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|背番号 = 35
|背番号 = 35
|選手写真ファイル名 = HAWKS35-Kawashima.jpg
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|写真のコメント = 2014年8月14日 福岡ヤフオク!ドーム
|写真のコメント = 2014年8月14日 福岡ヤフオク!ドーム
|国籍 = {{JPN}}
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = [[長崎県]][[佐世保市]]
|出身地 = [[長崎県]][[佐世保市]]
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== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
=== プロ入り前 ===
[[1983年]][[10月5日]]に[[長崎県]][[佐世保市]]で生まれる<ref name="仮契約">[https://web.archive.org/web/20060309005314/http://www.kita-nikkan.co.jp/fighters/nh05120501.htm 九州国際大の川島と仮契約/ドラフト3巡目指名]</ref>。[[佐世保市小学校一覧|佐世保市立戸尾小学校]]では1年生の時に[[ソフトボール]]を始め、[[佐世保市中学校一覧#かつて存在した公立中学校|佐世保市立旭中学校]]1年生の時に[[軟式野球]]を始め、1番・[[三塁手]]として活躍した。
小学校1年生の時にソフトボールを始め、佐世保市立旭中学校1年生の時に野球に転向。[[佐世保実業高等学校|佐世保実業高校]]では甲子園出場はならなかったが、二塁手として活躍。高校3年の夏の県大会ではベスト8。


[[佐世保実業高等学校|佐世保実業高校]]では[[遊撃手]]、[[二塁手]]として活躍し、4季連続九州大会に出場した<ref name="仮契約" />。高校3年の夏の県大会ではベスト8に入ったが甲子園出場は叶わなかった。
[[九州国際大学]][[法学部]]法律学科に進学。[[九州六大学野球連盟|九州六大学リーグ]]では[[二塁手]]として早くから頭角を現し、3年春と3年秋に2期連続で[[首位打者]]となった。4年秋には[[本塁打王]]も獲得し、MVPに選出された。大学通算打率.408と同リーグでは圧倒的な打力を誇り、九州No.1の野手と評価されていた。


[[九州国際大学]][[法学部]]法律学科に進学した。[[九州六大学野球連盟|九州六大学リーグ]]では、[[二塁手]]として早くから頭角を現し、2年秋と3年春に2期連続で[[首位打者]]となった<ref>[https://web.archive.org/web/20041205144452/http://www.nikkan-kyusyu.com/cgi-bin/vi/view.cgi?jl=be&id=1085918295 中田の2試合完投で北九大がV/九6] 2004年5月30日 日刊スポーツ九州</ref><ref name="2006名鑑">[https://web.archive.org/web/20070218065723/http://www.sponichi.co.jp/baseball/npb/2006/meikan/fighters/39.html 2006年度北海道日本ハムファイターズ名鑑] スポニチ</ref>。
[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2005年のプロ野球ドラフト会議]](大学生・社会人ほか対象)で[[北海道日本ハムファイターズ]]から3巡目指名を受け入団。

{{By|2005年}}、4年秋には[[本塁打王]]も獲得し、MVPに選出された。大学通算打率.408と同リーグでは圧倒的な打力を誇り、九州No.1の野手と評価されていた。

11月18日、[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2005年のプロ野球ドラフト会議]](大学生・社会人ほか対象)で[[北海道日本ハムファイターズ]]から3巡目指名を受け入団した<ref name="仮契約" />


=== 日本ハム時代 ===
=== 日本ハム時代 ===
;{{By|2006年}}
{{by|2006年}}は一軍キャンプでプロ生活をスタート。オープン戦初打席でサヨナラ[[本塁打]]を放つなど勝負強い打撃と堅実な守備を見せ、開幕一軍の座を掴んだが、レギュラーを掴むまでには至らなかった。一軍では24試合出場と定着しきれなかったが、プロ初安打・初盗塁・初打点を記録した。特に初安打を放った[[4月16日]]の試合には両親を招待していた。守備面では[[田中賢介]]と正二塁手の座を争っていたがこれに敗れ、シーズン中盤より[[外野手]]としての出場が増加していった。翌{{by|2007年}}は、本人の希望もあって外野手登録となる。
指名時点で球団は外野手として期待していたが、川島が二塁手を続ける事を希望した<ref name="仮契約" />。春季キャンプは一軍で開始した<ref>[http://www.kita-nikkan.co.jp/fighters/nh06011303.htm 新人の八木、川島が1軍へ/春季キャンプ日程を確認] 2006年1月13日北海道日刊スポーツ(リンク切れ)</ref>。2月26日にオープン戦初打席で場外サヨナラスリーランホームランを放つ<ref>[https://web.archive.org/web/20060316104615/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200602/bt2006022710.html 日本ハム・川島“プロ初打席”の一発にしてやったり]</ref>など勝負強い打撃と堅実な守備を見せ、開幕一軍の座を掴んだ。4月2日の対[[オリックス・バファローズ]]戦で7回に代打としてプロ初出場し、[[山本省吾]]相手に中飛で倒れ、そのまま左翼手として守備についた<ref>[https://web.archive.org/web/20061128123927/http://www6.nikkansports.com/baseball/professional/score/2006/200604020wf.html プロ野球スコア速報 オリックス−日本ハム nikkansports.com]</ref>。4月3日に一旦抹消され、4月14日に再昇格すると、4月15日に敵地・[[福岡ドーム|福岡 Yahoo! JAPANドーム]]で行われた対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦で9回から代打として出場し、延長12回同点一死一三塁の場面で、[[馬原孝浩]]にショートゴロを打たされたが、チームが禁止していた[[スライディング|ヘッドスライディング]]を敢行してセーフとなる間に三塁走者[[小笠原道大]]が生還し、同試合の決勝点を挙げ、これがプロ初打点となった<ref>[https://web.archive.org/web/20060423195419/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200604/bt2006041601.html 日本ハム・八木惜しい!!延長十回ノーヒットノーランのまま降板] 2006年4月16日SANSPO.COM</ref>。また直後に馬原-[[山崎勝己]]バッテリーからプロ入り初盗塁も記録した<ref>[https://web.archive.org/web/20061128123922/http://www6.nikkansports.com/baseball/professional/score/2006/200604150hf.html プロ野球スコア速報 ソフトバンク−日本ハム nikkansports.com]</ref>。4月16日の同カードで1番二塁手として初の先発出場を果たし、7回に[[杉内俊哉]]からレフト前ヒットでプロ初安打を放ち、[[フェルナンド・セギノール]]の二塁打で生還しプロ初得点も記録した<ref>[https://web.archive.org/web/20061210005859/http://www6.nikkansports.com/baseball/professional/score/2006/200604160hf.html プロ野球スコア速報 ソフトバンク−日本ハム nikkansports.com]</ref>。4月22日の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦で本拠地・[[札幌ドーム]]で初出場した。調子は続かず打率.130となった所で5月12日に二軍へ降格した。7月20日に[[東京ドーム]]で行われた[[フレッシュオールスターゲーム]]に6番・右翼手で先発起用され、4打数無安打だったが、2回にショートゴロでチーム初打点を挙げた<ref>[http://bis.npb.or.jp/scores/freshallstargame/boxscore2006.html 2006年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果]</ref>。8月3日に再昇格すると、8月6日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦で4回に代打で起用され[[西口文也]]から二塁打を放ち代打での初安打を記録し、7回にも再び西口から二塁打を打ち初の[[マルチヒット]]を達成した<ref>[https://web.archive.org/web/20070929214219/http://www.tbs.co.jp/baseball/pastgame/20060806LF01d.html エキサイトベースボール | 8月6日(日) 西武 vs 日本ハム(試合詳細)]</ref>。8月20日に二軍へ降格し、9月16日に再昇格すると、同日の対千葉ロッテ戦では9回に代打で出場し、[[ジャスティン・ミラー]]から二塁打を打ち本拠地初安打を記録した<ref>[https://web.archive.org/web/20061128130307/http://www6.nikkansports.com/baseball/professional/score/2006/200609160fm.html プロ野球スコア速報 日本ハム−ロッテ nikkansports.com]</ref>。リーグ戦1位通過を決めた9月27日のシーズン最終戦には代走でのみ出場した<ref>[https://web.archive.org/web/20061117205824/http://www6.nikkansports.com/baseball/professional/score/2006/200609270fh.html プロ野球スコア速報 日本ハム−ソフトバンク nikkansports.com]</ref>。1年目の先発出場は9試合、打率182でシーズンを終えた。守備面では失策は無かったが内野手失格となり、5月以降は[[外野手]]や指名打者で起用された<ref name="内野再挑戦">[https://web.archive.org/web/20071230101153/http://hokkaido.nikkansports.com/baseball/professional/fighters/p-hf-tp0-20071227-300277.html 競争激化!日本ハム川島が二塁挑戦プラン] 2007年12月27日 日刊スポーツ北海道</ref>。二軍ではリーグ6位タイの9本塁打(207打数)を記録した<ref>[http://bis.npb.or.jp/2006/stats/lb_hr_e.html 2006年度 イースタン・リーグ 本塁打【リーダーズ(打撃部門)】]</ref>。


