コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「大喜利 (笑点)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:「イスタンブール」記事改名に伴うリンク修正依頼 - log
1,199行目: 1,199行目:
: ネタ(身)から[[ワサビ|わさび]](サビ)のはみ出した[[寿司]]であった。暫く食べるのをためらい、意を決して食べるも、余りの辛さに悶絶した。
: ネタ(身)から[[ワサビ|わさび]](サビ)のはみ出した[[寿司]]であった。暫く食べるのをためらい、意を決して食べるも、余りの辛さに悶絶した。
* 木久扇が「[[瞳を閉じて]]」を獲得。(2010年6月6日・6月13日放送<!--5月30日に10枚達成--><!--木久扇、改名後初の10枚獲得-->)
* 木久扇が「[[瞳を閉じて]]」を獲得。(2010年6月6日・6月13日放送<!--5月30日に10枚達成--><!--木久扇、改名後初の10枚獲得-->)
: 歌丸が瞳を閉じて考えた結果、木久扇のネタのひとつ・河童に因んでの[[トルコ]]・[[カッパドキア]]の旅を贈呈。途中で山田も合流した。前編は陶器の絵付や[[熱気球]]に乗ってのカッパドキア遺跡巡り、後編は[[イスタンブル]]に行った。現地で描いた「カッパドキアでラーメンを食べる河童」(ほか2種類の計3枚)の皿は視聴者にプレゼントされた。ナレーションは、たい平が担当。
: 歌丸が瞳を閉じて考えた結果、木久扇のネタのひとつ・河童に因んでの[[トルコ]]・[[カッパドキア]]の旅を贈呈。途中で山田も合流した。前編は陶器の絵付や[[熱気球]]に乗ってのカッパドキア遺跡巡り、後編は[[イスタンブル]]に行った。現地で描いた「カッパドキアでラーメンを食べる河童」(ほか2種類の計3枚)の皿は視聴者にプレゼントされた。ナレーションは、たい平が担当。
* 6代目圓楽が「至福の時」を獲得。(2011年6月12日放送<!--6月5日に10枚達成--><!--6代目圓楽、襲名後初の10枚獲得-->)
* 6代目圓楽が「至福の時」を獲得。(2011年6月12日放送<!--6月5日に10枚達成--><!--6代目圓楽、襲名後初の10枚獲得-->)
: 賞品の内容は[[台湾]]への[[温泉]]旅行。「世界にひとつだけの温泉」という触れ込みだったが、実際は自分で河原を掘って入るものだった。途中で小遊三・好楽も乱入。続いて2人と食事をし、圓楽はメンバーの悪口を言う。しかし、勝負で小遊三と好楽に敗れ、罰ゲームで[[臭豆腐]]を食べさせられた。最後に「台湾でタイワンな目にあっちゃった(友達できないね)」と締め括っている。ナレーションは前回と同様にたい平が担当。
: 賞品の内容は[[台湾]]への[[温泉]]旅行。「世界にひとつだけの温泉」という触れ込みだったが、実際は自分で河原を掘って入るものだった。途中で小遊三・好楽も乱入。続いて2人と食事をし、圓楽はメンバーの悪口を言う。しかし、勝負で小遊三と好楽に敗れ、罰ゲームで[[臭豆腐]]を食べさせられた。最後に「台湾でタイワンな目にあっちゃった(友達できないね)」と締め括っている。ナレーションは前回と同様にたい平が担当。

2016年10月18日 (火) 13:46時点における版

このページでは、日本テレビの『金曜夜席』及び『笑点』の大喜利コーナーについて記載。

本項では、BS日テレの『BS笑点』と日テレプラスの『笑点Jr.』の大喜利コーナーについても記載する。


概要

大喜利は通常、演芸の後に行われる。時々、演芸内でも日本テレビのアナウンサー6名による「アナウンサー大喜利」や、若手噺家6名による「若手大喜利」を行うことがある。その際は大喜利メンバーが司会や座布団運びを務める。

初代司会の立川談志から3代目司会の三波伸介まではCMが終わって画面が切り替わった時点で既にメンバー全員が板付きでの挨拶状態だったが、4代目司会の5代目圓楽就任直後の1983年4月ごろから[1]笑点のオープニング曲に合わせて、上手からメンバーが登場するようになった(現在では、小遊三好楽木久扇三平6代目三遊亭円楽たい平山田隆夫の順に登場する)。メンバーが座り、一旦全員の姿が映された後で司会者(春風亭昇太)が登場し(上手から登場するが、歌丸のみ2014年7月13日放送分以降は下手から登場するようになった)、席に着いて大喜利が始まる(5代目圓楽と歌丸は、席に着いた際に扇子を一打ちしていた)[2]。このオープニングに変えたのは当時ディレクターであった(後にプロデューサー)飯田達哉の「座ったままでは打ち合わせした後みたいな感じに見える。動きがない」「音楽に乗って登場したほうが出演者のノリがよくなるのではないか」という提案がきっかけである[3]

大喜利開始の際に司会者は「○○な(大抵は罵倒ネタ)皆様方のご挨拶からどうぞ」と言い、続いて大喜利メンバーによる20〜30秒ほどの短めの挨拶(小遊三→好楽…の順)となる。この時にメンバーが出演する寄席やイベント、書籍などの告知をすることがある。その後、司会者は「続いてはですね、○○な(メンバー以上の罵倒ネタ)座布団運びのご挨拶どうぞ」と言い座布団運び(山田)の短めの挨拶となる。地方収録の場合、歌丸は司会就任当初、1週目はメンバーには「東京を石もて追われた皆さん」と紹介し、山田には「呼ばれてもないのについてきた山田君(または「座布団運び」)」と紹介した。2週目は開催地にちなんだ紹介をした。メンバーの挨拶が一通り終わると司会者は座布団10枚の賞品のキーワードを言ってから本題に入る。

大喜利の最中に不自然な座布団の増減が見られるときがあるが、これは時間調節や下ネタなどの関係で映像が編集されることがあるためで、編集でカットされた途中で増減があるとそうなる。答えを考えるために動きのない時間も生じるため、実際の大喜利の収録にはテレビ放送の2〜3倍の時間がかかっている。

1年間の締め括りでは三本締めとして、会場の観客と共にその年を締めるが、2006年平成18年)5月14日の放送開始40周年記念特番のエンディングでも行われた。

また、毎年11月頃になると大喜利終了後に2人の笑点メンバーが来年の「笑点暦」の告知をする(1976年昭和51年)版が最初)。現在は回答者が2人1組のペアで、3組が週替わりで告知する。

ルールの起源

大筋は創設者である立川談志が考えたとする話が広く知られている[4][5]。しかし、座布団を使うという点に関して言えば、実際にはのちにチーフプロデューサーを務めた小暮美雄が考案している。小暮によれば、以下のような経緯である。

アトラクションとしての大喜利は昔からあり、寄席でも存在し、テレビでも行われていた。駄目な答えのペナルティとして、あたかも羽子板遊びのように「顔にを塗る」ということなどが行われていた。しかし、新しく始める『金曜寄席』でも「顔に墨を塗る」ということをやったのでは先行の演芸番組との差別化を図ることは難しいと判断されたため、最初は「そばを一杯食べさせる」という案が出たが実現せず、考えた末に「罰を与えるより褒美を与える」という逆転の発想が生まれた。ところが、褒美を与えるのなら何を与えるべきかという点でまたもや詰まってしまい、とりあえず「人形を与える」という案が出たものの気持ち悪いと思われ話が進まなかった。『金曜寄席』の初放送日が間近に迫る中、小暮は「私にまかせてくれ」と言い切って新宿末廣亭に行ったが、褒美の事で頭がいっぱいで落語を楽しむところではなかった。何も思いつかないまま末廣亭を出た小暮であったが、その時一緒に出てきた2人連れが「どうして落語家さんが代わる時、下の人(前座)が出て来て(座布団を)裏返すの?」という会話を耳にした小暮は、ここで初めて「座布団を与える」という発想が出てきた。そして、寄席で落語などを演じるところを高座と呼ぶところから「高いところをもっと高くしたら喜ぶかもしれない」と思いつき、「私にまかせてくれ」と周囲に言っていたことや初放送日が間近だったこともあって、「よい答えには座布団を与える」という小暮の案がそのまま通った。[6]

