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*[[赤い陣羽織]](1958年)
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* [[日本誕生]](1959年) - 美夜受姫役
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* [[人間の壁 (映画)|人間の壁]](1959年)
* [[人間の壁]](1959年)
* [[風雲児 織田信長]](1959年)
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* [[悪い奴ほどよく眠る]](1960年) - 岩淵佳子役
* [[悪い奴ほどよく眠る]](1960年) - 岩淵佳子役

2021年3月28日 (日) 21:46時点における版

かがわ きょうこ
香川 京子
香川 京子
1954年
本名 牧野 香子
生年月日 (1931-12-05) 1931年12月5日(92歳)
出生地 日本の旗 日本茨城県行方郡麻生町
(現:行方市[1]
身長 162cm
職業 女優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1950年 -
配偶者 あり
主な作品
映画
ひめゆりの塔[1]
東京物語[1]
近松物語
どん底
悪い奴ほどよく眠る[1]
天国と地獄
まあだだよ
阿弥陀堂だより

テレビドラマ
肝っ玉かあさん
水色の時
春日局
芋たこなんきん
 
受賞
東京国際映画祭
国際フィルム・アーカイヴ連盟賞
2011年 日本人として史上初の受賞
日本アカデミー賞
最優秀助演女優賞
1993年まあだだよ
優秀助演女優賞
1978年翼は心につけて
1990年式部物語
ブルーリボン賞
助演女優賞
1993年『まあだだよ』
その他の賞
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香川 京子(かがわ きょうこ、1931年12月5日[1] - )は、日本女優。本名は、牧野 香子(まきの きょうこ)。茨城県行方郡麻生町(現行方市)生まれ。東京都立第十高等女学校卒業[1]。身長162cm、体重45kg[2]

人物

生まれてすぐに父親の仕事の都合で兵庫県の芦屋へ移る。

小学校に入る1年前に東京に戻るも、女学校に上がった1944年に空襲を避けるため、茨城県の下館に疎開。間もなく母親が麻生町に疎開したため、自らも麻生町に戻る。

女学校時代は勤労奉仕ばかりで、勉強することはあまりなかった。

1945年に東京に移り住む。

1949年に女学校を卒業。東京新聞主催の「ニューフェイス・ノミネーション」に合格し、新東宝へ入社する[1](女学校卒業時に漠然と将来を考えた際に、当初は英語の勉強をしたいと考えていたが家庭の事情で断念。『白鳥の湖』を観賞してバレリーナになりたいと考えるも、専門家から、目指すには遅すぎると指摘され、どうしようか考えあぐねている時に新聞のニューフェイス募集記事が目に止まって応募したという)。一般会社の入社試験も同時進行で受けており、最終面接とニューフェイスのカメラテストでの最終試験が重なってしまうが、母の助言もあり、女優の道に進むことになる。

1950年、『窓から飛び出せ』でデビュー。

芸名は映画会社で用意されていたものがしっくり来ず、家族と自身で考えたもの(本名の「香」と言う文字はどうしても用いたく、「きょうこ」という音も用いられるために決定したという)。

大手映画会社間の五社協定ができる前の1953年にフリーになった[1] [3]おかげで、各映画会社の黄金期の多くの巨匠たちの作品に出演するという幸運に恵まれている。本人は「個性のない普通の雰囲気が使いやすかったのだと思う」と謙遜して答えている。

ひめゆりの塔』への出演が転機になったようで、女優としての意義を意識するようになった。監督の今井正からは役作りのために役になりきってひめゆり学徒隊に志願した理由を書く作文を書かされ、とても勉強になったと述べている(NHKサービスセンター、『女優が語る私の人生』)。

続いて成瀬巳喜男監督の作品に次々に出演し、さわやかな演技で人気女優となる。

溝口健二監督の『近松物語』ではヒロインを演じ、初の人妻を演じる(当時は未婚であったため、溝口監督独特の演技指導しない演出も重なって、既婚者の動作が中々演じられなかったという)。本人の思い出に残る作品であり、「できるまでやらされ死ぬほどつらかったが、芝居の基本を教えてもらった」と振り返っている[1]

黒澤明監督の作品にも多く出演し、黒澤作品の看板役者であった三船敏郎の恋人役や妻役を演じることが多かった(2010年の黒澤明誕生100年にあたっては、仲代達矢と回想対談している(『文藝春秋』2010年7月号、「私たちのクロサワ悶絶体験 生誕100年」)。黒澤作品において、三船とは9回の共演回数を誇る(女優陣で最多)。特に思い出深い作品は『悪い奴ほどよく眠る』である。

1963年に結婚。

1965年、『赤ひげ』に出演して以降、出産を経験。新聞記者であった夫の海外赴任先であるニューヨークへ同行し、映画の世界を3年ほど離れることになる(ニューヨーク滞在時には、近所に日本人が多くいたおかげで、主婦業が大いに磨かれたという)。ニューヨーク在住時には1965年北アメリカ大停電を経験している。

1968年に帰国。テレビドラマ・舞台へ主軸を移す。

テレビドラマでは石井ふく子橋田寿賀子両者の作品に多く出演した。

映画撮影時の記念アルバムなどの資料は東京国立近代美術館フィルムセンターに寄贈され、展示室で公開されている。そうした映画保存活動への貢献が評価され、2011年10月24日に第24回東京国際映画祭の会場で日本人初となるFIAF賞(国際フィルム・アーカイヴ連盟賞)が授与された。FIAF賞受賞記念として、映画祭で、「香川京子と巨匠たち」として9作品特集上映され、また、東京国立近代美術館フィルムセンターで、「映画女優 香川京子」として45作品特集上映され、企画展示室にて「映画女優 香川京子」展として特別展示された。

出演

映画

『東京のヒロイン』(1950)
『東京物語』 (1953) 左は原節子

テレビドラマ

舞台

  • 「おんな太閤記」より 旦那さま大事

ラジオ

朗読

CM

ディスコグラフィー

シングル

著書

  • 「ひめゆりたちの祈り 沖縄のメッセージ」(1992年、朝日新聞社)のち文庫
  • 「愛すればこそ スクリーンの向こうから」勝田友巳 編(2008年、毎日新聞社
  • 『凛たる人生 映画女優香川京子』香川京子 述, 立花珠樹著. ワイズ出版, 2018.
  • 『小津安二郎 大全』(2019年、朝日新聞出版)インタビュー収録

受賞歴

脚注

外部リンク