の作品より恋愛の比重が大きく、魔球も登場しないとしつつ、「鬼監督による理不尽なしごきに耐えたり、指から流血しながらボールを投げる」などの柏葉英二郎監督代行の登場以降のシーンなどを「昔ながらのスポ根漫画の定型」と表現<ref>{{Cite news|date=2020-9-4|title=あだち充『タッチ』は極めて80年代的なスポ根漫画だったーー上杉達也が見せた“ド根性”(1/2)|newspaper=リアルサウンドブック |url=https://realsound.jp/book/2020/09/post-613430.html |accessdate=2021-01-31 }}</ref>、「極めて80年代的なスポ根漫画だった、と考えたほうがいいのではないだろうか」と評した<ref>{{Cite news|date=2020-9-4|title=あだち充『タッチ』は極めて80年代的なスポ根漫画だったーー上杉達也が見せた“ド根性”(2/2)|newspaper=リアルサウンドブック|url=https://realsound.jp/book/2020/09/post-613430_2.html |accessdate=2021-01-31 }}</ref>。|group=注}}。さらに夏目は1984年から連載された水泳漫画『[[バタアシ金魚]]』([[望月峯太郎]])において、「(熱血、努力、根性、必殺技などの)かつての少年スポーツヒーローの条件の全てが壊れてしまった」としている<ref>[[#夏目 1991|夏目 1991]]、86頁</ref>。 |
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他方、現実のボクシングの世界では『[[あしたのジョー]]』の影響がいまだに根強い。これもあり日本人の選手・関係者、テレビ中継のアナウンサー・解説者の言動には、「燃え尽きて灰になるまで闘う」ことを至上の美学とした、まさにスポ根的思想に根ざした言動が見られることが珍しくない。だが、その美学を貫こうとした著名ボクサーが脳にダメージを蓄積した挙げ句に[[パンチドランカー]]的なおかしな言動を見せたり、あるいはボクサーの選手生命にとっては致命傷である[[網膜剥離]]を押し隠して試合を強行するといったケースも起こしているなど、スポ根的な思想の弊害は顕著に現れている。 |
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夏目と同様に評論家の[[呉智英]]は1970年代後半から続くギャグ化<ref name="東京20130506"/>、数々のスポ根作品を生み出した[[梶原一騎]]の傷害事件とスキャンダルによる漫画界からの撤退<ref name="東京20130506"/>、[[安定成長期]]に生まれ育った読者層との価値観の断絶<ref name="東京20130506"/>。[[京都精華大学]]教授で[[京都国際マンガミュージアム]]研究員の[[吉村和真]]は、根性の要素を打ち消した爽やかな作品群の登場<ref name="東京20130506"/>、スポーツ界での伝統的な指導法に代わる科学的理論に基づいた指導法の研究開発<ref name="東京20130506"/>、などといった社会情勢の変化によりスポ根というジャンルの終焉を見ている<ref name="東京20130506"/>。 |
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こういった事情に絡むのか、あるいは漫画の表現技法の進化によるリアリティの追求によるものかは一概には言い切れないが、2000年前後からは漫画でもスポーツ医学上の理論などへの配慮が見られ、一例を挙げれば『[[アイシールド21]]』では過酷な特訓の中にも、給水や休息の重要性を訴える描写が行われている。また[[ウサギ跳び]]は古くスポーツ漫画で好んで描写された基礎練習方法であったが、近年になって負担が掛かるばかりで実質的な効果の薄い運動であるとして避けられるようになり、昨今のスポーツ漫画でも同様の理由から『過激な負荷とそれに耐える根性のみが、さらなる高みを切り開く』という形でのトレーニング描写は行われない傾向にある。 |
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この時代は国内のスポーツに対する価値観が、それまでの「苦しさ」から「楽しさ」へと転換しようとした時期でもあるが<ref>[[#松田 2001|松田 2001]]、173頁</ref>、1981年から『週刊少年ジャンプ』で連載されたサッカー漫画『[[キャプテン翼]]』([[高橋陽一]])では従来のスポ根の構造を逆転させ、天才型の主人公が根性や努力に支えられた精神主義を基盤とするライバル達と対峙する作品となった<ref name="海老原166-167">[[#海老原 2003|海老原 2003]]、166-167頁</ref>。この作品では努力や特訓の成果ではなく「サッカーの楽しさ」「自由な発想」が勝敗を決定する価値基準となり<ref name="海老原166-167"/>、天才型主人公の[[大空翼]]の壁を越えられずに葛藤する努力型ライバルの[[日向小次郎]]に特訓の成果ではなく「自由な発想」という作品内の価値基準に気付かせることで、追いつかせる描写がなされた<ref name="海老原166-167"/>。ただし、[[横浜国立大学]]教授の海老原修は「努力より才能を重んじる作品が人気を獲得したからといって日本人の思考が変わってきたとは言えない。コミックの読者欄には努力を尊ぶ声も少なくなく、この呪縛から離脱することは生半ではない」と2000年代前半時点においてもスポ根の影響がまだまだ日本には根強いことに言及している<ref name="#2">[[#海老原 2003|海老原 2003]]、169頁</ref><ref name="#2"/>。 |
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だが、マスコミ報道や雑誌記事などの全国メディアでは、現在でもなお選手の故障・スランプ・挫折からの復活や、その復活によって選手が得たであろう充足感を、スポ根調に描き上げ過度に美化して報道していることが珍しくない(「[[上野由岐子|上野]]の318球」など)。特に[[日本の高校野球|高校野球]]の地方大会などで、地域面が強豪校ではない「普通の学校」をトピックとして取り上げる際には、記事として使用できる話題が不足しがちなこともあって、この様な傾向が一層強くなり、新聞の紙面・新聞社のホームページの地方欄・高校野球コーナーなどでも全国各地から発信されたスポ根調の文面の記事が並ぶことになる。さらには、選手自身のみならず、監督やマネージャーなど周囲の人物に癌や白血病で闘病している、果ては郷里が大[[災害]]で被災したなどのお誂え向きな状況が存在していた場合、郷里や当人の為に全力で勝利しようとする(または、努力したが無念にも試合で敗退して涙する)若者たち、という構図を作り出し、感動を煽ろうとする事も多いが、これなどはまさにスポ根物語的な発想に根ざしたものといえる。 |
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1980年代中盤に入ると、さわやかな作品やコミカルな作品が台頭する影で、野球漫画『[[県立海空高校野球部員山下たろーくん]]』([[こせきこうじ]])や『[[名門!第三野球部]]』([[むつ利之]])などの根性を前面に出した作品が連載され、一部読者の支持を集めた<ref name="米澤180-181">[[#米澤 2002|米澤 2002]]、180-181頁</ref>。評論家の[[米澤嘉博]]は両作品を「時代の華やかさに取り残された地味なもの」とした上で「『タッチ』の明るいさわやかなカッコよさの後に、泥臭い青春が描かれ支持されたことは記憶すべきかもしれない」と評している<ref name="米澤180-181"/>。 |
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== 主な作品 == |
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* [[あしたのジョー]] |
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* [[巨人の星]] |
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* [[1・2の三四郎]] |
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* [[タイガーマスク]] |
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* [[アタックNo.1]] |
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* [[柔道一直線]] |
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* [[柔道讃歌]] |
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* [[アニマル1]] |
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* [[赤き血のイレブン]] |
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* [[キックの鬼]] |
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* [[空手バカ一代]] |
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* [[侍ジャイアンツ]] |
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* [[エースをねらえ!]] |
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* [[サインはV]] |
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* [[コートにかける青春]] |
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* [[金メダルへのターン!]] |
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* [[美しきチャレンジャー]] |
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* [[アストロ球団]] |
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* [[キャプテン (漫画)|キャプテン]] |
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* [[プレイボール (漫画)|プレイボール]] |
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* [[スクール☆ウォーズ]] |
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* [[はじめの一歩]] |
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一方、漫画家の[[島本和彦]]は「70年代の梶原一騎的なスポ根からいったん脱却してラブコメ全盛」の時代や、編集者がスポ根ものを希望しても、どれもうまくいかない「スポ根冬の時代」を経て、1989年から連載されているボクシング漫画『[[はじめの一歩]]』([[森川ジョージ]])によってスポ根が復活したという見解を示している<ref name="ユリイカ93-94">{{Cite book|和書|author1=島本和彦|authorlink1=島本和彦|author2=斎藤宣彦|chapter=焔燃かく語りき ―『サンデー』でぼくらが学んだこと|title=ユリイカ 詩と批評 特集・週刊少年サンデーの時代|publisher=青土社|date=2014年3月号|pages=93-94}}</ref>。ただし島本は、「かっこわるい奴ががむしゃらにむしゃぶりついていくというのがよくって、また小林まことキャラが隣にいるのが絶妙なバランスなんです」と評するなど、この作品は前時代的なスポ根を踏襲したものではなく、格闘漫画『1・2の三四郎』や柔道漫画『[[柔道部物語]]』などを手掛けた小林まことのコミカルな作風を上手く活かしたものだと指摘している<ref name="ユリイカ93-94"/>。編集者の斎藤宣彦は1980年代が「スポ根冬の時代」であった点には同意を示しているものの<ref name="ユリイカ93-94"/>、同作については「主人公の少年が精進・努力し、その才能を見出す者や好敵手がいる」点から「60年代から続く正統派の『スポ根』作品」と位置付けている<ref>{{Cite book|和書|author=斎藤宣彦|chapter=週刊少年マンガ誌・風雲五十五年史|title=ユリイカ 詩と批評 特集・週刊少年サンデーの時代|publisher=青土社|date=2014年3月号|page=105}}</ref>。 |
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== 関連用語 == |
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* [[根性論]] |
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=== 2000年代以降の状況 === |
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* [[体育会系]] |
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その後も、競技そのものの魅力を伝える作品、競技をとりまく登場人物の日常や個々の内面を描く作品などといったスポーツ漫画の傾向は続いている<ref name="井上、菊131">[[#井上、菊 2012|井上、菊 2012]]、131頁</ref>。より日常生活に立脚した作品が主流となり、貧富の格差による対立軸に基づく上昇志向や、それを実現させるための過度の根性や努力といった要素が描かれることは少ない<ref name="井上、菊131"/><ref name="朝日20130313">{{Cite web|和書|url=http://book.asahi.com/booknews/update/2013031400003.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160611003337/http://book.asahi.com/booknews/update/2013031400003.html|title=ど根性なき「スポ根」まんが 名言で導き、冷めた現実描写も|publisher=BOOK.asahi.com 朝日新聞社の書評サイト|date=2013-03-13|archivedate=2013-05-01|accessdate=2013-08-31}}</ref>。 |
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* [[熱闘甲子園]] |
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* [[がんばれベアーズ]] - [[少年野球]]において「落ちこぼれ」とされる選手達と、[[マイナーリーグ]]を[[ドロップアウト]]した監督の奮闘を描いており、スポ根の変型とも取れる[[アメリカ映画]]。 |
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2003年から『[[月刊アフタヌーン]]』で連載されている野球漫画『[[おおきく振りかぶって]]』([[ひぐちアサ]])はスポーツ漫画の世界にはじめて[[関係主義]]を全面的に導入した作品と評されており<ref name="斎藤20081225">{{Cite web|和書|author=斎藤環|authorlink=斎藤環|url=https://shuchi.php.co.jp/article/1082|title=あらゆる関係はS-Mである|publisher= PHPビジネスオンライン 衆知|date=2008-12-25|accessdate=2013-09-03}}</ref>、才能や努力よりも先に他者との関係性が第一にあり、チームメイト同士や周囲を取り巻く人々の細やかな日常や心理描写が描かれた<ref name="斎藤20081225"/>。[[精神科医]]の[[斎藤環]]は『おおきく振りかぶって』以降に登場した作品のひとつで、2006年から『[[イブニング]]』で連載されているバレーボール漫画『[[少女ファイト]]』([[日本橋ヨヲコ]])の傾向について「『スポ根』とは別の意味での、きわめて勁い精神性が存在する。それはまず何より『他者への配慮』という形で現れる」と評し、かつてのスポ根における精神性と明確に区別している<ref name="斎藤20081225"/>。また、多くの野球漫画を発表している[[三田紀房]]は「今の読者にかつてのスポ根の情念は通じない」と明言し、自身の作品『[[砂の栄冠]]』では「多くの人々の支えで主人公が才能を開花させる。他者とのコミュニケーションと関係性を描いた上で感動をもたらしたい」と語った<ref name="朝日20130313"/>。 |