基本ルール

司会者(昇太)が3問出題し、挙手制で指名されたメンバーが機知を利かせた答えを返す。良い答えに座布団1枚(特に優れた答えには2枚以上)が与えられ、悪い答え(具体例後述)は座布団を没収される。獲得した座布団は一部の回を除き、次回に引き継がれる。

座布団10枚を獲得すると、座布団運び・裏方から紙吹雪による祝福を受けながら「ものすごい豪華賞品」が贈られる。その際「座布団10枚獲得おめでとうございます。賞としてoo(キーワード)にちなんだ素晴らしい賞品を差し上げます」と司会者が目録を読み上げる。

なお座布団10枚が達成された翌週(次の回)は、全員座布団1枚からのスタートとなる。24時間テレビのチャリティー大喜利・正月特番の寿大喜利・チーム対抗戦などは、翌週へ繰り越さずに「座布団の多い方は」と言って計算し、賞品を贈っている(チャリティー大喜利は賞品無し)。

稀に司会者が座布団を獲得(主に大喜利メンバーへの上手い返答時、他の出演者が判断して与えることがあるが、司会者が自ら座布団を持ってくるように指示することもある)する事がある(この座布団は持ち越されない)。また、大喜利メンバーが代理司会を務めた際には、自身の定席に座布団を与える事があった。

座布団を与えるか没収するかは基本的に司会者の裁量であり、これをめぐるメンバーと司会者の絶妙なやりとりが展開される。司会者・番組・番組スポンサー(主に長らくスポンサーである日本香堂サントリー)をよいしょする(歌丸曰く「スポンサーだからやらないわけにはいかない」)答えは座布団がもらえることが多い(但し、これらのネタで毎回必ず貰える訳ではなく、ネタや状況によっては没収されることもある)。他にも司会者罵倒ネタに対して仇を討った答えも座布団獲得の対象になる(歌丸司会時代)[7]

数週に1度は10枚達成かというシーンがあるが、座布団の枚数が10枚に近づいた場合は大抵司会者が過剰に座布団を取り上げたり、良い答えでも座布団を没収したりする(結果的に5枚以下になる)ため、実際は年に1回〜2回程度(年によっては3回以上もある)、場合によっては1年間座布団10枚が発生しないこともある。 前田時代には「大喜利ナンバーワン」と称し、後述の通り前田が中央に座り、二組に分けて前田の左右に座り、座布団5枚を奪い合うルールとなっていた。また、大喜利メンバーが6人になってからは通常版とコスチューム大喜利の2本立てで行っていた。

座布団を没収されることの多い回答

以下のような場合、大抵は座布団を没収される。

  • 司会者を罵倒したり、気分を害する発言・答えを言った場合[8](全部没収がほとんど)。
    • 挨拶で遠回しに司会者を罵倒した場合、第1問出題前に没収される事もある。
    • 司会者の罵倒ネタに便乗したメンバーがいた場合、そのメンバーも一緒に座布団を没収される。歌丸時代は6代目円楽が昇太やたい平、希に全員を巻き込んで歌丸を罵倒することがあり、そのため全員の座布団が全部没収されたこともあった。
    • 司会者が問題で被り物をする際にけちをつけた際も没収の対象(主に6代目円楽)。
    • 回答者が司会者を罵倒する言葉を出し、その答えが自分と予想される場合、「他に誰か」と答えを聞かなかったり、聞かないうちに座布団を没収する(主に歌丸時代)[9]
  • 既存する、同じような答え(罵倒ネタは例外)。
  • 下品な(放送時間帯にそぐわない、下ネタ、長寿番組としてのブランドに傷をつけるような)答え(主に小遊三)。
  • 観客を罵倒する答え(「笑点の公録はタダ」など)。
  • 座布団運びが気分を害した場合(山田に対して「クビ」ネタ、ずうとるびの悪口など)。座布団運びが当該回答者を突き飛ばし、勝手に持っていく。(主にこん平・たい平)
    • 5代目圓楽は「山田君に任せます」と言ってそのままにしていたが、歌丸・昇太の場合は山田が没収した座布団の枚数+1枚(2枚以上の時もある)の座布団を与える。但し、状況によってはそのまま没収になったりするなど例外あり。
    • 山田は稀に「いつも取ってるから」などと言い、座布団を1枚くれるのかと思いきや元あった座布団ごと没収するケースもある。
    • 山田が自分を罵倒した回答者を突き飛ばす行動は、5代目圓楽から許可を得ていた[10]
  • 舞台上で騒ぐネタ(主にたい平。内容としては花火ネタ、秩父祭りネタなど)。便乗したメンバーがいると、そのメンバーも没収の対象になる(大抵は全部没収)。全員が便乗したために全員の座布団が全部没収されたこともある。
  • 「歌と告知は禁止」ルール(歌はお題になった時のみ、告知はご挨拶の時のみ)に違反した場合(歌丸時代、ただし場合や答えの良さによっては獲得など例外あり)。
  • 実際に寄席などで演じる落語のネタを用いた答え(司会者が「これはね、古典落語のオチにあるんですよ」などとネタを説明する)。
  • 「次期司会者は自分」「司会は誰でも出来る」「司会者の横暴」「世間は自分が次期司会だと信じていた」「消去法で(司会が)選ばれた」など司会に関するもの(歌丸時代は主に好楽・木久扇、昇太時代は主に6代目円楽)。
  • 2問目・3問目において前の問題の形式で答える(答えの良さによっては例外あり)。
  • 座布団の状況をネタにする(例外なく没収、主に6代目円楽)。
  • 座布団を司会者に直接ねだる(ねだった枚数分没収)。または「座布団を取るな」「座布団を返せ」といったネタ(逆に「座布団を没収しろ」やそれを促すネタはそのまま受け入れられる)。
    • 座布団をねだった場合は基本的に没収されるが、座布団が1枚も無い時は司会者が同情して座布団を与える場合がある。
    • 司会者に座布団を催促するような素振りをした場合も没収される事がある(主に木久扇。司会者が「山田君、いらないんだって」と言って没収させる)。
  • 他のメンバーの座布団の横取りや貰った座布団(主に6代目円楽。たい平がネタなどで席を外した隙に横取りすることがある)
  • 延々とネタや物まねを披露する(主に木久扇・たい平)。
    • 木久扇の場合他のメンバー(主に好楽・昇太)にやらされることもあり(雨乞い師や河童など)、その場合はふったメンバーないしは両者の座布団が没収されることもある。
  • 司会者が合いの手を入れる前に答えを言う(三波時代を踏襲したもの)。
  • お題に合っていない。
  • 観客や司会者に先に答えのオチを言われる或いはオチが司会者の予想通り(主に木久扇・6代目円楽)。
    • 木久扇の場合はダジャレネタ、6代目円楽の場合は見え見えの罵倒ネタであることが多い。
  • 答えを途中で忘れる(主に木久扇)。
  • 答えを噛む(歌丸時代は主に昇太、昇太時代は主に三平、自主的に座布団を山田に返す事が多い)。
    • 早口言葉を他のメンバーから振られ、噛んだ場合も没収となる。
  • 昇太の独身、結婚できないネタ。他のメンバー(主に6代目円楽・たい平)がネタにした場合も昇太の座布団が没収される(歌丸時代)。
  • 自身が襲名した名前を放棄するような事を示唆するネタ(主に6代目円楽)。
  • 自身の夫婦生活や、ノロケ話を自慢する(昇太時代以降、主に三平)。

座布団

大きさは60cm × 72cm。中は木綿。カバーにはちりめんが使われており、高級感もある。1枚当たりの製作費は公開していないが「とても高価」。重さは1枚2.3キロある。10枚重なった時でもバランスが保てるように厚みを追求している[11]

