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2020年1月1日 (水) 08:00時点における版

ダカールラリー
Dakar Rally
2011年大会
開始年 1979
主催 アモリ・スポル・オルガニザシオン (A.S.O)
公式サイト
ダカール・ラリー 公式サイト
旧称パリ-ダカールラリー
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ダカール・ラリーDakar Rally)とは、フランス人冒険家ティエリー・サビーヌの発案により1978年から例年1月に開催されているラリーレイド競技大会である。アモリ・スポル・オルガニザシオン (A.S.O.) が主催。「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。

元々はフランスパリを出発点、セネガルダカールを終着点として主にアフリカ大陸で競技が行われ、パリ-ダカール・ラリーParis-Dakar Rally、日本での略称「パリダカ」)と呼ばれていた。2009年からは南米大陸に開催地を移し、2020年からはサウジアラビアでの開催となる。

大会の公式語はフランス語であり、フランス語では一般に「ラリー・ダカール(Rallye Dakar[1])」と呼び、さらに短縮して「ル・ダカール(Le Dakar)」と呼ぶこともある。日本語では英語風の語順で「ダカール・ラリー」と呼ぶことが多い。

概要

赤色は、以前 パリ・ダカール・ラリーで通過した国々(オレンジ色は1992年のパリ~ケープタウンでのみ通過)
2011年の優勝トロフィー。(カミオンクラス T4)

1979年に始まり毎年行われているラリーレイド大会であり、1981年より国際自動車連盟(FIA)と国際モーターサイクリズム連盟(FIM)の公認イベントとなっている。世界三大レースモナコグランプリインディ500ル・マン24時間レース)に比べれば開催回数は少ないが、それらに同じレベルの規模・知名度を誇っており、モータースポーツ/ラリー(ラリーレイド)を代表するイベントのひとつとなっている。

以前は、例年1月1日(前年の12月末に始まることもある)にフランスの首都・パリからスタートし、スペインバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000kmを走ることで知られていたが、2009年からは南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからチリを回る周回コースに、2012年からはペルーを加えた3カ国を通るルートとなった。また2019年はペルー1カ国のみとなっている。

かつてのヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、途中ほとんど集落や救護施設のないサハラ砂漠を縦断する過酷な競技なため、出場者の5割以上がリタイアする大会も珍しくなく、アフリカ大陸時代は年によっては死者が発生することもあった。競技区間には、西サハラなど政治的に不安定な国が入っていることも「世界一過酷」と呼ばれる由縁であった。それ故、「全ての完走者が勝者である」という言葉が出場者全員の共通の認識となっており、最終日のレースは「ビクトリーラン」と呼ばれている。

同様にヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、フランスなど欧米を中心とした選手とメーカーがかつて植民地として支配していたアフリカ諸国で行っているだけに、植民地主義的だとする批判が根強く存在し、テロリストや強盗集団の標的にされる理由の一つであった。またアフリカの一般住民の住む地域を競技車両が猛スピードで駆け抜け住民と競技車の事故も発生しており、批判されるのもやむを得ないとする見方も多かった。それらの事情から、後に開催地が南米に変更された。

冠スポンサーは2007年はポルトガルでロト(日本でいえば宝くじ)を販売するユーロミルホーが務めた。過去にはテレフンケンde:telefunken:ドイツの電機メーカー)、トタル(フランスの石油メーカー)、テレフォニカ(スペインの通信会社)などが務めている。日本企業ではパイオニアが1988年〜1991年に冠スポンサーを務めた。 舞台が南米大陸になってからは2009年はトタルや2010年と2011年はpersonal社が冠スポンサーを務めた。

歴史

ティエリー・サビーヌ。(アルジェの港にて)

1978年12月26日に第1回大会が開催、この時の名称は「オアシス・ラリー」となっていた。

本ラリーの創始者はティエリー・サビーヌThierry Sabine)である。下記の言葉は1978年の第1回開催の時に彼が言ったとされ、ダカール・ラリー創設の精神を語る言葉として有名である。

私にできるのは、“冒険の扉”を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう。

ティエリーは運営団体としてTSOティエリー・サビーヌ・オーガニゼーション)を設立、主催者としてパリ・ダカを象徴する存在となる。しかし、ティエリーは1986年に競技期間中に起こったヘリコプター墜落事故により死去、彼の遺志とTSOは父ジルベールによって引き継がれた。だが、そのジルベールもティエリー程のカリスマ性を持つには至らず、高齢を理由に1994年1月に引退。TSOは主催者権を売却し、1994年からはフランスのアモリー・グループである「ASO」(アモリ・スポル・オルガニザシオン)が主催している。

1982年の大会では、競技者として参加していたイギリス首相(当時)マーガレット・サッチャーの息子のマーク・サッチャーが競技中に一時行方不明となり、世界を巻き込んだ大騒ぎとなった。この際、サッチャーは「息子が発見されなかったら、このような危険なレースを2度と開催させない。」と発言している。TSOによる捜索の結果、マークは数日後に無事発見・保護され、この騒動でラリーが世界的に認知される事となる。

1985年大会では三菱パジェロが初優勝。出場者も非常にバラエティに富んだものとなりモナコ王国アルベール2世 (モナコ大公)とアルベール二世の姉のカロリーヌ、日本からは夏木陽介らが出場した。

1986年の大会では15000キロにも及ぶ過酷なルート設定と酷い砂嵐に見舞われ、大会主催者であったティエリー・サビーヌと、日本人ライダーの0金子靖雄を含む計6人の死者を出した。しかしサビーヌ亡き後も86年のラリーは継続されゴールを迎えた。86年をもってポルシェワークスは撤退。この年より篠塚健次郎が初参戦。

1987年の大会よりティエリーサビーヌの父親で歯科医だったジルベールがラリーを主催。プジョーWRCにおけるグループBの廃止に伴って行き場がなくなった205ターボ16を投入し、圧倒的な速さでラリーを席巻した。それまでのパリ・ダカは耐久ラリーの色合いが非常に濃いものであったが、プジョーはWRCのサービス体制をそのままパリ・ダカに持ち込み、どんなトラブルやアクシデントに見舞われようとも、ゴールまでたどり着けば翌日のスタートには新品同様に車両を修復するという手法でパリ・ダカの長丁場を乗り切った。このプジョーの手法は三菱をはじめとした他のエントラントにも大きな影響を与えることとなり、この年以降、この動きに追従した三菱とプジョー(1990年からは同じPSAグループシトロエン)による優勝争いはより激しさを増し、パリ・ダカは高速化の一途をたどることとなった。

Kees van Loevezijnの1988年の死亡事故によって残されたDAF FAV3600 95X2 TurboTwinの残骸。テネレの北部にて。

1988年の大会では、オート部門首位だったアリ・バタネンの車両が盗難に遭うという事態が発生し、後に失格の裁定が下された。この時、失格の裁定を巡って、プジョーとFIA、というより、以前から遺恨があったとされる、プジョーチーム監督ジャン・トッドとFIA会長ジャン・マリー・バレストル個人の間で深刻な対立が生じている(ジャン・マリー・バレストルの項目参照)。篠塚健次郎が2位入賞。なお、この年から日本のパイオニアタイトルスポンサーを務めることになった。

1991年にはシトロエンチームのサポートカミオンが、モーリタニア国内でポリサリオ戦線が敷設していた地雷を踏み、コドライバーが逃げ遅れて焼死する事件が発生した。事前警告で地雷が存在するため、メインピストから外れて走らないよう指示が出ていたのにもかかわらず、主催者から指示され、ルートブックにも記載されていたメインピストを外れて走行していたのが原因とされている。

1992年、パリ・ダカの歴史上初めてゴール地がダカールから南アフリカのケープタウンに移された。名前もパリ〜ル・カップに改められ、タイトルスポンサーは日本のパイオニアからフランスの石油メーカーのトタル(TOTAL)に変更になった。この年は大会のサポートカーが事故を起こし、救護に駆け付けようとしたメディカルカーに1989年のモトクラス覇者ジル・ラレイが接触し、この世を去るアクシデントが発生した。