[[2006年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]は2試合ともベンチ入りしたが出場機会が無かった。10月16日に抹消され[[2006年の日本シリーズ|日本シリーズ]]にはベンチ入りできなかった。[[2006年のアジアシリーズ|アジアシリーズ]]では11月10日予選リーグ第2戦の対[[Lamigoモンキーズ|La Newベアーズ]]戦に8番・左翼手で先発出場したが[[ケニー・レイボーン]]に2三振を喫し、代打を送られ途中交代した<ref>[http://bis.npb.or.jp/scores/asiaseries/boxscore2006_4.html 2006年度 KONAMI CUP アジアシリーズ 試合結果(予選リーグ)]</ref>。シーズンオフの12月11日に一般女性と入籍した<ref>[https://web.archive.org/web/20071130130203/http://hokkaido.nikkansports.com/baseball/professional/fighters/f-hf-tp0-20061211-129032.html 日本ハム「イケメン」川島が入籍] 2006年12月11日 日刊スポーツ北海道</ref>。
その2007年には、前年に引退した[[新庄剛志]]の後任の1人として期待をかけられたが故障で大きく出遅れ、開幕二軍スタート。6月に一軍昇格したが、[[工藤隆人]]の台頭、また再三の故障で一軍定着はならなかった。


;{{By|2007年}}
{{by|2008年}}1月、[[藤井秀悟]]、[[坂元弥太郎]]、[[三木肇]]との[[トレード|交換トレード]]で[[橋本義隆]]、[[押本健彦]]と共に[[東京ヤクルトスワローズ]]へ移籍。移籍により再び[[内野手]]登録に戻す。背番号は期待も込められて00。
前年の契約更改の席で外野に専念したい意向を球団に伝え、同年から外野手登録となった<ref>[https://web.archive.org/web/20070108030226/http://hokkaido.nikkansports.com/baseball/professional/fighters/f-hf-tp0-20070106-139140.html 日本ハム川島が外野で定位置狙う] 2007年1月6日 日刊スポーツ北海道</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20071011031335/http://www.fighters.co.jp/news/2007/01/070128.php 沖縄春季キャンプ参加選手のお知らせ] 2007年1月28日 北海道日本ハムファイターズ公式サイト</ref>。春季キャンプで右肩を痛め<ref>[https://web.archive.org/web/20071130130203/http://hokkaido.nikkansports.com/baseball/professional/fighters/p-hf-tp0-20070213-155890.html 日本ハム川島&陽が別メニュー調整] 2007年2月13日 日刊スポーツ北海道</ref>、開幕は二軍で迎えた。6月14日に一軍昇格し、7月9日に二軍へ降格、9月11日に再昇格し、9月17日に降格、9月30日に再昇格と昇降を繰り返したが、[[工藤隆人]]の台頭などにより10試合の出場(先発起用4試合)に終わった。
[[2007年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]第2ステージは第2戦、第4戦の2試合に出場した。[[2007年の日本シリーズ|日本シリーズ]]は第2戦から第4戦までの3試合に途中出場し、1打席1死球だった。

;{{By|2008年}}
1月11日、[[藤井秀悟]]、[[坂元弥太郎]]、[[三木肇]]との[[トレード|交換トレード]]で[[橋本義隆]]、[[押本健彦]]と共に[[東京ヤクルトスワローズ]]へ移籍した<ref>[http://www.fighters.co.jp/news/detail/11.html ニュース | トレードのお知らせ | 北海道日本ハムファイターズ] 2008年1月11日配信</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20080304014531/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200801/bt2008011000.html 燕・藤井が日本ハムへトレード!高田監督“古巣”相手に豪腕 ] 2008年1月10日SANSPO.COM</ref>。


=== ヤクルト時代 ===
=== ヤクルト時代 ===
;{{By|2008年}}
{{by|2008年}}、[[オープン戦]]で2位の打率を残し、開幕戦で初の先発出場した。4月には4割近い打率を残した。その後、一時故障で戦列を離れるも、足を故障した[[宮本慎也]]に代わり7月19日にプロ入り以来初めて[[遊撃手]]の守備に就き、これをきっかけに正遊撃手の座を獲得した。[[規定打席]]には約30打席足りなかったものの、プロ初本塁打を記録するなど初めてシーズンを通して一軍に定着。盗塁成功率.952(企図21、成功20)は10盗塁以上の中でリーグトップ。
1月22日に入団会見を行い、背番号は期待も込められて'''00'''となった<ref name="ヤクルト入団会見">[https://web.archive.org/web/20080128015946/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200801/bt2008012302.html ヤクルト、交換トレードで移籍した押本ら3選手が入団会見] 2008年1月23日SANSPO.COM</ref>。また、移籍により再び[[内野手]]登録に戻した<ref>[https://web.archive.org/web/20080415002046/http://bis.npb.or.jp/teams/rst_s.html 東京ヤクルトスワローズ 2008年度 選手一覧]</ref>。[[オープン戦]]で2位の打率を残し<ref>[http://bis.npb.or.jp/2008/stats/bat_op.html 2008年度 オープン戦 個人打撃成績(規定打席以上)]</ref>、開幕を一軍で迎えた。3月28日に本拠地・[[明治神宮野球場]]で行われた[[読売ジャイアンツ]]との開幕戦で1番・三塁手で先発出場し、2回第2打席でタイムリー打を打ち、移籍後初安打・初打点さらに初得点を記録、4回にはショートゴロで出塁して[[高橋尚成]]-[[阿部慎之助]]から移籍後初盗塁も記録し、[[高田繁]]監督のヤクルトでの初勝利にも貢献した<ref>[https://web.archive.org/web/20080501091139/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200803/bt2008032901.html 高田燕、開幕巨倒で初勝利!ラミ&グラ奪われた恨み晴らした] </ref>
<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2008/cl2008032801.html プロ野球スコア速報 ヤクルト対巨人 : nikkansports.com] 2008年3月29日SANSPO.COM</ref>。4月3日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦で7回に右手親指付け根の痺れで途中交代し<ref>[https://web.archive.org/web/20080512083913/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200804/bt2008040405.html ランランラン!走る燕が首位浮上で6戦セ最多の13盗塁] 2008年4月4日SANSPO.COM</ref>、
東京都内の病院で検査の結果、右手親指付け根の靭帯損傷と診断され、4月4日に一軍選手登録を抹消された。4月25日に再昇格すると、4月26日の対[[中日ドラゴンズ]]戦で[[小笠原孝]]から4打数3安打を放ってプロ入り初の[[猛打賞]]を記録した<ref>[https://web.archive.org/web/20080928141835/http://www.yakult-swallows.co.jp/game/archive/200804/20080426.html チャンスで一本出ず、接戦落とす… 今季3度目の完封負けで勝率5割] スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2008/cl2008042601.html プロ野球スコア速報 ヤクルト対中日 : nikkansports.com]</ref>。翌4月27日には[[吉見一起]]から4回第2打席にレフトへソロ本塁打を放ち、これがプロ入り初本塁打となった<ref>[https://web.archive.org/web/20080928141509/http://www.yakult-swallows.co.jp/game/archive/200804/20080427.html 川島慶選手のプロ初アーチなどで詰め寄るも及ばず、今季初の借金1…] スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2008/cl2008042701.html プロ野球スコア速報 ヤクルト対中日 : nikkansports.com]</ref>。4月30日の対[[阪神タイガース]]戦でも猛打賞を記録し、4月終了時点では打率.333(42打数14安打)だった。6月29日の対阪神戦では7回同点一死一三塁の場面で代打起用され、[[ジェフ・ウィリアムス]]からレフトに決勝打となる犠牲フライを打ち<ref>[https://web.archive.org/web/20080704135619/http://www.yakult-swallows.co.jp/game/archive/200806/20080629.html 飯原選手、川島慶選手の代打陣の活躍! 青木選手、2試合連続弾! 粘りの逆転勝利!!] スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ</ref>、これが代打でのプロ入り初打点となった。6月21日以降[[ウィルソン・バルデス]]が足を故障した[[宮本慎也]]に代わる遊撃手として出場していたが、7月16日に川島が代打からプロ初の遊撃手の守備に付いたのをきっかけに<ref>[https://web.archive.org/web/20090324093213/http://www.yakult-swallows.co.jp/game/archive/200807/20080716.html チャンス作るも1本が出ず、今季6度目の完封負けで連勝ストップ] スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ</ref>、7月20日の対[[広島東洋カープ]]戦で遊撃手でプロ初の先発起用となり<ref>[https://web.archive.org/web/20090323063603/http://www.yakult-swallows.co.jp/game/archive/200807/20080720.html 頼れる2番、主将・宮本選手が決勝打!! 接戦制し、今季初の4連勝で勝率5割復帰!!] スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ</ref>、その後正遊撃手の座を獲得した。8月31日から9月10日、9月12日から9月20日に8試合連続安打を2度記録するなど9月は月間打率.378(74打数28安打)と好調だった。[[規定打席]]に29打席足りなかったものの、自己最多の121試合(先発96試合)に出場し、初めてシーズンを通して一軍に定着。リーグ7位の20盗塁を記録し、盗塁成功率.952(企図数21)は同年の10盗塁以上の選手の中でリーグトップだった。

