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「日本とシンガポールの関係」の版間の差分

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2009年11月に日本のファッションやアニメ、文化などを発信するためにジャパン・クリエイティブ・センター(JCC)[http://www.sg.emb-japan.go.jp/JCC/]が設立された。
2009年11月に日本のファッションやアニメ、文化などを発信するためにジャパン・クリエイティブ・センター(JCC)[http://www.sg.emb-japan.go.jp/JCC/]が設立された。
シンガポールから日本への留学生は166人、日本語学習者は16000人<ref>[http://www.sg.emb-japan.go.jp/Japanese/gaikyo.pdf 在シンガポール日本大使館 シンガポールの概要]</ref>。
シンガポールから日本への留学生は166人、日本語学習者は16000人<ref>[http://www.sg.emb-japan.go.jp/Japanese/gaikyo.pdf 在シンガポール日本大使館 シンガポールの概要]</ref>。

日本とシンガポールは、過去数十年にわたって前向きな関係から恩恵を受けてきました。食べ物やメディアを含む日本の文化の多くの側面は、シンガポール全体で1990年代に人気を博しました。

2014年の調査では、シンガポールの約44%が日本との関係を「非常に友好的」であると見なし、53%のシンガポール人が「多少の留保はあるが」日本は信頼できると考えています。

日本とシンガポールは、2016年にSJ50と呼ばれる50年間の関係を祝い、シンガポールで1年間開催された日本の文化イベントを開催しました。

アルビレックス新潟シンガポールFCは、シンガポールプレミアリーグでプレーするフットボールクラブです。クラブは日本の[[アルビレックス新潟]]のサテライトチームであり、その選手はシンガポールの選手とともに日本から来ています。

日本で広く知られているディスカウントストアである[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]は、シンガポールに国外に最初の東アジア店をオープンしました。 2019年現在、現在6店舗を展開しており、2020年末までに最大10店舗をオープンする予定です。

日本以外の東アジアにある最初の公式[[ポケモンセンター]]は、シンガポールのジュエルチャンギ空港にあります。

日本のポップカルチャーを特集する多くの年次大会の1つは、[[アニメ・フェスティバル・アジア]]です。


== 観光 ==
== 観光 ==

2019年9月17日 (火) 16:28時点における版

日本とシンガポールの関係

シンガポール

日本

日本とシンガポールの関係英語: Japan–Singapore relations)では、シンガポールの独立以後、経済的、政治的なつながりは緊密なものと成長した。日本1965年8月9日にシンガポールを承認し、1966年4月26日に外交関係を樹立した。2002年に日本にとって初となる経済連携協力「日本・シンガポール新時代経済連携協定」を結び、要人往来も活発である[1]

歴史

日本の占領時代は「シンガポールの歴史#日本による占領と軍政」及び「シンガポールの戦い」を参照

初めてシンガポールに居住した日本人は1862年にやってきた山本音吉である[2]。日本人が多く移住してきたのは明治維新後の1870年代のことで[3]、初期にシンガポールにやってきた日本人の中には、後にからゆきさんとして知られることとなる多くの売春婦が含まれていた。最初の売春婦がやってきたのは1870年もしくは1871年のことで、1889年には134人の売春婦が居住していた[4]

第一次世界大戦が始まると、東南アジアに向けたヨーロッパからの輸入が止まり、日本製品がそれに取って代わった。これが引き金となり、シンガポールの日本人経済の中心は小売業貿易業へと変化していった[5]

太平洋戦争中にイギリスの植民地化にあったシンガポールを山下奉文中将が率いる日本陸軍1942年2月7日に攻撃開始、2月15日にシンガポールが陥落した。その後は日本陸軍による軍政が敷かれ、シンガポールは「昭南島(しょうなんとう)」と改名された。なお、昭南島とは「昭和の時代に得た南の島」の意とされている。この日本軍による占領直後にシンガポール華僑粛清事件が発生している。軍政下の行政組織として「昭南特別市」が設置され、初代市長には、日本人内務官僚の大達茂雄が任命された。

日本の敗戦後、1947年に軍や一般人を含むすべての日本人は帰国した。その後1950年代後半には日本人の入国規制が緩和され、日本の貿易商社はシンガポール事務所を再開した[6]1957年には日本人居住者達によってシンガポール日本人会が再設立された[7]