1999年にはテレビ局の取材担当者らがテロ組織に襲われた。

この事件だけではなく、特に近年の同レースはテロ組織以外にも強盗も現れ、ドライバーがその被害・脅迫に遭遇することは少なくなかった。銃撃を受ける、盗賊に金品を略奪される等、事件例は枚挙に暇が無い。通行する集落の住民による投石による事故や負傷も多い。シトロエンのサポートカミオンのドライバーが何者かによって射殺されたり、三菱自動車工業のサポートカミオンが狙撃を受ける事態すら発生した。[要出典]

2008年は走行区間のアフリカ北西部モーリタニアの治安悪化のため、開幕前日になって全区間開催中止が発表された[2]。2008年の再開催の予定はなし。2007年末のフランス人旅行者殺害事件を契機にフランス政府が事実上のレース中止勧告をしていたほか、主催者にも直接テロの脅迫が届いていたという。レースが全面中止されるのは30年の歴史で初めてであり、主催者側はテロの危険が絶えないサハラ砂漠からの撤退を含めた議論を示唆した[3]

2008年2月4日、ASOは中止になったダカール・ラリーの代わりに中央ヨーロッパを舞台にしたラリー「ダカール・シリーズ」を創設、4月20日26日に開催すると発表した[4]ハンガリーの首都・ブダペストからスタートし、途中ルーマニアを通過、同国西部のバラトン湖までのおよそ4800kmを走る。

同年2月11日には2009年のダカール・ラリーは南アメリカアルゼンチンチリを舞台に行われると報じられた[5]ブエノスアイレスが発着点となる。この地が舞台となった理由として、ダカール・ラリーの特徴である砂漠や難コースを持ちながらテロの脅威がないことが挙げられている。

2009年2月、2010年も引き続き南米で開催されることが発表された。この年、長らくトップコンテンダーとして健在だった三菱自動車が、2009年限りでワークスチーム撤退を表明した。撤退が噂されていたフォルクスワーゲンは後に参戦継続を表明したが、パリダカールラリーはワークス主体のレースが継続されるか、初期のプライベーター主体のレースに回帰するか、開催地の問題も含め岐路に立たされた。

2010年1月、この年もアルゼンチン・チリを舞台にし、同年8月にコピアポ鉱山落盤事故が発生するサンホセ鉱山もルートに設定された。

2012年2013年大会ではペルーが開催国に加わり、南米開催となって以来初の片道ルートとなった。また、2016年大会ではアルゼンチン、2019年大会ではペルー1国での開催となっている。

コース

コースの一部(2005年)

コースはASOのコースディレクターによる事前の試走に基づいて決定される。経由地やルートは毎年変更され、前年と全く同じコースを走行することはほとんどない。なお、コースディレクションはティエリー・サビーヌの存命中は彼自身の手によって行われ、彼亡き後はルネ・メッジやユベール・オリオールなど、本ラリーの過去の参加経験者の手によって行われている。

日々のコースは、リエゾンと呼ばれる移動区間とSS(通常のラリーではスペシャルステージの略であるが、本ラリーにおいてはセレクティブセクターもしくはそのままエスエスと呼称される事がある)と呼ばれる競技区間とで構成される。リエゾンとSSを合計した1日の走行距離はおよそ500kmから800kmにも及び、過去には1,000kmを超える競技区間が設けられた事もあった。

また、マラソンステージと呼ばれる区間が全コース中1度ないし2度設けられる。これは競技車が到着後、通常はその日のビバーク地で行う事が出来る整備を一部禁じ(具体的にはエンジン、駆動系などの部品交換が禁止される)、そのまま翌日のステージを走行するものである。2日にわたるステージをタイヤ交換などの軽整備のみで乗り切らなければならないため、ステージ内でのエンジンや駆動系の深刻なトラブルは即リタイヤに繋がる。そのため、車両を壊さないように労わりながらも速く走らなければならないという、2つの相反する要素が求められるステージとなっている。

競技期間中には1日ないし2日の休息日があり、競技車両の整備やクルーの休息に充てられる。

日程・ルート

1979年のルート図
2006年のルート図
2009年のルート図
2013年のルート図
開催日程 ルート 総距離 / SS走行距離 ST/P+SS
第1回 1978年12月26日-
1979年1月14日
フランスの旗パリアルジェリアの旗アルジェセネガルの旗ダカール 10,000km / 3,168km 8/10
第2回 1980年1月1日-23日 10,000km / 4,059km 7/13
第3回 1981年1月1日-20日 6,263km / 3,357km 12/13
第4回 1982年1月1日-20日 10,000km / 5,963km 14/18
第5回 1983年1月1日-20日 12,000km / 5,210km 15/15
第6回 1984年1月1日-20日 12,000km / 5,882km 18/21
第7回 1985年1月1日-22日 14,000km / 7,470km 17/20
第8回 1986年1月1日-22日 15,000km / 7,731km 18/22
第9回 1987年1月1日-22日 13,000km / 8,315km 20/20
第10回 1988年1月1日-22日 12,874km / 6,605km 18/16
第11回 1988年12月25日-
1989年1月13日
フランスの旗パリ→ チュニジアの旗チュニスセネガルの旗ダカール 10,831km / 6,605km 17/16
第12回 1989年12月25日-
1990年1月16日
フランスの旗パリ→ リビアの旗トリポリセネガルの旗ダカール 11,420km / 8,564km 18/21
第13回 1990年12月29日-
1991年1月17日
9,186km / 6,747km 11/14
第14回 1991年12月25日-
1992年1月16日
フランスの旗パリ→ リビアの旗スルト南アフリカの旗ル・カップ 12,427km / 6,263km 22/17
第15回 1993年1月1日-16日 フランスの旗パリ→ モロッコの旗タンジェセネガルの旗ダカール 8,877km / 4,476km 11/11
第16回 1993年12月28日-
1994年1月16日
フランスの旗パリ→ セネガルの旗ダカール→ フランスの旗パリ 13,379km / 4,446km 16/20
第17回 1995年1月1日-15日 スペインの旗グラナダセネガルの旗ダカール 10,109km / 5,725km 14/14
第18回 1995年12月30日-
1996年1月14日
7,579km / 6,179km 15/16
第19回 1997年1月4日-19日 セネガルの旗ダカール→ ニジェールの旗アガデスセネガルの旗ダカール 8,049km / 6,509km 14/15
第20回 1998年1月1日-18日 フランスの旗パリ→ スペインの旗グラナダ→セネガルの旗ダカール 10,593km / 5,219km 16/16
第21回 1999年1月1日-17日 スペインの旗グラナダ→ セネガルの旗ダカール 9,393km / 5,638km 16/16
第22回 2000年1月6日-23日 セネガルの旗ダカール→ エジプトの旗カイロ 7,863km / 5,012km 13/13
第23回 2001年1月1日-21日 フランスの旗パリ→ セネガルの旗ダカール 10,219km / 6,180km 20/19
第24回 2001年12月18日-
2002年1月13日
フランスの旗アラススペインの旗マドリードセネガルの旗ダカール 9,436km / 6,486km 16/15
第25回 2003年1月1日-19日 フランスの旗マルセイユエジプトの旗シャルム・エル・シェイク 8,552km / 5,216km 17/17
第26回 2004年1月1日-18日 フランスの旗クレルモン=フェランセネガルの旗ダカール 9,506.5km / 4,635.5km 17/15
第27回 2004年12月31日-
2005年1月16日
スペインの旗バルセロナセネガルの旗ダカール 9,039km / 5,433km 16/14
第28回 2005年12月31日-
2006年1月15日
ポルトガルの旗リスボンセネガルの旗ダカール 9,043km / 4,813km 15/14
第29回 2007年1月6日-21日 7,915km / 4,309km 15/14
第30回 中止(2008年1月5日-20日予定) 9,273km / 5,736km 16/16
以後南米開催へ変更
第31回 2009年1月3日-18日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレスチリの旗バルパライソアルゼンチンの旗ブエノスアイレス 9,574km / 5,652km 14/13
第32回 2010年1月1日-17日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス→ チリの旗アントファガスタアルゼンチンの旗ブエノスアイレス 8,937km / 4,717km (Bike Quad)
9,030km / 4,810km (Car Truck)
14/14
第33回 2011年1月1日-15日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス→ チリの旗アリカ
アルゼンチンの旗ブエノスアイレス
9,605km / 5,007km (Bike Quad)
9,618km / 5,020km (Car)
9,458km / 4,457km (Truck)
13/13
第34回 2012年1月1日-16日 アルゼンチンの旗マル・デル・プラタチリの旗コピアポペルーの旗リマ 8,391km / 4,372km (Bike Quad)
8,377km / 4,161km (Car)
8,336km / 4,120km (Truck)
14/13
第35回 2013年1月5日-20日 ペルーの旗リマ→ アルゼンチンの旗サン・ミゲル・デ・トゥクマンチリの旗サンティアゴ 8,423km / 4,146km (Bike Quad)
8,474km / 4,155km (Car)
8,121km / 3,541km (Truck)
14/14
第36回 2014年1月5日-1月18日 アルゼンチンの旗ロサリオアルゼンチンの旗サルタチリの旗バルパライソ 8,734km / 5,228km (Bike Quad)
9,374km / 5,522km (Car)
9,188km / 5,212km (Truck)
13/13
第37回 2015年1月4日-1月17日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス→ チリの旗イキケアルゼンチンの旗ブエノスアイレス 9,295km / 4,752km (Bike Quad)
9,111km / 4,578km (Car)
3,759km / 8,159km (Truck)
13/13
第38回 2016年1月2日-1月16日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス→ アルゼンチンの旗サルタ→ アルゼンチンの旗ロサリオ 8,973km / 4,690km (Bike Quad)
9,237km / 4,792km (Car)
9,039km / 4,320km (Truck)
13/13
第39回 2017年1月2日-1月14日 パラグアイの旗アスンシオンボリビアの旗ラパスアルゼンチンの旗ブエノスアイレス 8,818km / 4,089km (Bike Quad)
8,823km / 4,093km (Car UTV)
8,781km / 3,910km (Truck)
12/10
第40回 2018年1月6日-20日 ペルーの旗リマ→ ボリビアの旗ラパス→ アルゼンチンの旗コルドバ 8,276km / 4,234km (Bike Quad)
8,793km / 4,329km (Car UTV)
8,710km / 4,154km (Truck)
14