また同年は3月31日に[[北京オリンピック]][[野球日本代表]]の第1次候補選手に追加選出されたが<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/03/31/kiji/K20080331Z00000560.html 星野ジャパン代表候補77人を発表]</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2008/04/01/kiji/K20080401Z00000780.html “G倒効果”で福川ら北京候補入り] 2008年4月1日スポニチ</ref>、最終メンバーには選出されなかった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/07/17/kiji/K20080717Z00000470.html 日本代表24人決定!上原、新井も… ] 2008年7月17日 スポニチ</ref>。

;{{By|2009年}}
開幕を一軍で迎えて、4月3日の開幕戦から2番遊撃手として先発出場、阪神との開幕カード第2戦・第3戦でプロ初の2試合連続本塁打を放つなど好スタートを切った。4月19日の対広島戦では3安打4打点と活躍した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2009npb/swallows/KFullNormal20090420131.html 漫才じゃない!“ダブル川島”神宮の拍手独占] 2009年04月20日スポニチ</ref>。4月21日の対読売戦で出身県・[[長崎県営野球場|長崎ビッグNスタジアム]]でのプロ初の出場を果たしたが4打数無安打と活躍はできなかった<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2009/cl2009042101.html プロ野球スコア速報 巨人対ヤクルト : nikkansports.com]</ref>。5月13日の対中日戦では3安打4打点の活躍をした<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2009/cl2009051302.html プロ野球スコア速報 中日対ヤクルト : nikkansports.com]</ref>。その後もスタメンでの出場を続けていたが、9月19日の練習時に古傷である右肘の痛みを訴え出場選手登録を抹消され<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/09/20/kiji/K20090920Z00001900.html 川島慶 復帰厳しい…右ひじ痛再発で抹消] 2009年9月20日スポニチ</ref>、そのままシーズンを終えた。翌年の開幕出場を希望し、手術でなく保存療法を選択した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2009npb/swallows/KFullNormal20091025003.html 川島慶「開幕に行くために」手術回避へ] 2009年10月25日スポニチ</ref>。自己最多の116試合に先発出場し、[[クリーンナップ]]以外全ての打順で出場、初めて規定打席にも到達し、安打・本塁打・打点すべて自己最多を更新した。一方、盗塁は成功数、成功率ともに著しく減少した。

;{{By|2010年}}
2月に入っても回復が思わしくなかったこともあり春季キャンプ中に考えを改め<ref>[https://web.archive.org/web/20100329061019/http://www.sanspo.com/baseball/news/100222/bsf1002220558003-n1.htm ヤクルト・川島慶、右ひじ手術の方向で調整] 2010年2月22日SANSPO.COM</ref>、3月4日、群馬県館林市内の病院で右肘の手術を行った<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/03/04/kiji/K20100304Z00000970.html 川島慶が右ひじ手術、無事終える] 2010年3月4日スポニチ</ref>。シーズン全てを[[リハビリ]]に費やし、一軍、二軍ともに試合出場の機会はなかった。

;{{By|2011年}}
開幕を一軍で迎え、4月12日の読売との開幕戦に8番遊撃手で先発出場したが、6回第2打席で[[東野峻]]から右手に死球を受けて負傷交代した。4月13日に北九州市内の病院で右手第5中手骨の骨折と診断され<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/14/kiji/K20110414000624100.html 川島 12日の死球で骨折…復帰初戦での悪夢] 2011年4月14日スポニチ</ref>、4月19日に右手甲の整復固定手術を受けた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/19/kiji/K20110419000660060.html 川島慶が右手甲を手術…全治2カ月半] 2011年4月19日スポニチ</ref>。7月26日に一軍に復帰し、7月30日の対読売戦では開幕以来の2番遊撃手で先発起用され、骨折の原因となった東野から初回に安打を放ち同点の走者として生還、6回には勝ち越しの犠牲フライを放って東野を降板させた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/31/kiji/K20110731001318490.html 川島慶 開幕以来の先発…“因縁”東野から犠飛で号泣] 2011年7月31日スポニチ</ref>。8月は打率.308(26打数8安打)と好調だったがわずか1打点とチームの勝利に結びつかず、[[川端慎吾]]から正遊撃手の座を奪うことはできなかった。10月3日に右肘の痛みを訴えて一軍登録を抹消され、10月20日に群馬県館林市内の病院で[[トミー・ジョン手術|靱帯再建手術]]を受けた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20111021-852915.html 【ヤクルト】川島慶右ひじ手術、全治1年] 2011年10月21日 日刊スポーツ</ref>。怪我の影響で先発出場は9試合にとどまった。12月17日の契約交渉で減額制限を超える年俸55パーセントダウンの1200万円で更改した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/12/20/kiji/K20111220002277020.html 来季中の復帰絶望的な川島 55%ダウンで更改] 2011年12月20日スポニチ</ref>。