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一方、[[1990年代]]後半から少年漫画の世界では機転や才能を伴った作品が主流となっており、スポーツ漫画においても努力自体が勝敗を決するのではなく、機転や才能を伴ってはじめて効果を発揮するものとして描かれる傾向がある<ref name="熊代20-21">{{Cite book|和書|author=熊代亨|chapter=『巨人の星』から『ベイビーステップ』に見る変化 求められるのは努力抜きの達成感|title=[[週刊金曜日]]|volume=2015年1月16日号|asin=B00R4X7OTG|pages=20-21}}</ref>。精神科医の熊代亨はその代表例として、2007年から『[[週刊少年マガジン]]』で連載されたテニス漫画『[[ベイビーステップ]]』([[勝木光]])を挙げている<ref name="熊代20-21"/>。この作品では主人公が「努力を効率化させる才能」を持つ人物として描かれるなど、努力の位置づけが従来のスポ根とは異なっている<ref name="熊代20-21"/>。そのため、熊代は機転や才能に裏付けられたものでない愚直な努力のみでは、成長なき[[格差社会#日本|格差社会]]の下で育った読者には説得力を持ち得なくなっていると指摘している<ref name="熊代20-21"/>。こうした傾向について精神科医の斎藤環は「これまでの反動なのか、努力の新しい捉え方が広がりつつある。努力に代わる言葉として宿命論や精神論とほど遠い言葉にすれば受け入れやすいのか」としている<ref name="熊代20-21"/>。 |
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2021年にCOMIC BULL編集長の土屋萌からは、近年では漫画が1話で見切られやすい状況にある中、スポーツ漫画は盛り上がるまでに時間がかかるが「非現実的なレベルアップ」は受け入れられない傾向にあるため難易度が上がり、スポ根に限らずスポーツ漫画自体が減少しているという意見がある<ref>{{Cite web|和書|date=2021-08-01|title=「ラブコメ」「異世界転生」に押され…それでも、今こそ「スポーツ漫画」がアツいワケ。|url=https://gendai.media/articles/-/85128|website=現代ビジネス|accessdate=2021-08-01}}</ref>。 |
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== 特徴 == |
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=== 主人公とライバルの関係 === |
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スポ根作品ではライバルの存在が必須となることは定義の項で述べた通りだが、[[梶原一騎]]の作品群ではその傾向が顕著となる<ref name="宇田川">{{Cite book|和書|author=宇田川幸洋|authorlink=宇田川幸洋|chapter=特集1「あしたのジョー」アニメ化について インタビュー 高森朝雄 ちばてつや|title=[[キネマ旬報]]|publisher=[[キネマ旬報社]]|volume=1980年2月上旬号|pages=114-116}}</ref>。両者の関係は時に[[友情]]とも称されるが、梶原にとっての友情とは馴れ合いや助け合いのようなものでなく、闘争の中で互いを高め合っていくものだとしている<ref name="宇田川"/>。 |
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{{Quotation|友情ってものは、ベタベタして、キミ好き、ボク好きとか言って、おたがいに弱いところを補いあったり傷口をなめあったりするようなもんではなく、いまやさしさということが言われすぎているけど、男の友情はある意味では戦いのようなものであって、おたがいが戦って、激突して、切磋琢磨ってことばが昔あったけど切磋琢磨して、おたがいが大きく成長していくものだと<ref name="宇田川"/>。|梶原一騎}} |
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評論家の[[米澤嘉博]]はスポ根における物語性を「主人公に絶対的主点を置き、世界は主人公を中心に回っていく」「すべての登場人物やエピソードは主人公のヒーロー性を輝かせるために存在する。(中略)ライバルたちの生活や心の中が描写され、その力がどこまで描かれようと、そのライバルを倒したのだから、その主人公はますます凄いという具合に、ドラマは流れていく」と評し、[[相対主義|相対的]]な視点を有した[[手塚治虫]]の作品群とは対極にあると位置付けている<ref>[[#米澤 2002|米澤 2002]]、108-109頁</ref>。一方、梶原自身は勝負の結果として勝者と敗者の明暗が分かれたとしても、勝利のみに比重を置いたり、どちらか一方を賞賛する意図はないとしている<ref name="宇田川"/>。 |
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{{Quotation|ヒーローに対するライバルがいて、それから、燃えつきちゃう人間とささやかな暮らしをてきとうにエンジョイする人間がいる。『[[巨人の星]]』だと、最後の場面は、飛雄馬が左門の結婚式場を窓の外から見て消えていくでしょ、彼の肩はこわれちゃってて。どっちがよくて、どっちがわるいということじゃなくて、どっちがいてもいいんだ<ref name="宇田川"/>。|梶原一騎}} |
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=== 必殺技の開発 === |
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{{main|必殺技|魔球}} |
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スポ根作品において血のにじむ様な特訓や、その成果として編み出される必殺技や魔球の存在は欠かすことが出来ないが、完成に至るまでの過程は様々である。スポ根成立以前のスポーツ漫画では必殺技や魔球は主に[[忍者]]を出自に持つ競技者が取扱う[[忍術]]として描かれ、競技者はそれらの能力を当然のように身に付けているため開発の経緯も定かではなかったが<ref name="夏目172-173">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、172-173頁</ref>、後のスポ根作品群では特訓の成果として編み出されることが一般化した<ref name="夏目172-173"/>。漫画コラムニストの[[夏目房之介]]は1991年に出版した『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』の中で、スポ根作品と必殺技や魔球の関係性を[[カレーライス]]と[[福神漬]]に準え、本格的なスポーツ漫画を標榜すれば必殺技や魔球の存在は作品を台無しにすると指摘したが<ref name="夏目172-173"/>、1999年に出版した『マンガの力 成熟する戦後マンガ』では、「[[格闘技]]音痴だった私には理解できなかったが、要するにアレは格闘技の基本的な感覚を置き換えたものなのだ。マウンドから打者までの距離でやるから荒唐無稽になるが、体を接した距離ならリアリティのある発想なんじゃないか」と訂正している<ref>{{Cite book|和書|author=夏目房之介|title=マンガの力 成熟する戦後マンガ|publisher=[[晶文社]]|year=1999|isbn=4-7949-6403-X|pages=26-27}}</ref>。 |
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; 偶然型 |
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: 無意識のうちに必殺技を編み出すスタイル。本人に自覚がなく理論的裏付けがない<ref name="夏目172-173"/>。 |
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; 特訓型 |
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: ある理論に基づきそれを具現化するために特訓を行うスタイル。必殺技を編み出すために山などに籠り極限状態に至るまで特訓を試みる<ref name="夏目172-173"/>。特に[[梶原一騎]]の作品では競技の勝敗以上に必殺技の開発と自己の修練に重点が置かれる<ref name="斎藤次56">[[#斎藤次 1996|斎藤次 1996]]、56頁</ref><ref name="池田208-209">[[#池田 2003|池田 2003]]、208-209頁</ref>。必殺技を生み出すための理論、対戦相手の必殺技に対抗するための理論を事細かく構築する傾向が強いが<ref name="池田208-209"/>、その理論が現実の競技の特性に沿わない場合や<ref name="池田208-209"/>、限度を超えて身体を酷使し精神を抑圧するなど狂信的な手段に訴える場合がある<ref>[[#夏目 1991|夏目 1991]]、6-7頁</ref>。 |
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; 導師つき型 |
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: 指導者の教示の下で必殺技を編み出すスタイル。即時の習得が可能なものから特訓を必要とするものまで難易度は様々であり、選手の本能に任せて実戦の中で編み出す場合もある<ref name="夏目172-173"/>。 |
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; 特訓中の偶然型 |
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: 山籠りなどの特訓の最中に発生した突発的な事象により必殺技を編み出すスタイル<ref name="夏目172-173"/>。 |
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『[[エースをねらえ!]]』のように魔球が登場せず<ref name="tvasahi">{{Cite news|date=2009-2-28|title=SmaSTATION!!特別企画「みんながハマった女の子向けアニメ ベストセレクション20」|newspaper=テレビ朝日 |url=https://www.tv-asahi.co.jp/ss/contents/smatimes/040/index.html |accessdate=2021-10-08 }}</ref>、作中でコーチの宗方仁が魔球を否定する台詞が存在するが<ref>{{Cite book|和書|author=山本鈴美香|authorlink=山本鈴美香|title=エースをねらえ!|volume=第1巻|series=中公愛蔵版|publisher=[[中央公論新社]]|year=1989|isbn=4-12-001841-5|pages=798-799}}</ref>、同作のアニメ版ではオリジナル技「竜巻サーブ」という魔球が登場する<ref name="tvasahi" /><ref>{{Cite book|和書|author=アニメージュ編集部|title=TVアニメ25年史|publisher=[[徳間書店]]|year=1988|page=49}}</ref>。 |
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1970年代後期にはボクシング漫画『[[リングにかけろ]]』([[車田正美]])のように理論構築、必殺技の開発、自己の修練などの過程を省略し勝利という結果のみを誇張して伝える作品が登場した<ref name="夏目144-145">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、144-145頁</ref>。 |
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=== 過度のトレーニング === |
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{{main|筋力トレーニング|スポーツ障害}} |
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スポーツには日常における身体活動よりも大きな負荷のかかる運動を行うことによって効果が得られるという原則がある<ref name="厚生労働省">{{Cite web|和書|url=https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/exercise/ys-016.html|title=オーバートレーニング症候群|publisher=[[厚生労働省]]e-ヘルスネット|accessdate=2013-10-13}}</ref>。スポ根作品では選手が技術の向上や弱点克服のため特殊アイテムを使い筋力トレーニングに取り組む姿や、長時間におよんで練習に取り組む姿が描かれている。 |
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* バレーボール漫画『[[サインはV]]』では朝丘ユミが跳躍力不足という弱点を克服するために練習中に[[鉛]]入りの「ブラックシューズ」を装着する場面や<ref name="メディアファクトリー125">[[#メディアファクトリー 1992|メディアファクトリー 1992]]、125頁</ref>、朝丘のライバル・椿麻里が筋力増強と反応速度の向上のために「ブラックシューズ」に加え[[アイマスク|目隠し]]をした状態で両手両足と腰に[[ばね|バネ]]を装着し秘密練習に挑む場面が描かれている<ref name="メディアファクトリー125"/><ref name="夏目96-97">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、96-97頁</ref>。 |
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* 野球漫画『[[巨人の星]]』では主人公・星飛雄馬が筋力増強のために「大リーグ養成ギプス」を日常生活においても装着する場面や<ref>[[#小川 1997|小川 1997]]、24頁</ref><ref name="斎藤孝18-20">[[#斎藤孝 2003|斎藤孝 2003]]、18-20頁</ref>、少年時代に毎晩のように父の星一徹から「千本[[ノック (野球)|ノック]]」を受ける場面が描かれている<ref name="朝日20120725">{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/koshien/94/column/TKY201206300120.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140121031930/http://www.asahi.com/koshien/94/column/TKY201206300120.html|title=千本ノック 根性か理論か〈白球文化を科学する・東京〉|publisher=[[朝日新聞]]デジタル|date=2012-07-05|archivedate=2012-07-05|accessdate=2013-10-13}}</ref>。 |
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* 野球漫画『[[キャプテン (漫画)|キャプテン]]』では谷口、丸井、イガラシといった歴代のキャプテンの下で強豪校との試合や大会前に、学業を挟んで早朝から深夜まで長時間におよんで練習に取り組む姿が<ref name="豊福">{{Cite book|和書|author=豊福きこう|year=2000|title=水原勇気1勝3敗12S 「超」完全版|publisher=[[講談社]]|isbn=4-06-264847-4|pages=248-252}}</ref>、丸井キャプテンの代には1日に3試合の日程で12日間に全国大会出場の9校を含む36校と練習試合を行う姿が描かれている<ref name="豊福"/>。 |
