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2016年6月8日 (水) 03:44時点における版
南部 陽一郎 | |
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ベンジャミン・フランクリン・メダル授賞式典 (2005年、フィラデルフィア) | |
生誕 |
1921年1月18日 日本 東京府東京市 |
死没 |
2015年7月5日(94歳没) 日本 大阪府豊中市 |
居住 |
日本 アメリカ合衆国 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
研究分野 | 物理学 |
研究機関 |
大阪市立大学 プリンストン高等研究所 シカゴ大学 大阪大学 |
出身校 | 東京帝国大学 |
主な業績 |
弦理論の提唱 自発的対称性の破れの提唱 |
主な受賞歴 |
文化勲章(1978年) アメリカ国家科学賞(1982年) マックス・プランク・メダル(1985年) J・J・サクライ賞(1994年) ウルフ賞物理学部門(1994年) ノーベル物理学賞(2008年) |
プロジェクト:人物伝 |
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南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、1921年1月18日 - 2015年7月5日[1][2])は日本出身、アメリカ国籍の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授、大阪大学特別栄誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学 1952年)。
日本の福井県福井市出身。自宅が大阪府豊中市にあり、シカゴに在住していた。1970年に日本からアメリカ合衆国へ帰化した[3]。
概要
日系アメリカ人(一世)の理論物理学者で1952年に渡米、1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者の一人[4]としても知られ、現在の素粒子物理学の基礎をなす様々な領域に多大な貢献をなした。とくに自発的対称性の破れの発見により、2008年にノーベル物理学賞を受賞した[5]。シカゴ在住だったが、晩年は大阪府豊中市にもある自宅に身を寄せていた。
来歴
生い立ち
日本の東京府東京市にて福井県出身の父親と福島県出身の母親の間に生まれた。2歳のとき、関東大震災に遭遇し、父の実家のある福井県福井市に転居した。旧制福井中学(現福井県立藤島高等学校)卒業。父の吉郎は立命館中学校の卒業生で、福井県内の高校で英語教師を務めていた。第一高等学校に補欠合格し[6]、同校3年のとき湯川秀樹の評判に刺激されて理論物理学の研究を志し、東京帝国大学に進み1943年に課程を短縮されて2年半で卒業した後、陸軍の召集を受けて宝塚市のレーダー研究所に配属された[7]。
戦後の研究開始から渡米まで
1945年終戦後に東京帝国大学の理学部物理学教室(物理学科)に嘱託で復帰し、同室の木庭二郎らとともに、朝永振一郎の研究グループに参加し朝永の方法を吸収しつつ、時々訪れ議論を展開した武谷三男からも影響を受けている。コペンハーゲン学派の自由な研究を持ち込んだ仁科芳雄の下に朝永はいた[8]。
1950年、朝永振一郎の推薦で早川幸男、山口嘉夫、西島和彦、中野董夫とともに大阪市立大学理工学部に理論物理学のグループを立ち上げた[7]。「大阪市大での3年間は年長の教授がおらず、学生が少ないため講義の負担も少なかったため、自由を満喫できた」と後に語っている[7]。ここではベーテ=サルピーター(=南部)方程式の導出、K中間子の対発生の研究などの成果を挙げた。
渡米とその後の活動
1952年に再び朝永の推薦を受け、木下東一郎と共にプリンストン高等研究所に赴任した。プリンストンでは強い相互作用の飽和性やスピン軌道力の研究を計画していたが、難航した[9]。翌年もプリンストンに籍を置きながら、春から秋にかけては湯川秀樹が残していた資金を元にカリフォルニア工科大学でγ-π productionの研究を行っている[9]。1954年にゴールドバーガーの誘いを受けてシカゴ大学の核物理研究所に着任。同研究所には小柴昌俊らもいた[9]。シカゴ大ではグリーン関数の表示法を研究したほか、ω中間子の存在を提唱している。
1970年にアメリカ合衆国に帰化した。2011年現在、シカゴ大学物理科学部物理学科および同学部のエンリコ・フェルミ研究所においてハリー・プラット・ジャドソン殊勲名誉教授、大阪市立大学名誉教授、大阪市立大学特別栄誉教授、大阪大学特別栄誉教授、福井市名誉市民、豊中市名誉市民などの称号を持つ。大阪大学には研究室を持ち、年に幾度も来日して特別栄誉教授として研究を続けていた。晩年、自宅は米イリノイ州シカゴと大阪府豊中市にあった。
2015年7月5日、急性心筋梗塞のため逝去[1][2]。満94歳没(享年95)。
研究
1960年代にクォークの持つ自由度としてのカラーチャージの導入(同時期にオスカー・W・グリーンバーグ[10]、韓茂栄、南部陽一郎[11]、宮本米二、堀尚一が独立して提唱)、自発的対称性の破れなど、素粒子の強い相互作用において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者の一人としても知られる。