日本企業の工場の東南アジア移転が盛んになった1970年代前半に、急激に日本人が増加し[8]、現在に至る。

経済関係

貿易額(単位:10億円)[1] 2006 2007 2008 2009 2010
シンガポールへの輸出 870 829 817 570 715
日本への輸入 2,250 2,566 2,758 1,933 2,209
直接投資(単位:百万ドル)[9] 2006 2007 2008 2009 2010
対日本直接投資 1,062 1,282 2,716 756 1,575
対シンガポール直接投資 375 2,233 1,089 2,881 3,789

シンガポールの急速な発展とともに経済関係は緊密になり、1995年4月28日に租税協定、2002年11月に日本にとって初となる経済連携協力「日本・シンガポール新時代経済連携協定」が発効した。日本はシンガポールにとって第6位(2010年)の貿易相手国となっており、シンガポールは日本の第3位(2010年)の直接投資国になっている。

1969年にシンガポール日本商工会議所が在シンガポール日系企業の活動支援を目的に設立され、シンガポール政府に対して要望を行なっている。日本法人の進出は700社[10]を超える。在留邦人数は26,032名(2011年10月)。

文化交流

2009年11月に日本のファッションやアニメ、文化などを発信するためにジャパン・クリエイティブ・センター(JCC)[2]が設立された。 シンガポールから日本への留学生は166人、日本語学習者は16000人[11]

日本とシンガポールは、過去数十年にわたって前向きな関係から恩恵を受けてきました。食べ物やメディアを含む日本の文化の多くの側面は、シンガポール全体で1990年代に人気を博しました。

2014年の調査では、シンガポールの約44%が日本との関係を「非常に友好的」であると見なし、53%のシンガポール人が「多少の留保はあるが」日本は信頼できると考えています。

日本とシンガポールは、2016年にSJ50と呼ばれる50年間の関係を祝い、シンガポールで1年間開催された日本の文化イベントを開催しました。

アルビレックス新潟シンガポールFCは、シンガポールプレミアリーグでプレーするフットボールクラブです。クラブは日本のアルビレックス新潟のサテライトチームであり、その選手はシンガポールの選手とともに日本から来ています。

日本で広く知られているディスカウントストアであるドン・キホーテは、シンガポールに国外に最初の東アジア店をオープンしました。 2019年現在、現在6店舗を展開しており、2020年末までに最大10店舗をオープンする予定です。

日本以外の東アジアにある最初の公式ポケモンセンターは、シンガポールのジュエルチャンギ空港にあります。

日本のポップカルチャーを特集する多くの年次大会の1つは、アニメ・フェスティバル・アジアです。

観光

シンガポールの日本人旅行客は65.6万人で第7位(2011年[12])。

渡航者数[13]
日本からシンガポール シンガポールから日本
渡航者数 前年比 渡航者数 前年比
2000 929,670 62,163
2001 755,766 減少18.7% 59,122 減少4.9%
2002 723,420 減少4.3% 64,346 増加8.8%
2003 434,064 減少40.0% 65,369 増加1.6%
2004 598,821 増加38.0% 72,445 増加10.8%
2005 588,535 減少1.7% 94,161 増加30.0%
2006 594,404 増加1.0% 115,870 増加23.1%
2007 594,511 増加0.0% 151,860 増加31.1%
2008 571,020 減少4.0% 167,894 減少10.6%
2009 489,940 減少14.2% 145,224 減少13.5%
2010 528,817 増加7.9% 180,960 増加24.6%
2011 656,406 増加24.1% 111,354 減少38.5%
2012 757,116 増加15.3% 142,201 増加27.7%
2013 832,838 増加10.0% 189,280 増加33.1%
備考:
観光以外の商用などの渡航も含む。
2003年のシンガポールへの渡航者の落ち込みはSARSによるもの。
2011年の日本への渡航者の落ち込みは東日本大震災によるもの。

日本からの開発支援

日本のシンガポールに対する経済協力実績額[1]
有償資金協力 無償資金協力 技術協力 合計
127.7億円 31.17億円 239.88億円 398.75億円

2013年現在日本からシンガポールに対しての開発支援は行なっていない。有償資金協力は1972年度、無償資金協力は1987年度、技術協力は1998年度まで行なっていた[1]

