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2020年8月17日 (月) 07:51時点における最新版
南康郡(なんこう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。晋代から唐代にかけて、現在の江西省贛州市一帯に設置された。
概要
[編集]282年(太康3年)、廬陵郡南部を分割して南康郡が立てられた。南康郡は揚州に属した[1]。291年(元康元年)、揚州と荊州の10郡を合わせて江州が立てられると、南康郡は江州に転属した[2]。晋の南康郡は贛・雩都・南康・陂陽の5県を管轄した[1]。
南朝宋のとき、南康郡は贛・寧都・雩都・平固・南康・陂陽・南野・虔化の8県を管轄した[3]。
南朝斉のとき、南康郡は贛・雩都・南野・寧都・平固・陂陽・虔化・南康の8県を管轄した[4]。
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、南康郡は廃止されて、虔州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、虔州は南康郡と改称された。南康郡は贛・虔化・雩都・南康の4県を管轄した[5]。
622年(武徳5年)、唐が江南を平定すると、南康郡は虔州と改められた。742年(天宝元年)、虔州は南康郡と改称された。758年(乾元元年)、南康郡は虔州と改称され、南康郡の呼称は姿を消した[6]。