1970年にハドロンの性質を記述する模型として弦理論(ひも理論)の提案を行った(同時期にレオナルド・サスキンド、ホルガー・ニールセンが独立に提唱)。しかし弦理論は、ハドロンの理論としては問題点があることが明らかになった。一方でゲージ理論としての量子色力学が確立していった時期でもあり、多くの研究者は弦理論から離れていった。弦理論はその後、ジョン・シュワルツらにより、ハドロンではなく重力を含む統一理論として研究が続けられた(超弦理論)[12]。
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略歴
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- 1921年1月18日 - 東京府東京市麻布区元麻布に生まれる。後に本籍を東京都に移したため、「東京都出身」と書かれる場合もある。
- 1923年 - 関東大震災で被災したことを契機に、父の実家のある福井県福井市に転居。
- 1933年 - 福井市立進放小学校(現在の福井市松本小学校)[13]卒業。
- 1937年 - 福井中学校4年修了。
- 1940年 - 第一高等学校卒業。
- 1942年 - 東京帝国大学理学部物理学科卒業。
- 1942年
- 東京帝国大学助手
- 陸軍で1年間通常兵役後、宝塚市で陸軍の短波レーダーの研究に従事。
- 宝塚のゴルフクラブで知り合った飛田(ひだ)智恵子と結婚。
- 東京大学の研究室内で3年間寝食しながら研究(木庭二郎と)。
- 1949年 - 大阪市立大学理工学部助教授。妻の実家がある大阪府豊中市上野から勤務。
- 1950年 - 同大学理論物理学教室教授(1956年まで)
- 1952年 - 東京大学より理学博士号を取得。
- 1952年 - 渡米。プリンストン高等研究所(当時の所長はロバート・オッペンハイマー)に2年間滞在。
- 1954年 - シカゴ大学に移籍。
- 1956年 - 同大学助教授
- 1958年 - 同大学教授
- 1970年 - アメリカ合衆国に帰化。
- 1970年 - ハドロンの弦理論(ひも理論)を提案。
- 1991年 - シカゴ大学エンリコ・フェルミ研究所名誉教授
- 1994年 - 立命館大学客員教授および立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー就任を契機として、両大学に南部陽一郎研究奨励金創設。
- 1996年 - 大阪大学第一号名誉博士
- 2006年 - 大阪大学招聘教授
- 2011年 - 大阪市立大学特別栄誉教授
- 2011年 - 大阪大学特別栄誉教授
- 2015年7月5日 - 急性心筋梗塞のため死去[1][2]。94歳没。
学術賞歴
- 1970年 - ハイネマン賞数理物理学部門を受賞。
- 1977年 - オッペンハイマー賞を受賞。
- 1982年 - アメリカ国家科学賞(物理学部門)を受賞[14]。受賞理由:素粒子の相互作用の理解への貢献。
- 1985年 - マックス・プランク・メダルを受賞[15]。受賞理由:素粒子物理学の先駆的貢献。
- 1986年 - ディラック賞を受賞[16]。受賞理由:素粒子理論物理学における先駆的業績。
- 1994年 - J・J・サクライ賞を受賞[17]。受賞理由:アメリカ物理学会における、献身的な貢献。
- 1994年 - ウルフ賞物理学部門を受賞[18]。受賞理由:理論物理学における先駆的な貢献。
- 2005年 - ベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞[19]。受賞理由:理論物理学における、先駆的な貢献。
- 2005年 - オスカル・クラインメダル受賞。
- 2008年 - ノーベル物理学賞を受賞[20][21]。受賞理由:自発的対称性の破れの発見。
栄典
- 1978年 - 文化功労者顕彰、文化勲章受章。受章理由:物理学における長年の貢献に対して。
- 1979年 - 福井市名誉市民[22]
- 2003年 - 福井県民賞[23]
- 2011年 - 豊中市名誉市民[24]
著作
一般向け
- 『クォーク 第2版―素粒子物理はどこまで進んできたか』 講談社ブルーバックス、1998年 ISBN 4-06-257205-2
- 『クォーク 第1版―素粒子物理の最前線』 講談社ブルーバックス、1981年 ISBN 4-06-118080-0
- (同書の英訳)"Quarks: Frontiers in Elementary Particle Physics" World Scientific Publishing Company (1985) ISBN 9971-966-66-2
- 『素粒子の宴』 南部陽一郎、H.D.ポリツァー、工作舎、1979年; 新装版 2008年 ISBN 978-4-87502-415-6
- (H. デビッド・ポリツァーは2004年度ノーベル物理学賞受賞。対談の主催者は松岡正剛)
- 『クオークの閉じ込め』南部陽一郎(藤井昭彦訳)サイエンス
- "The Confinement of Quarks"Scientific American 235-5,November 1976
- クオークが閉じ込められるのは、位数3のパラ・フェルミ統計に従うからであるとする。
- 『南部陽一郎が語る 日本物理学の青春時代』日経サイエンス、1999年3月号