座布団の一般販売は行われてない。番組側は出演者全員が10枚獲得する事態を考えて60枚用意している[12]。しかし、1991年(平成3年)12月29日の放送で全員が10枚獲得した際には座布団が足りなくなり(歌丸・小遊三が11枚だったため)、5代目圓楽(4代目司会者)の座っていた座布団や山田が最初の挨拶のときに座っていた赤い座布団を急遽メンバーに渡すという珍事があった(賞品は「好きなだけ岩清水を飲める」というもので、1992年(平成4年)5月10日放送の慰安旅行にて贈呈された)。

また、小遊三がすでに10枚獲得していたのに5代目圓楽が気付かずに11枚目の座布団を与えてしまい、最終的に13枚まで増やしたこともある。ちなみにこの時は10枚以上獲得したメンバーが同時に3人出ている。

放送開始時は水色の座布団を使っていたが1年ほどでピンクに変わり、三波の司会就任後の1973年頃に現在の紫色に変わっている[13]

役目を終えた座布団は大喜利レギュラーの元に引き取られているが、過去には視聴者プレゼントされたり、1973年(昭和48年)8月の日本テレビ開局20周年記念イベントとして浅草寺で「笑点まつり」を開き、座布団を読経と奉焼で厳かに供養する「座布団供養」が行われた。

座布団は数年に一度不定期で交換されており、2009年(平成21年)3月22日放送分から最新の座布団が使用されている。そのため新品の座布団は綿が柔らかく厚みがあり、高く積んだ場合にバランスの取り方が難しく、楽太郎(現・六代目円楽)曰く「(バランスを取るのに気を取られ)答えを考える暇が無い」。また座布団に座るのも難しく、小遊三と楽太郎が7枚の際は山田の補助を借りてやっと座っている。これは歌丸が「普段座布団剥奪の対象のネタでも積極的に座布団を獲得できる」などで、普段から罵倒合戦が続いている6代目円楽にワザと多く座布団を上げた結果で、後に全部没収となっている[14]

なお、『笑点』が長寿番組となり世間に広く認知されたこともあって、気の利いた表現や面白いことを言ったときに「座布団1枚!」、逆に面白くないことを言ったときなどに「座布団取れ!」などの表現が日常会話で使われることもある。

また、座布団の位置は、司会から全員の手が挙がっているのを分かる様に、奥に進むに連れ、5cmずつ前にずれて[15]いる。

出題

主な出題例としては以下のものがある。

  • 都々逸/川柳(特定の言葉を初句あるいは結句で固定するのがほとんど)/なぞかけ前句付け
  • 頭文字シリーズ(2つ以上の頭文字から始める小話や川柳などを作る。地方収録の1週目1問目に多い)
  • あったらいやな/誰だったらどんなシリーズ
  • 二度と○○したくない●●
  • 笑点・新漢字の遊び(特定の部首に、色々な漢字を書いて新しい読みを作るのが基本)
  • 笑点お詫びシリーズ○○編(両隣のメンバーとお詫びをした後司会者もしくは謝罪されたメンバーが「それだけじゃないでしょ」や「それだけじゃないだろ!」と言った後に答えを返す)
  • 笑点○○自慢合戦(相手のメンバーを1人指名する)
  • もっと○○シリーズ(メンバーが「○○なのは□□」と言い、司会者が「もっと○○なのは?」と聞いた後、もっと○○なものを答える)
  • 笑点イエス・ノークイズ(司会者はどんな場合でも「イエス」としか答えない。クイズの正解を言った後、答えを返す)
  • 笑点お笑い窃盗団○○編(窃盗団の子分に扮したメンバーが親分に扮した司会者に「○○を盗んでめえりやした」と報告、親分が「でかした」と言った後に答えを返す。地方収録の2週目3問目で行われることもある)
  • 笑点お笑いタクシードライバー○○編(地方収録の2週目3問目で行われることがほとんど。タクシードライバーに扮したメンバーが収録地の名所を案内し、観光客役の司会者が「ほんと?」と感心した後に答えを返す)
  • 笑点運命の旅シリーズ(かつて地方収録の2週目3問目で多かった)
  • 運命の○○年(その年の最後の放送で行われる)
上記「運命の旅」「運命の○○」では、メンバーが言う「でも…!」の後にベートーベンの「交響曲第5番」が流れる(「番組放送50年目第1回放送」である2015年(平成27年)5月17日の3問目でもこの問題が出された)。
  • 老夫婦の会話(3問目に行われる。回答者はお爺さんまたはお婆さんに扮し、もう一方に扮した司会者と会話する)。

1966年(昭和41年)5月15日放送の第1回目では「この世に女がいなければどうなるか」という問題が出された(後に2001年(平成13年)5月20日放送の35周年記念大喜利でも、同じ問題が出題されている)。

1問目、2問目は多くが最近の時事問題や芸能人の話題をネタにしたものが多いが、「新しい漢字を作る問題」・「都々逸シリーズ」・「あったらいやな/誰だったらどんなシリーズ」が出ることもある(歌丸の司会就任後はあまり出ていない)。ご当地での収録では土地柄にちなんだ問題が必ず用意される。

3問目は後楽園ホール収録分では被り物を使うものが多く、地方収録では「笑点お笑い窃盗団○○編」「笑点お笑いタクシードライバー○○編」などが出される。

寿大喜利では毎年「干支大喜利」と称し、3問目にその年の干支の動物の着ぐるみを着た問題が出される。

問題では「例の物」として小道具が用いられることがある。「例の物」として一番多いのは「フリップ」で、折り込み句(ご当地名等を平仮名にし、一文字ずつ文の最初に置いて川柳や都々逸調に詠む)シリーズや穴埋め問題などでも登場する。中には「被り物(多くがかつら王冠帽子着ぐるみの頭の部分など)」が出てくることがある。被り物ネタでは司会者が被り物を被った姿がクローズアップされるのがお約束である。その他の定番としてはチャイムデパートなどでの呼び出し。鉄琴風のタイプ)やコップ・帽子・手拭いマイク拡声機携帯電話ハンドルなどがある。時には1問目から3問目まで、その日の問題全てに道具を使った問題が出ることもある。

色紋付

スタッフが容易に識別できるよう、笑点メンバーは衣装の色によりラベリングされている。談志時代の頃から導入されていたが、その当時カラーテレビの普及率が低かったため1968年(昭和43年)〜1969年(昭和44年)の冬場の数ヶ月のみの着用だった。談志の降板後は落語家ではない司会者の前田のみほぼ毎週着用していたが、1970年(昭和45年)秋口頃からはメンバーも毎週着用するようになり、そして司会が三波に代わった後でほぼ現在の形に落ち着いた。

カラフルな色紋付を着るようになったのは、カラー放送用の映像の色調整をするためだったという。そのため各人は深く考えずに適当な色紋付を選んだが、これが番組本編内で定着してしまい現在に至ったのである[16]

5月から10月までは羽織を着ない(2008年以降は11月,12月も羽織なし、2009年以降は1月も羽織なし)。また、例年8月の放送ではメンバー全員が同じ「笑点」の柄の入った浴衣もしくは白色のの着物で登場する(近年はそれぞれ2週ずつの着用となっているが、収録日の都合で9月の放送でも浴衣や麻の着物で登場することもある。また、例年8月にある24時間テレビや、8月に地方収録がある場合は色紋付を着用している)。

現在、色紋付は銀鼠水色桃色黄色丁子色薄紫橙色朱色の8種類である[17]

歴代席順

『金曜夜席』放送開始時から現在までの席順の一覧表を紹介する(1965年から2006年までの圓楽は5代目圓楽、2010年以降の圓楽は「楽太郎」から襲名した6代目圓楽)。またここでは歴代のメンバー落語家の配色も並べる。なお斜体文字は代理出演。

