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* [[1961年]] 麻布学園を退職。 |
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2020年3月24日 (火) 23:24時点における版
やまぐち まさお 山口 昌男 | |
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文化功労者顕彰に際して 公表された肖像写真 | |
生誕 |
1931年8月20日 北海道網走郡美幌町 |
死没 |
2013年3月10日(81歳没) 東京都 |
居住 | 日本 |
研究分野 | 文化人類学 |
研究機関 |
麻布中学校 東京外国語大学 静岡県立大学 札幌大学 |
出身校 |
東京大学文学部卒業 東京都立大学 (1949-2011)大学院 社会科学研究科修士課程修了 |
影響を 受けた人物 |
クロード・レヴィ=ストロース ダン・スペルベル |
影響を 与えた人物 | 今福龍太 |
主な受賞歴 | 大佛次郎賞(1996年) |
プロジェクト:人物伝 |
山口 昌男(やまぐち まさお、1931年8月20日 - 2013年3月10日)は、日本の教育者、文化人類学者。位階は正四位。勲等は瑞宝中綬章。東京外国語大学名誉教授、文化功労者。
麻布中学校教諭、イバダン大学講師、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長、静岡県立大学国際関係学部教授、札幌大学文化学部教授、札幌大学文化学部学部長、札幌大学学長などを歴任した。
人物
北海道美幌町出身。9人兄弟の次男。父親は鳥取県倉吉市の庄屋の生まれで、地租改正で没落後職を転々とし、網走で菓子屋を営んでいた。
東京大学駒場美術研究会で磯崎新と一緒に勉強する。中村雄二郎と共に1970年代初頭から、創刊間もない青土社の月刊誌『現代思想』に寄稿し始め、構造主義や記号論を紹介して既存の学問の方向性を転換した上で議論を活性化。1980年代の浅田彰、中沢新一らによって本格化したいわゆるニューアカ(ニュー・アカデミズム)」ブームの下準備をした。
1984年から1994年まで磯崎新、大江健三郎、大岡信、武満徹、中村雄二郎と共に学術季刊誌『へるめす』(途中から隔月刊、岩波書店)の編集同人として活躍した。
晩年は、『「敗者」の精神史』以来、近代日本史の中で重要視されていなかった「旧幕臣」系または「趣味人」系の人々の、人的ネットワークを洗い出し検証する著作が多かった。
2008年に脳梗塞で倒れてから療養生活を送っていたが、2013年3月10日に肺炎のため東京都内の病院で死去[1][2]。歿日付けで正四位に叙された。
エピソード
- 研究室には膨大な蔵書が山積みになっていた。しかし海外出張中に電話をかけ「何番目の山の何冊目の何ページを引用するから探せ」と指示を出したという[3]。蔵書は札幌大学図書館に寄贈、「山口文庫」で一般開放されている。
- 20代の頃から漫画評論を手がけており、先駆的存在である。
学説
アジア・アフリカ・南アメリカなど世界各地でフィールドワークを行い、両性具有・トリックスターをテーマとした著作で「中心と周縁の理論」を発表し評価が高い[4]。
家族・親族
NHK美術監督の山口類児は長男。札幌大学女子短期大学部教授の山口拓夢は次男。
年譜
- 1950年 旧制網走中学・新制網走高校(現・北海道網走南ヶ丘高等学校)卒業、1学期のみ青山学院大学文学部仏文科に通う。
- 1955年 東京大学文学部国史学科卒業。卒論は「大江匡房―平安末期一貴族の意識」、指導教官は坂本太郎。麻布中学校教諭に着任(日本史担当、教え子に川本三郎、山下洋輔など)。
- 1960年 東京都立大学 (1949-2011)大学院社会科学研究科社会人類学専攻修士課程修了。修論は「アフリカ王政研究序説」。国際基督教大学非常勤助手。
- 1961年 麻布学園を退職。
- 1963年 ナイジェリア・イバダン大学社会学講師。
- 1965年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所講師。
- 1968年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授。
- 1970年 エチオピア調査を経て、パリ大学ナンテール分校客員教授。
- 1973年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。
- 1977年 メキシコ大学院大学客員教授。
- 1989年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長。
- 1994年 静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授、中央大学総合政策学部客員教授。
- 1997年 札幌大学文化学部長。