教科書
- 『大学院素粒子物理(1)―素粒子の基本的性質』 中村誠太郎 編、南部陽一郎ほか著、講談社、1997年 ISBN 4-06-153224-3
主な論文
- Y. Nambu and G. Jona-Lasinio, "Dynamical model of elementary particles based on an analogy with superconductivity. I," Phys. Rev. 122, 345-358 (1961) doi:10.1103/PhysRev.122.345
- Y. Nambu and G. Jona-Lasinio, "Dynamical model of elementary particles based on an analogy with superconductivity. II," Phys. Rev. 124, 246-254 (1961) doi:10.1103/PhysRev.124.246
- オンサンガーの2次元Isingモデルの別解法
- A Note on the Eigenvalue Problem in Crystal Stastics, Progress of Theoretical Physics, 5:1 (1950)
- ベーテ・サルピーター方程式
- Force Potentials in Quantum Field Theory, Progress of Theoretical Physics, 5:614 (1950)
- 学位論文。ラグランジュ形式とハミルトニアン形式について論じている。
- On Lagrangian and Hamiltonian Formalism, Progress of Theoretical Physics, 7:131 (1952)
- オメガ (ω) 中間子の存在を提唱
- Possible Existence of a Heavy Neutral Meson, Physical Review, 106:1366 (1957)
- 一般グリーン関数の研究
- Parametric Representation of General Green's Function, Nuovo Cimento Ser. X, 6:1064 (1957)
- カラー量子数の導入(量子光力学の提唱)
- Y. Nambu and M. Y. Han, "A Three-Triplet Model with Double SU(3) Symmetry," Physical Review 139, B1006 (1965)
- ひも理論の出発点になった1970年の論文
- Quark Model and the Factorization of the Veneziano Amplitude (talk presented at International Conference on Symmmetries and Quark Models, Wayne University, 1969) Gordon and Breach (1970)
論文集
- "Broken Symmetry: Selected Papers of Y. Nambu" World Scientific Series in 20th Century Physics, Vol 13 (1995) ISBN 981-02-2356-0
エピソード
- 少年時代に自分の手で鉱石ラジオを製作し、野球中継を聴いたことに大感激したことを明かしている[25]。
- 第一高等学校時代は物理が特に苦手で、エントロピーを理解できずに熱力学の単位を落とした[26]。
- 陸軍で兵士としての勤務1年の後、短波レーダーの研究に従事した。そのとき朝永振一郎によるレーダー理論の海軍機密文書[27]を盗み出すように陸軍から命ぜられたが、朝永本人に頼むことにより入手した[28]。
- 東大4年の時、湯川秀樹と朝永振一郎に素粒子を勉強したいと言ったら、「素粒子については、天才でないと理解できない」といわれて、一度はねつけられた[29]。
- プリンストン高等研究所時代、2度アインシュタインに会う。2回目の時アインシュタインは量子力学が信用できないことを必死に説明しようとした[30]。
- 東大の物理学科の卒論はウィリアム・ブレイク(イギリスの詩人、画家、銅版画職人)だった[31]。
参考資料
南部の経歴・人柄に関するもの
- 素粒子論研究(わが研究の思い出)(<特集>日本物理学会のあゆみ)My Study of Elementary Particles 日本物理學會誌 Vol.32, No.10 (1977) pp.773-778@CiNii
- 1977年、日本物理学会の学会誌に寄稿された、南部の自伝的原稿。
- 「素粒子物理の青春時代を回顧する (Remembrance of the Youthful Years of Particle Physics)」 日本物理學會誌 Vol.57, No.1 (2002) pp. 2-8@CiNii
- 2002年、日本物理学会の学会誌に寄稿された、南部の自伝的原稿。上の続き。
- 現代化学 2009年3月号 西島肇(東京大学名誉教授)
- Profile: Yoichiro Nambu - 南部の教え子が書いた南部の紹介。生い立ちから研究まで。サイエンティフィック・アメリカン誌1995年2月号掲載記事。