笑点ではメンバー交代があると席替えが行われるが、メンバー自身の希望等の理由により席替えをすることもある。最近では、2016年(平成28年)5月29日より昇太が大喜利メンバーから司会者に昇格、三平が加入のようにメンバーの入れ替えがあっても席替えが行われず前のメンバーが座っていた場所に新メンバーがそのまま入るケースが続いている(厳密な意味での席替えは、1992年(平成4年)4月に好楽と小遊三の座る位置が入れ替わったのを最後に行われていない。この時は好楽が師匠・5代目圓楽が隣の席で、答えの後に「師匠どうですか?」と尋ねていたため萎縮気味で、1つ置いた席の方が力を発揮出来るのではないかとスタッフが考えたため)。

歌丸がメンバーだった時代に、馬鹿(木久蔵→木久扇のキャラクター)と腹黒(楽太郎→6代目圓楽のキャラクター)の間を嫌がるやりとりが定番であった。なお、木久扇と6代目圓楽は1986年(昭和61年)1月以降、小遊三と好楽は1992年(平成4年)4月以降代理大喜利司会を置いていた時期を除いては全く位置が替わっていない。

大喜利メンバーが代理司会を務める場合は、以前は代理司会者の定位置を詰めて行っていたが、2014年5月以降は定位置を空席にした状態(前回まで獲得した座布団のみが積まれている状態)で行われている。

チーム対抗戦

新春スペシャルなどの時に3対3の対抗戦形式で大喜利を行う場合、通常とは異なる司会者を真ん中に配置した特殊な席順となり、アシスタント1名も座布団運びとして参加することがある。2004年(平成16年)のこん平(休演扱い)、2006年(平成18年)の5代目圓楽降板後は長らく行われていなかったが、2007年(平成19年)12月30日に年忘れ大喜利大会として約4年ぶりに行われた。歌丸は司会者として、たい平と昇太は初のチーム対抗戦でもあった。歌丸司会就任以降はチームメンバーも固定されるようになった。以降、2012年までは年内最後の放送分は毎年この形式で行われていたが、2013年以降は行われていない。

座布団10枚の豪華賞品

前身番組の『金曜夜席』から「座布団10枚の豪華賞品プレゼント」は企画されていたが、実際に獲得して賞品を出したのは「笑点」になってからである。基本的に賞品の発表は達成時に行われ、それまでは賞品を示唆するキーワードのみが発表される。

最初の賞品は「香港に行って餃子が食べられる」で、歌丸と小痴楽が獲得。当時の番組に香港行きの予算はなかったが、事情を聞いたある船会社から香港までの2名分の船チケットの提供があり、実際に10日間の船旅を楽しんでいる。旅の様子は写真のみで、獲得した次の大喜利の冒頭(1967年6月4日放送)で紹介された。

番組初期の賞品に関するデータはほとんど残っていない。これは、当時は司会者の思いつきで賞品を決めてその場で渡したり、ロケでも上記のように写真しか残していないため記録がないという。

以下に、座布団10枚の達成者と達成年月日、キーワードと実際の賞品を紹介する。

豪華賞品

()内は10枚達成の放送日ではなく、獲得賞品の放送日である。ただし、10枚達成直後に贈られたものや、10枚達成のロケーションを行っていないものは、10枚達成をした放送日である。

三波時代以前の豪華賞品

  • 石鹸箱一つを獲得。(放送日・獲得者不明)
  • ただ皆で笑うだけだった。(放送日・獲得者不明)
  • 拍手だけだった。(放送日・獲得者不明)
  • ボーナスがもらえる」ということで、(ボー)と茄子(ナス)がもらえた。(放送日・獲得者不明)
  • 先祖を敬う」として、位牌がプレゼントされた。(放送日・獲得者不明)
  • 富士山頂に自分の像が建てられる権利」を獲得。(放送日・獲得者不明)
  • 歌丸が「海の幸三昧」を獲得したが、食べ放題ではなく自分で海に潜って獲るものだった。そこではサザエの壺焼きなどを食べた。(放送日不明)
  • 5代目圓楽が「イギリスダービーが見られる権利」を獲得。しかし、「イギリスのダービーまで自腹で行け」と言われたため、行けなかった。(放送日不明)
  • 木久蔵が「ヌードデッサン」を獲得。しかしモデルは自分で探す羽目になった上、女性に噴水の池に突き落とされた。(放送日不明)
  • 小圓遊が「アフリカ猛獣狩り」を獲得。豊島園にあったアフリカ館へ行って猛獣を見学した。(放送日不明)
  • 木久蔵が「旅館の美人女将に会える権利」を獲得。意気揚々と伊豆の旅館へ行ったものの、散々扱き使われてタダ働きさせられただけだった。(放送日不明)
  • 小圓遊が「長良川の鵜飼い」を獲得。(1971年8月1日放送)
  • 小圓遊が「歌手デビュー権」を獲得。レコード「マドモワゼル」を出した。(1972年放送)
レコードジャケットは大喜利で座布団10枚を獲得した時の高座着姿の写真を使用。ただし、実際に小圓遊が番組などで歌う時は真っ白なスーツに赤いバラをつけて歌っていた。なお、B面には当時の笑点メンバーによる「アリャリャン音頭」という曲が収録されている。
  • 木久蔵が「花の都の人力車遊び」を獲得。(1973年5月13日放送)
「花の都」とは銀座のことであり、銀座で人力車遊びに興じる木久蔵の様子は新聞でも報道された。
  • 5代目圓楽が「胴上げ」されるが、落とされて足を捻挫した。(1973年7月放送)
最も古く残されている「笑点」の映像で5代目圓楽が左足に包帯を巻いた姿で出ているのはこのためである。(同年8月26日放送)
  • 小圓遊が「お伊勢参り」を獲得。(1974年5月19日・26日放送)
  • 「番組特製笑点カレンダー」を獲得。(1975年1月放送 獲得者不明)
この賞品についての視聴者からの問い合わせが殺到したため、翌年の1976年(昭和51年)版から笑点暦という名で商品化されて現在でも毎年発行されている。
  • 小圓遊が「隅田川珍身遊び」を獲得。(1975年5月4日放送)
  • 歌丸が「ギリシャマラソン日記」を獲得。(1975年9月7日・14日放送)
番組史上最も豪華な賞品。松崎と聖火を揚げてアテネ市内を走ったが、聖火はオモチャで映像もコント仕立てであり、最後に海に入った。だが、これ以降メンバーたちは何とか座布団10枚を獲得しようと競い合うようになったという[要出典]。この時の映像は2016年5月15日の50周年スペシャルでも放送された。
  • こん平が「美女と遊園地デート」を獲得。(1975年9月28日放送)
後楽園遊園地幼稚園児のコスプレをさせられ、師匠三平夫人に振り回されてヘトヘトになった。
  • 木久蔵が「善光寺参り珍道中記」を獲得。(1977年1月23日放送)
  • 三波が「豪華食べ歩きの旅」を獲得。(1977年4月3日放送)
5代目圓楽が座布団10枚を超えたが、番組を卒業するため賞品の獲得は見送られた。(その代わりに獲得した12枚の座布団を持ち帰った 1977年3月27日放送)
しかし他メンバーの答えの出来が悪かったため、三波が司会者特権で賞品を強奪。メンバーの反感を買い、逆襲に遭う。
  • 夢之助と楽太郎が「東海道五十三次二人旅」を獲得。(1978年3月26日放送 共に初の座布団10枚獲得)
東海道中膝栗毛風、弥次喜多コントをさせられた。
  • こん平が「落語一席披露権」を獲得。落語「宮戸川」を披露した。(1978年8月13日放送)
  • 夢之助が「湯屋番奮闘記」を獲得。(1978年10月1日放送)
  • 夢之助が「珍佐渡情話」を獲得。(1979年4月22日・29日放送)
こん平が佐渡島ガイドとしてついて来て、「佐渡情話たらい舟篇」として前後編2週にかけて放送した。
  • こん平が「餅つきお大尽」を獲得。九蔵と楽太郎が手水役を務め、こん平が餅をついた。(1979年12月23日放送)
  • 九蔵が「最後の楽園騒動記」を獲得。(1980年6月1日放送 九蔵、初の座布団10枚獲得)
三波から「行き先は夢の島だ」と脅されていたが、実際は鹿児島県池田湖イッシー探しの珍道中だった。
今度の美女は日本航空沖縄キャンペーンガール津島要だったため、ちゃんとしたバカンスを楽しめた。
しかし、花見の場所取り役を押しつけられただけだった。
  • 朝次が「光り輝く小粒の貴重品」を獲得。しかし、マッチ箱だった。(1982年10月3日放送 朝次、初の座布団10枚獲得)