- 1999年 札幌大学学長。
- 2013年3月10日 肺炎のため、東京都三鷹市の病院内にて病没[5][1][2]。81歳没。
受賞歴
栄典
著書
単著
- 「アフリカの神話的世界」(岩波新書、1971年)
- 「人類学的思考」(せりか書房、1971年 / 筑摩書房(新編)、1979年 / 筑摩叢書、1990年)
- 「本の神話学」(中央公論社、1971年 / 中公文庫、1977年 / 岩波現代文庫、2014年)
- 「歴史・祝祭・神話」(中央公論社、1974年 / 中公文庫、1978年 / 岩波現代文庫、2014年)
- 「道化の民俗学」(新潮社、1975年 / 筑摩叢書、1985年 / ちくま学芸文庫、1993年 / 岩波現代文庫、2007年)
- 「道化的世界」(筑摩書房、1975年 / ちくま文庫、1986年)
- 「文化と両義性」(岩波書店〈哲学叢書〉、1975年 / 岩波現代文庫、2000年)
- 「世界の歴史6 黒い大陸の栄光と悲惨」(講談社、1977年)
- 「知の遠近法」(岩波書店、1977年 / 岩波同時代ライブラリー、1990年 / 岩波現代文庫、2004年)
- 「知の祝祭 文化における中心と周縁」(青土社、1979年 / 河出文庫、1988年)
- 「文化とその痛み」(現代研究会〈現代セミナー10〉、1979年) - 講演冊子
- 「道化の宇宙」(白水社、1980年 / 講談社文庫、1985年)
- 「仕掛けとしての文化」(青土社、1980年 / 講談社学術文庫、1988年)
- 「文化人類学への招待」(岩波新書、1982年)
- 「文化の詩学 I・II」(岩波書店〈岩波現代選書〉、1983年、新装版1998年 / 岩波現代文庫、2002年)
- 「文化と仕掛け Scrap book1」(筑摩書房、1984年)
- 「笑いと逸脱 Scrap book2」(筑摩書房、1984年 / ちくま文庫、1990年)
- 「流行論 週刊本」(朝日出版社、1984年)
- 「演ずる観客 劇空間万華鏡1」(白水社、1984年)
- 「祝祭都市 象徴人類学的アプローチ」(岩波書店〈旅とトポスの精神史〉、1984年)
- 「冥界遊び Scrap book3」(筑摩書房、1986年)
- 「スクリーンの中の文化英雄たち」(潮出版社、1986年)
- 「文化人類学の視角」(岩波書店、1986年)
- 「学校という舞台-いじめ・挫折からの脱出」(講談社現代新書、1988年 / 「いじめの記号論」岩波現代文庫、2007年)
- 「モーツァルト好きを怒らせよう 祝祭音楽のすすめ」(第三文明社、1988年)
- 「「知」の錬金術」(講談社、1989年)
- 「天皇制の文化人類学」(立風書房、1989年 / 岩波現代文庫、2000年)
- 「知の即興空間 パフォーマンスとしての文化」(岩波書店、1989年)
- 「気配の時代」(筑摩書房、1990年)
- 「のらくろはわれらの同時代人 漫画論集」(立風書房、1990年)
- 「宇宙の孤児 演劇論集」(第三文明社、1990年)
- 「病いの宇宙誌」(人間と歴史社、1990年)
- 「トロツキーの神話学」(立風書房、1991年)
- 「自然と文明の想像力」(宝島社、1993年)
- 「「挫折」の昭和史」(岩波書店、1995年 / 岩波現代文庫(上下)、2005年)
- 「「敗者」の精神史」(岩波書店、1995年 / 岩波現代文庫(上下)、2005年)
- 「知の自由人たち」(日本放送出版協会〈NHKライブラリー〉、1998年)[6]
- 「踊る大地球 フィールドワーク・スケッチ」(晶文社、1999年) - 精選されたスケッチ約100点を収録
- 「敗者学のすすめ」(平凡社、2000年)
- 「独断的大学論」(ジーオー企画出版、2000年) - 副題は面白くなければ大学ではない!
- 「内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘」(晶文社、2001年 / 岩波現代文庫(上下)、2010年)
- 「山口昌男著作集」(筑摩書房(全5巻)、2002年 - 2003年) - テーマ別編集、今福龍太 編・解説
- 1.知、2.始原、3.道化、4.アフリカ、5.周縁
- 「山口昌男ラビリンス」(国書刊行会、2003年) - 1980年代以降の単行本未収録の論考・雑文
- 「経営者の精神史-近代日本を築いた破天荒な実業家たち」(ダイヤモンド社、2003年)
- 「本の狩人 読書年代記」(右文書院、2008年) - 巻末に著書目録
- 「学問の春 〈知と遊び〉の10講義」(平凡社新書、2009年)
- 「山口昌男コレクション」(ちくま学芸文庫、2013年6月) - 今福龍太編・解説
- 「エノケンと菊谷栄―昭和精神史の匿れた水脈」(晶文社、2015年1月) - 1980年代に執筆した遺稿を編んだ
- 「古本的思考―講演敗者学」(晶文社、2018年9月) - 単行本未収録
対話集
- 「挑発としての芸術 対話集」(青土社、1980年)