参加車両

2017年現在、以下の5つの部門に分かれている。

AUTO/CAR

3500kg未満のクロスカントリー車のための部門で、バイクに並ぶダカールの花形である。クラス分けが細かいのが特徴。

グループT1

改造範囲が極めて広い、事実上のプロトタイプカー。

年間1000台以上生産される車両のシャーシかモノコックボディ、または単一製造の鋼鉄製パイプフレームシャーシを使用する必要がある。エンジンはグループN、GT(2012年GT公認規定)、T2のいずれかの規定でホモロゲーション取得されているものが使用可能。また二輪駆動車は規則が非常に緩い(排気量次第で重量を200kg〜650kg軽くできる、タイヤを130mm太くできる、コックピットからタイヤの内圧調整ができるなど)ため、ときに四輪駆動車以上のパフォーマンスを発揮する。これに目をつけたプジョーは後輪駆動の3008 DKR Maxiを開発し、2016〜2018年において3連覇を果たした。

  • T1.1 - 4×4(四輪装着・四輪駆動)のガソリン
  • T1.2 - 4×4のディーゼル
  • T1.3 - 二輪駆動のガソリン車
  • T1.4 - 二輪駆動のディーゼル車
  • T1.5(1.S) - 先進的なクロスカントリー車
  • T1.E - 電気自動車

グループT2

四輪駆動、あるいはそれ以上の駆動輪を持つ量産車のためのクラス。年間1000台生産されている車両がホモロゲーション対象。T1とは逆に改造範囲が極めて狭く、安全装備や粉塵対策、アンダーガードなど最低限のボディ補強しか認められない。ガソリンエンジン車について過給器は禁止されている。長きに渡りトヨタ・ランドクルーザーが猛威を振るっている。

  • T2.1 - ガソリンの量産車
  • T2.2 - ディーゼルの量産車
  • T2.C - ホモロゲ―ション期限が切れたT2車両

グループT3

最低重量750kgの軽量な改造車両のためのクラス。ベースのシャーシ・モノコックについて最低生産台数を必要としないが、鋼鉄製パイプフレームシャーシである必要がある。

エンジンは1050cc以下の自然吸気(例外あり)で搭載位置は自由だが、前部車軸を含むエンジン〜トランスミッションのアセンブリー全体は市販車両からのものでなければならない。

  • T3.1 - 排気量1050cc以上の、グループNまたはT2で公認されたエンジンを搭載する軽量車両。
  • T3.2 - 排気量1050cc未満の自然吸気ガソリンエンジンを搭載する軽量車両。
  • T3.3 - 排気量1050cc以上のバイクのエンジンを搭載した軽量車両。
  • T3.3オープン - 排気量1000cc未満のガソリンターボを搭載する以外はT3の規則に合致する軽量車両。

グループOP(オープン)

バハ1000など北米オフロードレースを主催するSCOREインターナショナルの規則に合致した車両。

  • OP.1 - OP.2以外の全てのSCORE車両。
  • OP.2 - 重量2.8t以上、幅2.2メートル未満の四輪駆動のSCORE車両。

これら以外にも、ハイブリッドや廃油などを動力としたエコ車両(チャレンジNRJ)、初参加者(Trophée 1ère Participation)にも別に賞典が用意されている。

CAMION/TRUCK

1980年に創設された、3500kg以上の車両(=トラック)のための部門。グループT4と呼ばれる規定で、量産車のT4.1、改造車のT4.2、サポートトラックのためのT4.3の3つに分けられている。また駆動形式が6×6、4×4の車両および排気量10L未満の車両はそれぞれ別に賞典が用意される。

競技に参加しないサービストラックにもT5、T5.1という規定が存在しており、二輪駆動のサービストラックの使用は不可となっている。

MOTO/BIKE

二輪車両の部門。全車両最大排気量450cc、気筒数は1~2に制限されている。グループ1(エリートクラス)とグループ2(ノンエリートクラス)に分かれて競う。また車両は改造範囲の広いクラス1(スーパープロダクション)と、狭いクラス2(マラソン)に分けられており、エリートクラスはクラス1車両のみとなっている。またサービススタッフを雇わないライダー、女性ライダー、初参加者のための賞典が用意されている。

QUAD

2009年にMOTO/BIKE部門から独立した全地形対応車(四輪バギー)のための部門。グループ3と呼ばれる規定で、二輪駆動・単気筒・最大750ccのグループ3.1と、四輪駆動・2気筒・最大900ccのグループ3.2に分けられている。部門創設から2017年現在までの全ての開催でヤマハ発動機が部門制覇を収めている。

S×S/UTV/SSV

2017年にAUTO/CAR部門から独立した、SSV(サイド・バイ・サイド・ビークル)のための部門。車両はグループT3.3及びT3.3オープンに合致したものが使用される。

過去の規定

ごく初期においては2輪車と4輪車にカテゴリー分けされている程度であり、ナンバープレートが取得可能な車両であればどのような車両であっても大抵の場合は参加することが可能であった。そのため参加車両には、街中を走るごく普通の市販車を改造したものもあり、たとえば2輪部門ではスーパーカブベスパも参加したことがあり、また自動車メーカーのプロトタイプ・カー、軍用車両の流用などもあった。

2008年時点の大まかなクラス分けは下記のとおりで、更に燃料の種類や排気量で細分化されていた。

  • プロダクション(無改造の市販車:二輪・四輪共通)
  • スーパープロダクション(市販車ベースの改造車および競技専用車。バギーを含む:二輪・四輪共通)
  • カミオン(トラックベース)
  • エクスペリメンタル(サイドカーや三輪・四輪のATVなど)

1997年にワークスチームのプロトタイプカー(競技専用車)とガソリンターボエンジンを搭載しての参戦が禁止されたが、2001年からスーパープロダクションという形でプロトタイプカーが実質解禁となった。ガソリンNAエンジンの市販改造車のほか、ディーゼルエンジンを採用するチームが多く登場した。