5代目圓楽時代の豪華賞品

  • 歌丸が「家一軒」を獲得。しかし、犬小屋だった。(1983年1月16日放送 特典自体は三波時代に発表されていた)
  • 歌丸と木久蔵が「皇居一周マラソンに挑戦」を獲得。(1983年10月23日放送)
木久蔵は何とか完走したが、歌丸は酸素吸入を受け、担架に乗せられてゴールした。この時の映像は2016年5月15日の50周年スペシャルでも放送された。
  • 歌丸と小遊三が「エアロビクス入門」を獲得。(1986年4月13日放送)
日ごろ卓球で鍛えている小遊三は軽快なフットワークを披露。しかし歌丸は、開始早々にダウンしてしまった。
  • 歌丸が「ドッキリ中吊り広告」を獲得。(1987年11月22日放送)
都営地下鉄の車内に、歌丸の中吊り広告が編成中の1両全てに張り出された。
  • こん平が「珍説のさぎ参り」を獲得。(1988年2月21日放送)
  • 才賀が「ゴルフ・イン・ハワイ」を獲得。(1988年3月6日放送 才賀、降板前最後の10枚獲得)
  • 好楽が「テレホンカード」を獲得。(1988年5月22日放送 好楽、復帰後最初の座布団10枚獲得)
  • 木久蔵が「プロ野球入門」を獲得。(1988年9月18日放送)
野球解説者堀内恒夫東京ドームで野球観戦した。
豪華客船で美女とクルージング。しかし美女の正体は、歌丸の恐妻・冨士子夫人だった(放送では後ろ姿のみで顔は出なかった)。
  • 木久蔵が「奥の細道を行く」を獲得。(1989年11月12日放送)
上野駅東北本線で出発、次駅の尾久駅で下車。「尾久舗装道」を探訪した。
  • こん平が「黒潮紀行」のセットを獲得。(1990年7月22日放送)
  • 小遊三が「花火指南」を獲得。(1990年11月25日放送)
  • 歌丸が「パリで自由にショッピングを楽しめる」を獲得。(1991年4月7日放送)
ただし「自分のお金でパリに行き、自分のお金で自由にパリでショッピングしていいよ」というものであった[41]。(実際にパリでショッピングしたかは不明)
  • こん平が「長崎から船に乗ってどこかへ行ける」を獲得。(1991年4月21日放送)
翌週の収録地である倉敷までの手漕ぎボートでの移動を命じられる、というものであった。
宝の地図を頼りに、群馬の山中を分け入って掘り当てた。出てきたのは三つ葉葵家紋入りの雑巾5枚(5枚雑巾・ごまいぞうきん)だった。
  • メンバー全員が「岩清水を飲む権」を獲得。(1992年5月10日放送)
しかし汲んだ岩清水を山田が途中でこぼし、代用としてを漬けた水(いわし・水)をメンバーに飲ませた。この事実を知ったメンバーは、これ以降「山田降ろし」ネタを多用するようになった。
  • 好楽が「ハワイ5泊6日の旅」を獲得(1992年5月24日放送)
好楽だけでなく、当時の笑点メンバー全員が同行した。
  • 小遊三が「つけまつげ」を獲得。(1993年2月28日放送)
  • 好楽が「美女と茶摘」を獲得。(1993年5月23日放送)
小遊三も同行し時代劇コントの脱線もあったが、美女に囲まれながら美味い新茶を摘むことができた。
  • こん平が「道路工事のお手伝い」を獲得。(1993年7月25日放送)
  • 木久蔵が「美女と修行」を獲得。(1993年11月14日放送)
三重県お寺に美人のさんを訪ねたが、迎えてくれたのは怖い和尚さんであった。フンドシ一丁で水温0(レイ)度の滝に打たれる木久蔵の絶叫が寒空に響き渡った。番組ブレーン[要曖昧さ回避]の1人で心霊研究家新倉イワオ背後霊の如く現れ、「あなたの知らないレイ度の世界」と呟いた(「あなたの知らない世界」のパロディ風)。
  • 歌丸が「白樺高原の休日」を獲得。(1994年3月6日放送)
ワカサギ釣りを満喫した後、歌丸が最も楽しみだった雪見風呂だったが、スキー場の真ん中にポツンと立つドラム缶風呂だった。そのため、報告VTRのタイトルが「白樺高原の休日」から「歌丸の極寒雪見風呂」に摩り替わっていた。
  • 小遊三が「故郷に錦を飾る」を獲得。(1994年7月10日放送)
故郷である山梨県大月市オープンカーパレード。母校山梨県立都留高等学校へ赴き、後輩の在校生から「錦の座布団」が贈られた。
  • 楽太郎が「秋の香り満載」を獲得。(1994年10月30日放送)
秋なので松茸を連想した楽太郎だったが、山田が持ってきたのは銀杏。しかも焼きたての銀杏だったため、独特の匂いを会場に撒き散らしてしまう。これはスタッフが放送前日の明治神宮銀杏並木で拾い集めてきたもので、『笑点』での座布団10枚賞品史上、最安価(タダ)。
  • こん平と小遊三が「川中島の決戦」を獲得し対決。(1995年4月16日放送)
新潟出身のこん平が上杉謙信、山梨出身の小遊三が武田信玄に扮し、座布団10枚の御祝儀をかけて川中島で卓球勝負。小遊三の勝ちとなったが、こん平の影武者作戦で御祝儀はまんまとこん平のものになった。
  • 木久蔵が「稲刈り奮闘記」を獲得。苦労して収穫した米をおにぎりにして5代目圓楽に振舞った。(1995年10月22日放送)
  • 好楽が「一攫千金を夢見て宝石翡翠取り大作戦」を獲得。(1996年9月15日放送)
しかしこの時期は翡翠が取れないらしく、結局、5代目圓楽に似た細長い石を持ち帰ることになってしまった。
  • こん平が「長嶋監督におめでとうの座布団を贈る権利」を獲得。(1996年10月13日放送)
  • 楽太郎が「木久蔵に弟子入りできる権利」を獲得。(1997年5月4日放送)
獲得直後に弟子入りさせられた。この賞品は木久蔵以外のメンバーに不評だったため、“良い答えの時は座布団が取られ、悪い答えの時に座布団を進呈される”という、普段とは逆の現象が見られた。
  • 木久蔵が「那須トリックアート」を獲得。木久蔵の絵画が出現。(1997年9月14日放送)
  • 小遊三が「はやりマウンテンバイク」を獲得。出てきたマウンテンバイクに乗れず、実際にもらったのは子供用自転車だった。(1998年8月30日放送)