;{{By|2012年}}
{{by|2009年}}、開幕から遊撃手としてスタートし、初戦で本塁打を放つ。8月11日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦で打った本塁打により、自身初の2桁本塁打を記録。また、初めて規定打席に到達した。その一方で盗塁成功率は前年と比較すると著しく低下した(.952→.533)。シーズン終盤に右ひじ[[靭帯]]を痛め、[[クライマックスシリーズ]]には出場はできなかった。当初は保存療法での回復をはかったものの、年明けの{{by|2010年}}[[3月4日]]に手術を行う。この結果、シーズンのほぼすべてを[[リハビリ]]に費やすことになり、試合出場の機会はなかった。
シーズンをリハビリに費やし、一軍、二軍ともに試合出場の機会はなかった。


;{{By|2013年}}
{{by|2011年}}、4月12日の開幕戦に8番遊撃手で先発出場したが、6回の打席で[[東野峻]]から右手に死球を受けて途中交代。右手第5中手骨の骨折と診断され<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/14/kiji/K20110414000624100.html 川島 12日の死球で骨折…復帰初戦での悪夢]</ref>、4月19日に手術を受けた。7月26日に復帰し、30日には遊撃手としてスタメン出場した。しかし、8月は自身の打撃絶好調がチームの勝利に結びつかず、[[川端慎吾]]とのスタメン争いにおいて常に後塵を拝する格好となる。その川端が9月中盤に負った故障から精彩を欠くが、自身も10月初めに再び右ひじの痛みを訴え戦列を離れてしまい、同月20日に[[トミー・ジョン手術|靱帯再建手術]]を受けた<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2011102100599 川島慶が右肘手術=プロ野球・ヤクルト]</ref>。
開幕を一軍で迎え、3月29日の開幕戦では守備から遊撃手で途中出場し、3月30日から8番遊撃手で先発出場し、正遊撃手に復帰した。打率が2割を切ったのを境に4月20日以降控えでの起用も増え、遊撃手は[[森岡良介]]との併用となった。最終的に101試合(先発出場61試合)に出場し、本塁打も打ったが打率を大幅に下げた。


;{{By|2014年}}
{{by|2012年}}、結局怪我は治らず1試合も出ることなくファームで調整のみのシーズンとなった。
右肩と右肘の違和感を訴えてキャンプは二軍で迎え、3月8日の[[駿河台大学]]との練習試合で三塁打を放った際のスライディングで左手親指を負傷し<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20140309/swa14030903530002-n1.html 2軍調整中の燕・川島、骨折か…練習試合で左手親指を負傷] 2014年3月9日サンスポ紙面</ref>、3月10日に東京都内の病院で検査の結果、左手の母指末節骨骨折と診断された<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/03/10/kiji/K20140310007749360.html 川島が左手骨折 ヤクルト遊撃手一番手はドラ2新人] 2014年3月10日スポニチ</ref>。5月23日に一軍へ昇格し、代走や守備での途中出場から結果を出し、6月13日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦で8番遊撃手として先発起用され、3回に二塁打で出塁し同点の走者として生還した<ref>[https://web.archive.org/web/20140704082829/http://yakult-swallows.co.jp/game/20140613.html 6月13日(金)東北楽天ゴールデンイーグルス-東京ヤクルトスワローズ | 東京ヤクルトスワローズ公式サイト]</ref>。続く6月14日から再び控えへ戻り、7月13日から8番遊撃手で4試合連続先発起用された。7月14日の対読売戦では[[内海哲也]]から決勝打となるタイムリー打を放ち、5打席全て出塁と活躍した<ref>[http://www.tbs.co.jp/baseball/pastgame/20140714GS01d.html エキサイトベースボール | プロ野球速報 | 7月14日(月) 巨人 vs ヤクルト(試合詳細)]</ref>。


7月20日に[[日高亮]]と共に[[新垣渚]]、[[山中浩史]]との交換トレードで[[福岡ソフトバンクホークス]]へ移籍した<ref>[https://web.archive.org/web/20140727103636/http://www.yakult-swallows.co.jp/information/detail.php?article_seq=17442 トレード成立のお知らせ] 東京ヤクルトスワローズ球団公式サイト2014年7月20日配信</ref>。
{{by|2013年}}、101試合に出場し、打率.213、4本塁打、打点14であった。


=== ソフトバンク時代 ===
=== ソフトバンク時代 ===
;{{By|2014年}}
{{by|2014年}}、[[7月20日]]に[[日高亮]]とともに[[新垣渚]]、[[山中浩史]]との交換トレードで[[福岡ソフトバンクホークス]]へ移籍<ref>[http://www.yakult-swallows.co.jp/information/detail.php?article_seq=17442 トレード成立のお知らせ] 東京ヤクルトスワローズ球団公式サイト2014年7月20日配信</ref>。[[7月25日]]、ウエスタン・リーグの対オリックス戦([[福岡ドーム|福岡 ヤフオク!ドーム]])で3安打3打点の活躍でそのまま一軍登録。同日の同球場で行われた一軍の対オリックス戦の7回裏に代打で移籍後一軍初出場。死球で出塁し、二盗を記録している<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/26/kiji/K20140726008630690.html ヤクからトレードのソフトB川島 初出場で二盗]スポーツニッポン2014年7月26日配信</ref>
7月22日、日高と共に入団会見を行った<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/11112.html トレード入団の川島選手、日高投手が会見] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 選手ニュース 2014年7月22日配信</ref>。7月25日、[[ウエスタン・リーグ]]の対オリックス戦([[福岡ドーム|福岡 ヤフオク!ドーム]])で3安打3打点の活躍により一軍へ昇格し<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140725-1340338.html ソフトバンク川島、アピール実り1軍登録] 2014年7月25日 日刊スポーツ</ref><ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/11124.html 川島選手、日高投手がファーム戦に出場] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 選手ニュース 2014年7月25日配信 </ref>、同日同球場で行われた一軍の対オリックス戦の7回裏に代打で移籍後一軍初出場を果たした。[[中山慎也]]に死球を受けて出塁し、直後に中山-[[伊藤光]]バッテリーから二盗を成功させ移籍後初盗塁を記録し、[[今宮健太]]の内野安打により生還し移籍後初得点も記録した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/26/kiji/K20140726008630690.html ヤクからトレードのソフトB川島 初出場で二盗]スポーツニッポン2014年7月26日配信</ref><ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2014072501/ 一球速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト]</ref>。7月31日の対楽天戦で[[塩見貴洋]]から移籍後初安打を記録した<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/hero/2014073101/ 川島が移籍後初ヒットを放つも、連勝は「6」でストップ…] ゲームレポート | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140801-1343917.html ソフトB川島 移籍後初先発初安打] 2014年8月1日 日刊スポーツ</ref>。8月13日の対楽天戦で[[松井裕樹]]から移籍後初タイムリーとなるセンター前ヒットを打った<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2014081301/ 一球速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト]</ref>。しかし[[吉村裕基]]の一軍復帰により、翌日8月14日に二軍降格となりそのままシーズンを終えた。12月2日の契約交渉後に新入団した[[飯田哲也_(野球)|飯田哲也]]一軍外野守備走塁コーチの勧めもあり、2015年は外野守備に再挑戦することを表明した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141203-1404093.html ソフトB川島、来季は外野挑戦へ] 2014年12月3日 日刊スポーツ</ref>。


== プレースタイル・人物 ==
== プレースタイル ==
プロ入り前は50メートル走のタイムは5秒7、遠投110メートルの強肩の身体能力で、大学時代の通算成績は240打数98安打14本塁打、打率.408だった<ref name="競輪" />。
{{独自研究|section=1|date=2009年11月}}
身体能力が高く、全身がバネのようで小柄な体格ながら鋭いスイングにパンチ力を秘めている。早いカウントから積極的に振りにいき、得意な真ん中、内角よりの[[速球]]を引っ張り、左翼方向へ弾き返すのが持ち味。


