「信濃大町駅」の版間の差分
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|よみがな = しなのおおまち |
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|ローマ字 = Shinano-Ōmachi |
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2020年2月15日 (土) 06:35時点における版
信濃大町駅 | |
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駅全景 | |
しなのおおまち Shinano-Ōmachi | |
◄24 南大町 (1.1 km) (2.1 km) 北大町 22► | |
所在地 | 長野県大町市大字大町3200番地[2] |
駅番号 | □23 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■大糸線[1] |
キロ程 | 35.1[2] km(松本[2]起点) |
電報略号 | オマ[3]←ヲマ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線[3] |
乗車人員 -統計年度- |
1,236人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1916年(大正5年)7月5日[4][5] |
備考 |
直営駅(管理駅)[要出典] みどりの窓口 有[1] 標高:712.5m[3][2] |
信濃大町駅(しなのおおまちえき)は、長野県大町市大町仁科町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)大糸線の駅である[3]。大町市の市街地にある中心駅である。駅番号は「23」[6]。事務管コードは▲510619[7]。
概要
松本駅から連絡することで「東京と日本海とを連絡する」ことを目指して1916年(明治45年)3月3日に創立総会を開催した私鉄の信濃鉄道(現在のしなの鉄道とは無関係)が1916年(大正5年)7月5日に松本駅に隣接する松本市駅までを結ぶ形で開業したのが始まりである[8]。
この鉄道建設に当たっては大町市役場が高瀬橋東詰から大町駅までの線路用地全てと15,000円を寄付するなどの支援を行った[4]。
開業前は大町から松本まで一泊二日必要とされていたことから、この開通は当地に大きな変化をもたらすことになった[4]。
しかし、当駅より先は地形などの関係で敷設が困難であることから延伸が進まない状況が続いていたところに、軍事上の必要性などから国が当駅から糸魚川駅を結ぶ路線を建設することになり、1929年(昭和4年)9月25日に大糸南線として当駅 - 簗場駅間が開通することになった[5]。大糸線の線名の由来は、この時の両端の駅名から一文字ずつ採ったものである。
信濃鉄道は、1926年(大正15年)1月8日 に全線電化して旅客列車を電車化したが[5]、1937年(昭和12年)6月1日に国有化され大糸南線に編入された[4]。
1957年(昭和32年)8月15日に中土駅 - 小滝駅間が開通して全線開通し、大糸線と改称した[5]。
1959年(昭和34年)7月17日には当駅 - 信濃四ッ谷駅(現・白馬駅)間を電化し[9]、1960年(昭和35年)9月には松本駅 - 当駅間の貨物列車も電化した[10]。
黒部トンネル開通翌日の1971年(昭和46年)4月26日に特急「あずさ」の乗入れを開始し、立山黒部アルペンルートが当駅を起点として1971年(昭和46年)6月1日に開通した[11]。
1966年(昭和41年)4月に名古屋発の急行「つがいけ」が季節列車として乗入れを開始し[10]、1982年(昭和57年)11月15日のダイヤ改正で急行「つがいけ」が特急列車化されて特急「しなの」に統合された[12]。
しかし、高齢化の進展などの影響も受けて利用者が減少したことから、2010年(平成22年)3月13日に当駅始発の特急「あずさ」は廃止となった[13]。
この廃止の年には、JRの「信州デスティネーションキャンペーン」に向けて駅舎を山小屋風に改装し、同年7月22日に式典を行って新装開業した[14]。
2014年(平成26年)11月22日に発生した長野県神城断層地震により、白馬大池駅 - 千国駅間の線路沿いのがけ崩れに伴う土砂の流入や簗場駅 - 南神城駅間での路盤の液状化などの被害が出たため、当駅 - 糸魚川駅間は23日まで運休した[15]。 このうち24日に平岩駅 - 糸魚川駅間が本数を減らして運行を再開し、25日には当駅 - 白馬駅間の運転を再開した[16]。 そして同年12月7日に白馬駅 - 南小谷駅間の運転を再開し、大糸線の全線が復旧した[17]。
特急列車を含む全列車が停車するほか、普通列車のほとんどが当駅を始終着としている。当駅以北は輸送密度が大きく低下することから、ほとんどの列車がワンマン運転となり、夜間滞泊もある大糸線の要衝となる駅である。大糸線内では起点の松本駅に次いで利用者数が多い。