  • 木久蔵が「私が木久蔵です大作戦」を獲得。(1999年1月24日放送)
5代目圓楽の指示で上越新幹線に乗ったが、車窓から見えたのは広大な雪原にポツンと立っている『私が木久蔵です』と書かれた巨大な看板だった。
  • 小遊三が「楽園パラオのバカンス」を獲得。(1999年6月20日・27日放送)
新婚旅行をしていなかった小遊三夫婦にとっての代わりのバカンスを楽しんでいたところに、こん平と楽太郎も乱入。この賞品の本当の目的は「パラオに寄席『第2若竹』を作ること」と知らされる。言葉や文化の違いに戸惑ったものの、パラオの人々に落語「桃太郎」 を披露し見事成功した。
  • 歌丸が「世界の大スターに会える権利」を獲得。(1999年9月5日放送)
しかしその大スターの正体は山田隆夫で、「みかん色の恋」を熱唱しながら登場しただけだった。
  • 木久蔵が「ある組織の長になれる権利」を獲得。(1999年12月12日放送)
組織の長とは、一日幼稚園園長先生であった。
元気な園児たちとダンス、お絵描き、お弁当の楽しい時間を過ごし、最後は本業の落語で大爆笑。見事大役を果たす。
  • 木久蔵が「好きな番組を製作出来る権」を獲得。(2000年7月9日放送)
そこで木久蔵が「木久蔵ラーメンを海外で出店したい」と言ったことから、番組の特別編として「木久蔵ラーメンinタイ」を放送。現地で、こん平・小遊三・きくお(現:2代目木久蔵)・菊川怜と合流している。タイ人は何にでも砂糖を入れる習慣があることから砂糖壺を屋台に用意。また、タイの昆虫食として珍重される“ツムギアリの卵”を入れたタイ・オリジナル木久蔵ラーメンを提供した。この特別番組は、獲得から1年後の2001年7月8日に放送された。
スーツの他、着物やドレスといった女装姿を含めた写真集が製作されたが出版してくれる出版社は無く、5代目圓楽の自腹で10冊のみ製本。視聴者プレゼントすることとなった。この写真集は、50周年スペシャルでも紹介された。
山田が宇宙服風の衣装を着て登場し、持ってきたのは「2001円の府中の足袋」(府中市で2001円で売っていた足袋)だった。
  • 楽太郎が「いざさらば 雪見にころぶ 所まで(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2001年12月16日放送)
賞品は「笑点オリジナルスノーボード」で、豪快に笑う5代目圓楽のイラストが描かれていた。しかし、楽太郎は「師匠を足の下に敷くなど滅相もない」という理由で一度も使用していない。また、楽太郎は「(描いてあるイラストが)歌丸だったらよく滑る」と言っていた。
  • こん平が「花の雲 鐘は上野か 浅草か(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2002年3月31日放送)
賞品は「花見場所取りセット」であり、5代目圓楽のシール付きオマルまであった。
  • 小遊三が「夏草や 兵どもが 夢のあと(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2002年8月25日放送)
くさや(夏、くさや)の本場・新島に行き、くさや作りを体験。魚のくさやを賞味し、最後は色々な魚のくさや干しを食べて、まさにくさや三昧の一日となった。
  • 歌丸が「三顧の礼」を獲得。賞品は千円札1枚(3個の零で1000円)。(2003年4月6日放送)
  • こん平が「旅は道連れ 世は情け」を獲得。(2003年8月31日放送 こん平、休演前最後の10枚獲得)
こん平の道連れとして山田が同行することとなり、仲直り旅行と称してタヒチ島へ行くこととなった。
  • 歌丸が「似たもの夫婦」を獲得。賞品は煮込みうどん(煮た物フーフー)だった。(2003年12月28日放送)
  • 楽太郎が「古池や 蛙飛び込む 水の音(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2004年4月25日放送)
5代目圓楽からは「神々の島であるバリ島の古池に飛び飛んで、黒い腹を清めて来い」と言われる。現地乱入のこん平と好楽の案内でカルデラ湖近くの滝壺へ行くが、楽太郎が拒否。結局、高級リゾート露天ジャグジーに飛び込んだあと、バリ式マッサージで腹を白くした。
  • 歌丸が「濡れ手で粟のひとつかみ」を獲得。(2005年5月15日放送 歌丸、大喜利回答者として最後の座布団10枚獲得)
フィリピン紙幣「ペソ」が入っている箱から、現金つかみ取りゲームの要領で1度掴み取る(ひとつかみ)。さらにその掴み取ったペソを元手に、「セブ島カジノツアー一攫千金の旅」へ。
現地乱入の楽太郎を交え、スロットマシンで1000ペソ稼ぎ、ルーレットで一攫千金を狙うが、楽太郎のイメージカラーである『黒』を嫌って赤に賭け続けたが大敗し、成功を予定して組まれた祝賀会の費用を自腹で払う羽目になった。
  • 小遊三が「明日は明日の風が吹く(映画「風と共に去りぬ」の名台詞)」を獲得。(2005年10月16日放送)
賞品は、5代目圓楽家の押し入れから出てきた10年前の扇風機だった。また、この翌週から5代目圓楽は圓楽が病気で休演したため、5代目圓楽時代の事実上最後の10枚獲得。
タイの石(横浜にぎわい座 2Fに展示)
  • たい平が「少年よ、大志を抱け(クラーク博士の名言)」を獲得。(2006年5月7日放送 たい平、初の座布団10枚獲得)
賞品は、「タイの石」(証拠写真付き)。たい平は巨大な石を収録会場の山口県周南市から東京まで持ち帰る羽目になった。この石は笑点メンバーのサインが入れられ、現在は横浜にぎわい座の演芸資料館に展示されている。
歌丸代理大喜利司会として唯一の座布団10枚。この翌週のSPで5代目圓楽が『笑点』から勇退し、その翌週より歌丸が正式に司会に就任した。