小柄な体格ながらパンチ力を秘めており、[[流し打ち|右打ち]]にも長けた器用さを兼ね備えた打撃である<ref name="2006名鑑" />。盗塁成功率も高い(2014年終了現在で通算81.5パーセント)。
本塁から一塁まで3.9秒台と右打者としては屈指の脚力を誇る。50m走は5秒7。<ref>http://www.maruu2.com/outield.htm</ref>塁間の走塁だけでなく、投手の癖を盗むセンスにも秀でており、塁に出れば積極的に盗塁を試みる。盗塁の成功率も高いため(2009年現在で通算.794)、足を武器に出来る選手である。


柔らかいグラブ捌き、素早いクイックターン、スナップの強さ、地肩の強さ(大学時代には投手として球速141km/hを計測したことがある)を併せ持ち、内外野複数のポジションを務める事が出来る[[ユーティリティープレイヤー]]である。一軍の公式戦で[[一塁手]]、[[捕手]]、[[投手]]以外の全ポジションでの出場を経験している。
内外野複数のポジションを務める事が出来る[[ユーティリティープレイヤー]]であり、一軍の公式戦で[[一塁手]]、[[捕手]]、[[投手]]以外の全ポジションでの出場を経験している。


== 人物 ==
佐世保実業高校では共に野球部でプレーしていた兄の[[川島勝]]が、その後[[競輪]]に転向してS級プロ選手になっており、川島自身も指名されなかったら競輪選手を目指すつもりだったと入団時に語っている。
佐世保実業高校では共に野球部でプレーしていた兄の[[川島勝]]が、その後[[競輪]]に転向してS級プロ選手になっており、川島自身も指名されなかったら競輪選手を目指すつもりだったと入団時に語っている<ref name="競輪">[https://web.archive.org/web/20060309005302/http://www.kita-nikkan.co.jp/fighters/nh05111902.htm 3巡目川島「兄弟キャンプ」で開幕1軍狙う/大学・社会人ドラフト] 2005年11月19日 北海道日刊スポーツ</ref>


大学時代に九州6大学選抜でハワイに遠征した際に、[[マイアミ・マーリンズ|フロリダ・マーリンズ]]から獲得を打診された事がある<ref>[https://web.archive.org/web/20060308111947/http://www.kita-nikkan.co.jp/fighters/nh06021202.htm 大学・社会人ドラフト3巡目川島バックスクリーンへプロ初本塁打] 2006年2月12日北海道日刊スポーツ</ref>。
ヤクルトへ移籍する際に、2007年まで日本ハムの[[ゼネラルマネージャー]](GM)を務めていた[[東京ヤクルトスワローズ]]の元監督[[高田繁]]は川島を高く評価しており「出血覚悟で藤井の名前を出したら乗ってきた」と語っていた<ref>[http://number.goo.ne.jp/baseball/npb/701/20080417-1-1.html Number 701号]より。</ref>。川島自身も、入団会見において高田の胴上げ、即ちリーグ優勝に貢献することを目標として挙げていた。その高田の要望によって、川島は2008年から再び内野手登録になった。<!--ヤクルトとすれば藤井でなく、[[福地寿樹]]([[FA]]で[[埼玉西武ライオンズ]]へ移籍した[[石井一久]]の人的補償で獲得したばかり)にすべきで、これによって先発投手の駒不足に陥った。(藤井を放出すべきでなかったという意見はともかく、放出すべき選手は福地だったという意見の根拠がわからない。第一、ヤクルトの先発投手が駒不足に陥ったのは川島とは関係の無い話である)-->


甘いマスクであり入団1年目はスター候補として期待されていた<ref>[https://web.archive.org/web/20060427181603/http://hokkaido.nikkansports.com/baseball/professional/fighters/p-hf-tp0-20060425-23352.html 日本ハムのルーキー川島は次期スター候補] 2006年4月25日 日刊スポーツ北海道</ref>。ドラフト指名時に大学時代の伊藤健治監督は「顔も評価された」と述べた<ref name="競輪" />。ヤクルト時代の同僚・[[武内晋一]]は「明るくて、ムードが和む。ベンチの盛り上げ役」と評価した<ref>[https://web.archive.org/web/20141028025610/http://yakult-swallows.co.jp/players/2011/0000_kawashima.html 川島慶三 | 東京ヤクルトスワローズ公式サイト]</ref>。
2011年オフに[[川島亮]]が退団、東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍したため、マスメディアでの表記は「川島」になったが、スコアボード表記の「川島慶」と場内アナウンスのフルネーム呼称は継続されてい

ヤクルトへ移籍する際に、2007年まで日本ハムの[[ゼネラルマネージャー]](GM)を務めていたヤクルト元監督[[高田繁]]は川島を高く評価しており「出血覚悟で藤井の名前を出したら乗ってきた」と語っていた<ref>[http://number.goo.ne.jp/baseball/npb/701/20080417-1-1.html Number 701号]より。</ref>。川島は入団会見で高田の胴上げを目標に掲げた<ref name="ヤクルト入団会見" />。

2011年オフに[[川島亮]]がヤクルト退団したため、マスメディアでの表記は「川島」になったが、スコアボード表記の「川島慶」と場内アナウンスのフルネーム呼称は継続されてい


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
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=== 年度別守備成績 ===
=== 年度別守備成績 ===
{| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small;"
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!rowspan="2"|年度!!colspan="6"|二塁!!colspan="6"|三塁!!colspan="6"|遊撃!!colspan="6"|外野
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!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率
!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率
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|2008||rowspan="5" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|ヤクルト||colspan="6"|-||42||28||74||5||4||.953||54||68||141||4||24||.981||43||26||2||1||0||.966
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|2009||colspan="6"|-||colspan="6"|-||118||187||371||9||67||.984||colspan="6"|-
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|2013||colspan="6"|-||colspan="6"|-||95||98||197||9||35||.970||2||0||0||0||0||.000
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|rowspan="2"|2014||colspan="6"|-||colspan="6"|-||19||16||32||0||7||1.000||colspan="6"|-
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|rowspan="1" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|ソフトバンク||colspan="6"|-||8||4||8||0||0||1.000||colspan="6"|-||colspan="6"|-
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!colspan="2"|通算||7||12||18||0||5||1.000||50||32||82||5||4||.958||316||387||776||22||139||.981||58||40||2||1||0||.977
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* '''39''' (2006年 - 2007年)
* '''39''' (2006年 - 2007年)
* '''00''' (2008年 - 2013年)
* '''00''' (2008年 - 2013年)
* '''13''' (2014年
* '''13''' (2014年 - 同年7月20日
* '''35''' (2014年 - )
* '''35''' (2014年7月22日 - )



=== 登場曲 ===
=== 登場曲 ===
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* [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]]
* [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]]
* [[新庄剛志]] - イメージカラーのオレンジを川島に引き継いだ。
* [[新庄剛志]] - イメージカラーのオレンジを川島に引き継いだ。

== 外部リンク ==
* [http://www.softbankhawks.co.jp/team/player/detail/35.html 福岡ソフトバンクホークス公式サイト 川島慶三 選手名鑑]
* [http://bis.npb.or.jp/players/81585112.html 個人年度別成績 【川島慶三 (福岡ソフトバンクホークス)】]


{{福岡ソフトバンクホークス}}
{{福岡ソフトバンクホークス}}

2015年3月30日 (月) 11:57時点における版

川島 慶三
福岡ソフトバンクホークス #35
2014年8月14日 福岡ヤフオク!ドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県佐世保市
生年月日 (1983-10-05) 1983年10月5日
身長
体重
172 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手外野手三塁手二塁手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2006年4月2日
年俸 2,200万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

川島 慶三(かわしま けいぞう、1983年10月5日 - )は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手内野手外野手)。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。