歴史
- 1916年(大正5年)7月5日:信濃鉄道仏崎(現・廃止) - 当駅間の開通と同時に開業[5]。一般駅。
- 1926年(大正15年)1月8日:信濃鉄道が全線電化し、旅客列車を電車化[5]。
- 1929年(昭和4年)9月25日:日本国有鉄道(国鉄)大糸南線の当駅 - 簗場駅間が開通し、接続駅となる[5]。
- 1937年(昭和12年)6月1日:信濃鉄道の国有化[4]。
- 1957年(昭和32年)8月15日:中土駅 - 小滝駅間が開通して全線開通し、大糸線と改称[5]。
- 1959年(昭和34年)7月17日:当駅 - 信濃四ッ谷駅(現・白馬駅)間を電化[9]。
- 1960年(昭和35年)9月:松本駅 - 当駅間の貨物列車を電化[10]。
- 1966年(昭和41年)4月:急行「つがいけ」が季節列車として乗入れを開始[10]。
- 1971年(昭和46年)4月26日:特急「あずさ」の乗入れを開始[11]。
- 1982年(昭和57年)11月15日:ダイヤ改正で急行「つがいけ」が特急列車化され、特急「しなの」に統合[12]。
- 1984年(昭和59年)2月2日:貨物の取扱いを廃止[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる[18][19]。
- 1990年(平成2年)2月28日:貨物列車発着の最終日[要出典]。
- 1999年(平成11年)3月31日:JR貨物の駅が廃止され、貨物の取扱いが終了[要出典]。
- 2006年(平成18年)3月25日:自動改札機設置[20]。
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年)
- 2014年(平成26年)
駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線[要出典]、合計2面3線のホームを有する地上駅[20]。駅舎に面する単式ホームが1番線、島式ホームが3・4番線となっている。2番線はホームのない留置線である。互いのホームは跨線橋で連絡している[要出典]。
駅構内のはずれに、蒸気機関車が現役のころに使用された転車台が残っている。
直営駅であり、管理駅として細野駅 - 簗場駅間の各駅を管理している。駅舎内部にはみどりの窓口(営業時間:5:20 - 20:00)[1]、自動券売機、指定席券売機[1]、自動改札機(Suica非対応)がある[20]。また、構内でコンビニエンスストア、駅そば店が営業を行っている[1]。一時期はびゅうプラザも置かれていた[要出典]。
駅舎は2010年の改装により、屋根の形状などを変更して山岳都市をイメージした山小屋風となった[14]。長野県産杉材を壁に利用している[21]。
駅の北側、五日町寄りの踏切のそばに、1937年に大糸線の前身である信濃鉄道が国有化された際に、そのことを記念して建立された石碑がある。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・3・4 | ■大糸線 | 下り | 白馬・南小谷方面[22] |
上り | 松本方面[22] |
- 特急列車はすべて1番線に発着する。
-
2010年に改築される前の信濃大町駅駅舎
-
自動改札口
-
島式ホーム1面2線(右)と単式ホーム1面1線(左)
-
1番線ホームに設置された道祖神
専用線
東洋紡績大町工場と昭和電工大町工場へ続く専用線が存在していた[4]。2016年現在でも、本線(南大町駅方面)と並走して、昭和電工へ向かう専用線の跡が確認できる。
1956年(昭和31年)に開始された関西電力が黒部川第四ダムを建設時には資材約60万トンの輸送が必要となり、既存の路線と設備では対応困難として専用線が設置された[5]。 この専用線は北大町駅まで本線に併走しており、そこから扇沢までは道路を新設して運搬された[4]。
また、東信電気(東京電力の前身の1社)が高瀬川水系に発電所建設を行った際には、駅前から建設資材を運搬する東信電気鉄道が運行していた[4][23]。
利用状況
JR東日本によると、2018年度(平成30年度)の1日平均乗車人員は1,236人である[利用客数 1]。開業当初の5年間、当駅が当時の北安曇郡内の駅では最大の乗降客数であった[4]。
近年の推移は以下のとおりである。
乗車人員推移 | ||
---|---|---|
年度 | 1日平均 乗車人員 |
出典 |
1997年(平成 | 9年)1,984 | [利用客数 2] |
1998年(平成10年) | 1,780 | |
1999年(平成11年) | 1,676 | |
2000年(平成12年) | 1,579 | |
2001年(平成13年) | 1,510 | |
2002年(平成14年) | 1,450 | |
2003年(平成15年) | 1,376 | |
2004年(平成16年) | 1,353 | [利用客数 3] |
2005年(平成17年) | 1,331 | [24] |