歴代優勝者

  • 2018年度までの出典:DAK19-GuideHistorique-UK-PROD Interactif.pdf” (PDF). Amaury Sport Organisation (2019年). 2019年1月18日閲覧。
  • 第1回大会(1979年)は部門・クラス区分なし(オート・モト・カミオン全車の総合順位)。

オート(四輪)

参加台数 完走台数 優勝クルー 優勝マシン 備考
ドライバー ナビゲーター
第1回(1979) 80台   フランスの旗アラン・ジェネスティエール フランスの旗ジョセフ・テルブロー
フランスの旗ジャン・ルモルダン
イギリスの旗ランドローバー・レンジローバー 総合4位
第2回(1980) 116台 49台 スウェーデンの旗フレディ・コトゥリンスキー ドイツの旗ゲルト・ルッフェルマン ドイツの旗フォルクスワーゲン・イルティス (en
第3回(1981) 170台 60台 フランスの旗ルネ・メッジ フランスの旗ベルナール・ジロー イギリスの旗ランドローバー・レンジローバー
第4回(1982) 233台 94台 フランスの旗クロード・マロー フランスの旗ベルナール・マロー フランスの旗ルノー・20
第5回(1983)     ベルギーの旗ジャッキー・イクス フランスの旗クロード・ブラッスール ドイツの旗メルセデス・280GE
第6回(1984)     フランスの旗ルネ・メッジ フランスの旗ドミニク・ルモイヌ ドイツの旗ポルシェ・953 (en
第7回(1985) 362台 101台 フランスの旗パトリック・ザニローリ フランスの旗ジャン・ダ・シルバ 日本の旗三菱・パジェロ
第8回(1986) 282台   フランスの旗ルネ・メッジ フランスの旗ドミニク・ルモイヌ ドイツの旗ポルシェ・959
第9回(1987) 154台   フィンランドの旗アリ・バタネン フィンランドの旗ベルナール・ジロー フランスの旗プジョー・205T16GR
第10回(1988) 311台   フィンランドの旗ユハ・カンクネン フィンランドの旗ユハ・ピロネン フランスの旗プジョー・205T16GR
第11回(1989) 241台 100台 フィンランドの旗アリ・バタネン スウェーデンの旗ブルーノ・ベルグルンド フランスの旗プジョー・405T16GR
第12回(1990) 236台 64台 フィンランドの旗アリ・バタネン スウェーデンの旗ブルーノ・ベルグルンド フランスの旗プジョー・405T16GR
第13回(1991) 184台   フィンランドの旗アリ・バタネン スウェーデンの旗ブルーノ・ベルグルンド フランスの旗シトロエン・ZXラリー
第14回(1992) 133台 68台 フランスの旗ユベール・オリオール フランスの旗フィリップ・モネ 日本の旗三菱・パジェロ
第15回(1993) 65台   フランスの旗ブルーノ・サビー フランスの旗ドミニク・セリエス 日本の旗三菱・パジェロ
第16回(1994) 96台 57台 フランスの旗ピエール・ラルティーグ フランスの旗ミシェル・ペラン フランスの旗シトロエン・ZXラリー
第17回(1995) 86台 58台 フランスの旗ピエール・ラルティーグ フランスの旗ミシェル・ペラン フランスの旗シトロエン・ZXラリー
第18回(1996) 99台 61台 フランスの旗ピエール・ラルティーグ フランスの旗ミシェル・ペラン フランスの旗シトロエン・ZXラリー
第19回(1997) 282台 71台 日本の旗篠塚建次郎 フランスの旗アンリ・マーニュ 日本の旗三菱・パジェロ
第20回(1998) 115台 55台 フランスの旗ジャン=ピエール・フォントネ フランスの旗ジル・ピカール 日本の旗三菱・パジェロ
第21回(1999) 88台 54台 フランスの旗ジャン=ルイ・シュレッサー フランスの旗フィリップ・モネ フランスの旗シュレッサールノー
第22回(2000) 135台 95台 フランスの旗ジャン=ルイ・シュレッサー フランスの旗アンリ・マーニュ フランスの旗シュレッサー・ルノー
第23回(2001) 133台 53台 ドイツの旗ユタ・クラインシュミット ドイツの旗アンドレアス・シュルツ 日本の旗三菱・パジェロ
第24回(2002) 117台 52台 日本の旗増岡浩 フランスの旗パスカル・メモン 日本の旗三菱・パジェロ
第25回(2003) 130台 61台 日本の旗増岡浩 ドイツの旗アンドレアス・シュルツ 日本の旗三菱・パジェロエボリューション
第26回(2004) 142台 60台 フランスの旗ステファン・ペテランセル フランスの旗ジャン=ポール・コトゥレ 日本の旗三菱・パジェロエボリューション
第27回(2005) 165台 75台 フランスの旗ステファン・ペテランセル フランスの旗ジャン=ポール・コトゥレ 日本の旗三菱・パジェロエボリューション
第28回(2006) 174台 67台 フランスの旗リュック・アルファン フランスの旗ジル・ピカール 日本の旗三菱・パジェロエボリューション
第29回(2007) 181台 109台 フランスの旗ステファン・ペテランセル フランスの旗ジャン=ポール・コトゥレ 日本の旗三菱・パジェロエボリューション
第30回(2008) 中止
第31回(2009) 178台 91台 南アフリカ共和国の旗ジニール・ドゥビリエ ドイツの旗ディルク・フォン・ツィツェヴィッツ ドイツの旗フォルクスワーゲン・レーストゥアレグ2
第32回(2010) 134台 57台 スペインの旗カルロス・サインツ スペインの旗ルーカス・クルス ドイツの旗フォルクスワーゲン・レーストゥアレグ2
第33回(2011) 140台 55台 カタールの旗ナサール・アルアティヤ ドイツの旗ティモ・ゴットシャルク ドイツの旗フォルクスワーゲン・レーストゥアレグ3
第34回(2012) 161台 78台 フランスの旗ステファン・ペテランセル フランスの旗ジャン=ポール・コトゥレ イギリスの旗ミニ・オール4レーシング
第35回(2013) 153台 90台 フランスの旗ステファン・ペテランセル フランスの旗ジャン=ポール・コトゥレ イギリスの旗ミニ・オール4レーシング
第36回(2014) 147台 61台 スペインの旗ナニ・ロマ フランスの旗ミシェル・ペラン イギリスの旗ミニ・オール4レーシング
第37回(2015) 137台 68台 カタールの旗ナサール・アルアティヤ フランスの旗マシュー・バウメル イギリスの旗ミニ・オール4レーシング
第38回(2016) 111台 67台 フランスの旗ステファン・ペテランセル フランスの旗ジャン=ポール・コトゥレ フランスの旗プジョー・2008DKR
第39回(2017) 79台 57台 フランスの旗ステファン・ペテランセル フランスの旗ジャン=ポール・コトゥレ フランスの旗プジョー・3008DKR
第40回(2018) 92台 43台 スペインの旗カルロス・サインツ スペインの旗ルーカス・クルス フランスの旗プジョー・3008DKR
第41回(2019) カタールの旗ナサール・アルアティア フランスの旗マシュー・バウメル 日本の旗トヨタ・ハイラックス

モト(二輪)