経歴

プロ入り前

1983年10月5日長崎県佐世保市で生まれる[1]佐世保市立戸尾小学校では1年生の時にソフトボールを始め、佐世保市立旭中学校1年生の時に軟式野球を始め、1番・三塁手として活躍した。

佐世保実業高校では遊撃手二塁手として活躍し、4季連続九州大会に出場した[1]。高校3年の夏の県大会ではベスト8に入ったが甲子園出場は叶わなかった。

九州国際大学法学部法律学科に進学した。九州六大学リーグでは、二塁手として早くから頭角を現し、2年秋と3年春に2期連続で首位打者となった[2][3]

2005年、4年秋には本塁打王も獲得し、MVPに選出された。大学通算打率.408と同リーグでは圧倒的な打力を誇り、九州No.1の野手と評価されていた。

11月18日、2005年のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で北海道日本ハムファイターズから3巡目指名を受け入団した[1]

日本ハム時代

2006年

指名時点で球団は外野手として期待していたが、川島が二塁手を続ける事を希望した[1]。春季キャンプは一軍で開始した[4]。2月26日にオープン戦初打席で場外サヨナラスリーランホームランを放つ[5]など勝負強い打撃と堅実な守備を見せ、開幕一軍の座を掴んだ。4月2日の対オリックス・バファローズ戦で7回に代打としてプロ初出場し、山本省吾相手に中飛で倒れ、そのまま左翼手として守備についた[6]。4月3日に一旦抹消され、4月14日に再昇格すると、4月15日に敵地・福岡 Yahoo! JAPANドームで行われた対福岡ソフトバンクホークス戦で9回から代打として出場し、延長12回同点一死一三塁の場面で、馬原孝浩にショートゴロを打たされたが、チームが禁止していたヘッドスライディングを敢行してセーフとなる間に三塁走者小笠原道大が生還し、同試合の決勝点を挙げ、これがプロ初打点となった[7]。また直後に馬原-山崎勝己バッテリーからプロ入り初盗塁も記録した[8]。4月16日の同カードで1番二塁手として初の先発出場を果たし、7回に杉内俊哉からレフト前ヒットでプロ初安打を放ち、フェルナンド・セギノールの二塁打で生還しプロ初得点も記録した[9]。4月22日の千葉ロッテマリーンズ戦で本拠地・札幌ドームで初出場した。調子は続かず打率.130となった所で5月12日に二軍へ降格した。7月20日に東京ドームで行われたフレッシュオールスターゲームに6番・右翼手で先発起用され、4打数無安打だったが、2回にショートゴロでチーム初打点を挙げた[10]。8月3日に再昇格すると、8月6日の対埼玉西武ライオンズ戦で4回に代打で起用され西口文也から二塁打を放ち代打での初安打を記録し、7回にも再び西口から二塁打を打ち初のマルチヒットを達成した[11]。8月20日に二軍へ降格し、9月16日に再昇格すると、同日の対千葉ロッテ戦では9回に代打で出場し、ジャスティン・ミラーから二塁打を打ち本拠地初安打を記録した[12]。リーグ戦1位通過を決めた9月27日のシーズン最終戦には代走でのみ出場した[13]。1年目の先発出場は9試合、打率182でシーズンを終えた。守備面では失策は無かったが内野手失格となり、5月以降は外野手や指名打者で起用された[14]。二軍ではリーグ6位タイの9本塁打(207打数)を記録した[15]

プレーオフは2試合ともベンチ入りしたが出場機会が無かった。10月16日に抹消され日本シリーズにはベンチ入りできなかった。アジアシリーズでは11月10日予選リーグ第2戦の対La Newベアーズ戦に8番・左翼手で先発出場したがケニー・レイボーンに2三振を喫し、代打を送られ途中交代した[16]。シーズンオフの12月11日に一般女性と入籍した[17]

2007年

前年の契約更改の席で外野に専念したい意向を球団に伝え、同年から外野手登録となった[18][19]。春季キャンプで右肩を痛め[20]、開幕は二軍で迎えた。6月14日に一軍昇格し、7月9日に二軍へ降格、9月11日に再昇格し、9月17日に降格、9月30日に再昇格と昇降を繰り返したが、工藤隆人の台頭などにより10試合の出場(先発起用4試合)に終わった。 クライマックスシリーズ第2ステージは第2戦、第4戦の2試合に出場した。日本シリーズは第2戦から第4戦までの3試合に途中出場し、1打席1死球だった。

2008年

1月11日、藤井秀悟坂元弥太郎三木肇との交換トレード橋本義隆押本健彦と共に東京ヤクルトスワローズへ移籍した[21][22]

ヤクルト時代

2008年

1月22日に入団会見を行い、背番号は期待も込められて00となった[23]。また、移籍により再び内野手登録に戻した[24]オープン戦で2位の打率を残し[25]、開幕を一軍で迎えた。3月28日に本拠地・明治神宮野球場で行われた読売ジャイアンツとの開幕戦で1番・三塁手で先発出場し、2回第2打席でタイムリー打を打ち、移籍後初安打・初打点さらに初得点を記録、4回にはショートゴロで出塁して高橋尚成阿部慎之助から移籍後初盗塁も記録し、高田繁監督のヤクルトでの初勝利にも貢献した[26] [27]。4月3日の対横浜ベイスターズ戦で7回に右手親指付け根の痺れで途中交代し[28]、 東京都内の病院で検査の結果、右手親指付け根の靭帯損傷と診断され、4月4日に一軍選手登録を抹消された。4月25日に再昇格すると、4月26日の対中日ドラゴンズ戦で小笠原孝から4打数3安打を放ってプロ入り初の猛打賞を記録した[29][30]。翌4月27日には吉見一起から4回第2打席にレフトへソロ本塁打を放ち、これがプロ入り初本塁打となった[31][32]。4月30日の対阪神タイガース戦でも猛打賞を記録し、4月終了時点では打率.333(42打数14安打)だった。6月29日の対阪神戦では7回同点一死一三塁の場面で代打起用され、ジェフ・ウィリアムスからレフトに決勝打となる犠牲フライを打ち[33]、これが代打でのプロ入り初打点となった。6月21日以降ウィルソン・バルデスが足を故障した宮本慎也に代わる遊撃手として出場していたが、7月16日に川島が代打からプロ初の遊撃手の守備に付いたのをきっかけに[34]、7月20日の対広島東洋カープ戦で遊撃手でプロ初の先発起用となり[35]、その後正遊撃手の座を獲得した。8月31日から9月10日、9月12日から9月20日に8試合連続安打を2度記録するなど9月は月間打率.378(74打数28安打)と好調だった。規定打席に29打席足りなかったものの、自己最多の121試合(先発96試合)に出場し、初めてシーズンを通して一軍に定着。リーグ7位の20盗塁を記録し、盗塁成功率.952(企図数21)は同年の10盗塁以上の選手の中でリーグトップだった。

また同年は3月31日に北京オリンピック野球日本代表の第1次候補選手に追加選出されたが[36][37]、最終メンバーには選出されなかった[38]

2009年

開幕を一軍で迎えて、4月3日の開幕戦から2番遊撃手として先発出場、阪神との開幕カード第2戦・第3戦でプロ初の2試合連続本塁打を放つなど好スタートを切った。4月19日の対広島戦では3安打4打点と活躍した[39]。4月21日の対読売戦で出身県・長崎ビッグNスタジアムでのプロ初の出場を果たしたが4打数無安打と活躍はできなかった[40]。5月13日の対中日戦では3安打4打点の活躍をした[41]。その後もスタメンでの出場を続けていたが、9月19日の練習時に古傷である右肘の痛みを訴え出場選手登録を抹消され[42]、そのままシーズンを終えた。翌年の開幕出場を希望し、手術でなく保存療法を選択した[43]。自己最多の116試合に先発出場し、クリーンナップ以外全ての打順で出場、初めて規定打席にも到達し、安打・本塁打・打点すべて自己最多を更新した。一方、盗塁は成功数、成功率ともに著しく減少した。

