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* [[青春ド真中!]](1978年、NTV / ユニオン映画) - 竹下格
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* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI・II|横溝正史シリーズII]] / [[仮面舞踏会 (横溝正史)|仮面舞踏会]](1978年、MBS / 東宝) - 古田マネージャー
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* [[駆け込みビル7号室]] 第7話「パリ-東京! 秘められた青春をさがせ」(1979年、CX / 三船プロ) - 堀田
* [[駆け込みビル7号室]] 第7話「パリ-東京! 秘められた青春をさがせ」(1979年、CX / 三船プロ) - 堀田
* [[あさひが丘の大統領]] 第5話「オレはおまえの親父じゃない!」(1979年、NTV / ユニオン映画)
* [[あさひが丘の大統領]] 第5話「オレはおまえの親父じゃない!」(1979年、NTV / ユニオン映画)

2021年4月18日 (日) 10:16時点における版

やぎゅう ひろし
柳生 博
生年月日 (1937-01-07) 1937年1月7日(87歳)
出生地 日本の旗 日本 茨城県稲敷郡舟島村(現・阿見町
血液型 O型
ジャンル 司会者タレント俳優、ナチュラリスト
活動期間 1960年 -
活動内容 タレント・司会者・ナチュラリスト・日本野鳥の会長・コウノトリファンクラブ会長
配偶者 二階堂有希子
著名な家族 柳生真吾(長男、故人)
柳生宗助(次男)
主な作品
テレビドラマ
飛び出せ! 青春
われら青春!
非情のライセンス』(第3シリーズ)
いちばん星
バラエティー番組など
100万円クイズハンター
平成教育委員会
生きもの地球紀行
爆報! THE フライデー』(定期レギュラー)
備考
身長175cm
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柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年1月7日[1][2] - )は、日本司会者タレント俳優声優団体役員

茨城県[1][2]稲敷郡舟島村(現在の阿見町)出身。茨城県立土浦第一高等学校卒業、東京商船大学(現在の東京海洋大学[1]中退。竹内事務所に所属していた[1]

作庭家(庭師)としても活動し、第5代日本野鳥の会会長(現:名誉会長)を務め、コウノトリファンクラブ会長も務める。身長175cm。血液型O型[3]

来歴・人物

柳生新陰流で知られる柳生宗厳柳生氏)の末裔にあたる家系に誕生。

船員を目指して大学に入学するも、体調を崩して中退。

その後、役者を志して劇団俳優座の養成所[1]へ入所。

穂積隆信と学園ドラマでの腰巾着コンビで人気を得て、『いちばん星』で野口雨情を演じたことで全国的に知られる。

1981年から1993年までの12年間、『100万円クイズハンター』での司会も務め、「ハンターチャンス」の決め台詞でも有名になる。

平成教育委員会』に解答者として出演したり、『生きもの地球紀行』のナレーションを長年担当していた。

洋画吹き替えではジェームズ・スチュアートなどを担当。

1970年代末頃より、東京に近い山梨県北巨摩郡大泉村(現・北杜市大泉町)に居を構えており、以後ここを生活拠点としている。

作庭活動は山梨への転居とともに開始したが、雑木林を中心とした作庭で、庭・家・林・駐車スペースなどのあり方に独自の視点を持っている。著書の中で囲炉裏を据えたり、枕木などを活用するなどの作庭技術を紹介している[4]

2004年4月17日、「日本野鳥の会」の第5代会長に就任し、2019年6月19日まで務めて同日より名誉会長に就任した[5]。また2004年12月12日に発足した「コウノトリファンクラブ」の初代会長も務めている。

2000年頃を境に拘束時間の長い俳優活動を減らし、バラエティー番組等へのピンポイント出演が中心だったが、2019年に『やすらぎの刻〜道』で20年ぶりに連続ドラマへ出演(「ドラマ出演はこれが最後」としている[6])。

八ヶ岳倶楽部

八ヶ岳倶楽部

1989年、大泉村西井出・西沢の森に、パブリックスペースとして、ギャラリー・レストラン「八ヶ岳倶楽部」を開設した。八ヶ岳倶楽部では、陶芸家を初めとしたアーティストの作品の展示販売が常時行われている[7]

柳生は近隣の手入れの不十分な人工林から貰い受けた各種の樹木を、自宅や八ヶ岳倶楽部敷地に植林し再生している。その数は柳生によれば[8] あわせて一万本以上になる。

建物、雑木林囲炉裏枕木を利用した散策路などの設計、作庭は、柳生博及び真吾ら家族の手によるものである[7]。柳生自身は、時間があるときには八ヶ岳倶楽部のレストランによく顔を出し、談笑する姿が見られる。

この八ヶ岳倶楽部のある西沢には柳生が中学生の頃一人旅で探訪している[8]。この一人旅は、柳生家のしきたりである「男子は12歳になったら一人旅をさせる」というものに基づいたものという[9]。このときの経験が、のち西沢に居を構え八ヶ岳倶楽部を設ける原体験となった語っている[8]

出演作品

テレビドラマ

映画

劇場アニメ

  • 白いファンタジア (2008年) - 老人

吹き替え

俳優

洋画・海外ドラマ

ナレーション

ラジオ

CM

その他

著書

脚注

出典

  1. ^ a b c d e 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、211頁。 
  2. ^ a b 柳生博 - 日本タレント名鑑
  3. ^ profile ORICON NEWS
  4. ^ 自著以外では、生和寛著『風景を作る人 柳生博』(辰巳出版)等
  5. ^ "(公財) 日本野鳥の会名誉会長に柳生博、新会長に上田恵介が就任いたしました" (PDF) (Press release). 日本野鳥の会. 1 July 2019. 2019年7月4日閲覧
  6. ^ 柳生博、『やすらぎ』で20年ぶり連ドラ出演 俳優として「最後の仕事」”. ORICON (2019年9月20日). 2019年11月8日閲覧。
  7. ^ a b 八ヶ岳クラブ公式サイト - 八ヶ岳倶楽部とは…”. 2021年1月27日閲覧。
  8. ^ a b c 柳生博 『森と暮らす森に学ぶ』 1994年、講談社刊、ISBN 978-4062067225
  9. ^ 柳生、柳生の子の真吾、真吾の子(柳生の孫)も一人旅に出されている。
  10. ^ BS日曜ドラマ 藏”. NHK. 2021年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月21日閲覧。

関連項目

外部リンク