回(年) 参加台数 完走台数 優勝ライダー 優勝マシン 備考
第1回(1979) 90台   フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ヤマハ・XT500 総合1位
第2回(1980) 90台 25台 フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ヤマハ・XT500
第3回(1981) 106台 28台 フランスの旗ユベール・オリオール ドイツの旗BMW・R80G/S (en
第4回(1982) 129台 33台 フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ホンダ・XR550
第5回(1983) 132台 29台 フランスの旗ユベール・オリオール ドイツの旗BMW・R100G/S (en
第6回(1984) 114台 50台 ベルギーの旗ガストン・ライエ ドイツの旗BMW・R100G/S
第7回(1985) 135台 25台 ベルギーの旗ガストン・ライエ ドイツの旗BMW・R100G/S
第8回(1986) 131台 29台 フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ホンダ・NXR750
第9回(1987) 154台 26台 フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ホンダ・NXR750
第10回(1988) 183台 34台 イタリアの旗エディー・オリオリ 日本の旗ホンダ・NXR750
第11回(1989) 155台 60台 フランスの旗ジル・ラレイ 日本の旗ホンダ・NXR750
第12回(1990) 136台 46台 イタリアの旗エディー・オリオリ イタリアの旗カジバ・エレファント900
第13回(1991) 113台 46台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ・YZE750T
第14回(1992) 98台 45台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ・YZE750T
第15回(1993) 46台 12台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ・YZE850T
第16回(1994) 96台 47台 イタリアの旗エディー・オリオリ イタリアの旗カジバ・エレファント900
第17回(1995) 95台 27台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ・XTZ850R
第18回(1996) 119台 50台 イタリアの旗エディー・オリオリ 日本の旗ヤマハ・XTZ850R
第19回(1997) 126台 58台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ・XTZ850TRX
第20回(1998) 173台 41台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ・XTZ850TRX
第21回(1999) 161台 40台 フランスの旗リシャール・サンク ドイツの旗BMW・F650RR (en
第22回(2000) 200台 107台 フランスの旗リシャール・サンク ドイツの旗BMW・F650RR
第23回(2001) 133台 76台 イタリアの旗ファブリツィオ・メオーニ オーストリアの旗KTM・LC4 660R
第24回(2002) 167台 58台 イタリアの旗ファブリツィオ・メオーニ オーストリアの旗KTM・LC8 950R
第25回(2003) 162台 98台 フランスの旗リシャール・サンク オーストリアの旗KTM・LC4 660R
第26回(2004) 195台 65台 スペインの旗ナニ・ロマ オーストリアの旗KTM・LC4 660R
第27回(2005) 230台 104台 フランスの旗シリル・デプレ オーストリアの旗KTM・LC4 660R
第28回(2006) 232台 93台 スペインの旗マルク・コマ オーストリアの旗KTM・LC4 660R
第29回(2007) 231台 126台 フランスの旗シリル・デプレ オーストリアの旗KTM・690ラリー
第30回(2008) 中止
第31回(2009) 217台 113台 スペインの旗マルク・コマ オーストリアの旗KTM・690ラリー
第32回(2010) 151台 88台 フランスの旗シリル・デプレ オーストリアの旗KTM・690ラリー
第33回(2011) 170台 94台 スペインの旗マルク・コマ オーストリアの旗KTM・450ラリー
第34回(2012) 178台 97台 フランスの旗シリル・デプレ オーストリアの旗KTM・450ラリー
第35回(2013) 183台 125台 フランスの旗シリル・デプレ オーストリアの旗KTM・450ラリー
第36回(2014) 174台 78台 スペインの旗マルク・コマ オーストリアの旗KTM・450ラリー
第37回(2015) 161台 79台 スペインの旗マルク・コマ オーストリアの旗KTM・450ラリー
第38回(2016) 136台 84台 オーストラリアの旗トビー・プライス オーストリアの旗KTM・450ラリー
第39回(2017) 143台 96台 イングランドの旗サム・サンダーランド オーストリアの旗KTM・450ラリー
第40回(2018) 139台 85台 オーストリアの旗マティアス・ウォークナー オーストリアの旗KTM・450ラリー
第41回(2019) オーストラリアの旗トビー・プライス オーストリアの旗KTM・450ラリー

カミオン(トラック)

参加台数 完走台数 優勝クルー 優勝マシン 備考
ドライバー ナビゲーター/メカニック
第1回(1979) 12台   フランスの旗ジャン=フランソワ・デュナック フランスの旗ジャン=ピエール・シャペル
フランスの旗フランソワ・ボー
オーストリアの旗ピンツガウアー (en 総合44位
第2回(1980) 10台 7台 アルジェリアの旗 Miloud Ataquat アルジェリアの旗Hadj Daou Boukrif
アルジェリアの旗Mahiedine Kaoula
アルジェリアの旗ソナコム (en
第3回(1981) 15台 3台 フランスの旗アドリアン・ヴィレット フランスの旗アンリ・ガブリエール
フランスの旗アラン・ヴォルロー
フランスの旗アルム・アクマ (en 四輪トラック18位
第4回(1982) 23台   フランスの旗ジョルジュ・グロワン フランスの旗ティエリー・ド・スール
フランスの旗ベルナール・マルフェロワール
ドイツの旗メルセデスU 1700L 四輪トラック38位
第5回(1983)     フランスの旗ジョルジュ・グロワン フランスの旗ティエリー・ド・スール
フランスの旗ベルナール・マルフェロワール
ドイツの旗メルセデス・1936AK 四輪トラック19位
第6回(1984)     フランスの旗ピエール・ラルー フランスの旗ダニエル・デュルス
フランスの旗パトリック・ヴェンチュリーニ
ドイツの旗メルセデス
第7回(1985) 55台 20台 ドイツの旗カール=フリードリッヒ・カピト ドイツの旗ヨースト・カピト (en
ドイツの旗クラウス・シュヴァイカール
ドイツの旗メルセデス
第8回(1986)     イタリアの旗ジャコモ・ヴィスマーラ イタリアの旗ジュリオ・ミネーリ ドイツの旗メルセデス 四輪トラック25位
第9回(1987) 73台   オランダの旗ヤン・デ・ルーイ ベルギーの旗イヴォ・ジューネンス
オランダの旗テオ・ファン・デ・リアト
オランダの旗DAFターボツイン 四輪トラック11位
第10回(1988) 109台   チェコの旗カレル・ロプライス チェコの旗ラドミール・スタッチュラ
チェコの旗マック
チェコの旗タトラ・815 四輪トラック19位
第11回(1989) 実施されず
第12回(1990) 93台 23台 イタリアの旗ジョルジオ・ヴィラ イタリアの旗ジョルジオ・デルフィーノ
イタリアの旗クラウディオ・ヴィナンテ
イタリアの旗ペルリーニ (en 四輪トラック16位
第13回(1991) 113台 46台 フランスの旗ジャック・ウサ フランスの旗ティエリー・ド・スール
イタリアの旗ダニーロ・ボッタロ
イタリアの旗ペルリーニ 四輪トラック19位
第14回(1992) 101台 56台 イタリアの旗フランチェスコ・ペルリーニ イタリアの旗ジョルジオ・アルビエーロ
イタリアの旗クラウディオ・ヴィナンテ
イタリアの旗ペルリーニ 四輪トラック16位
第15回(1993) 42台   イタリアの旗フランチェスコ・ペルリーニ イタリアの旗ジョルジオ・アルビエーロ
イタリアの旗クラウディオ・ヴィナンテ
イタリアの旗ペルリーニ 四輪トラック10位
第16回(1994) 96台 47台 チェコの旗カレル・ロプライス チェコの旗ラドミール・スタッチュラ
チェコの旗ヨセフ・カリナ
チェコの旗タトラ・815
第17回(1995) 24台 18台 チェコの旗カレル・ロプライス チェコの旗ラドミール・スタッチュラ
チェコの旗ヨセフ・カリナ
チェコの旗タトラ・815
第18回(1996) 70台 21台 ロシアの旗ヴィクトル・モスコフスキー ロシアの旗アナトリ・コウジミン
ロシアの旗ナイル・バガヴェトディノフ
ロシアの旗カマズ 四輪トラック15位
第19回(1997) 55台 22台 オーストリアの旗J-P.ライフ オーストリアの旗ヨハン・ダインホッファー 日本の旗日野・レンジャー 四輪トラック23位
第20回(1998) 35台 8台 チェコの旗カレル・ロプライス チェコの旗ラドミール・スタッチュラ
チェコの旗ヤン・セルマック
チェコの旗タトラ・815
第21回(1999) 29台 16台 チェコの旗カレル・ロプライス チェコの旗ラドミール・スタッチュラ
チェコの旗ヨセフ・カリナ
チェコの旗タトラ・815
第22回(2000) 30台 23台 ロシアの旗ウラジミール・チャギン ロシアの旗セメン・ヤクボフ
ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗カマズ
第23回(2001) 30台 12台 チェコの旗カレル・ロプライス チェコの旗ヨセフ・カリナ
チェコの旗ペトル・ハメルラ
チェコの旗タトラ・815
第24回(2002) 34台 22台 ロシアの旗ウラジミール・チャギン ロシアの旗セメン・ヤクボフ
ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗カマズ
第25回(2003) 51台 27台 ロシアの旗ウラジミール・チャギン ロシアの旗セメン・ヤクボフ
ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗カマズ
第26回(2004) 63台 38台 ロシアの旗ウラジミール・チャギン ロシアの旗セメン・ヤクボフ
ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗カマズ
第27回(2005) 69台 36台 ロシアの旗フィルダウス・カビロフ ロシアの旗アイダール・ベルヤエフ
ロシアの旗アンドレイ・モケエフ
ロシアの旗カマズ
第28回(2006) 69台 33台 ロシアの旗ウラジミール・チャギン ロシアの旗セメン・ヤクボフ
ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗カマズ
第29回(2007) 85台 59 台 オランダの旗ハンス・ステイシー ベルギーの旗チャーリー・ゴッドリーブ
オランダの旗ベルナルド・デル・キンデレン
ドイツの旗MAN・TGA
第30回(2008) 中止
第31回(2009) 81台 54台 ロシアの旗フィルダウス・カビロフ ロシアの旗アイダール・ベルヤエフ
ロシアの旗アンドレイ・モケエフ
ロシアの旗カマズ・4326
第32回(2010) 52台 28台 ロシアの旗ウラジミール・チャギン ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗エドゥアルド・ニコラエフ
ロシアの旗カマズ・4326
第33回(2011) 67台 41台 ロシアの旗ウラジミール・チャギン ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗イルダル・シャイスルタノフ
ロシアの旗カマズ・4326
第34回(2012) 74台 60台 オランダの旗ジェラルド・デ・ルーイ ベルギーの旗トム・コルスール
ポーランドの旗ダレク・ロデワルド
イタリアの旗イヴェコ・パワースター
第35回(2013) 75台 60台 ロシアの旗エドゥアルド・ニコラエフ ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗ウラジミール・リュバコフ
ロシアの旗カマズ・4326
第36回(2014) 70台 50台 ロシアの旗アンドレイ・カルギノフ ロシアの旗アンドレイ・モケエフ
ロシアの旗イゴール・デビャトキン
ロシアの旗カマズ・4326
第37回(2015) 63台 51台 ロシアの旗アイラット・マルデーフ ロシアの旗アイダール・ベルヤエフ
ロシアの旗ドミトリー・スビストゥノフ
ロシアの旗カマズ・4326
第38回(2016) 55台 44台 オランダの旗ジェラルド・デ・ルーイ スペインの旗Moi Torrllardona
ポーランドの旗ダレク・ロデワルド
イタリアの旗イヴェコ・パワースター
第39回(2017) 50台 38台 ロシアの旗エドゥアルド・ニコラエフ ロシアの旗エフゲニー・ヤコブレフ
ロシアの旗ウラジミール・リュバコフ
ロシアの旗カマズ・4326
第40回(2018) 44台 25台 ロシアの旗エドゥアルド・ニコラエフ ロシアの旗エフゲニー・ヤコブレフ
ロシアの旗ウラジミール・リュバコフ
ロシアの旗カマズ・4326
第41回(2019) ロシアの旗エドゥアルド・ニコラエフ ロシアの旗エフゲニー・ヤコブレフ
ロシアの旗ウラジミール・リュバコフ
ロシアの旗カマズ