2006年(平成18年) | 1,284 | [利用客数 4] |
2007年(平成19年) | 1,303 | [利用客数 5] |
2008年(平成20年) | 1,261 | [利用客数 6] |
2009年(平成21年) | 1,232 | [利用客数 7] |
2010年(平成22年) | 1,228 | [利用客数 8] |
2011年(平成23年) | 1,241 | [利用客数 9] |
2012年(平成24年) | 1,334 | [利用客数 10] |
2013年(平成25年) | 1,373 | [利用客数 11] |
2014年(平成26年) | 1,284 | [利用客数 12] |
2015年(平成27年) | 1,332 | [利用客数 13] |
2016年(平成28年) | 1,301 | [利用客数 14] |
2017年(平成29年) | 1,283 | [利用客数 15] |
2018年(平成30年) | 1,236 | [利用客数 1] |
駅周辺
開業前後には、元々の旧市街地では九日町や上仲町、下仲町などが商業の中心として栄えていた[4]。
駅の開設に伴い、下仲町から当駅までの道路が建設され、仁科町にも飲食店などが並ぶ商店街が形成された[4]。
- 塩の道博物館(現・塩の道ちょうじや) - 塩の道と呼ばれた千国街道・大町宿にあった荷宿の建物を活用して1982年(昭和57年)に開館した[25]。
- 大町山岳博物館 - 富国繊維の麻工場の跡地を買収して1951年(昭和57年)11月に開館した[10]。
- 国道147号
- 大町郵便局
- 大町税務署
- 長野銀行大町支店 - 1958年(昭和33年)8月1日に長野県商エ信用組合大町支店として開設[4]。
- 松本信用金庫大町支店 - 1956年(昭和31年)11月1日開設[4]。
- ホクト大町きのこセンター - 東洋紡績大町工場跡地の一部約4.3haに2002年(平成14年)に操業開始した[26]。
- 昭和電工大町事業所 - 1934年(昭和9年)1月10日に昭和アルミニウム工業所として操業し、1939年(昭和14年)6月に昭和電工大町工場となった[4]。日本沃度の社長であった森矗昶が個人事業として昭和アルミニウム工業所を設立し、日本初のアルミニウムの工業生産を行った事業所である[4]。生産が軌道に乗ると日本沃度に吸収合併されて同社の大町工場となり、同社が日木電気工業株式会社と改称した[4]。さらに、1939年(昭和14年)6月に昭和肥科と合併し、昭和電工大町工場となった[4]。1982年(昭和57年)6月17日にアルミ精錬事業から撤退した[4]。
- フレスポ大町-ショッピングセンター
- デリシア大町店-フレスポ大町内
- ヤマダ電機テックランド大町店
かつてあった主要施設
- 東洋紡績大町工場 - 1937年(昭和12年)8月7日に伊藤忠商事と呉羽紡績の社長であった伊藤忠兵衛が主導して大町紡績として設立され[4]、戦時経済での産業統制により、1939年(昭和14年)2月24日に大町紡績は昭和人絹や愛知織物と共に呉羽紡績に吸収合併され、呉羽紡績大町工場になった[4]。呉羽紡績が1966年(昭和41年)4月26日に東洋紡績に吸収合併され、東洋紡績大町工場になった[27]。工場の敷地面積は約17.3haで最盛期の1950年代には、3,000人を超える従業員を抱えていたが、繊維不況などの影響で1999年(平成11年)12月に工場閉鎖となった[26]。
- カネマンジャスコ大町店 - 1981年(昭和56年)12月9日に地場資本のスーパー「カネマン」と「ジャスコ」の合弁で開店したもので[4]、店舗面積は約4,793m²であった[28]。1987年(昭和62年)8月21日に信州ジャスコと合併した[29]。1998年(平成10年)7月に新大町店(店舗面積約8,494m²、延べ床面積約10,056m²)が開店[30]。
- 日本相互銀行大町支店 - 1958年(昭和33年)9月1日開設[4]。
- デリシア大町駅前店 - 1993年(平成5年)7月に開店し、売り場面積は約4,233m²;、延べ床面積は約9,307m²[30]。フレスポ大町への移転のため2016年4月6日を持って閉店。
- 東信電気鉄道信濃大町駅 - 1924年(大正13年)より1969年(昭和44年)まで存在。[23]
バス路線
詳細は当該記事参照 全路線休日と12月29日 - 1月3日運休
- 葛温泉乗合タクシー
- 葛温泉行
午後に3便のみの運行。デマンド制。
高速バス
- 中央高速バス安曇野・白馬線
- バスタ新宿(新宿駅南口)行
- さわやか信州号大阪・京都 - 安曇野・白馬線
- 大阪梅田(阪急三番街高速バスターミナル)行
- YCAT・東京駅行(季節運行)
隣の駅
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- ■大糸線
- 特急「あずさ」停車駅
脚注
記事本文
- ^ a b c d e “信濃大町駅”. 東日本旅客鉄道. 2015年9月7日閲覧。
- ^ a b c d “信濃大町駅”. 東日本旅客鉄道長野支社. 2015年9月7日閲覧。