2010年

2月に入っても回復が思わしくなかったこともあり春季キャンプ中に考えを改め[44]、3月4日、群馬県館林市内の病院で右肘の手術を行った[45]。シーズン全てをリハビリに費やし、一軍、二軍ともに試合出場の機会はなかった。

2011年

開幕を一軍で迎え、4月12日の読売との開幕戦に8番遊撃手で先発出場したが、6回第2打席で東野峻から右手に死球を受けて負傷交代した。4月13日に北九州市内の病院で右手第5中手骨の骨折と診断され[46]、4月19日に右手甲の整復固定手術を受けた[47]。7月26日に一軍に復帰し、7月30日の対読売戦では開幕以来の2番遊撃手で先発起用され、骨折の原因となった東野から初回に安打を放ち同点の走者として生還、6回には勝ち越しの犠牲フライを放って東野を降板させた[48]。8月は打率.308(26打数8安打)と好調だったがわずか1打点とチームの勝利に結びつかず、川端慎吾から正遊撃手の座を奪うことはできなかった。10月3日に右肘の痛みを訴えて一軍登録を抹消され、10月20日に群馬県館林市内の病院で靱帯再建手術を受けた[49]。怪我の影響で先発出場は9試合にとどまった。12月17日の契約交渉で減額制限を超える年俸55パーセントダウンの1200万円で更改した[50]

2012年

シーズンをリハビリに費やし、一軍、二軍ともに試合出場の機会はなかった。

2013年

開幕を一軍で迎え、3月29日の開幕戦では守備から遊撃手で途中出場し、3月30日から8番遊撃手で先発出場し、正遊撃手に復帰した。打率が2割を切ったのを境に4月20日以降控えでの起用も増え、遊撃手は森岡良介との併用となった。最終的に101試合(先発出場61試合)に出場し、本塁打も打ったが打率を大幅に下げた。

2014年

右肩と右肘の違和感を訴えてキャンプは二軍で迎え、3月8日の駿河台大学との練習試合で三塁打を放った際のスライディングで左手親指を負傷し[51]、3月10日に東京都内の病院で検査の結果、左手の母指末節骨骨折と診断された[52]。5月23日に一軍へ昇格し、代走や守備での途中出場から結果を出し、6月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で8番遊撃手として先発起用され、3回に二塁打で出塁し同点の走者として生還した[53]。続く6月14日から再び控えへ戻り、7月13日から8番遊撃手で4試合連続先発起用された。7月14日の対読売戦では内海哲也から決勝打となるタイムリー打を放ち、5打席全て出塁と活躍した[54]

7月20日に日高亮と共に新垣渚山中浩史との交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍した[55]

ソフトバンク時代

2014年

7月22日、日高と共に入団会見を行った[56]。7月25日、ウエスタン・リーグの対オリックス戦(福岡 ヤフオク!ドーム)で3安打3打点の活躍により一軍へ昇格し[57][58]、同日同球場で行われた一軍の対オリックス戦の7回裏に代打で移籍後一軍初出場を果たした。中山慎也に死球を受けて出塁し、直後に中山-伊藤光バッテリーから二盗を成功させ移籍後初盗塁を記録し、今宮健太の内野安打により生還し移籍後初得点も記録した[59][60]。7月31日の対楽天戦で塩見貴洋から移籍後初安打を記録した[61][62]。8月13日の対楽天戦で松井裕樹から移籍後初タイムリーとなるセンター前ヒットを打った[63]。しかし吉村裕基の一軍復帰により、翌日8月14日に二軍降格となりそのままシーズンを終えた。12月2日の契約交渉後に新入団した飯田哲也一軍外野守備走塁コーチの勧めもあり、2015年は外野守備に再挑戦することを表明した[64]

プレースタイル

プロ入り前は50メートル走のタイムは5秒7、遠投110メートルの強肩の身体能力で、大学時代の通算成績は240打数98安打14本塁打、打率.408だった[65]

小柄な体格ながらパンチ力を秘めており、右打ちにも長けた器用さを兼ね備えた打撃である[3]。盗塁成功率も高い(2014年終了現在で通算81.5パーセント)。

内外野複数のポジションを務める事が出来るユーティリティープレイヤーであり、一軍の公式戦では一塁手捕手投手以外の全ポジションでの出場を経験している。

人物

佐世保実業高校では共に野球部でプレーしていた兄の川島勝が、その後競輪に転向してS級プロ選手になっており、川島自身も指名されなかったら競輪選手を目指すつもりだったと入団時に語っている[65]

大学時代に九州6大学選抜でハワイに遠征した際に、フロリダ・マーリンズから獲得を打診された事がある[66]

甘いマスクであり入団1年目はスター候補として期待されていた[67]。ドラフト指名時に大学時代の伊藤健治監督は「顔も評価された」と述べた[65]。ヤクルト時代の同僚・武内晋一は「明るくて、ムードが和む。ベンチの盛り上げ役」と評価した[68]

ヤクルトへ移籍する際に、2007年まで日本ハムのゼネラルマネージャー(GM)を務めていたヤクルト元監督高田繁は川島を高く評価しており「出血覚悟で藤井の名前を出したら乗ってきた」と語っていた[69]。川島は入団会見で高田の胴上げを目標に掲げた[23]

2011年オフに川島亮がヤクルト退団したため、マスメディアでの表記は「川島」になったが、スコアボード表記の「川島慶」と場内アナウンスのフルネーム呼称は継続されていた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 日本ハム 24 37 33 6 6 3 0 0 9 2 2 0 1 0 2 0 1 8 0 .182 .250 .273 .523
2007 10 21 18 2 4 1 0 0 5 0 1 0 1 0 0 0 2 3 0 .222 .300 .278 .578
2008 ヤクルト 121 417 353 52 90 16 4 4 126 35 20 1 19 4 32 1 9 60 11 .255 .329 .357 .686
2009 118 485 427 49 109 13 2 12 162 43 8 7 17 3 32 0 6 77 9 .255 .314 .379 .693
2011 40 54 46 8 12 0 0 0 12 3 3 0 1 1 4 0 2 8 0 .261 .340 .261 .600
2013 101 268 225 27 48 5 0 4 65 14 7 2 14 1 23 2 5 38 4 .213 .299 .289 .588
2014 19 36 26 8 7 2 0 0 9 1 1 0 2 0 7 2 1 6 2 .269 .441 .346 .787
ソフトバンク 10 21 17 1 3 0 0 0 3 1 2 0 0 0 3 0 1 5 0 .176 .333 .176 .510
'14計 29 57 43 9 10 2 0 0 12 2 3 0 2 0 10 2 2 11 2 .233 .400 .279 .679
通算:7年 443 1339 1145 153 279 40 6 20 391 99 44 10 55 9 103 5 27 205 26 .244 .319 .341 .660
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績

年度 球団 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 日本ハム 7 12 18 0 5 1.000 - - 6 5 0 0 0 1.000
2007 - - - 7 9 0 0 0 1.000
2008 ヤクルト - 42 28 74 5 4 .953 54 68 141 4 24 .981 43 26 2 1 0 .966
2009 - - 118 187 371 9 67 .984 -
2011 - - 30 18 35 0 6 1.000 -
2013 - - 95 98 197 9 35 .970 2 0 0 0 0 .000
2014 - - 19 16 32 0 7 1.000 -
ソフトバンク - 8 4 8 0 0 1.000 - -
通算 7 12 18 0 5 1.000 50 32 82 5 4 .958 316 387 776 22 139 .981 58 40 2 1 0 .977

記録

背番号

  • 39 (2006年 - 2007年)
  • 00 (2008年 - 2013年)
  • 13 (2014年 - 同年7月20日)
  • 35 (2014年7月22日 - )