クアッド(四輪バギー)

回(年) 参加台数 完走台数 優勝ライダー 優勝マシン
第31回(2009) 25台 13台 チェコの旗ヨセフ・マチャセック 日本の旗ヤマハ・ラプター (en
第32回(2010) 25台 14台 アルゼンチンの旗マルコス・パトロネッリ 日本の旗ヤマハ・ラプター700
第33回(2011) 30台 14台 アルゼンチンの旗アレハンドロ・パトロネッリ 日本の旗ヤマハ・ラプター700
第34回(2012) 30台 12台 アルゼンチンの旗アレハンドロ・パトロネッリ 日本の旗ヤマハ・ラプター700
第35回(2013) 38台 26台 アルゼンチンの旗マルコス・パトロネッリ 日本の旗ヤマハ・ラプター700
第36回(2014) 40台 15台 チリの旗イグナシオ・カザール 日本の旗ヤマハ・ラプター700
第37回(2015) 45台 18台 ポーランドの旗ラファウ・ソニク 日本の旗ヤマハ・ラプター700
第38回(2016) 45台 23台 アルゼンチンの旗マルコス・パトロネッリ 日本の旗ヤマハ・ラプター700R
第39回(2017) 37台 22台 ロシアの旗セルゲイ・カリャーキン 日本の旗ヤマハ・ラプター700
第40回(2018) 49台 32台 チリの旗イグナシオ・カザール 日本の旗ヤマハ・ラプター700
第41回(2019) アルゼンチンの旗ニコラス・カヴィグリアッソ 日本の旗ヤマハ・ラプター700R

UTV / SxS(多用途四輪車)

参加台数 完走台数 優勝クルー 優勝マシン 備考
ドライバー ナビゲーター
第39回(2017) 10台 5台 ブラジルの旗レアンドロ・トーレス ブラジルの旗ロウリバル・ロルダン アメリカ合衆国の旗ポラリス・RZR1000XP
第40回(2018) 11台 6台 ブラジルの旗レイナウド・ヴァレラ ブラジルの旗グスタボ・グージェルミン カナダの旗カンナム
第41回(2019) チリの旗フランシスコ・ロペス・コンタルド チリの旗アルバロ・キンタニラ カナダの旗カンナム

優勝回数ランキング

記録は2019年大会終了時点。

個人別

Auto (Car)
Moto (Bike)
Camion (Truck)

※ナビゲーター/メカニックとしての優勝回数も含む

Quad

メーカー別

Auto (Car)
Moto (Bike)
  • 1. オーストリアの旗 KTM 18 (2001-2007.2009-2019)
  • 2. 日本の旗 ヤマハ 9 (1979.1980.1991-1993.1995-1998)
  • 3. ドイツの旗 BMW 6 (1981.1983-1985.1999.2000)
  • 4. 日本の旗 ホンダ 5 (1982.1986-1989)
  • 5. イタリアの旗 カジバ 2 (1990.1994)
Camion (Truck)
Quad

日本との関係

ホンダ・NXR750(1989年優勝車)
ヤマハ・XTZ850R(1995年優勝車)

日本からは個人での参加、企業での参加、それぞれ様々なものがある。企業は二輪・バギーはヤマハとホンダ、四輪は三菱、トヨタ、日野、日産、いすゞの各社が健闘してきた歴史がある。

モト部門ではかつてはヤマハホンダスズキがワークス・チームを編成して参戦していた。ヤマハはフランスの輸入代理店ソノート社 (Sonauto) でジャン=クロード・オリビエが計画の中心となり、ホンダはフランス支社(フランス・ホンダ)が運営を担当した。

第1回(1979年)と第2回(1980年)はヤマハ・XT500、第4回(1982年)はホンダ・XL550R改に乗るライダーが優勝した[6]。その後、ホンダは打倒BMWを目指してホンダ・レーシング (HRC) 製VツインマシンNXR750を投入し、1986年から1989年まで4連覇を達成[7]。ヤマハは「テレネ」→「スーパーテレネ」シリーズの継続開発が実り、1990年代に7勝を記録[8]。オリビエに見いだされたステファン・ペテランセルがモト部門個人最多の6勝を挙げた。その後、各メーカーともワークス参戦を見送る時期が続いたが、2013年からホンダがCRF450で、2015年からヤマハがWR450Fでワークス参戦を復活させている。また、2009年に創設されたクアッド部門では、ヤマハ・ラプターが連勝を続けている。