- ^ a b c d 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、110頁。ISBN 9784784071647。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 大町市史編纂委員会 『大町市史 第四巻 近代・現代』 大町市、1985年9月1日。
- ^ a b c d e f g h i 『東筑摩郡松本市塩尻市誌 第三巻 現代下』 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会、1965年。
- ^ “大糸線に「駅ナンバー」を導入します” (PDF). 東日本旅客鉄道 (2016年12月7日). 2016年12月8日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ 松本市史編さん室 『松本市史 第二巻歴史編Ⅲ近代』 松本市、1995年11月30日。
- ^ a b 諸河久 松本典久 『JRローカル線』 保育社、1994年。ISBN 978-4586508587
- ^ a b c d e 大町市史編纂委員会 『大町市史 第五巻 民俗・観光』 大町市、1984年7月1日。
- ^ a b 『交通年鑑 昭和47年版』 交通協力会、1972年3月20日。
- ^ a b 『交通年鑑 昭和58年版』 交通協力会、1982年3月。
- ^ a b “利用減 ダイヤ改正で廃止 大糸線あずさ6号に花束”. 大糸タイムス (大糸タイムス社). (2010年3月13日)
- ^ a b c “「山小屋風」でDC歓迎 信濃大町駅改装完成祝う”. 大糸タイムス (大糸タイムス社). (2010年7月23日)
- ^ a b “41人けが、全壊34棟 長野北部地震、余震70回に”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月24日)
- ^ a b “長靴姿で登校、大糸線が一部再開 県神城断層地震”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月26日)
- ^ a b “JR大糸線、全線復旧 15日ぶり、高校生ら歓迎” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2014年12月8日)
- ^ 『交通年鑑 昭和63年版』 交通協力会、1988年3月。
- ^ 今村都南雄 『民営化の效果と現実NTTとJR』 中央法規出版、1997年8月。ISBN 978-4805840863
- ^ a b c “JR信濃大町・豊科両駅 自動改札機、設置へ 大糸線で初導入”. 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社): p. 17(朝刊). (2006年3月23日)
- ^ 交通新聞2010年7月27日
- ^ a b “時刻表 信濃大町駅”. 東日本旅客鉄道. 2019年8月19日閲覧。
- ^ a b 『信州の鉄道物語(上) 消え去った鉄道編』信濃毎日新聞社、2014年6月30日。ISBN 978-4-7840-7236-1。
- ^ a b 『大町市統計要覧 2006 平成18年版』 大町市、2007年8月。
- ^ 飯田賢一 『技術の社会史 データ・ガイドブック』 有斐閣、1990年11月30日。ISBN 978-4641074613
- ^ a b 菅野峰明・佐野充・谷内達 『日本の地誌 4 東北』 朝倉書店、2008年4月20日。ISBN 978-4-254-16764-1
- ^ 東洋紡績株式会社社史編集室編 『百年史 東洋紡 下』 東洋紡績株式会社、1986年5月。
- ^ 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1992年版』 東洋経済新報社、1992年。
- ^ 田村詩子 『ドイツにおける合併に関する基準日の設定とその変則例』 香川大学経済論叢 第64巻 第4号 (香川大学経済研究所) (1992年2月)
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。
- ^ 白馬営業所・大町営業所の移管について Archived 2010年2月1日, at the Wayback Machine.(アルピコグループ:2009年12月9日発表)
利用状況
- ^ a b 各駅の乗車人員(2018年度) - JR東日本
- ^ 『大町市統計要覧 2004 平成16年版』 大町市、2005年。
- ^ 『大町市統計要覧 2005 平成17年版』 大町市、2006年8月。
- ^ 『大町市統計要覧 2007 平成19年版』 大町市、2008年6月。
- ^ 『大町市統計要覧 2008 平成20年版』 大町市、2009年。
- ^ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本