歌丸時代の豪華賞品

レイザーラモンHG(ゲイは身をたすける)のコスプレであった。
この回は2006年最後の放送で、歌丸が「10枚獲得者が出なくても1番多い人に賞品を渡す」と明言したが、好楽はちゃんと10枚獲得した。
木久蔵と好楽も合流し、韓国済州島で韓国の「天才」少女と楽太郎が「天災は忘れた頃にやってくる杯」と題したゴルフ対決。敗れた楽太郎は馬乗りの馬になった。6代目円楽襲名前最後の10枚獲得。
  • 昇太が「花より団子」を獲得。(2008年3月9日放送 昇太、初の座布団10枚獲得)
「花より団子」と輪島功一(団子屋を経営する元ボクシング世界チャンピオン)が揮毫した掛け軸だった。
5代目圓楽の笑い声が聞こえてくるお守り袋(笑い袋)だった。
  • たい平が「渡りに船」を獲得。(2009年9月13日放送)
歌丸の賞品の説明では海外で豪華クルージングだったが、実際はベトナムジャングルの川をスコールの中、屋根もない小さな船で自分で漕いで下るというものであった。
その後ホーチミン市へ移動。アオザイをまとったベトナム美女と食事デートを楽しむが、好楽がシクロの運転手やレストランの店員に扮して邪魔をし、最後はスパイとなった好楽が携帯電話でたい平の嫁・千華にこれまでの事を密告、電話に代わったたい平が携帯電話に向かって土下座するオチとなった。コーナー終わりのテロップは「こんなこと 錦江湾でも あったよね [楽]」
ネタ(身)からわさび(サビ)のはみ出した寿司であった。暫く食べるのをためらい、意を決して食べるも、余りの辛さに悶絶した。
  • 木久扇が「瞳を閉じて」を獲得。(2010年6月6日・6月13日放送)
歌丸が瞳を閉じて考えた結果、木久扇のネタのひとつ・河童に因んでのトルコカッパドキアの旅を贈呈。途中で山田も合流した。前編は陶器の絵付や熱気球に乗ってのカッパドキア遺跡巡り、後編はイスタンブールに行った。現地で描いた「カッパドキアでラーメンを食べる河童」(ほか2種類の計3枚)の皿は視聴者にプレゼントされた。ナレーションは、たい平が担当。
  • 6代目圓楽が「至福の時」を獲得。(2011年6月12日放送)
賞品の内容は台湾への温泉旅行。「世界にひとつだけの温泉」という触れ込みだったが、実際は自分で河原を掘って入るものだった。途中で小遊三・好楽も乱入。続いて2人と食事をし、圓楽はメンバーの悪口を言う。しかし、勝負で小遊三と好楽に敗れ、罰ゲームで臭豆腐を食べさせられた。最後に「台湾でタイワンな目にあっちゃった(友達できないね)」と締め括っている。ナレーションは前回と同様にたい平が担当。
思わず「あっ、痛かった」と言ってしまう番組特製健康マットがプレゼントされた。
「張れたらいいね」で賞品はテントだった。因みに、この時たい平は13枚まで座布団を増やした。
  • 木久扇が「人の振り見て我が振り直せ」を獲得。(2013年4月14日放送)
賞品は33年前と同じ「徳島・阿波踊り」だった。この放送分は四国放送開局60周年の為、徳島で公開収録を行っていた。
  • 小遊三が「日本テレビ開局60周年に因んだものすごい賞品」を獲得。(2013年12月1日放送)
同年の汐博のアトラクション「幸せを呼ぶ歌丸スライダー」の一部分である巨大な歌丸の人形だった。両手には扇子、頭からは「祝日テレ60年」の旗が付いている。歌丸は「笑点史上最大の賞品」と称した。
  • 木久扇とたい平が「お・も・て・な・し」(2013年流行語大賞)を獲得。(2014年6月29日放送)
歌丸の地元の横浜でもてなしを受けるもの。歌丸行きつけの蕎麦屋で歌丸は蕎麦湯を注文するが、2人はたくさん注文する。最後に歌丸が代金を払おうとするが想像を超える額だったため(金額は公開されなかった)「歌丸もこんなになるとはおもってなし」というオチだった。ナレーションは日本テレビアナウンサーの桝太一が担当。
  • 好楽が「銀の匙」を獲得。(2014年11月16日放送)
「銀のスプーンをくわえて生まれてきた子供は、一生食べるのに困らない」という西洋の言い伝えにちなみ、日本テレビの社員食堂のメニューが無料で食べられる利用カードが賞品だった。しかも、限度額は「無制限」、有効期限は「死ぬまで」、家族や一門を連れてきてもOKであった(但し、10枚達成時に渡された巨大パネル型のカードを持参しなければ無効)。獲得日の翌週の放送で(実際の訪問日は獲得の翌日)、好楽が息子の王楽をはじめとした家族や親類、とむなどの一門の者、さらに王楽と親交があるガッポリ建設など30名を従え、日テレ社食を訪れて食事する模様が放送された(巨大カードも持ち込んだ)[42]。その際社食の責任者が登場し、「金額無制限、死ぬまで有効」の確約を得た。ナレーションはたい平が担当。
  • たい平が「笑点50年にふさわしいものすごい賞品」を獲得。(2015年5月24日・5月31日放送)
賞品は日本テレビ地下3階の鍵だった。その鍵で開いた麹町分室地下3階の扉の先には、日本テレビの歴史が詰まった番組の記録写真が保管された部屋があった。過去の記録写真の中から1枚をプレゼントするものだった。その中には笑点の写真の他にも日本テレビの他番組の写真が登場した。ナレーションは徳光和夫が担当。最終的にたい平が選んだ写真は5月31日大喜利の冒頭で発表され、1967年「ご両人登場」から歌丸と妻の椎名冨士子が出演した際の写真が選ばれた。
放送日(2015年5月17日)が笑点50年目に突入した日であり歌丸は冒頭に「今日10枚出す」と言っていた為、大喜利メンバーは真面目に答えていた(この回、座布団を没収されたのは円楽のみだった)。
  • 昇太、6代目圓楽、たい平、木久扇が「笑点50年にふさわしい超ものすごい賞品」を獲得。(2016年5月8日放送、昇太、大喜利回答者として最後の座布団10枚獲得)
賞品は50万円の南部で、翌週の50周年記念特番の際の掃除をこの箒でする事を命じられた。最初に昇太が獲得した後も大喜利が続いたため、6代目圓楽・たい平・木久扇の順で10枚獲得し手伝うことになった。

昇太時代の豪華賞品

2016年5月29日からの座布団10枚の賞品は「新時代の笑点にふさわしいものすごい賞品」が贈られる。

その他の豪華賞品

10枚達成ではないが、スペシャルなどで最も座布団獲得したメンバーにものすごい賞品が贈られることがある。

  • 特別大喜利での豪華賞品
    • 小圓遊が「ミスの女王とキスができる権利」を獲得。しかし、ミス桜の女王の正体は女装した松崎真だった。(1978年5月7日 サンフランシスコ大喜利)
    • 楽太郎が「ハワイの美女とキスができる権利」を獲得。今度は本物の美女だった。(1980年10月12日 ハワイ大喜利)
    • 好楽が「メイドの衣装」を獲得。(2006年5月14日 天国よいとこ昇天大喜利)
    • 好楽と小遊三が「モアイ像」を獲得。(2006年5月14日 圓楽司会最後の大喜利)
    • メンバー全員が「アイマスク」を獲得。アイマスクの模様は、歌丸の目となっている。(2011年5月15日 45周年記念大喜利)
  • 年忘れ大喜利での豪華賞品
    • 木久蔵が「トイレットペーパー1999本」を獲得。(1999年12月26日)
    • 歌丸・木久蔵・楽太郎(歌丸チーム)が「笑点特製クリスマスケーキ」を獲得。(2000年12月24日)
    • 歌丸・好楽・小遊三(歌丸チーム)が「木久蔵ラーメンと山田隆夫のCD」を獲得。(2001年12月23日)
    • 歌丸・楽太郎・小遊三(歌丸チーム)が「島津製作所風オリジナル笑点作業着」を獲得。(2002年12月29日)
    • 歌丸・木久蔵・好楽(歌丸チーム)が「大掃除セット」を獲得。(2004年1月4日)
    • 木久扇・好楽・小遊三(おじさんチーム)が「歌丸羽子板」を獲得。(2007年12月30日)
    • 楽太郎・昇太・たい平(壮年チーム)が「歌丸湯たんぽ」を獲得。(2009年12月27日)
    • 両チームがブブゼラを獲得。(2010年12月26日)
    • 6代目圓楽・昇太・たい平(若手チーム)が「歌丸サンタ人形」を獲得。(2011年12月25日)
    • 6代目圓楽・昇太・たい平(幼稚園チーム)が「歌丸ホットカーペット」を獲得。(2012年12月23日)
  • 寿大喜利での豪華賞品
    • 歌丸が「バナナ」を獲得。楽太郎が1本つまみ食いをしていた。(2004年1月1日 新春スペシャル)
    • 小遊三が「」を獲得。(2006年1月1日 『大笑点』)
    • 獲得者不明・野菜セット。(2007年1月1日 『大笑点』)
    • 昇太が「チーズ」を獲得。(2008年1月1日 『大笑点』)
    • 小遊三が「よだれ掛け」を獲得。(2009年1月1日新春スペシャル)
    • 好楽・小遊三・昇太が「巨大猫じゃらし」を獲得。(2010年1月1日 新春スペシャル)
    • 木久扇が、「ホッピング」を獲得。卯年であり、「ウサギのように、飛躍出来るように。」との願いが込められている。(2011年1月1日 新春スペシャル)
    • 小遊三が、「笑点特製」を獲得。(2012年1月1日 新春スペシャル)
    • 6代目圓楽が、「蛇口」を獲得。(2013年1月1日 新春スペシャル)
    • 木久扇・昇太が、「高級食パン」を獲得。(2014年1月1日 新春スペシャル)
    • 6代目圓楽・たい平が、「歌丸」を獲得。(2015年1月1日 新春スペシャル)
    • 6代目圓楽が、「高級バナナ」を獲得。しかし、たい平が1本つまみ食いし、メンバー全員に分配した。(2016年1月1日 新春スペシャル)

BS笑点・笑点Jr.の大喜利

BS笑点』と『笑点Jr.』の大喜利は、基本的なルールは本家の大喜利と同様である。

座布団・独自ルール

番組で使われる座布団の大きさが本家のものより一回り小さい(笑点グッズの一つとして販売されている座布団カバーと同じ位の大きさ)。また、用意された座布団も少ない[43]

独自のルールとして、獲得した座布団の枚数が一番少ないメンバーは次回の大喜利に出演できない(メンバー入れ替え制)。また、それぞれ獲得した座布団は毎回1枚にリセットされる。座布団0枚の状態で座布団剥奪に相当する答えを出すと、1歩あとずさりさせられる(2005年(平成17年)12月頃から追加)。座布団0枚のメンバーが複数名いる場合は座り位置が最も奥に引っ込んだメンバーが入れ替えの対象となる。