- 「二十世紀の知的冒険 対談集」(岩波書店、1980年)
- 「知の狩人 続・二十世紀の知的冒険 対談集」(岩波書店、1982年)
- 「語りの宇宙 記号論インタヴュー集」(冬樹社、1983年) - 聞き手・三浦雅士
- 「身体の想像力 対談集 音楽・演劇・ファンタジー」(岩波書店、1987年)
- 「ミカドと世紀末 王権の論理」(平凡社、1987年 / 新潮文庫(増補版) 1990年 / 小学館文庫(再訂版) 1998年) - 猪瀬直樹との対論・対談
- 「知のルビコンを超えて 山口昌男対談集」(人文書院、1987年)
- 「古典の詩学 国文学対談集」(人文書院、1989年)
- 「オペラの世紀 音楽対談集」(第三文明社、1989年)
- 「はみ出しの文法 敗者学をめぐって」(平凡社、2001年) - 12名との対話集
- 「回想の人類学」(晶文社、2015年) - 聞き手・川村伸秀
編著・共著
- 「現代人の思想 第15 未開と文明」(平凡社、1969年、新装版2000年)
- 「近代日本思想大系 26 林達夫集」(筑摩書房、1974年) - 解説「精神史のフォークロア」は「知の祝祭」に収録
- 「日本民俗文化大系 8 石田英一郎 河童論」(講談社、1979年)
- 再編「河童のコスモロジー 石田英一郎の思想と学問」(講談社学術文庫、1986年)
- 「共同討議 書物の世界」(青土社、1980年) - 高階秀爾・中村雄二郎との共著
- 「知の旅への誘い」(岩波新書、1981年) - 中村雄二郎との共著
- 「見世物の人類学」 (三省堂、1983年) - ヴィクター・ターナーとの共編
- 「火まつり」(リブロポート、1985年)
- 「世界は舞台 林達夫座談集」(岩波書店、1986年)
- 「越境スポーツ大コラム」(TBSブリタニカ、1987年)
- 「魯庵の明治 内田魯庵」(講談社文芸文庫、1997年) - 坪内祐三との共編
- 「魯庵日記」(講談社文芸文庫、1998年) - 坪内祐三との共編
- 「記号論の逆襲」(東海大学出版会、2002年) - 室井尚との共編
- 「山口昌男 人類学的思考の沃野」(東京外国語大学出版会、2014年)。真島一郎・川村伸秀共編
- 追悼論集。単行本未収録の論考、詳細な研究記録、写真・スケッチ、年譜・著作目録を収録
翻訳
- 「青銅時代」(ジャック・ブリアール/白水社(文庫クセジュ)、1961年)
- 「黒いアフリカの歴史」(アンリ・ラブレ/白水社(文庫クセジュ)、1962年)
- 「黒いアフリカの宗教」(ユベール・デシャン/白水社(文庫クセジュ)、1963年)
- 「仮面の道」(クロード・レヴィ=ストロース/渡辺守章共訳、新潮社「創造の小径」、1977年/ちくま学芸文庫、2018年)。渡辺公三補訳
関連人物
美幌町時代
- 藁科雅美 Masami Warashina(音楽評論家、訳書・バーンスタイン物語、1950年第1回美幌町文化賞受賞)。戦後、北海道美幌町に疎開中の藁科雅美から英語の個人指導を受ける。藁科雅美はその後(1952年)團伊玖磨に北海道美幌農業高等学校校歌作曲を依頼、(1953年)武満徹に美幌町町歌作曲を依頼する。
都市の会
「へるめす」同人
麻布中学時代の生徒
「東京外骨語大学」
山口昌男が「学長」の交流会。
「例の会」メンバー
季刊誌として創刊された「へるめす」前身となる会。
その他
- 由良君美
- 青木保
- 高山宏
- 四方田犬彦
- 大室幹雄
- 松岡正剛
- 今福龍太
- 中沢新一[7]
- 上野千鶴子
- 栗本慎一郎 - 栗本慎一郎自由大学に参加
- 本多勝一(「調査される側の眼」で文化人類学を批判。山口昌男がこれに反論、論争となった)
脚注
- ^ a b “文化人類学者の山口昌男さん死去 「中心と周縁」理論”. 朝日新聞. (2013年3月10日) 2013年3月10日閲覧。
- ^ a b “「道化の民俗学」文化人類学者の山口昌男氏死去”. 読売新聞. (2013年3月10日) 2013年3月10日閲覧。
- ^ 磯崎新「喪友記 再現できぬ回路 山口昌男氏を悼む」日本経済新聞(2013年3月20日40面)
- ^ この方面での代表作は『文化と両義性』(岩波書店)
- ^ “文化人類学者の山口昌男氏が死去 「中心と周縁」理論”. 日本経済新聞. (2013年3月10日) 2020年2月6日閲覧。
- ^ NHK人間大学テキスト『「知」の自由人たち』を改訂。※1997年10月-12月にNHK教育テレビで放映。
- ^ 高山宏との対話で「インヴェンション」- [第4章 軽業としての学問―山口昌男をめぐって]、明治大学出版会、2014年。がある
参考文献
関連文献
- 『ユリイカ 詩と批評 特集山口昌男 道化・王権・敗者』(2013年5月号、青土社)
- 『山口昌男山脈 第1~5号』 めいけい出版→川村オフィス、2002年から2005年に発行
外部リンク
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