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こうしたトレーニングを現実に行った場合には様々な問題が発生する可能性がある{{#tag:ref|「ブラックシューズ」「ブラックシューズ、両手両足と腰にバネ」「大リーグ養成ギプス」のような筋力トレーニングによって、[[ボディビル]]のような強固な筋肉を身につけたとしても技術向上には結びつかないことが指摘されている<ref name="斎藤孝18-20"/><ref>{{Cite book|和書|author=立花龍司|authorlink=立花龍司|year=2012|title=運動の「できる子」にする!12歳までに取り組みたい89のトレーニング|publisher=[[東邦出版]]|isbn=978-4-8094-1067-3|page=6}}</ref>。また「千本ノック」のような反復練習に関しては初心者が技術を習得する上では有効であり<ref name="斎藤孝84-89">[[#斎藤孝 2003|斎藤孝 2003]]、84-89頁</ref>、繰り返し行うことで基礎技術の習得が可能となるが<ref name="朝日20120725"/><ref name="斎藤孝84-89"/>、目的意識もなく漠然と反復練習を繰り返せばフォームが固定化されてしまい想定外の事態に対応できなくなる恐れがある<ref name="朝日20120725"/>。|group=注}}{{#tag:ref|大きな負荷のかかる運動が続き疲労状態にあるのにもかかわらずトレーニングを継続し、なおかつ栄養補給や休養が不十分な場合には「[[集中力]]や[[記憶|記憶力]]の低下」「[[不眠症]]」「[[食欲|食欲低下]]」「[[心拍数]]や[[血圧]]の上昇」などといった症状の[[オーバートレーニング|オーバートレーニング症候群]]を発症する恐れがある<ref name="厚生労働省"/>。オーバートレーニング症候群を発症した場合には競技成績や練習効果は低下し、重症の場合には休養が長期間に延び競技への復帰が困難となる恐れもある<ref name="厚生労働省"/>。|group=注}}。[[アスレティックトレーナー]]の[[立花龍司]]はスポ根作品内で描かれている過度の筋力トレーニング、1日間に複数の試合への出場、試合後の居残り練習などといった指導法は少年期の選手を指導する上では不必要であり<ref name="立花2008">{{Cite book|和書|author=立花龍司|title=少年スポーツ体のつくり方!|publisher=西東社|year=2008|isbn=978-4-7916-1518-6|page=19}}</ref>、例えば[[野球]]の[[投手]]であれば投球数を制限するなどの配慮がなされるべきであると指摘している<ref name="立花2008"/>。 |
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=== 鬼コーチの存在 === |
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{{main|スパルタ教育}} |
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スポ根作品では登場人物を育成するために過酷なトレーニングを課す指導者の姿が描かれている。代表例としては『巨人の星』の星一徹<ref>[[#小川 1997|小川 1997]]、1-2頁</ref>、『[[柔道一直線]]』の車周作<ref name="メディアファクトリー119">[[#メディアファクトリー 1992|メディアファクトリー 1992]]、119頁</ref>、『サインはV』の牧圭介<ref name="メディアファクトリー124">[[#メディアファクトリー 1992|メディアファクトリー 1992]]、124頁</ref>、『[[エースをねらえ!]]』の宗方仁<ref name="エース">{{Cite web|和書|url=http://www.tms-e.com/search/index.php?pdt_no=75|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110518205629/http://www.tms-e.com/search/index.php?pdt_no=75|title=エースをねらえ!|publisher=トムス・エンタテインメント|archivedate=2011-05-18|accessdate=2013-10-13}}</ref>などが挙げられるが、しばしば「[[鬼]]<ref name="メディアファクトリー119"/><ref name="メディアファクトリー124"/>」「鬼コーチ<ref name="エース"/>」と形容される。彼らの一部は現役選手としての夢が破れた存在であり、例えば星は「幻の名三塁手」と称されたが「魔送球」を否定されたため球界を去り<ref name="巨人">{{Cite web|和書|url=http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=1|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200525170205/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=1|title=巨人の星|publisher=トムス・エンタテインメント|archivedate=2020-05-20|accessdate=2016-03-18}}</ref>、車は必殺技「地獄車」により死亡事故を起こしたため柔道界を去り<ref>{{Cite book|和書|author1=梶原一騎 原作|authorlink1=梶原一騎|author2=永島慎二 作画|authorlink2=永島慎二|author3=高森篤子 監修|title=[[柔道一直線]]|volume=完全復刻版 第壱巻|publisher=[[ネコ・パブリッシング]]|year=2004|isbn=978-4-7770-5040-6|page=62}}</ref>、宗方は世界的選手になる素質を持ちながら死期を宣告されたため指導者に転身している<ref name="夏目102">[[#夏目 1991|夏目 1991]]、102頁</ref>。彼らは、自らの果たせなかった夢や理想を選手に託し<ref name="ジョー2"/><ref name="巨人"/><ref name="夏目102"/>、時には名言を用いて教え諭す役割を担っている<ref name="アサ芸20151104"/><ref>{{Cite book|和書|title=Sports Graphic Number PLUS|volume=ナンバー35周年特別号 スポーツマンガ最強論|publisher=文藝春秋|year=2015|page=79}}</ref>。 |
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鬼コーチの指導について[[2013年]][[3月13日]]付けの『[[朝日新聞]]』は指導者への絶対服従というスポーツ観が社会全体に行き渡っていたことを反映したものとした上で、「スポ根ものでは、しごき、カリスマ的指導者、鉄拳制裁がいわば[[三種の神器]]であり、読者にカタルシスを与える道具だった」と評しているが<ref name="朝日20130313"/>、漫画評論家の[[紙屋高雪]]は「肉体の酷使はあっても体罰をスポ根の必要条件と見做すのは無理がある」と指摘している<ref name="紙屋125"/>。中でも『巨人の星』の星一徹については「激高し[[ちゃぶ台]]をひっくり返す」「[[竹刀]]で叩く」といった狂信的な指導者としてのイメージが定着しているが<ref>[[#小川 1997|小川 1997]]、32頁</ref>、こうした「[[ちゃぶ台返し]]」「竹刀での制裁」といった行為は原作漫画においては全く描かれておらず<ref name="小川33">[[#小川 1997|小川 1997]]、33頁</ref>、テレビアニメでの過剰な演出によって視聴者に狂信的なイメージが定着したのではないかと指摘されている<ref name="小川33"/>。 |
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== 影響 == |
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=== 社会的影響 === |
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日本国内のスポーツ競技の[[集団主義]]や[[精神主義]]といった事情とスポ根を結びつける指摘があり<ref name="大衆文化事典"/><ref name="井上、菊142">[[#井上、菊 2012|井上、菊 2012]]、142頁</ref>、スポ根作品がそうした価値観を推奨した影響により[[学生スポーツ]]において過度の練習や[[体罰]]を後押しする結果となったという見方が生まれた<ref name="東京20130506"/>。アスレティックトレーナーの[[森本貴義]]は、日本人のスポーツに対する「きつい」「つらい」などといった否定的なイメージ形成にスポ根作品からの影響を指摘している<ref>{{Cite book|和書|author=森本貴義|authorlink=森本貴義|title=カラダ×ココロ改善計画|publisher=PHP研究所|year=2009|isbn=978-4-569-77313-1|page=17}}</ref>。スポーツ教育学などを専門とする[[友添秀則]]も一連の作品群が一般大衆へのスポーツ根性の定着を後押ししたものと見ている<ref name="友添55"/>。 |
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例えば1960年代から1970年代当時、部活動などの現場では[[ウサギ跳び]]やアヒル歩きのような[[半月板]]や[[膝関節]]に負担が掛かる<ref>{{Cite book|和書|author=伊能良紀|title=図解入門 よくわかる膝関節の動きとしくみ|publisher=[[秀和システム]]|year=2014|isbn=978-4-7980-4068-4|page=94}}</ref>ばかりで実質的な効果の少ない運動法が推奨されていたが<ref>{{Cite book|和書|author=加藤英明、山崎尚志|title=野球人の錯覚|publisher=[[東洋経済新報社]]|year=2008|isbn=978-4-492-04304-2|page=25}}</ref>、これらは[[運動生理学]]を知らない指導者達が漫画やドラマの影響を受けて部員に対して課したものだとする指摘がある<ref name="t-baby">{{Cite book|和書|author=t-baby|title=奇跡が起きる筋肉トレーニング|publisher=[[PHP研究所]]|year=2008|isbn=978-4-569-69932-5|pages=116-117}}</ref>。 |
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スポ根ブームの渦中には学校の部活動において練習中の事故や、退部を申し出た生徒が部員から暴行を受けるなどの事件が多発したが<ref>{{Cite book|和書|chapter=女生徒リンチを調査 墨田区教委|title=[[読売新聞]]|volume=1970年7月21日 夕刊 4版 8面}}</ref>、そのうちの1965年に発生した[[東京農業大学ワンダーフォーゲル部死のシゴキ事件|東京農業大学ワンダーフォーゲル部のリンチ殺人事件]]、1970年に発生した[[拓殖大学]]空手愛好会の集団暴行事件、都内の中学校に通う女子バスケットボール部員への暴行事件はスポーツ根性と関連付けて報じられた<ref name="友添53-54">[[#友添 2016|友添 2016]]、53-54頁</ref><ref>{{Cite book|和書|chapter=シツケ怠った大人 ゆがめられた根性 女子中リンチ|title=読売新聞|volume=1970年7月22日 14版 4面}}</ref>。また、1968年に発生したマラソン選手の[[円谷幸吉]]の自殺についても、根性礼賛の中で生まれた事件として報じられた<ref name="友添53-54"/><ref>{{Cite book|和書|chapter=根性礼賛の悲劇 円谷選手自殺の背景|title=[[朝日新聞]]|volume=1968年1月10日 12版 14面}}</ref>。 |
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ただし、日本国内のスポーツ競技における集団主義や精神主義は、[[明治時代]]に政府がスポーツを奨励したことを契機に各学校内に[[クラブ活動|体育会]]が組織された当時から形成されてきたものである<ref name="井上、菊142"/>。組織内の上下関係を背景とした指導や、ひたすら鍛錬を積み勝利のみを追求する価値観は[[第二次世界大戦]]後の民主化の流れの中でも温存され<ref name="井上、菊143">[[#井上、菊 2012|井上、菊 2012]]、143頁</ref>、スポ根作品が支持を得た1960年から1970年代当時の日本のスポーツ界では厳しい指導が常態化していた<ref name="東京20130506"/>。こうした経緯から、漫画編集者の[[角南攻]]は「是非はともかく、スポ根の全盛期はどこの部活動やプロ競技でもしごきや体罰が蔓延していた。そうした世相が描写に反映された」と評している<ref name="東京20130506"/>。また[[東京女子体育大学]]教授の阿江美恵子は「しごきや体罰によって結果を出した選手は現実には一定数いる。そうした選手が指導者側となって自ら経験した指導法を[[再生産]]した側面はある。しかし、それは漫画の影響というより、成果を意識したプレッシャーや指導者の能力不足に起因する」と指摘している<ref name="東京20130506"/>。 |
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1980年代以降、科学的な分析に基づく効率的なトレーニング方法の導入によりスポーツ界の内情も変化を遂げているが<ref name="東京20130506"/>、一部の現場では「しごき」の強要といった古典的な指導法が残されている<ref name="井上、菊143"/>。2013年5月、[[文部科学省]]の有識者会議は[[大阪市立桜宮高等学校]]のバスケットボール部員が指導者から体罰を受けたことを苦に[[自殺]]した事件を受けて、部活動中において指導者が部員に対して過度な肉体的、精神的負荷を与える行為を禁止するガイドラインを示した<ref name="スポニチ20130511">{{Cite web|和書|url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/05/11/kiji/K20130511005779720.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130609003139/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/05/11/kiji/K20130511005779720.html|title=消える星飛雄馬 炎天下の“スポ根”ランニングは禁止|publisher=スポニチ Sponichi Annex|date=2013-05-11|archivedate=2013-06-09|accessdate=2013-08-31}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/jyujitsu/1335529.htm|title=運動部活動での指導のガイドラインについて|publisher=[[文部科学省]]|accessdate=2013-10-19}}</ref>。このガイドラインについて『[[スポーツニッポン]]』紙は「往年の『[[巨人の星]]』のような限度を超えたスポ根ヒーローの出現は難しくなった」と報じた<ref name="スポニチ20130511"/>。 |
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=== 文化的影響 === |
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; [[手塚治虫]] |
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: 漫画家の[[手塚治虫]]は生涯に渡って様々な題材の漫画作品を発表したが、スポーツや格闘技の世界を描くことはなかった<ref name="米澤185">{{Cite book|和書|author=米澤嘉博|authorlink=米澤嘉博|title=手塚治虫マンガ論|publisher=[[河出書房新社]]|year=2007|isbn=978-4-309-26959-7|page=185}}</ref><ref>[[#桜井 1990|桜井 1990]]、155頁</ref>。その背景には熱血スポーツものの源流となった[[福井英一]]への対抗心や<ref>[[#米澤 2002|米澤 2002]]、205頁</ref>、庶民的かつ大衆娯楽的な価値観への忌避感があったといわれる<ref name="米澤185"/>。手塚自身は戦前と戦後で価値観が大きく転換したことへの諦めの感情から、主人公に深入りできなくなりシラケてしまうことを理由に挙げている<ref>{{Cite book|和書|author=手塚治虫|authorlink=手塚治虫|title=虫られっ話 続 手塚治虫対談集|publisher=[[潮出版社]]|year=1995|isbn=4-267-01373-X|pages=143-144}}</ref>。また、手塚の弟子にあたる[[トキワ荘]]グループについても、その多くが[[サイエンス・フィクション|SF作品]]を手掛けていたことや、梶原とコンビを組む作家の多くが[[劇画]]漫画家だったこともあり、梶原との接点はなかった<ref>[[#大塚 2001|大塚 2001]]、40頁</ref>。 |