- 上記の翻訳:南部陽一郎 素粒子物理学の予言者 世界の科学者:日経サイエンス、1995年4月号pp.8-10
脚注
- ^ a b c 南部陽一郎さん死去「破れ」理論でノーベル物理学賞受賞 産経新聞 2015年7月17日閲覧
- ^ a b c 南部陽一郎 大阪大学特別栄誉教授のご逝去について 大阪大学 2015年7月17日閲覧
- ^ 氏名表記、氏名の読み、生年月日、称号(シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授)、専門分野、博士号の種別・取得大学・取得年、出身地、国籍は、日外アソシエーツ株式会社編『新訂 現代日本人名録 2002 3. そーひれ』日外アソシエーツ株式会社、2002年1月28日、1334頁。
- ^ 同時期に提唱した人物として、レオナルド・サスキンド、ホルガー・ニールセンが挙げられる。
- ^ 日本は二重国籍を原則として認めておらず現在は日本国籍を喪失しているが、受賞対象の研究業績は1970年にアメリカに帰化する前のものであることから、日本の文部科学省は統計上はアメリカ人に算入しつつも、日本人受賞者としてその業績を紹介している(毎日新聞2008年10月15日)。
- ^ 「福井が育てたノーベル賞学者南部陽一郎」(3)東京での青春時代 福井新聞2008年11月15日
- ^ a b c 日本物理學會誌 57(1)、P.2
- ^ 素粒子論の発展 南部陽一郎
- ^ a b c 日本物理學會誌 57(1)、P.3
- ^ O. W. Greenberg “Spin and Unitary-Spin Independence in a Paraquark Model of Baryons and Mesons” Physical Review Letters 13 (1964) 598-602
- ^ “Three-Triplet Model with Double SU(3) Symmetry”. Physical Review 139: B1006. (1965). doi:10.1103/PhysRev.139.B1006.
- ^ 夏梅誠『超ひも理論への招待』日経BP社
- ^ 福井新聞2008年10月9日付特集記事
- ^ The President's National Medal of Science: Recipient Details:Yoichiro Nambu 全米科学財団 2008年10月11日 閲覧
- ^ Max-Planck-Medaille ドイツ物理学会 2008年10月11日 閲覧
- ^ Dirac Medallists 1986 国際理論物理学センター 2008年10月11日 閲覧
- ^ 1994 J. J. Sakurai Prize for Theoretical Particle Physics Recipient:Yoichiro Nambu アメリカ物理学会 2008年10月11日 閲覧
- ^ THE 1994/5 Wolf Foundation Prize In Physics ウルフ財団 2008年10月11日 閲覧
- ^ Franklin Laureate Database:Yoichiro Nambu, Sc.D. フランクリン協会 2008年10月11日 閲覧
- ^ The Nobel Prize in Physics 2008 ノーベル財団 2008年10月7日 閲覧
- ^ 29歳で教授、87歳なお最前線 ノーベル賞南部氏 Asahi.com 2008年10月7日 閲覧
- ^ 福井市名誉市民・市民栄誉賞 福井市 2008年10月11日 閲覧
- ^ 名誉市民の南部陽一郎先生が逝去されました。 福井市ホームページ 2015年8月11日 閲覧
- ^ 豊中市名誉市民 豊中市 2015年7月29日 閲覧
- ^ 知の巨人 南部陽一郎 (下)続け若者 『福井が育てたノーベル賞学者 南部陽一郎』 福井新聞
- ^ 日経サイエンス1995年4月号p.91
- ^ ハイゼンベルグによる場の理論の論文が1年がかりで海軍の潜水艦により運ばれ、それを基にした導波管の研究が機密論文になっていた。
- ^ 日経サイエンス1995年4月号p.91
- ^ 「南部陽一郎 私の理論を理解できなかったアインシュタイン」月刊現代最終号(2009年1月)p.55
- ^ 「南部陽一郎 私の理論を理解できなかったアインシュタイン」月刊現代最終号(2009年1月)p.58
- ^ ブライアン・グリーン エレガントな宇宙松岡正剛の千夜千冊 1001夜、2004年07月22日
関連項目
- 自発的対称性の破れ
- 南部-ゴールドストーンモード(南部-ゴールドストーンの定理)
- Nambu mechanics
- Nambu-Goto action
外部リンク
サイト
- 物理学とともに歩む - 南部の人物紹介。高エネルギー加速器研究機構サイト内
- Yoichiro Nambu, Univ. of Chicago - 略歴。所属するシカゴ大学物理学デパートメントサイト内
- ノーベル賞に見た“武士道”――記念講演に仕組まれた心憎い国際親善とは (JBpress)- 伊東乾による、ノーベル賞受賞記念講演にまつわるエピソード紹介コラム
ビデオ
- string theoryの起源について - 2007年に南部が行った講演のビデオ。リンク先ページ内、中ほど、右側のリンクをクリックで再生。要QuickTime。