1994年からシンガポールの対外援助を支援するために日・シンガポール・パートナーシップ・プログラム(JSPP)を結んだ。2007年には共同で第三国への研修協力支援を行うために21世紀のための日・シンガポール・パートナーシップ・プログラム(JSPP21)を結び途上国開発支援を行なっている[1]

両国の比較

シンガポールの旗 シンガポール 日本の旗 日本
人口 約561万人

(内シンガポール人・永住者は393万人/2016年6月在)

1億2677万人(2017年8月)
面積 719 km2 37万7873 km2 (145,883 sq mi)
人口密度 7,803人/km2(2016年6月時) 337.6人/km2 (874.4/sq mi)
首都 シンガポール (都市国家なのでここではシンガポールと記す) 東京
最大都市 シンガポール - 517万人 東京 – 1278万3000人 (首都圏は3245万人)
政府 単一国家議院内閣制立憲共和制 単一国家議院内閣制立憲君主制
公用語 国語はマレー語。公用語として英語中国語、マレー語、タミル語 日本語 (事実上)
主な宗教 仏教、イスラム教、キリスト教、道教、ヒンズー教 神道83.9%、仏教71.4%、キリスト教2%、その他0.6%
(日本では神道と仏教を両方信仰することが広く行われているため、合計した数字は100%を超える) [14]
民族 中華系74%、マレー系13%、インド系9%、その他3% (2016年6月) 日本人98.5%、その他0.6%、韓国人0.5%、中国人0.4%
GDP (名目) 2,887億ドル (1人当たり51,496米ドル)[15] 5兆1000億ドル (1人当たり38,559米ドル)
軍事費 104億7700万米ドル(2017年度) 486億400万米ドル (2013年度) [16]

外交使節

在シンガポール日本大使・領事

在日シンガポール大使

  1. アン・コクペン(洪国平、1968~1971年)
  2. ロイ・ケンフー(黎経富、1971~1972年)
  3. ウィー・モンチェン(黄望青、1973~1980年)
  4. ウィー・キムウィー(黄金輝、1980~1984年)
  5. リー・クーンチョイ(李炯才、1984~1988年)
  6. チェン・トンファト(鄭東発、1988~1991年)
  7. リム・チンベン(林振明、1991~1997年、信任状捧呈は9月3日[17]
  8. チュー・タイスー(周大思、1998~2004年[18]、信任状捧呈は4月23日[19]
  9. タン・チンチョン(陳振忠、2004~2012年、信任状捧呈は11月2日[20]
  10. チン・シアットユーン(陳燮栄、2012~2017年、信任状捧呈は4月26日[21]
    臨時代理大使チュア・シェング・ウェイ(蔡Sheng Wei、2017年)
  11. ルィ・タックユー英語版(呂徳耀、2017年~、信任状捧呈は7月19日[22]

脚注

  • Tan, Bonny (2008), “Yamamoto Otokichi”, Singapore Infopedia, Singapore: National Library Board, オリジナルの2009年7月27日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20090727205914/http://infopedia.nl.sg/articles/SIP_1340_2008-03-05.html 
  • Shimizu, Hiroshi; Hirakawa, Hitoshi (1999), Japan and Singapore in the world economy: Japan's economic advance into Singapore, 1870-1965, Studies in the modern history of Asia, 5, Routledge, ISBN 978-0-415-19236-1 
  • Shiraishi, Saya; Shiraishi, Takashi, eds. (1993), The Japanese in colonial Southeast Asia, Southeast Asian Publications, 3, Cornell University, ISBN 978-0-87727-402-5 . Chapters cited:
    • Shiraishi, Saya; Shiraishi, Takashi (1993), “The Japanese in Colonial Southeast Asia: An Overview”, pp. 1–20 
  • Tsu, Yun-hui Timothy (2002), “Post-mortem identity and burial obligation: on blood relations, place relations, and associational relations in the Japanese community of Singapore”, in Nakamaki, Hirochika, The culture of association and associations in contemporary Japanese society, Senri Ethnological Studies, 62, Osaka, Japan: National Museum of Ethnology, pp. 93–114, OCLC 128864303, オリジナルの2011年7月22日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20110722073336/http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/1002/1/SES62_009.pdf 
  • Ben-Ari, Eyal (2003), “The Japanese in Singapore: The Dynamics of an Expatriate Community”, in Goodman, Roger, Global Japan: the experience of Japan's new immigrant and overseas communities, Routledge, pp. 116–146, ISBN 978-0-415-29741-7 

外部リンク