地方収録では特別ルールとして、地方収録2回目時点で座布団枚数が一番多かったメンバーには「豪華賞品」が贈られ、そのメンバーは次回お休みとなる(事実上出演権を剥奪される訳ではない)。

席順

『BS笑点』・『笑点Jr.』の大喜利の中で最も多かった席順のみ紹介する(笑点Jr.に於ける木久蔵は2代目木久蔵)。またここでのメンバー落語家の配色は放送終了時点のものとする。

座布団10枚の豪華賞品

  • 愛楽が「美味しい牛肉のお店に行ける権利」を獲得。(2009年3月22日放送)
木久蔵とセイラも合流し、大田原牛の専門店へ。そこではすき焼きしゃぶしゃぶが出された(しかし選択制だったため、愛楽はすき焼きを選択)。
しかし本当は牛肉の店に入れるだけで牛肉そのものを食べることができないとなっていたため、愛楽はクイズに答えれば牛肉を食べられるという条件で木久蔵が出した問題(内容は自身のペットにちなんだ問題だった)に挑戦するも結局不正解となり、すき焼きは木久蔵とセイラが食べ、自身は食べられなかった上に椅子に縛り付けにされた。

※()内は10枚達成の放送日ではなく、獲得賞品の放送日である。

その他の豪華賞品

地方収録などで最も座布団獲得したメンバーに送られた「ものすごい賞品」

  • 『BS笑点』
    • 彦いちが10枚達成にはならなかったものの、座布団が最多の7枚獲得・トップ賞ということでBS・110度CSアンテナと地上・BS・110度CSデジタルチューナーを獲得。(2007年2月17日放送)
    これは2007年(平成19年)4月よりBS日テレから日テレプラス&サイエンス(現:日テレプラス ドラマ・アニメ・スポーツ)へ放送枠を移動し、「笑点Jr.」として放送されることに因んだ賞品だが、日テレプラス&サイエンスを見るための視聴料は獲得者の自己負担となった。それでも史上初の豪華賞品といっても過言ではない。
  • 『笑点Jr.』
    • 愛楽が「初代セントレア名人」に認定し、「2泊3日のサイパン旅行」を獲得。セントレアのマスコットキャラクター「なぞの旅人フー」に伴われてサイパンへ。(2007年12月16日放送 第1回セントレア名人決定戦)
    国際的平和のために、サイパンの人々に自分のギャグを広めようとしたが、受けなかった(しかしモノマネは受けた)。
    • 愛楽が「使い道に困った番組の座布団全部」を獲得。(2011年2月13日放送)

脚注

  1. ^ 『笑点五〇年史』ぴあ、2016年。ISBN 978-4-8356-3118-9  p.113
  2. ^ 2013年・2014年は何度かこれが省略された回があり、その際には以前と同じく、板付きの状態から開始となった。
  3. ^ 『笑点五〇年史』p.142
  4. ^ 追悼立川談志「反骨の美学」と「喧嘩人生」(3) 「笑点」の大喜利を考案した”. 徳間書店. 2016年5月23日閲覧。
  5. ^ 「笑点」最高視聴率は74年36・1% 座布団は立川談志さん考案”. スポーツニッポン (2016年5月23日). 2016年5月23日閲覧。
  6. ^ 小暮美雄「座布団が笑点を生んだ」『笑点』日本テレビ放送網、2006年。ISBN 4-8203-9955-1  p.35
  7. ^ 笑点公式サイトなどに記録がある。
  8. ^ 主な罵倒ネタとして、5代目圓楽に対しては「」「借金」或いは若竹(寄席)ネタなど。歌丸に対しては「ハゲ(または「(頭の)毛が無い」「毛が薄い」)」「ミイラ」「ジジイ」「骸骨」或いは死去ネタや葬式ネタなど。昇太に対しては「チビ」「未婚」など。(歌丸と昇太は回答者時代もこのネタでいじられていた)
  9. ^ “放送内容 第2151回”. 笑点. http://www.ntv.co.jp/sho-ten/02_week/090208/week_02.html 2016年8月16日閲覧。 
  10. ^ 幸せと座布団を運び続けて31年!笑点・山田クンが語る「継続する先に見えるもの」”. リクナビNEXT (2015年11月20日). 2016年8月16日閲覧。
  11. ^ 『笑点五〇年史』p.142
  12. ^ 公式サイト[1]2015年12月11日閲覧
  13. ^ 『笑点五〇年史』p.114
  14. ^ 第2157回放送分2016年6月13日閲覧
  15. ^ つまり、小遊三からたい平まで25cm前にズレている事になる。
  16. ^ 2006年(平成18年)11月6日放送の「極上の月夜」で林家木久蔵(当時)談
  17. ^ なお、現在メンバーにつけているピンマイクのスポンジ部分は黄色か黒となっている。
  18. ^ その時前田の席は左端ではなく、歌奴と金馬の間の中央部分だった。
  19. ^ この日は北海道収録であり、演芸のゲストがてんぷくトリオだったため
  20. ^ 定位置には座布団、その上に折りたたまれた水色の紋付が置かれた。
  21. ^ この日の席順は鶴亀大喜利の席順で、愛川の左側に上方噺家がいる東西対抗戦方式だった。
  22. ^ ドレミファ大喜利はこん平が代理。
  23. ^ この頃は週代わりで自前の紋付を着ていた。
  24. ^ 昇太以外はその日の前半に放送された大喜利下克上で優勝した若手落語家。のちにレギュラーになる昇太とたい平もいた。
  25. ^ 定位置には、残された4枚の座布団が積まれていた。
  26. ^ 当時たい平はこん平の代理出演であり、本人は「師匠を差し置いて司会をすることはできない」という理由で辞退している。
  27. ^ 木久蔵が実子きくおの真打昇進・2代目木久蔵襲名に伴うもの
  28. ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、いずれも木久扇と楽太郎の2人で担当。
  29. ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介も2人で担当。
  30. ^ a b c d e f g h i j 代理司会を担当したメンバーの定位置には、前回までに獲得した座布団が積まれていた。
  31. ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、いずれも昇太とたい平の2人で担当。
  32. ^ 定位置には、残された3枚の座布団が積まれていた(しかし、他のメンバーのネタによって歌丸に2枚没収され、1枚獲得したため、最終的には2枚になった)。
  33. ^ 林家木久扇さん、初期の喉頭がんで休養へ 「笑点」は代役立てず 産経新聞 2014年7月21日閲覧
  34. ^ 前回の2015年1月18日放送で、圓楽の歌丸罵倒ネタにメンバー全員が巻き込まれたため、全員の座布団が全没収で終了。そのため、見た目上は山田用の赤い座布団のみが置いてある状態でスタートした。
  35. ^ 桂歌丸が体調不良で休養発表 『笑点』収録もお休み
  36. ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、その放送分の代理司会者が担当(ただし2015年7月19日分は木久扇が担当。2015年7月12日・7月26日・8月2日分は挨拶なし)。
  37. ^ 2015年7月19日放送分で代理司会を務めた6代目圓楽が、自身を除いた全員の座布団を全部没収したため、9枚ある圓楽の座布団と山田の座布団が置かれた状態でスタート。
  38. ^ 「笑点」新メンバー・林家三平、着物は丁子(ちょうじ)色に決定 スポーツ報知 2016年5月29日閲覧
  39. ^ 定位置には、座布団が一枚置かれていた。
  40. ^ a b ただしこの回では両チームに賞品が与えられた。
  41. ^ この年に放送25周年を記念してパリで大喜利を開催する予定だったが湾岸戦争のため中止になった。
  42. ^ 好楽“一生無料”日テレ社食へ 30人で20年食べると3億円超”. sponichi annex (2014年11月23日). 2014年11月23日閲覧。
  43. ^ 林家たい平の著書「笑点絵日記」に『BS笑点の座布団はトータル20枚程度しか用意されていない』という記述がある。
  44. ^ 愛知収録の回を含めると14回。

参考文献

外部リンク