三菱・パジェロエボリューション、2003年増岡優勝車
トヨタ・ランドクルーザー、市販車無改造クラスで2005年から2011年にかけて6連覇。
日野・レンジャー、1997年にカミオン部門総合1-2-3フィニッシュ。

オート部門の改造車クラスでは三菱・パジェロの活躍が目覚ましく、1985年に三菱のワークス・チームが1・2位を独占した。その後も2001年から2007年までの7年連続をふくめて、参戦メーカー中最多となる12回の総合優勝を勝ち取り、「パジェロ=パリダカ」というブランドイメージを印象付けた。2009年にはディーゼル車のレーシングランサーをデビューさせたが、リーマンショック後の景気悪化に伴い、大会終了後にラリー活動からの撤退を表明した[9]。日産は2003年にワークスの日産・ピックアップを投入し[10]篠塚建次郎アリ・バタネンコリン・マクレーらビッグネームを迎え入れたが、4年以内に優勝するという計画を前倒しして2005年限りでワークス撤退を決めた[11]。2012年には南アフリカトヨタ (TSAM) がオート部門のT1に「GAZOO Racing South Africa」名義でハイラックスで参戦を開始し、2019年にトヨタのダカール初優勝を達成した[12]

オート部門の市販車無改造クラスで最も成功しているのはトヨタ車体のTLC(チームランドクルーザー)率いるランドクルーザーで、市販車無改造クラスで1996年の優勝を皮切りに1998〜2003年過去の戦績”. 2019年8月21日閲覧。、2005年〜2011年[13]にかけて6連覇を2度、2014から2019年まで6連覇を達成している。ちなみに2012年と2013年にTLCの優勝を阻止したのは、スペイントヨタの運用するランドクルーザープラドであった[14][15]

この他にもオート部門には、様々な日本のSUVが国内外のプライベーターの車両として選ばれ参加した。例えば三菱・パジェロ、日産・サファリといった世界的なSUVの他にも、トヨタ・ハイラックスサーフ三菱・チャレンジャー日産・テラノいすゞ・ビッグホーンいすゞ・ミュースズキ・エスクードスズキ・ジムニーなどがダカール・ラリーを走り、他にも初期の大会には、構造上砂漠で不利なトヨタ・スターレットトヨタ・カリーナといった二輪駆動の乗用車で市販車無改造クラスにエントリーした強者もおり、1982年には二輪駆動のカリーナ1500で久保田勝/内田正洋組が市販車無改造クラス優勝を果たしている。また、かつてはプロトタイプ(実際に市販されていない競技専用車両)も参加可能であったため、テラノのシャシーに日産・パルサーGTi-R風のボディーを被せたものや、パジェロを国産初の四輪駆動車・PX33風に改造した車両もあった。

カミオン部門では日野自動車菅原義正親子のチームスガワラとジョイントしてレンジャーで2019年現在まで参戦しており、27回連続完走と10L未満部門クラス10連覇、1997年には部門総合1-2-3フィニッシュを達成。またサポートカミオンとしてスーパードルフィン・プロフィア(2013年まで)→700シリーズZS(プロフィアの海外仕様、2014年から)も参戦している。過去には三菱ふそうが1997年にはザ・グレートで、1998年には純粋な競技車輌ではなくサポートカミオンとしてではあるが、スーパーグレートで参戦したことがある。

なお、日本の自動車メーカー各社では販売網やその末端の士気向上を目的に、全国各地の系列ディーラーメカニックが参加するグループ内部の技術コンテストなどの成績優秀者などを選抜して、実際にラリーに参戦するチームのメカニックに起用することも多く行われている。

出場した日本人

ダカール・ラリー日本事務所の公式サイトには、2014年までの日本人参加者名および結果のリストが掲載されている[16]

第3回(1981年)、プライベーターのチームACP[17] (Adventurous Creative Persons) が日本人として初めてパリダカに挑戦し、無謀と思われた市販車無改造2WDクラスのトヨタ・スターレットで時間外ながら完走を果たした[18]。それから数年で出場者が増えてゆき、その後はほぼ毎年10人以上の日本人が出場している。1980年代末〜1990年代初頭にかけてはパリダカの知名度上昇とバブル景気が重なり、50人以上のプライベーターが参加したこともあった。当時は世間で名の知れたタレントや文化人の出場もマスコミの話題となった。ワークスドライバーでは三菱の篠塚建次郎(1997年)と増岡浩(2002・2003年)が四輪総合優勝を果たしている。

四輪(カミオン含む)
  • 横田紀一郎 - チームACP代表。TV番組の取材などでアフリカの道に親しみ、日本勢のパリダカ参戦のきっかけを作る。1981年に久保田車のナビゲーターとして初参戦し、1989年まで9年連続出場。1990年・1992年はドライバーとして出場。
  • 久保田勝 - 1981年にACPのドライバーとして初参戦し、翌1982年には市販車無改造・二輪駆動・バギー・マラソンの4クラス(現在は廃止)において日本人として初優勝する。1992年まで11年連続で参戦。
  • 根本純 - 自動車ジャーナリスト。1981年にACPのドライバーとして初参戦。1982年・1985年・1988年 - 1997年に参戦。
  • 菅原義正 - チーム「子連れ狼」を組織し、1983年から2019年まで参戦。日本人で唯一、モト・オート・カミオンの全部門に参戦。本田技研工業三菱自動車日野自動車。2008年1月、ギネス・ワールド・レコーズダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者として認定された。2019年には記録を36回にまで伸ばした後、引退を発表。
  • 夏木陽介 - 俳優。1985年と1986年にドライバーとして、1987年〜1993年に「チームシチズン夏木」の監督として参戦。
  • 篠塚建次郎 - 三菱自動車日産自動車→フリー(トーヨータイヤ開発ドライバー)。1986年から参戦、1997年に総合優勝。
  • 増岡浩 - 三菱自動車。1987年からダカール・ラリーに参戦。2002年・2003年に総合優勝。
  • 石原孝仁 - テレビディレクター。1987年にテレビ番組のスポンサードを受けた「なるほど!ザ・ワールド号」でドライバーとして出場。市販車改造ディーゼルクラスで優勝した。
  • 片山敬済 - 元ロードレース世界選手権チャンピオン。1990年に三菱パジェロ改のPX33で完走。1991年に日産パルサーベースのオリジナルマシンで出場するもリタイヤ。
  • 佐々木隆[要曖昧さ回避] - 元モトクロス国際A級ライダー。1989年は二輪で出場するもリタイア、1990年は完走、クラス3位。
  • 立松和平 - 作家。ナビゲーターとして2回出場し、1990年はリタイア、1991年に完走。
  • 岡本佳織 - 女優、タレント。トヨタ・フランスよりドライバーとして1991年参戦。1992年完走などの結果を残す。
  • 新井敏弘 - WRCドライバー。いすゞ自動車、1997年参戦、総合32位完走。
  • 池町佳生 - 二輪部門→四輪部門、日産自動車→トヨタ車体→フリーランス
  • 三橋淳 - 2001,2002,2003年 二輪部門→2004年 四輪部門、日産自動車→トヨタ車体[19] 。市販車部門で4連覇を挙げている。
  • 片山右京 - 元F1ドライバー。フリーランスとして2007、2008、2009年参戦。
  • 菅原照仁 - 父・菅原義正のチームである日野チームスガワラでナビやチームメカニック、サポートカミオンで経験を積み、2005年からドライバーとして参戦。2010〜2019年のカミオン部門10L未満クラスで10連覇を達成した。
  • 三浦昂 - トヨタ車体の社員。TLC(チームランドクルーザー)に2007年から2016年まで三橋淳とニコラ・ジボンのナビとして参戦し、2度の市販車部門優勝を果たす。2017年からはドライバーに転向し、2018年にクラス優勝を達成した。ナビ・ドライバーの双方で部門優勝を達成したのはTLC史上三浦が初めてである。
二輪
  • 山田秀靖 - モータースポーツジャーナリスト及びカメラマン。パリ・ダカール・ラリーでは初期の頃から取材活動を続けている。日本に紹介されるこのラリーの画像のほとんどは彼の撮影によるものである。パリ・ダカール・ラリーでは完走経験有り。
  • 風間深志 - 冒険家。1982年に参戦し(日本人として賀曽利隆と共に初)、完走(クラス6位で総合18位)。2004年にも再挑戦するが、リタイア。
  • 賀曽利隆 - 冒険家。ジャーナリスト。1982年に風間深志とともに参戦し(日本人として風間深志と共に初)、事故でリタイア。
  • 柴田哲孝 - 作家評論家。1986年・1988年に「チーム・シンバ」として参戦。
  • 打田稔 - ジャーナリスト。1986年に取材。
  • 山村レイコ - 1988年から合計5回参戦。1997年は二輪総合57位(女性クラス優勝)、夫の山村雅康と共に完走したことで敢闘賞も受賞。1998年は夫婦で四輪部門にいすゞ・ビッグホーンで参戦し完走。
  • 渡辺明 - 元モトクロス世界選手権チャンピオン。1991年にスズキ準ワークスのガストン・ライエ・レーシングより参戦し、完走。
  • 松井勉 - ジャーナリスト。1992年参加。
  • 渡邊毅 - エンジニア。1992年参加。1997年には日本人プライベーター2輪チームのマネージャー兼メカニックとして参加した。
  • 博田巌 - 高知県出身。ラリーレイド・モンゴルなどでの優勝経験あり。ダカール・ラリーでは、1998年20位、1999年15位。
  • 柏秀樹 - ライディングスクール校長。ジャーナリスト。計4回参戦:1996年、1997年(35位完走)、1998年、2006年(62位完走)
  • 木下博信 - 埼玉県草加市の元市長。同市議会議員時代の2001年に参戦し、完走した。
  • 田村聡 -2002年大会出場・聴覚障害の持病がある中ダカールラリーに参戦。
  • 堀田修 - 2002年・2004年・2006年に参戦し100%完走した。総合での上位入賞はないが、クラス別や部門別では常に上位成績を収める実力派。普通の会社員(SE)でありながら有給休暇を利用して参戦した。エコエネルギー(新エネルギー)推進やフォトジャーナリストとしても活躍している。
  • 桐島ローランド - 写真家。2007年に参戦し完走した。
  • 風間晋之介 - 風間深志の三男。2017年より「チーム風間」として参戦。