登場曲

  • アフリカ-DANCE HALL LOVERS SEAON FIVE
  • 今夜はブギーバック

脚注

  1. ^ a b c d 九州国際大の川島と仮契約/ドラフト3巡目指名
  2. ^ 中田の2試合完投で北九大がV/九6 2004年5月30日 日刊スポーツ九州
  3. ^ a b 2006年度北海道日本ハムファイターズ名鑑 スポニチ
  4. ^ 新人の八木、川島が1軍へ/春季キャンプ日程を確認 2006年1月13日北海道日刊スポーツ(リンク切れ)
  5. ^ 日本ハム・川島“プロ初打席”の一発にしてやったり
  6. ^ プロ野球スコア速報 オリックス−日本ハム nikkansports.com
  7. ^ 日本ハム・八木惜しい!!延長十回ノーヒットノーランのまま降板 2006年4月16日SANSPO.COM
  8. ^ プロ野球スコア速報 ソフトバンク−日本ハム nikkansports.com
  9. ^ プロ野球スコア速報 ソフトバンク−日本ハム nikkansports.com
  10. ^ 2006年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果
  11. ^ エキサイトベースボール | 8月6日(日) 西武 vs 日本ハム(試合詳細)
  12. ^ プロ野球スコア速報 日本ハム−ロッテ nikkansports.com
  13. ^ プロ野球スコア速報 日本ハム−ソフトバンク nikkansports.com
  14. ^ 競争激化!日本ハム川島が二塁挑戦プラン 2007年12月27日 日刊スポーツ北海道
  15. ^ 2006年度 イースタン・リーグ 本塁打【リーダーズ(打撃部門)】
  16. ^ 2006年度 KONAMI CUP アジアシリーズ 試合結果(予選リーグ)
  17. ^ 日本ハム「イケメン」川島が入籍 2006年12月11日 日刊スポーツ北海道
  18. ^ 日本ハム川島が外野で定位置狙う 2007年1月6日 日刊スポーツ北海道
  19. ^ 沖縄春季キャンプ参加選手のお知らせ 2007年1月28日 北海道日本ハムファイターズ公式サイト
  20. ^ 日本ハム川島&陽が別メニュー調整 2007年2月13日 日刊スポーツ北海道
  21. ^ ニュース | トレードのお知らせ | 北海道日本ハムファイターズ 2008年1月11日配信
  22. ^ 燕・藤井が日本ハムへトレード!高田監督“古巣”相手に豪腕 2008年1月10日SANSPO.COM
  23. ^ a b ヤクルト、交換トレードで移籍した押本ら3選手が入団会見 2008年1月23日SANSPO.COM
  24. ^ 東京ヤクルトスワローズ 2008年度 選手一覧
  25. ^ 2008年度 オープン戦 個人打撃成績(規定打席以上)
  26. ^ 高田燕、開幕巨倒で初勝利!ラミ&グラ奪われた恨み晴らした
  27. ^ プロ野球スコア速報 ヤクルト対巨人 : nikkansports.com 2008年3月29日SANSPO.COM
  28. ^ ランランラン!走る燕が首位浮上で6戦セ最多の13盗塁 2008年4月4日SANSPO.COM
  29. ^ チャンスで一本出ず、接戦落とす… 今季3度目の完封負けで勝率5割 スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ
  30. ^ プロ野球スコア速報 ヤクルト対中日 : nikkansports.com
  31. ^ 川島慶選手のプロ初アーチなどで詰め寄るも及ばず、今季初の借金1… スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ
  32. ^ プロ野球スコア速報 ヤクルト対中日 : nikkansports.com
  33. ^ 飯原選手、川島慶選手の代打陣の活躍! 青木選手、2試合連続弾! 粘りの逆転勝利!! スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ
  34. ^ チャンス作るも1本が出ず、今季6度目の完封負けで連勝ストップ スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ
  35. ^ 頼れる2番、主将・宮本選手が決勝打!! 接戦制し、今季初の4連勝で勝率5割復帰!! スコアボード | 東京ヤクルトスワローズ
  36. ^ 星野ジャパン代表候補77人を発表
  37. ^ “G倒効果”で福川ら北京候補入り 2008年4月1日スポニチ
  38. ^ 日本代表24人決定!上原、新井も… 2008年7月17日 スポニチ
  39. ^ 漫才じゃない!“ダブル川島”神宮の拍手独占 2009年04月20日スポニチ
  40. ^ プロ野球スコア速報 巨人対ヤクルト : nikkansports.com
  41. ^ プロ野球スコア速報 中日対ヤクルト : nikkansports.com
  42. ^ 川島慶 復帰厳しい…右ひじ痛再発で抹消 2009年9月20日スポニチ
  43. ^ 川島慶「開幕に行くために」手術回避へ 2009年10月25日スポニチ
  44. ^ ヤクルト・川島慶、右ひじ手術の方向で調整 2010年2月22日SANSPO.COM
  45. ^ 川島慶が右ひじ手術、無事終える 2010年3月4日スポニチ
  46. ^ 川島 12日の死球で骨折…復帰初戦での悪夢 2011年4月14日スポニチ
  47. ^ 川島慶が右手甲を手術…全治2カ月半 2011年4月19日スポニチ
  48. ^ 川島慶 開幕以来の先発…“因縁”東野から犠飛で号泣 2011年7月31日スポニチ
  49. ^ 【ヤクルト】川島慶右ひじ手術、全治1年 2011年10月21日 日刊スポーツ
  50. ^ 来季中の復帰絶望的な川島 55%ダウンで更改 2011年12月20日スポニチ
  51. ^ 2軍調整中の燕・川島、骨折か…練習試合で左手親指を負傷 2014年3月9日サンスポ紙面
  52. ^ 川島が左手骨折 ヤクルト遊撃手一番手はドラ2新人 2014年3月10日スポニチ
  53. ^ 6月13日(金)東北楽天ゴールデンイーグルス-東京ヤクルトスワローズ | 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  54. ^ エキサイトベースボール | プロ野球速報 | 7月14日(月) 巨人 vs ヤクルト(試合詳細)
  55. ^ トレード成立のお知らせ 東京ヤクルトスワローズ球団公式サイト2014年7月20日配信
  56. ^ トレード入団の川島選手、日高投手が会見 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 選手ニュース 2014年7月22日配信
  57. ^ ソフトバンク川島、アピール実り1軍登録 2014年7月25日 日刊スポーツ
  58. ^ 川島選手、日高投手がファーム戦に出場 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 選手ニュース 2014年7月25日配信
  59. ^ ヤクからトレードのソフトB川島 初出場で二盗スポーツニッポン2014年7月26日配信
  60. ^ 一球速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト
  61. ^ 川島が移籍後初ヒットを放つも、連勝は「6」でストップ… ゲームレポート | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト
  62. ^ ソフトB川島 移籍後初先発初安打 2014年8月1日 日刊スポーツ
  63. ^ 一球速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト
  64. ^ ソフトB川島、来季は外野挑戦へ 2014年12月3日 日刊スポーツ
  65. ^ a b c 3巡目川島「兄弟キャンプ」で開幕1軍狙う/大学・社会人ドラフト 2005年11月19日 北海道日刊スポーツ
  66. ^ 大学・社会人ドラフト3巡目川島バックスクリーンへプロ初本塁打 2006年2月12日北海道日刊スポーツ
  67. ^ 日本ハムのルーキー川島は次期スター候補 2006年4月25日 日刊スポーツ北海道
  68. ^ 川島慶三 | 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  69. ^ Number 701号より。
  70. ^ この試合で日本ハム投手陣(八木智哉武田久マイケル中村)は、ともにプロ野球史上初となる「延長回を含む試合で投手継投によるノーヒットノーラン」および「3投手継投によるノーヒットノーラン」を記録した。

関連項目

外部リンク