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: 手塚は1960年代後半のスポ根ブームの際、[[室町時代]]を舞台とした『[[どろろ]]』を連載した。この作品において、父・醍醐景光の権威欲のために生まれながらに全身48か所の部位を失う[[障害者|身体的なハンデ]]を背負った主人公・百鬼丸を登場させ、妖怪との戦いの中で各部位を取り戻すとともに自己を確立させていく姿を描いた<ref>[[#桜井 1990|桜井 1990]]、156頁</ref>。社会学者の[[桜井哲夫 (社会学者)|桜井哲夫]]は、景光と百鬼丸の関係は『巨人の星』の一徹と飛雄馬の関係への皮肉であり、隠された執筆の動機ではないかと指摘している<ref name="桜井158">[[#桜井 1990|桜井 1990]]、158頁</ref>。さらに、この時期を境に[[ロック・ホーム|間久部緑郎]]をはじめ[[パターナリズム|父権的]]な価値観に反する登場人物を描く傾向が強まったといわれる<ref name="桜井158"/>。 |
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; [[料理・グルメ漫画]] |
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: [[料理・グルメ漫画]]における「公開の場での料理対決やその模様を実況中継という形で解説する」といった手法は従来の野球漫画から伝播したもので<ref name="斉藤宣188-189">[[#斉藤宣 2011|斉藤宣 2011]]、188-189頁</ref>、1970年代に『週刊少年ジャンプ』で連載された『[[包丁人味平]]』(原作:[[牛次郎]]、作画:[[ビッグ錠]])などで導入された後、1990年代に料理人同士の対決を扱ったバラエティテレビ番組『[[料理の鉄人]]』に受け継がれた<ref name="斉藤宣188-189"/>。 |
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: また、スポ根における「問題を解消するために特訓を繰り返し、その成果として必殺技を生み出す」といった手法も実況中継の手法に続いて伝播した<ref name="斉藤宣172-173">[[#斉藤宣 2011|斉藤宣 2011]]、172-173頁</ref>。「魔球」や「必殺技」の要素は「アイデア料理」「アイデア料理法」へと形を変え1980年代に『[[月刊少年マガジン]]』で連載された『[[スーパーくいしん坊]]』(原作:牛次郎、作画:ビッグ錠)や、『週刊少年マガジン』で連載された『[[ミスター味っ子]]』([[寺沢大介]])などの作品に受け継がれた<ref name="斉藤宣172-173"/>。 |
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; [[特撮]] |
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: [[東映]]制作の特撮番組ではスポ根の影響を受け『タイガーマスク』のような子供の変身願望を満たす仮面ヒーロー作品を企画し<ref>[[#池田、高橋 1993|池田、高橋 1993]]、22-23頁</ref>1971年から1973年にかけて[[MBSテレビ|毎日放送]]・[[テレビ朝日|NET]]系列で『[[仮面ライダー]]』が放送された。この作品では優れた身体能力を有する主人公・[[仮面ライダー1号|本郷猛]]が国際的秘密組織・[[ショッカー]]に改造手術を受けたことにより人間離れした能力を手にしたが、第13話のトカゲロン戦では未知の能力を引き出す手段として[[立花藤兵衛]]の下で特訓に挑む姿が描かれた<ref name="池田、高橋40-43">[[#池田、高橋 1993|池田、高橋 1993]]、40-43頁</ref>。その後、第31話のアリガバリ戦では[[仮面ライダー2号|一文字隼人]]が<ref>{{Cite web|和書|author=鈴木美潮|url=https://imidas.jp/jijikaitai/l-40-167-13-04-g492|title=昭和の特撮ヒーローが伝えたかったこと 過去のヒーローたちが残してくれたメッセージを思い返す|work=情報・知識&オピニオン imidas|publisher=[[集英社]]|date=2013-04-12|accessdate=2021-01-30}}</ref>、第94話の[[ショッカーライダー]]戦では両者が特訓に挑む姿が描かれた<ref name="池田、高橋40-43"/>。ただし、作品自体はスポ根ものだけでなく既存の[[第一次怪獣ブーム|怪獣もの]]や妖怪ものの要素を取り入れたもので、以降の[[仮面ライダーシリーズ]]においても視聴者層の少年達が好む様々な要素が取り入れられた<ref>[[#池田、高橋 1993|池田、高橋 1993]]、202-203頁</ref>。 |
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: [[円谷プロダクション]]制作の特撮番組でも1970年代当時の「スポ根ブーム」の影響を受けて、1971年から1972年にTBS系列で放送された『[[帰ってきたウルトラマン]]』の第4話では主人公・郷秀樹が特訓の末に新必殺技を生み出し敵怪獣の弱点を突いて勝利する場面が描かれた<ref name="ウルトラ">{{Cite book|和書|author=ブレインナビ|title=ウルトラマンは時代を映す鏡だ!|publisher=[[PHP研究所]]|year=2012|isbn=978-4-569-67724-8|pages=65-66,110-111}}</ref>。また、1974年から1975年に放送された『[[ウルトラマンレオ]]』では、主人公・おゝとりゲンが特訓を重ねて必殺技を身に付けると共に精神的に成長する姿が描かれるなどスポ根的な手法が定番となっており<ref name="ウルトラ"/>、鬼コーチ役の[[ウルトラセブン (キャラクター)|モロボシ・ダン]]から課せられる「ブレーキの利きが甘い[[ジープ]]に追いかけられる」などの過酷な特訓シーンは語り草となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002473.000001355.html|title=人気作「ウルトラマンレオ」をハイビジョンで放送!おおとりゲン役の真夏竜が撮影当時を振り返る!|publisher=PR TIMES|date=2014-12-24|accessdate=2015-12-25}}</ref>。 |
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; 音楽・芸能もの |
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: スポーツと芸能界という舞台は一見すると接点はないが、大舞台での熾烈な主導権争いや、ライバルとの競争に勝ち抜くために努力という代価が支払われる、といった競争原理において相通ずるといわれる<ref>[[#吉田 2004|吉田 2004]]、179頁</ref>。アニメでは、スポ根における「困難な環境にあっても屈することなく這い上がる」要素を全面に取り入れ薄幸の少女が歌手として成功するまでを描いた「音楽根性もの」が企画され1971年に『[[さすらいの太陽]]』が放送された<ref name="アニメ・特撮">{{Cite book|和書|author=藤川桂介|authorlink=藤川桂介|title=アニメ・特撮ヒーロー誕生のとき―ウルトラマン、宇宙戦艦ヤマトから六神合体ゴッドマーズまで|publisher=ネスコ|year=1998|isbn=4-89036-979-1|pages=61-66}}</ref>。この作品は音楽アニメの先駆けとなった作品とされており<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mushi-pro.co.jp/2010/09/%E3%81%95%E3%81%99%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%AE%E5%A4%AA%E9%99%BD/|title=さすらいの太陽|publisher=[[虫プロダクション|虫プロダクション株式会社]]|accessdate=2013-09-22}}</ref>、日本では全26話で打ち切りとなったが[[フランス]]や[[イタリア]]で人気を獲得した<ref name="アニメ・特撮"/>。その後、音楽や芸能界を扱ったアニメ作品は様々な変遷をたどるが、同作品が打ち出した様々な試練や悲劇性を前面に出したストーリー展開は、サクセスストーリーを描く上で欠かせないものとして定型化した<ref>[[#吉田 2004|吉田 2004]]、182頁</ref>。 |
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: 少女漫画では1976年から[[演劇]]を題材とした『[[ガラスの仮面]]』([[美内すずえ]])が連載されているが、少女の夢と魅力を中心に描きながらも、スポ根作品の物語構造や人物設定を取り入れ換骨奪胎した作品と評されている<ref>[[#米澤 2007|米澤 2007]]、318-319頁</ref>。 |
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; [[戦闘美少女]] |
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: フィクション作品には[[戦闘美少女]]というキャラクター類型があるが<ref name="斉藤153-154">{{Cite book|和書|author=斎藤環|year=2000|title=戦闘美少女の精神分析|publisher=[[太田出版]]|isbn=4-87233-513-9|pages=153-154}}</ref>、『[[アタックNo.1]]』をはじめとした女子競技を扱ったスポ根作品もその類型に含まれるとされている<ref name="斉藤153-154"/>。戦闘美少女を扱った作品で[[1988年]]に[[ガイナックス]]により『[[トップをねらえ!]]』という[[サイエンス・フィクション|SF]][[ロボットアニメ]]が制作され、[[美少女]]・[[ロボットアニメ|巨大ロボット]]・スポ根という3つの要素を組み合わせた作品となったが<ref>{{Cite web|和書|author=氷川竜介|authorlink=氷川竜介|url=https://www.b-ch.com/titles/247/?ttl_c=247|title=ここがみどころ|work=トップをねらえ!|publisher=バンダイチャンネル|accessdate=2013-06-08}}</ref>、この作品において登場人物が健気や可愛らしさといった「少女らしさ」を犠牲にすることなく戦う姿を描いたことで戦闘美少女という表現の可能性を広げることになったと評されている<ref name="斉藤153-154"/>。 |
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; [[ギャグ漫画]] |
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: 1970年代後半に入りスポ根におけるシリアスな展開、芝居がかった演出、精神主義は野球漫画『[[1・2のアッホ!!]]』([[コンタロウ]])や『[[すすめ!!パイレーツ]]』([[江口寿史]])などの作品により[[笑い]]の対象となったが<ref name="米澤154-156"/>、漫画家の[[島本和彦]]は学園漫画『[[炎の転校生]]』において、根性を冷笑的にとらえるのではなくリスペクトを踏まえつつ過剰に描き込んだ<ref name="夏目140-141">{{Cite book|和書|author=夏目房之介|authorlink=夏目房之介||title=マンガの居場所|publisher=[[エヌ・ティ・ティ出版|NTT出版]]|year=2003|isbn=4-7571-5039-3|pages=140-141}}</ref><ref>{{Cite book|和書|chapter=特集 少年サンデーの時代|title=ユリイカ|volume=2014年3月号|publisher=青土社|page=213}}</ref>。その後、島本は『[[逆境ナイン]]』や『[[吼えろペン|燃えよペン]]』などの作品で読者に笑いと熱気の双方を提供する「熱血ギャグ」の作風を確立している<ref name="夏目140-141"/>。島本は後にゲーム[[パワプロアプリ]]でも熱血ギャグスポ根を手掛けている。<ref>[https://dengekionline.com/articles/29093/ アプリ『パワプロ』島本和彦さん原案の新シナリオ配信]</ref> |
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; 2010年代の状況 |
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: [[2010年代]]に入り、[[おたく|オタク系]]コンテンツでは従来の[[空気系]]に代わり、学園ものにスポ根的な要素を取り入れた『[[ラブライブ!]]』や『[[ガールズ&パンツァー]]』などの作品が支持を集めている<ref name="リアルサウンド">{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/movie/2015/08/post-23.html?utm_source=nikkan&utm_medium=red&utm_campaign=ctr|title=『ラブライブ!』映画はなぜロングヒットした? さやわかが作品の構造から分析|publisher=Real Sound|date=2015-08-07|accessdate=2015-08-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2047284/full/|title=芸能界にファン多数、“聖地”神田明神は初詣客殺到 今さら聞けない『ラブライブ!』入門|publisher=オリコン|date=2015-01-16|accessdate=2015-08-10}}</ref>。評論家の[[さやわか]]は『ラブライブ!』について「これまでの[[萌え]]要素に加え、登場人物達が努力する姿を応援するものとして発展したことで、従来とは異なるファン層を獲得することに成功した」と評している<ref name="リアルサウンド"/>。 |
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; [[携帯型ゲーム]] |
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: 携帯型ゲームにおいても野球ゲームの一つである[[パワプロクンポケットシリーズ]]においては、スポ根的な要素が取り入れられているが、その要素の取り入れ方は一捻りされたものである。つまり、従来の主人公とライバルの関係が逆転しているのである。 |
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::例えば[[パワプロクンポケット13]]「逆襲球児編」に於いては、野球エリートとして恵まれた人生を送ってきた主人公<ref>ファミ通『パワプロ:クンポケット13公式パーフェクトガイド』P34によれば、中学生の頃に県大会で優勝した経験がある。</ref>が僻地の分校に転校させられ、根性で立ち上がろうとする。<ref>ファミ通『パワプロクンポケット13公式パーフェクトガイド』P36</ref>つまり巨人の星で言えば主人公のライバル・花形に相当する人物が主人公になっている。その主人公が逆境に陥り、それを克服することが主題になっている。逆に主人公の敵役として実力はないが努力で主人公に追いつこうとする[[矢部明雄|餅田浩紀]]が登場し、主人公の前に立ちはだかる。このゲームを開発したゲームクリエイターの[[西川直樹]]は「昔の(スポ根)野球漫画であれば彼(餅田)が主役でいける」<ref>ファミ通『パワプロクンポケット13公式パーフェクトガイド』「開発者インタビュー」P436の西川の発言より</ref>と話しており、意図的に従来型スポ根を逆転させようとしていたことがわかる。 |