過去には大会期間中の死亡事故も起きている。1986年、二輪部門にプライベート出場した金子靖雄はフランスのセッテでリエゾン区間を走行中、酒酔い運転の対向車と衝突して亡くなった[20]

メディア

日本国内におけるテレビ放送は、かつてはテレビ朝日NHK衛星第1テレビがダイジェストを大会中毎日放送し、一部のニュース番組のスポーツコーナー内でも取り上げられた。1987年には、フジテレビの番組「なるほど!ザ・ワールド」がチームACPのトヨタ・ランドクルーザー2台をスポンサードし、参戦の模様を3回にわたって放送した(このとき、出場した2台中の1台が市販車改造ディーゼルクラスでクラス優勝した)。現在、総集編がテレビ東京系列で放送されるほか、J SPORTSが大会期間中にダイジェストを、終了後に総集編を放送している。しかし、放送頻度や認知度は同じモータースポーツであるF1などと比較して低いのが現状である。

テレビ朝日のダイジェスト番組では毎年タイアップのイメージソングが使用された。

1986年5月には松竹富士配給のドキュメンタリー映画『PARIS-DAKAR 15,000 栄光への挑戦[21]』がロードショー公開された。原田真人阪本善尚ら撮影班は同年の大会中チームACPの取材車でダカールまで帯同した。

1987年にはシンガーソングライター松任谷由実が応援団長を務める「ユーミン・マリクレール号」が四輪部門に出場し、松任谷もアフリカを訪れた。松任谷のアルバム『ALARM à la mode』(1986年)にはパリダカをモチーフにした曲「ホライズンを追いかけて」が収録された。

販売促進への利用

  • サーキット系レース以上に地域や企業のイベントで競技車両を展示したり、自動車メーカーの販売促進の一環として全国のメーカー系販売会社やショールームを選手が回って報告会を行うなどの取り組みが見られる。三菱自動車系で行った「報告会」は、篠塚建次郎が参戦して以来ほぼ毎年続けられ、2009年までは増岡浩の報告会が毎年2月〜3月に開催されるのが恒例となっていた。2人が別行動の場合は参戦車種の関係で篠塚がパジェロを扱うギャラン店系販売会社、増岡がRVRチャレンジャーを扱っていたカープラザ系販売会社を担当した。系列の区切りのない販売会社(山口三菱自動車・徳山支店など)では、篠塚・増岡が揃って登場した。
  • 1985年から1986年にかけて、日清カップヌードルのテレビCM「ハングリアン民族」編ではパリ-ダカール・ラリーに挑む選手やマシンの映像が使用された。CMソングとして起用されたHOUND DOGの「ff (フォルティシモ)」や中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」は当時のヒットチャートを賑わす人気曲となった。

本レースを題材にしたゲーム

日本では、国内の企業がラリーに参加している為に認知度が高く、本レースを題材にしたゲームがいくつか製作・販売されている。

出典・注

  1. ^ 注:フランス語では、名詞を形容(修飾)する語句が名詞の後ろに置かれるのが基本であり、英語とは順番が異なる。
  2. ^ ダカール・ラリー2008、全面中止」。2008年1月5日、スラッシュドット ジャパン。2008年1月5日閲覧。
  3. ^ “パリ・ダカ、サハラ砂漠を走らない? 主催者幹部が発言”. 朝日新聞. (2008年1月5日). http://www.asahi.com/car/motorsports/TKY200801050174.html 2008年1月6日閲覧。 
  4. ^ “パリダカの代わりに、中欧舞台の新ラリー4月開催”. 産経新聞. (2008年2月4日). http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080204/oth0802042320017-n1.htm 
  5. ^ “パリ・ダカ、来年は南米での開催が決定”. 日刊スポーツ. (2008年2月12日). http://www.nikkansports.com/sports/motor/f-sp-tp2-20080212-320183.html 2011年2月16日閲覧。 
  6. ^ 斬新なデザインと数々の装備を備えたランドスポーツ車「ホンダ XL250Rパリ・ダカール」を発売 - 本田技研工業。
  7. ^ 1981-1989 Honda パリ・ダカールラリー参戦記 - 本田技研工業。
  8. ^ オフロードマニア 第4節 もうひとつの記号“テネレ” - ヤマハ発動機。
  9. ^ “ラリー界に激震!三菱がパリダカから撤退”. 日刊スポーツ. (2009年2月5日). https://www.nikkansports.com/sports/motor/news/p-sp-tp2-20090205-457453.html 2017年12月21日閲覧。 
  10. ^ 日産自動車 ワークス体制で2003年ダカールラリーに参戦”. NISMO (2002年10月4日). 2017年12月21日閲覧。
  11. ^ “日産、ダカール・ラリーのワークス活動を1年前倒しで休止”. webCG (二玄社). (2005年3月4日). http://www.webcg.net/articles/-/13848 2017年12月21日閲覧。 
  12. ^ “ダカールラリー:2019年大会でトヨタが初の総合優勝。ハイラックス駆るアル-アティヤが通算3勝目”. オートスポーツWeb. (2019年1月18日). http://www.as-web.jp/rally/445334?all 2019年1月18日閲覧。 
  13. ^ ラリーレポート”. 2019年8月21日閲覧。
  14. ^ REPORT-STAGE14”. 2019年1月19日閲覧。
  15. ^ ラリーレポート”. 2019年1月19日閲覧。
  16. ^ 日本人の歴代出場者 - パリダカ日本事務局。
  17. ^ 二十一世紀に夢を:::冒険的趣向集団 Team ACP:::
  18. ^ ダカールラリー 取材同行の旅No.3- GAZOO.com(2016年)。
  19. ^ 三橋淳の公式サイト [1]
  20. ^ 原田真人『砂漠のレーサーたち パリ・ダカール最前線』、早川書房、1986年、75頁。
  21. ^ PARIS-DAKAR 15,000 栄光への挑戦- Movie Walker。

関連項目

外部リンク