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== 主な作品 == |
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!作品名!!種目||連載期間||ドラマ化||アニメ化||出典 |
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|[[赤き血のイレブン]]||[[サッカー]]||1970-1971||-||1970-1971||<ref name="大衆文化事典"/><ref name="東京20130506"/> |
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|[[あしたのジョー]]||[[ボクシング]]||1968-1973||-||1970-1971 他||<ref name="大衆文化事典"/><ref name="東京20130506"/> |
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|[[アストロ球団]]||[[野球]]||1972-1976||2005||-||<ref name="東京20130506"/> |
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|[[アタックNo.1]]||[[バレーボール]]||1968-1970||2005||1969-1971||<ref name="大衆文化事典"/><ref name="現代風俗史年表"/><ref name="東京20130506"/> |
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|[[アニマル1]]||[[レスリング]]||1967-1968||-||1968||<ref name="テレビ文化">{{Cite book|和書|author=井上宏|authorlink=井上宏|title=テレビ文化の社会学|publisher=[[世界思想社]]|year=1987|isbn=4-7907-0312-6|page=162}}</ref> |
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|[[美しきチャレンジャー]]||[[ボウリング]]||1971||1971||-||<ref name="ウルトラ"/> |
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|[[エースをねらえ!]]||[[テニス]]||1973-1980||2004||1973-1974 他||<ref name="大衆文化事典"/><ref name="東京20130506"/> |
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|[[男どアホウ甲子園]]||野球||1970-1975||-||1970-1971||<ref name="テレビ文化"/> |
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|[[空手バカ一代]]||[[空手]]||1971-1977||-||1973-1974||<ref name="東京20130506"/><ref name="井上、菊142">[[#井上、菊 2012|井上、菊 2012]]、142頁</ref> |
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|[[キックの鬼]]||[[キックボクシング]]||1969-1971||-||1970-1971||<ref name="大衆文化事典"/> |
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|[[巨人の星]]||野球||1966-1971||-||1968-1971 他 ||<ref name="大衆文化事典"/><ref name="戦後史大事典"/><ref name="東京20130506"/> |
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|[[金メダルへのターン!]]||[[水泳]]||1969-1970||1970-1971||-||<ref name="大衆文化事典"/><ref name="現代風俗史年表"/> |
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|くたばれ!!涙くん||サッカー||1969-1970||-||-||<ref name="現代風俗史年表"/> |
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|[[コートにかける青春]]<br />[[スマッシュをきめろ!]]||テニス||1969||1971-1972||-||<ref name="現代風俗史年表"/> |
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|[[サインはV]]||バレーボール||1968-1970||1969-1970 他 ||-||<ref name="大衆文化事典"/><ref name="現代風俗史年表"/><ref name="東京20130506"/> |
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|[[侍ジャイアンツ]]||野球||1971-1974||-||1973-1974||<ref name="東京20130506"/> |
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|[[柔道一直線]]||[[柔道]]||1967-1971||1969-1971||-||<ref name="大衆文化事典"/><ref name="現代風俗史年表"/> |
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|[[柔道讃歌]]||柔道||1972-1975||-||1974||<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.moviesquare.jp/tmo/catalog.aspx?c=jyudo|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100817015837/http://www.moviesquare.jp/tmo/catalog.aspx?c=jyudo|title=柔道讃歌|publisher=アニメの殿堂ムービースクエア|archivedate=2010-08-17|accessdate=2015-08-30}}</ref> |
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|[[タイガーマスク]]||[[プロレス]]||1968-1971||-||1969-1971||<ref name="大衆文化事典"/><ref name="東京20130506"/> |
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|ビバ!バレーボール||バレーボール||1968-1971||-||-||<ref>[[#小学館漫画賞事務局 2006|小学館漫画賞事務局 2006]]、117頁</ref> |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|25em}} |
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== 参考文献 == |
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* [[夏目房之介]]『消えた魔球:熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』([[双葉社]]、タイトルは『巨人の星』の消える魔球のパロディ)ISBN 4575281174 |
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* {{Citation|和書|author=[[池田憲章]]、[[高橋信之 (出版プロデューサー)|高橋信之]] 編著|title=ウルトラマン対仮面ライダー メガヒーロー 光と影の神話|publisher=[[文藝春秋]]|year=1993|isbn=4-16-347170-7|ref=池田、高橋 1993}} |
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* {{Citation|和書|author=[[宮原照夫]]|title=実録!少年マガジン名作漫画編集奮闘記|publisher=講談社|year=2005|isbn=4-06-364654-8|ref=宮原 2005}} |
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* {{Citation|和書|editor=[[メディアファクトリー]]|title=ノスタルジックTVグラフ|publisher=メディアファクトリー|year=1992|isbn=4-88991-253-3|ref=メディアファクトリー 1992}} |
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* {{Citation|和書|author=森田六郎|title=日本人の心がわかる日本語|publisher=[[アスク (出版社)|アスク]]|year=2011|isbn=978-4-87217-786-2|ref=森田 2011}} |
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* {{Citation|和書|author=[[山崎敬之]]|title=テレビアニメ魂|publisher=講談社|year=2005|isbn=4-06-149789-8|ref=山崎 2005}} |
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* {{Citation|和書|author=[[吉田正高]]|title=二次元美少女論-オタクの女神創造史|publisher=[[二見書房]]|year=2004|isbn=4-576-04124-X|ref=吉田 2004}} |
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* {{Citation|和書|author=[[米澤嘉博]]|title=戦後少女マンガ史|publisher=[[筑摩書房]]|year=2007|isbn=978-4-480-42358-0|ref=米澤 2007}} |
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* {{Citation|和書|author=米澤嘉博|title=戦後野球マンガ史-手塚治虫のいない風景|publisher=[[平凡社]]|year=2002|isbn=4-582-85154-1|ref=米澤 2002}} |
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== 関連項目 == |
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* [[体育会系]] |
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* [[日本の高校野球]]([[全国高等学校野球選手権大会]]・[[選抜高等学校野球大会]]) |
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* [[女子柔道強化選手への暴力問題]] |
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2024年11月23日 (土) 14:08時点における最新版
スポ根(スポこん)は、日本の漫画・アニメ・ドラマにおけるジャンルの一つ。「スポーツ」と「根性」を合成した「スポーツ根性もの」の略語[1][2]。このジャンルの作品を「スポ根漫画」「スポ根アニメ」「スポ根ドラマ」と呼ぶ。
定義
[編集]狭義のスポ根とは、1960年代から1970年代の日本の高度経済成長期に一般大衆の人気を獲得したジャンルであり[1]、メキシコ五輪が開催された1968年前後に人気のピークを迎えた[1]。定義について漫画評論家の米澤嘉博は『戦後史大事典』の中で次のように記している。
これに対し漫画編集者の南信長は「等身大の主人公が根性と努力で勝利を目指す」ものを正統的なスポ根としているが[3]、漫画評論家で編集者の村上知彦らは「特訓の成果として編み出す必殺技」の要素[1][4]や「努力型主人公と天才型ライバルの対比」の要素[1][4]、京都精華大学教授で京都国際マンガミュージアム研究員の吉村和真は「過激な特訓」の要素を加え次のように記している[5]。
努力型の主人公が血のにじむ特訓を重ね超人的な必殺技を編み出し天才型のライバルに勝利するといった図式化されたストーリー — 『大衆文化事典』[1]
いずれの主人公も、身辺の苦難に耐え、過激な特訓を自らに課し、いくども挫折を味わいながら、不屈の闘志と根性で乗り越えていく — 『スポーツの百科事典』[5]
主人公が努力と根性でひたむきに競技に取り組み、特訓を重ね、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて成長を遂げてライバルとの勝負に打ち勝っていくのだが[6][7]、主人公が背負った苦労を強調させるために、スポーツ選手としての天性の素質を持ち容易く主人公を打ち破ることが出来るライバルの存在は必須であり[7]、貧困層出身の主人公に対し富裕層出身のライバル、といった対比構図も盛り込まれた[7][8]。こうした弱者が強者に努力と根性で立ち向かうストーリー構成は高度成長期に一般大衆が抱いていた「欧米諸国に追いつき追い越せ」という価値観と一致するものであり[1][6]、当時の読者に支持された[1]。なお、教育評論家の斎藤次郎は「スポーツの世界に生きるヒーローの世界をそれぞれの固有の面白さで味つけした程度なら単に『スポーツもの』で、『スポ根』となると悲劇的なまでに苦行が描かれなければならない」としている[9]。また、1980年代以降に少年層や女性層の人気を獲得した『週刊少年ジャンプ』の中心テーマ「友情・努力・勝利」とスポ根を同一視する例もあるが[10]、桃山学院大学准教授の高井昌吏は「『週刊少年ジャンプ』における『男の物語』は、1970年代前後のような『禁欲的な男たちの物語』ではない。その点には注意が必要である」としている[11]。
広義のスポ根とは、実際の選手が「あるスポーツに打ち込んでやり遂げようとする[12]」「一つのスポーツにひたすら打ち込み、努力を重ねる[13]」などの精神、「主人公がスポーツの勝負を通じて技術的・精神的に成長する姿を描いたビルドゥングスロマン[14]」とされる。なかには、思考能力を競うマインドスポーツを扱った作品や[15][16]、スポーツの範疇を超えて競技志向の強い文化系部活動を扱った作品を「スポ根」[17]や「文化系スポ根」として紹介する例や[16]、「スポ根風青春コメディ」「スポ根コメディ」などの言葉で紹介されている例もあるが[18][19]、本記事では狭義のスポ根作品について紹介する。
背景
[編集]「根性」とは元々は仏教用語で「その人が生まれながらに持ち合わせる性質」を意味する言葉だが[20]、日本のスポーツ界において「困難な状況にあっても屈することなく物事をやり通す意思や精神力」を意味する言葉として用いられてきた[21]。肯定的な用法には「根性で勝ち取った」、否定的な用法には「根性が足りない」「根性を鍛え直す」などがある[22]。
日本には明治時代から欧米発祥の様々なスポーツが輸入されてきたが社会的交流の手段としての側面に関心は払われず、技術向上と勝利の追求のみに関心が払われた[23]。それらを実現するための指導法と強化体制の確立が重視されてきたが[23]、その中で登場したのが「根性」という言葉だった。精神に訴えかける言葉自体は第二次世界大戦後に非科学的として敬遠されていたが[24]、1964年に行われた東京オリンピックにおいてバレーボール全日本女子を率いた大松博文やレスリング日本代表を率いた八田一朗が精神論を前面に出した厳格な練習方法を導入して成果を挙げた[24][25]。大松や八田の影響により厳しさに耐え抜き努力する姿勢を尊ぶ風潮が生まれ、スポーツ界のみならず一般社会においても「根性」という言葉が普及するに至った[24]。
一方、「根性」という言葉は時には競技に関わる上での動機づけ、厳しい練習に耐え得る忍耐力、試合に挑む上での集中力の意味で用いられるなど抽象的かつ多義的なものであった[22][26]。スポーツ分野において精神的要素は不可欠なもので競技のレベルが高くなるほど勝敗や記録に影響を及ぼす傾向があるものの十分な科学的検証がなされてこなかったが[26]、1990年代頃から選手が競技の場において最高の状態で能力を発揮するための自己管理を目的としたメンタルトレーニングの研究開発が行われている[26]。
歴史
[編集]前史
[編集]太平洋戦争後、連合軍総司令部 (GHQ) の指示により武道教育や時代劇映画は禁止されていたが[27]、1951年のサンフランシスコ講和条約の締結以降に相次いで解禁されると、漫画の世界でも武道を描いた作品が登場し[27]、1952年から1954年にかけて柔道漫画『イガグリくん』[28](福井英一)が『冒険王』で連載された[29]。この作品は講談や時代劇などで描かれてきた伝統的な日本人的心情に則ったもので[27]、柔道だけでなく異種格闘技戦の要素も含んだ作風は熱血スポーツ漫画のルーツとも呼ばれ、後の作品群に影響を与えることになった[29][30]。
『イガグリくん』のキャラクター設定や必殺技を擁した対決シーンは、1958年から『おもしろブック』で連載された貝塚ひろしの野球漫画『くりくり投手』へと引き継がれ、これ以降のスポーツ漫画における定石となった[30]。『くりくり投手』では『イガグリくん』の手法をさらに極端化し、必殺技を身に付けるための過激な特訓の描写も登場した[31]。1961年から1962年にかけて『週刊少年マガジン』では福本和也原作・ちばてつや作画による野球漫画『ちかいの魔球』が連載された。この作品は実在のプロ野球の世界と必殺技の要素を併せた内容となり[32]、後に同誌でやはり福本作・一峰大二作画で連載された『黒い秘密兵器』や、梶原一騎の『巨人の星』へと踏襲された[32]。
一方で、熱血スポーツ漫画からスポ根漫画への流れとは別に、井上一雄の野球漫画『バット君』[33]や寺田ヒロオの野球漫画『スポーツマン金太郎』などの爽やかな作風のスポーツ漫画が存在した[34]。こうした作品に代わって熱血ものが発展した経緯について漫画評論家の竹内オサムは1950年代に始まったテレビ放送の影響を挙げている[34]。竹内によれば、テレビで扱われたプロ野球や大相撲やプロレスの実況放送を通じて大衆の間で「するスポーツ」ではなく「観るスポーツ」が支持を得たことの影響により漫画の世界もエンターテインメント性を強めた[34]。また、この時代には漫画では新しい表現形式の劇画が生み出されており[35]、劇画の写実的かつ動的な手法が後のスポ根作品において取り扱われたことで作品に現実味を与えることに貢献した[36][37]。
スポ根ものの誕生
[編集]一般的に「スポ根」の発祥となった作品や元祖と呼ばれる作品は『週刊少年マガジン』で1965年から1971年にかけて連載された『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる)である[1][38][39]。
『週刊少年マガジン』第4代編集長の宮原照夫によれば、この作品は1930年代に人気を獲得した吉川英治の小説『宮本武蔵』のような、一つの道を究めライバルとの対決に打ち勝っていく人物を主人公とする構想をもつ編集部と[40]、アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』のような悲劇的な運命を背負った人物を主人公とする構想を持つ梶原とが結びついたことにより誕生した[40]。梶原によれば自身は元々は少年小説家を志望し、佐藤紅緑の『あゝ玉杯に花うけて』のような作品を手掛けたいと考えていた[41]。漫画人気に押されて少年小説がその役目を終えようとしていた中[41]、『週刊少年マガジン』第3代編集長の内田勝と副編集長の宮原から「大河小説に代わる大河漫画」[42]、『宮本武蔵』の漫画版の原作を依頼されたことをきっかけに誕生したものとしている[43]。
梶原には「クール」「ドライ」といった男性観が賞賛された当時の風潮への反発心があったといい、執筆にあたっては「とことんホットでウェット」「カッコ悪い試行錯誤の繰り返しから磨かれて底光りする真のカッコよさ」を持つ人物を描こうとした[44]。これらの要素に1960年代に社会問題となっていた熾烈な受験競争を後押しする教育ママの存在を反映し[45]、人間教育には父親の存在は欠かせないものとし、「教育ママに対するアンチテーゼ」として父権的なキャラクターを登場させ、主人公・星飛雄馬と父・星一徹の戦いと葛藤が物語の軸となった[45]。
この作品は「一般社会に普遍化できる生き方の見本として、栄光を目指して試練を根性で耐え抜く姿を野球の世界を借りて描いたもの」ともいわれる[9]。作画を担当した川崎の発案による過剰な表現手法や、原作を担当した梶原による大仰な台詞まわしは当時から批判の声もあったが[46]、作品自体は徐々に人気を高め『週刊少年マガジン』の部数を100万部に押し上げた[46]。
梶原は、その後も柔道を題材とした『柔道一直線』(作画:永島慎二・斎藤ゆずる)、プロレスを題材とした『タイガーマスク』(作画:辻なおき)、ボクシングを題材とした『あしたのジョー』(作画:ちばてつや)の原作を務めたが人生論的な要素が強い『巨人の星』とは異なる趣向を取り入れた[47][48]。梶原の自伝によれば『柔道一直線』では技と技の応酬といったエンターテインメント性に焦点を当てる一方で立ち技優先の傾向があった当時の日本柔道界へのアンチテーゼを[47]、『タイガーマスク』では往年の『黄金バット』のプロレス版を標榜し善と悪の二面性のあるヒーローを[47]、『あしたのジョー』では『巨人の星』の主人公・星飛雄馬のような模範的な人物へのアンチテーゼとして野性的な不良少年・矢吹丈を主人公としアウトローぶりを意図した[48]。
なお、梶原自身は「根性」「スポ根」という言葉にさほど価値を見出しておらず、ミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』に準え、「それを言うのならドン男路線。すなわち、ドン・キホーテ男性路線とでも願いたい」と発言していた[49][50]。この小説は主人公が騎士道物語に熱中するあまり幻想に囚われ、従者を連れて旅先で騒動を起こすといった内容であるが、ライターの近藤正高は梶原の真意について「はた目には滑稽に見えても、本人は真剣に巨大風車めがけて突撃していく、そうした姿こそが男の美でありロマンであると考えていた」と解釈している[50]。
梶原型主人公の多くはライバルとの戦いを孤独の中で挑み、時には両親や師匠も敵となる[51]。試合での勝利よりもライバルとの戦いに価値を追い求め、血のにじむ様な特訓を重ね、身体を過度な負荷にさらしながら道を究めようとする[52]。『柔道一直線』の主人公・一条直也のような一部の例外はあるものの、『巨人の星』の星飛雄馬、『あしたのジョー』の矢吹丈、『タイガーマスク』の伊達直人をはじめ、その多くが再起不能や死といった悲劇的な結末を迎え、競技の表舞台から去っていく[52][53]。
スポ根の手法は少女漫画にも伝播したが、このことは従来、品行方正で内向的な傾向の強かった少女漫画の作品世界に競争の原理を導入したと評される[54][55]。バレーボールを題材とした『アタックNo.1』(浦野千賀子)や『サインはV』(原作:神保史郎、作画:望月あきら)では少年誌さながらの必殺技の応酬や根性的な特訓が描かれると共に、恋や友情や家庭の問題、思春期の悩みといった少女漫画の主要テーマが盛り込まれた[55][56]。漫画評論家の米澤嘉博は「スポーツものとは、ある意味で肉体のドラマ」とした上で「スタイル画ではない、動きや肉体を感じさせる『絵』を持たなければ、表現できないジャンル。肉体性を脱け落とした形では表現できなかっただろう」と評している[55]。
これらの作品は「スポ根」の代表的作品と評価されており[1]、人気作品は1969年前後に次々とアニメ化やテレビドラマ化された[57]。
発展と沈静化の兆し
[編集]1973年のオイルショックを契機に高度成長から安定成長期へと移行し、人々の関心は経済的安定や社会的上昇から個々の内面的な充足や多様な価値観を求める志向へと変化すると[8][58]、漫画の世界もそれと並行して日常生活の機微を反映したものへと移行した[8]。
この時代には従来の梶原作品に対抗して、「健全さと明るさ」を基調としたさわやかなスポーツ漫画に回帰する動きが始まったとされる[59]。それまで『男どアホウ甲子園』をはじめ、いくつかの野球漫画を手掛けていた水島新司は、梶原による作品群が物語を描く上で野球をはじめとした競技を小道具のように扱っていることに反発があったといわれる[60]。1972年から1981年にかけて連載された野球漫画『ドカベン』では、ライバル同士の対決を描きつつも社会階層の対立軸や根性的要素は薄れ[8]、「秘打」と呼ばれる必殺技の要素を残しつつも魔球の描写は排除し[61]、現実的な試合展開と個性的な登場人物による人間ドラマを描いた[62][63]。
『ドカベン』と同時期に連載されたちばあきおの野球漫画『キャプテン』や『プレイボール』では根性や努力といった要素を残しつつも魔球などの空想的な要素を排除し[64]、等身大の登場人物たちが部活動に打ち込む姿に焦点を当てた[64][65]。漫画コラムニストの夏目房之介は水島の作品群や、ちばの『キャプテン』が従来の「魔球によるライバル対決」から「集団スポーツの駆け引き」という構造に転換しえた理由について、読者層の年齢上昇による野球理解の変化を挙げている[66]。
また、1976年から1981年にかけて『週刊少年サンデー』で連載されたボクシング漫画『がんばれ元気』(小山ゆう)は、主人公・堀口元気が亡き父の遺志を継いで努力を重ねチャンピオンを目指す内容となり[67]、主人公を裕福な家庭から過酷なプロの世界に飛び込ませることで従来の「貧困からの脱却」「社会的上昇」といったテーマに異議を唱える形となった[68]。この作品をもって、「生死を賭けた戦い、血の特訓、必殺技、悲劇的結末」といった梶原型スポ根からの転換点とする見方もある[59][69]。
少女誌においても、1973年から1980年にかけて連載されたテニス漫画『エースをねらえ!』(山本鈴美香)では、作品序盤は努力型の主人公・岡ひろみ、ライバル・竜崎麗香、鬼コーチ・宗方仁といったスポ根ものの構造を残していたが、作品が進行するに従ってそれらの枠組みから脱却し登場人物たちが自立し成長する物語へと変化した[1][70]。前出の米澤は「勝負の面白さ、勝ち負けといったエンターテインメントとしてのスポ根ドラマを拒否したところから、『エースをねらえ』は始まる」と評した[70]。
ただし、ちばの作品群については指導者の姿を意識的に排除し、部員たちが自主的・自発的に活動する姿を描きながらも、教育評論家の斎藤次郎が「野球を楽しむというのは、手抜きや遊びで『弄る』のではない」と評するように過酷なまでな部活への取り組みが描かれ[71]、小山の『がんばれ元気』については元々『あしたのジョー』を意識した作品であり、ライバルや師匠の悲劇的な結末や旧来的な特訓も描かれた[68][72]。『エースをねらえ』については飽くなき求道精神のため、恋愛をも「精神修行のための一プログラム」としてあつかうなど[73]、いずれも苦行的要素、禁欲的要素を残す形となった。
スポ根における特徴の一つだった魔球や必殺技の要素は1972年から1976年にかけて連載された野球漫画『アストロ球団』(原作:遠崎史朗、作画:中島徳博)においていっそう過激化し[74]、作品終盤では超人選手によって次々に生み出された「必殺技」により多数の死傷者を生み出す、デスマッチの場と化した[75]。評論家の竹熊健太郎は「『巨人の星』が貧困の克服(高度経済成長)を背景にした1960年代の神話とすれば、この作品は社会が安定し『貧困』という動機づけを喪失した1970年代の神話である」としている[76]。一方、『ドカベン』の作者である水島は野球漫画『野球狂の詩』の中で魔球を存在ではなく情報として扱い[77]、魔球という言葉により相手に精神的重圧を与える、試合における「駆け引き」の道具として描くことによって「魔球」を否定した[77]。これらの作品によってスポ根の特徴だった荒唐無稽な要素は退潮し[78]、スポーツ漫画は現実的な作風へと転換していった[77]。
テレビドラマ
[編集]スポ根漫画の誕生と前後して日本テレビ系列では東宝とテアトル・プロの共同制作による、ラグビーやサッカーといった集団スポーツを通じた教師と生徒たちの交流を描いた『青春とはなんだ』『これが青春だ』『でっかい青春』の“東宝青春学園シリーズ”が放送された[1][79]。この背景には、1964年に行われた東京オリンピックにおいてバレーボール全日本女子を優勝に導いた大松博文の影響があるとされている[1]。
1960年代後半から1970年代初頭にかけてスポ根漫画を原作としたテレビドラマが登場し、TBS系列で放送された柔道を題材とした『柔道一直線』やバレーボールを題材とした『サインはV』や水泳を題材とした『金メダルへのターン!』などが人気作品となった[57]。その中で、『サインはV』は「稲妻落とし」「X攻撃」などの必殺技も話題となり高視聴率を記録、当時のバレーボールブームやスポ根ブームを牽引したが[80][81][82]、原作と同様の特訓による根性的要素を表現するために出演者に対して長時間に渡る練習を課し[81][83]、リハーサルを経て消耗し切った所で撮影に挑んだ[83]。同作の終了から3年後の1973年には、主演を岡田可愛から坂口良子に交代した続編が放送されたが、前作ほどの人気を得ることは出来ずに終了した[84]。
1970年代中盤以降、中村雅俊主演の『俺たちの旅』などの青春ドラマが人気を獲得し、スポ根番組ブームは終息したが[85]、1979年にはテレビ朝日系列でバレーボールを題材とした『燃えろアタック』(原作:石ノ森章太郎)が放送された。この作品は必殺技「ヒグマおとし」やチームメイトの死など『サインはV』の影響を受けたもので[86]、モスクワオリンピック出場を目指し奮闘する内容だったが[87]、1980年代に中華人民共和国で『排球女将』のタイトルで放送され人気を獲得した[88]。
1984年から1985年にTBS系列でラグビーを題材とした『スクール☆ウォーズ』が放送された。この作品は、元ラグビー日本代表の山口良治が高校の弱小ラグビー部を監督就任から7年で全国優勝に導いた実話を脚色したもので[89]、不良の巣窟となっていた学校の再生、109対0の大敗、部員や支援者の死といった困難を乗り越え全国優勝を果たすまでが描かれている[89]。放送当時すでにスポ根的手法は「時代遅れ」という評価もあったが[90]、いわゆる大映ドラマの特徴でもある過剰な演出やセリフ回しにより、当時の学生たちの人気を獲得した[90]。主人公・滝沢賢治を演じた山下真司は「セリフは劇画調で、自分の演技もまだまだ。でも、向上心や悔しさ、苦悩や希望のつまった内容が届いたのだろう」と評している[91]。1990年には滝沢らの6年後の姿を描いた続編『スクール☆ウォーズ2』が放送されたが、少年院を舞台にした非現実的な要素(原作もラグビーではなく高校野球を描いた小説である)に加え、それをかき消すほどの前作のような熱量も足りず[92]、全16話で終了した[93]。
テレビアニメ
[編集]漫画やドラマにおけるスポ根人気と東京オリンピック開催の影響もありアニメの世界でもスポ根が扱われることになった[95]。その最初の作品として既に原作の漫画が人気を獲得していた『巨人の星』のアニメ版が企画されたが、当時のアニメ作品で描かれていた登場人物のキャラクターデザインの多くはデフォルメされたものであり劇画調の登場人物を取り扱った経験が不足していたことから「『巨人の星』のアニメ化は不可能」「アニメ化には相応しくない」と評されていた[96]。
『巨人の星』では原作と同様に過剰な表現が多用された[97]。これは監督を務めた長浜忠夫が「演劇において役者が演じる大仰な演技」そのものをアニメの世界にも求めたためであり[97]、長浜自身は「オーバーリアリズム」と称していた[98]。また『タイガーマスク』では劇画の荒々しい描線を表現するためにトレスマシンという手法が導入され[99]、『あしたのジョー』では監督の出崎統によって当時としては実験的な「止め絵」などの表現手法や演出法の研究が行われた[100]。こうした手法はスポ根アニメ全体でも用いられた[95]だけでなくスポーツ以外の分野でも用いられるなど[97][101]、日本アニメの技術の進歩に貢献した[95][99]。
アニメ作品は漫画作品に比べて進行が速く漫画の連載状況に容易に追いついてしまうことからオリジナルの登場人物やエピソードが新たに追加された[102]。こうした事情について『あしたのジョー』の作画を担当した漫画家のちばてつやは「自分の手元から離れた世界。親元から離れた子供のように向うの世界で良い人生を送れたらいいと割りきっていた」と証言しているが[102]、反対にアニメの演出が自身の連載作品に影響を与えることもあったという[102]。
1968年から1971年にかけて放送された『巨人の星』では原作に倣った展開だけでなく主人公・星飛雄馬の姉・明子に焦点を当てたエピソードや[103]沢村栄治などの実在選手のエピソードが挿入され[103][104]、最終話のラストシーンでは原作の「飛雄馬が教会の屋根に掲げられた十字架の影を背負いながら一人で去る」といった悲愴な描写から「星親子が和解して息子が父親に背負われながら球場を去る」といった温かみのある描写へと刷新されている[105][106]。
1969年から1971年にかけて放送された『タイガーマスク』でも原作を追い越した際のオリジナルストーリーが追加されたほか原作とは異なる結末が描かれている[107]。また、主人公・伊達直人を支える人物として吉川英治の小説『宮本武蔵』における沢庵和尚をイメージした師匠の嵐虎之介や[107]、虎の穴時代からの親友である大門大吾、弟分の高岡拳太郎といった登場人物が新たに創作され準レギュラーとなった[107]。
1970年から1971年にかけて放送された『あしたのジョー』は好評を得ながらも漫画の連載状況に追いついたため途中のエピソードで終了したが[100]、1980年から1981年にかけて放送された続編の『あしたのジョー2』ではライバル・力石徹の死後から最終話までのエピソードが描かれた[108]。この作品を始め国内のアニメ界では、1970年代後半から1980年代初頭にかけて旧作アニメのリメイクブームが起こったが[109]、劇画調の描線の荒々しさは減少し、背景も野性味を表すものから入射光や投射光を活かした端正なものに変化した[109]。
ギャグ化による衰退
[編集]スポ根漫画の全盛期である1960年代には多くの読者の支持を得たが[110]、その一方で精神主義や芝居がかった演出には当時から批判的な意見があった[110][111]。1975年から1978年にかけて『週刊少年ジャンプ』で連載された野球漫画『1・2のアッホ!!』(コンタロウ)や、1977年から1980年にかけて『週刊少年ジャンプ』で連載された野球漫画『すすめ!!パイレーツ』(江口寿史)では、そうした批判的視点を背景に従来のスポーツ漫画にギャグ漫画の要素を取り入れ、スポ根的な価値観を風刺した[110][111]。
1980年代に入ると、「直向きさ」「努力」「根性」といった価値観は格好の悪いもの、ダサいものとして見做されるようになっていた[112]。1978年から1983年にかけて連載された格闘漫画『1・2の三四郎』(小林まこと)では、主人公・東三四郎が周囲から「直向き」や「熱血」と見られることを恥じて隠そうとする姿が描かれている[113]。本作品の17巻では、主人公と仲間たちが『巨人の星』の登場人物の「互いの健闘を讃えあい涙を流す」姿に共感し涙を流したところ、ヒロインからそれを咎める台詞を投げかけられ、背を向ける姿も描かれている[114]。これについて比較文学者のヨコタ村上孝之は『巨人の星』に「神聖さと滑稽さ」「理想と気恥ずかしさ」の相反する感情を抱くことは1950年から1960年生まれの読者に共有された体験であり、同作がひときわパロディの対象となった理由としている[114]。
1984年に少女誌の『花とゆめ』で連載された野球漫画『甲子園の空に笑え!』(川原泉)では、かつてのスポ根漫画における「感動のあまり涙を流す」「仲間同士による抱擁」といった友情や絆を表す表現を「交感神経の異常」と冷めた視点でとらえ[115]、努力や根性とは無縁の脱力的で寓話的な雰囲気のまま大会を勝ち上がる姿が描かれた[116]。
また1980年代初頭のお笑いブームの際、コント赤信号やヒップアップなどのお笑いグループは学園ものやスポ根ものをコントに取り入れ、「不良生徒が教師に殴られて改心し、皆で夕日に向かって走っていく」や「瞳の中に燃え盛る炎」などのシーンを再現し笑いの対象としていたが[117]、放送作家の高平哲郎は「こうしたコントで沸く若者も知らず知らず学園ものやスポ根ものに反発を感じていたのだ。いわば彼らにとって息抜きの場だった漫画なのに、父と子、根性、努力などを教育されてしまった反発がスポ根コントを笑える原動力となっているのだろう」と評した[117]。
かつて一般大衆の価値観を反映したといわれたスポ根は、1970年代末から勃興したギャグ化の流れの中で嘲笑の対象となり衰退した[2][117][118]。
スポーツ漫画の変容
[編集]あだち充は1978年から1980年にかけて『週刊少年サンデー増刊号』において野球漫画『ナイン』を連載した[61]。この作品は第1話こそ熱血風の内容で始まるものの、それ以降はラブコメものへと移行[61]。従来通りライバルが登場し、甲子園という目標を設定してはいるものの努力や勝敗に固執せず[119]、登場人物の触れ合いや感情の機微を中心に描いた[119]。あだちは従来の熱血少年ものの登場人物が「努力してますとか頑張ってますとか、大声でアピールする」ことや、ラブコメものの登場人物が「秘めたる思いを簡単に口に出す」ことに、かねてから「野暮さ」を感じていたといい[119]、「野暮はイヤだよね。それを言っちゃったらおしまいだろうという感覚は、落語から教わっています」と発言している[119]。
さらに、あだちは1981年から1986年にかけて『週刊少年サンデー』において野球漫画『タッチ』を連載した[61]。この作品はマイペースな主人公・上杉達也、双子の弟・上杉和也、ヒロインの浅倉南による三角関係が展開され、交通事故による和也の急死をきっかけに達也がその遺志を継いで全国を目指すといった内容であり[120][121]、スポーツ漫画および少年漫画の世界に少女漫画的な手法を導入した作品[122][123]、「野球物路線と『みゆき』におけるラブコメ青春路線を合体」した作品と評される[121]。
この作品では、近親者の死とその遺志を継ぐ宿命、ライバルとの対決といった図式を残しつつも、「生死を賭けた戦い」「精神の修養」といった旧来の求道者的な価値観は描かれず[124]、登場人物間の三角関係や野球についての深刻な局面において、明るさや軽妙さを挟むことで敬遠させる「間を外す」手法が特徴となっている[125]。作品終盤で主人公が夏の甲子園出場を果たし、ヒロインからの愛を獲得、最終話では甲子園における最終的な勝者となったことが暗示される中[126]、ライバル・新田明男からの新しいステージでの再戦の申し出を拒否する言葉を語らせている[127]。夏目は1991年に出版した『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』の中でこの場面を採り上げ「この一言で熱血スポーツものはコケた」と評し[127]、一連の流れの終焉を見ている[128][注 1]。さらに夏目は1984年から連載された水泳漫画『バタアシ金魚』(望月峯太郎)において、「(熱血、努力、根性、必殺技などの)かつての少年スポーツヒーローの条件の全てが壊れてしまった」としている[133]。
夏目と同様に評論家の呉智英は1970年代後半から続くギャグ化[6]、数々のスポ根作品を生み出した梶原一騎の傷害事件とスキャンダルによる漫画界からの撤退[6]、安定成長期に生まれ育った読者層との価値観の断絶[6]。京都精華大学教授で京都国際マンガミュージアム研究員の吉村和真は、根性の要素を打ち消した爽やかな作品群の登場[6]、スポーツ界での伝統的な指導法に代わる科学的理論に基づいた指導法の研究開発[6]、などといった社会情勢の変化によりスポ根というジャンルの終焉を見ている[6]。
この時代は国内のスポーツに対する価値観が、それまでの「苦しさ」から「楽しさ」へと転換しようとした時期でもあるが[134]、1981年から『週刊少年ジャンプ』で連載されたサッカー漫画『キャプテン翼』(高橋陽一)では従来のスポ根の構造を逆転させ、天才型の主人公が根性や努力に支えられた精神主義を基盤とするライバル達と対峙する作品となった[135]。この作品では努力や特訓の成果ではなく「サッカーの楽しさ」「自由な発想」が勝敗を決定する価値基準となり[135]、天才型主人公の大空翼の壁を越えられずに葛藤する努力型ライバルの日向小次郎に特訓の成果ではなく「自由な発想」という作品内の価値基準に気付かせることで、追いつかせる描写がなされた[135]。ただし、横浜国立大学教授の海老原修は「努力より才能を重んじる作品が人気を獲得したからといって日本人の思考が変わってきたとは言えない。コミックの読者欄には努力を尊ぶ声も少なくなく、この呪縛から離脱することは生半ではない」と2000年代前半時点においてもスポ根の影響がまだまだ日本には根強いことに言及している[136][136]。
1980年代中盤に入ると、さわやかな作品やコミカルな作品が台頭する影で、野球漫画『県立海空高校野球部員山下たろーくん』(こせきこうじ)や『名門!第三野球部』(むつ利之)などの根性を前面に出した作品が連載され、一部読者の支持を集めた[137]。評論家の米澤嘉博は両作品を「時代の華やかさに取り残された地味なもの」とした上で「『タッチ』の明るいさわやかなカッコよさの後に、泥臭い青春が描かれ支持されたことは記憶すべきかもしれない」と評している[137]。
一方、漫画家の島本和彦は「70年代の梶原一騎的なスポ根からいったん脱却してラブコメ全盛」の時代や、編集者がスポ根ものを希望しても、どれもうまくいかない「スポ根冬の時代」を経て、1989年から連載されているボクシング漫画『はじめの一歩』(森川ジョージ)によってスポ根が復活したという見解を示している[138]。ただし島本は、「かっこわるい奴ががむしゃらにむしゃぶりついていくというのがよくって、また小林まことキャラが隣にいるのが絶妙なバランスなんです」と評するなど、この作品は前時代的なスポ根を踏襲したものではなく、格闘漫画『1・2の三四郎』や柔道漫画『柔道部物語』などを手掛けた小林まことのコミカルな作風を上手く活かしたものだと指摘している[138]。編集者の斎藤宣彦は1980年代が「スポ根冬の時代」であった点には同意を示しているものの[138]、同作については「主人公の少年が精進・努力し、その才能を見出す者や好敵手がいる」点から「60年代から続く正統派の『スポ根』作品」と位置付けている[139]。
2000年代以降の状況
[編集]その後も、競技そのものの魅力を伝える作品、競技をとりまく登場人物の日常や個々の内面を描く作品などといったスポーツ漫画の傾向は続いている[140]。より日常生活に立脚した作品が主流となり、貧富の格差による対立軸に基づく上昇志向や、それを実現させるための過度の根性や努力といった要素が描かれることは少ない[140][141]。
2003年から『月刊アフタヌーン』で連載されている野球漫画『おおきく振りかぶって』(ひぐちアサ)はスポーツ漫画の世界にはじめて関係主義を全面的に導入した作品と評されており[142]、才能や努力よりも先に他者との関係性が第一にあり、チームメイト同士や周囲を取り巻く人々の細やかな日常や心理描写が描かれた[142]。精神科医の斎藤環は『おおきく振りかぶって』以降に登場した作品のひとつで、2006年から『イブニング』で連載されているバレーボール漫画『少女ファイト』(日本橋ヨヲコ)の傾向について「『スポ根』とは別の意味での、きわめて勁い精神性が存在する。それはまず何より『他者への配慮』という形で現れる」と評し、かつてのスポ根における精神性と明確に区別している[142]。また、多くの野球漫画を発表している三田紀房は「今の読者にかつてのスポ根の情念は通じない」と明言し、自身の作品『砂の栄冠』では「多くの人々の支えで主人公が才能を開花させる。他者とのコミュニケーションと関係性を描いた上で感動をもたらしたい」と語った[141]。
一方、1990年代後半から少年漫画の世界では機転や才能を伴った作品が主流となっており、スポーツ漫画においても努力自体が勝敗を決するのではなく、機転や才能を伴ってはじめて効果を発揮するものとして描かれる傾向がある[143]。精神科医の熊代亨はその代表例として、2007年から『週刊少年マガジン』で連載されたテニス漫画『ベイビーステップ』(勝木光)を挙げている[143]。この作品では主人公が「努力を効率化させる才能」を持つ人物として描かれるなど、努力の位置づけが従来のスポ根とは異なっている[143]。そのため、熊代は機転や才能に裏付けられたものでない愚直な努力のみでは、成長なき格差社会の下で育った読者には説得力を持ち得なくなっていると指摘している[143]。こうした傾向について精神科医の斎藤環は「これまでの反動なのか、努力の新しい捉え方が広がりつつある。努力に代わる言葉として宿命論や精神論とほど遠い言葉にすれば受け入れやすいのか」としている[143]。
2021年にCOMIC BULL編集長の土屋萌からは、近年では漫画が1話で見切られやすい状況にある中、スポーツ漫画は盛り上がるまでに時間がかかるが「非現実的なレベルアップ」は受け入れられない傾向にあるため難易度が上がり、スポ根に限らずスポーツ漫画自体が減少しているという意見がある[144]。
特徴
[編集]主人公とライバルの関係
[編集]スポ根作品ではライバルの存在が必須となることは定義の項で述べた通りだが、梶原一騎の作品群ではその傾向が顕著となる[145]。両者の関係は時に友情とも称されるが、梶原にとっての友情とは馴れ合いや助け合いのようなものでなく、闘争の中で互いを高め合っていくものだとしている[145]。
友情ってものは、ベタベタして、キミ好き、ボク好きとか言って、おたがいに弱いところを補いあったり傷口をなめあったりするようなもんではなく、いまやさしさということが言われすぎているけど、男の友情はある意味では戦いのようなものであって、おたがいが戦って、激突して、切磋琢磨ってことばが昔あったけど切磋琢磨して、おたがいが大きく成長していくものだと[145]。 — 梶原一騎
評論家の米澤嘉博はスポ根における物語性を「主人公に絶対的主点を置き、世界は主人公を中心に回っていく」「すべての登場人物やエピソードは主人公のヒーロー性を輝かせるために存在する。(中略)ライバルたちの生活や心の中が描写され、その力がどこまで描かれようと、そのライバルを倒したのだから、その主人公はますます凄いという具合に、ドラマは流れていく」と評し、相対的な視点を有した手塚治虫の作品群とは対極にあると位置付けている[146]。一方、梶原自身は勝負の結果として勝者と敗者の明暗が分かれたとしても、勝利のみに比重を置いたり、どちらか一方を賞賛する意図はないとしている[145]。
必殺技の開発
[編集]スポ根作品において血のにじむ様な特訓や、その成果として編み出される必殺技や魔球の存在は欠かすことが出来ないが、完成に至るまでの過程は様々である。スポ根成立以前のスポーツ漫画では必殺技や魔球は主に忍者を出自に持つ競技者が取扱う忍術として描かれ、競技者はそれらの能力を当然のように身に付けているため開発の経緯も定かではなかったが[147]、後のスポ根作品群では特訓の成果として編み出されることが一般化した[147]。漫画コラムニストの夏目房之介は1991年に出版した『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』の中で、スポ根作品と必殺技や魔球の関係性をカレーライスと福神漬に準え、本格的なスポーツ漫画を標榜すれば必殺技や魔球の存在は作品を台無しにすると指摘したが[147]、1999年に出版した『マンガの力 成熟する戦後マンガ』では、「格闘技音痴だった私には理解できなかったが、要するにアレは格闘技の基本的な感覚を置き換えたものなのだ。マウンドから打者までの距離でやるから荒唐無稽になるが、体を接した距離ならリアリティのある発想なんじゃないか」と訂正している[148]。
- 偶然型
- 無意識のうちに必殺技を編み出すスタイル。本人に自覚がなく理論的裏付けがない[147]。
- 特訓型
- ある理論に基づきそれを具現化するために特訓を行うスタイル。必殺技を編み出すために山などに籠り極限状態に至るまで特訓を試みる[147]。特に梶原一騎の作品では競技の勝敗以上に必殺技の開発と自己の修練に重点が置かれる[9][149]。必殺技を生み出すための理論、対戦相手の必殺技に対抗するための理論を事細かく構築する傾向が強いが[149]、その理論が現実の競技の特性に沿わない場合や[149]、限度を超えて身体を酷使し精神を抑圧するなど狂信的な手段に訴える場合がある[150]。
- 導師つき型
- 指導者の教示の下で必殺技を編み出すスタイル。即時の習得が可能なものから特訓を必要とするものまで難易度は様々であり、選手の本能に任せて実戦の中で編み出す場合もある[147]。
- 特訓中の偶然型
- 山籠りなどの特訓の最中に発生した突発的な事象により必殺技を編み出すスタイル[147]。
『エースをねらえ!』のように魔球が登場せず[151]、作中でコーチの宗方仁が魔球を否定する台詞が存在するが[152]、同作のアニメ版ではオリジナル技「竜巻サーブ」という魔球が登場する[151][153]。
1970年代後期にはボクシング漫画『リングにかけろ』(車田正美)のように理論構築、必殺技の開発、自己の修練などの過程を省略し勝利という結果のみを誇張して伝える作品が登場した[154]。
過度のトレーニング
[編集]スポーツには日常における身体活動よりも大きな負荷のかかる運動を行うことによって効果が得られるという原則がある[155]。スポ根作品では選手が技術の向上や弱点克服のため特殊アイテムを使い筋力トレーニングに取り組む姿や、長時間におよんで練習に取り組む姿が描かれている。
- バレーボール漫画『サインはV』では朝丘ユミが跳躍力不足という弱点を克服するために練習中に鉛入りの「ブラックシューズ」を装着する場面や[156]、朝丘のライバル・椿麻里が筋力増強と反応速度の向上のために「ブラックシューズ」に加え目隠しをした状態で両手両足と腰にバネを装着し秘密練習に挑む場面が描かれている[156][157]。
- 野球漫画『巨人の星』では主人公・星飛雄馬が筋力増強のために「大リーグ養成ギプス」を日常生活においても装着する場面や[158][159]、少年時代に毎晩のように父の星一徹から「千本ノック」を受ける場面が描かれている[160]。
- 野球漫画『キャプテン』では谷口、丸井、イガラシといった歴代のキャプテンの下で強豪校との試合や大会前に、学業を挟んで早朝から深夜まで長時間におよんで練習に取り組む姿が[161]、丸井キャプテンの代には1日に3試合の日程で12日間に全国大会出場の9校を含む36校と練習試合を行う姿が描かれている[161]。
こうしたトレーニングを現実に行った場合には様々な問題が発生する可能性がある[注 2][注 3]。アスレティックトレーナーの立花龍司はスポ根作品内で描かれている過度の筋力トレーニング、1日間に複数の試合への出場、試合後の居残り練習などといった指導法は少年期の選手を指導する上では不必要であり[164]、例えば野球の投手であれば投球数を制限するなどの配慮がなされるべきであると指摘している[164]。
鬼コーチの存在
[編集]スポ根作品では登場人物を育成するために過酷なトレーニングを課す指導者の姿が描かれている。代表例としては『巨人の星』の星一徹[165]、『柔道一直線』の車周作[166]、『サインはV』の牧圭介[167]、『エースをねらえ!』の宗方仁[168]などが挙げられるが、しばしば「鬼[166][167]」「鬼コーチ[168]」と形容される。彼らの一部は現役選手としての夢が破れた存在であり、例えば星は「幻の名三塁手」と称されたが「魔送球」を否定されたため球界を去り[169]、車は必殺技「地獄車」により死亡事故を起こしたため柔道界を去り[170]、宗方は世界的選手になる素質を持ちながら死期を宣告されたため指導者に転身している[171]。彼らは、自らの果たせなかった夢や理想を選手に託し[108][169][171]、時には名言を用いて教え諭す役割を担っている[82][172]。
鬼コーチの指導について2013年3月13日付けの『朝日新聞』は指導者への絶対服従というスポーツ観が社会全体に行き渡っていたことを反映したものとした上で、「スポ根ものでは、しごき、カリスマ的指導者、鉄拳制裁がいわば三種の神器であり、読者にカタルシスを与える道具だった」と評しているが[141]、漫画評論家の紙屋高雪は「肉体の酷使はあっても体罰をスポ根の必要条件と見做すのは無理がある」と指摘している[17]。中でも『巨人の星』の星一徹については「激高しちゃぶ台をひっくり返す」「竹刀で叩く」といった狂信的な指導者としてのイメージが定着しているが[173]、こうした「ちゃぶ台返し」「竹刀での制裁」といった行為は原作漫画においては全く描かれておらず[174]、テレビアニメでの過剰な演出によって視聴者に狂信的なイメージが定着したのではないかと指摘されている[174]。
影響
[編集]社会的影響
[編集]日本国内のスポーツ競技の集団主義や精神主義といった事情とスポ根を結びつける指摘があり[1][175]、スポ根作品がそうした価値観を推奨した影響により学生スポーツにおいて過度の練習や体罰を後押しする結果となったという見方が生まれた[6]。アスレティックトレーナーの森本貴義は、日本人のスポーツに対する「きつい」「つらい」などといった否定的なイメージ形成にスポ根作品からの影響を指摘している[176]。スポーツ教育学などを専門とする友添秀則も一連の作品群が一般大衆へのスポーツ根性の定着を後押ししたものと見ている[118]。
例えば1960年代から1970年代当時、部活動などの現場ではウサギ跳びやアヒル歩きのような半月板や膝関節に負担が掛かる[177]ばかりで実質的な効果の少ない運動法が推奨されていたが[178]、これらは運動生理学を知らない指導者達が漫画やドラマの影響を受けて部員に対して課したものだとする指摘がある[179]。
スポ根ブームの渦中には学校の部活動において練習中の事故や、退部を申し出た生徒が部員から暴行を受けるなどの事件が多発したが[180]、そのうちの1965年に発生した東京農業大学ワンダーフォーゲル部のリンチ殺人事件、1970年に発生した拓殖大学空手愛好会の集団暴行事件、都内の中学校に通う女子バスケットボール部員への暴行事件はスポーツ根性と関連付けて報じられた[181][182]。また、1968年に発生したマラソン選手の円谷幸吉の自殺についても、根性礼賛の中で生まれた事件として報じられた[181][183]。
ただし、日本国内のスポーツ競技における集団主義や精神主義は、明治時代に政府がスポーツを奨励したことを契機に各学校内に体育会が組織された当時から形成されてきたものである[175]。組織内の上下関係を背景とした指導や、ひたすら鍛錬を積み勝利のみを追求する価値観は第二次世界大戦後の民主化の流れの中でも温存され[184]、スポ根作品が支持を得た1960年から1970年代当時の日本のスポーツ界では厳しい指導が常態化していた[6]。こうした経緯から、漫画編集者の角南攻は「是非はともかく、スポ根の全盛期はどこの部活動やプロ競技でもしごきや体罰が蔓延していた。そうした世相が描写に反映された」と評している[6]。また東京女子体育大学教授の阿江美恵子は「しごきや体罰によって結果を出した選手は現実には一定数いる。そうした選手が指導者側となって自ら経験した指導法を再生産した側面はある。しかし、それは漫画の影響というより、成果を意識したプレッシャーや指導者の能力不足に起因する」と指摘している[6]。
1980年代以降、科学的な分析に基づく効率的なトレーニング方法の導入によりスポーツ界の内情も変化を遂げているが[6]、一部の現場では「しごき」の強要といった古典的な指導法が残されている[184]。2013年5月、文部科学省の有識者会議は大阪市立桜宮高等学校のバスケットボール部員が指導者から体罰を受けたことを苦に自殺した事件を受けて、部活動中において指導者が部員に対して過度な肉体的、精神的負荷を与える行為を禁止するガイドラインを示した[185][186]。このガイドラインについて『スポーツニッポン』紙は「往年の『巨人の星』のような限度を超えたスポ根ヒーローの出現は難しくなった」と報じた[185]。
文化的影響
[編集]- 手塚治虫
- 漫画家の手塚治虫は生涯に渡って様々な題材の漫画作品を発表したが、スポーツや格闘技の世界を描くことはなかった[187][188]。その背景には熱血スポーツものの源流となった福井英一への対抗心や[189]、庶民的かつ大衆娯楽的な価値観への忌避感があったといわれる[187]。手塚自身は戦前と戦後で価値観が大きく転換したことへの諦めの感情から、主人公に深入りできなくなりシラケてしまうことを理由に挙げている[190]。また、手塚の弟子にあたるトキワ荘グループについても、その多くがSF作品を手掛けていたことや、梶原とコンビを組む作家の多くが劇画漫画家だったこともあり、梶原との接点はなかった[191]。
- 手塚は1960年代後半のスポ根ブームの際、室町時代を舞台とした『どろろ』を連載した。この作品において、父・醍醐景光の権威欲のために生まれながらに全身48か所の部位を失う身体的なハンデを背負った主人公・百鬼丸を登場させ、妖怪との戦いの中で各部位を取り戻すとともに自己を確立させていく姿を描いた[192]。社会学者の桜井哲夫は、景光と百鬼丸の関係は『巨人の星』の一徹と飛雄馬の関係への皮肉であり、隠された執筆の動機ではないかと指摘している[193]。さらに、この時期を境に間久部緑郎をはじめ父権的な価値観に反する登場人物を描く傾向が強まったといわれる[193]。
- 料理・グルメ漫画
- 料理・グルメ漫画における「公開の場での料理対決やその模様を実況中継という形で解説する」といった手法は従来の野球漫画から伝播したもので[194]、1970年代に『週刊少年ジャンプ』で連載された『包丁人味平』(原作:牛次郎、作画:ビッグ錠)などで導入された後、1990年代に料理人同士の対決を扱ったバラエティテレビ番組『料理の鉄人』に受け継がれた[194]。
- また、スポ根における「問題を解消するために特訓を繰り返し、その成果として必殺技を生み出す」といった手法も実況中継の手法に続いて伝播した[195]。「魔球」や「必殺技」の要素は「アイデア料理」「アイデア料理法」へと形を変え1980年代に『月刊少年マガジン』で連載された『スーパーくいしん坊』(原作:牛次郎、作画:ビッグ錠)や、『週刊少年マガジン』で連載された『ミスター味っ子』(寺沢大介)などの作品に受け継がれた[195]。
- 特撮
- 東映制作の特撮番組ではスポ根の影響を受け『タイガーマスク』のような子供の変身願望を満たす仮面ヒーロー作品を企画し[196]1971年から1973年にかけて毎日放送・NET系列で『仮面ライダー』が放送された。この作品では優れた身体能力を有する主人公・本郷猛が国際的秘密組織・ショッカーに改造手術を受けたことにより人間離れした能力を手にしたが、第13話のトカゲロン戦では未知の能力を引き出す手段として立花藤兵衛の下で特訓に挑む姿が描かれた[197]。その後、第31話のアリガバリ戦では一文字隼人が[198]、第94話のショッカーライダー戦では両者が特訓に挑む姿が描かれた[197]。ただし、作品自体はスポ根ものだけでなく既存の怪獣ものや妖怪ものの要素を取り入れたもので、以降の仮面ライダーシリーズにおいても視聴者層の少年達が好む様々な要素が取り入れられた[199]。
- 円谷プロダクション制作の特撮番組でも1970年代当時の「スポ根ブーム」の影響を受けて、1971年から1972年にTBS系列で放送された『帰ってきたウルトラマン』の第4話では主人公・郷秀樹が特訓の末に新必殺技を生み出し敵怪獣の弱点を突いて勝利する場面が描かれた[200]。また、1974年から1975年に放送された『ウルトラマンレオ』では、主人公・おゝとりゲンが特訓を重ねて必殺技を身に付けると共に精神的に成長する姿が描かれるなどスポ根的な手法が定番となっており[200]、鬼コーチ役のモロボシ・ダンから課せられる「ブレーキの利きが甘いジープに追いかけられる」などの過酷な特訓シーンは語り草となっている[201]。
- 音楽・芸能もの
- スポーツと芸能界という舞台は一見すると接点はないが、大舞台での熾烈な主導権争いや、ライバルとの競争に勝ち抜くために努力という代価が支払われる、といった競争原理において相通ずるといわれる[202]。アニメでは、スポ根における「困難な環境にあっても屈することなく這い上がる」要素を全面に取り入れ薄幸の少女が歌手として成功するまでを描いた「音楽根性もの」が企画され1971年に『さすらいの太陽』が放送された[203]。この作品は音楽アニメの先駆けとなった作品とされており[204]、日本では全26話で打ち切りとなったがフランスやイタリアで人気を獲得した[203]。その後、音楽や芸能界を扱ったアニメ作品は様々な変遷をたどるが、同作品が打ち出した様々な試練や悲劇性を前面に出したストーリー展開は、サクセスストーリーを描く上で欠かせないものとして定型化した[205]。
- 少女漫画では1976年から演劇を題材とした『ガラスの仮面』(美内すずえ)が連載されているが、少女の夢と魅力を中心に描きながらも、スポ根作品の物語構造や人物設定を取り入れ換骨奪胎した作品と評されている[206]。
- 戦闘美少女
- フィクション作品には戦闘美少女というキャラクター類型があるが[207]、『アタックNo.1』をはじめとした女子競技を扱ったスポ根作品もその類型に含まれるとされている[207]。戦闘美少女を扱った作品で1988年にガイナックスにより『トップをねらえ!』というSFロボットアニメが制作され、美少女・巨大ロボット・スポ根という3つの要素を組み合わせた作品となったが[208]、この作品において登場人物が健気や可愛らしさといった「少女らしさ」を犠牲にすることなく戦う姿を描いたことで戦闘美少女という表現の可能性を広げることになったと評されている[207]。
- ギャグ漫画
- 1970年代後半に入りスポ根におけるシリアスな展開、芝居がかった演出、精神主義は野球漫画『1・2のアッホ!!』(コンタロウ)や『すすめ!!パイレーツ』(江口寿史)などの作品により笑いの対象となったが[110]、漫画家の島本和彦は学園漫画『炎の転校生』において、根性を冷笑的にとらえるのではなくリスペクトを踏まえつつ過剰に描き込んだ[209][210]。その後、島本は『逆境ナイン』や『燃えよペン』などの作品で読者に笑いと熱気の双方を提供する「熱血ギャグ」の作風を確立している[209]。島本は後にゲームパワプロアプリでも熱血ギャグスポ根を手掛けている。[211]
- 2010年代の状況
- 2010年代に入り、オタク系コンテンツでは従来の空気系に代わり、学園ものにスポ根的な要素を取り入れた『ラブライブ!』や『ガールズ&パンツァー』などの作品が支持を集めている[212][213]。評論家のさやわかは『ラブライブ!』について「これまでの萌え要素に加え、登場人物達が努力する姿を応援するものとして発展したことで、従来とは異なるファン層を獲得することに成功した」と評している[212]。
- 携帯型ゲーム
- 携帯型ゲームにおいても野球ゲームの一つであるパワプロクンポケットシリーズにおいては、スポ根的な要素が取り入れられているが、その要素の取り入れ方は一捻りされたものである。つまり、従来の主人公とライバルの関係が逆転しているのである。
- 例えばパワプロクンポケット13「逆襲球児編」に於いては、野球エリートとして恵まれた人生を送ってきた主人公[214]が僻地の分校に転校させられ、根性で立ち上がろうとする。[215]つまり巨人の星で言えば主人公のライバル・花形に相当する人物が主人公になっている。その主人公が逆境に陥り、それを克服することが主題になっている。逆に主人公の敵役として実力はないが努力で主人公に追いつこうとする餅田浩紀が登場し、主人公の前に立ちはだかる。このゲームを開発したゲームクリエイターの西川直樹は「昔の(スポ根)野球漫画であれば彼(餅田)が主役でいける」[216]と話しており、意図的に従来型スポ根を逆転させようとしていたことがわかる。
主な作品
[編集]作品名 | 種目 | 連載期間 | ドラマ化 | アニメ化 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|
赤き血のイレブン | サッカー | 1970-1971 | - | 1970-1971 | [1][6] |
あしたのジョー | ボクシング | 1968-1973 | - | 1970-1971 他 | [1][6] |
アストロ球団 | 野球 | 1972-1976 | 2005 | - | [6] |
アタックNo.1 | バレーボール | 1968-1970 | 2005 | 1969-1971 | [1][4][6] |
アニマル1 | レスリング | 1967-1968 | - | 1968 | [217] |
美しきチャレンジャー | ボウリング | 1971 | 1971 | - | [200] |
エースをねらえ! | テニス | 1973-1980 | 2004 | 1973-1974 他 | [1][6] |
男どアホウ甲子園 | 野球 | 1970-1975 | - | 1970-1971 | [217] |
空手バカ一代 | 空手 | 1971-1977 | - | 1973-1974 | [6][175] |
キックの鬼 | キックボクシング | 1969-1971 | - | 1970-1971 | [1] |
巨人の星 | 野球 | 1966-1971 | - | 1968-1971 他 | [1][2][6] |
金メダルへのターン! | 水泳 | 1969-1970 | 1970-1971 | - | [1][4] |
くたばれ!!涙くん | サッカー | 1969-1970 | - | - | [4] |
コートにかける青春 スマッシュをきめろ! |
テニス | 1969 | 1971-1972 | - | [4] |
サインはV | バレーボール | 1968-1970 | 1969-1970 他 | - | [1][4][6] |
侍ジャイアンツ | 野球 | 1971-1974 | - | 1973-1974 | [6] |
柔道一直線 | 柔道 | 1967-1971 | 1969-1971 | - | [1][4] |
柔道讃歌 | 柔道 | 1972-1975 | - | 1974 | [218] |
タイガーマスク | プロレス | 1968-1971 | - | 1969-1971 | [1][6] |
ビバ!バレーボール | バレーボール | 1968-1971 | - | - | [219] |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 同作は熱血ものやスポ根ものに終止符を打った作品、アンチスポ根の代表格[72][124][129]、高校野球を背景にしたラブコメもの[130]と捉えられているが、2010年代頃から一部で評価を見直す動きがある[72]。マンガ研究家の岩下朋世は同作について、理想的存在の喪失が動機付けとなっている点などから、『がんばれ元気』以来のスポ根の解体と再構築の系譜に連なる作品と見ている[72]。元漫画編集者でライターの島田一志は、過去の作品より恋愛の比重が大きく、魔球も登場しないとしつつ、「鬼監督による理不尽なしごきに耐えたり、指から流血しながらボールを投げる」などの柏葉英二郎監督代行の登場以降のシーンなどを「昔ながらのスポ根漫画の定型」と表現[131]、「極めて80年代的なスポ根漫画だった、と考えたほうがいいのではないだろうか」と評した[132]。
- ^ 「ブラックシューズ」「ブラックシューズ、両手両足と腰にバネ」「大リーグ養成ギプス」のような筋力トレーニングによって、ボディビルのような強固な筋肉を身につけたとしても技術向上には結びつかないことが指摘されている[159][162]。また「千本ノック」のような反復練習に関しては初心者が技術を習得する上では有効であり[163]、繰り返し行うことで基礎技術の習得が可能となるが[160][163]、目的意識もなく漠然と反復練習を繰り返せばフォームが固定化されてしまい想定外の事態に対応できなくなる恐れがある[160]。
- ^ 大きな負荷のかかる運動が続き疲労状態にあるのにもかかわらずトレーニングを継続し、なおかつ栄養補給や休養が不十分な場合には「集中力や記憶力の低下」「不眠症」「食欲低下」「心拍数や血圧の上昇」などといった症状のオーバートレーニング症候群を発症する恐れがある[155]。オーバートレーニング症候群を発症した場合には競技成績や練習効果は低下し、重症の場合には休養が長期間に延び競技への復帰が困難となる恐れもある[155]。
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関連項目
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